2013年10月11日金曜日

『思考のレッスン』④

レッスン3: 思考の準備

102 考えるためには、本を読め
  考えるための準備と言われてまず思い浮かぶのは、「読書」でしょう。ものを考えるには、本を読むことが最も大事なことだという気がします。
  思考の大前提には「生きる」ということがある。でも、まあそれは当たり前だから、まず本を読むことについて考えましょう。

  本を読む上で一番大事なのは何でしょう?
  僕は、おもしろがって読むことだと思うんですね。おもしろがるというエネルギーがなければ、本は読めないし、読んでも身につかない。無理やり読んだって何の益にもならない。・・・その快楽をエネルギーにして進むこと。これですね。
103 逆に言えば、「おもしろくない本は読むな」。 ← ダニエル・ぺナックの「読者の権利10か条」の第一条

105 3つの効用
     情報を得るということ
     考え方を学ぶということ ~ 著者のものの考え方は何が特徴か、どのように論理を構成しているか、と考えると、とてもためになります。
     書き方を学ぶということ ~ 分析的に読む

111 「小説家になりたいなら、大学で外国文学を勉強して、外国の小説の翻訳をやって、小説の書き方を勉強せよ」と従兄弟がアドバイスしてくれました。画家にとって、模写は基本ですから、西洋のものを勉強するのは当たり前なわけです。 ← だから丸谷さんは、ジョイスを中心に英国文学を学んだ!

112 選び方 ~ これは、読みたい本を読むしかないんですね。 ← ぺナックの第五条に近い
  問題は「どういう本を読みたくなるか」というところにあるんじゃないでしょうか。要するに「本の読みたくなるなり方において賢明であれ」と言うしかない。そこに「趣味」という問題が一つ加わるので、なかなかむずかしいわけですが・・・

  「趣味」というのは、たいへん大事な問題なんですね。ところが、その重要な要素を見すごしてすべてのものを論じるのが、現代日本文化の悪い癖だと僕は思っているんです。文学を論じるときも、政治についても、教育問題にしても、趣味の良し悪しということがまったく視野に入ってないでしょう。
  検定制度にそもそも反対ですが、それは別として、いまの小学校の国語教科書の文章はほんとうに趣味が悪い。ただ単に趣味が悪い。戦前の教科書のほうが、イデオロギー的にはおかしかったけれど、文章の趣味という点ではまだマシです。 ← これについて詳しくは、ケチョンケチョンに国語教科書をけなした『完本・日本語のために』をお読みください。

  単に個人の問題ではなくて、一つの社会全体が趣味ということを忘れてしまったものだから、日本がおかしくなった。しかも、そこのところを論じる批評家、評論家がいない。

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