2023年2月24日金曜日

書き手の目で読む練習 〜二つ欠けていたこと

  とても短い絵本の中に、作家の工夫がぎっしり詰まっていて、思わず「お見事!」と思った絵本(★1)があります。感心した私は、この絵本であれば短時間で導入でき、しかも気づくべき作家の技がたくさんあるので、「書き手の目で読む」ことを「効率よく」学ぶのに最適!と、そのことにすっかり満足してしまいました。そして、意気揚々と紹介し、具体的な工夫を見つけてもらいました。そこで出てきた具体的なことを、いずれ自分が書くときに使えるように「一般化」して、「書き手の目で読む」という学習が終わった気になってしまいました。

 しかし、以下に述べる二つのことのおかげで、上記のような学習で欠けているものが見えてきました。

1) 1点目は最近、ブッククラブで読み始めた本(★2)の中で、先生が「書き手の技」を教えるミニ・レッスンの場面でした。先生は本を読み聞かせながら、「自分の感情が動かされた」箇所を指摘します。そして「どうして感情が動かされたのだろう?、著者は何をしているの?(どんな工夫をしているの? どんな技を使っているの?)」と考える見本を見せます。

 それから、生徒たちもそのテキストを続けて読み、それぞれが自分の感情を動かされた場所を選びます。そして、教師は、生徒が自ら選んだ箇所で、著者がどんな技や工夫をしているのかに気づけるようにサポートしています。

 このように「子どもたちそれぞれが、自分にとって何かを感じた箇所を選び、そこから考えること」は、私のように「ここには作家の工夫がいっぱいありますね、探してみましょう」と読み手の反応を無視して押し付けることとは、学びのベクトルが異なります。どちらも教師が選んだテキストを使っていますが、前者は、自分が読み手として印象に残ったところからスタートしています。後者は、読み手の反応は全く無視ですから、「教師が持っている正解探し」に参加する活動になってしまうかもしれません。

2) 2点目は1月21日の投稿「『作家の技』を学ぶ」です。このときの投稿では、佐藤誠一郎氏の『あなたの小説にはたくらみがないー超実践的創作講座』(新潮新書967、2022年)が紹介されていましたが、投稿の中に以下のような段落がありました。

「『作家の技』と言えば『いかに書くのか』ということを中心なのだろうと私などは考えがちですが、佐藤さんがここで述べているのは「なぜ書くのか」の重要性です。そこにこだわらないと、書き手が読者に訴えたいこと(テーマ)は伝わらないというのです。そして読むプロセスを能動的にするのが作品に仕掛けられた『予感』をいざなうことでもあるとも述べられています」

→ この段落を読んだときに、「作家の技、工夫がたくさんあるので見つけてほしい」という、教師が持っている正解探しをするようなミニ・レッスンでは、「なぜ書くのか」という視点は完全に欠落していることがわかりました。

 「作家の目で読む」というミニ・レッスンでは、いずれ、自分の作品を「作家の目」で見て、より伝わるように書けるようにという教師の思いがあると思います。でも、自分の作品を見直すときに、「書き手が読者に訴えたいこと(テーマ)」をどうすれば伝わるの、というところに立てない限り、断片的な作家の技を散りばめても意味はありません。「いかに書くのか」ということについての表面的な知識が身についても、それだけでは道具箱に入ったまま使われずに終わってしまいそうです。

*****

★1 ここで紹介した絵本は People are wild という題名です(Margaux Meganck著、Knopf Books for Young Readersより2022年に出版)。著者の読み聞かせ動画があります。著者が読み聞かせの前後に少し話しているのも入れて2分程度ですから、読み聞かせ自体は1分30秒ぐらいです。絵本としては、本当によくできていると思います。私は、それぞれの読み手の反応を無視して押し付けてしまいましたが、押し付けたくなるぐらい(苦笑)いい絵本です。よろしければぜひ!

https://www.youtube.com/watch?v=9bZviuy7pY4

★2 Writing Clubsという題名で、著者はLisa EickholdtとPatricia Vitale-Reilly、Stenhouse より2022年に出版。28ページから始まる Noticing Writing Craftというセクションで28〜33ページに詳しく書かれています。

