2025年8月30日土曜日

やさしいけれど難しい? 〜村上昭夫の詩を読む〜  

*時々投稿をお願いしている吉沢先生に、今回の投稿もお願いいたしました。 

 2025年6月1日の投稿で私は、「難しいけど、この詩いいよねえ」と言いたくなる詩もあります、と述べ、石原吉郎さんの詩を紹介しました。今回は、「やさしそうに見えるけど、この詩、難しいねえ」と言いたくなる詩を紹介したいと思います。2年ほど前、「やさしい言葉で書かれた詩を読む」というタイトルの投稿で一度取り上げたことのある村上昭夫の詩です。★1

 その時は、「やさしい言葉で書かれた詩」ということで済ませていたのです。しかし、今回、読み直してみて、「やさしい言葉で書かれた詩」で済ませられないことに気づきました。村上昭夫の詩に再度向き合う中で、彼の詩を深く掘り下げてみたいと思います。

雁の声★2

  村上昭夫


雁の声を聞いた


雁の渡ってゆく声は


あの涯のない宇宙の涯の深さと


おんなじだ 

 

私は治らない病気を持っているから


それで


雁の声が聞こえるのだ 

 

治らない人の病いは


あの涯のない宇宙の涯の深さと


おんなじだ 

 

雁の渡ってゆく姿を


私なら見れると思う


雁のゆきつく先のところを


私なら知れると思う 

雁をそこまで行って抱けるのは


私よりほかないのだと思う 

 

雁の声を聞いたのだ


雁の一心に渡ってゆくあの声を

私は聞いたのだ



 

 雁が群れをなして渡っていく姿を見て、作者は心を打たれたのでしょう。作者は、その鳴き声が、宇宙の涯てを思わせるようだ、と言っています。けれども、それがどんな鳴き声だったかを描写しているわけではありません。

 詩の冒頭が、仮に次のようになっていたら、どうでしょうか。

雁の鳴き声を聞いた


雁の渡ってゆく鳴き声は


あの涯のない宇宙の涯の深さと


おんなじだ 

  このように書くと、雁が鳴きながら渡っている姿、第三者として眺めているような印象を受けます。

 作者には、「雁の鳴き声」ではなく、「雁の声」なのです。雁に作者の心がまっすくに向かっていることを感じます。聞こえてきたのではなく、「私は聞いたんだよ」というふうに作者は言いたいのです。

 作者は「治らない病気」にかかっています。そのことが、この詩を支えるもう一つの要素です。このことを理解するために、作者の生涯をたどってみます。

 村上昭夫は1927年(昭和2年)に岩手県で生まれ、当時の岩手中学校(現在の岩手高等学校)を卒業後、満州にわたり、現地の部隊に入隊しますが、まもなく終戦を迎えます。翌年、帰国し盛岡市内の郵便局で働き始めますが、1950年に結核を発病し、サナトリウムに入院し、この闘病生活が41歳で亡くなるまで続きます。

 闘病生活の中で書き溜めた詩は、晩年、『動物哀歌』という詩集にまとめられ、1967年に土井晩翠賞を、翌年、H氏賞を受けます。その受賞に際し、村上昭夫は次のように語っています。★3

「死」という未知なものが、さまざまな動物や植物、それに、実にたくさんの人間の形態となって姿を見せました。それらのものを懸命になってノートや原稿に、書きしるしました。それが『動物哀歌』となって、世に出ました。★4

  当時、結核にかかって亡くなる人は多く、「死の病」と思われていました。30代の若さで、自分は死ぬのだということに向き合うことのつらさ。それが作者を、雁に向かわせたのでした。

 雁に向かって、作者は心を寄せています。心は雁の声、渡っていく姿、行き着く先へと、まっすぐに向かっています。詩から私が感じるのは、そのまっすぐさ、ストレートさ、その思いの強さです。

 そして、それ以外のことが詩には書き込まれていません。余分なものが削ぎ落とされています。雁の具体的な描写とか、「私」が今どこにいて、何という病気にかかっているのかとか、そのようなことは一切書かれていません。読み進んでいくうちに、そのような雑音が消えていくのを感じます。

 雁が鳴いている。雁は渡っていき、どこかに行き着くだろう。その雁を抱きしめたい。私は死ぬ。そんな私こそが、お前とともにいたい。----そのようなメッセージが、そのようなメッセージだけが、言葉として読み手に伝わってくる。それがこの詩の魅力だと思います。


 もう一編、紹介します。

ねずみ★5   


ねずみを苦しめてごらん


そのために世界の半分は苦しむ 

 

ねずみに血を吐かしてごらん


そのために世界の半分は血を吐く

 

そのようにして


一切のいきものをいじめてごらん 

そのために


世界全体はふたつにさける 

 

ふたつにさける世界のために


私はせめて億年のちの人々に向って話そう


ねずみは苦しむものだと


ねずみは血をはくものなのだと 

 

一匹のねずみが愛されない限り


世界の半分は


愛されないのだと 

 

 「ねずみ」という弱者、「血を吐く」という部分に、作者自身が投影されていることは、容易に分かると思います。

 「世界の半分は苦しむ」「世界全体はふたつにさける」という言葉で、作者は何を言いたいのでしょうか。いろいろな解釈や感じ方があると思います。

 この詩に描かれているのは、ねずみを苦しめ、いじめる者と、苦しめられ、いじめられるねずみ(いきもの)との対立です。言い換えれば、加害者と被害者のいるこの世界の姿です。その中で、「一匹のねずみ」に作者は思いを寄せています。そして、一匹のねずみを愛することが、「世界の半分」が愛されるために必要だ、と言います。一匹のねずみに向かっている眼差しの向こうに、この世界全体、地球に住む私たち全体を見ようとしています。ためらいなく、世界全体に自分の言葉を投げかけるストレートさに、私は感銘を受けます。

*******

★1 2023年7月9日WWRW便り「やさしい言葉で書かれた詩を読む」

★2 『現代詩文庫159 村上昭夫詩集』思潮社、1999年、13ページ

★3 村上昭夫の生涯については、盛岡市公式ホームページを参考にした。  https://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/kankou/1037106/1009526/1024995/1025008/1025058.html

★4 同上ホームページより引用。

★5『現代詩文庫159 村上昭夫詩集』思潮社、1999年、19-20ページ


2025年8月22日金曜日

効果的なフィードバックのコツ ~ 生徒が伸び、教師も疲れない

  成績づけ/評価をすることは、教師にとって大きなストレスの種。でも朗報があります。生徒の学びにとって本当に効果的なのは、「点数」ではなく、「的を絞ったフィードバック」。しかもそれは、私たち教師の時間とエネルギーも節約してくれるのです。

 と書くのは、教職に就いて10年以上は中学校の英語教師を務め、最近高校の英語教師に転身したCathleen Beachboard先生です。彼女は、教師であると同時に、著者であり研究者でもありますが、極度の虐待とネグレクト(育児放棄)のケースから5人の子どもを養子に迎えた経験をもとに、トラウマや不安を抱える人々の支援を改善することにも情熱を注いでいます。

あまり語られませんが、「成績をつける(評価をする/生徒にフィードバックをする)」という作業は、知らず知らずのうちに教えることへの情熱をすり減らしてしまうことがあります。夜遅くまでの作業。終わることのない作文の山。一生懸命書いたコメントが、授業の終わりには丸められてゴミ箱に入っているのを見たことはありませんか?

