2023年3月24日金曜日

ジャンルごとのユニット vs 自ら選択したジャンルで書くという喜び 

  ライティング・ワークショップの新年度の計画を考える中で、「自ら選択したジャンルで書く」という時間(ユニット)を確保しておくのはいかがでしょうか? 

 そんなことを思ったのは、アメリカでは、ライティング・ワークショップが広まり始めた1980年代と比べて、「いろいろなジャンルをバランスよく」学べるように、詩、回想録、説明文、意見文、フィクションなど、ジャンルを土台にした「ユニット」がきっちり組まれるようになってきている印象を受けるからです。ジャンルごとのユニットがしっかり組まれていることのプラス面が大きいのはよく分かります。しかしながら、ジャンルごとのユニットが連続するために、ライティング・ワークショップが「窮屈」になっている印象を受ける時もあります。

 ライティング・ワークショップでは、「自ら選んだ題材について書く」という「選択」が大切にされています。教師が設定したユニットでジャンルごとに学び、あるジャンルを学んでいるときは、そのジャンルだけしか書けない場合、子どもたちの選択の幅は、そのジャンル内に限定されることが続くことになります。

 それぞれに好きなジャンルや大きな飛躍を遂げるジャンルは、子どもたちによって異なります。次から次へと、自分があまり好きになれないジャンルが続くと、夢中になって取り組めない子どもたちが出てくることもあるでしょう。そこで、時には、教師が決めたジャンルという枠を外して、「どのジャンルで書くのか」も子どもたちが自ら決める時間を設けてみるのはいかがでしょうか。

 このところ読んでいる『Writing Clubs』(★1)でも、ジャンルごとのユニットの学びが年間を通して土台にあります。しかし、時折、「ジャンル」という枠を外すユニットを設けることで、子どもたちの書きたいという意欲を、再度、うまく引き出し、それがライティング・ワークショップへの新たなエネルギーにもなっているようです。

 ジャンルごとのユニットをきっちり組み立ててきた教師にとっては、複数のジャンルに共通するミニ・レッスンを考えることは、悩ましく思えるかもしれません。でも、例えば、「メンター・テキストを使った題材探しの方法」「書き手がどのように自分の下書きを読み直し、書き直すのか」「どうやって焦点をはっきりさせるのか」「具体的に描くことでより良い言葉の選択ができること」(『Writing Clubs』104ページ)など、複数のジャンルに共通するミニ・レッスンのテーマは、いろいろありそうです。

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 この本の題名であるWriting Clubsからも分かるように、リーディング・ワークショップにおいてブッククラブで学ぶ時間があるように、ライティング・ワークショップでも、ライティング・クラブで学ぶ時間を組み入れることも可能です。この本はそのやり方を紹介しています。上記のように、子どもたちがジャンルを選ぶユニットは「ジャンル・クラブ」と名付け、協働で学ぶ時間も取り入れています。

 これまでに、リーディング・ワークショップにおいてブッククラブを行ったクラスなど、子どもたちが協働で学ぶ経験がうまく機能してきたクラスでは、それを「ジャンル・クラブ」に応用してもいいかもしれません。

 ブッククラブで読みたい本の候補から、ブッククラブをうまく作れたクラスであれば、同じような方法で、ライティング・ワークショップの「ジャンル・クラブ」で扱いたいジャンルをいくつか選び、子どもたちをグループ分けしてみる、というイメージです。

 *ちなみに『Writing Clubs』の著者たちは、ライティング・ワークショップでクラブを作る際、参考になる情報やインプットを、常に子どもたちより得て、その情報を活用して、クラブを作っています。「ジャンル・クラブ」の場合は、「読むのが好きなジャンルは?」 「書くのが好きなジャンルは?」 という質問をしています。また、子どもたちが選ぶジャンルの選択肢それぞれについて、8~10冊程度のメンター・テキストを準備し、子どもたちは、それぞれのジャンルのメンター・テキストを、ざっと見て、それぞれのジャンルについて、気づいたこと、このジャンルで書きたいかどうか、そのジャンルへの希望の強さ(第1希望、第2希望)などをメモしたりしています(『Writing Clubs』105-111ページ)。それぞれのジャンル・クラブは、そのジャンルが好きな子どもたちが集まることが魅力ですから、それができるように何らかの手立ては必要です。

