2015年3月28日土曜日

新学期のアイス・ブレーカー

 
 そろそろ新学期、授業の最初のアイス・ブレーカーをどうしようかと考えておられる方もいらっしゃるかもしれません。


 私も、人数、教室内の物理的な動きやすさ、初年次でお互いほとんど知らない状態か否かどうか等々を鑑みて計画するのですが、毎年悩みます。

 

 『読書家の時間』(プロジェクト・ワークショップ編、新評論)の第1章「最初の10時間」からは、最初の1時間のみならず、少し長い目での始動期間のイメージもできますので、見直すときもあります。


 このブログで何度か参照しているアトウエル氏(Nancie Atwell)がよく使うアイス・ブレーカーは二つあるそうです。★

 

 一つは教室内のどこに何があるのかを、グループに分かれて探検です。先生はあらかじめ「実話に基づいた良い本がある棚」とか「自分が赤で校正した作品を置く棚」等、教室内がどのように機能し、どこにどのような道具、本等があるのか等を説明した文が並んだプリントと地図を準備しておき、探検のスタートです。(←先生に一方的に説明されるのではなくて、自分たちで実際に手にとったりして確認していくというプロセスがいいなと思いました。)

 

 もうひとつは、できるだけ大きなビーチボールを入手し、そこに多くの質問を書いておき、みんなで輪になり、ボールを投げ、受け取った人は、右手の親指に最も近いところに書かれている質問に答えます。当たり前のことですが、楽しくできるように、尋ねられたら困るようなプライベートすぎる質問を書かないようにするのが大切みたいです。(←これは人数があまり多いとちょっと難しい気がします。)

 これらを見ていると、ワークショップの運営システムや物理的環境を学ぶことと、お互いについて、楽しく安心した雰囲気で知る、この2点がポイントなのかなと思います。 
 ぜひいいアイス・ブレーカーがあれば、教えてください。個人的には、特に40人ぐらいの人数でうまくいくもののレパートリーを増やしたいです。


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 以下はおまけですが、WWでは、プロジェクト・ワークショップの人が使っていた方法で、「自己紹介と題材さがしを兼ねる」活動を、私はWWでは何度か使いました。

 グループになったあとで、「好きなこと」を一つ言うことを、何周か回します。(だいたい3周目ぐらいから、個性が少しずつ出てくるようです。)それから「このクラスでは、何を書くのかは自分で決めます。自分が知らないこと、興味のないことは書けないので、今、自己紹介で言った好きなことも、書く題材としてはいいかもしれませんね」と言って、題材さがしにつなげます。


 『ライティング・ワークショップ』167ページに載っているような、書けそうな題材さがしリスト作成のための用紙を、そのクラス用にアレンジしたものを配布するときもあります。

 
 あとはグループ決めと併せて行う場合は、ジグソー・パズルをつくります。グループのメンバー4人がそろうと、パズルが完成という簡単なものです。パズルの題材はいろいろです。


 今回、アトウエル氏のアイス・ブレーカーを読みつつ、何を達成したいかをしっかり考えて計画できればと思いました。


 ★ Nancie Atwell, In the Middle: A Lifetime of Learning About Writing, Reading and Adolescents (Heinemann, 2015)の67~70ページに詳しく説明してあります。



2015年3月21日土曜日

『理解するってどういうこと?』と『遊ぶヴィゴツキー』

 『理解するってどういうこと?』の第4章は、エドワード・ホッパーの『早朝の日曜日』という絵とジョン・ストーンの同名の詩から始まっています(『早朝の日曜日』は、ショーン・タンの絵本『ロストシング』(河出書房新社)でもパロディ化されるほど印象深い絵です。タンの絵本のなかのどこにあるか探してみてください)。この章の後半では、著者の行った研修会(ワークショップ)の場面が出てきますが、そこで著者は、この絵と詩がどのようにわかるようになったか、最初はそれらの意味をどのように理解しはじめるのか? という質問をして、各自のわかり方について考えるよう求めています。そしてそれをパートナーとペアで語りあうことで、理解の過程に各自がどのように取り組んでいるのかを自覚するようにしています。
 次の二つの発言は、いずれもこの研修会に参加した小学校教師のサラの発言です。