2023年2月18日土曜日

「差し出し方」の探究

 大学生協の書店で平積みになっている本のなかに『差し出し方の教室』(弘文堂、2023年)という本を見つけました。著者は「幅充孝」。ブックディレクターという仕事があることを知ったのが、その幅充孝さんの『本なんて読まなくたっていいのだけれど、』(晶文社、2014年)を読んだ時でした。本棚のデザインをすることが、とてつもなく広く深い本についての知識と経験を必要とする創造的な仕事であることを知ったのもその時です。

 「でも、「差し出し方」って、何の?」という疑問を頭のなかに抱きながら、読み始めると冒頭に次のようなことが書かれています。

1冊の本に興味を持ち、手に取り、読み始めてもらうのに、今まで考えもしなかった細やかなことまで配慮しないと本は届かなくなってしまっているというのが正直な気持ちです。もっと言うなら、僕が本を届けるときに最良だと思える状況は、「読め、読め」と圧力や切迫を感じさせて読んでもらうのではなく、「気がついたら読んでいた」という状況をつくることです。

そういった無意識下にある何かに訴えかける仕掛けを含む、届きにくい「もの」や「こと」の伝達(と周辺環境の整備)について考えることを、この本では「差し出し方」の探究と定義してみました。そして、本書の意図はその「差し出し方」について、ブックディレクターとして実践してきたことを開示し記録することと、世の中に数多存在する「差し出し手」から学び、自身のそれを深めようとする試みにあります。」(viiページ)

人の「無意識下にある何かに訴えかける仕掛けを含む、届きにくい「もの」や「こと」の伝達(と周辺環境の整備)」が「差し出し方」です。この本は、幅さんと様々な領域の「差し出し手」との対談集です。対談の相手は、博物館、動物園、デジタル・コミュニケーション、ワインバー、旅館、病院、保育園と多岐にわたる専門家です。その専門家たちの「差し出し方」の特徴と共通点が幅さんの巧みな問いかけで浮かび上がる仕立てになっています。こうした「差し出し方」の探究を通して、幅さんの考えたことが、章と章のあいだにまとめられていきます。

対談の内容もじつに面白いのですが、私がとくに興味を覚えたのは、ブックディレクターとしての本の「差し出し方」を幅さん自身が述べたくだりでした。

「ともあれ、選書というものは、当てずっぽうにしている訳では決してありませんし、残念ながら自分の好きな本を一方的に持っていても、おせっかいにしかならないものです。そして、自分の「好き」を表明し、承認欲求を充たすことがブックディレクションの仕事ではありません。では、ある1冊を誰かに届けようとするとき、どういうプロセスを経ているかというと、「実際の本を眼の前に置き紹介しながら、読み手の話を聞く」ということがとても大事になります。」(175ページ)

 幅さんはこの「実際の本を眼の前に置き紹介しながら、読み手の話を聞く」ことを「インタビューワーク」と呼び、ブックディレクションの大切な仕事だと言っています。幅さんが小学校3年生から6年生までの20名~30名を前にして行った「インタビューワーク」のでは、ロバート・L・スティーブンソンの『宝島』を持参しました。幅さんの少年時代に夢中になった本の一冊です。ところが『宝島』について熱く語る幅さんの話は子どもたちは退屈そう。「みんなの好きな海賊の話を教えて」と語ると、「子どもたちは急に目を輝かせながら『ONE PIECE!!」とベストセラー・マンガのタイトルを答えます。幅さんの本領はここからで、「そもそも『宝島』もフリントという船長率いる海賊団が密かに隠した財宝を主人公のホーキンズ少年が仲間と探しに行く話です。航海上の冒険や紆余曲折、仲間の裏切りなど、『ONE PIECE』と関連づけられそうなポイントを少しずつ説明すると、先ほどまで残酷なほどに無関心だった子どもたちが、ちょっとだけ興味をひらいてい」(179ページ)くことになりました。

「ブックトーク」と似ていますが、かなり能動的な対話によって進んでいくもので、この関連づけを幅さんは「結節点をつくる」と呼びます。

「彼らは、動物的直感も駆使しながら自分に関係ないものを掻き分けて、前へ進んで以降とするのですが、そのときに彼らが両手を伸ばした範囲から溢れ落ちてしまう「関係ないこと」を、どうやって「関係あること」に変容させていくのかが、本という遅効のメディアを伝えるうえでは大切だと考えます。」(179180ページ)