でも、救いはあります。研究によれば、もっと賢いやり方があるのです。

ジョン・ハッティとヘレン・ティンパーリーの「The Power of Feedback」というタイトルの研究★によると、すべてのフィードバックが学びにつながるわけではありません。成長を促すフィードバックには、タイミングがよく、具体的で、課題そのものに焦点を当てていることが必要です——個人ではなく課題に、です。
 ただし、たとえその条件をすべて満たしていたとしても、実はもうひとつ問題があります。それは、人間の脳が一度に処理できる情報には限りがあるということです。

 それが、生徒の作文に教師が一日がかりで添削して、たくさんのフィードバックをしても効果がない理由です。わずか数ページ(あるいは一枚)の作文に10~20のコメントを書き込んでも、生徒が受け取るメッセージは「あなたの作文はダメです」「直すところが多すぎます」であり、結果的に「やっぱり自分は作文はダメ/嫌いなんだ!」だけです。しかし、ライティング・ワークショップ(作家の時間)のときのように、やり取りする数を一つか二つに限定して(それも、作品をよくするためではなく、書き手を育てることに焦点を当てた)フィードバックをすることで、生徒は書く気を保ったり、新たな挑戦をする可能性が開けます。★★

 つまり、見直すべきなのは「評価の仕方/成績のつけ方」だけではありません。「フィードバックの伝え方(見取りの仕方)」そのものにも意図的な変化が必要なのです。★★
 ここでは、私が「より苦労せず、より効果的に」評価する方法をどう身につけてきたか、そして、どんな小さな工夫が、生徒の成長にも私自身の心のゆとりにも大きな変化をもたらしたかをご紹介します。

1. 点数の行進をやめて、「シングルポイント・ルーブリック」を使う

教師になったばかりの頃、私のルーブリックはまるで税金の申告書みたいでした。細かい文字、分かりにくい評価項目、そして数字のオンパレード。生徒たちはほとんど目を通していませんでしたし、正直、それも無理はないと思います。

今では「シングルポイント・ルーブリック(single-point rubric)」を使っています。もう元には戻れません。この簡潔な形式では、「何ができていれば合格(成功)なのか」だけを明確に示します。数字であれこれ示すのではなく、成功のイメージを共有するのです。期待を上回る出来ばえなら「どこがよかったか」を書き添え、基準に届かなかった場合は「どこを直すべきか」を伝えます。

ここで認知科学の視点から見た利点もひとつ:
フィードバックを「ひとつの明確な目標」に絞ることで、生徒のワーキングメモリ(作業記憶)に合った学びが可能になります。6つの評価基準を同時に意識させるよりも、生徒は本当に大事な部分に集中できます。そして私たち教師にとっても、時間とエネルギーの節約になります。

実践する際のヒント:

白紙のドキュメントかスプレッドシートを開いて、3列作ってみてください。真ん中の列に「成功の基準(Success Criteria)」と書き、目標を明確かつ生徒にわかる言葉で書きます。左右の列には「期待以上(Exceeds Expectations)」と「改善が必要(Needs Improvement)」という見出しをつけ、それぞれコメントを書き込めるようにします

◆ これだけでは、「シングルポイント・ルーブリック(single-point rubric)」が実際にどんなふうに見えるかをイメージしにくいかと思うので、実際の事例を下に示します。

テーブル

AI 生成コンテンツは誤りを含む可能性があります。

 これは書くプロセスの5つの基準(計画、修正、編集、推敲、新しいアプローチに挑戦)について、左右に改善が必要な点とすでに強みと言える点を書き込めるようになっています。

 それに対して、従来の「マルチポイント・ルーブリック(multi-point rubric)」の例としては、下をご覧ください。

グラフィカル ユーザー インターフェイス, テーブル

AI 生成コンテンツは誤りを含む可能性があります。

テーブル

AI 生成コンテンツは誤りを含む可能性があります。

 こちらでは、それぞれの基準に対して5つの段階の詳しい説明が書かれています。生徒は、一つの段階から一つ上(ないし二つ上)の段階を目指せることが意図ではあるのですが、実際にはその教師の意図がくめる生徒はそう多くないのが現実です。それで、最近はこの作成するにも時間のかかるマルチポイント・ルーブリックよりも、時間がかからないで作れ、かつ的を射たフィードバックが可能なシングルポイント・ルーブリックがより頻繁に使われるようになっています(https://www.edutopia.org/article/6-reasons-try-single-point-rubric を参照)。 なお、見本として示した2つのルーブリックの出典は、10月ないし11月に出版予定の『インストラクショナル・コーチング』(ジム・ナイト著、図書文化)の190~193ページに、その訳が出ます。(それまで待てない方は、生成AIを使って暫定的な訳をご覧ください。)

◆ 皆さんは、シングルポイント・ルーブリックとマルチポイント・ルーブリックのままではわかりづらいと思ったので、生成AIに助けを求めたら、Single-point rubricは、単一基準ないし単一点ルーブリック、Multi-point rubricは、複数基準ないし複数点ルーブリックを提示してくれました。これで、わかりますか? 私はわかりづらいと思ったので、逆提案してみました。

前者は、評価する基準は複数ありながら、各基準の段階は「到達すべき目標」が一つ示されているだけなのに対して、後者はたとえば、未達、部分的に達成、おおむね達成、完全に達成などの段階にわけて、それぞれの段階の達成状況が示されているルーブリックなので、単一到達段階ルーブリック と 複数到達段階ルーブリックでどうでしょうか、と。

 これには生成AI君も賛成してくれました。皆さんも、わかりやすい名称を模索してください。

 説明が長くなりましたが、2番目のポイントに移ります。

 