○「何も起こっていないわ」とサラは語気を強めました。「こんな絵、我慢できない。それより、馬とカウボーイが砂煙をあげて大騒ぎしているレミントンの絵を見る方がましだわ。」(136ページ)
○「今は、ホッパーの絵をまた見るのが面白いの。これまで好きになれない絵だなんて、私言っていたけど、笑わないでね。今はこの絵に描かれている店先をじっと見て、沈黙について考えると、これはまったく沈黙ではないのよ。もう私はこの絵に、平日のにぎやかさや、商売や、活動を感じることができるし、起こっていることをぜんぶ描いたような絵よりも、この絵のような静けさが今は好きになってしまったわ。たぶん、あなたはこんな、フレデリック・レミントンの大ファンの私を笑うだろうけど、静けさを鑑賞し、起こるかもしれない何か、つまり、今は起こっていないけれど、再び起こるだろうことに耳を傾けることを本当に学んだのよ。」(144ページ)

  ホッパーの『早朝の日曜日』には、ある街角の日曜日の早朝の無人の風景が描かれているだけで、彼女が言うように目に見える出来事は何も起こっているように見えません。そのサラが同じ絵を「面白い」とまで言っています。このサラの変化は、彼女がパートナーのオードリーとこの詩や絵についてだけでなくて、それらを各々がどのように理解しはじめたのかを述べ合って、反応し合うなかで起こりました。
 もちろんホッパーの絵とストーンの詩の力のおかげだ、という考え方もできます。また、この絵と詩の持つ「沈黙」に目を向けるだけの読者としての力量がそもそもサラ先生にそなわっていたのだ、と考えることもできるでしょう。ですが、サラの発言は明らかにそれだけではなかったことを示しています。
 ホルツマンの『遊ぶヴィゴツキー』(茂呂雄二訳、新曜社)は、『理解するってどういうこと?』の少し前に同じ出版社から刊行された翻訳書ですが、タイトルに興味を惹かれて購入し、つい最近開いてみた本ですが、次のようなことが書かれていました。

 ○ごっこ遊びで、子どもたちは、自分たちになじみのことがらを演じると同時に、彼らの能力を超えた、まったく新しいことがらを演じるのである。そして一日中やっても飽きもしない。また、私たちは、幼児がやり方を知らなくても、幼児が能力を超えて話をし、お絵描きをし、絵本を読むにまかせるのである。このような遊びのパフォーマンスをする空間は、発達と学習にとって非常に重要である。そしてこれは、幼児期ばかりでなく、大人にとっても重要である。/このように考えると、発達は、自分でない人物をパフォーマンスすることで、自分が何者であるかを創造する活動となる。(27ページ)

  「ごっこ遊び」の意味を掘り下げながら、引用の最後のところに示された「自分でない人物をパフォーマンスすることで、自分が何者であるかを創造する活動」が「発達」だという見方がきわめて重要に思われますし、サラの発見は、オードリーの話を聞きながらそれをモデルとして「自分でない人物」の理解過程を頭のなかで実行してみた結果、自分自身の理解過程に意識的になって読者としての自分を「創造」したのであろうと思われます。
 また、ホルツマンは読み書きのような「高次精神機能」が「精神間的である」というヴィゴツキーの考え方を重んじています。これもオードリーとサラのやり取りにおけるお互いの変化にあてはまります。この研修会(ワークショップ)でペア・ワークがなければ、サラに上に書いたような変化はずっと訪れなかったかもしれません
 もう一つ、二人の教師はお互いの話をじっくりと聞き合っていたからこそ、自らの理解過程を意識化し、活性化させたのです。オードリーは言っています。「一人で読むときに頭のなかに飛び交うものよりももっとたくさん考えられるようにするのに、誰かと話すのが役立って、話すにつれて意味を“つくり出す”手助けをしてくれると、サラ、あなたは私に教えてくれたのよ」と。サラも「あなたは、この絵と詩について私が考えるようにさせてくれたのよ。そうすることによって、これまでのようによく考えずに単純な、何にも動きがないから好きじゃないっていう反応をするのでなくて、しっかりと考え始められたのよ。」と言っています。見事に呼応しています。『遊ぶヴィゴツキー』の後半で、ホルツマンがインプロ(即興劇)の効果について述べている次のような発言を踏まえると、サラとオードリーのやり取りをさらに深く意味づけることができそうです。

