2018年12月28日金曜日

「5冊選ぶつもりが、8冊になってしまいました」

 「2018年に読んで印象に残った本4~5冊の書名とその本の簡単な紹介をお願いします」と、4名の方に依頼しました。皆さんメールで書名と紹介文を送ってくださったのですが、その中の都丸先生からの1行目に書かれていたのが、「5冊選ぶつもりが、8冊になってしまいました」。

 いいなあ、この1行! と思いました。都丸先生は小学校で教えていますが、こういう先生の教室で、紹介したい本がたくさんある子どもたちが育つのだろうと思います。

 では、以下、4名(プラス最後に私も4冊の紹介を書いたので合計5名)からの、「2018年に読んで印象に残った本」です。短い冬休みですが、読んでみたい本を考えるときの一助にどうぞ。(なお、書名は青字になっています。)

★ 最初に送ってくださったのはブッククラブが大好きで、英語を教えている長崎先生。以前、指導主事をされていた経験も活かして時々「PLC便り」も書かれています。(PLC便りのURLは http://projectbetterschool.blogspot.com/で長崎先生は「msnaga」で投稿されています。)

1.ポール・ロックハート(2016)『算数・数学はアートだ!:ワクワクする問題を子どもたちに』新評論.

 数学は大の苦手でした。なので、この本は買った後、かなり長い期間本棚で眠っていました。興味はあったのです。あの大嫌いだった数学が「アート」だという!一体、なんでだろうと。こんな本を書いたヤツは、どうせ難解な問題を悦にいって解こうとしている変人ロマンチストなのだろうと。ある日、別の本を取ろうしていて、この本が視界に入り、開いてしまったのです。あっという間に読了。読後感、「ずっと、喉の奥に刺さっていた魚の骨が取れた感じ。」ありがとう、ポール! 私の学びに関する考え方が、ワンランク洗練された気がします。

2.吉田右子(2010)『デンマークのにぎやかな公共図書館-平等・共有・セルフヘルプを実現する場所』新評論

 図書館学の研究者である作者が、デンマークの図書館に長期滞在し、公共図書館の果たす役割をじっくりとリポートした一冊です。北欧の人々は、その気候から家に閉じこもらざるを得ず、読書家が多いとよく言われます。一つの要因には違いありませんが、教育も福祉であるといった社会づくりの考え方が根底にあるように思えます。昨年、我が国では大学生の読書時間ゼロの割合が50%を超えました。高校までに読書習慣が身についていないことと関係があるのではないかと言われています。本を読むこと、そして、読むことの生活の中での位置付けについて、改めて考えさせられる一冊です。

3.山極寿一(2014)『「サル化」する人間社会』集英社インターナショナル

 タイトルは「サル」ですが、本書はゴリラ研究の本です。研究者が、ゴリラ社会に入り込み、受け入れられ、交流をしていく姿が、実に興味深く描かれています。サルとゴリラとの最大の違いは、サルは人間の気持ちを忖度しないことだそうです。そして、それは知能の違いではなく、社会性の違いであると筆者は述べています。人間社会がサル化するとはどういうことなのか、作者の興味深い考察は、我々人間社会の在り方に様々な示唆を与えてくれます。

★ 次は「5冊選ぶつもりが8冊になってしまったという都丸先生、小学校で教える、本大好き!な先生からの8冊です。

1.『キラキラ共和国』小川糸

 初めて読んだ小川糸さんの本は『ツバキ文具店』でした。その続編にあたる本です。人と人とのつながりをとても温かく描いています。家族の物語。
 2018年は小川糸さんの書く文章が気に入ったため『食堂かたつむり』『にじいろガーデン』などの小説のほかに、エッセーも何冊か読みました。
 
2.『バッタを倒しにアフリカへ』前野ウルド浩太郎

 ブッククラブで読んだ本です。普段はあまり読まないジャンルかもしれません。バッタの研究に人生をかけた昆虫学者の手記。著者の文章に引き込まれ、あっという間に読み終えてしまいました。バッタの研究を続けるために数々の困難に見舞われますがどんな状況でも決して悲観的にならない著者の生き方に共感します。「夢を持つと、喜びや楽しみが増えて、気分よく努力ができる。」
 この本を読んだ後、昆虫つながりで『昆虫はすごい』(丸山宗利)も読みました。こちらもとてもおもしろかったです。

3.The Lost Lake(Allen Say著)

 父と息子の夏休み。「こんな時間を親子で過ごせたら…」と思えるすてきな絵本。この親子は大自然の中で何を感じたのか、何を考えながら歩いているのか、想像が膨らみます。息子が小学校1年生のときに、野辺山高原を歩いた男の二人旅を思い出しました。
  
4。『なんだかうれしい』谷川俊太郎

 日常生活の中の「なんだかうれしい」を集めた本。とてもうれしい」ではなく、なんとなくうれしい。理由はよくわからないけれど、ちょっぴりうれしい。そんな「うれしい」をたくさん見つければ見つけるほど、人生は楽しくなるのだと思いました。

5.『家守綺譚』梨木香歩
 
 幻想的な本の世界を堪能しました。著者は花鳥風月を本当に魅力的に描く作家だと思います。「ずっとこの作品世界を味わっていたい。終わって欲しくない。」と思うほどに好きな本になりました。冬休みにこの本の続編『冬虫夏草』を読むのが楽しみです。
 
6. 『アウシュヴィッツの図書係』アントニオ・G・イトゥルベ 小原京子訳

 一冊の本が、人々にとってどれほど大切なものか、絶望の淵に立たされた人々にどれほどの希望をもたらしたことか、そんなことを考えずにはいられない作品でした。

7.『羊と鋼の森』宮下奈都

 「調律の技術を言葉に換える作業は、流れていってしまう音楽をつなぎとめておくことだ」
 読み終えた後、無性にピアノを弾きたくなりました。そして、実際に弾いてみました。とてもさわやかな気持ちになりました。これから仕事に就く人に強くすすめたい本です。

8.『やり抜く力 ー人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける』アンジェラ・ダックワース著 神崎朗子訳

 学校教育、子育て、子どものスポーツ指導に関わるすべての人にすすめたい本です。
 一つのたいせつな目標に向かって努力を続ける力「グリット」を身につけるには?
 どんな親が子どもの「やる気」を伸ばすのか?
 どんな練習が子どもたちの能力を伸ばすのか?
 どんな褒め方が子どもたちの「やり抜く力」を伸ばすのか?
 これらの問いついて考えるきっかけを与えてくれた本でした。

★ 次は中高で英語を教える吉沢先生からの5冊。英語の授業でWWを実践しつつ、特にカンファランスに取り組み中。

1.カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)『わたしを離さないで』早川書房, 2008

 ふだん小説を読むことは控えているのですが、知人に薦められたのと、このタイトルに惹かれて読みました。最初は、事細かな心理描写につきあうのがしんどかったのですが、タイトルの意味するところは何なのかという疑問を持ちながら、次第に物語の世界にはまってしまいました。

2.マーク・ピーターセン『日本人の英語はなぜ間違うのか』集英社インターナショナル、2014

 中学校の英語の検定教科書が素材にあがっています。学習指導要領の制約の中で、四苦八苦して作った教科書の本文が、不自然な英語を生み出す結果になっていることがわかりました。それを覚えさせられる生徒は可哀想です。著者は、間違いや不自然さを指摘するだけでなく、私ならこう書くというモデルを示してくれています。それがとても役に立ちます。

3.宇佐美 寛『国語教育を救え』さくら社, 2018

 この著者の本は教員になりたての頃から、折にふれ読んできています。日本の教育、特に言語教育のあり方を批判しつづけてきた教育哲学者です。
 「手書きが読み書きの力に資する。」「授業は読み書きを好きにするような質のものでなければならない。授業によって大量に読み書きする意欲が増大しなければならない。」全くその通りだと思います。

