2025年8月30日土曜日

やさしいけれど難しい? 〜村上昭夫の詩を読む〜  

*時々投稿をお願いしている吉沢先生に、今回の投稿もお願いいたしました。 

 2025年6月1日の投稿で私は、「難しいけど、この詩いいよねえ」と言いたくなる詩もあります、と述べ、石原吉郎さんの詩を紹介しました。今回は、「やさしそうに見えるけど、この詩、難しいねえ」と言いたくなる詩を紹介したいと思います。2年ほど前、「やさしい言葉で書かれた詩を読む」というタイトルの投稿で一度取り上げたことのある村上昭夫の詩です。★1

 その時は、「やさしい言葉で書かれた詩」ということで済ませていたのです。しかし、今回、読み直してみて、「やさしい言葉で書かれた詩」で済ませられないことに気づきました。村上昭夫の詩に再度向き合う中で、彼の詩を深く掘り下げてみたいと思います。

雁の声★2

  村上昭夫


雁の声を聞いた


雁の渡ってゆく声は


あの涯のない宇宙の涯の深さと


おんなじだ 

 

私は治らない病気を持っているから


それで


雁の声が聞こえるのだ 

 

治らない人の病いは


あの涯のない宇宙の涯の深さと


おんなじだ 

 

雁の渡ってゆく姿を


私なら見れると思う


雁のゆきつく先のところを


私なら知れると思う 

雁をそこまで行って抱けるのは


私よりほかないのだと思う 

 

雁の声を聞いたのだ


雁の一心に渡ってゆくあの声を

私は聞いたのだ



 

 雁が群れをなして渡っていく姿を見て、作者は心を打たれたのでしょう。作者は、その鳴き声が、宇宙の涯てを思わせるようだ、と言っています。けれども、それがどんな鳴き声だったかを描写しているわけではありません。

 詩の冒頭が、仮に次のようになっていたら、どうでしょうか。

雁の鳴き声を聞いた


雁の渡ってゆく鳴き声は


あの涯のない宇宙の涯の深さと


おんなじだ 

  このように書くと、雁が鳴きながら渡っている姿、第三者として眺めているような印象を受けます。

 作者には、「雁の鳴き声」ではなく、「雁の声」なのです。雁に作者の心がまっすくに向かっていることを感じます。聞こえてきたのではなく、「私は聞いたんだよ」というふうに作者は言いたいのです。

 作者は「治らない病気」にかかっています。そのことが、この詩を支えるもう一つの要素です。このことを理解するために、作者の生涯をたどってみます。

 村上昭夫は1927年(昭和2年)に岩手県で生まれ、当時の岩手中学校(現在の岩手高等学校)を卒業後、満州にわたり、現地の部隊に入隊しますが、まもなく終戦を迎えます。翌年、帰国し盛岡市内の郵便局で働き始めますが、1950年に結核を発病し、サナトリウムに入院し、この闘病生活が41歳で亡くなるまで続きます。

 闘病生活の中で書き溜めた詩は、晩年、『動物哀歌』という詩集にまとめられ、1967年に土井晩翠賞を、翌年、H氏賞を受けます。その受賞に際し、村上昭夫は次のように語っています。★3

「死」という未知なものが、さまざまな動物や植物、それに、実にたくさんの人間の形態となって姿を見せました。それらのものを懸命になってノートや原稿に、書きしるしました。それが『動物哀歌』となって、世に出ました。★4

  当時、結核にかかって亡くなる人は多く、「死の病」と思われていました。30代の若さで、自分は死ぬのだということに向き合うことのつらさ。それが作者を、雁に向かわせたのでした。

 雁に向かって、作者は心を寄せています。心は雁の声、渡っていく姿、行き着く先へと、まっすぐに向かっています。詩から私が感じるのは、そのまっすぐさ、ストレートさ、その思いの強さです。

 そして、それ以外のことが詩には書き込まれていません。余分なものが削ぎ落とされています。雁の具体的な描写とか、「私」が今どこにいて、何という病気にかかっているのかとか、そのようなことは一切書かれていません。読み進んでいくうちに、そのような雑音が消えていくのを感じます。

 雁が鳴いている。雁は渡っていき、どこかに行き着くだろう。その雁を抱きしめたい。私は死ぬ。そんな私こそが、お前とともにいたい。----そのようなメッセージが、そのようなメッセージだけが、言葉として読み手に伝わってくる。それがこの詩の魅力だと思います。


 もう一編、紹介します。

ねずみ★5   


ねずみを苦しめてごらん


そのために世界の半分は苦しむ 

 

ねずみに血を吐かしてごらん


そのために世界の半分は血を吐く

 

そのようにして


一切のいきものをいじめてごらん 

そのために


世界全体はふたつにさける 

 

ふたつにさける世界のために


私はせめて億年のちの人々に向って話そう


ねずみは苦しむものだと


ねずみは血をはくものなのだと 

 

一匹のねずみが愛されない限り


世界の半分は


愛されないのだと 

 

 「ねずみ」という弱者、「血を吐く」という部分に、作者自身が投影されていることは、容易に分かると思います。

 「世界の半分は苦しむ」「世界全体はふたつにさける」という言葉で、作者は何を言いたいのでしょうか。いろいろな解釈や感じ方があると思います。

 この詩に描かれているのは、ねずみを苦しめ、いじめる者と、苦しめられ、いじめられるねずみ(いきもの)との対立です。言い換えれば、加害者と被害者のいるこの世界の姿です。その中で、「一匹のねずみ」に作者は思いを寄せています。そして、一匹のねずみを愛することが、「世界の半分」が愛されるために必要だ、と言います。一匹のねずみに向かっている眼差しの向こうに、この世界全体、地球に住む私たち全体を見ようとしています。ためらいなく、世界全体に自分の言葉を投げかけるストレートさに、私は感銘を受けます。

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★1 2023年7月9日WWRW便り「やさしい言葉で書かれた詩を読む」

★2 『現代詩文庫159 村上昭夫詩集』思潮社、1999年、13ページ

★3 村上昭夫の生涯については、盛岡市公式ホームページを参考にした。  https://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/kankou/1037106/1009526/1024995/1025008/1025058.html

★4 同上ホームページより引用。

★5『現代詩文庫159 村上昭夫詩集』思潮社、1999年、19-20ページ


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