 クラブのメンバー分けが終わった後は、クラブメンバーと一緒に、メンター・テキストから、そのジャンルの特徴として気づいたことに名前をつけ、なぜそのことが大切なのかをメモする(『Writing Clubs』111-112ページ)という時間も経て、それらを自分の作品に活かしていきます。

 『Writing Clubs』では、「自ら選んだジャンルで書く」以外にも、「自ら選択した作家から学んで書く」というユニットも紹介されています。これも、ジャンルごとのユニットが続いて単調になってしまう時に、ジャンルという枠を外す一つの方法として考えてみてもいいのではないかと思います。もちろん、リーディング・ワークショップでの「作家について学ぶ」というユニットと関連させることもできそうです。

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★1著者はLisa EickholdtとPatricia Vitale-Reilly、Stenhouse より2022年に出版。この本は、2023年3月11日土曜日の投稿「書き手の目で読む 〜メンター・テキストを使う二つのタイミング」でも紹介しています。


2023年3月18日土曜日

ノンフィクションという「窓」

『理解するってどういうこと?』のなかには、この本の読者である「あなた」の「仮想の新しい同僚」としてエリンさんが設定した「トレーシー」という先生が随所に出てきて、議論を具体的に展開する役割を果たしています。第7章ではその「トレーシー」がランチのときにほかの二人の同僚教師と「作品構造」について話す場面が出てきます(「あなた」もその会話に加わっているという設定です)。かつて中学校で教えていて今は小学校5年生を教えている「サム」は次のようなことを言います。

「あの子たちの書くノンフィクションの文章はあまりにもひどすぎる。しかも、ノンフィクションの読み手としても弱いんで、あの子たちをノンフィクションに熱中させようとして、中学校でたくさん時間をかけたんだ。僕は自分の小学校での指導の経験から強く感じているんだけど、小学校ではノンフィクションの読み・書きよりも、物語の読み・書きに偏っているから、その影響が中学校であらわれているんだよ。」(『理解するってどういうこと?』259ページ)

 もう一人のジェシカという教師は「去年の春、ほ乳類について勉強していたとき、『タイム』の子ども版のなかのクジラについて書かれた素晴らしい記事を教材にしてみたんだけど、子どもたちはみんなそれに引き込まれたのよ。ワクワクして、話し合いも素晴らしかった。けれども、その後、この文章から学んだことをプロジェクトのなかで使わせようとしたんだけど、まるで、“明かりをつけても、家には誰もいない”状態だったのよ! あの子たちは読んだ文章の材料を覚えてもいないし、自分たちのプロジェクトのなかでもう一度使うこともしない。この問題をどうしていいかわからないのよ。あの子たちの頭のなかには何も残らなかったみたいで」と言っています。次のミーティングの時間が迫っていたため「あなた」の「たぶんさっきから言っていることは、よく理解することができるようにあの子たちが自分の思考を変更できないで、これまでにもっている知識を修正して新しい知識を取り入れようとしない、ということよね」という言葉でこの会話は終わっています。

 サムもジェシカも子どもたちを非難しているわけではありません。子どもたちが「これまでにもっている知識を修正して新しい知識を取り入れ」るための取り組みが必要だと言っているのです。

ノンフィクションのアンソロジーというかたちで、そのことに取り組んだのが、澤田英輔・仲島ひとみ・森大徳編『〈読む力をつけるノンフィクション選〉中高生のための文章読本』(筑摩書房, 2022年)です。澤田さんと仲島さんと森さんは、おそらく、トレーシーとサムとジェシカと「あなた」がしたような会話を幾度も繰り返しながら、この本を編んだのだろうと思います。澤田さんたちは、この本の冒頭で、長田弘の詩「世界は一冊の本」を引いた後に次のように言っています。

