2021年5月28日金曜日

自立した読み手にするための「意味のある学習経験」とは?

 リーディング・ワークショップは、このことを突き詰めた時間の使い方をしています。

 通常の教科書をカバーする授業との比較として読み取れてしまうので、以下の表は衝撃的です!

 これはまた、「学校の中だけでしていること」と「学校以外でしていること」の比較の表ともいえます!

 

 ★表の中のブック・プロジェクト(ないしリーディング・プロジェクト)は、個々の生徒が自分の興味関心を追求する探究プロジェクトです。『リーディング・ワークショップ』の第12章を参照ください。ブッククラブについては、同第13章か『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』があります。

 

 生徒を自立的な読み手にするためには、「意味のある読みの学習活動」ではないものはやらない、意味のある活動に集中する選択をする必要があります。

 

 「意味のある学習経験」は、研究の結果によっても裏づけられています。

 

1 安心安全で、チャレンジできる環境

研究 - 正解に凝縮してしまうような環境では、生徒たちは萎縮してしまうが、安心安全で、チャレンジできる環境では、生徒のやる気、取り組み、自立、そして実際の結果(読み書きの習得)が向上する。

実践 - パートナー読み、相互コーチング/フィードバック(これに特化した本『ピア・フィードバック』が、今秋出ます!)、ブッククラブ、教師による「考え聞かせ」のモデルと生徒たちの頻繁な考え聞かせ

 

2 選択

研究 - 選択は、生徒のやる気と取り組みのレベルを高める。(これに特化した本が、『教育のプロがすすめる選択する学び』です。)

実践 - 生徒は常にたくさんの本の中から選んで読み続ける。読んだ本についての反応の仕方も多様な選択肢がある(レター・エッセイ、ブックトーク、紹介文、ブッククラブなど)

 

3 ひたすら読む時間の確保 と その間のサポート

研究 - サポートのあるなしがカギ(それがない朝の読書の時間の実践は、読む力の向上にはつながらないことを意味する!)。

実践 - 選書(自分にピッタリの本を選ぶ)能力こそが、読む最大の原動力。生徒がひたすら読んでいる間に、教師はカンファランスやガイド読みを通じて「効果的に読める=理解するための方法」をまだ身につけていない生徒たちをサポートし続ける。

 

4 話すこととやり取り

研究 - 話し合いは、理解と取り組みのレベルを向上し、高度なレベルの思考力と知識の意思疎通を助ける。

実践 - パートナー読みやブッククラブでは、二人やグループにしてあとは子どもたちにお任せではなく、生産的なやり取り/話し合いができるようにサポートし続けます。(この点については、『学習会話を育む』が秋に出ます!)

 

5 形成的評価とガイド読み

研究 - 形成的評価こそが「指導と評価の一体化」を実現する評価。総括的評価=テストは、教師の教え方の改善には寄与しないので「時すでに遅し」。

実践 - カンファランスにつきます(おそらく、これより優れた形成的評価の方法はないと思います!)。いい点とまだ欠けている点を押え、いい点はさらに伸ばし、欠けている点は補うサポートをしていく。チェックリストも効果的(これは、教師の観察する視点としても、生徒の自己評価+自己修正・改善にも)。他にも、生徒が書く様々なもの(作品に限定せず)もポートフォリオの中に貯められています。ポートフォリオは、形成的評価の媒体としてだけでなく、総括的評価の媒体としても優れています(はるかに、テストをしのぐものです!)。ポートフォリオは、生徒一人ひとりの宝物になりますが、テストは残念ながらなりません! それが大きな違いです。そういう宝物としてのポートフォリオをつくり出せない授業は、低レベルの授業が約束されると言っても過言ではないでしょう。ポートフォリオについては、『「考える力」はこうしてつける』の第8章および『歴史をする - 生徒をいかす教え方・学び方とその評価』の各章の最後の評価のセクション(特に、第3章)を参照ください。なんと、「生徒主導の三者面談」にまで発展します!