 ○仕事場にインプロを持ち込むことで、会話は大きく変わる。それは上記のような(相手の話を聞かずに一方的に同じ問いを繰り返すような会話例がこの直前に引かれている-引用者注)不快なやり取りを減らすだけでなく、赤ちゃんとのやり取りのような創造的意味作りの会話に転換できるのである(ただし大人同士あるいは仕事場にふさわしいやり方で、ではあるが)。大人がこれを一貫して行なうのは本当に難しい。首尾よくやるには、話すことばかりでなく、聞くことの練習が必要だ。というのも、仕事場も含んで日常の会話では、他の人の会話の一部しか聞いていないからだ。(142ページ)

  二人は「赤ちゃんとのやり取りのような創造的意味作りの会話」を実現していたのです。相手の言おうとすることを、一部ではなくその全体を、しっかりと聞き合うことができたからこそ、サラの変化(それを「発達」と呼んで良いのではないでしょうか?)が生まれ、それはオードリーにも変化を与えずにはおかなかったのです。そう言えば、「聞く」ことの重要性は、『理解するってどういうこと?』で、第9章の最後でエリンさんがジャミカに呼びかける部分の最後のメッセージでもあります。

2015年3月14日土曜日

RWとWWを行う教師への振り返りの質問



  学期末となり、今学期あるいはこの1年の自分の学びを振り返るための質問を、子どもたちに提示した先生も多いのではないでしょうか。

 

 私の知人の先生は、以下のような振り返りの質問を、学習者に尋ねるだけでなくて、自分にも質問して、その答えを書き出しているそうです。

 
1. 私ががんばったこと、努力したこと、熱心に取り組んだことは?
2. できるようになったことや変わったことは?
3. 嬉しかったことは?
4. 難しいと思ったことは?
5. 必要だと分かったことは?
★         


この知人の振り返りをみていて、(1)どの科目にも使える質問であり、(2)学習者だけでなくて、自分にも尋ねている点がいいなと思いました。毎年、どこかに記録しておいて、10年ぐらいまとめて振り返ると、自分の教師としての軌跡が分かるかもしれません。

 

 「振り返りの質問を、学習者だけでなくて自分にも尋ねる」ということを考えたときに、
RWやWWで子どもたちに尋ねる振り返りの質問のほとんどは、教師が自分にも尋ねてみるのにいい質問だと思いました。何しろ、教師は、「書き手、読み手のモデル」ですから、教師自身も、書き手・読み手としての自分の成長を振り返ることで、授業はパワーアップするはずです。

 

 そう思うと、例えば、2月6日のRWWW便りに紹介したアトウエル氏の、子どもたちのための振り返りシートからですと、以下のような質問は、教師が自問するのにもいい質問だと思いました。★★

 【WWについて】

「いくつ作品を仕上げましたか」「それらのジャンルは?」

「お気に入りの二つの作品を挙げて、それぞれについて自分がした工夫・優れた点を挙げると?」

「書き手として成長した点は?」

「来年度(あるいは来学期)の書き手としての目標をできるだけ具体的にーー例えば作品の数? 書く頻度?」

 

【RWについて】

「何冊読み終わりましたか?」 「それらのジャンルは?」

「その中のベストは?」

「自分にとってのベストの作品で、著者がしていた工夫や優れた点は?」

「読み手として成長した点は?」

「来年度(あるいは来学期)の読み手としての目標をできるだけ具体的に」

 
 また、WWとRWに取り組む教師が自分に尋ねる質問をもっと考えてみたいので、叩き台のつもりで、アトウエル氏の質問に加えて、「教師版の振り返りの質問」としてプラスしてもいいかも? と私が思うことを、以下*印をつけて書き加えました。