「一冊の本が未知への扉となって、読み手を新しい世界に連れて行くことがあります。みなさんもこれまでに、本の世界に深く潜りこんで、知らない学校の教室で親友を見つけたり、コンピュータの中で怪盗と戦ったり、人間が動物と話せた太古の世界で暮らしたりしたことがあるかもしれません。私たちが日々の生活に戻った後も、物語の世界で出会った彼らの息づかいを確かに感じられるのも、よくあることです。/そういう読書の楽しみは、物語を読む時にだけ訪れるものではありません。私たちの暮らす世界についての事実や考えを書いた本にも、読書の楽しみは存在します。本書では、物語ではないそのような文章を広く「ノンフィクション」と呼んでいます。そこには、人間と話せる犬や魔法使いは(今のところ)出てきませんが、同じように不思議と驚きに満ちた「物語」が隠れています。身近な植物の素晴らしい仕組み、一人では何もできないロボットの魅力、大震災に見舞われた時の肉親の死・・・・・・。これらの「物語」を旅するうちに、私たちはやはりそこに深く潜りこんで、動植物について、人間について、社会のあり方について、以前とは違う角度から深く出会い直すことができます。そして、その経験によって、今いる世界の見え方や感じ方がまるで変わってしまうことすらあるのです。」(『中高生のための文章読本』5ページ)

 『中高生のための文章読本』には、20編の「ノンフィクション」と、巻頭に長田弘の「世界は一冊の本」、巻末に文月悠光の「主人公」という詩が収められています。目次を眺めるだけでも魅力的なアンソロジーです。一つひとつの文章には、文章を再読しながら考えるきかけとなる「手引き」が設けられています。たとえば「キリン解剖記」(郡司芽久)はタイトルを見るだけで読まずにはいられない気持ちになりますが、「1 「頭を使って解剖する」(9816)とはどのようなことか、説明してみよう」「2 自分の体の一部や身の回りにある動植物、道具や部品など、何かを観察して、その形や仕組みを絵で描いたり、言葉で説明してみたりしてみよう。」という「手引き」が添えられています。「1」は「キリン解剖記」という文章を繰り返し読み直しながら「解剖する」という営みの本質を考えることにつながります。「2」は、ノンフィクションの文章を読む行為を、読者自身や自分の身の回りを理解する手立てにするものです。いずれもノンフィクションの文章と自分と自分を取り巻く事象を関わらせて、読者の作品をつくり出す営みです。

澤田さんたちはこの本を通して、「ノンフィクション」を読んで考えたこと、感じたことを述べ合う機会さえあれば、つまり、自分以外の読み手の、文字表現との関わり方を知る機会が設けられれば、「ノンフィクション」の文章を面白く読む可能性が増え、読む行為が豊かになるということを私たちに伝えています。この本の最後には、「一般的な見方や思い込みの揺さぶりを楽しむ」「逆説的発想を楽しむ」「見えないものが見えることを楽しむ」「複数の文章の関連を見つけて楽しむ」という「評論を楽しく付き合う4つのコツ」が提案されていますが、その一つひとつが、「これまでにもっている知識を修正して新しい知識を取り入れ」るための取り組みだと言っていいでしょう。読むことで揺さぶられ、もがき、考えて意味をつくり出す時間をもつことが何よりも大切で、生きることなのだと、『中高生のための文章読本』は私に語りかけてきます。このアンソロジーの一編一編を読むたびに、私のなかに未知の世界が広がっていくのです。フィクションが自己と世界を映す「鏡」だとすれば、ノンフィクションは、私が知らない世界をのぞき見る「窓」です。読者である私はその「窓」から見える世界についての自分の無知を知るのです。

2023年3月11日土曜日

書き手の目で読む 〜メンター・テキストを使う二つのタイミング

 2月23日の投稿に引き続き、書き手の目で読むというトピックについて、今回は、メンター・テキストから考えます。メンター・テキストというと、私はすぐに「美味しい食事を味わうことなく、名シェフになりたいと思うでしょうか」(『ライティング・ワークショップ』フレッチャー&ポータルピ、2007年, 95ページ)という文を思い出します。メンター・テキストを活用するためには「美味しい食事を味わう」ことだけでなく、「どうやって調理しているのだろうと考えて、それをうまく活用する」ことも必要です。特に後者については、「自分の下書きに欠けているもの」を自覚することが前提にあると思います。そう思うと、「書き始める前」と「書いている間」で、メンター・テキストへのアプローチも少し変わってくるのかなと思い始めています。

