「2018年に読んで印象に残った本4~5冊の書名とその本の簡単な紹介をお願いします」と、4名の方に依頼しました。皆さんメールで書名と紹介文を送ってくださったのですが、その中の都丸先生からの1行目に書かれていたのが、「5冊選ぶつもりが、8冊になってしまいました」。
いいなあ、この1行! と思いました。都丸先生は小学校で教えていますが、こういう先生の教室で、紹介したい本がたくさんある子どもたちが育つのだろうと思います。
では、以下、4名(プラス最後に私も4冊の紹介を書いたので合計5名)からの、「2018年に読んで印象に残った本」です。短い冬休みですが、読んでみたい本を考えるときの一助にどうぞ。(なお、書名は青字になっています。)
★ 最初に送ってくださったのはブッククラブが大好きで、英語を教えている長崎先生。以前、指導主事をされていた経験も活かして時々「PLC便り」も書かれています。(PLC便りのURLは http://projectbetterschool.blogspot.com/で長崎先生は「msnaga」で投稿されています。)
1.ポール・ロックハート(2016)『算数・数学はアートだ!:ワクワクする問題を子どもたちに』新評論.
数学は大の苦手でした。なので、この本は買った後、かなり長い期間本棚で眠っていました。興味はあったのです。あの大嫌いだった数学が「アート」だという!一体、なんでだろうと。こんな本を書いたヤツは、どうせ難解な問題を悦にいって解こうとしている変人ロマンチストなのだろうと。ある日、別の本を取ろうしていて、この本が視界に入り、開いてしまったのです。あっという間に読了。読後感、「ずっと、喉の奥に刺さっていた魚の骨が取れた感じ。」ありがとう、ポール! 私の学びに関する考え方が、ワンランク洗練された気がします。
2.吉田右子(2010)『デンマークのにぎやかな公共図書館-平等・共有・セルフヘルプを実現する場所』新評論
図書館学の研究者である作者が、デンマークの図書館に長期滞在し、公共図書館の果たす役割をじっくりとリポートした一冊です。北欧の人々は、その気候から家に閉じこもらざるを得ず、読書家が多いとよく言われます。一つの要因には違いありませんが、教育も福祉であるといった社会づくりの考え方が根底にあるように思えます。昨年、我が国では大学生の読書時間ゼロの割合が50%を超えました。高校までに読書習慣が身についていないことと関係があるのではないかと言われています。本を読むこと、そして、読むことの生活の中での位置付けについて、改めて考えさせられる一冊です。
3.山極寿一(2014)『「サル化」する人間社会』集英社インターナショナル
タイトルは「サル」ですが、本書はゴリラ研究の本です。研究者が、ゴリラ社会に入り込み、受け入れられ、交流をしていく姿が、実に興味深く描かれています。サルとゴリラとの最大の違いは、サルは人間の気持ちを忖度しないことだそうです。そして、それは知能の違いではなく、社会性の違いであると筆者は述べています。人間社会がサル化するとはどういうことなのか、作者の興味深い考察は、我々人間社会の在り方に様々な示唆を与えてくれます。
★ 次は「5冊選ぶつもりが8冊になってしまったという都丸先生、小学校で教える、本大好き!な先生からの8冊です。
1.『キラキラ共和国』小川糸
初めて読んだ小川糸さんの本は『ツバキ文具店』でした。その続編にあたる本です。人と人とのつながりをとても温かく描いています。家族の物語。
2018年は小川糸さんの書く文章が気に入ったため『食堂かたつむり』『にじいろガーデン』などの小説のほかに、エッセーも何冊か読みました。
2.『バッタを倒しにアフリカへ』前野ウルド浩太郎
ブッククラブで読んだ本です。普段はあまり読まないジャンルかもしれません。バッタの研究に人生をかけた昆虫学者の手記。著者の文章に引き込まれ、あっという間に読み終えてしまいました。バッタの研究を続けるために数々の困難に見舞われますがどんな状況でも決して悲観的にならない著者の生き方に共感します。「夢を持つと、喜びや楽しみが増えて、気分よく努力ができる。」
この本を読んだ後、昆虫つながりで『昆虫はすごい』(丸山宗利)も読みました。こちらもとてもおもしろかったです。
3.The Lost Lake(Allen Say著)
父と息子の夏休み。「こんな時間を親子で過ごせたら…」と思えるすてきな絵本。この親子は大自然の中で何を感じたのか、何を考えながら歩いているのか、想像が膨らみます。息子が小学校1年生のときに、野辺山高原を歩いた男の二人旅を思い出しました。
4。『なんだかうれしい』谷川俊太郎
日常生活の中の「なんだかうれしい」を集めた本。とてもうれしい」ではなく、なんとなくうれしい。理由はよくわからないけれど、ちょっぴりうれしい。そんな「うれしい」をたくさん見つければ見つけるほど、人生は楽しくなるのだと思いました。
5.『家守綺譚』梨木香歩
幻想的な本の世界を堪能しました。著者は花鳥風月を本当に魅力的に描く作家だと思います。「ずっとこの作品世界を味わっていたい。終わって欲しくない。」と思うほどに好きな本になりました。冬休みにこの本の続編『冬虫夏草』を読むのが楽しみです。
6. 『アウシュヴィッツの図書係』アントニオ・G・イトゥルベ 小原京子訳
一冊の本が、人々にとってどれほど大切なものか、絶望の淵に立たされた人々にどれほどの希望をもたらしたことか、そんなことを考えずにはいられない作品でした。
7.『羊と鋼の森』宮下奈都
「調律の技術を言葉に換える作業は、流れていってしまう音楽をつなぎとめておくことだ」
読み終えた後、無性にピアノを弾きたくなりました。そして、実際に弾いてみました。とてもさわやかな気持ちになりました。これから仕事に就く人に強くすすめたい本です。
8.『やり抜く力 ー人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける』アンジェラ・ダックワース著 神崎朗子訳
学校教育、子育て、子どものスポーツ指導に関わるすべての人にすすめたい本です。
一つのたいせつな目標に向かって努力を続ける力「グリット」を身につけるには?