 『差し出し方の教室』でのさまざまな領域の専門家たちと幅さんとの対談を一貫しているのは、この「結節点をつくる」というアイディアです。「関係ないこと」を「関係あること」に変容させていくための工夫に心を砕くことが、「差し出し方」の核心にあると読みました。

『理解するってどういうこと?』の第6章「理解のルネサンス」の後半には、選書についての原則が書かれていますが、そのなかで「子どもたちが選書能力を身につけられるようにするサポート」としてたとえば次のようなことが挙げられています。

「・一年を通して教師たちから選書について継続的にいろいろなことを教わりながら、次第に子どもたちが自分で適切な本を選べるようにします。

・教科書の教材を扱うだけではなく、ひとまとまりの本(一組の関連しあった本)を読むことによって、子どもたちは、さまざまな作者、テーマ、ジャンルの間に重要な関連づけができるようになります。

・教師がモデルで示すことは何より大切です。教師は自分が本を選んだり推薦したりするさまざまな方法をモデルで示し続ける必要があります。」(『理解するってどういうこと?』228ページ)

こうしたことを具体的にどのように実践していけばいいのか。幅さんが子どもたちとの「インタビューワーク」で実践していることは、こうした「サポート」の具体的なイメージを与えてくれます。先生の勧める本と自分の選んだ本、子どもたちがなじみの本と彼らにとって未知の本、それらの間に「結節点をつくる」ことで、「関係ないこと」が「関係あること」になっていったとき、子どもたちは「選書」するための大切な力を身につけると言うことができるでしょう。もちろんそれは大人でも同じなのですが。

2023年2月10日金曜日

とても相性がいいライティング&リーディング・ワークショップとSEL

 以下は、あるライティングとリーディング・ワークショップ(WW/RW)の実践者が書いた文章です(少し読みづらいかもしれませんが、挿入されている数字は無視して読んでください。この文章を図の後に解説する際に必要なので、番号が付けてあります)。

教師として、私は書き手や読み手だけでなく、全人的に育てることにコミットしています。私は、子どもたちが、人間関係や経験を人道的にナビゲートできる、責任感があり思いやりのある大人に成長⑤&⑥してほしいと願っています。望むだけではいけません。私たちは目的と情熱をもって育てなければなりません③&④。(中略)ライティング・ワークショップでは、生徒は自分が書くものを選び、書くプロセスとペースをナビゲートし、自分で選んだ仲間と話し、自分の声と言葉で世界に影響を与える方法を決定します

 この実践をSELの観点から見るとどうなのかを説明したいと思います。使うのは、新刊の『学びは、すべてSEL』で紹介されている切り口(図を参照)です。上記の文章のなかに表示されている数字は、この本のなかの5本の柱が紹介されている章の数字です。

 残念ながら、日本の国語教育には、まだ「書き手や読み手を育てる」こと自体が視野に入っていませんが、これはライティングとリーディング・ワークショップ(作家の時間と読書家の時間)をする際の最大の目標です。これは、図(本)のなかのアイデンティティーとエイジェンシー(第2章)のすべてを最低限扱っているので②を付けましたが、③と④も扱っています(そして⑤と⑥も。すでに2010年にhttps://sites.google.com/site/writingworkshopjp/qa/ww%E3%81%AE%E6%80%9D%E3%82%8F%E3%81%AC%E5%81%89%E5%A4%A7%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%81%BE%E3%81%91%E3%81%A8%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB を書いているぐらいですから)。

しかし、この文章を書いた実践者は、それだけにとどまらず「全人的に育てる」と言い切っているのです。それは、従来の知識やスキルを重視した(アイデンティティーとエイジェンシーの項目のほとんどは態度ですが!)ものではなく、感情・社会性・人間性までを含めたトータルな人間を育てると宣言しているので、②~⑥のすべてを含んでいますから⓪と表示しました。

 その後の「人間関係や経験を人道的にナビゲートできる」もすべてなので⓪にしていますが、あなたならどの番号を付けますか?