 

  以上、読むこととして書いてきたことは、すべて書くことに当てはまりますし(本ブログの第1号http://wwletter.blogspot.com/2010/05/ww.html)、他の教科にも当てはまります。

 

参考: 

http://www.ascd.org/publications/newsletters/education-update/mar19/vol61/num03/Deepening-Independence-in-the-Reading-Workshop.aspx


2021年5月21日金曜日

わかろうとする愛について

 『理解するってどういうこと?』の第9章に、「共感する」という理解の種類についてのエリンさんと黒人の子どもたちとの会話があります。白人の学校に初めて通ったルビーという黒人の女の子のことを描いた『ルビー・ブリッジスの物語』をめぐって、子どもの一人デヴォンテとのエリンさんのやりとりの一部です。

 

「ルビーがただ黒人だというだけで、彼女の周りの人たちは彼女を嫌っていたと僕は思うよ。」

待てと、私は自分に言い聞かせました。自分がいま話してはならないのです。

「ルビーにとっては、僕は未来に生きてるんだけど、僕のお兄さんのようなよく知っている誰かは、ルビーの感じたことがわかるって思う。白人たちがルビーのことを嫌っているみたいなことね、時々黒人はまだ、うーん、よくわかんないけど、白人がね僕たちのような人みんなを、好きかどうか、うーん、ほんとに好きかどうか? 先生は?」

私にはわかりません。わかりっこないのです。一人の白人として、私にはぜったいにわかりません。私は心が張り裂けそうなのですが、これは私には理解不能な領域の共感なのです。私が共感したいと思ってみても、彼らが何を感じているのかと想像しようと努力してみても、レイモンドやデヴォンテやサマンサと同じように深く理解することはけっしてできないのです。(『理解するってどういうこと?』334335ページ)

 

 「共感」はエリンさんが明らかにした理解の種類の一つですが、ここで彼女は「理解不能な領域の共感」があると言っています。とても大切なことです。わかるとはどういうことかを知るための、共通の言葉の一つが「共感」なのですが、それをもってしても「理解不能な領域」があることをわかることを、ここでのエリンさんは言っていると思われます。「わかる」とは何かがわかるために重要な認識が示されています。

 鷲田清一さんの『わかりやすいはわかりにくい?――臨床哲学講座』(ちくま新書8322010年)の次のような一節と共通しています。

 

 言葉というのは不思議なもので、交わせば交わすほどたがいの違いが際立ってくる。たがいに理解しあうということ、相手のことがわかるということは、相手と同じ気持ちになることだと思っているひとが多い。しかしそれは理解ではなく合唱みたいなものであって、同じものを見ていても感じることがこんなにも違うのかというふうに、違いを思い知らされることが、ほんとうの意味での理解ではないかと思う。(『わかりやすいはわかりにくい?』127から128ページ)

 

 エリンさんは、デヴォンテと「同じ気持ちにはなる」ことはできないと言っています。「合唱」のようにして「わかるよ」などとけっして言えないことを自覚しています。自分との「違いを思い知らされる」という経験をしているのです。

 鷲田さんは上に引用した少し後の箇所で、次のように言っています。

 

 こうして一つ、たしかなことが見えてくる。他者の理解とは、他者と一つの考えを共有する、あるいは他者と同じ気持ちになることではないということだ。むしろ、苦しい問題が発生しているまさにその場所にともに居合わせ、そこから逃げないということだ。

 こういう交わりにおいて、言葉を果てしなく交わすなかで、同じ気持ちになるどころか、逆に両者の差異がさまざまの微細な点で際立ってくる。「ああ、このひとはこういうときこんなふうに感じ、こんなふうに惑うのか」と、細部において、ますます自分との違いを思い知ることになる、それが他者を理解するということなのである。そして差異を思い知らされつつ、それでも相手をもっと理解しようとしてその場に居つづけること、そこにはじめてほんとうのコミュニケーションが生まれるのではないかと思う。このことはもっと大きな社会的次元においても、つまり現代社会の多文化化のなかで起こるさまざまな葛藤や衝突のなかでも、同じように言えるはずだ。(『わかりやすいはわかりにくい?』130ページ)