どんな親が子どもの「やる気」を伸ばすのか?
どんな練習が子どもたちの能力を伸ばすのか?
どんな褒め方が子どもたちの「やり抜く力」を伸ばすのか?
これらの問いついて考えるきっかけを与えてくれた本でした。
★ 次は中高で英語を教える吉沢先生からの5冊。英語の授業でWWを実践しつつ、特にカンファランスに取り組み中。
1.カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)『わたしを離さないで』早川書房, 2008
ふだん小説を読むことは控えているのですが、知人に薦められたのと、このタイトルに惹かれて読みました。最初は、事細かな心理描写につきあうのがしんどかったのですが、タイトルの意味するところは何なのかという疑問を持ちながら、次第に物語の世界にはまってしまいました。
2.マーク・ピーターセン『日本人の英語はなぜ間違うのか』集英社インターナショナル、2014
中学校の英語の検定教科書が素材にあがっています。学習指導要領の制約の中で、四苦八苦して作った教科書の本文が、不自然な英語を生み出す結果になっていることがわかりました。それを覚えさせられる生徒は可哀想です。著者は、間違いや不自然さを指摘するだけでなく、私ならこう書くというモデルを示してくれています。それがとても役に立ちます。
3.宇佐美 寛『国語教育を救え』さくら社, 2018
この著者の本は教員になりたての頃から、折にふれ読んできています。日本の教育、特に言語教育のあり方を批判しつづけてきた教育哲学者です。
「手書きが読み書きの力に資する。」「授業は読み書きを好きにするような質のものでなければならない。授業によって大量に読み書きする意欲が増大しなければならない。」全くその通りだと思います。
4.石戸 諭『リスクと生きる、死者と生きる』亜紀書房, 2017
著者は言います。「『被災地』は存在しない。『被災者』も存在しない。土地と、人が存在するだけだ。」と。「震災や原発事故を自分のこととして捉え、考えている人たちの声に近づき、彼らの揺らぎに接近することである。声を聞くこと。それもどこまでも個的に語られる彼らの言葉を聞くことで浮かび上がってくるものに、可能な限り接近したいと思った。」胸にしみる本でした。
5.細見和之『石原吉郎ーシベリア抑留詩人の生と詩』中央公論新社, 2015
学生の頃、日本の現代詩を集中的に読んでいました。その中でも特に好きだった詩人の一人が石原吉郎。第二次大戦後、シベリアに抑留され何年もの重労働を経験したことが、石原吉郎の詩作品にどのような影を落としているのか。それを丹念に解きほぐしていっています。その分析は実に緻密なので、私は夢中になって読んだのですが、石原吉郎に関心のない人にとっては、取っ付きにくい本かもしれません。
★ 小学校で教える冨田先生も、時間を削って紹介文を送ってくれました! ご自身のブログ(Tommy's Idea Room)や、本に関連するURLも書いてくださいましたので、併せてどうぞ。
1.『生きづらい明治社会』松沢裕作
今年度、4クラスの社会科を担当しているので、積極的に気になった歴史の関係の本は目を通すようにしています。僕の中で、幕末の志士の活躍ばかりに目がいって、明治政府やその政治に翻弄されていった市井の人の暮らしにまでは思い描くことができませんでしたが、この本で、その生き様や考え方、先行きの見えない不安感などに共感をすることができました。
変わりゆく時代を切り開いていった幕末・明治の英傑の活躍の裏で、それに振り落とされそうになりながらも、必死に生活をしていく人々の思いに触れることができる1冊です。
2.『ライフロング・キンダーガーテン』ミッチェル・レズニック、村井裕実子、阿部和広、酒匂寛(訳)
著者はプログラミングを視覚的に学べて遊べる「Scratch」の開発者。Scratchに込めた思いやそれを活用して運営するスクールでの子どの姿を通じて、クリエイティブに生きることへの意味を問いかけています。
学校の学習は、先生からの情報を視聴し、テストの問題を正しく回答し、子どもたちは学習という行為を消費することと錯覚してしまいがちです。そうではなくて、自分の思いを実現する側に立ち、どんな稚拙なものでもそれを誇りに持って、自分らしい学習を生産する立場へと進み出てほしいものです。本書の中では、それをよくできたオンラインゲームの比喩を使って表現されていますが、まさに、教師の操る糸で操作された問題解決的な授業は、よくできたオンラインゲームにどっぷりと浸かっている状態を連想させます。Scratchのように、子どもたちに創り出す喜びを与えるような学習を作り出していきたいですね。
http://tommyidearoom.com/2018/09/15/post-1480/
3.『宇宙兄弟』小山宙哉
