2017年9月29日金曜日

よく読める読み手が共通にもっているスキルとは・・・


それはメタ認知力だ、というのがhttps://www.edutopia.org/article/trait-strong-readers-shareの主張です。

生徒たちは学校で(そして、家でも)たくさんのテキストを読みます(読まされます)。国語に限らず、よく読めるか、そうでないかの違いは、メタ認知が使えるか否かだとというのです。

メタ認知を、「自分が読んでいるテキストに関して、読み手として自分の中で行っている対話」を定義しています。(これって、いままでのメタ認知の定義で一番分かりやすいかも!)このスキルを使える読み手は、自分が読んでいるものを深く読め、自分なりの意味をつくり出せるので、読むことを楽しめるわけです。逆に身につけていない読み手は、うまく解釈/理解できないので、楽しめません。(その結果、「僕は読むのが好きじゃない/嫌いだ!」となる可能性が大になります。)

私自身が、メタ認知に興味をもつようになったのは『「考える力」はこうしてつける』(ジェニ・ウィルソン他著、新評論)に出合った1997年ごろでした。本の内容を一つの図で表すと、以下のようになります。

この図の各項目が、本の内容そのものです。興味をもてた方は、ぜひご一読を。ジャーナルは、あえて日本語にして「学習日誌」と訳していました。

上記の記事の執筆者たちも『「考える力」はこうしてつける』の執筆者たちも、振り返りやメタ認知は、教えられれば/練習さえすれば、誰でも身につけられる、と言います。(あなたは、生徒たちに教えて/練習の機会を提供していますか?

具体的なその中身は、『「読む力」はこうしてつける』で紹介している

    自分や身の周りにあることや世界とのつながりを見いだせる。
    イメージを描き出せる。
    疑問や質問を出せる。
    行間を読める(文字としては書いていないが、作者が言いたいポイント。推測できる)。
    何は大切な(覚えておく必要がある)情報で、何はそうでないかの判断ができる。
    様々な情報を整理・統合して、自分なりの解釈や活かし方を考えられる。
  自分の理解を修正しながら読むことができる。必要があれば、読み直すことをい  とわない。

の7つです。(これは、本の「まえがき」に書いたように、考えるときはいつでも使っているものばかりです! そして、これらの教え方を丁寧に紹介しています!)

この記事で他に紹介している方法には、⑧読み始める前に自問自答できることと、⑨分析的/クリティカルな視点の2つがあります。

  読み始める前に自問自答できること
・表紙、タイトル、イラストなどを見ながら、本やテキストがどんな内容かをイメージする。
・これを読む目的は何か? この本/テキストから学びたいことは何か?
・このテーマについて知りたいことは何か?
・このテーマについてすでに知っていることは何か?

  分析的、クリティカルな視点 ~ 主には、読み終わった後に考えること
・作者の主要なテーマや主張は何か?
・作者はなぜこれを書いたのか?
・作者の情報源は何か?
・作者のことを脇に置いて、このテーマに関する自分の考えや意見は何か?
・これから学んだことは何か? それが自分の人生やすることにどう役立つか?


もしあなたが、まだ①~⑨を使っていないなら、ぜひ頻繁に使って、いろいろな本やテキストを読んでください。そして、その体験を踏まえて、子どもたちに同じ体験を、ぜひさせてあげてください。


2017年9月22日金曜日

ブックトークが一番! ~生徒が選んだ、本に夢中になるのに役立つこと~



 本に夢中になるのに役立つことを生徒に尋ねたところ、生徒がベストに選んだのは、その教室(中学校です)で年間250~300冊行われるという、生徒と教師によるブックトークだったそうです。★

 (ちょっと意外だったのは、役立つこととして生徒が選んだベスト10を見ていると、9位は「読んだことについて先生と個人的に話すこと」、10位は「毎日自宅で少なくとも30分読むという宿題」です。どちらもかなり役立ちそうな気がしますが、生徒の意識ではブックトークの方が、だんぜん、威力があるようです。)


 一見、簡単なブックトーク。必要なものは本だけ。教師も一人ひとりの生徒の顔を思い浮かべながらブックトークの本を選びますし、生徒もブックトークをします。


 この教室のブックトークでは、大好きな本について、主人公とその主人公が直面している問題、本のジャンル、テーマ、なぜ好きなのか、そして自分が本を10段階評価したときの点数等について、簡潔に語ります。聞いている人が読みたい気持ちになれるように、語りすぎないようにし、クラスに、すでにその本を読んでいる子どもがいれば、そこに一言付け加えてもらうこともあります。この教室のブックトークはそんな感じです。