 

 エリンさんはデヴォンテたちの言葉が出てくるまで待っていました。「待つことに耐えさえすれば、待ってがっかりされたことはないのです」と思いながら。鷲田さんの言葉を借りれば「相手をもっと理解しようとしてその場に居つづけ」たのです。「その場にともに居合わせ、そこから逃げない」でいたからこそ、デヴォンテにこう言うことができたのです。

 

「デヴォンテ、私にはわかりっこないのよ、完全に共感することはできないの」と彼に言いました。「でも、どれほどあなたがたが共感したのかということは、この心で感じることができるの。」(『理解するってどういうこと?』355ページ)

 

 「理解する」ということは、その場に居続け、待ちながら、その人たちと自分との「違いを思い知る」ことであり、そのことを受けとめてもなお、もっと相手の考えを心で感じるためにその場に居続けようとすることだと、二人の言葉は教えてくれます。安易に「わかるよ」「わかった」と言うよりも、そうした「わかろうとする愛」こそ私たちには必要だと伝えているのです。

2021年5月14日金曜日

絵本の紹介

  2月26日、3月26日の投稿に引き続き、今回もここ数年に出版された絵本を中心に、最近のお気に入りを紹介します。

・『セミ』ショーン・タン (著)、岸本佐知子 (翻訳)、河出書房新社 2019年 

久しぶりの衝撃。ショーン・タンの差し出すストーリーには、いつもドキッとさせられます。絵の持つ力にも感銘を受けます」と、時々、投稿をお願いしている吉沢先生がこの絵本の印象を語っていました。独特の世界観がなんとも魅力的なショーン・タン。彼の絵本『セミ』が、2019年に出ていたことに、最近まで気づきませんでした。もっと早く読みたかったです。このセミに対するひどい扱いがあまりにみごとに描かれていて、感情が揺さぶられます。そして、最後まで一気読み。最後まで読むと、頭の中にはいろいろな質問が浮かび、何度も読み直したくなります。「深い質問」を考える絵本としても良さそうです。

(なお、ショーン・タンと言えば、2011年アカデミーの短編アニメーションを受賞した『ロスト・シング』が有名です。こちらも、何度か読んだ絵本ですが、いまだに消化不良?感というか、まだ理解すべきことがありそうな感じが、私の中には残っています。)

・『いろいろ いろんな かぞくの ほん』メアリ・ホフマン(著)、ロス・アスクィス (イラスト)、 杉本 詠美 (翻訳)、少年写真新聞社 2018年

 題名を見た時には、単純に家族の構成人員のいろいろなパターンを出して、それを一つひとつ肯定する、そんな本かと思いました。開いてみると、最初の文が「ちょっと むかしの ほんに でてくる かぞくは、たいてい こんな かんじだった」で始まります。そして、その後も「学校、ペット、食べ物」など、幅広いトピックで、家族の構成人員「以外」の具体例もどんどん出してくれます。この本を読んだ後、私はこの著者の本をもっと読みたくなり、読み始めています。

・『わたしに手紙を書いて―日系アメリカ人強制収容所の子どもたちから図書館の先生へ』 シンシア・グレイディ (著)、アミコ・ヒラオ (イラスト)、松川真弓 (訳)、評論社 2020年

 実話に基づいた絵本です。「日系」という理由だけで強制収容所に送られた、そういう史実を学ぶだけでも価値があると思います。また、ここに登場する図書館の先生は、読書が心の糧であることも、読書以外にも、日々生きていくのにいろいろな必要があることもよくわかっていて、図書館に来ることができなくなった子どもたちを支えます。自分の置かれた場所で、自分にできることを続ける、そんな姿を見せてくれます。

