2023年8月26日土曜日

特別支援学級の「作家の時間」で輝く子どもたち

翔くんへのカンファランス

 ここに翔くん(全ての人物の名前は仮名です。障害特性や学習場面等にも、ある程度のフィクションが入っています)がいます。翔くんは特別支援学級に在籍しています。6年生ですが知的障害と半身に軽度の麻痺があり、学校では1年生程度の学習をゆっくりと学んでいます。ひらがなの練習を続けていますが、まだまだ書けない字も多く、支援者が寄り添いながら、練習を続けています。視知覚に特性があり、文章のようにたくさんの文字が並んでいると、どの文字に注意を向けたら良いかが難しく、また、注意を向け続けることも難しいです。けれど、どの文字もちゃんと読むことができます。そして、言葉も多く知っていて、生活語彙もたくさんもっています。どの子よりも先んじて英単語を発表し、大活躍することもあります。翔くんのすばらしいところは、コミュニケーションを楽しんで行うことができることです。愛嬌があり、いろいろな人と仲良くしたいという気持ちに溢れています。

 翔くんは作家の時間が大好きです。
私「翔くん、今日は何を書く?」
翔「名前を書く」(翔くんは自分の名前を書くのが得意で自信を持っています)
私「よし、じゃあ名前を書いてごらん!」
翔「し・ょ・う」
私「ょのクルッとなる所も上手に書けたね。じゃあ、うのつくものは?」
翔「うー・・・ うさぎ?」
私「うなぎ? うなぎおいしいよねー」
翔「うさぎだよー! うさぎは食べちゃダメー」
私「そっかー、うさぎかー。じゃあ、うさぎを書いてみよう。絵も描いてみよう」

私は、薄墨のサインペンでうさぎの絵を描き、ひらがなの練習と一緒に、なぞり書きの練習も同時にできるようにしました。そして、支援員の高木先生に目配せをして、支援のバトンタッチをします。高木先生もよく分かっていて、翔くんとやりとりをしながら、ひらがなを書いたり、なぞり書きをしたり、または絵を描いたりすることを、彼の思いに応じて寄り添ってくれます。

 これは、翔くんへのカンファランスです。一般的な作家の時間のカンファランスとは大きく違いますが、個別最適な支援が行える作家の時間の枠組みで学習することで、彼もまた、自分の良さを発揮することができます。今日は、翔くん以外にも作家の時間に参加した児童は、6人いました。交流で一般級に学びに行った子もいるので、今日はこの人数です。6人とも、学年はばらばら(4年生4人、5年生2人)、習熟度もばらばら、特性もばらばら。私はもはや、この子たちに「国語」を教えることができる枠組みは、作家の時間と読書家の時間以外にはないのではないかとも考えています。

特別支援×作家の時間


 特別支援の教室においても、作家の時間はとても力強いプラットフォームを提供します。下の箇条書きの順で、説明をしていこうと思います。
  • その子のこだわりや学び方に柔軟に応じられる
  • その子の発達や学力に最適な支援を届けられる
  • 欠席しても、交流で抜けても、スムーズに学習に合流できる
  • 多様な他者がその子の「よさ」に気付き、認めることができる

その子のこだわりや学び方に柔軟に応じられる

 作家の時間はもともと、自由度の高い学習の枠組みなので、その子が書きたいものを自分で決めて、表現することができます。自閉的傾向の高い子どもは、自分の内的な世界を豊かに持っていることが多いですが、他者が設定した課題に自分を適応させることが難しく、教室で苦しい思いをする子が多くいます。他者がたとえ大好きな先生だったとしても、不安定な先生の課題に身を委ねるのがとても怖く、それだけで苦しく感じてしまうのです。そのようなこだわりの強い子どもであっても、作家の時間は安心して学ぶことができます。私の場合は、子どもたちも作家の時間に慣れてきた(制限のない作家の時間を1年ぐらい続けました)ので、緩い制限をかけてユニットを構成することも少しずつ出てきましたが、それでも、子どもたちが自分の安心できる内容を選ぶことができるのは、変わらず続けています。