  この教室で行われているブックトークについて他にも少し紹介します。

 1)ブックトークは先着順: ブックトークをしたい生徒は、インデックスカードに自分の名前を書いて、本にはさみ、その本を棚の決められた位置におく。リーディング・ワークショップの最初に、先生は、そこから最初に置かれた2,3冊を取り、インデックスカードを見て、ブックトークをする人を呼ぶ。
2)読みたい人が複数でるときは公平に順番を決める: ブックトークのあとは、その本を読みたい人がたくさん出てくることもある。そのときには、その本を読みたい生徒に挙手をさせ、ブックトークをした人が心のなかで決めた数字をあててもらう。一番近い数字を言った人が本を取り、他の人は自分の「読みたい本リスト」に書名を記載しておく。

 3)先生がブックトークをするときには、いろいろな理由で本を選び、一度に複数冊を語ることが多い。

 4)先生が、まだ読んでいない本について、なぜその本を購入することにしたのかを語り、裏表紙等に書いている説明や引用などを読み上げ、誰か最初にこの本にトライしたい人がいないどうか尋ねることもある。

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上記の教室、そしてそこで行われているブックトークについては、Nancie Atwell & Anne Atwell Merkel著 The Reading Zone (second edition), Scholastic, 200917ページ、4042ページに詳しく説明されています。

*****

【おまけ】
  上記のように、紹介された本に希望者が殺到することもあるぐらい、パワフルなブックトーク。でも、私自身は「うまくいっていない」ブックトークも少なからず経験しました。

 その筆頭は「ひたすら、延々とあらすじを語ることに終始する」です。聞いているほうもつまらなくなりますし、読む前に話がどう終わるのかわかると、読む気も失せてしまいます。

  今、思うと、あらすじを丁寧に語るのは、教師に対して「ちゃんと読んできました」という証明だったのかも、と思います。

  対処療法的に「いいブックトーク」と「悪いブックトーク」の条件を出してみたり、「あらすじと書評の違い」をやってみたり、ブックトークの時間を制限してみたりしました。
 それはそれで、効果はあるものの、今、思うと、ブックトークの「量」が完全に足りていなかったことが、一番大きな問題という気がします。(ブックトークが機能している、上記の教室は年間250~300冊。。。)
 今回、上の本を読みながら、改めて思ったのは、ブックトークを「たまに行われる、やらされることにしない」でした。

 たまに行われることであれば、練習量も、いいブックトークに触れる量も足りません。
 やらされることになると、「先生が求める、上手なブックトークの条件を満たすもの」を行うみたいになり、ブックトーク自体が目標になってしまうかもしれません。そういえば、上の教室ではブックトークの出来に点数をつけることはしない、とも書かれていました。

 また、生徒にいいブックトークや悪いブックトークの条件を考えてもらうのもいいかもしれませんが、まずはいい見本をたくさん、ということで、教師が毎回、複数冊を上手にブックトークして、これでRWを軌道に乗せたほうが早いように思っています。