 「責任感があり思いやりのある大人に成長」は、⑤と⑥が中心です。

 次の「私たちは目的と情熱をもって育てなければなりません」は、生徒たち対象のSELではなく、教師が実践していなければできない項目としての③と④という意味です。

 ライティング・ワークショップ(およびリーディング・ワークショップ)を実践している教師なら、誰もが「生徒は自分が書くものを選び、書くプロセスとペースをナビゲートし、自分で選んだ仲間と話し合う」実践はすでに展開されている(というかふんだんに子どもたちが練習する機会は提供している)ことと思います。

 しかし最後の、「自分の声と言葉で世界に影響を与える方法を決定します」まで取り組まれている方は、ライティングやリーディング・ワークショップの実践者でもまだほとんどいないと思います。ここでは、を付けましたが、②~⑤も使うので、⓪とした方がよかったかもしれません。

 図の②~⑥の内容は、ひたすら教科書をカバーする従来の国語をしていては、残念ながらほとんど扱うことができません。冒頭の文章にあるように、教師自身が何を目的にその教科を教えるのかによって、扱う内容(知識)、スキル、そして態度が大きく違ってしまうのです。

 『学びは、すべてSEL』では、この図に示されているSELの5本の柱(各章)の項目ごとに、各教科の例を紹介しながらそれぞれの内容が詳細に解説されています。

追記・なお、冒頭の文章を、国語以外の他教科に書き換えることは容易ですし、またそうすることが求められています。ぜひ挑戦してみてください★。

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★国語で、冒頭の文章が押さえられている実践例として、幼~小3対象の実践として『国語の未来は「本づくり」』、中学校対象では『イン・ザ・ミドル』、高校では『一人ひとりを大切にする学校』があります。理科では、『だれもが科学者になれる!』がおすすめです。社会科では、『プロジェクト学習とは』と『歴史をする』が、算数・数学では『教科書では学べない数学的思考』が近づく努力をしているかな、という感じです。

追記・上記のおすすめの本以外に、

・『プロジェクト学習』
・『PBL~学びの可能性をひらく授業づくり』
・『一斉授業をハックする』
・『教育のプロがすすめるイノベーション』
・『教育のプロがすすめる選択する学び』
・『「考える力」はこうしてつける』

などはSELを目的に掲げた本ではありませんが、参考になる部分が多いと思います。

2023年2月3日金曜日

いわゆる(古典的?)文学作品とリーディング・ワークショップ  ~与えられる正解 vs 開かれた対話

 今日の投稿では、長年読み継がれてきた、いかにも教師が生徒に読んでほしいと思っているような文学作品をリーディング・ワークショップで取り上げることの価値と、どのように取り上げるかということについて書きます。

 文学専攻でもなく、文学について学んだ経験もない私は、文学と言われると、「自分には論じる資格も知識もない」と考えてしまい、その本についてアウトプットすることに萎縮してしまうことすらあります。そもそも「文学作品」の定義すらよくわかっていません。少し前にノーベル文学賞も受賞している作家ウィリアム・ゴールディングの「不朽の名作」という『蠅の王』(平井正穂翻訳、新潮社の30刷改版、1975年)を読みました。この時は、訳者の平井氏の解説を読み、「うわっ、この一つの名詞からここまで読み取るのか」と驚き、その差にほとんど打ちのめされ?、これは自分一人ではできない理解だとつくづく思いました。

 教師がもし、こういう作品について、背景知識や解釈を丁寧に説明するとどうなるでしょうか。自分が読みたいとも思わない本について、教師が伝えたい知識や解釈が一方的に「たくさん」語られると、「正解」を聞くだけになって退屈するかもしれません。あるいは、上記の私のように、感心して(打ちのめされて?)終わるかもしれません。

 『イン・ザ・ミドル』(アトウェル、三省堂、2018年)の著者のアトウェル氏は、文学が大好きな教師です。そして、教師になってしばらくの間は、生徒たちに「国語教師好みの文学作品を押しつけ」て、生徒たちは「私が選んだ文学作品の私が考えた解釈を、ただ受動的に受け取るだけ」でした(『イン・ザ・ミドル』43ページ)。

 ところが、リーディング・ワークショップを始めたアトウェル氏の教室は大きく変わります。『イン・ザ・ミドル』で描かれる教室の中で目にする本の幅というかジャンルの広さは、長い間ずっと気になっていました。