親子で楽しんだ宇宙マンガです。宇宙が題材なのですが、そこかしこに描かれるのは、登場人物たちに化学反応。チームにどのように貢献するのか、チームにとって自分はどういう存在なのか、チームの意思決定にどうやって貢献するのか、宇宙という舞台の中で、魅力的な登場人物たちのダイナミクスがしっかり描かれています。
うちの子(小2の女の子)は、ときに笑い、ときに興奮しながら一気に最新刊まで読み込んでしまいました。夢は宇宙飛行士になると最近では申しております。子どもの生き方にも影響を与える1冊です。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)についても、大きく扱われているテーマの一つです。筆者の作品で世の中をもっと良くしていこうとする考えに、とても賛同できるシリーズでもあります。
https://landing-page.koyamachuya.com/serikafund/
4.『ブロックチェーン革命』野口悠起雄
1990年台後半、私が高校生の時、友達との帰り道のおしゃべりで、「パソコンって何ができるか知ってる?」と問いかけられて、何も知らなかった私は、「電話?」と答えたのを覚えています。その友達の答えは、「何でもできるんだよ!」でした。「それじゃあ、テレビも見られるの?」と答える私は、コンピューターを今ある既成のものと同じ枠組みで考えることしかできず、インターネットを通して、こんなにも新しいツールが開発されることなど思いもよらないことでした。
今、ブロックチェーンという技術が産み落とされ、それをどのように使ったらよいか、多くの研究者が試行錯誤しています。それは可能性に満ちた、私が高校生の時に知った「パソコン」や「インターネット」と同じ感覚を味わわせてくれます。今度、どのような社会になっていくのか、楽しみにしてくれる一冊です。
http://tommyidearoom.com/2018/03/22/post-1135/
5.『みえるとか みえないとか』ヨシタケシンスケ、伊藤亜紗
ヨシタケシンスケさんのかわいい絵も素晴らしいのですが、伊藤亜紗さんという目の見えない人がどのように感じて考えているかを研究されている方と一緒に作った本です。この本でのメッセージは、人それぞれが自分の文化をもち、それを大切に生きているということがよくわかります。
腕がたくさんある宇宙人が、腕が2本しかない私たち人間を心配して「かわいそう…」と嘆くシーンがあるのですが、私たちにとってそれは自然なことで、そんなに「かわいそう…」と嘆かれても現実感がありません。それと同じ構造が、私達が目の見えない方々に送っている視線としてあるのではないでしょうか。
ヨシタケシンスケさんの最近の本である、『それしかないわけないでしょう』も最高です。こういう本をぼんやり眺めて考えている子どもの姿が大好きです。
★ 最後は、おまけで私からも、2018年に読んで印象に残った4冊です。
1.『メリダとおそろしの森』アイリーン・トリンブル、しぶやまさこ訳
ディズニーの映画の小説版です。私の好きなTEDトークの一つ「映画が男の子に教えること」(コリン・ストークス)(このTEDトークは、日本語の字幕付きでも、英語の字幕付きでも、字幕なしでも、見れます)の中で、お薦め映画として紹介されていました。
この紹介を書きながら、私はこの本と同時に(もしかすると、この本よりも)このTEDトークをお薦めしたいことに気づきました。女の子、男の子、どちらの子どもにとっても住みやすい社会をつくるために、親が子ども向きの映画を選ぶときに、できることもわかります。このTEDトーク、上の本と併せて、ぜひどうぞ。https://www.ted.com/talks/colin_stokes_how_movies_teach_manhood
2.『人間関係が楽になるアドラーの教え』岩井俊憲
11月10日の「WW/RW便り」で触れた本です。私は、人との関わりにおいて、「勇気づけ」の反対の 「勇気くじき」(ダメ出しなどが、その典型)をしている実感はあったのですが、それを自分の中で言語化できたのが大きかったです。
まだまだですが、学習者や家族に声かけするときに「勇気くじき」をしないように、と、まず、思うようになりました。
3.『評伝 大村はま ことばを育て 人を育て』刈谷夏子
『イン・ザ・ミドル』著者、ナンシー・アトウェルと似ている点もある、と言われて、読みました。教えることに真摯に向きあう姿に、思わず 「背筋が伸びる」本です。
4.『風のマジム』原田マハ
原田マハさんの本は、2018年に初めて読みました。作家読みをすることの多い私ですが、原田マハさんの場合、あまりに本が多く、多岐に渡り、かつ、口当たりがよすぎる感もあり、2冊目以降、戸惑いました。図書館に行ったときに1~2冊、借りて帰るという感じで、今で20冊ぐらい読み、その中で一番好きだった本です。比較的現実とかけ離れていない感がありつつも、いい人がいっぱい出てくるので安心感もある、みたいな感じです。
では皆様、2019年もたくさんのいい本と、本を通してのいいつながりがありますように!