2017年9月15日金曜日

面白本をつくる秘訣はそれを見つける秘訣でもある

 「ベストセラー」小説とそうでない小説との間にはどんな違いがあると思いますか? 本棚に並べれば同じ本だし、外見だけではわかりません。薄くてすぐに読める本だからといって「ベストセラー」とは言えませんね。上・中・下三巻本であっても「ベストセラー」本はたくさんあります。そういう本を書くつもりはとくになかったのですが、書店をぶらぶらして、そういう本に目が向いたということは、私も無意識のうちにそういう思いを持っているのかもしれません(笑)。
 ジョディ・アーチャー&マシュー・ジョッカーズ著(西内啓・川添節子訳)『ベストセラー・コード―「売れる文章」を見極める驚異のアルゴリズム―』(日経BP社、2017年)が「そういう本」です。『ダ・ヴィンチ・コード』『ミレニアム』『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』といったベストセラーが売れる法則を、テキストマイニングの技術を駆使して解き明かした本なのですが、この説明では抽象的過ぎますね(「売れない」条件の一つ)。
「言語学者のジョン・ルバート・ファースは1957年に、ひとつの単語はまわりの単語を見ることで理解される、と述べた。言いかえれば、単語の意味は文脈のなかにあるということだ。(中略)コンピューターはすべての単語を文脈のなかで見ることを学ぶ。このように単語を大きな文脈で理解するようにつくられたアルゴリズムをトピック・モデルという。」(60~61ページ)
 「アルゴリズム」とはコンピューターの計算方法を指す言葉です。『ベストセラー・コード』の著者たちは実際にコンピュータに小説の本文を読み取らせて、その本文をもとに語彙分析を行いました。著者たちの計算方法(理解の仕方)は、「単語を大きな文脈で理解する」というものでした。
 このアルゴリズムを走らせると、二つの重要な情報が得られます。それは、
①私たちが集めた小説のなかにどのようなトピックが存在するか、そして、各トピックはどのような単語から構成されているか
②本ごとの各トピックの割合
ということです。この「トピック・モデル」を使って「ベストセラー」小説に共通する特長を浮き彫りにしようとしたのがこの本です。
「トピック・モデルのアルゴリズムが主なトピックを見つけ、それらが本のどこで、どれくらい出現しているかを分類して定量化したあとは、無作為に選んだ結果を、どの本がベストセラーでどの本がそうでないかを事前に学んだ機械学習のアルゴリズムに投入する。」(72ページ)
 こうしてこの「モデル」は、「ベストセラー」本にどういう「トピック」が多いかを明らかにし、「適切なトピックを適切な割合で織りこむことをもっともよく理解している」作家としてジョン・グリシャムとダニエル・スティールの名前を挙げています。この二人に共通の条件は次の四つ。
○それぞれの作家に特有のひとつのトピックで小説全体の3分の1をつくっている。売れる作家はもっとも大切な30パーセントにひとつかふたつのトピックしか入れていない
○「家庭での時間」「家族の時間」と「病院、医療」「事故」「医師」等といった異質なトピックが上位にある。2番目以降のトピックは現状を脅かすような衝突を示すものがいい(「家族の時間」の後に「病院、医療」「看護師」「医師」「救急車」などのトピックが続くような小説は読者を引きつける可能性が高い)。
○リアリズムが必要
○トピックは大衆のなかにあるものにすべし
 どうでしょうか。引き込まれて仕方がない面白い小説はこのような条件にかなっているのではないでしょうか。こうした分析は、ひたすら読んで読みの面白さを味わうことのできる本や文章を選ぶ目安にもなりそうです。私自身の経験から言えば、長編の場合、全体の80~100ページほど読んでこの四つのことに当てはまらない小説は、それ以上読み進めてもちょっと・・・ということが多いようです(「ベストセラー」ばかりを読んでいるわけではありません)。
 次のような言葉も重要です。「ボディ・コード」と題された部分に書かれています。
「読者は心が、本能が、身体が反応したと口をそろえて言っているからだ。読書は頭で楽しむものとは限らない。心で、感情で、身体で、そして存在を信じている人にとっては魂で楽しむものなのだ。問題は、長いあいだ、こうした楽しみかたが恥ずかしいものだと思われてきたことだ。」(116-117ページ)
 時間を忘れて読みふけった経験があれば、よくわかる言葉でしょう。読みふける・読み浸る・ひたすら読むという経験は「ボディ・コード」で反応しているのです。「ベストセラー」と呼ばれるものほどそういう読者反応を引き出すというのが著者たちの主張です。
 もう一つ面白いのは122ページから147ページにかけて、小説のなかのポジティブな感情をあらわす言葉とネガティブな感情をあらわす言葉に注目しながら、コンピューターに小説本文を分析させてみると、幾通りかの「カーブ」をグラフとして描くことができている点です。「ベストセラー」の基本的なプロットを七つ描き出しています。「喜劇」「悲劇」「成長物語」「再生のプロット」「旅と帰還」「探究」「モンスター退治」の七つです(プロットの視覚的イメージとくわしい説明については、ぜひこの本を読んでください)。そして「ベストセラー」に共通して、グラフの「カーブ」の描き出す山と谷の「間隔」がほぼ同じで、「均整のとれた対称性」があると著者たちは言っています。「大ヒットする小説には規則的で力強い律動がある」(147ページ)とも。
 人の心を引きつける面白い授業やプレゼンテーションにもあてはまりそうなことです。「ベストセラー・コード」は、一見、売れる小説を書く手引きになるばかりか、実は受け手に働きかける効果的な作品を作り上げる秘訣のようなものなのです。興味深いのは、こうした研究を進めた著者たちが「世の中にはごく少数の物語しかなくて、それがときに大胆な演出を加えられながら何度も繰り返し語られている、という昔から言われていることの方が真実なのではないかと思うようになった」(328ページ)と言っていることです。これは、松岡正剛さんの「物語マザー」(『知の編集工学』、朝日新聞社、1996年、243ページ)の提案と共通しています。
 著者たちが「ベストセラー・コード」を探り出す手続きは、言語作品を理解する手がかりにもなります。本当にそうなのかを、著者たちがあげている小説を読んで確かめてみたくもなります。私もさっそく、スウェーデンの作家ラーセンの『ミレニアム1(上)』(ハヤカワ文庫)で実践をはじめたのですが、分析するどころかプロットに引きずりこまれ、いつしか「規則的で力強い律動」の心地よさに流され、確実に寝不足になりつつあります。