 『イン・ザ・ミドル』で登場する中学生たちは、比較的最近のヤングアダルト文学、例えば『ぼくとあいつと瀕死の彼女』(ジェス アンドルーズ、金原 瑞人訳、ポプラ社、2017年)や『さよならを待つふたりのために』ジョン・グリーン、金原 瑞人、竹内 茜訳、岩波書店、2013年)、またNASA技術者の自伝『ロケットボーイズ』(ホーマー・ヒッカム・ジュニア、武者圭子訳、草思社、2016年)など、いわゆる古典ではない本を、幅広いジャンルで、数多く読んでいます。

 同時に、読書記録や教師とのやりとりなどから、『蠅の王』『侍女の物語』(マーガレット・アトウッド、斎藤英治訳、早川書房、2001年)、『夜』(新版)(エリ・ヴィーゼル、村上光彦訳、みすず書房、2010年)のような、長年読み継がれてきた本の題名も散見されます。何を読むのかは生徒たちが自由に選べますし、合わない本は読むのをやめてもいいのにもかかわらず、です。「一定期間読み継がれてきた有名な作品」に対して、私が自分に対して勝手に作り出してしまうような苦手意識や高いハードルを感じることなく、アトウェルの教室の中学生たちは、読む本の選択肢のひとつとして、時には、楽しんでいるようです。

 このような作品に対して、リーディング・ワークショップを始める前と始めた後では、生徒の出会い方が大きく変わっています。

 ワークショップを始める前は「押し付けられたものの受動的な受け取り」です。

 リーディング・ワークショップを始めたあとは、(どの本でもそうですが)ある作品が大好きな教師(あるいは生徒)が、大好きな点やお薦めの理由をごくごく短時間のブックトークで語る、あるいは、ミニ・レッスンで短時間、一緒に探求や対話をする。時にはカンファランスやチェック・インで個別にその作品について、その生徒が必要としている知識をごく短く提供する。

 つまり、教師が提供する情報量がまず大幅に減っています。提供される情報も、「その時のクラスの大部分が必要とするもの」あるいは「個別カンファランスなどで、ある特定の生徒がその時点で必要なもの」に厳選されます。また、何よりも、教師が正解を押し付ける、閉じた会話や正解探しではなく、一緒に探求する余地があります。

 私が『蠅の王』の解説で得た知見に近いものが、もし、もし、ミニ・レッスンでの対話で、あるいは教師からの問いかけの中で導き出されれば、それはとても嬉しい時間ではないかと思います。その余地があるのがリーディン・ワークショップのように思います。

 こういう形で、長く読み継がれている文学作品に出合い、それらが自分の読書生活の一部になることの価値は大きいと思います。もちろん、対象学年にもよると思いますが、リーディング・ワークショップで紹介されない限り、出合う可能性が低い本たちかもしれないからです。

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(おまけ)

 私自身、『イン・ザ・ミドル』がきっかけで、『蠅の王』『侍女の物語』『夜』などを読みました。カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(土屋政雄訳、早川書房、2008年)も『イン・ザ・ミドル』で読んでいる生徒がいたので興味を持ち、読みました。

 その結果は、『蠅の王』のあとは同じ著者の『通過儀礼』を読み、でもこれはちょっと私には難しかったです。『侍女の物語』の続編という『誓願』では、久しぶりに、読書で電車を乗り越し、同じ著者の本を、そのあと、数冊読みました。カズオ・イシグロも、『わたしを離さないで』に続けて『クララとお日さま』を読み、「時々読んでみたい作家」の一人となりました。

 最近、読んでいる途中から「なんだかとんでもないすごい本と出合ったかも」と思い始め、読了した本があります。『ストーナー』(ジョン・ウィリアムズ、東江一紀訳、作品社, 2014年)です。これも「最近の本」ではなく、最初に刊行されたのは半世紀前とのことです。(ただ、この本が注目を集めたのは比較的最近のようです。)

 読書を食事に例えると、いろいろな食感や印象の本があります。いわゆる(古典的)文学作品を食べなくても、十分栄養は摂れるかもしれませんが、長年読み継がれている本の味を知ることも、私は今頃になって、いいなあと思っています。