2018年12月28日金曜日
2018年12月21日金曜日
「考えること」としての「哲学対話」
「哲学対話」という言葉に出会ったのは、永井均著・内田かずひろ絵『子どものための哲学対話』(講談社、1997年)でした。とても面白かったので当時編修にタッチしていた中学校国語教科書に、そのなかの一節を教材として推薦して、しばらく掲載されていたことがあります。「言葉の意味は誰が決める?」という、猫の「ペネロペ」と「ぼく」との対話で進む文章でした。永井さんの軽妙な文体による、二人(一匹と一人?)のやりとりを読み進めながら、読み手のわたくしは「ぼく」とともにペネロペの問いに深く考え込んでいました。
永井さんの本は「読む「哲学対話」」と言っていいものでしたが、その「哲学対話」を実践している人の本を手にしました。梶谷真司『考えるとはどういうことか―0歳から100歳までの哲学入門―』(幻冬舎新書、2018年)です。もちろんわたくしは「哲学」をきちんと学んだことはありません。本でいくつかを読みかじっているだけです。「哲学」とは何かなどわかっていません。だから梶谷さんの次のような言葉に出会ってほっとしました。
私たちは、「問う」ことではじめて「考える」ことを開始する。思考は疑問によって動き出すのだ。だが、ただ頭の中でグルグル考えていても、ぼんやりした想念が浮かんでは消えるだけである。だから「語る」ことが必要になる。きちんと言葉にして語ることで、考えていることが明確になる。そしてさらに問い、考え、語る。これを繰り返すと、思考は哲学的になっていく。(32~33ページ)
ほっとしました、なんて言いましたが、実はこれはとてもきびしいことなのかもしれません。考えることは苦しい? そう思っているのなら。しかし「語る」ことで「考えていることが明確になる」のなら、苦しいことではないでしょう。むしろ楽しくなっていくのではないでしょうか。「もがく」ことは理解の種類の一つだと『理解するってどういうこと?』のなかで、エリンさんが言っていたことと同じです。
著者が「哲学対話」をするときにいつも掲げるルールとは次のようなものです。
①何を言ってもいい。
②人の言うことに対して否定的な態度をとらない。
③発言せず、ただ聞いているだけでもいい。
④お互いに問いかけるようにする。
⑤知識ではなく、自分の経験にそくして話す。
⑥話がまとまらなくてもいい。
⑦意見が変わってもいい。
⑧分からなくなってもいい。
一つひとつについては、梶谷さんの本に丁寧に述べられているので、そちらを読んでください。一つだけ、「対話」するために「聞くこと」がいかに重要かということについて。
「聞く」というのは、対話への立派な参加である。(中略)それどころか、聞いていることじたいが、対話にとって決定的に重要である。そらが対話を対話たらしめる。問い、考えたことは、聞いてもらえるからこそ語れる。だから人の話をじっと聞く、うなずく、あるいは首をかしげる、驚く、笑う。そんな反応のすべてが対話を動かしていく。だから「聞く」というのは、それじたいが参加なのである。(58ページ)
梶谷さんが掲げた八つのルールは、「対話」を進めようとするとき、「対話」によって思考を深めようとするときに、すべてが有効に働きます。「対話」するための条件をわかりやすい言葉にしたものと捉えてもいい。そしてまた、それらは「理解」するための条件でもあると考えることができるでしょう。梶谷さんは次のようなことも言っています。
世間の常識や他人の意向に合わせて話すことは、「他者に対して語る」ということとは、まったく違う。そもそも語ることは、明に暗に、つねに誰かに対して語ることである。つまり、語る相手=他者が存在する。これは、まったく当たり前のように思えるだろうが、相手を意識することは、それほど簡単なことではない。/ 実際、世の中には誰に向けたか分からない言葉が実に多い。とくに書かれた言葉は、目の前に相手がいないせいか、読み手を意識しない文章が巷にはびこっている。(148~149ページ)
「他者に対して語る」ことを意識しないから、「誰に向けたか分からない言葉」が蔓延するという指摘は鋭く厳しいものです。言葉の使う時に自分の頭のなかを省みずにはおられません。「他者に対して語る」からこそ、言葉も吟味するのですね。そして「子どもと対話する意義」を次のように考察しています。
また、子ども―とくに小学生以下―を相手に話す場合、自分が使う言葉についておのずと意識的になる。専門用語はもちろんのこと、大人が普段使っている言葉の大半が使えなくなるからだ。/ そのため自分が使おうとすることの意味をあらためて考え、自分が理解している(と思っている)ことを確かめなければいけない。それを子どもでも分かるようなやさしい表現で話さなければいけなくなる。そのさいたしかに厳密さは犠牲になるだろうが、言わんとすることの核心が何かは、むしろはっきりする。(159~160ページ)
本書はこんなふうに納得のいく主張で満たされています。「子どもでも分かるようなやさしい表現」で語り直してみると、自分が何を言いたかったかということが、自分自身に見えてくると教る一節です。それは、自分のことと相手のことを考えながら、言葉を愛おしむように使うことなのだと、梶谷さんの言葉を反芻しながら強く思いました。
2018年12月14日金曜日
カンファランスをうまくやるための10のヒント
カンファランスという方法は、これから間違いなく教え方の主流になります。★
生徒は、教師が言っていることは自分に対してなのかどうかわからないような授業が延々と続くと、本当に自分のことを大切な存在として見てくれているのか疑いたくなってしまいます。しかし、カンファランスではそのようなことはありません。教師は自分に対してのみ話してくれているのですから。それも、自分にとって最も必要な点を発見して、ピンポイントで。
そこで、今回はルース・エアーズさん★のカンファランスをする際の10のヒントを紹介します。
授業一般にも、そのまま役立つヒントだと思います。(かなりの部分、『言葉を選ぶ、授業が変わる!』の中で紹介されているアプローチと重なりますので、詳しく知りたい方は、そちらをお読みください。)
1.情熱的になる
情熱をもった人と一緒だと、自分もワクワクしてきます。情熱は伝染します。なので、自分が情熱をもっていたら、生徒たちも書くことに興奮します。
2.作家になる(作家のように話す)
作家たちは話し合えると、互いに花開きます。(同人誌がたくさん出されていたのは、そのためです!)いいカンファランスは、作家同士の間で行われます。あなたは審査員でも、批評家でも、優しい言葉を発する人でもありません。話している相手(生徒)よりも、少しだけ書くことについて知っている先輩の書き手です。
3.生徒のエネルギーのレベルにあわせる
毎日がエネルギーに溢れた書く日ではありません。波に乗れない時もあります。一方で、自分でも信じられないぐらいに書ける日もあります。なので、生徒のエネルギーを測って、それに合わせる形で話してあげてください。
4.成長し続ける書き手と話していることを忘れない
生徒に完璧な文章や作品を求めることはできません。成長しつつある書き手が間違いをするのは避けられません。大切なことはいい文章ではなくて、成長し続けることだということを忘れないでください。
5.あとで戻ってチェックする
カンファランスでは、生徒にどうしたらよりよい書き手になれるかの提案をします。それを実際にどう活かしたのか必ず確認してください。(カンファランスは、教師が教えて満足するためにするのではありません!)カンファランスを踏まえて、よりよい書き手にまだなっていなければ、さらなる成長のチャンスを提供できることを意味します。
6.本当に知りたい質問をする
あなたがすでに答えを知っている質問をするのは、両者にとってよくありません。誘導する質問は、生徒もわかってしまいます。もし何かを試してほしいなら、質問するのではなくて、具体的に伝えてください。質問は、本当に知りたいことだけにしてください。(ということは、教師も学び続けられるアプローチだということです!!)