2017年9月8日金曜日

読書感想文と作文コンクールを葬り去ろう!


これら2つは、単なる習慣の産物? それとも、やらせる側の思考停止の証し?
これら2つの効果は、証明されているでしょうか?

夏休みというと読書感想文と決まっています。
これは、本をなんとか読ませたいという人たちが、親切心から、自分では主体的に読まない子どもたちに読ませるために、考え出したと思われます。
しかし、動機づけとしては最悪です。
私自身、50年以上前に書かされて、そのおかげで、読むことを嫌いにさせられましたから。(もちろん、年に一度の読書感想文よりは、日々の国語の授業のおかしさの悪影響の方がはるかに大きかったですが!)

あえて、この読むのを嫌いにする行為を、読書を推進したい人たちは、なぜやり続けるのでしょうか?

不思議でなりません。
読書を推進したい人たちは、この問いを考えたことがあるでしょうか?
書かせた後に、作品が上がってきて、それで自分たちがすべきことはやった、と終わりにせずに、しっかりフォローアップのアンケートをとれば済むことなのに。

「読書感想文を書いて、次の本が読みたくなりましたか? また、読書感想文を書きたくなりましたか?」

追加で、以下のような質問をしてもいいかもしれません。
「本を主体的に読むための方法として、読書感想文を書くことはいい方法だと思いますか? 他に、より効果的な方法は考えらえますか?」

自分たちで、いい方法が考えられないなら、書かされる当事者たちに聞くしかないです。
書かせる側よりは、いいアイディアをたくさん出してくれるはずです。

読書感想文よりもはるかにいい方法の一つは、「紹介文」です。
感想文のまずいところ一つは、その目的が見え見えな部分です。つまり、読んだかどうかを、教師(主催者)がチェックする、です。

そして、上記の「あえて、この読むのを嫌いにする行為を、読書を推進したい人たちは、なぜやり続けるのでしょうか?」の答えの一つになりますが、「良書主義」という日本の読書教育と読解教育にはびこっているガンです。★
いい本なんだから、いい感想を書かないといけない、というような脅迫観念が付きまといます。そんな中で書かれる(書かされる)文章自体、お決まりのパターンにならざるを得ません。

それに対して、紹介文なら、本当に紹介したいと思わなければ、書かなくていいのです。自分が心底書きたいと思った本についての紹介文こそに価値がありますから。(もし、そういう気持ちがない紹介文は、誰も読みたいとは思えませんし、それは書いている本人が一番分かっていることです。そんな無駄な時間は、誰にも費やさせるべきではありません!)
感想文を読んで、自分も読みたい、となる人はどれくらいいるでしょうか? 紹介文に比べたら、10分の1とか、20分の1だと思います。それだけでも、感想文をやめて、紹介文に移行する大きな理由ではないでしょうか?
紹介文なら、その本を出した出版社も含めて、いろいろなところが使える可能性すらあります。(読書感想文を使いたくなるようなところは、ないと思います!)
新聞等の書評欄を書く人たちよりも、魅力的な文章を書く子どもたちがたくさん現れることでしょう。

いろいろなテーマで書かされる作文コンクールも、上記の読書感想文と、同じ構造になっています。
一度、あるテーマで作文を書かされた人が、コンクールに関係なく、自分で主体的に書くということは考えられるでしょうか?
私たちが子どもたちに期待しているのは、ある特定のテーマで作文を書かせて、子どもたちが書くことを嫌いになることでしょうか? それとも、テーマを引きずって書き続けることでしょうか? さらには、テーマに関係なく(誰に求められるのでもなく)主体的に書き続けることでしょうか?