4.石戸 諭『リスクと生きる、死者と生きる』亜紀書房, 2017

 著者は言います。「『被災地』は存在しない。『被災者』も存在しない。土地と、人が存在するだけだ。」と。「震災や原発事故を自分のこととして捉え、考えている人たちの声に近づき、彼らの揺らぎに接近することである。声を聞くこと。それもどこまでも個的に語られる彼らの言葉を聞くことで浮かび上がってくるものに、可能な限り接近したいと思った。」胸にしみる本でした。

5.細見和之『石原吉郎ーシベリア抑留詩人の生と詩』中央公論新社, 2015

 学生の頃、日本の現代詩を集中的に読んでいました。その中でも特に好きだった詩人の一人が石原吉郎。第二次大戦後、シベリアに抑留され何年もの重労働を経験したことが、石原吉郎の詩作品にどのような影を落としているのか。それを丹念に解きほぐしていっています。その分析は実に緻密なので、私は夢中になって読んだのですが、石原吉郎に関心のない人にとっては、取っ付きにくい本かもしれません。


★ 小学校で教える冨田先生も、時間を削って紹介文を送ってくれました! ご自身のブログ(Tommy's Idea Room)や、本に関連するURLも書いてくださいましたので、併せてどうぞ。

1.『生きづらい明治社会』松沢裕作

 今年度、4クラスの社会科を担当しているので、積極的に気になった歴史の関係の本は目を通すようにしています。僕の中で、幕末の志士の活躍ばかりに目がいって、明治政府やその政治に翻弄されていった市井の人の暮らしにまでは思い描くことができませんでしたが、この本で、その生き様や考え方、先行きの見えない不安感などに共感をすることができました。
 変わりゆく時代を切り開いていった幕末・明治の英傑の活躍の裏で、それに振り落とされそうになりながらも、必死に生活をしていく人々の思いに触れることができる1冊です。

2.『ライフロング・キンダーガーテン』ミッチェル・レズニック、村井裕実子、阿部和広、酒匂寛(訳)

 著者はプログラミングを視覚的に学べて遊べる「Scratch」の開発者。Scratchに込めた思いやそれを活用して運営するスクールでの子どの姿を通じて、クリエイティブに生きることへの意味を問いかけています。
 学校の学習は、先生からの情報を視聴し、テストの問題を正しく回答し、子どもたちは学習という行為を消費することと錯覚してしまいがちです。そうではなくて、自分の思いを実現する側に立ち、どんな稚拙なものでもそれを誇りに持って、自分らしい学習を生産する立場へと進み出てほしいものです。本書の中では、それをよくできたオンラインゲームの比喩を使って表現されていますが、まさに、教師の操る糸で操作された問題解決的な授業は、よくできたオンラインゲームにどっぷりと浸かっている状態を連想させます。Scratchのように、子どもたちに創り出す喜びを与えるような学習を作り出していきたいですね。
http://tommyidearoom.com/2018/09/15/post-1480/

3.『宇宙兄弟』小山宙哉

 親子で楽しんだ宇宙マンガです。宇宙が題材なのですが、そこかしこに描かれるのは、登場人物たちに化学反応。チームにどのように貢献するのか、チームにとって自分はどういう存在なのか、チームの意思決定にどうやって貢献するのか、宇宙という舞台の中で、魅力的な登場人物たちのダイナミクスがしっかり描かれています。
 うちの子(小2の女の子)は、ときに笑い、ときに興奮しながら一気に最新刊まで読み込んでしまいました。夢は宇宙飛行士になると最近では申しております。子どもの生き方にも影響を与える1冊です。
 ALS(筋萎縮性側索硬化症)についても、大きく扱われているテーマの一つです。筆者の作品で世の中をもっと良くしていこうとする考えに、とても賛同できるシリーズでもあります。
https://landing-page.koyamachuya.com/serikafund/

4.『ブロックチェーン革命』野口悠起雄

 1990年台後半、私が高校生の時、友達との帰り道のおしゃべりで、「パソコンって何ができるか知ってる?」と問いかけられて、何も知らなかった私は、「電話?」と答えたのを覚えています。その友達の答えは、「何でもできるんだよ!」でした。「それじゃあ、テレビも見られるの?」と答える私は、コンピューターを今ある既成のものと同じ枠組みで考えることしかできず、インターネットを通して、こんなにも新しいツールが開発されることなど思いもよらないことでした。

 今、ブロックチェーンという技術が産み落とされ、それをどのように使ったらよいか、多くの研究者が試行錯誤しています。それは可能性に満ちた、私が高校生の時に知った「パソコン」や「インターネット」と同じ感覚を味わわせてくれます。今度、どのような社会になっていくのか、楽しみにしてくれる一冊です。
http://tommyidearoom.com/2018/03/22/post-1135/

5.『みえるとか みえないとか』ヨシタケシンスケ、伊藤亜紗

 ヨシタケシンスケさんのかわいい絵も素晴らしいのですが、伊藤亜紗さんという目の見えない人がどのように感じて考えているかを研究されている方と一緒に作った本です。この本でのメッセージは、人それぞれが自分の文化をもち、それを大切に生きているということがよくわかります。
 腕がたくさんある宇宙人が、腕が2本しかない私たち人間を心配して「かわいそう…」と嘆くシーンがあるのですが、私たちにとってそれは自然なことで、そんなに「かわいそう…」と嘆かれても現実感がありません。それと同じ構造が、私達が目の見えない方々に送っている視線としてあるのではないでしょうか。
 ヨシタケシンスケさんの最近の本である、『それしかないわけないでしょう』も最高です。こういう本をぼんやり眺めて考えている子どもの姿が大好きです。


★ 最後は、おまけで私からも、2018年に読んで印象に残った4冊です。

1.『メリダとおそろしの森』アイリーン・トリンブル、しぶやまさこ訳

 ディズニーの映画の小説版です。私の好きなTEDトークの一つ「映画が男の子に教えること」(コリン・ストークス)(このTEDトークは、日本語の字幕付きでも、英語の字幕付きでも、字幕なしでも、見れます)の中で、お薦め映画として紹介されていました。
 この紹介を書きながら、私はこの本と同時に(もしかすると、この本よりも)このTEDトークをお薦めしたいことに気づきました。女の子、男の子、どちらの子どもにとっても住みやすい社会をつくるために、親が子ども向きの映画を選ぶときに、できることもわかります。このTEDトーク、上の本と併せて、ぜひどうぞ。https://www.ted.com/talks/colin_stokes_how_movies_teach_manhood

2.『人間関係が楽になるアドラーの教え』岩井俊憲

 11月10日の「WW/RW便り」で触れた本です。私は、人との関わりにおいて、「勇気づけ」の反対の 「勇気くじき」(ダメ出しなどが、その典型)をしている実感はあったのですが、それを自分の中で言語化できたのが大きかったです。
 まだまだですが、学習者や家族に声かけするときに「勇気くじき」をしないように、と、まず、思うようになりました。

3.『評伝 大村はま ことばを育て 人を育て』刈谷夏子

 『イン・ザ・ミドル』著者、ナンシー・アトウェルと似ている点もある、と言われて、読みました。教えることに真摯に向きあう姿に、思わず 「背筋が伸びる」本です。

4.『風のマジム』原田マハ 

 原田マハさんの本は、2018年に初めて読みました。作家読みをすることの多い私ですが、原田マハさんの場合、あまりに本が多く、多岐に渡り、かつ、口当たりがよすぎる感もあり、2冊目以降、戸惑いました。図書館に行ったときに1~2冊、借りて帰るという感じで、今で20冊ぐらい読み、その中で一番好きだった本です。比較的現実とかけ離れていない感がありつつも、いい人がいっぱい出てくるので安心感もある、みたいな感じです。

 では皆様、2019年もたくさんのいい本と、本を通してのいいつながりがありますように! 