 たとえば、「バトルもの」を書くことが好きな子、決まった想像上のキャラクターが出てくる子、建物の見取り図やマークが好きな子、全ての子の安心を確保することができます。何かを教えるにしても、まずはその子が安心して学べる環境を作り上げることを最優先にし、その子が学びをスタートすることができてから初めて、その子に何を教えるかを考えていきます。その子が学びのサイクルを回し始めないと、その子の見取りは難しいからです。その子の好きなもの、学び方の特性、こだわり、認知や発達の偏り、コミュニケーションの特徴、注意の持続力、その日の気分など、いろいろな角度からその子のアセスメントを行い、作家の時間という自由度の高いプラットフォームで走り始めたその子に、適切な支援を考えていきます。その子が学び始めてから、指導の手立てを考えることができるのです。

その子の発達や学力に最適な支援を届けられる

 カンファランスの最大のメリットは、一人ひとりの子どもをしっかり見ることができるところです。反対に、支援者が子どもの見取りのできない(しない)授業は、子どもに恐怖を与えることに他ならないことを、子どもと関わる大人全員が知っておくべきでしょう。それは特別支援の教室では、なおさら顕著です。外部の環境に適応できなくて苦しい思いをすることが多いので、その子が自分の身を守ろうとしなくても学べる方法をアセスメントし、カンファランスによって個別最適な支援を届けています。もちろん、一回で最適なものを届けられるわけでもないので、支援や環境を調整しながら、最適な学習を再考し続けます。

 翔くんのエピソードにもある通り、ひらがなを書くのが難しくても、こだわりが強くて絵しか描けなくても、作家の時間を通じて、その子の安心は広がっていきます。私たちは在籍する全ての子に一律の能力を身につけさせようと思っていませんし、無論、それを一定の基準と照らし合わせて評価しようとも思っていません。翔くんは書くことを通じて、表現する喜びを体感し、艶のある自尊感情のまま、ひらがなの練習をすることができます。また、同じクラスの康太くんは、短い集中時間でありながら、すごい熱量で作品を短時間で仕上げ、文章構造も修辞技法も多彩。康太くん自身のスピード感で学ばないと、イライラしてしまいます。二人とも、学力や習熟度はまったくちがう次元にいるので、比較のしようもありません。だからこそ、安心して学べる状況は異なります。けれども、作家の時間というプラットフォームであれば、良い具合に関わり合いながら学ぶことができるのです。どんな支援や指導を行うかは、安心して学ぶことができてから、支援者がじっくり考えていけば良いように思います。

欠席しても、交流で抜けても、スムーズに学習に合流できる

 特別支援学級あるあるなのが、一つの単元を続けて学んでもらいたいのに、欠席が多かったり、一般級への交流があったりして、流れが途切れてしまいがちであるということです。どうしても、単発型の授業やプリントを使った学習が多くなってしまうのも、このようなことが原因にあります。しかし、作家の時間は、一度や二度、授業を抜けたとしても、全く問題がありません。その子の学びはしっかり保管されていますし、同じ学習のサイクルで淡々と進んでいきますから、複雑な説明を聞いていなくても、枠組みを理解できていればいつでも合流できるのです。これは、私も特別支援学級で作家の時間を始めてみて、非常にメリットであると感じています。

多様な他者がその子の「よさ」に気付き、認めることができる

 完成した作品を色々な人に見てもらえることも、その子の心を豊かにしていきます。美穂さんは、特別支援学級の担任だけでなく、自分から学校中の先生に見せて回り、コメントを聞いてまわる子です。康太くんは、作品を動画にアレンジして、一般級で披露することができます。他の子も出版をすれば、保護者の方々がファンレターを届けてくださいます。もっともっと広げられれば、地域の方々や他校の子どもたちにも届けることができるかもしれません。自分の分身である作品が認められるということは、自分の世界の輪郭が広がって、安心できる世界が広がることになります。温かいつながりが、心を耕してくれると思います。