・『「いたいっ!」がうんだ大発明―ばんそうこうたんじょうものがたり』 バリー・ウィッテンシュタイン (著)、 クリス・スー (イラスト)、 こだま ともこ (訳)、光村教育図書 2018年 

 こちらもノンフィクション。一人で手当てできる救急絆創膏が作り出されたプロセスを、温かく描いています。

・『おれ、ピート くいたい』マイケル・レックス (著)、ひさやま たいち (翻訳)、評論社 2020年 

 パターンが続く時は、パターンが「どう崩れるの」と思いつつ読むことが多いです。この絵本の崩れ方と修復?の仕方は面白かったです。英語ですと、 Eat Peteが繰り返されて、リズム感抜群です。英語の読み聞かせは以下でどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=qOUYfb4jr8Q

→ 上記の絵本とのつながりのある絵本を考えていて浮かんだのが、「友だちになる」というテーマから、少し古いですが『ペンギンさん』ポリー・ダンバー (著), もとした いづみ (翻訳) フレーベル館 (2007年)。ポリー・ダンバーからは、お洒落なセンスを感じます。『ペンギンさん』は好き嫌いは分かれる本かもしれません。

・『みずうみにきえた村』 ジェーン・ヨーレン(著)、バーバラ・クーニー (イラスト), 掛川 恭子 (翻訳)、ほるぷ出版; 新版 2020年

 先日、図書館に行った時に、1996年にでた『みずうみにきえた村』の新版が、2020年に出ていることに気づきました。ということは、少なくとも25年は読み継がれている本なんだと、しみじみ思いました。故郷に住めなくなることに思いが行きます。著者のジェーン・ヨーレンは、英語では信じられない冊数の本を出版しています。『みずうみにきえた村』以外で邦訳されているものとして、『つきよのみみずく』そして、人気絵本「きょうりゅうたち」のシリーズがよく知られています。

・『あしたは きっと』 デイヴ・エガーズ (著), レイン・スミス (イラスト)、 青山 南 (翻訳) BL出版 2019年

 最近、はまりつつあるデイヴ・エガーズ。彼が文章を書いた絵本ということで興味津々でした。「今」という時間が「明日」という時に向かって開いていることを感じます。

 ここからは少し脱線です。

 デイブ・エガーズの名前を初めて知ったのは、『イン・ザ・ミドル』の中です。ヘレナという子どもの「これから読みたい本」リストの中に、エガーズの『驚くべき天才の胸もはりさけんばかりの奮闘記』(文芸春秋, 2001年)がありました。英語のペーパーバック版で496ページあります。『イン・ザ・ミドル』に出てくる子どもたちは、中学校1、2年生の年代なので、彼らが読んでいる本やこれから読みたい本には、驚かされることが時々あります。その後、デイブ・エガーズのTEDトークでさらに興味を持ち、ネット社会のディストピア?を描いた『ザ・サークル』やその他の本を読み始めました。デイブ・エガーズは、現在、私のミニ・プロジェクト(?)になりつつあるので、ミニ・プロジェクトが一段落すれば、改めて報告の投稿ができればと思っています。


2021年5月7日金曜日

読書感想文より効果的な方法がたくさんある!

 以下は、小中学校の教師を対象に、これまでとは違う歴史の教え方について書かれている『歴史をする』の第4章「自分の知らかなかった自分に出会う」からのコピーです。

 


 より効果的かつ効率的に(生徒たちにとって意味のある形で)時間を使ってください。つまり、読書感想文に無駄な時間は使わないでください!★

  この後の本文は、次のように続いていきます。(小中学校での歴史の授業での伝記の使い方がテーマですが、かなりの部分、国語にも当てはまる内容になっています!) ~ 青字斜体は、筆者のコメントです。