2. 生徒が前に進めるフィードバックを、少しずつ、確実に

フィードバックをするとき、私は「一度にすべて直そう」とはしません。ハッティとティンパーリーの研究も、それを裏づけています。
 間違いをあれこれ一気に指摘してしまうと、生徒のやる気をそぎ、結果的にどのフィードバックも活かされなくなってしまうのです。

そのかわりに私は、まず「今いちばんのつまずき」に注目します。基準に届かない最大の原因は何か?たとえば、根拠が弱いのか、構成がずれているのか。そのポイントに集中して伝えるようにしています。

でも、フィードバックは「欠点を直す」だけのものではありません。

動機づけの研究者キャロル・ドゥエックらの研究によれば、生徒は「改善点」とともに「強み」も示されたときの方が、フィードバックに前向きに取り組めるそうです。
 だから私は必ず、たとえ小さくても「うまくできていること」を見つけて伝えるようにしています。努力でも創意工夫でも、いい書き出しでも――「ここ、いいね」と伝えることで、生徒は「見てもらえている」と感じるのです。

実践する際のヒント

    まずは本気のポジティブから始めよう
 改善点を伝える前に、「ここがいいね」と思える具体的なポイントを見つけて伝える。
 これは、生徒の心を開き、「あなたにはできる」というメッセージを届けるため。

 例:
 - 努力:「考えをまとめるのに、すごく時間をかけたのが伝わってきます」
 - 思考:「主張が明確で、筋が通っています」
 - 成長:「前の下書きと比べて、根拠の示し方がずっとよくなっています」

  改善点は、12個までにしぼって明確に
 前向きなコメントのあとで、「ここをよくすれば、もっとよくなる」という点を12個にしぼって具体的に伝える。

 例: 「主張をもっと強めるには、具体的な例を増やして、それがどう関係するのかも説明するといいかもしれません」

    最後はこれからにつながる声かけで締めくくる:
ドゥエックの研究が示すように、生徒に「成長できる」と思わせる言葉が大切。

 例:
 - 「すでにいい方向に進んでるよ。この一歩で、もっと完成に近づくね」
 - 「今の努力の積み重ねが、書く力を伸ばしてくれる。ぜひ挑戦し続けて!」

 今回の紹介はここで終わりにしますが、原文では、あと2つの実践例を紹介してくれています。最後に、以下のようにまとめてくれています。

 

成長を後押しし、脳にもやさしいフィードバック

成績づけ(評価)は、あなたの夜やエネルギーを奪うものである必要はありません。

タイミングがよく、具体的で、脳が処理しやすいフィードバックに焦点を当てることで、私たちは「学びを止めるフィードバック」ではなく、「学びを促進するフィードバック」があふれる教室をつくることができます。

それは「基準を下げる」ことを意味するわけではありません。本当に意味のある成長を促すには、脳のはたらきに沿った、より賢い仕組みが必要なのです。生徒にとっても、そして私たち教師自身にとっても。

なぜなら、最終的に私たちの影響力を決めるのは、費やした採点時間ではなく、生徒に届けるフィードバックの「明確さ」「思いやり」、そして「脳にやさしい方向づけ」だからです。それなら、もっと賢くやっていきましょう。やる価値は、十分あります。

 

★興味のある方は、https://simvilledev.ku.edu/sites/default/files/PD%20Resources/Hattie%20power%20of%20feedback%5B1%5D.pdf で読めますが、かなり専門的な内容です! このテーマでは、『教育の効果 フィードバック編』 ハッティ,ジョン/クラーク,シャーリー著、法律文化社が出ていますが、これも結構専門性の高い本という匂いがします。(そもそも、筆者のCathleen Beachboard先生は、先に出ている本のこちらではなく、一般の教師には入手しにくい論文の方を引用しているの? という疑問もわいてしまいますし!)

★★ まさに、文科省が25年ぐらい前に言いだして、いまだに実体のない「指導と評価の一体化」の具体的な中身について書いてくれています! 教師が教えつつ、それが生徒の学びや成長に寄与する評価(というよりも、生徒にとって意味があり、かる活かせるフィードバック)を実現することですから。言い換えると、評価が、生徒がよりよく学べるように教師の教え方の変更を迫ってそれを実現するものになることが「指導と評価の一体化」が本来言わんとしていることなのですが、言い出した当事者たちも、いまだにそのことをイメージがつかめていない(というか理解できていない)と思います。「指導と評価の一体化」の要は、フィードバックであることは間違いありません! それも、教師から生徒への一方的なものではなく、生徒から教師へや、生徒相互のフィードバック(さらには、今のICTの時代では、教室外の多様な人たちのフィードバックまで)が同じレベルで価値あるものと捉えられる必要があります! 

出典・https://www.edutopia.org/article/effective-feedback-saves-teachers-time

2025年8月16日土曜日

深く耳をすますこととスロー・ルッキング

  エリンさんの『理解するってどういうこと?』では、小学校2年生のジャミカという女の子の問いかけに答えるために、様々な「理解の種類」が挙げられ、探究されています。その二つ目に「沈黙を使う、深く耳をすます」という「理解の種類」があります。「深く耳をすます」という「理解の種類」はどういうものでしょうか。『理解するってどういうこと?』の111ページから116ページには、エドワード・ホッパー「早朝の日曜日」「ニューヨークのレストラン」「線路脇のホテル」「夜更かしの人々」のそれぞれについて、エリンさんがじっくりと観察したことが記されていきます。

「これらの絵に耳をすましてみたいと思うだけでなく、自分の頭のなかで起こっていることにまで耳をすましてみたくなります。つまり、自分自身の思考に耳をすます時間を意図的に作りたいのです。詩(文章)や絵画に耳を傾けることで、自分の思考に耳をすましてより深い意味をつくり出すよう自らに教えることができるのであれば、それと同じことを子どもたちにもやってみるように言うことができるでしょう。」(『理解するってどういうこと?』113ページ)

 絵画に「耳をすます」「耳を傾ける」? 絵画は「見る」ものではないのか、という思いにとらわれていると、このことは不思議なことに思われるかもしれません。どうしてそれが重要な「理解の種類」になるのか。

 シャリー・ティッシュマン(北垣憲仁・新藤浩伸訳)『スロー・ルッキング―よく見るためのレッスン―』(東京大学出版会、2025年)には、エリンさんのいう「耳をすます」「耳を傾ける」ことの意味を深く考えるためのヒントがたくさん記されています。ティッシュマンの言う「スロー・ルッキング」つまりゆっくり時間をかけて「よく見ること」は、エリンさんの言う「耳をすます」ことなのです。