作文コンクール的なもの(NHKラジオ番組の「地球ラジオ」の「作文かいたよ」も、基本的には同じ!)を書いた人が、「今度は、こんなものを書きました」と主催者に自主的に送ってきてくれることはあるでしょうか? あるいは、そういうことを主催者は、最初から望んで/意図して考えているでしょうか?

本来の目的は何なのか? それを実現する方法は、今の方法でいいのか、を考えたことはあるでしょうか?

同じ時間をかけながら(それは書かされる子ども、書かせる教師、そして主催者や潜在的な読者にとって)、得られる結果は雲泥の差ができてしまいます。

こういう思考停止の事業をやり続ける人や仲介役を担う先生たちにこそ、作家の時間や読書家の時間関連の本 https://sites.google.com/site/writingworkshopjp/teachers/osusume  を読んで、子どもたちの中に読むこと嫌いや書くこと嫌いをつくり出すのではなく、継続して読み続ける/書き続ける子を育てる方法でアプローチしてほしいです。


★ 誰にとってもいい本など、あり得るはずはありません!(読むタイミングを変えれば、そういうこともあり得るかもしれませんが。)



2017年9月1日金曜日

『それで?の法則』~中学生の言葉から生まれたWWのミニ・レッスン



 「それで?の法則」は、「作家の技」を教えるためのミニ・レッスンの一つです。中学生を教える先生がミニ・レッスンで生徒の作品を使って、「テーマ」という概念の説明をしていたときに、そのクラスの他の生徒が「それで?」と問い返したところから、このオリジナルな言い方が生まれました★。
 
 この法則を今日のRWWW便りで、紹介したいと思った理由は二つあります。
 
 まず、一つ目。生徒がある概念をしっかり理解できるような、その教室ならではの言い方があるのが、単純にいいなと思いました。★★
 
  二つ目は、この「それで?の法則」は、夏休み明けの「作家の時間」でのミニ・レッスンにいいかも?と思ったからです。
 
 「それで?の法則」とは、「テーマ、書く目的、理由、動機等を掘り下げる」ことです。

 また「それで?」と自分に問いかけることで、書きながら、新たな意味を創造したり、隠れていた意味を見つけることにもつながります。
 
 夏休みには子どもたちはいろいろな経験をしていますから、書きたい「出来事」はたくさんあるかもしれません。でも「●●に行きました、●●をしました」だけで終わってしまっては、もったいないですし、読者にとってもあまり印象に残らないように思います。
 
 そこで、「それで?の法則」の登場です。
 
 この中学校の教室の「それで?の法則」のまとめの中で、次の文章に、私は強い印象を受けました。
 
「それで?」という問いに答えるには、書き手自身がどのように考え、感じているのかを追求するのが一番だ。書き手が書くことを考え抜くことで、「それで?の法則」が生きてくる。しかし、いくら考えても「それで?の法則」の答が見つからないこともある。そういう場合は、その題材をあきらめるか、一時保留にしておこう。★★★ 
 
 この最後の箇所、「そういう場合は、その題材をあきらめるか、一時保留にしておこう」、これに、私はとても納得です。
 
 WWで「(現時点では)自分が追求する価値のない題材はやめるか一時保留する」ことができるのは、RWの選書で「(現時点では)自分には合わない本をやめる」ことと同じぐらい大切だろうと思いました。

 ちょうど、読み手が少しずつ、自分の選書の基準をつくっていくように、書き手も自分で題材選びの基準をつくっていくのだと思います。「それで?の法則」は、その一助にもなりそうです。

*****
★ 中学レベルの優れた実践者、ナンシー・アトウェルの教室の例です。詳しくはNancie Atwell著の 『In the Middle』の第3版、114117ページ。

★★ その教室ならではの言い方という点では、『読書家の時間』(6063ページ)に、複数の本を同時に読む時、先生が「パンダ読み」、「レインボー読み」として紹介していることを思い出しました。書くことでも、読むことでも、教室によってのオリジナルな用語はけっこう生まれていることと思います。「それで?の法則」も、ぜひ、自分の教室でのいい用語を考えてみてください。

★★★ この文は上で紹介した本の115ページに出てきます。