1)下書きを書き始める前に使う 

 下書きを書く前に「見本になりそうなもの」を探すことは、私も日常生活で時々行なっています。例えば冠婚葬祭に関わるお知らせや手紙など、頻繁には書かないタイプの文章を書くときは、検索をすれば、サンプルになりそうなものが見つかります。でも、これは「メンター・テキストを探す」というよりは、「どういう情報を入れる必要があるのかを知る」とか「失礼にならないように注意する」というレベルの検索です。私は多くの場合、それ以上の努力はあまりしていないように思います。

 今、読んでいる『Writing Clubs』という本の中で、ある先生が親しい友人の高校3年生の子どもに向けて「卒業に向けての手紙」(graduation letter)(★2)を書くように依頼されるというエピソードが紹介されています。先生はすぐに快諾したものの、「卒業に向けての手紙」(graduation letter)とはどういうものかや何が期待されているのかがよくわかりませんでした。

 先生は、早速それについて調べてみます。すると、卒業していく生徒がこれまでの成長の過程に思いを馳せ、かつ今度に向けてのアドバイスも得られるような手紙であること、また、友人や家族が、いろいろな人に手紙を書いてくれるように依頼し、集まった手紙を束ねて、卒業していく生徒が集まる朝食会の日の朝にプレゼントする、というようなもののようです。

 ここまでわかればなんとか対応できそうですし、私であれば、このタイミングで書き始めて、それで完成させて終わりになりそうな気がします。しかし、この先生は、メンター・テキストになるような優れたものをいくつも探します。そして、幾つも優れたものに触れてから、書き始めています。

 以下の「2)書いている段階・推敲の段階で使う」と関わりますが、最初の段階で幾つも優れたものに触れているので、「2)書いている段階・推敲の段階でメンター・テキストを使う」ことがスムーズにできているように思います。

2)書いている段階・推敲の段階で使う 

 上記の先生は、下書きを書き始める前の段階で見つけたメンター・テキストの中でも特にお気に入りになった幾つかに、書いている段階で、何度も戻ります。

 書いている段階・推敲の段階で使う時は、「美味しさ」の秘訣を解明し、自分に使える技がないかに焦点が移ります。この先生は、構成の仕方がとりわけいいと思ったテキストを参考にして自分の手紙を構成したり、ユーモアやエピソードの使い方を学んだりしながら、自分の手紙を仕上げていきます。

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「要求されている内容がわかった段階で書く」ことと「そのジャンルでの秀逸なものに触れてから書く」ことの差は大きいと思います。子どもも大人もあまり余裕なないので、前者で終わることも多そうです。前者だけで「合格点をクリアする」とか「無難なものを書く」ことはできそうですし、もちろん、これ自体、必要なスキルだと思います。

 でも、メンター・テキストを「活用する」ことを考えるのであれば、もう一手間かけて、そのジャンルでの秀逸なものに触れる(=美味しい食事を味わう)ことが必須となりそうです。これは、下書きを書き始める前の段階から、できることです。

 そして書き始めてからもメンター・テキストは必要です。それは書き始めてみないと、自分の下書きに欠けているものがわからないからです。自分の下書きに足りないもの、うまくいっていない箇所がわかれば、「どうやって調理しているのだろうと考えて、それをうまく活用する」段階がスタートできます。焦点も、自分の出合ったお気に入りのメンター・テキストではどのような工夫がされているのか、自分が使えることがないのかを見つけることに移ります。

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 『Writing Clubs』の中では、書いている段階・推敲の段階でメンター・テキストを小グループで学ぶ例が出てきています。著者たちは、子どもたちの自己評価というプロセスも経て、子どもたちが必要としていることを理解してから、メンター・テキストの導入を計画・実行しています。こちらの具体的な方法については、また日を改めて紹介できればと思います。

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(★1)著者はLisa EickholdtとPatricia Vitale-Reilly、Stenhouse より2022年に出版。

