2022年6月24日金曜日

『改訂版 読書家の時間』発売 〜「壇上の賢者」から「学び続ける教師・学校」へ

 4月23日の投稿「2014年と2022年 〜読書家の時間/リーディング・ワークショップ8年間の実践で変わったこと・変わらないこと」でお知らせしたように、2014年に刊行された『読書家の時間』(プロジェクト・ワークショップ編、新評論)の改訂版が、今月末に出版されることになりました。

 改訂版ではいくつか新しい章が加わっています。まず、2014年版では含まれていなかった中学校での実践(9章)が入りました。それに伴い、中学生向けの本リストを加えることになり、中学校での教職経験のある先生や司書の方から、多くの本を教えていただきました。5月14日の投稿「(副題も含めた)題名のミニ・レッスン」で紹介した本は全て、中学生向けの本リストとして教えていただいた本です。多くの本を教えていただいたおかげで、中学生向けリストは、フィクション、ノンフィクションに分けて、150冊強の本を含めることができました。(後述するように、紙幅の関係で、このリストはオンラインとなっています。)

 改訂版に初めて登場する中学校の実践(9章)では、4月23日の投稿で紹介したように、ICT機器やGIGAを追い風にして、子どもたちの学びをしっかり後押しできることもわかり、時代の変化を感じます。でも、「ICT機器を使うこと」が「目的」ではありません。9章の章題は「子どもの『伴走者』募集中! ーー子どもが自走できるように隣で走りませんか?」です。 この題名からわかるように、教師が大切にしたいことが土台にあるから、ICT機器などの見た目の新しさに翻弄されないのだろうと思います。

 もちろん、「新しいものに翻弄されない」ことイコール「教師は変わらない」ということではありません。子どもの伴走者になるということを大切にしているこの教師も、以前は、教師とは「壇上の賢者」だと思っていたそうです。『イン・ザ・ミドル』の著者アトウェル氏だって、「以前は教卓の向こう側から一方的に教えていた」(『イン・ザ・ミドル』17ページ)教師でした。

 改訂版10章「当たり前は変わるーーある中学校教師の歩み」からも、『イン・ザ・ミドル』の第1章「教師としての私の物語」(『イン・ザ・ミドル』18~38ページ)からも、一人ひとりの教師にそれぞれのストーリーがあり、教職とは、自分に問いかけながら、一生かけて学んでいく仕事であることを感じます。

 自分で選んだ本や友達や先生に選書をサポートしてもらって選んだ本をふんだんに読むこと。これは、2014年版でも、改訂版でも、変わらずに大切にされていることの一つです。改訂版で新しく加わった8章「一つの教室から校内に広がる『読む文化』」では、国語の時間と読む時間が融合されていること、つまり読むことが国語の時間の中心にあることが、改めて確認できます。

 8年前の執筆メンバーの一人は、現在は校長となりました。「校長室からのチャレンジ」ということで、改訂版に捧げるコラム「子どもの学びと教師の学びはつながっている」を寄稿してくれました。

 この校長が書いているように、子どもの学びも、教師の学びも、管理職の学びもつながっているように思います。

 今回、改訂版の中心となってまとめてくれた冨田先生が書いた「はじめに」では、冨田先生は「主体的・対話的で深い学び」にかかわり、「ほかの誰かに強制されることなく、相互にかかわりあいながら自らの意志や判断で学習を進める子ども」を育てることについて思いを巡らしています。そして、「先生たちが統制力の強い、効率化を重んじる学校に身を置いている状態で、子どもたちだけが主体的で対話的な学習姿勢を身につけることができるでしょうか」と問うています。

 冨田先生は次のようにも書いています。

 「失敗を繰り返しながら主体者意識をもって学ぶ子どもたち、試行錯誤を繰り返しながらお互いの価値観を感じあう子どもたちを育てることを大切にし、私たち教師もそうあるべきだと確信し、学校や大人の社会もそうあるべきだと、多くの人に気づいてもらいたいと思っています」

 そんな思いを持って、改訂版では、3つの章とコラムが新たに加わりました。2014年版に掲載されていた章については、改訂版でもその内容に大きな変更はありません。

 なお、紙幅を抑えるために2014年版の3つの章と中学生向け本リストをオンライン版としています。こちらは、TOMMY'S IDEA ROOM(https://tommyidearoom.com/)でダウンロードできます。