*「学習者から、書く、読むについて学んだことのベストは?」
*「新しく出合った、学習者に紹介するのによいメンター・テキストは?」
*「読み聞かせ本、考え聞かせ本のベスト3は?」

*「かなり成功したと思えるミニ・レッスンをいくつか挙げて、それぞれその理由を述べておくと?」

*「自立した書き手・読み手を育てるのに、もっとも貢献したと思えることは? その理由は?」
*「自立した書き手。読み手を育てるのにうまくいかなかったこと・障害となったことは?」

*「読み書きのつながりという点からもっともうまくいったことは?」


 

RWとWWの教師自身への、振り返りの質問は、引き続き考えたいと思っています。今後、ブレインストーミングしつつ、整理したり減らしたりしたいです。何か思いつく質問などあれば、教えていただければ嬉しいです。

 

*****
★ 上の質問は、ERIC(国際理解教育センター)の研修で、振り返りシートとして使っていたものが土台にあるそうです。他にも、振り返りの質問としては、以下のようなものもあるそうです。

・ 私が学んだのは、
・ 私が改めて学んだのは、
・ 私が気づいたのは、
・ 私が驚いたのは、
・ 私がガッカリしたのは、
・ 私がこれから実行しようと決めたことは、
・ その他、考えたことや書いておきたいことは、




★★Nancie Atwell著のIn the Middle 3版、Heinemannより2015年に出版。子どもへの振り返りシートは、WWが285286ページ、RWが291292ページ。

2015年3月6日金曜日

教師と複数の生徒たちとのカンファランス



カンファランスの新たな可能性の4回目です。
出典は、Let's Talk: Managing One-on-One, Peer, and Small-Group Conferences, by Mark Overmeyer の 「第3章 一対複数の生徒たち + 第4章 一対クラス全体」です。

第3章 一対複数の生徒たち

49 生徒たちは各自違うことを書いているので、カンファランスは一対一しか考えられないと思っていた。 → それはRWも同じ! しかし、ガイド読みをしている!
   生徒たちをよく知っていることでできるのがガイド書き、ガイド読み。 ~ ということは、生徒たちを知らないでできるのが一斉指導/教科書指導。皆さん、このこと考えたことありますか? あるいは、生徒たちのニーズを無視してできるのが一斉指導/教科書指導?

50 できる生徒にはそれなりに、できない生徒たちにもそれなりに対処できるのが、ガイド書き

○ガイド書きのテーマは? ~ 何でもあり得る
51 ・何を書いていいかわからない
53 ・どうやって書きはじめるの?
54 ・下書きの段階のガイド書き
55 ・「私は書き終わった!」への対処
57 ・修正関連のガイド書き など

64~5 基本的には、ガイド読みと同じで、15分がメド。
66 ガイド書きに数人の生徒を呼ぶときも、ひたすら書くから始めて、全員が落ち着いて書けるようにする。自立した書き手こそが中心というメッセージを常に発信し続けることの大切さ! ~ RWと同じだ!!

第4章 一対クラス全体  ~ 作家の椅子を含めて。しかし、ここでの「一」は教師でなく、生徒。
67~8 作家の椅子で読み上げた生徒の努力を「祝う」のは悪くないが、より大切なのは全員が話し、そして聞くこと(そして、それを通して学び合うこと)

68 作家の椅子の代わりに、ペアで共有というのも、かなり効果的。
   フィードバックの観点で、見る必要がある。要するに、目的次第で、手段を選択することが大切。

 このように、WWがあまりにも効果的なので、それを読むことに応用する形ではじまったのがRWなわけですが、いまはRWのいいところをWWでも使う方向性も出てきており、両者は相互に好影響を与え合いながら、進化し続けています。日本の国語教育で、進化し続けている領域にはどんなものがあるでしょうか?