2018年12月21日金曜日

「考えること」としての「哲学対話」




 「哲学対話」という言葉に出会ったのは、永井均著・内田かずひろ絵『子どものための哲学対話』(講談社、1997年)でした。とても面白かったので当時編修にタッチしていた中学校国語教科書に、そのなかの一節を教材として推薦して、しばらく掲載されていたことがあります。「言葉の意味は誰が決める?」という、猫の「ペネロペ」と「ぼく」との対話で進む文章でした。永井さんの軽妙な文体による、二人(一匹と一人?)のやりとりを読み進めながら、読み手のわたくしは「ぼく」とともにペネロペの問いに深く考え込んでいました。

 永井さんの本は「読む「哲学対話」」と言っていいものでしたが、その「哲学対話」を実践している人の本を手にしました。梶谷真司『考えるとはどういうことか―0歳から100歳までの哲学入門―』(幻冬舎新書、2018年)です。もちろんわたくしは「哲学」をきちんと学んだことはありません。本でいくつかを読みかじっているだけです。「哲学」とは何かなどわかっていません。だから梶谷さんの次のような言葉に出会ってほっとしました。



私たちは、「問う」ことではじめて「考える」ことを開始する。思考は疑問によって動き出すのだ。だが、ただ頭の中でグルグル考えていても、ぼんやりした想念が浮かんでは消えるだけである。だから「語る」ことが必要になる。きちんと言葉にして語ることで、考えていることが明確になる。そしてさらに問い、考え、語る。これを繰り返すと、思考は哲学的になっていく。(3233ページ)



 ほっとしました、なんて言いましたが、実はこれはとてもきびしいことなのかもしれません。考えることは苦しい? そう思っているのなら。しかし「語る」ことで「考えていることが明確になる」のなら、苦しいことではないでしょう。むしろ楽しくなっていくのではないでしょうか。「もがく」ことは理解の種類の一つだと『理解するってどういうこと?』のなかで、エリンさんが言っていたことと同じです。

 著者が「哲学対話」をするときにいつも掲げるルールとは次のようなものです。



 ①何を言ってもいい。

 ②人の言うことに対して否定的な態度をとらない。

 ③発言せず、ただ聞いているだけでもいい。

 ④お互いに問いかけるようにする。

 ⑤知識ではなく、自分の経験にそくして話す。

 ⑥話がまとまらなくてもいい。

 ⑦意見が変わってもいい。

 ⑧分からなくなってもいい。 



 一つひとつについては、梶谷さんの本に丁寧に述べられているので、そちらを読んでください。一つだけ、「対話」するために「聞くこと」がいかに重要かということについて。



 「聞く」というのは、対話への立派な参加である。(中略)それどころか、聞いていることじたいが、対話にとって決定的に重要である。そらが対話を対話たらしめる。問い、考えたことは、聞いてもらえるからこそ語れる。だから人の話をじっと聞く、うなずく、あるいは首をかしげる、驚く、笑う。そんな反応のすべてが対話を動かしていく。だから「聞く」というのは、それじたいが参加なのである。(58ページ)



 梶谷さんが掲げた八つのルールは、「対話」を進めようとするとき、「対話」によって思考を深めようとするときに、すべてが有効に働きます。「対話」するための条件をわかりやすい言葉にしたものと捉えてもいい。そしてまた、それらは「理解」するための条件でもあると考えることができるでしょう。梶谷さんは次のようなことも言っています。



 世間の常識や他人の意向に合わせて話すことは、「他者に対して語る」ということとは、まったく違う。そもそも語ることは、明に暗に、つねに誰かに対して語ることである。つまり、語る相手=他者が存在する。これは、まったく当たり前のように思えるだろうが、相手を意識することは、それほど簡単なことではない。/ 実際、世の中には誰に向けたか分からない言葉が実に多い。とくに書かれた言葉は、目の前に相手がいないせいか、読み手を意識しない文章が巷にはびこっている。(148149ページ)



 「他者に対して語る」ことを意識しないから、「誰に向けたか分からない言葉」が蔓延するという指摘は鋭く厳しいものです。言葉の使う時に自分の頭のなかを省みずにはおられません。「他者に対して語る」からこそ、言葉も吟味するのですね。そして「子どもと対話する意義」を次のように考察しています。



 また、子ども―とくに小学生以下―を相手に話す場合、自分が使う言葉についておのずと意識的になる。専門用語はもちろんのこと、大人が普段使っている言葉の大半が使えなくなるからだ。/ そのため自分が使おうとすることの意味をあらためて考え、自分が理解している(と思っている)ことを確かめなければいけない。それを子どもでも分かるようなやさしい表現で話さなければいけなくなる。そのさいたしかに厳密さは犠牲になるだろうが、言わんとすることの核心が何かは、むしろはっきりする。(159160ページ)



 本書はこんなふうに納得のいく主張で満たされています。「子どもでも分かるようなやさしい表現」で語り直してみると、自分が何を言いたかったかということが、自分自身に見えてくると教る一節です。それは、自分のことと相手のことを考えながら、言葉を愛おしむように使うことなのだと、梶谷さんの言葉を反芻しながら強く思いました。



 


2018年12月14日金曜日

カンファランスをうまくやるための10のヒント


  カンファランスという方法は、これから間違いなく教え方の主流になります。★
 生徒は、教師が言っていることは自分に対してなのかどうかわからないような授業が延々と続くと、本当に自分のことを大切な存在として見てくれているのか疑いたくなってしまいます。しかし、カンファランスではそのようなことはありません。教師は自分に対してのみ話してくれているのですから。それも、自分にとって最も必要な点を発見して、ピンポイントで。
 そこで、今回はルース・エアーズさん★のカンファランスをする際の10のヒントを紹介します。
 授業一般にも、そのまま役立つヒントだと思います。(かなりの部分、『言葉を選ぶ、授業が変わる!』の中で紹介されているアプローチと重なりますので、詳しく知りたい方は、そちらをお読みください。)

1.情熱的になる
情熱をもった人と一緒だと、自分もワクワクしてきます。情熱は伝染します。なので、自分が情熱をもっていたら、生徒たちも書くことに興奮します。

2.作家になる(作家のように話す)
 作家たちは話し合えると、互いに花開きます。(同人誌がたくさん出されていたのは、そのためです!)いいカンファランスは、作家同士の間で行われます。あなたは審査員でも、批評家でも、優しい言葉を発する人でもありません。話している相手(生徒)よりも、少しだけ書くことについて知っている先輩の書き手です。

3.生徒のエネルギーのレベルにあわせる
 毎日がエネルギーに溢れた書く日ではありません。波に乗れない時もあります。一方で、自分でも信じられないぐらいに書ける日もあります。なので、生徒のエネルギーを測って、それに合わせる形で話してあげてください。

4.成長し続ける書き手と話していることを忘れない
 生徒に完璧な文章や作品を求めることはできません。成長しつつある書き手が間違いをするのは避けられません。大切なことはいい文章ではなくて、成長し続けることだということを忘れないでください。

5.あとで戻ってチェックする
 カンファランスでは、生徒にどうしたらよりよい書き手になれるかの提案をします。それを実際にどう活かしたのか必ず確認してください。(カンファランスは、教師が教えて満足するためにするのではありません!)カンファランスを踏まえて、よりよい書き手にまだなっていなければ、さらなる成長のチャンスを提供できることを意味します。

6.本当に知りたい質問をする
 あなたがすでに答えを知っている質問をするのは、両者にとってよくありません。誘導する質問は、生徒もわかってしまいます。もし何かを試してほしいなら、質問するのではなくて、具体的に伝えてください。質問は、本当に知りたいことだけにしてください。(ということは、教師も学び続けられるアプローチだということです!!)