7.ほとんどできていることに注目する
生徒が書き手としてしていないことすべてに注目するのではなく、ほとんどできそうなことに焦点を絞ります。それこそが、成長を促す最善の方法だからです。弱みをいくら指摘されても、成長に転換できる人はあまりいません。でも、ほとんどできていることや強みは、成長に結びつけることは容易です。★★
8.作品よりも書き手を大事にする★★★
書くことは、極めて個人的な営みです。ですから、生徒があなたのアドバイスを受け入れたくない時もあります。教師であるあなたがどれだけ生徒の作品に入れ込んで、手を入れたところで関係ありません。書き手である生徒本人がどうしたいのかが、すべてですから。従って、作品を直すことにエネルギーを注ぐのではなく、書き手に教えることに焦点を当ててください。
9.目的(作者の意図)こそが大切
私がどんなところを教えようとか探している時に、何よりも大切にしているのは生徒がその作品を通して何を言いたいのかということです。別な言葉で言えば、作品の目的(ないし作者の意図)を強めることです。まだ下書き段階なのに、言語事項で気になったところを直す努力をしても、まったく意味がありません。
10. 祝う
難しいことに挑戦するのはいい気分がし、書くことはとても挑戦しがいのあることです。そんなことに生徒たちはみな挑戦しているのですから、カンファランスの最中に祝ってあげてください。「カンファランスの前よりも後の方が、生徒たちは元気にならなければならない」と言ったのはドナルド・マレーです(彼のことは、本ブログで度々紹介してきました。ブログの左上に彼の名前を入れて検索してください)。祝ってあげると、書き手のエネルギーが上昇します。書き手である生徒がしているいいことを具体的に指摘してあげるだけでいいのです。
以上の10のヒントの中で、『ライティング・ワークショップ』と『作家の時間』ですでに紹介されていないのはどれでしょうか?
★ エアーズさんは、中学校の国語教師を務めた後、現在はインディアナ州のWawasee教育委員会で書き方の教え方のコーチ(日本でいえば指導主事ですが、することはかなり違います。要するには、教師がライティング・ワークショップの授業を教室でしているような感じで、先生たちのサポートをします!)をフルタイムでしています。
指導主事たちが、カンファランスができるようになると、研修や学校訪問が、教師にとっては(指導主事にとっても)時間の無駄ではなく、ありがたいものに転換します。カンファランスないしコーチングだと、それをする側もよく学べますから。ということは、いまの授業や研修は学びが少なすぎるという大きな問題を抱えているわけです。単に習慣でしているだけで。(習慣に流される必要はありません。他により効果的な方法があるのですから!)
★★ 一斉授業の効率が悪い理由の一つは、これにあります。一斉授業で、一人ひとりの生徒の「ほとんどできそう」を把握することは至難の業ですから。あなたは、そのためにどのような手を尽くしていますか? その方法に興味のある方は、『一人ひとりをいかす評価』をご覧ください。
もう一点、情報を加えると、この「ほとんどできそう」は専門用語で「発達の最近接領域(ZPD)」と言います。わかりやすく言うと、「今日、誰かの助けでできたことは、明日は自分一人でできる」ということです。すでにできていることや簡単すぎたら、助けは必要ありませんし、まったくできていなかったり難しすぎたりしたら、助けがあってもできるまでは相当の努力が必要です。来年は、このZPDに関係した本を何冊か出します。『オープンニンマインド 〜 子どもの心をひらく授業』(1月発売)、春以降には『成績をハックする』の続編の『宿題をハックする』や、『選んで学ぶ~学ぶ内容・方法が選べる授業(仮題)』『親と教師のためのマインドセット入門(仮題)』などです。
それほど大切なものなのですが、日本では残念ながらほとんど知られていませんし、それが活用されていません。(一斉授業が授業の中心である限りは、難しいと言えます。ZPDは一人ひとり違うので、一斉授業はそれを無視した教え方なのです。それが、よく学べない理由です。)
★★★ これは、作家の時間(ライティング・ワークショップ)がはじまった時からの大事な原則です。「作品に対して教えているのではなくて、書き手に対して教えている」のですから。でも、日本では依然として主流であり続けている添削は、逆さまであり続けています。書き手はどこかに飛んでしまって、教師は作品とのみ格闘しています。それが、書くことが好きになれず、書く力もつかない原因になっています。(教師を忙しくしているだけ、というオマケ付きで。)
2018年12月7日金曜日
公正で、民主的な教室と社会のつくり方
『民主主義は、二匹のオオカミと一匹の羊が今晩の夕食は何かを投票するようなもの』といいますが、そういうものではないようにしなければなりません。
民主主義は投票さえ行えば十分というわけではないのです。何度投票しても羊は間違
いなくオオカミに食べられてしまうのですから。
この引用は、『言葉を選ぶ、授業が変わる!』の190ページからです。上の引用で思い出してしまうのは、過去何年にもわたって100匹のオオカミが一匹の羊である沖縄を今の状況に置き続けていることですし、今国会で最大のポイントになっている外国人労働者の受け入れという名の「輸入」問題など、いろいろ思いつくものがあります。私たち日本人(特に、議員?)は民主主義を誤解しています。
民主主義は、すでに手に入れたものでも、達成が約束されたものでもない。それは常につくり続けられるものである。それはある種の可能性であって、倫理的・創造的な可能性として捉えた方がいい。民主主義とは、人々が互いに世話や心配をしあったり、互いにやり取りしあったりする方法と確実に関係するものである。「選択すること」や「他の手段があること」とも関係し、「ものごとを別の視点から見ることができる力」とも関係する。