(★2)上記の先生のエピソードは67-68ページに書かれています。

2023年3月3日金曜日

年度末に、生徒が自分を紹介する動画の作成

 年度末に、来年度のクラスの先生に見てもらう「自分」を紹介する動画を撮る、ないし文章を書くというアイディアです。

 http://projectbetterschool.blogspot.com/2023/01/blog-post_08.html と http://wwletter.blogspot.com/2023/02/sel.html の続編的な位置づけとして捉えられます。つまり、①自己評価と、②自己認識/アイデンティティーを中心にSELのスキルを磨き、さらには、③年度や教科をブツ切りにしないための試みです(これら三つはいずれも、現時点ではあまり大切にされているとは言い難いものではないでしょうか?)。

 年度の変わり目というのは、学校においては一つの大きな節目です。何よりも教師が変わったりしますから。その節目を、これまではどのように活かしてきているでしょうか? 紹介する活動は、その節目を一人ひとりの生徒の自己評価とアイデンティティーを記録に残すことで、次年度の教師(や場合によっては、クラスメイト★)によりよく知ってもらい、より適切な教育活動につなげてもらおうという試みです。

 生徒たちは、1年間を振り返って、

・自分が成し遂げたことや自慢できること

・自分の強み

・逆に弱みで、克服したいこと

・新年度、チャレンジ/目標/抱負にしたいこと

・その他、自分について先生にぜひ知ってほしいこと

など★★を、短いインタビュー(動画か音声録音)ないし、文章の形で書いてもらうのです。前者なら、スマホやタブレットなどを使って容易にできます(Flipgridがおすすめ!)し、後者なら、紙でもオンラインでも可能です。前者は、基本的に対面式になりますから、教師が生徒のことをより大切にしていることがメッセージとして同時に発信されることになります。後者は、同時一斉に書いてもらえます(もちろん、宿題等にすることも可能です)から、時間的な効率性ははるかに高くなります。

 この自分紹介のインタビューないし、文章を書くことは、言うまでもなく生徒たちに応えてもらうこと半分で、次年度の教師(たち)がその情報を活かすことが半分です。紙であれ、オンラインであれ、音声であれ、画像であれ、記録として残されていることが、それを活かす際には大切です。(この「両者に半分の役割/責任がある」ことは、学期末や学年末の通知表の捉え方も再考を求められませんか? 教師がそれを書くのは半分(あるいは、前掲のhttp://projectbetterschool.blogspot.com/2023/01/blog-post_08.html の発想と実践に移行すれば、その役割は、もっと低下?)で、生徒や保護者の反応およびアクションが少なく見積もっても半分です。そのために、どのような評価や成績の出し方および通知の仕方に変換することが求められているでしょうか?)

 そして、この生徒たちの生の「声」★★★を大切にする試みは、いま声高に叫ばれている「個別最適化」の第一歩であるはずなのですが、そのような視点はその議論や方法のなかにどれだけしっかりと位置づけられているでしょうか?(もし、なければ、本気でやる気がないか、やる方法を知らないのに、単に「個別最適化」を叫んでいることになります。)

 

★対象を教師以外に広げるのは、プライバシーの問題なども浮上しますから、要検討です。しかし、教師だけが知ればいいかという部分がすべてはなく、教室コミュニティーとして大切にする必要性があることもたくさん含まれています。次の質問内容と関係する部分が大きいです。

★★対象学年によって、質問内容は臨機応変に変えてください。何よりも、生徒が答えたくなるような質問が大切です。もちろん、対象によっては質問なしで「生徒にお任せ」というのもあり得ますし、一方で、その場で質問に答えてもらうのではなく、あらかじめ提供しておいて、事前に考えてもらう方がより中身のある動画や文章が可能にもなります。(すべては、教師の選択です!)

★★★この「個別化された学び」を実現するために、最重要とさえいえる「一人ひとりの生徒の声」については、すでに『私にも言いたいことがあります!』や『一人ひとりを大切にする学校』が出ていますが、あと2か月ほどで出る予定のhttps://projectbetterschool.blogspot.com/2022/11/blog-post_20.html で紹介した二つ目の表が載っている本のなかでは、「個別化された学び」を実現するための四つの大事な特徴の一つに「声」が据えられており、本のなかで詳しくその方法が紹介されています(残りの三つがいったい何かをお楽しみに!)。

 

参考: https://blog.stenhouse.com/otymt-identity-interview