 *****

 生徒は、歴史探究のモデルとして伝記をどのように使うことができるでしょうか? 確かに、伝記を小グループの話し合い活動やほかの課題と結び付けて利用することには何の問題もありませんし、文学作品と同じように、人々は伝記を楽しみのために読んだり、それらについて議論したり、ほかの誰かにすすめたりするものです。しかし、この章で紹介しているようなプロジェクトのなかで伝記を使うと、生徒はそれを歴史的な特性を兼ね備えた本として注目することになります。

歴史家は、伝記を読んでそれについてレポートを書くことはありません。彼らはむしろ、そのような伝記を自分で書くか、ほかの歴史家が書いた伝記を評価するということをします。それらは、どちらも小中学生にもできることです。~ まさに「歴史をする」「歴史家になる」アプローチでの教え方・学び方です。それは、「本当に読んだり書いたりする」「作家や読書家になる」アプローチと同じです!

 生徒は自分のことを書き、出版された伝記、ビデオやインターネットの情報、さらには誰かから聞いた話や民間伝承を使って有名人の重要な出来事について年表をつくり、それらをまとめて物語化したり、ある種のプレゼンテーションにつくりあげたりすることができます(第3章の小学生の実践を参照)。重要なことは、彼らが自分自身の歴史で行ったときと同じように、ある人の人生に起きた出来事の影響と、それが起きなかった場合の状況の違いを説明することです。~ この最後の視点、大事ですね! その前の部分も、とても楽しそうです!! (この種の事例が、この本にはふんだんに紹介されています。)日本の社会科や国語で取り組まないと! その際、とても参考になる本が、一つの教科書から脱して、複数の「テキスト・セット」を提案している『教科書をハックする』です。すでに読書感想文の時代は過去のものになっているのと同じように、一つの教科書で学ぶ時代も過去のものです。

六歳の生徒と一四歳の生徒ではかなり違うものをつくりますが、どちらも単に「レポートを作成する(感想文を書く)」よりも作業に熱中します。彼らは歴史を問い、情報を集めて解釈し、自分が気づいたことを振り返るのです。~ まさに、歴史家がしているのと同じことができるのです!!(当然レベルはかなり違いますが。子どもたちは、○○博士になることが大好きなことを思い出してください。)

この方法で複数の情報源を用いて歴史的な説明を作成することは、単に歴史的な物語を浮かびあがらせるだけではなく、歴史的な証拠とのクリティカルで深い解釈との出合いに向けて生徒を取り組ませる重要なステップとなります。そのうえで教師が、つくられた伝記の唯一の読み手となる代わりにクラスで冊子にすれば ~ まさに「作家の時間」の実践と同じです、自分たちの調査結果を比較したり、調査した人物のうち、誰が現代社会にもっとも大きな影響を与えたかについて議論したりするかもしれません ~ この比較と議論は、とてつもなく大切だと思います。したがって、ある出来事の個人への影響を考えることは、社会における個人の影響について理解することにつながるのです。 ~ 最後のところは、かなり重要です。日本の歴史教育(や国語教育も?)でこの視点は含まれているでしょうか? これなしの歴史教育(や国語教育?)は、歴史(国語)と言えるのでしょうか??

少し話は逸れるかもしれませんが(伝記から、フィクションへ)、私にとっては『ギヴァー』がこの最後のテーマを扱う際の最適の題材の一つになっています。「ある出来事の個人への影響を考えることは、社会における個人の影響について理解することにつながる」ことがよく分かりますから。

 *****

  『歴史をする』には、「読み書き」と「聞く話す」の事例がふんだんに紹介されています。

 『教科書をハックする』には、「読むこと/書くことを学びに活かす」方法が具体的に書かれています。

 

★欧米では、すでに読書感想文に対する見方は、ここで紹介されている形で定着しているようです。10年前に『Ban the Book Report(読書感想文を禁じる)』というタイトルの本さえ出ているぐらいです。また、Fifty Alternatives to the Book Report  by Diana Mitchellhttps://library.ncte.org/journals/EJ/issues/v87-1/3517というのもあります。(ちなみに、この資料はNCTEが出しています。日本流にいうと「全米国語教育学会」です。)後者「ブックレポートに代わる50の代案」の翻訳が読みたい方は、pro.workshop@gmail.com宛にメールください。さらに、「alternatives to the book report」で検索すると、大量の情報が得られます。