7.ほとんどできていることに注目する
 生徒が書き手としてしていないことすべてに注目するのではなく、ほとんどできそうなことに焦点を絞ります。それこそが、成長を促す最善の方法だからです。弱みをいくら指摘されても、成長に転換できる人はあまりいません。でも、ほとんどできていることや強みは、成長に結びつけることは容易です。★★

8.作品よりも書き手を大事にする★★★
 書くことは、極めて個人的な営みです。ですから、生徒があなたのアドバイスを受け入れたくない時もあります。教師であるあなたがどれだけ生徒の作品に入れ込んで、手を入れたところで関係ありません。書き手である生徒本人がどうしたいのかが、すべてですから。従って、作品を直すことにエネルギーを注ぐのではなく、書き手に教えることに焦点を当ててください。

9.目的(作者の意図)こそが大切
 私がどんなところを教えようとか探している時に、何よりも大切にしているのは生徒がその作品を通して何を言いたいのかということです。別な言葉で言えば、作品の目的(ないし作者の意図)を強めることです。まだ下書き段階なのに、言語事項で気になったところを直す努力をしても、まったく意味がありません。

10. 祝う
 難しいことに挑戦するのはいい気分がし、書くことはとても挑戦しがいのあることです。そんなことに生徒たちはみな挑戦しているのですから、カンファランスの最中に祝ってあげてください。「カンファランスの前よりも後の方が、生徒たちは元気にならなければならない」と言ったのはドナルド・マレーです(彼のことは、本ブログで度々紹介してきました。ブログの左上に彼の名前を入れて検索してください)。祝ってあげると、書き手のエネルギーが上昇します。書き手である生徒がしているいいことを具体的に指摘してあげるだけでいいのです。

 以上の10のヒントの中で、『ライティング・ワークショップ』と『作家の時間』ですでに紹介されていないのはどれでしょうか?


 エアーズさんは、中学校の国語教師を務めた後、現在はインディアナ州のWawasee教育委員会で書き方の教え方のコーチ(日本でいえば指導主事ですが、することはかなり違います。要するには、教師がライティング・ワークショップの授業を教室でしているような感じで、先生たちのサポートをします!)をフルタイムでしています。
  指導主事たちが、カンファランスができるようになると、研修や学校訪問が、教師にとっては(指導主事にとっても)時間の無駄ではなく、ありがたいものに転換します。カンファランスないしコーチングだと、それをする側もよく学べますから。ということは、いまの授業や研修は学びが少なすぎるという大きな問題を抱えているわけです。単に習慣でしているだけで。(習慣に流される必要はありません。他により効果的な方法があるのですから!)

★★ 一斉授業の効率が悪い理由の一つは、これにあります。一斉授業で、一人ひとりの生徒の「ほとんどできそう」を把握することは至難の業ですから。あなたは、そのためにどのような手を尽くしていますか? その方法に興味のある方は、『一人ひとりをいかす評価』をご覧ください。
  もう一点、情報を加えると、この「ほとんどできそう」は専門用語で「発達の最近接領域(ZPD」と言います。わかりやすく言うと、「今日、誰かの助けでできたことは、明日は自分一人でできる」ということです。すでにできていることや簡単すぎたら、助けは必要ありませんし、まったくできていなかったり難しすぎたりしたら、助けがあってもできるまでは相当の努力が必要です。来年は、このZPDに関係した本を何冊か出します。『オープンニンマインド 〜 子どもの心をひらく授業』(1月発売)、春以降には『成績をハックする』の続編の『宿題をハックする』や、『選んで学ぶ~学ぶ内容・方法が選べる授業(仮題)』『親と教師のためのマインドセット入門(仮題)』などです。
  それほど大切なものなのですが、日本では残念ながらほとんど知られていませんし、それが活用されていません。(一斉授業が授業の中心である限りは、難しいと言えます。ZPDは一人ひとり違うので、一斉授業はそれを無視した教え方なのです。それが、よく学べない理由です。)

★★★ これは、作家の時間(ライティング・ワークショップ)がはじまった時からの大事な原則です。「作品に対して教えているのではなくて、書き手に対して教えている」のですから。でも、日本では依然として主流であり続けている添削は、逆さまであり続けています。書き手はどこかに飛んでしまって、教師は作品とのみ格闘しています。それが、書くことが好きになれず、書く力もつかない原因になっています。(教師を忙しくしているだけ、というオマケ付きで。)


2018年12月7日金曜日

公正で、民主的な教室と社会のつくり方


『民主主義は、二匹のオオカミと一匹の羊が今晩の夕食は何かを投票するようなもの』といいますが、そういうものではないようにしなければなりません。
 民主主義は投票さえ行えば十分というわけではないのです。何度投票しても羊は間違
 いなくオオカミに食べられてしまうのですから。

この引用は、『言葉を選ぶ、授業が変わる!』の190ページからです。上の引用で思い出してしまうのは、過去何年にもわたって100匹のオオカミが一匹の羊である沖縄を今の状況に置き続けていることですし、今国会で最大のポイントになっている外国人労働者の受け入れという名の「輸入」問題など、いろいろ思いつくものがあります。私たち日本人(特に、議員?)は民主主義を誤解しています。

 民主主義は、すでに手に入れたものでも、達成が約束されたものでもない。それは常につくり続けられるものである。それはある種の可能性であって、倫理的・創造的な可能性として捉えた方がいい。民主主義とは、人々が互いに世話や心配をしあったり、互いにやり取りしあったりする方法と確実に関係するものである。「選択すること」や「他の手段があること」とも関係し、「ものごとを別の視点から見ることができる力」とも関係する。

   民主的な社会の市民は、自らの反応に強い信念と思い入れをもちながらも、異なる視点に対して広い心をもち続けるものである。最終的には「個人の多様性」と「コミュニティーのニーズ」の両方に配慮して意味づけをしたり、行動の折り合いをつけたりできる人たちが民主的な市民といえる。権威に盲目的に従ってしまう傾向を乗り越えるためには、私たちは周りの世界で起こっていることを解釈し、自ら判断する力に自信をもてるようになる必要がある。

以上の2つの引用は、同じく169ぺージからの引用です。2週間前にPLC便り
(http://projectbetterschool.blogspot.com/2018/11/blog-post_23.html)で文部省著作教科書『民主主義』が紹介されましたが、比較して読んでみといいと思います(以下に、文科省がズレているかが分かると思います! というか、いかに上から目線であり続けているかが分かると思います。)

 『言葉を選ぶ、授業が変わる!』の第7章は「民主的な学びのコミュニティーをつくり続けるために」のタイトルの基、多様な考え方や言葉かけの例が紹介されています。教室が(それとも、家庭が??)、平和で、公正で、民主的な社会/コミュニティーづくりのベースになります。しかし、これはいったいどこで扱うのでしょうか? 社会科だけでいいのでしょうか? それでは、三権分立や選挙権程度で終わってしまいませんか? 特別活動でしょうか? 道徳でしょうか? (それとも、国語、算数・数学、理科、体育、家庭科・・・・でしょうか?)

・私はこれまで、大人が自分たちの知性をコントロールできない会議の場になんども遭遇しています。こうしたスキルは学力テストや入試には出ませんが、社会的・実務的にとても重要であることは間違いありません。(同上、188ページ)
← 知識をどれだけもっているかよりも、会議をどう機能させられるかの方が、社会人になるとはるかに大きなウェートを占めていると感じた人は少なくないと思います。私の場合は、それが高じて『会議の技法』という本まで書いてしまいました。

・民主的に生きるということは、社会的に問題を解決するということです。教育は、学習者の問題解決能力を高めることだとすら定義できます。(中略)問題解決のほとんどは個人的なものよりも社会的だからです。(中略)問題解決が個人レベルでより達成できるようなるには、共同の問題解決から学んだり、それを内面化したりする能力が求められるからです。この能力はまさに個人が「社会」を使うための能力です。これによって個人の問題解決能力は飛躍します。しかも、その能力は、飛躍した一人ひとりの集団的な能力でもあるのです。このような能力によって、教育は発展していきます。(同上、188~9ページ)
← ウーン、民主主義は問題解決(目標設定や修正とも!)と深く結びついている。『マルチ能力が育む子どもの生きる力』の中で、ガードナーも「教育を、問題解決能力を身につけること」と定義し、それを8つもの異なるルートでできることを示してくれていました。また、近々刊行される『教科書では学べない数学的思考――「ウ~ン!」と「アハ!」から学ぶ(仮題)』で著者たちは、数学的思考はまさに世の中の問題解決すべてに使える重宝なものと位置づけて、その身につけ方を教えてくれています。(私は大学まで、13年間、算数・数学を勉強し続けましたが、残念ながらこれっぽちの数学的思考=問題解決能力も身につきませんでした!)その原因は、私たちが慣れ親しんでいる「正解あてっこゲーム」にあります。正解あてっこゲームから人が学んでいることは、「僕は算数・数学が嫌い(得意)だ」や「算数・数学が自分の人生で役立つことは(ほんど)ない!」ではないでしょうか? そこには、民主的に物事を解決するベースとなる「問題発見と解決」の練習が丸ごと抜け落ちています。