 ティッシュマンはハーバード大学教育学大学院講師で、「高次の認知(high-level cognition)」や「人びとが批判的、反省的、創造的な思考を身につけるためのプログラムや実践」に焦点を当てる研究者です。そのティッシュマンが「スロー・ルッキング」や「観察による学習」になぜ興味を持ったのか。その「瞬間」は次のように述べられています。

「ある小学校五年生の授業の始業時間に訪ねたときのことでした。子どもたちは騒々しく教室に入ってきました。そして先生は私に「これから三〇分かけて、マティスの絵を見てもらう予定です」と教えてくれました。私は丁重にうなずきましたが、そのとき、本心ではこう考えていました。小学校五年生のグループに、三〇分間じっと座って絵を見るように指示したら、すぐに子どもたちはそわそわして落ち着きをなくしてしまうだろう、と。しかし、この先生には計画があったのです。彼女は、子どもたちが絵をパッと見るのではなく、じっくり観察するように、いくつかの簡単な方法を用いました。その効果は驚くべきものでした。たとえば、子どもに気づいたことを五つ挙げてもらいます。次に輪になってもらい、それぞれの子どもに前の人がいったことにつけたす形で観察をしてもらうという、じつにシンプルな方法です。さらに、他の子どもとグループをつくってもらい、二つの疑問を共有してみるのです。あったという間に三〇分がすぎました。(中略)

 絵の「正しい」解釈(もしそれがあれば、ですが)と見解が一致しなくても、作品の歴史的な情報を諳んじることができなくても、子どもたちは明らかに多くのことを学んでいたのです。しかも、その知識は、子どもたちが自分の目でしっかりと見ていたからこそ得られたものです。外部からの情報をどんなに集めても、子どもたちが自ら得た洞察に取って変わることはなかったでしょう。」(『スロー・ルッキング』56ページ)

  こうしてティッシュマンは「ゆっくり見る」こと(スロー・ルッキング)の持つ、人の「洞察」(じっくり考えて発見すること)を導く力に気づくことになります。ティッシュマンによれば「スロー・ルッキング」は「細部を観察する能力、解釈を先送りする能力、慎重に判断する能力、異なる視点のあいだを往還する能力、主観性を意識する能力、そして第一印象を乗り越えるためにさまざまな観察の方策(strategies)を意図的に用いる能力を重要視する」行為です。「ゆっくり見る」ことがこのような諸能力を使い、高めるのであれば、パッと見て終わるようなことはとてももったいないことであるということにもなるでしょう。

 そして「スロー・ルッキング」の「スロー」には四つの方法があるとティッシュマンは言います。「新鮮な目で見る」「視点を探る」「細部に気づく」「精神的な幸福感」の四つです。「ゆっくり見る」からこそ予想外のことに気づくことができる、「ゆっくり見る」からこそ「見る角度を意図的に変える」ことができる、「ゆっくり見る」からこそものごとの小さな細部に気づくことができるというわけですが、私が興味を覚えたのは四つ目の「精神的な幸福感」です。「スロー・ルッキング」を実践した生徒たちの観察から、ティッシュマンは「ゆっくり見て世界の美しさを知ることは、それだけで価値があることを生徒たちは直観しているようです」(『スロー・ルッキング』62ページ)と書いています。そして「ゆっくり見る」ことが生徒たちに「自分自身の生き方を振り返る機会を与えてくれる」とも言っています。そして「スロー・ルッキング」が「かれらの心の奥底にある何かに触れるのです。それは、自分自身や周りの世界についての身近でありながら新しい発見といえるかもしれません」(同63ページ)としています。

 エリンさんのホッパーの絵の観察によって彼女のうちにもたらされたのも、おそらくこの「新しい発見」に近いものであったのでしょう。それが「耳をすます」を彼女が大切な「理解の種類」の一つにした理由だと言えるのかもしれません。ティッシュマンが参観した小学校五年生たちが得た「洞察」も、彼らにしてみれば「精神的な幸福感」をもたらすものだったのだと考えます。

 ティッシュマンの考察は広く深く人間の学習の根幹にあたるものを探るもので、コメニウスからデューイに至るまでの学習論のなかにいかに「スロー・ルッキング」の価値が掘り下げられいたのかということについて詳細に語られています。それは本書をぜひ開いて「ゆっくり」見ていただきたいところです。

私が高校3年時のクラス副担任だった日本史の先生が、卒業記念のそのクラスの色紙に「仏像を見るときには3分間立ち止まれ!!」と書いてくださったことを覚えています。18歳の私にはまったくピンときていませんでしたが、今ではその言葉の意味が少しはわかるようになりました。立ち止まらなければ気づかずに過ごしてしまう「仏像」の意味を「わかる」ためにはゆっくりと立ち止まってじっと見て、考えてみなければならない。それが、「ゆっくり見る」ことで「仏像」に「耳をすます」ことなのだと。そうやって自分の「心の奥底」を見つめて見れば、もしかすると「新しい発見」が生じるのかもしれないと、先生は50年近く前に、あの短い言葉で私たちに人生でとても大切なことを伝えようとしてくださったのだと思います。

2025年8月8日金曜日

生徒の文章にポジティブなフィードバックをするには

「添削は細かく丁寧にしているのに、ほめ言葉はざっくり短くなりがちそんなあなたに、全米の教師たちからのアドバイスを紹介します」と、バーモント州バーリントン近郊にある小規模なオルタナティブなセラピーハイスクールで校長を務めた経験があり、現在はコミュニティー・カレッジの教師をしているアレックス・シェヴリン・ヴェネットさんは書いています。そして、さらに次のようにも。

「よくできました」「すばらしい」「この一文、力強いね」——こうしたあいまいで効果の薄いコメントが、最近の私の文章指導のフィードバックにまぎれ込んでいました。生徒にはあまり響かないとわかっていながらも、つい書いてしまうのです。そんな自分を画面越しに見ながら、「このままじゃいけない」と感じていました。
 一方で、改善点については長々と細かく書いていました。提案や修正のコメントばかりが目立っていたのです。生徒の文章を正すことにばかり意識が向いていて、「中身のあるポジティブなフィードバックを伝える」という、本来の目的が置き去りになっていたことに気づいたのです。

 書き手である私自身(2冊の本を書いています!)、ネガティブなフィードバックばかりが目立つと、どれだけしんどいかよくわかっています。誰にでも改善すべき点はあるけれど、直すべきところばかりに目が向くと、自分の力をちゃんと認めてもらえているとは感じられなくなってしまいます。
 私の生徒たちは、本当に一生懸命に文章を書いています。だからこそ、「よくできました」といった二語だけのほめ言葉では、とても足りないのです。

 このままではいけないと思い、私は自分がいちばん信頼しているプロフェッショナル・ネットワーク、つまり「教師たちのTwitter」に助けを求めました。
「生徒の文章に対して、あなたがよく使うポジティブなコメントは何ですか?」と問いかけたのです。
 すると、100件を超える返信がすぐにあり、その中には素晴らしいコメントや、いくつかの共通したテーマが見えてきました。

 皆さんは、こういう時にどうしていますか?