2021年5月1日土曜日

英語で詩を書くためのミニレッスン ~高校でのライティング・ワークショップ~

 【時々、投稿をお願いしている吉沢先生に、以下の投稿をお願いしました】


私立の女子中高一貫校で英語を教えています。昨年の秋、高校3年生10名の小さなクラスで、詩を書かせてみました。

何年か前に、男子校のクラスで英語で詩を書かせてみたことがありましたが、うまくいきませんでした。そもそも、どのような方法で書かせるか分からぬまま書かせたのですから、詩そのものに触れる機会のほとんどない生徒たちが、うまく書けないのは当然のことでした。

2学期も残り少なくなり、あまり時間がありません。その少ない時間の中で、一定の形のあるものを仕上げる経験をさせたい。そのために詩はどうだろうか、と考えたわけです。

 ナンシー・アトウェルは詩を用いることの効用を次のように述べています。★1

  ・詩は短くまとまっているので、クラスで一緒に読んで話し合うのに比較的短時間で済む。

  ・詩には書き手が使うさまざまな技がつまっている。

  ・詩はあらゆるところにある。


▶︎ ミニレッスンのポイント

私は、次の2つを意識してミニレッスンを組み立てることにしました。


1。どのような作品をモデルとして読ませるか。

  • 最初に日本語の詩、その後、英語の詩を読ませる。
  • 日本語の詩は、いくつも読ませる。
  • 簡単で、技法のはっきりわかるもの、しかも質の良いもの。
  • 英語の詩は1編。技法のはっきりわかるもので、質の良いもの。

 英語の授業ですから、本来なら、名作と呼ばれる英語の詩を読み解き、鑑賞するところから始めるのが真っ当なやり方でしょう。しかし、時間の余裕がありません。生徒にとって身近な作品を読んで刺激を受ける方法を模索したいと考えました。

私は日頃から折にふれて詩を読んでいて、気に入った作品を書き抜いたり、本を買い揃えたりしています。今回も、そのような作品のストックがあったのも、詩を書かせてみようと思い立った理由の一つでした。


2。どのような技法に焦点をあてるか。


詩にはいろいろな作品があり、いろいろな技法が使われています。技法を知れば、すぐ書けるけるというものでもありません。その技法によって、具体的な題材を自分で見つけられること。そのことを目標にしました。

  • 対比をとりあげる。これは、解説がいるだろう。
  • 繰り返し(リフレイン)にも言及する。こちらは、解説するまでもなく、読めば感じがつかめるだろう。
  • 比喩をどうするか。・・・勘のよい生徒は、比喩をつかって作品を書くかもしれない。


✏︎ 子どもの詩を読ませる

最初に読ませたのは、日本語による子どもの詩です。1編紹介します。★2


たったひとりだけ


おにんぎょうは

ひゃっかてんに

いくらでも うっているけど

わたしは どこにも

うってはいない

せかいじゅうに

わたしは たったひとりだけ

それに かあちゃんは

わたしを しかる


 この詩では、「おにんぎょう」と「わたし」が対比されています。最初の3行があるから、次の3行が生きています。そして最後の2行で、「かあちゃんが自分を叱る」という事実が書かれています。

 大事なことは、事実を描写して感想は書かない、ということです。「叱られて嫌だ」とか、「お母ちゃんはひどい」とか書いてしまうと、詩としての魅力が半減します。この「わたし」と「かあちゃん」の姿を思い浮かべ、どんな気持ちでいるのかは読者の想像に委ねる。そこに詩が成り立ちます。