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 今回、『改訂版 読書家の時間』の刊行に併せて、「(合計3冊以上であれば)新評論の全ての本20%割引のキャンペーン」が実施されることになりました。「WW/RWブログ」および「TOMMY'S IDEA ROOM」をご愛顧頂いている方のみのサービスとのことです。詳しくは、以下のリンクをクリックしてください。「新評論」の本、どれでも3冊以上で20%オフ、1・2冊でも、消費税と送料が割引となります。申し込みも以下のリンクからです。

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2022年6月18日土曜日

頭のなかにうまれるご褒美

  わたくしの部屋には買ったばかりでしばらく積ん読状態になっている本がたくさんあります。ミシェル・クオ(神田由布子訳)『パトリックと本を読む―絶望から立ち上がるための読書会―』(白水社, 2020年)もその一冊でした。何しろ「訳者あとがき」を含めると400ページ足らずのノンフィクション。読み始めるのに少し勇気が必要です。この本は次のように始まります。


私は、ある明確なプロジェクトを抱えてミシシッピ・デルタに向かった。黒人文学を通して子どもたちにアメリカの歴史を教えよう、かつて私が心ゆさぶられた文学を子供たちに教えようと考えていた。八年生のときの自分とおなじように生徒がキング牧師の『バーミングハム獄中からの手紙』に奮い立ち、高校生のときの自分のようにマルコムXの自伝に魅了されるさまを私は思い描いた。それからジェイムズ・ボールドウィンも。嘲る群衆の中を通り抜け徒歩通学する子どもたちの勇敢な克己心について書いた作家、ボールドウィンの作品も読んでほしいと思っていた。ラルフ・エリスンの言葉を借りれば、「世界に立ち向かい、自らの経験を正直に評価しようとする一人の人間の意志」をたたえることを、私は本に教わった。私を変えたのも、私にさまざまな責任を引き受けさせたのも本だった。だから、生徒の人生も本で変えられると信じていた。臆面もないロマンチストだ。二十二歳だった。(『パトリックと本を読む』9ページ)

 この「私」は「台湾系移民の娘で、一九八〇年代にミシガン州西部で育った」人です。その「私」がハーバード大学を卒業してからどうして「ミシシッピ・デルタ」で生徒たちを前に「黒人文学」を教えるようになったのか、「パトリック」という男の子とどのようにして出会うようになったのか、そもそもこの本が『パトリックと本を読む』と題されているのはどうしてなのか。
 この本の「第一部」は、「私」が二〇〇四年に米国の教育NPO〈ティーチ・フォー・アメリカ〉に参加し、アーカンソー州の「ミシシッピ川畔の町ヘレナ」の「スターズ」というオルタナティブ・スクールに教師として赴任し、そこで十五歳の八年生であった「パトリック」と出会うところから始まります。「私」は「パトリック」たちとともにいろいろな本を読み、読み書きを教えながら彼らの人生に伴走することになります。
 しかし、不幸にも人の命を奪い、刑務所にはいることになった「パトリック」と「私」が再会するところから始まる「第二部」からがこの本の本領です。副題に使われている「絶望」は「パトリック」を見舞ったこの運命のような事件が彼にもたらしたことをあらわします。がそこから「立ち上がるための読書会」とは何か。「私」は、自分の生き方を模索しながらも、「パトリック」のいる刑務所にさまざまな文学作品を持ち込み、ともにそれを読みながら、寡黙な彼に自分をあらわす言葉を育てていくのです。
 自分と世界を「理解」するための言葉が生み出されていく模様が描き出されるこの本を、わたくしは息つく間もなく、三日間、息つく間もなく通勤電車のなかで読み終えることになりました。二人が読んだ作品からの引用や「パトリック」が「私」の用意したノートに書き続けた魅力的な文章の一節がふんだんに登場します。それは「パトリック」の奇跡的な成長の軌跡です。
 この本の終わり近くで「私」は次のように書いています。

パトリックと本を読んでいたとき、彼がまるで初めて出会った、私が理解しはじめたばかりの人のように思える瞬間が何度もあった。その一瞬一瞬、私たちのあいだには、不思議な、根本的な、ありそうにもない平等さがあるように思えた。本を読めば、たとえばつかのまだろうと、人は予測を超えた存在になれる。それが読書の力だ。本を読んでいるとき、その人は別のだれかが「こういうタイプ」と決めつけることのできる人間ではなく、あらかじめ規定されていない素のままの人になっている。パトリックに本を与えたのも、読むテクニックを教えたのも私だが、同じ言葉を読んでも私とパトリックとでは心の動かされかたが異なっていた。同じ鳥のさえずりでも、人によって違う歌がきこえるように。(『パトリックと本を読む』342ページ)