クラスで言い争いが起きた時に、双方に「どう感じているか」「なぜそう感じるのか」を尋ねてみましょう。これは子どもに対して、「相手の立場を想像して、その行動が自分自身にもたらした結果や他者にもたらした結果への責任をもつことが大切だ」と主張することにほかなりません。繰り返しになりますが、これが主体性のある民主的な生活の中心部分なのです。しかも子どもの社会的な想像力を養うものなのです。(同上、174ページ)
← これは、まさに日々のクラスの中で起こり得ることです。「社会的な想像力」については、この本の続編として来月刊行予定の『オープンニンマインド 〜 子どもの心をひらく授業』でさらに詳しく扱われています。(「共感」も大切です。これについても『オープニングマインド』で扱われていますし、『理解するってどういうこと?』のテーマの一つでもあります。)

・読み聞かせの最中に「いま何を考えていますか? 考えていることを隣の人と話し合ってください」と指示を出すと、子どもの注意を「思考のプロセス」に向けることができます。自分が何をどうやって認識しているのか(メタ認知)に気づきやすくしたり、それを仲間と共有する能力を発達したりできるのです。その結果ますます思考の仕方がうまくなります。
同時に「意味をうみ出す」ことは、「正解を手に入れる」ことと同じではないと理解できるようになるでしょう。なぜなら、「人が違えば異なった感覚をもつ」ことを子どもはすぐに学んでしまうからです。それがたとえ結果として同じ感覚だったとしてもです。加えて、そのような個人内での会話(=自問自答)ができるようになればなるほど、相手のことがより分かるようになります。(同上、182ページ)
← 読み聞かせという極めて効果的な方法には、日本で広く知られているかなり限定された方法をはるかに越えて、多様なアプローチがあります。ここで紹介されているのは「対話読み聞かせ」です。(詳しくは、『読み聞かせは魔法!』で紹介されています!)
 そして、「考えていることを隣の人と話し合う(turn and talk)」というパワフルな方法については、上述のオープンニンマインド 〜 子どもの心をひらく授業』で詳しく触れられています。
 「隣の人と話し合う」を少しだけ紹介すると、「聴くことこそが話し合いのベースです。ゆえに私たちは、自分の考えを変えることにオープンである必要があります。隣の人と話し合う(turn-and-talk)という方法は、単に自分の言いたいことを言い、相手にも同じことをさせるためにするものではありません。私たちがパートナーの言うことを聴くとき、実際にはそれ以上のことをしています。私たちの身体を通してパートナーに反応することで、パートナーがありのままの自分でいられるようにしているのです。もし、二人の間にしっかり反応するという関係がなかったなら、他者によって影響されることに対するオープンさもありませんし、信頼関係も存在していないことになります」。(ページ数未定)

 平和で、公正で、民主的な教室=組織=社会づくりの参考にしていただくべく紹介している本が『言葉を選ぶ、授業が変わる!』と『オープンニンマインド 〜 子どもの心をひらく授業』ですので、活用してください。
 また、子ども同士の話し方、読み聞かせの仕方、教師の質問の仕方、授業の力点のおき方など、教師は常に多様な選択肢をもっています。それを活かさないと、そもそも教師になった目的は達成されないでしょう。(教科書や教師の都合ではなく)ぜひ、より子どもたちにあった選択肢を探し続け、そして提供してあげてください。

2018年12月1日土曜日

譲り渡し ⇒ いったい何を譲り渡すの? そしてどのように?

 ライティング/リーディング・ワークショップは、子どもたちを読み手・書き手に育てるだけでなく、教師の成長がセットになっている教え方だ、とずっと感じてきました。

 ライティング/リーディング・ワークショップの優れた実践者ナンシー・アトウェルの『イン・ザ・ミドル』の中でたびたび登場する「譲り渡し」という概念を読んだときに、「教師の成長がセットになっている教え方」であることをうまく言語化している、と思いました。

 教師が、読み手・書き手として生徒の成長に役立つことを、生徒に「譲り渡す」。これを意識すると、「何を譲り渡しているの?」と、自分に問わざるを得ません。ですから、「譲り渡し」を意識するとき、私は、ほぼ自動的に振り返り、「こんな、嘘っぽいこと、実際に読み書きをするときに行っていないこと・役立たないことは譲り渡したくないなあ」と思ったり、もっと自分も学ばなくては、と思わされたりします。

 アトウェルは、ジェローム・ブルーナーの本の中で「譲り渡し」という言葉に出合い、それは、自分の在り方の基本姿勢で、「ワークショップでの私は、経験豊かな書き手・読み手です。どうすればいいかを生徒に示し、役立つ助言を与え、自分がしっかり理解した上で生徒に伝えています」(『イン・ザ・ミドル』三省堂、2018年、36ページ)と記しています。(以下の引用も、いずれも『イン・ザ・ミドル』からです。)

 私は単純に、まず自分が「何を譲り渡せるのか」が気になります。

 しかし、アトウェルはもっと広い視点でこの概念を見てるのもよくわかります。というのは、アトウェルにとっては、これは教師の役割や生徒との関わり方の指針になっているからです。

 『イン・ザ・ミドル』で、アトウェルは以前の自分の教えかたについて批判的に言及する箇所も、少なからずあります。それはライティング・ワークショップに初めて出合ったときに、夢中になり、「この教え方ではこうすべきだ」とか「こういうことはしてはいけない」という法則にとらわれてしまったこともあるからです(33~34ページ)。

 アトウェルは自分の子ども アンが5歳のときに、靴ひもを結びたいと言ったのでその結び方を教えたときの経験、そして、その後、食卓の準備等、いろいろなことをアンに教えたときのことを次のように振り返っています。

 「大人も子どもも課題に集中しています。アンを教えた時には、アンは私をじっと見ていました。私もアンをよく観察して、教え、彼女がやってみるようにし、話もし、必要だと思えば手も貸しました。やがて、アンが私を必要としなくなるまで」(35ページ)

 そして、このような自分の子どもへの「譲り渡し」を教室に応用し、次のように語ります。「教室でこれと同じことが起きる時、教師は大人の役割を受け持ちます。何かを上手にできて、よく知っている大人。教師はその立場で、子どもが新しい課題に取り組むのを、取り組みやすく、効率的で、意義深いものにするのです。子どもが自分ひとりでできるようになることが目標ですから、その段階になったと思えば、大人は手を引きます。ここには『こうすべき教え方』も『してはいけないこと』もありません。あるのは、達成したいという子どもの思いと、大人のかかわり。ここにあるのは、生きた人間同士の繋がりを感じる関係であり、私がライティング・ワークショップを始めた頃の『ファシリテーターはこうあるべきだ』という、法則にのっとった関わり方とはまったくの別物です」(35~36ページ)

  「譲り渡し」は、アトウェルにとってバランスの模索へとつながります。「聞き手である私と語り手である私のバランス。観察する私と働きかける私のバランス。協力する人、批評する人、そして、いつも生徒を応援する人としてのバランス。それが固定化せず、最適なものになるように、日々模索しています」(36~37ページ)

*****

 アトウェルは3つの知識を活用して、ライティング/リーディング・ワークショップで譲り渡しを行っています。その3つは、教師が持っている①読むこと、書くことについての知識、②教えている生徒がどういう年代かという発達段階についての知識、③一人ひとりの生徒についての知識です。(36ページ)

 しかし! アトウェルの初期の出版物を見ているかぎり、アトウェルは詩について、大好きで知識も豊富であったにも関わらず、その教え方について、どうすべきか迷っていた時期もあります。優れた実践者といえども、譲り渡し方を悩むことがあることもわかります。このあたりのことは、また日を改めてWW/RW便りで記したいと思います。

2018年11月23日金曜日

あなたはいったい誰に向けて(何のために)話していますか?