 私は、同じ本から選んだ10編の詩を読ませました。そして、気に入ったものを3編選ばせ、それを選んだ理由を考えさせました。皆の前で発表してもらい、クラスで感想を分かち合いました。その後、どんな表現の技法があるかに注目させました。

 私は、ミニレッスンで作品を読ませる場合、まず教師の解説なしで読ませるようにしています。その上で、技法に注目させる。そのような手順で進めます。


✏︎ 英語の詩を読ませる

 次に英語の詩を読ませました。次の詩です。★3(私の日本語訳を掲げておきます。)


This Morning 

by Monica

This morning I didn't want to lift my head, 

I didn't even want to get out of bed.


This morning I didn't want to take a shower, 

all I could do was listen to the clock tick another hour.


This morning I didn't want to sing a song, 

I just hoped the morning wouldn't go on.


This morning I didn't want to see the sun shine, 

to see it meant I wasn't fine.


This morning I didn't want to eat, 

I didn't even want for my bed to look neat.


This morning I didn't want to go to school, 

this just wasn't the day for me to act cool.


This morning I didn't want to talk to anyone, 

I just didn't want to have any fun.


This morning I didn't want to hear the truth, 

I didn't want to front or act couth.


This morning I hated what I saw.

This morning I just couldn't go on.

This morning for me was just all wrong.


<日本語訳>

今朝


今朝、私はうなだれたままでいたかった、

ベッドから出たくなかった。


今朝、私はシャワーを浴びたくなかった、

私にできることは、時計がカチカチ言うのをもう1時間聞くことだけ。


今朝、私は歌いたくなかった、

朝なんか来なければいいのに、と思った。


今朝、私は輝く太陽を見たくなかった、

気分が良くないことを認めたくなかった。


今朝、私は食べたくなかった、

ベッドなんかグシャグシャのままでいいと思った。


今朝、私は学校へ行きたくなかった、

今日は格好よくふるまえる日ではなかったから。


今朝、私は誰とも話したくなかった、

面白いことなんかしたくなかった。


今朝、私は本当のことを聞きたくなかった、

前を向いて、気品よくふるまうなんてしたくなかった。


今朝、目に映るものを私は憎んだ。

今朝、私は生き続けたくなかった。

今朝は、私にはすべてが間違いだった。

                            

これも私の解説なしで、まず読ませました。その上で、「この詩の作者は10代の女性です。一体何があったんでしょうね?」と問いかけました。「失恋したのかな」「学校でいじめにあったのかな」「気に入らないことがあったんだよ」など、いろいろ意見が出ました。

これは、作者がボーイフレンドと死別した悲しみを書いた詩です。しかし、「私は悲しい」とか「私は悔しい」といった言葉は使われていません。「今朝は・・・・したくなかった。」というフレーズの繰り返し(リフレイン)で、その悲しみを表現しています。そこに詩が成立しています。


✏︎ エクササイズ                                                                                                                                                                                                                                                       

次に、「対比」と「繰り返し(リフレイン)」を使うエクササイズを日本語で行いました。ここでは、「対比」にしぼって考察していきます。

次のような型を示し、[        ] にことばを入れるエクササイズです。ワークシートに記入させた後、2~3人のグループでお互いに読みあって、感想を交換してもらいました。生徒たちはお互いの書いたものへの関心が高く、「いいねえ」「かわいい!」といった素朴なコメントを書き込んでいました。



[                 ]

それなのに

[                 ]



3つ紹介します。


Aさん: 彼女の家はケーキ屋なのに彼女はケーキが食べられない。


この生徒は、改行していません。散文的です。


 彼女の家はケーキ屋だ

 それなのに

 彼女はケーキが食べられない


こうすると印象が変わります。「改行」は一つの技法です。


Bさん: うなぎの味はおいしい

       それなのに骨が多くて、喉にひっかかる。

       好きじゃない。


 「おいしい」と言っておきながら、「好きじゃない」と言い切る。自分の中に生じる相対立する二つの気持ちを取り上げているところが面白く感じられます。これを、「こんなふうに感じるのは矛盾するなあ」と言ったことを書くと、魅力は半減してしまいます。