 身近な同僚に尋ねる? Twitter以外のSNSを活用して情報収集する? さらには、生成AIに頼る? いずれにしても、ネットワークをもっているか否かは、教師の実践に大きく作用することは確かです。(生成AIに関しては、個別の声は紹介してくれず、あくまでも「たくさんのなかの最も頻度の多いもの」を紹介してくれていると思うので、その特性をわきまえた使い方や判断の仕方が寛容かと思います。)

 以下で紹介されているのは、それらのなかから彼女が選りすぐったものです。

 

あなたが書いたものを読んでいるときの「読み手としての体験」を伝える

生徒は、自分の文章を読んでいるときの教師の様子を見ることができません。だからこそ、教師が「読み手としてどんなふうに感じたか/考えたか」を伝えるコメントは、とても力強くて前向きなものになります。
 教師のAmy Ludwig Van Derwaterさんは、次のようなコメントの書き出しを紹介しながら説明してくれました。

「書き方のスキルについて触れる前に、まず読みながらどんな体験をしたかを伝えることは、生徒への大切な贈り物のようなものです。」

 そして、具体的に次のような文章を紹介してくれています。

   この部分には本当に心を動かされました。

   この一文を読んで、思わず声を出して笑ってしまいました。

   あなたの文章を読んで、いろいろと考えさせられました。

   あなたの言葉が、私の中の何かをひらいてくれた気がします。

   この部分について、私は自分に問いかけています。

   この部分について、私は自分の経験とつなげて読んでいます。

   この部分と関連した昔のことを思い出しました。

これと似たような観点から、Virginia S. Woodさんはこんなふうに言っています。
「私は生徒に、自分が彼らの文章を読んでいて笑ったり、うなずいたり、ガッツポーズをしたりしたら、どこで/なぜそう感じたのかを必ず伝えます。」

私も最近、Woodさんのアドバイスを参考にして、生徒のプロジェクトの下書きを読んだときにとても楽しく感じたので、こう書きました。
「今、顔が思いきり笑顔になっています。すごくいいスタートですね!」

このように、読み手としての自分の体験を生徒に伝えることは、書くことの中にある「社会的・感情的な側面」との関連を明らかにするのに役立ちます。
 読んで感じたことを前向きなコメントとして伝えることで、生徒は「読み手にどう届くか」を意識して書くようになっていきます。

 

 この最後の点は、とても重要です。逆に言えば、こういうフィードバックがもらえないと、生徒のほとんどは「読み手にどう届くか」を意識できないことを意味します。

 

書き手としての工夫や選択を認める

効果的なフィードバックは、生徒の「書き手としての声」や「表現する力」を尊重することにもつながります。生徒がどんな工夫や選択をして書いているのかに目を向け、それを言葉にして伝えることで、「ちゃんと読んでもらえている」と実感でき、努力が認められていると感じられます。

Joel Garzaさんは、フィードバックの中で「私は〜と思った」という言い方は避けるようにしているそうです。それは、読み手としての感想が中心になってしまい、生徒の書いたものの価値が伝わりにくくなることがあるからです。

代わりに「あなたが〜した」という言い方を勧めています。たとえば、

  • 「〇〇という効果を、〜という工夫でとても自然に出せています」
  • 「このテーマをとてもひきこまれる形で展開していますね。特に〜の使い方が効果的です」
  • 「このトピックにぴったりの語り口(トーン)を選んでいますね。〜だからだと思います」

また、7年生の教師Jennifer Leungさんは、次のような表現で「上手に書けている箇所」を指摘することを提案しています。
「〜(つなぎ言葉、具体例、文法構造など)の使い方が上手です」

このようなコメントは、授業で扱った文法や表現のポイント、書き方のテクニックを定着させることにもつながります。

 ここでも、最後のポイントが大切です。教師の役割は、その文章をほめたり、さらによくしたりするよりも、書き手にいい書き方のテクニックを定着させて、よりよい書き手になってもらうことだからです。

 A Teacher’s Guide to Mentor Texts』の共著者のRebekah O'Dellさんは、フィードバックの中でメンター文(お手本となる文章)を活用する際の例をいくつか紹介しています。

  • 「ここの表現で、〇〇(メンター文)を思い出しました」
  • 「この部分は、〇〇(メンター作家)の書き方に似ていますね」

O'Dellさんのアドバイスは、「読むこと」と「書くこと」のつながりの大切さを改めて思い出させてくれます。これら二つをセットで考えることで、生徒の中に「読みながら学び、書きながら活かす」サイクル(フィードバックループ)をつくることができます。

たとえば、最近の精読(close reading)の活動では、生徒に「このメンター文(日本では教科書教材で扱った文章が中心だが、できるだけ本物を使いたいものです!)から学んだことを、自分の文章にどう活かせそうか」を考えてもらいました。
 生徒が次に書いたものにフィードバックを返すときは、「その学んだことが実際にここに表れているね」と伝えることができます。

 別の教師のGrete Howlandさんは、「評価っぽくならない言葉の選び方」として次のような表現を提案しています。
「私は『効果的ですね』という言葉をよく使います。そして、なぜそう感じたのかをできるだけ具体的に伝えるようにしています。そうすることで、『良い/悪い』のような意味のあいまいな評価から離れることができ、書くことを読み手とのやりとりとして捉えやすくなると思うのです。」

 O'Dellさんの読むことと書くことのつながりはとても大事です。特に、生徒たちが「読みながら学び、書きながら活かす」サイクルをつくり出せれば、読み書きの両方が飛躍的に伸びていくことでしょう。それが、本物の作家やノンフィクション・ライターやジャーナリストたちがしていることですから。

 また、Howlandさんの書くことを読み手とのやりとりとして捉えられたら、書くことが苦痛なものではなく、楽しいものになる可能性は大です!