『言葉を選ぶ、授業が変わる!』ピーター・ジョンストン著を読み直しています。翻訳前から数えると、もう20回目ぐらいですが、読むたびに新しい発見のある本です。

 この本の売りの一つは、教師が投げかける問いというか、発する言葉です。
 それが、実際に小見出しにもなっているぐらいです。
 全部で50弱あります。(その各小見出しの中にもいくつかの投げかけ/問いかけが紹介されているので、全部を合わせると、200近くになるかと思います。正直のところは定かではありません。数えていませんから。しかし、それほど教師によるいい投げかけ/問いかけの見本が見られる本です。)

 この本のメールでのブッククラブを終えたときに、共訳者の二人に次のような情報提供をしました。「長田さんが日本語訳を試みていた教師の投げかけ/問いかけを、①クラス全体が対象のもの、②特定の個人対象のもの、③いずれとも特定できないもの=両方と解釈できるものに分けて数えてみたら、①が16、②が18、③が15でした」
 すでに読まれていた方は、どのような場面をイメージして読まれていたでしょうか?
 まだ読まれていない方(や、再度読んでみようと思う方)は、どの質問は誰を対象に発せられたものかに注意して読んでいただき、その判断の結果を、ぜひ下のコメント欄か、pro.workshopgmail.com宛にお送りください。

 数字はほぼ同数ですが、この結果から通常の授業よりははるかに個人対象の投げかけが多いことが分かります。これは、使われている事例の多くがライティング・ワークショップ(WW)とリーディング・ワークショップ(RW)を実践している教師たちの授業を著者が観察したり、引用したりしていることからも当然と言えます。要するに、カンファランスという授業中の3分の2の時間を教師が費やしている実践だからです。これを常にしていると、当然、クラス全体への投げかけ方も変わっていきます。より生徒に届くというか、一人ひとりを大切にした会話が展開することになります。★
ということで、著者本人は、こういう投げかけが出てきた背景についてはこの本ではまったく語っていませんが、上のような歴然とした事実があります。

この投げかけ方が、授業/クラスの雰囲気づくり(本の裏表紙には「healthy learning communities(健全な学習コミュニティー)」をつくり出すの)に大きく貢献しています。さらには、知識やスキルをもった子だけでなく、caring, secure, actively literate human beings(思いやりがあり、不安をもたず、主体的で学問のある人間)を育てるのに。
日本の学校の3本の教育目標は、思いやる子、考える子、元気な子です(ないし、これら3つのバリエーションです)が、それらが実践されているかというと、大きな疑問です。はっきり言って、それを実現するための方法を持ち合わせていません。日本の目標というのは往々にして永遠に達成しないもの(つまり、夢ないし希望のレベル)のようなのですが、この本を含めてWWやRWの実践者たちはcaring, secure, actively literate human beings/ literal citizens for a democratic societyや、agency(主体者意識)をもった子どもたちや、自立した学び手・考え手(strategic thinkers)を育てることを実践しています。
主には、この本で紹介されているような投げかけ、healthy learning communityをつくって共に学び合う授業をすることや、一人ひとりが独自に作家のサイクルや読書のサイクルを回せるようにすることを通して。http://wwletter.blogspot.jp/2010/05/ww.html
ちなみに、上記の資質は、テストで測れる能力には含まれていないので、教育政策にかかわる官僚や政治家、マスコミ、保護者、教師、研究者から軽視ないし無視されがちな部分かと思います。テストで測れるものよりも、はるかに重要であるにもかかわらず!!

★ 一斉授業の場合よりは、教師が意図するメッセージが生徒たちに届くようになることを意味します。この辺のことを別な切り口で体験できるエキササイズがあります。演劇家で教育者でもあった竹内敏晴さんが紹介してくれていたものです。興味のある方は、私が体験したのを『会議の技法』の100~103ページで紹介したものを参照してください。そこでは、会議の中での発言/発表に引きつけて書いていますが、授業中の教師の発言もまったく同じです!



2018年11月17日土曜日

「わかる」とは「待つこと」




  『河岸忘日抄』や『めぐらし屋』など、語り手や登場人物のなにげない日常の舞台から書き起こして、展開の意外性とわかりやすくも巧みな文体で読者を巻き込む小説を世に送り出している堀江敏幸さんに、『いつか王子駅で』という作品があります。たまたま、仕事で、京浜東北線の「王子」や「東十条」に立ち寄ることがよくあったので、この小説も、タイトルにひかれて読みました。お気に入りの一冊です(先の二冊と同じで、新潮文庫所収)。

 神奈川の桐光学園で各界を代表する7名がおこなった生徒向けの講義の内容を収めた『続・中学生からの大学講義3 創造するということ』(ちくまプリマー新書、201810月)に、堀江さんは作家・フランス文学者として、『いつか王子駅で』の創作過程に触れた20ページほどの「あとからわかること」という文章を寄稿しています。

 もともと『書斎の競馬』という一風変わった文芸雑誌から依頼された連載であったことや、連載タイトルを決めてほしいと急に言われ、ちょうど聞いていた楽曲がビル・エヴァンズの『いつか王子様が』だったので、『いつか王子駅で』というタイトルにしたことなど、おもしろく読み進めていたところ、次のような言葉がありました。



 『いつか王子駅で』を文庫本にするとき、何年ぶりかで全編を読み返してみました。

 すると、書いた当時は気づいていなかったことがわかってきたのです。(113ページ)



 おっと、と思いました。作家自ら自作を読み返して思い当たった「わかる」「わからない」問題。堀江さんは「わかる」ということはこういうことかもしれないと、二つのことを書きます。一つは「あのときにこういう書き方をしたのは、こんな経緯で、こういうふうに感じていたからだろう」と「問い直したくなること」です。堀江さんのこの文章自体がその「問い直し」の実践です。

 もう一つは「どのようにして作品ができあがったのか、自分でもわからないという事実を確認できること」です。



 にもかかわらず、作品は、確実にそこにある。これはどういうことか、ずっと考え続けています。あとから考えて、わかるか、わからないか。それは、振り返って新しい疑問をどう自分にぶつけ、積み重ねていくか、模索の繰り返しです。(114ページ)



 作家自らが自作の推敲に触れた言葉です。創作過程の一コマだと考えればそれで済んでしまいそうですが、そうではありません。よく考えてみると、ここで行われているのは自作についての「読み」や「解釈」です。本や文章を「わかる」「わからない」ということも、基本は同じです。堀江さんが言うように「終わりがない」ところも、創作と同じ。「読み」や「解釈」にも終わりはありません。そういう目で彼のこの文章を読み進めると、本や文章を読んで理解する際にも起こることばかりが書かれているということに気づきます。こんな素敵な一節に出会いました。



 皆さんの先輩が書いた作品を読むと、何か自分のではない力がふっと乗り移って、その瞬間言葉にしないと永遠に失われてしまう感情や光景を逃さずに書いたな、と感じられるものがあります。ジャンルは問いません。短歌や詩、小説や評論、何にでも起こり得ます。こうした状態は長続きしないかもしれないし、二度と還って来ないかもしれません。けれど、逃さなかった言葉が目の前にあるとき、それは書いた人だけの言葉ではなく、それを読んでいく読者の、みんなの言葉になるのです。/言葉にみんなの気持ちが乗り移ったとき、その言葉が光り始める。そういう言葉に出会うために、僕は書く仕事だけではなく、読む仕事もたくさんやらせてもらっています。(120ページ)



 自作の解説だと思って読んできた文章だったのですが、いつしかわたくしは、けっしてそれにとどまらない広がりと励ましを感じていました。読み書きすることは、そのことにとどまらないで、もっと大きな読み書きの共同体に属することだということを、上の文を書き写しながら、稀代の読み手でもあるこの作家の言葉に気づかされ、ハッとしました。堀江さんには『本の音』(中公文庫、2011年:単行本は晶文社刊、2002年)などの書評集もたくさんあります。「理解すること」と書くことが密接に結びついているのです。