Cさん: 私が忙しい時はにこ(ペット)はかまってくれる。

       それなのに私が暇な時はにこ(ペット)はかまってくれない。


 自分と「にこ」(犬の名前だそうです)の関わりあいを、忙しい時と暇な時とで対比しています。どちらも「かまってくれる」ということばを使っているので分かりにくいのですが、話を聞いていくと、「忙しい時に限って、犬がじゃれついてくる」「私が暇にしている時は、じゃれついてこない」ということだとわかりました。この対比も面白いです。


 Aさん、Bさん、Cさんとも、「それなのに」で前後をつなげる題材を選んでいます。しかし、Bさん、Cさんは自分自身のことを取り上げている分、Aさんのものよりインパクトが強く感じられます。


✏︎ エクササイズから作品へ

 このフレーズを、作品にしていくにはいくつかの方法が考えられます。この授業では、繰り返し(リフレイン)を一つの手がかりにしました。


 Aさんの場合。例えば、「酒屋なのに、その主人はお酒が飲めない」というような例を並べることはできます。ただし、それが自分の身近なものとして出てくる必要があります。そして何と言っても、そのことで自分(作者自身がどうなのか)という部分が感じられないと、面白くありません。


 Bさんの場合。これも、似たような例を繰り返すことが可能だと、私は考えました。そのことをBさんに言うと、彼女は2つの例を考えてきました。一つは、手羽先肉。好きなのだけど、あの形がリアルすぎる。もう一つは、いちじく。好きなのだけど、内側の実の色が気持ち悪い。----というものでした。「対比」の構造は同じのまま、素材の選び方に飛躍があります。それが面白味につながりそうです。


 Cさんの場合は、好きな犬でも忙しい時に近寄ってこられると困る。暇な時に近寄ってこないのも淋しい。そのような気持ちの揺れが、描写されると面白くなると私は感じました。ですから、忙しい時のことをふくらませて第1連、暇な時のことをふくらませて第2連にする、という方向で進めてみてはどうかと助言しました。



ここで紹介した3名とも、「ケーキ屋」「うなぎ」「犬がかまってくる場面」という具体的な題材をつかみ出しています。

1学期から、自分の身の回りのことについて文章を書くことを続けてきましたが、難しいのは、具体的な題材をつかまえる、ということでした。例えば、「ペットの犬のことを書きます」と生徒は言って書き始めます。どんな犬か、ペットとどんな関わりをしているのか、どんな楽しみがあるのか・・・などと聞いていって、それを書き出して、文章にしてみて・・・といった手続きを踏んでいきます。

今回の詩の場合では、Cさんはいきなり、ペットの「にこ」がじゃれついてくる場面を取り出してきました。[      ]/それなのに/[       ] という形を示し、そこから自分の体験を思い返して、ある場面を切り取ってきたわけです。

いくつもの作品を読ませる。そして、技法に着目して、自分の周囲から題材を見つけさせる。この方法は、一定の効果がありそうです。

 また、英語で書くという点では、詩はシンプルな文の積み重ねで作品を作ることができます。


詩の技法にはたくさんあり、さまざまな詩があります。それに一つ一つ触れることで世界を広げていくことができます。今後、この詩というジャンルの魅力を、もっと伝えられるよう試行錯誤していきたいと思います。


ーーーーーーー

1 ナンシー・アトウェル(小坂敦子・澤田英輔・吉田新一郎編著)『イン・ザ・ミドル』(三省堂, 2018112113ページ。

2 灰谷健次郎・石川文洋『しりたいねん』(倫書房, 1997)より。

3100 Best Teen Poems”  http://100-poems.com/poems/teen/index2.htm より。

上で取り上げた詩はhttp://100-poems.com/poems/teen/1286001.htmです。