 『パトリックと本を読む』を読むわたくしはこのような「私」の発見を『理解するってどういうこと?』の一節と重ねていました。

子どもたちに読むことと学ぶことを「動機づける」ために、私たちは目に見えるご褒美を提供しなければならないと思い込んでいることを、私は危惧しています。頭のなかにうまれるご褒美なら、子どもたちは大喜びで受け入れることに気づいたのです。自分たちが一生懸命理解しようとしている本や概念についてじっくりと考えて発見したことをみんなで共有した後、子どもたちの驚きと信じられないといった表情を目にします。子どもたちはまだ自分がどれほどすばらしい能力を持っているのか気づいていませんから、それに気づいたときは、特別に気持ちがよい驚きがもたらされるのです。こうした、子どもたちはもっと多くのことを発見することになるのです。(『理解するってどういうこと?』146ページ)

 「パトリック」の頭のなかにも、きっとたくさんの「気持ちがよい驚き」が生まれたのです。その「頭のなかにうまれるご褒美」をもたらしたのが、本を読む行為のなかにそなわっている「不思議な、根本的な、ありそうにもない平等さ」であり、これが「パトリック」を「私」の「予測を超えた存在」にしたのです。同時に「私」も自分の「予測を超えた存在」になったからこそ『パトリックと本を読む』が生まれたのだと思います。この自己発見と他者理解の物語に突き動かされて自分の「頭のなかにうまれるご褒美」を電車のなかのわたくしは味わっていたことになります。

2022年6月10日金曜日

アート思考/探究思考を書くこと(読むことにも?)活かす

  欧米で作文を教える教師たちの中には、argument writing argumentative essay, persuasive writing←これらは、日本語で何と言いますか?)にこだわりをもつ教師が少なくありません。それを、書くことを教える中心に据え、エビデンス(根拠)に基づく思考やクリティカルな思考(「批判的思考」ではありません。「大切なものを選び取り、大切でないものは排除する考え方」です)を磨くと考えているからです。

 しかし一方で、書くことが嫌いな子どもたちが多いという悩みも抱えています。そうした子どもたちも、アートや描くことは好きな子は少なくないということで、VTSやネイチャー・ジャーナリングの手法を活用しています。

 

●VTSの3つの問い:

1.この絵の中で、どんなことがおこっていますか? (Whats going on in this picture?)  2.あなたは、何を見てそう言っているのですか?    (What do you see that makes you say that?) 

3.もっと発見はありますか?   (What more can we find?)

「VTS」で検索すると、Visual Thinking Strategyに関するたくさんの情報が得られます。https://art-discussion.com/blog-vts-mainstory/ アート思考にしても、次の紹介する探究思考にしても、それぞれ3つの問いがすべてではありませんから、ぜひ関連する本を読まれることをおすすめします。他にもいろいろな発見が得られるはずです。

 

●『ネイチャー・ジャーナリング』で紹介されている探究思考の3つ+1つの問い:

・気づいたことは、

・不思議だなと(疑問に)思うことは、

・連想したことは、

・感じたことは、

VTSは、順番にファシリテーターが進めますが、ネイチャー・ジャーナリングは順番は関係ありません。また個別に取り組みます。『見て・考えて・描く自然探究ノート~ネイチャー・ジャーナリング』を参照。4番目の「感じたことは」は、https://www.paperbarkwriter.com/new-online-lesson-nature-journaling-prompts/のネイチャー・ジャーナリングの実践者が付け加えたものです。あなたが付け加えたいものはありますか? ありましたら、pro.workshop@gmail.comに、ぜひ教えてください。

 

 これらの問いは、いずれもとてもパワフルです!

 そこから、いろいろなことが起こり得るきっかけになります。

 あなたは、どの問いを使いたいですか?

 他に問いを考えられますか?