 僕はどんな人や物に対しても、かならずおもしろいところがある、と思ってしまう人間です。本に対してもおなじです。九割方だめでも、一割の良質なノイズを見出そうとする。すると、楽しくなるんです。つまらない、趣味に合わないといってすぐ閉じるのではなく、何かハッとするノイズが見つかるかもしれないと信じて、はじめから順に、飛ばさないで、最後まで読むんです。つまり、待っているんです。読むことも待つことだし、書くことも待つことなんです。(123124ページ)



 「あとからわかること」は、作家が創作の過程について述べた文章だと思って読み始めたのですが、このように「理解する」「わかる」についての秀逸な見解を満載した文章でもあります。「わかる」こともまた「ノイズ」を聴き取りながら「待つ」ことなのだと、深く肯かざるを得ません。「良質のノイズ」を見出そうとしながら、言葉に耳をすます…『理解するってどういうこと?』の第4章「アイディアをじっくり考える」で探究される「沈黙を使う、深く耳をすます」という「理解の種類」です! エリンさんも「待つ」人なのです。これも「あとからわかること」の一つ。






2018年11月10日土曜日

大好きな絵本『てん』から再考する「勇気づけ」という、かかわりかた

 大人にもお薦めの、私の大好きな絵本の中に、『てん』★(ピーター・レイノルズ著、谷川俊太郎訳、あすなろ書房)があります。
 日本の教室でのライティング・ワークショップの実践を描いた『作家の時間』(プロジェクト・ワークショップ編、新評論)の「最初の10時間で行なったミニ・レッスン例」の5時間目のミニ・レッスンで、『てん』を、なかなか書き出せず、迷っている子への勇気づけに使っています。『てん』を読み聞かせた後で、先生が次のように言います。

 「作家の一番大切な仕事の一つは、何を書くかを決めるということです。何を書くかっていろいろ迷うよね。そんなとき、この本のワシテみたいに一歩踏み出してみれば、いろんなアイディアが生まれてくるかもしれないよ。ワシテのように勇気を出していろんな作品にチャレンジしてみてね。もし、迷ったり困ったりしたことがあったら、先生にも相談してね! では、今日も楽しんで作品を書きましょう!」(『作家の時間』34ページ)

 実は、私は「勇気づけ」というテーマで『てん』という絵本を考えたことがなかったので、初めてこの箇所の原稿を読んだときに少し驚きました。

 最近、読んだ心理学の本『人間関係が楽になるアドラーの教え』(岩井俊憲著)★★の56ページに、「相手が他者に活力を提供できる」ようになることは「勇気づけの最終的な目標」だと書かれていて、『てん』と勇気づけが、初めて自分の中でつながりました。

 つまり、『てん』で先生がワシテに行った勇気づけが、最終的に、ワシテが他の男の子に対して行った勇気づけにつながっていきます。勇気づけという「モデルを示し体験させる」ことで、その「モデルで示されたことを生徒が自分のものにしていった」とも理解できます。 
 
 そんなこともあり、勇気づけ、という概念が気になって、上記の本の「人間関係は『勇気』から始めよ」という題の、2章を読み直しました。心理学が専門ではない私の、不十分な理解ですが、興味を持ったこと・考えたことを、以下、いくつか記します。

・「勇気=困難を克服する活力であり、勇気づけとは『困難を克服する活力を与えること』」。これは「向こう見ずな豪胆さとは違う」(どちらも54ページ)。

・人間関係において、勇気づけは、①相手の自己肯定感を高められる、②相手との信頼感を高められる、③相手が他者に活力を提供できる(55~56ページ)。

⇒ 上の③から連想する、ワシテの成長プロセスについては、「WW/RW便り」を月に2度くらい書いているShinlearnさんが、2010年5月25日に、「私の好きな絵本」というタイトルで、「ギヴァーの会」というブログで詳しく書いています。
https://thegiverisreborn.blogspot.com/2010/05/blog-post_25.html)

⇒ このブログから、「教師が行っている、いい問いかけ/投げかけ」がないと書けない子どももいること、その「クリティカルな投げかけ」が先生から発せられたことによって、ワシテには点を描くという自分のビジョンができたこと、展覧会で発表するチャンスを得たあとに次の子に提供するようになったこと、というプロセスで起こっていることが、よくわかります。

・ 具体的にどうするのかの中に、「ダメ出し」の反対の「ヨイ出し」が書かれていました。これは「相手の長所に目を向けて、良い行為であると言葉に出して伝えること。ヨイ出しは見返りや服従を求めない(『人間関係を楽にするアドラーの教え』76ページ)。

⇒ 「うまく書けているところをほめて書き手を育てる」(『ライティング・ワークショップ』70~71ページ)を思い出します。

⇒ アドラー心理学では「勇気づけ」と「褒める」ことは別物で、褒めることはむしろ人間関係をダメにする(69~71ページ)となっています。「人間関係をダメにする褒めること」ではなくて、この本で言うところの「ヨイ出し」にするためにも、「ほめる」ことよりも「具体的に良い点を良いと指摘する」ことに主眼を置くように注意しようと思います。

・「ダメ出し」は最悪の手段(76ページ)。相手のダメなところを指摘することは、人から困難を克服する力を奪う「勇気くじき」になる(82ページ)とも書かれています。

⇒ 私は、日々のいろいろな場面で、どうも「できない点の指摘」のほうが得意なので、反省です。

⇒ とはいえ、ワークショップでは、できない点を学習者自身が理解し、それに向かって取り組めるようにすることも大切です。それを「勇気くじき」につながる「ダメ出し」しないためにできることは、まだ自分のなかで整理しきれていません。相手との関係性や相手への理解、と言ってしまうと簡単な気はしますが。。。もう少し考えます。
*****
 なお『人間関係が楽になるアドラーの教え』によると、自分を勇気づけられないひとは、自己肯定感が低いらしく、自分を勇気づける四つのルールとして、以下が説明されていました。項目のみ、記しておきます(57~61ページ)。
① 「目的志向」で生きる
② 「建設的な人」を目指す
③ 笑いを取り入れる
④  楽天主義でなく、楽観主義になる
 普段、あまり心理学の本を読むことがないのですが、勇気づけという点から教室を眺めてみると、結局は「自分を変える・成長させる」という点がセットになっている気がします。

***** 

 余談ですが、『てん』はこの1冊で完結していますが、続編的に読める絵本が、このあと2冊続きます。『てん』の最後に出てきた男の子が、『っぽい』(なかがわちひろ訳、主婦の友社)の主人公となり、『っぽい』にでてきた女の子が、『そらのいろって』(なかがわちひろ訳、主婦の友社)がの主人公になります。どちらもお薦めです。


★★「勇気づけ」という概念に興味を持ったのは、「ライティング・ワークショップ実施中。生徒にどう働きかけるかという問いをめぐって」という題の、あすこまさんのブログの書き込みの中で、以下の文を読んだことが、きっかけです。

 
「アドラー心理学では、問題行動を起こす人のことを「勇気をくじかれている」状態と捉え、それを四つのステージ(注目、権力闘争、復讐、無気力の)に分けて考えるんだそう(詳しくは下記の本などをごらんください)」
(https://askoma.info/2018/09/16/6899)



2018年11月2日金曜日

みんなが書く日


ここ一か月ぐらい、National Day on Writing(10月20日)関連のニュースを、書くことや英語関係のネット情報では見ることが多かったので驚きました。
これを、グーグルで翻訳すると「書く国民の日」と出ました。分からなくはありませんが、なんか政府が決める国民の休日の名前みたいです。私なら、「みんなが書く日」ないし「みんなで書くことをお祝いする日」と訳したいところです。

これはアメリカの、「日本国語学会」的なところが運営しています。https://whyiwrite.us/
(日本の学会にも、がんばってほしいので、書きました!!)
このホームページには、それに参加する方法などを含めて、書くことに関係する情報がいろいろ提供されています。