 

成長をたたえる

ポジティブなフィードバックは、生徒の成長を支える大きな力になります。教師(またクラスメイト)による前向きなコメントは、生徒が「自分は書き手なんだ」という自信と意欲を育てていくうえでの原動力にもなります。

Kelly Frazeeさんは、成長を示す具体的な例を見つけて伝えることをすすめています。たとえば、
「この部分から、〇〇の力が伸びているのが伝わってきます。前回と比べて〜ができるようになっていますね」といったように。

教師は、生徒自身が気づいていない変化や成長を見つけることができます。だからこそ、「ここが前と違っています」と具体的な成長の証拠を示すことで、生徒自身が自分の前進に気づけるようになるのです。

最後に、ミシガン大学の講師Susan Santoneさんの素敵なアイディアをご紹介します。生徒が本当に見事な一文を書いたときには、そのことをしっかり伝えているそうです。Santoneさんはこう言います。
「大学生を教えていて、ものすごく深いことをたった一文で言い表しているのを見つけたら、『ツイートして!』『Tシャツにプリントして!』『額に入れて壁に飾って!』と書きます。つまり、これは取っておいて、誰かに見せる価値があるよって伝えるんです。」

 こういう称えられ方をしたら、誰だってうれしいですよね! 皆さんもほめ上手というよりは、称え上手になりましょう。生徒たちのさらなるやる気を引き出すために。

 以上は、教師による添削ないし対面のカンファランスの形で行われますが、その際の私のおススメは書き手に対する「大切な友だち」という方法でフィードバックすることです。そのやり方は、このブログの姉妹ブログの PLC便りの左上に「大切な友だち」を入力して検索すると、たくさんの情報が得られます。

 

出典: https://www.edutopia.org/article/how-give-positive-feedback-student-writing

2025年8月1日金曜日

教室に活気(エネルギー)を取り戻す

 教師なら誰しも、生徒たちの学ぶことに対するやる気というか取り組みのエネルギー、教室全体の活気(あるいは、その逆のやる気のなさ、取り組みレベルの低さ、活気のなさ)は感じるのではないでしょうか(良くも悪くも。正のエネルギーも、負のエネルギーも生徒たちは発しますから。もちろん、教師も常に発していますが)?

 グレッチェン・シュローダー先生はオハイオ州の田舎の高校の英語教師で、AP文学(上級文学)から詩のワークショップ選択授業まで幅広く教えています。彼女の情熱は、生徒たちが文章を書くことで自分の声を見つける手助けをすることと、生徒が夢中になれる本を紹介すること★にあります。そして、彼女が大切にしていることが、教室の活気/エネルギーです。次の内容の記事を見つけたので紹介します。

   *****

自分ではよく知っているつもりなのに、いざ誰かに定義を求められると、うまく説明できない言葉ってありませんか?
私にとって、最近そんな体験をしたのが “energy(エネルギー)という言葉でした。

普段からこの言葉はよく使っています。
今日はもう元気/エネルギーが出ないとか、
あのプレゼン、すごくやる気/エネルギーが出た!とか、
エネルギー切れにならないように、おやつ持って行きなさい!みたいに。

 

でも、「教室に新しいエネルギーをどうやって吹き込もうか」と考えていたとき、ふと気づいたんです。
――
そもそも「エネルギー」って、具体的にどういう意味なんだろう?って。

「雰囲気」みたいなもの? 「生命力」? それとも物理学のむずかしい概念?
よくわからなかったので、スマホを取り出して調べてみました。
すると、意外な結果が出てきました。

エネルギーって、なにか不思議な感覚のことじゃなくて、
「仕事をするための力」、それだけだったんです。

 

「そうだ、これだ!」と思いました。
エネルギーがないときは、何かに取り組もうという気になれない。
でも、すばらしいアイディアがあふれるワークショップに参加すると、教室に戻ってそれを実践したくなる。
自分の子どもたちにはおやつを食べてほしい。そうすれば、遊ぶことや冒険することに参加し続けられるから。
そして、そもそも「エネルギー」って、私自身も教室の生徒たちも望んでいることの根っこにあるものではないだろうか?
読み書きや聞くこと、話すことといった、難しいけれどとてもやりがいのある学びに、意欲的に取り組む力――それこそが。

 

私がこんなふうに考えはじめたのは、「教室に新しいエネルギーを吹き込みたい」と思ったのがきっかけでした。
でも、Googleで調べてみて思い出したんです。
エネルギーって、そもそも「なくなることはない」んですよね。
生み出されることも、消えることもない――いつも可能性として存在している。

熱力学の第一法則によれば、宇宙全体のエネルギーの総量は常に一定なのだそうです。

 

この考えに、とても安心させられました。
私がわざわざ「生徒のためにエネルギーを生み出す」必要はない。
生徒たちは、すでにエネルギーをもっているんです。
私にできるのは、その「可能性としてのエネルギー」を、「動き出すエネルギー」へと変換する方法を見つけること。

そして私が実感しているのは――教室でちょっとした工夫をするだけでも、生徒の「取り組む力」に大きな変化が生まれる、ということです。
教室の環境を変えてみる。いつもと違う配置にしてみる。ちょっとからだを動かしてみる。
そんな小さなことでも、生徒たちは動き出し、学びに取り組んでいくのです。

 

教室の環境(レイアウト)を変える

ふだんは机を4人一組にして並べているのですが、ある日、教室に入ると机が大きな円形に並べられていたり、向かい合う列になっていたりすると、生徒たちの好奇心が一気に高まります。
「今日はどんなことをやるんだろう?」と、教室の空気がわくわくした期待感で満たされるんです。

年に一度、私は思いきって教室をがらりと変え、生徒たちがまるで別の世界に来たような気分になれるようにしています。
今年はちょうど友人が引っ越すことになり、以前開いたルアウ(ハワイ風パーティー)の飾りをたくさん手放そうとしていたので、私はそれを喜んで引き取って教室に持ち込みました。

そして、「AP文学試験復習ルアウ」を開催!
ツタを飾ったり、滝まで(といっても、地元のパーティー・ショップで見つけた青いホイルのカーテンですが)セットして、教室を演出しました。

 

雰囲気を変えてみる

ふだんの授業で、ほとんどの文章を書き込みはパソコンで済ませるのが当たり前になっていた頃、シェイクスピアの作品を学んでいるタイミングで、私は羽ペンと羊皮紙風の紙を持ち込んで、その日の書き込みに使ってもらうことにしました。すると、高校生たちはまるで飛び上がるようにしてその道具を取り合い、ここ最近見たことがないほどの熱量で、書き始めたんです。