民主的な社会の市民は、自らの反応に強い信念と思い入れをもちながらも、異なる視点に対して広い心をもち続けるものである。最終的には「個人の多様性」と「コミュニティーのニーズ」の両方に配慮して意味づけをしたり、行動の折り合いをつけたりできる人たちが民主的な市民といえる。権威に盲目的に従ってしまう傾向を乗り越えるためには、私たちは周りの世界で起こっていることを解釈し、自ら判断する力に自信をもてるようになる必要がある。
以上の2つの引用は、同じく169ぺージからの引用です。2週間前にPLC便り
(http://projectbetterschool.blogspot.com/2018/11/blog-post_23.html)で文部省著作教科書『民主主義』が紹介されましたが、比較して読んでみといいと思います(以下に、文科省がズレているかが分かると思います! というか、いかに上から目線であり続けているかが分かると思います。)
(http://projectbetterschool.blogspot.com/2018/11/blog-post_23.html)で文部省著作教科書『民主主義』が紹介されましたが、比較して読んでみといいと思います(以下に、文科省がズレているかが分かると思います! というか、いかに上から目線であり続けているかが分かると思います。)
『言葉を選ぶ、授業が変わる!』の第7章は「民主的な学びのコミュニティーをつくり続けるために」のタイトルの基、多様な考え方や言葉かけの例が紹介されています。教室が(それとも、家庭が??)、平和で、公正で、民主的な社会/コミュニティーづくりのベースになります。しかし、これはいったいどこで扱うのでしょうか? 社会科だけでいいのでしょうか? それでは、三権分立や選挙権程度で終わってしまいませんか? 特別活動でしょうか? 道徳でしょうか? (それとも、国語、算数・数学、理科、体育、家庭科・・・・でしょうか?)
・私はこれまで、大人が自分たちの知性をコントロールできない会議の場になんども遭遇しています。こうしたスキルは学力テストや入試には出ませんが、社会的・実務的にとても重要であることは間違いありません。(同上、188ページ)
← 知識をどれだけもっているかよりも、会議をどう機能させられるかの方が、社会人になるとはるかに大きなウェートを占めていると感じた人は少なくないと思います。私の場合は、それが高じて『会議の技法』という本まで書いてしまいました。
・民主的に生きるということは、社会的に問題を解決するということです。教育は、学習者の問題解決能力を高めることだとすら定義できます。(中略)問題解決のほとんどは個人的なものよりも社会的だからです。(中略)問題解決が個人レベルでより達成できるようなるには、共同の問題解決から学んだり、それを内面化したりする能力が求められるからです。この能力はまさに個人が「社会」を使うための能力です。これによって個人の問題解決能力は飛躍します。しかも、その能力は、飛躍した一人ひとりの集団的な能力でもあるのです。このような能力によって、教育は発展していきます。(同上、188~9ページ)
← ウーン、民主主義は問題解決(目標設定や修正とも!)と深く結びついている。『マルチ能力が育む子どもの生きる力』の中で、ガードナーも「教育を、問題解決能力を身につけること」と定義し、それを8つもの異なるルートでできることを示してくれていました。また、近々刊行される『教科書では学べない数学的思考――「ウ~ン!」と「アハ!」から学ぶ(仮題)』で著者たちは、数学的思考はまさに世の中の問題解決すべてに使える重宝なものと位置づけて、その身につけ方を教えてくれています。(私は大学まで、13年間、算数・数学を勉強し続けましたが、残念ながらこれっぽちの数学的思考=問題解決能力も身につきませんでした!)その原因は、私たちが慣れ親しんでいる「正解あてっこゲーム」にあります。正解あてっこゲームから人が学んでいることは、「僕は算数・数学が嫌い(得意)だ」や「算数・数学が自分の人生で役立つことは(ほんど)ない!」ではないでしょうか? そこには、民主的に物事を解決するベースとなる「問題発見と解決」の練習が丸ごと抜け落ちています。
・クラスで言い争いが起きた時に、双方に「どう感じているか」「なぜそう感じるのか」を尋ねてみましょう。これは子どもに対して、「相手の立場を想像して、その行動が自分自身にもたらした結果や他者にもたらした結果への責任をもつことが大切だ」と主張することにほかなりません。繰り返しになりますが、これが主体性のある民主的な生活の中心部分なのです。しかも子どもの社会的な想像力を養うものなのです。(同上、174ページ)
← これは、まさに日々のクラスの中で起こり得ることです。「社会的な想像力」については、この本の続編として来月刊行予定の『オープンニンマインド 〜 子どもの心をひらく授業』でさらに詳しく扱われています。(「共感」も大切です。これについても『オープニングマインド』で扱われていますし、『理解するってどういうこと?』のテーマの一つでもあります。)
・読み聞かせの最中に「いま何を考えていますか? 考えていることを隣の人と話し合ってください」と指示を出すと、子どもの注意を「思考のプロセス」に向けることができます。自分が何をどうやって認識しているのか(メタ認知)に気づきやすくしたり、それを仲間と共有する能力を発達したりできるのです。その結果ますます思考の仕方がうまくなります。
同時に「意味をうみ出す」ことは、「正解を手に入れる」ことと同じではないと理解できるようになるでしょう。なぜなら、「人が違えば異なった感覚をもつ」ことを子どもはすぐに学んでしまうからです。それがたとえ結果として同じ感覚だったとしてもです。加えて、そのような個人内での会話(=自問自答)ができるようになればなるほど、相手のことがより分かるようになります。(同上、182ページ)
← 読み聞かせという極めて効果的な方法には、日本で広く知られているかなり限定された方法をはるかに越えて、多様なアプローチがあります。ここで紹介されているのは「対話読み聞かせ」です。(詳しくは、『読み聞かせは魔法!』で紹介されています!)