この間に私が見た中でもっとも気に入ったのは、いくつかのいい絵本を出していて有名なジャクリーン・ウッドソンの動画メッセージです。

その内容だけを打ち出したものが、下です。
My equation is reading equals hope times change. This month, it’s writing equals hope times change. When we write we can change the narrative. We can change the narrative of the world. We can change our own narrative. We can create a more community-based narrative as we share our stories. And all of that is so important to impacting a greater good.
上記の英語を、グーグル翻訳を基に、少し分かりやすいように手を入れてみました。
「私の方程式は、読書=希望×変化です。今月は、書くこと=希望×変化です。私たちが書く時、ナラティブ(物語)を変えることができます。私たちは世界のナラティブを変えることができるのです。私たち自身のナラティブを変えることもできるのです。私たちがストーリーを分かち合うとき、よりコミュニティーベースのナラティブを作り出すことができます。 そしてこれらすべては、社会のより大きな利益に影響を及ぼすのに重要なのです。」

とても、パワフルなメッセージだと思いませんか?
日本の国語教育では、「書くこと」をこのように捉えているでしょうか?
(彼女は、読むことも、書くことも、「希望×変化」と捉えています!)
日本の作家たちの中には、それを感じる人もいますが、国語関係者にも、ぜひ同じような姿勢をもってほしいものです。そして、先生たちはもちろん。

書くことを祝うアプローチは、『作家の時間』の中で紹介されています。
第3章の「共有の時間」、および第8章の「出版」です。
今回の「みんなが書く日」ないし「みんなで書くことをお祝いする日」は、138~139ページで紹介されている2時間続きで行われた「作家の日」の実践に近いです。

日本の教育実践にまだ欠けているのは、子どもたちがとても好きなこの「祝う」というアプローチです。
「学びの原則」(https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/03/plc_18.html)の一つに含まれていますから、子どもたちがよく学べるようになることは確実です。

いまは、「作家の時間」と「読書家の時間」の算数・数学、理科、社会に応用するプロジェクトも展開していますが、この祝うアプローチは、とても効果的であることが証明済みです。「数学者の時間」だと、一人ひとりの子どもがつくり出した問題を出版するや、それを互いに解き合う日という感じになります。子どもたちは、教科書やドリルの問題よりも、自分たちが考えてつくり出した問題の方が何倍も好きです! もちろん、つくる過程では、単に解くのとは違ったことをいろいろと考える必要があります。ましてや、良問とクラスメイトに言ってもらえるものにするには!!(これまで、日本で行われてきた算数・数学、理科、社会の実践に、このように祝うアプローチは含まれていたでしょうか?)


★ この「祝うアプローチ」を中心に据えると、子どもたちがあまり(まったく!?)歓迎していない既存の読書週間や読書感想文も、かなり違ったものになると思いませんか? 主催団体には、ぜひ転換していただきたいものです。


2018年10月27日土曜日

読むプロセスも混沌としている ~そのプロセスでできることを教える

 2018年10月6日のWW/RW便り「作品の読み直し/書き直しをしない子どもたちへの対応」の中で、「書くプロセスは混沌としていること、その中で書き手ができるいろいろなことを教えるために、教師によるデモンストレーションが効果的な一つの方法★であること」に触れました。

 今回は、書くプロセスと同様に、読むプロセスも混沌としていることにについて考えます。

  あるテキストを理解していくプロセスは、一直線には進みません。立ち止まったり、考えたり、読み直したりします。また、背景、参照されていること、言葉の意味、作者について調べることもあります。

 でも教師が、この「プロセス」を生徒に見せることは意外に少なく、自分が苦労して得た理解という、教材研究の「プロダクト」(だけ)を、整然と提示して終わることが多いのではないでしょうか?

  時には、「プロダクト」に行きつくためには「混沌としたプロセスがあり、そこで具体的にできることがある」と示すことも有益だと思います。そこで、ミニ・レッスンでできそうなことを考えてみました。

1.ある程度、焦点を絞った「考え聞かせ」を行う。

 実際にどうやって読んでいるのか、教師が考えていることを口に出しながら読む「考え聞かせ」で、生徒に示します。優れた読み手が使っている効果的な読み方を見せたり、「新聞記事の読み方」「論説文へのアプローチ」等、ジャンルによって読み方が変わることを示すときにも便利です。

 
 「考え聞かせで読み手のしていることを体験する」(30~31ページ)や、「考え聞かせを使って教えるミニ・レッスン」(76~77ページ)という実践例が、『読書家の時間』(新評論、2014年)に載っています。小学校1年生の教室の実践例ですから、低学年でも十分に、読むプロセスでできることを、考え聞かせを使って教えられるのがわかります。

 
(「考え聞かせ」は、「混沌とした読むプロセスでできること」を教える以外にも、例えば、選書のときには、「題名を見て、裏を見て、中をパラパラっとみて、著者名を見ながら、その中で、思っていることを口に出す」等、使える場面は多いです。)

2.読むことの「プロダクト」をつくりだす「プロセス」で行うことを、複合的に、デモンストレーションで見せる。

 あるテキストをしっかり理解したいと思っている大人(教師)が、そのプロセスで何をしているのかを生徒に見せるのが目標です。

 デモンストレーションなので、普段のミニ・レッスンよりは時間がかかってしまうかもしれません。でも、教師だって、「自分が理解するために、数度読み直し、テキストを行ったり来たりしながら、調べたり考えたりする」★★ことをはっきり示すことができます。

 ・ そのテキストを何枚かコピーしておき、最初の理解、次の理解、さらに次にこれを調べて、など、 書き込みを増やしていく形で、教師が行ったこととその結果を、段階別に(あらかじめ)準備しておいてもいいかもしれません。

 ・ 読む時間中に生徒からでてきた質問を2,3集めておいて、「こういう問題を教師がどうやって解決するか」を見せるという方法もあります。学年によっては、インターネットの画面が教室に提示できるのであれば、言葉の意味や背景、時には画像検索等、教師がお薦めの、調べる方法のレパートリーも、併せて教えることができます。

*****

★ 2018年10月6日のWW/RW便りでも紹介しましたが、日本の教室での、書くことのデモンストレーションの実践例は、あすこまさんのブログ「改めて感じる、教師のデモンストレーションの手応え」で、ぜひどうぞ!https://askoma.info/2018/10/06/6934。

★★
「自分が理解するために、数度読み直し、テキストを行ったり来たりしながら、調べたり考えたりする」ことを示すためのテキストですが、その一つの選択肢として、「詩」はいかがでしょうか? 短い詩であれば短時間で紹介できますし、通常、詩は、数度読み直しながら味わうことが多いのではないでしょうか? 私自身、以前は「詩」は遠い存在でしたが、RWやWWを学ぶなかで、もっと理解したい・知りたいと思うジャンルになりつつあります。

 【参考情報】
 今回のトピックから少し離れますが、「詩」については、ナンシー・アトウェル著の『イン・ザ・ミドル』で、毎回のワークショップの最初の10分を使って「今日の詩」を読んでいることが紹介されています。この時間は年間を通して行われます。 
 「今日の詩」は、教師がしっかり理解した詩を、教師が音読し、子どもたちを詩の世界に招くところからスタートします。ですから、「教師がその詩を理解するプロセスを見せるミニ・レッスン」の時間ではありません。しかし、それぞれの生徒たちの話し合いを通して、詩にどうやってアプローチし、理解し、自分のものにしていくのかを学ぶ時間になっています。また、書き手として学ぶべき多くのことも同時に学んでおり、書くこと・読むことの両方を学び、クラスで共有できる言葉を培う土台にもなっています。
 「今日の詩」のセクションを読むたびに、「すごい10分の使い方!」と思います。同時に、詩も含めて短時間で提示できる秀逸なテキストを、私自身もっと知りたいと思わされます。
 詳しくは『イン・ザ・ミドル』(三省堂、2018年)の「今日の詩」のセクション(112~117ページ)をご覧ください。
 「今日の詩」については、いつか日を改めて、RW/WW便りで紹介できればと思っています。