また、私は教室の棚にプレイ・ドー(こね粘土)を入れた箱を常備していますが、授業の雰囲気がマンネリ化してきたなと感じたときには、それを取り出します。そして、「これから読むテキストに出てくるイメージや象徴を、まずは粘土で形にしてみよう」と声をかけるのです。このひと手間が加わることで、生徒たちはより深くテキストを味わい、考えるようになります。

 

からだを動かすこと

生徒たちの「取り組む力」が落ちてきたなと感じるときは、授業や活動の中にからだを動かす時間を取り入れる方法を考えます。席を離れて動くことで、気持ちも切り替わりやすくなるからです。たとえば、教室のあちこちに「センター(拠点)」を作り、そこで違う課題をこなしていくというやり方があります★★。私はだいたいペアで動いてもらいながら、各センターの活動を進めてもらっています。

もうひとつ、生徒たちが立ち上がって動き回る活動に、「クエスト・トレイル(質問の旅)」があります。教室のあちこちに選択式の質問を貼り出し、答えによって次の質問の場所に進む仕組みです。すべて正解すれば、同じ質問に戻ることなく最後まで進めます。
もし間違えると、すでに答えた質問に戻ってしまい、自分のミスを見つけて修正しなければなりません。このアイディアは、@writeonwithmissg さんからいただき、彼女のテンプレートを購入して、質問のセットを簡単に「クエスト・トレイル」★★★に変えられるようにしています。

 

まとめ

エネルギーの単位として、世界で使われているのがジュールですが、私の教室では、エネルギーは「わくわく感」で測られます。いわゆる「場の空気を読む」ことを私は学びました。だるさが広がったり、いつものルーティーンがなんだか味気なく感じられたりしたら、教室のエネルギーを取り戻すために、こうした方法のどれかを取り入れます。生徒たちが動き出せば、またいつもの確かなルーティーンや学びの実践に戻ることができます。生徒のエネルギーに波があるのは当たり前。だからこそ、また元気を引き出すためのちょっとした方法が必要なんです。

 

    *****

 

 皆さんも、エネルギーに敏感になってください。それが、同じ時間を費やしても、生徒たちの学びの質と量を決定的に分けてしまいますから。その際は、教師ががんばりすぎない(ほどよく手を抜く)アプローチで! がんばりすぎると、疲れますし、生徒の自立につながらないことが多いですから(生徒は教師に依存するだけで)。

 

★あなたの国語を教える情熱は何ですか? この2つを挙げているような先生に教えてもらっている生徒たちは幸せだと思いました。こういうとても大事なことが抜け落ちた形で行われているのが、日本の国語(であり、算数・数学であり、理科であり、社会・・・)の授業であるような気がしてしまいます。https://wwletter.blogspot.com/2023/02/sel.html でも紹介したように、『あなたの授業が子どもと世界を変える』ことを忘れないでください!

★★この学習センターを使った教え方はとても効果的なので、ぜひチェックしてください。https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784794812261 で目次が見られます。

★★★「question trail」で検索すると、テンプレートも含めて、たくさんの情報が入手できます。

出典: https://choiceliteracy.com/article/renewing-energy-in-the-classroom/

2025年7月25日金曜日

読むことに関する2冊の本の比べ読み

  友人の中学校の国語の先生(現在は、教育大学教職大学院に准教授として出向中)の飯村さんが書いてくれたので紹介します。

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犬塚美輪『読めば分かるは当たり前?読解力の認知心理学』(以下、A)と、吉田新一郎『(増補版)「読む力」はこうしてつける』(以下、B)の二冊を比較して読みました。

 

●両書の基本的な内容

まず、それぞれの基本的な内容について述べます。

 Aは認知心理学の視点から「読解」という行為を多層的に捉え、どのようにして読解力が育まれるかを解説した一冊です。専門用語も多く登場しますが、平易な語り口で書かれており、理解しやすく感じました。私自身、これまで読解について漠然とした理解しか持っていませんでしたが、本書では脳内で起こるプロセスが構造的に説明されており、認知心理学の視点から捉える読解のイメージが明確になりました。特に印象に残ったのは、認知的負荷の個人差に注目し、それを軽減しなければ読みや理解が進まないという点、そして「スキーマ」の枠組みなしに読むことの困難さです。改めて、現在の国語の授業で一斉指導を想定したとき、読解に苦手意識を持つ生徒は全く太刀打ちできないということがわかりました。個々へのアプローチが必要だと感じます。

 Bは、「読む力」を単なる情報の受け取りにとどまらず、思考力や生きる力として捉え直し、学校教育における読解指導を再考することを提案する書です。国語教育の目指す方向性や現在の課題について、非常に納得できる内容が多く含まれています。特に印象的だったのは、教科書にとらわれず、読みたい本を自由に読む「リーディング・ワークショップ」の手法を提唱している点です。これは日本の従来の国語教育を見直す上で有効な視点だと感じました。また後半では、「優れた読み手」が用いる読解方法を幅広く紹介し、それを授業でどう学び、どのように身につけていくかという具体的な方法も多数提示されています。国語教師として、自分の授業にどう取り入れるか考えるきっかけとなりました。

 

●両書の違い

ここからは、両書の主な違いについて私なりに整理したものをお示しします。

1. 前提の違い

Aは認知心理学の視点から、読むという行為について、万人に共通する脳の仕組みや働きの解明をスタート地点としています。対してBは読者反応論に基づき、読書が読者一人ひとりの体験や解釈に根ざすものだと捉えています。Bの視点は、多様性を尊重する現代の学習環境において有効だと感じます。

2. ゴール設定の違い

Aは読むことから「わかる」ことに至るまでのプロセスを示し、それぞれのつまずきに対する手助けの仕方を示しています。一方Bは、読む方法の多様性を提示し、読書が日常生活や人生においてどのような価値を持つかを考察しています。これにより、読解力を単なる学力としてではなく、もっと広い意味で捉えることが可能になります。

3. 「読むこと」への捉え方の違い

Aは読む行為を静的で共通性のあるものと見なしていますが、Bはそれをダイナミックなプロセスとし、多様な読み方を可能にする手法や実践を紹介しています。Bのアプローチは、学習者一人ひとりの特性に応じた柔軟な指導や、創造的な授業づくりに大きく寄与すると感じました。

 

●まとめ

 このように、ABは異なるアプローチで「読むこと」に光を当てています。Aの提示する認知心理学の視点から考えると、読むことは誰しも一様ではなく、それぞれの土台や段階に応じて自分の工夫や他者のフォローが必要なことがよく分かります。一方Bは、「苦手」や「分からない」といった課題に目を向けるのではなく、読書を、人生を豊かにする営みとして捉え、前向きな読みの姿勢を育むことを重視しています。多様性を尊重する現代教育において、Bのような視点は今後ますます重要になるでしょう。