 

 VTSを書く指導との関連で使う際は、対象となる子どもたちが興味をもてる写真(や絵)を見つけだすのがポイントです。

 その写真(や絵)で起こっていることを思いつく限り書き出してもらいます。なぜ生徒がそう思うのかの根拠(証拠)も書いてもらい、最終的にそこで起こっていることの要約を書いてもらいます。その後で、互いが書いたことを紹介し合います。最後に、互いが紹介し合ったことを踏まえて、自分の考えを変えた場合は修正して書き直す(あるいは、補強された場合はそれを付け足す)時間を設けます。これを実践している教師は、生徒たちはVTSをまたやりたいと必ず求めると言っています。なぜだと思われますか? (参考: https://www.edutopia.org/article/using-visual-thinking-strategies-classroom

 一方で、ネイチャー・ジャーナリングの場合、VTSのように同じ写真(や絵)に対しての感想等を全員が出し合うのではなく、子どもたちは異なる対象物に対して4つの問いを書き出したり、描いたりします。そうした異なるものに対して書いた/描いたものの、いい共有/紹介の仕方を実践された方は、ぜひpro.workshop@gmail.com宛に報告してください。

 これらは、美術と国語の合科で実践することはもちろん、理科や社会やその他の教科でも考えられます! ぜひこれらの効果的な方法を、柔軟に教科で活用してください。

 なお、タイトルに(読むことにも?)とありますが、これら2つの手法を読むことを教える際にも使えると思いますか? 具体的に、どんな形で??

 

2022年6月4日土曜日

「中学生の思考を動かす絵本」の紹介 〜中学校の教室から

 最近、3冊の絵本を読みました。『アウシュヴィッツの子どもたち』『かないくん』『ブラック・ドッグ』です。この3冊は、今月末に出版予定の『改訂版 読書家の時間』の資料の中の★「中学生の思考を動かす絵本」という項目で、中学校で教える先生が作成されたリストの中にありました。最初の2冊は、これまで読んだことのないトーンの絵本で、私の狭い読書の幅を広げてくれるものでした。3冊目『ブラック・ドッグ』は、思わず絵をまじまじと見つめてしまいました。

 今回の投稿は、「中学生の思考を動かす絵本」のリストを作成してくださった先生にお願いして、そのリストから何冊か選び、それらについての「お薦めの一言」をお願いしました。上記の3冊も以下の紹介に含まれています。また、今回の投稿をお願いした直後に、公共図書館に行かれたということで、元のリストには含まれていない読みたての本も、《おまけ》で追加されています。


 では、以下、「それはなぜ? 中学3年生の男子が、仲間と一緒に考え、楽しんだ絵本です」(『オオカミと石のスープ』)など、教室の風景が浮かぶような紹介をお楽しみください。


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『アウシュヴィッツの子どもたち』青木進々、グリンピース出版会、2000年

現代に残されているアウシュヴィッツに関する写真を使って、短い言葉で語りかけてくる本です。道徳ではなく、国語で読んでほしい。構成、筆者の使う表現について、語り合ってほしい。自分に「関連付け」て、思いを語り合ってほしい。そういう本です。紹介という形で多くを語ることはやめたいと思います。でも、この本について、多くの人に知ってほしいと思います。アウシュヴィッツに行って盗掘したり、広島の原爆ドーム前で記念撮影をするような人を生み出さないためにも。


『かないくん』谷川俊太郎/松本大洋絵、ほぼ日、2014年

この本に「かないくん」は出てきません。でもタイトルは「かないくん」。下の名前はわかりません。そして先生がクラスのみんなに言います。「かないくんがなくなりました。」かないくんは、ずっと学校をお休みしていました。…子どもにとって、家族以外の死は、まるで見えないところで片づけられていきます。大変なことが起こっているのに、それを理解するだけの情報も得られず、どうふるまっていいのかもわからず…。この本にかないくんは出てきませんが「ぼく」「うさぎ」「おじいさん」が登場します。時の流れをつかみながら丁寧に読んでいき、人物の関連性を考えていく…「根拠ある推測」を繰り返していく必要があります。また、問いを立てて読み、死について自分に「関連づけ」ながら考えていく。何時間でも向き合える日本発の本だと思います。


『ブラック・ドッグ』レーヴィ・ピンフールド/片岡しのぶ訳、光村教育図書、2012年

この本は、表紙、中表紙など、全てを読むことをオススメします。特に、本を開いた後、タイトルの登場までに挟まれているページは、映画の始まりを思わせる演出です。内容は、常識的な目線で読むと、本当に不思議な話なのですが表紙などのヒントを「関連付け」ながら読んでいくと、子どもたちは自分の解釈を話したくて仕方がなくなります。