そして、「考えていることを隣の人と話し合う(turn and talk)」というパワフルな方法については、上述の『オープンニンマインド 〜 子どもの心をひらく授業』で詳しく触れられています。
「隣の人と話し合う」を少しだけ紹介すると、「聴くことこそが話し合いのベースです。ゆえに私たちは、自分の考えを変えることにオープンである必要があります。隣の人と話し合う(turn-and-talk)という方法は、単に自分の言いたいことを言い、相手にも同じことをさせるためにするものではありません。私たちがパートナーの言うことを聴くとき、実際にはそれ以上のことをしています。私たちの身体を通してパートナーに反応することで、パートナーがありのままの自分でいられるようにしているのです。もし、二人の間にしっかり反応するという関係がなかったなら、他者によって影響されることに対するオープンさもありませんし、信頼関係も存在していないことになります」。(ページ数未定)
平和で、公正で、民主的な教室=組織=社会づくりの参考にしていただくべく紹介している本が『言葉を選ぶ、授業が変わる!』と『オープンニンマインド 〜 子どもの心をひらく授業』ですので、活用してください。
また、子ども同士の話し方、読み聞かせの仕方、教師の質問の仕方、授業の力点のおき方など、教師は常に多様な選択肢をもっています。それを活かさないと、そもそも教師になった目的は達成されないでしょう。(教科書や教師の都合ではなく)ぜひ、より子どもたちにあった選択肢を探し続け、そして提供してあげてください。
2018年12月1日土曜日
譲り渡し ⇒ いったい何を譲り渡すの? そしてどのように?
ライティング/リーディング・ワークショップは、子どもたちを読み手・書き手に育てるだけでなく、教師の成長がセットになっている教え方だ、とずっと感じてきました。
ライティング/リーディング・ワークショップの優れた実践者ナンシー・アトウェルの『イン・ザ・ミドル』の中でたびたび登場する「譲り渡し」という概念を読んだときに、「教師の成長がセットになっている教え方」であることをうまく言語化している、と思いました。
教師が、読み手・書き手として生徒の成長に役立つことを、生徒に「譲り渡す」。これを意識すると、「何を譲り渡しているの?」と、自分に問わざるを得ません。ですから、「譲り渡し」を意識するとき、私は、ほぼ自動的に振り返り、「こんな、嘘っぽいこと、実際に読み書きをするときに行っていないこと・役立たないことは譲り渡したくないなあ」と思ったり、もっと自分も学ばなくては、と思わされたりします。
アトウェルは、ジェローム・ブルーナーの本の中で「譲り渡し」という言葉に出合い、それは、自分の在り方の基本姿勢で、「ワークショップでの私は、経験豊かな書き手・読み手です。どうすればいいかを生徒に示し、役立つ助言を与え、自分がしっかり理解した上で生徒に伝えています」(『イン・ザ・ミドル』三省堂、2018年、36ページ)と記しています。(以下の引用も、いずれも『イン・ザ・ミドル』からです。)
私は単純に、まず自分が「何を譲り渡せるのか」が気になります。
しかし、アトウェルはもっと広い視点でこの概念を見てるのもよくわかります。というのは、アトウェルにとっては、これは教師の役割や生徒との関わり方の指針になっているからです。
『イン・ザ・ミドル』で、アトウェルは以前の自分の教えかたについて批判的に言及する箇所も、少なからずあります。それはライティング・ワークショップに初めて出合ったときに、夢中になり、「この教え方ではこうすべきだ」とか「こういうことはしてはいけない」という法則にとらわれてしまったこともあるからです(33~34ページ)。
アトウェルは自分の子ども アンが5歳のときに、靴ひもを結びたいと言ったのでその結び方を教えたときの経験、そして、その後、食卓の準備等、いろいろなことをアンに教えたときのことを次のように振り返っています。
「大人も子どもも課題に集中しています。アンを教えた時には、アンは私をじっと見ていました。私もアンをよく観察して、教え、彼女がやってみるようにし、話もし、必要だと思えば手も貸しました。やがて、アンが私を必要としなくなるまで」(35ページ)
そして、このような自分の子どもへの「譲り渡し」を教室に応用し、次のように語ります。「教室でこれと同じことが起きる時、教師は大人の役割を受け持ちます。何かを上手にできて、よく知っている大人。教師はその立場で、子どもが新しい課題に取り組むのを、取り組みやすく、効率的で、意義深いものにするのです。子どもが自分ひとりでできるようになることが目標ですから、その段階になったと思えば、大人は手を引きます。ここには『こうすべき教え方』も『してはいけないこと』もありません。あるのは、達成したいという子どもの思いと、大人のかかわり。ここにあるのは、生きた人間同士の繋がりを感じる関係であり、私がライティング・ワークショップを始めた頃の『ファシリテーターはこうあるべきだ』という、法則にのっとった関わり方とはまったくの別物です」(35~36ページ)
「譲り渡し」は、アトウェルにとってバランスの模索へとつながります。「聞き手である私と語り手である私のバランス。観察する私と働きかける私のバランス。協力する人、批評する人、そして、いつも生徒を応援する人としてのバランス。それが固定化せず、最適なものになるように、日々模索しています」(36~37ページ)