 ぜひ両書を手に取り、自身の「読むこと」へのまなざしをアップデートしてみてください。

2025年7月18日金曜日

見えないものを見えるようにする工夫

  読書猿さんの『ゼロからの読書教室』(NHK出版、2025年)は、分厚い本を読むのに苦しんでいる「女の子」と「フクロウ博士」の対話で進む本です。読者になるためにどういうことが必要になるかを教えてくれます。。二部構成ですが、その第1部「本となかよくなるために・・・・・・しなくてもいいこと、してもいいこと」は、本の読み方についての大変わかりやすい説明です。その第1部の12回の対話の見出しは「全部よまなくてもいい」「はじめから読まなくてもいい」「最後までよまなくてもいい」「途中から読んでもいい」「いくつ質問してもいい」「すべてを理解できなくてもいい」「いろんな速さで読んでいい」「本の速さに合わせてもいい」「経験を超えてもいい」「小説なんて読まなくていい」「物語と距離をおいていい」「小説はなんでもありでいい」となっています。「本の読み方12箇条」というような名前をつけて、目のつくところに貼っておきたくなる言葉ですね。

たとえば「途中からよんでもいい」には、読書感想文をどうすればいいかたずねる「女の子」に対して、「フクロウ博士」は次のように言っています。夏目漱石の『こころ』が取り上げられています。

「そうじゃ、答えを探すべき問いが「先生はなぜ死のうと思ったのか?」に決まったら、文章を読んでいき、その答えになりそうなもの、答えそのものじゃなくともヒントになりそうなものを見つけたら、付箋を貼るなりして、読み返せるようにしておく。この印をつける読み方を刻読というのじゃよ。あとから読み返すのは、文字どおり再読という。」(『ゼロからの読書教室』38ページ)

 「刻読」という言葉は私もはじめて知りましたが、今この原稿を書く際にも『ゼロからの読書教室』の該当ページに付箋を貼っています。なるほど刻みつけるように「しるし」をつける読み方です。もちろん見通しもなく「しるし」を付けても、どうしてそこに付箋を貼ったのかということが後でわからなくなってしまいます。「フクロウ博士」の言葉で大切なのはまずその本を読みながら「答えを探すべき問い」をもつというところです。その問いがあれば「答え」や「ヒント」になりそうなところに注目することができるようになります。その本を「再読」する際の目印になりますね。

 もう一つ「いろんな速さで読んでいい」のところには「楽しみのために読むなら、本が用意してくれた順序とスピードに乗っかって読むのがいい」という「フクロウ博士」の言葉があります。みなさんはそういう「本が用意してくれた順序とスピード」に注目して読んだことはありますか。これは目から鱗でした。「フクロウ博士」は「速い淳に言うと、《説明》《場面》《描写》の3つじゃ」と言います。「フクロウ博士」は主にフィクションを扱っていますが、これらはいずれの文章の働きで、ノンフィクションでも同じです。

 《説明》は「作品と読者の「隔たり」を一足飛びに結びつける」、《場面》は「本の中と外、つまり物語の時間と読み手の時間をちょうど同じにシンクロさせる」と「フクロウ博士」は「女の子」に明快に《説明》します。小学校国語教科書の「定番」になっている「ごんぎつね」(新美南吉)の六つの《場面》のことを思い浮かべてください。もし《場面》の切替がなければ「物語の時間」と「読み手の時間」はかなりズレてしまいます。《場面》の切替があるから「ごんぎつね」の読者は物語の作中人物の言動についていくことができるのです(《場面》が切り替わる間の登場人物の行動を想像することもできます)。そして《描写》は「たんさんの言葉で細かく詳しく伝える」もの」で、そうなると「本が用意してくれたスピード」はとても遅くなるか、ほとんど進まないと言うのです。

 確かに「フクロウ博士」の言う通りで、「女の子」だけでなく、読者である私も「なるほど」と納得しました。そういう「速さ」の違いを意識するのと、意識しないのとでは読み方にかなりの違いが生まれそうです。「物語論(narratology)」という研究分野がありますが、「フクロウ博士」はその専門家たちが言ってきたことを「女の子」にわかるように、そしてそれが日頃使うことのできる「読み方」になるようにしています。さすが知恵の象徴と言われる鳥です。

 『理解するってどういうこと?』の第7章に様々な「作品構造」(原著ではText Structure)について書かれています。「フクロウ博士」が言っていることは「表71 読み・書きを学ぶ際の主要な構成要素」(262ページ)のうち「フィクション」のところに挙げられていることがらです。「フィクション」の特徴のなかに「場面」がありますし、「作家の技」として「説明」「行動」「対話」や「後の展開の暗示・並行して描かれるストーリー」「フラッシュバック(回想)とファストフォワード(未来へ飛ぶ)」が挙げられています。そして、エリンさんは次のように言っています。

「実際に自分が読んでいる作品の構造を「見る」ことはできませんが、構造はその本の輪郭をかたちづくっています。優れた読者たちは、作品を読み進むにしたがってその構造を感じ取り、そうして得た感覚をもとに効果的な予測を立てることができます。再び家屋建築の例を使って言うなら、ダイニングルームから別の部屋へと歩いている人がいたとすれば、典型的な家のレイアウトからすると、その向かう先は寝室よりもキッチンである確率が高いでしょう。フィクションでは、登場人物や舞台設定について書いてあることから、当然その後には何らかの対立や衝突があらわれるだろうと予測することができます。読者がその作品構造を「見る」ことはありませんが、それを感じることはできます。「聞く」と言えるかもしれません。作品構造の指導とは、この見えないものを見えるようにして、読者がその文章自体の内容と構造をツールとして、理解を深め、自らの思考を変更し、これまで持っていた知識や考えや感じたことを修正するために使うことができるようにすることです。」(『理解するってどういうこと?』261263ページ)

 「フクロウ博士」の言葉は、見えない「作品構造」を「女の子」に見えるようにしてくれます。構造が見えれば(聞ければ)、読者は自分が感じていていたその本のよさを言葉にすることができるでしょうし、そのプロセスで自分がそれまで持っていた「知識や考えや感じたことを修正する」ことになります。その本の「見えないものを見える」ようにして、その本のどこが自分に大切であるか分かったという「喜び」を味わう読みの生まれる条件を「フクロウ博士」いや読書猿さんの『ゼロからの読書教室』は教えてくれるのです。