『おにいちゃんとぼく』ローレンス・シメル/フアン・カミ―ロ・マヨルガ絵/宇野和美訳、光村教育図書、2019年

海外の絵本には、一読ではわからない仕掛けがたくさんあります。この本はその代表と言えるでしょう。さらっと読んでしまったら「素敵な兄弟の物語だね」で終わりです。どこが素敵なのか、よ~く読んだ人と、さらっと読んで「わかったつもり」の人とは差がつくことでしょう。勘のいい子が仕掛けを口走ってしまわないように、「何かに気づいても口に出しちゃだめだよ」と言っておいてください。


『オオカミくんのホットケーキ』ジャン・フィアンリー/まつかわまゆみ訳、評論社、2002年

とってもかわいらしくて、優しいオオカミ君が主人公です。でも、彼の周囲にいる人間はオオカミ君とは逆で…。とにかく読者の予想を裏切る本です。これ以上紹介するとネタバレになりますのでやめておきます。読んだ生徒は、あるページを開くと「えっ?」と声をあげるでしょう。この本の年齢指定を、話し合ってもいいかもしれません。


『ジャーニー 女の子とまほうのマーカー』アーロン・ベッカー、講談社、2013年

一切、文章の出てこない「グラフィック・ノベル」と言われる種類の絵本です。満たされない日常を生きる女の子が不思議なマーカーを手に入れることで別の世界へ…描かれる世界が、実際の世界の様々な国と様々な時代をイメージさせるように描かれていて、誰?どこ?なぜ?など、次々疑問が沸いてきます。どのように解釈するかは読者に大きく委ねられています。この本で終わらず、続きも刊行されています。ファンタジーが好きな子どもは、この絵本をもとにお話をつくることに挑戦してもいいかもしれません。文章を読むことが苦手な子どもたちにもオススメします。


『死神さんとアヒルさん』ヴォルフ・エァルブルッフ/三浦美紀子訳、草土文化、2008年

生きるものの死を扱った本です。でも、とても絵がかわいらしくて、作者のヴォルフ・エァルブルッフ氏の世界に取り込まれてしまいます。死神はガイコツの姿なのですが、チェックのワンピースを着て登場。何かを後ろに隠し持っています。私は今、病気の子どもたちの教育支援をリアルに考える状況にいるのですが、この死神さんの姿勢に「緩和ケア」の医師の姿が重なります。死について語ることを避けるのではなく、健康に生きている時だからこそ死について考えることを大切にしたいと思わせてくれる本です。


『オオカミと石のスープ』アナイス・ヴォージュラード/平岡敦訳、徳間書店、2001年

年老いて餌が取れなくなったオオカミが、ある家を訪問します。オオカミは「スープをつくる」というので、家人はオオカミを家に入れます。オオカミの真の目的は…?絵と物語を読み込んで、オオカミの目的を「推測」する本です。本は、読者が読みたいようにしか読めないわけですが、友だちと一緒にこの本を読むと、自分の思い込みや表面的な読みに気づくと思います。特にこの本では、オオカミの表情に注目しながら、オオカミの内心を推測する必要があります。最後にオオカミはどのような決断をするのでしょうか。そして、それはなぜ?中学3年生の男子が、仲間と一緒に考え、楽しんだ絵本です。


『3びきのかわいいオオカミ』ユージーン・トリビザス/ヘレン・オクセンバリー絵/こだまともこ訳、冨山房、1994年

欧米の人にとってオオカミは家畜を襲う害獣という意識があるのでしょうか。多くの物語でオオカミは悪役として登場します。ところがこの本では、オオカミはかわいくて、気が弱くて、かわいらしい存在です。そこへ乱暴なブタが登場して…。いわゆる「三匹のこぶた」の逆転バージョンの物語です。いつもならオオカミに脅されて逃げていくブタが、醜悪な姿と行動で描かれていて、読者の思い込みをどんどん裏切っていきます。キャラクターの立場や扱いを逆転させることで、新しい視点が持てるので、たくさん「問い」を立てて読み、ブッククラブなどで意見を交わすと面白い本です。


『だいじょうぶだよ、ゾウさん』ローレンス・ブルギニョン/ヴァレリー・ダール絵/柳田邦男訳、文溪堂、2005年

光村図書の教科書に「星の花が降るころに」という教材があります。また、すでに教科書からは外されてしまいましたが「花曇りの向こう」という教材もありました。これらの作品に共通しているのは「象徴」を読むことを教える教材だということです。では、教科書で「象徴」を学んだら、この絵本を読んでもらいましょう。老いていくゾウさん、成長していくネズミくん。ブッククラブで、時間の経過と登場人物の変化を読んでいくと、気づきがあるかもしれません。