*****
アトウェルは3つの知識を活用して、ライティング/リーディング・ワークショップで譲り渡しを行っています。その3つは、教師が持っている①読むこと、書くことについての知識、②教えている生徒がどういう年代かという発達段階についての知識、③一人ひとりの生徒についての知識です。(36ページ)
しかし! アトウェルの初期の出版物を見ているかぎり、アトウェルは詩について、大好きで知識も豊富であったにも関わらず、その教え方について、どうすべきか迷っていた時期もあります。優れた実践者といえども、譲り渡し方を悩むことがあることもわかります。このあたりのことは、また日を改めてWW/RW便りで記したいと思います。
ライティング/リーディング・ワークショップの優れた実践者ナンシー・アトウェルの『イン・ザ・ミドル』の中でたびたび登場する「譲り渡し」という概念を読んだときに、「教師の成長がセットになっている教え方」であることをうまく言語化している、と思いました。
教師が、読み手・書き手として生徒の成長に役立つことを、生徒に「譲り渡す」。これを意識すると、「何を譲り渡しているの?」と、自分に問わざるを得ません。ですから、「譲り渡し」を意識するとき、私は、ほぼ自動的に振り返り、「こんな、嘘っぽいこと、実際に読み書きをするときに行っていないこと・役立たないことは譲り渡したくないなあ」と思ったり、もっと自分も学ばなくては、と思わされたりします。
アトウェルは、ジェローム・ブルーナーの本の中で「譲り渡し」という言葉に出合い、それは、自分の在り方の基本姿勢で、「ワークショップでの私は、経験豊かな書き手・読み手です。どうすればいいかを生徒に示し、役立つ助言を与え、自分がしっかり理解した上で生徒に伝えています」(『イン・ザ・ミドル』三省堂、2018年、36ページ)と記しています。(以下の引用も、いずれも『イン・ザ・ミドル』からです。)
私は単純に、まず自分が「何を譲り渡せるのか」が気になります。
しかし、アトウェルはもっと広い視点でこの概念を見てるのもよくわかります。というのは、アトウェルにとっては、これは教師の役割や生徒との関わり方の指針になっているからです。
『イン・ザ・ミドル』で、アトウェルは以前の自分の教えかたについて批判的に言及する箇所も、少なからずあります。それはライティング・ワークショップに初めて出合ったときに、夢中になり、「この教え方ではこうすべきだ」とか「こういうことはしてはいけない」という法則にとらわれてしまったこともあるからです(33~34ページ)。
アトウェルは自分の子ども アンが5歳のときに、靴ひもを結びたいと言ったのでその結び方を教えたときの経験、そして、その後、食卓の準備等、いろいろなことをアンに教えたときのことを次のように振り返っています。
「大人も子どもも課題に集中しています。アンを教えた時には、アンは私をじっと見ていました。私もアンをよく観察して、教え、彼女がやってみるようにし、話もし、必要だと思えば手も貸しました。やがて、アンが私を必要としなくなるまで」(35ページ)
そして、このような自分の子どもへの「譲り渡し」を教室に応用し、次のように語ります。「教室でこれと同じことが起きる時、教師は大人の役割を受け持ちます。何かを上手にできて、よく知っている大人。教師はその立場で、子どもが新しい課題に取り組むのを、取り組みやすく、効率的で、意義深いものにするのです。子どもが自分ひとりでできるようになることが目標ですから、その段階になったと思えば、大人は手を引きます。ここには『こうすべき教え方』も『してはいけないこと』もありません。あるのは、達成したいという子どもの思いと、大人のかかわり。ここにあるのは、生きた人間同士の繋がりを感じる関係であり、私がライティング・ワークショップを始めた頃の『ファシリテーターはこうあるべきだ』という、法則にのっとった関わり方とはまったくの別物です」(35~36ページ)
「譲り渡し」は、アトウェルにとってバランスの模索へとつながります。「聞き手である私と語り手である私のバランス。観察する私と働きかける私のバランス。協力する人、批評する人、そして、いつも生徒を応援する人としてのバランス。それが固定化せず、最適なものになるように、日々模索しています」(36~37ページ)
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アトウェルは3つの知識を活用して、ライティング/リーディング・ワークショップで譲り渡しを行っています。その3つは、教師が持っている①読むこと、書くことについての知識、②教えている生徒がどういう年代かという発達段階についての知識、③一人ひとりの生徒についての知識です。(36ページ)
しかし! アトウェルの初期の出版物を見ているかぎり、アトウェルは詩について、大好きで知識も豊富であったにも関わらず、その教え方について、どうすべきか迷っていた時期もあります。優れた実践者といえども、譲り渡し方を悩むことがあることもわかります。このあたりのことは、また日を改めてWW/RW便りで記したいと思います。
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