《おまけ》

「WW/RW便り」を読んでくださった方だけに(笑)。

実は、久しぶりに公共図書館へ行きました。娘が大病を患いまして、この2年ほどは生活と仕事がやっとの状況でした。娘が退院して、初めて公共図書館へ連れて行きました(学校図書館で借りるにしても時間がなく、本人に選書能力はなく、国語的に絵本を使うこと自体がまだ全然理解されてもいませんし、病院でもコロナ対策で小児病棟の本の貸し出し、病院図書館の本の貸し出しも止まったままです)。


ここだけ!新たに、お薦めの本!追加です!今日、読みたてのほやほや。早く生徒に紹介したいです。


『なにか、わたしにできることは?』ホセ・カンパナーリ文/ヘスース・シスネロス絵/寺田真理子訳、西村書店、2011年

この本の特徴的なところは、本文の文字のサイズが所々で変化することです。おそらく、子どもたちもそこが気になることでしょう。絵は寂しさと不穏な感じで進んでいきます。「あの言葉」という謎めいた書き方で明確な表現を避けながら物語が進行していきます。読みながら、こういう意味と考えていいの?と不安になります。戻り読み、再読をしないと(いや、そうしても)もやもやがとれません。誰かと話したくなります。そうそう、文字のサイズの謎も、話したいですね。


『森のなかへ』アンソニー・ブラウン/灰島かり訳、評論社、2004年

とても不思議な本です。表紙から裏表紙まで、とにかく隈なく絵と物語を読むことをオススメします。たくさんの仕掛けが詰まっていて、気づいた人だけが意味を理解できます。正直言って、ラストは私は全く理解できていません(笑)。どういうことかどなたかに教えていただきたいです!教科書の教材「走れメロス」のように、次から次へと「何か」が起こります。どのような意味があるのでしょう。話し合いたくなります。


『三びきのコブタのほんとうの話』ジョン・シェスカ文/レイン・スミス絵/いくしまさちこ訳、岩波書店、1991年

またまたオオカミの本です。本当に欧米の皆さんはオオカミが好き。オオカミを悪者にする一方で、この本の作者は「オオカミ同情派」のようです。表紙にはタイトルに添えて「A・ウルフ談」と書いてあります。そう、この本は三匹のコブタを傷つけて捕まったオオカミが、自身の犯行の事情を語る本です。もう、その設定が面白過ぎです。さまざまな三匹のオオカミ関連の本を用意して、「関連付け」て語り合うのはいかがでしょう。


『ニコラス・グリーブのゆうれい』トニー・ジョンストン文/S・D・シンドラー絵/きたむらさとし訳、BL出版、1998年

本の裏表紙に「米国スクール・ライブラリー・ジャーナル選定最優秀作品」と書いてあります。いわゆるホラー系の絵本です。日本の怖い本との「比較」もできるかもしれません。

ニコラス・グリーブという老人の遺骨が盗まれて?しまうことで起こる不幸。日本の子どもはこの本を「怖い」と思うのでしょうか。最後の不思議な出来事をどのように解釈するか、物語全体を読んでいないと答えられない内容ですので、一つのお話を読み切れないお子さんを巻き込んで、数人で集まって読むと盛り上がるかもしれません。


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 上の紹介を読みながら、ミニ・レッスンなどで、優れた読み手が行なっている多くの読み方の練習や紹介にも使えそう!と思います。また、本には「思わず語りなくなる」力があることも感じます。そして、何よりも、自分の読みたい本が増える! これも嬉しいです。

★『改訂版 読書家の時間』のために、中学校での教職経験のある先生や司書の方からも、多くの本を教えていただきました。「中学生の思考を動かす絵本」以外にも、新たに「中学生の教室でよく読まれた本」(フィクションとノンフィクション)と「中学生におすすめの本」(フィクションとノンフィクション)という項目でも、150冊以上加わっています。『改訂版 読書家の時間』は、紙幅の関係で、オンラインで読める形にした部分があり、「中学生の教室でよく読まれた本」(フィクションとノンフィクション)と「中学生におすすめの本」(フィクションとノンフィクション)のリストは、オンライン版となっています。こちらについては、また後日、改めてお知らせします。