翔くんの作家の椅子


私「では、あと発表の時間にしましょう。今日発表したい人はいますか?」
翔「はーい」

 この日、翔くんは、絵を描きながらしりとりを続けました。薄墨サインペンの線をたどたどしくなぞったウサギや、「ぎたー」も書かれています。翔くんは自分の書いた紙を書画カメラからテレビに写し、「えへん!」と言わんばかりです。

私「何を書いたの?」
翔「しょう」
私「これは?」
翔「うさぎ!」
私「これは?」
翔「ギター」
康太「あーわかった、しりとりだ! 次のこの点みたいなのは何?」
翔「なんだっけ? 高木先生・・・ あっそっか! アブラムシ」
一同「笑」
私「感想教えて」
美穂「おもしろかったです!! アブラムシがおもしろかった!!」
康太「このしりとりに出てきた物を推理小説みたいにアレンジして、読んだ人が後からしりとりだったことに気づくようにしたら面白いよね。やってみようかな」
私「はい、じゃあ翔くんの原稿は完成原稿ファイルに閉じておくね。次の出版は来月だからお楽しみに」

 こんな感じで、特別支援学級の作家の時間は続いていきます。

(写真は、新屋島水族館のフロリダマナティー「ニール」です)



2023年8月19日土曜日

自分たちの記憶の世話をする

 

6月に書いた「読むこと・書くこと・感情・記憶」では、エリンさんの次のような言葉を引いて、いしいしんじさんの『書こうとしない「かく」教室』(ミシマ社、2022年)に触れました。

 

「私は知識を得るために読みます。あるいは、さまざまな登場人物を通して、自分の感情を経験するために読みます。いずれの場合であっても、読むことや学ぶことが、ずっと残り続ける何かに導いてくれるということを知っています。それは自分自身について発見することだったり、読んでいなければ消え去ってしまったであろう細部が記憶にとどまる、ということです。感情と記憶は切り離せないのです。」(『理解するってどういうこと?』339ページ)

 

 いしいさんは作家として、エリンさんの言う「ずっと残り続ける何か」について大切なことを教えてくれました。「釣り糸」の比喩は、私のなかにもずっと残り続けています。感情と切り離せない「記憶」のことを言い当てる巧みな比喩です。

 いしいさんの本よりも少し前に刊行された山本貴光さんの『記憶のデザイン』(筑摩書房、2020年)は「膨大な情報を扱えるようになった現在の情報環境と、それを使う人間の、とりわけ記憶とのあいだに、よりよい関係を結ぶような仕組みをつくれないか」「現在の情報環境を前提として、自分の記憶をよりよく世話するためにはなにができるか」という問いに答えるように書かれた本です。

 「膨大な情報を扱えるようになった現在の情報環境」の出発点がインターネットの普及であることを疑う人はおそらくいないでしょう。そして端末の進化や小型化にともなって、そうした情報環境はより身近になりました。

インターネット検索は大変便利なもので、何かを調べようとするときにまずはスマホやパソコンを開いて、検索語を打ち込み、調べることが少なくありません。とくにはじめて訪れた街の宿泊先のホテルがどこにあるかを調べるときなどには重宝します。こういう経験を重ねると、もしかしたら様々な情報を頭のなかに記憶する必要はもうなくなるのではないかと都合のいいことを考えてしまう状況がかたちづくられつつあります。が、ほんとうにそうなのでしょうか。山本さんはそうしたところから問い始め、次のように指摘しています。

 

「人がなにかを検索するとき、それに先だって探したいことが念頭にある。つまり、知りたいことそのものではないが、それに関わる疑問を思い浮かべている。なにもないところから検索ができるわけではない。検索するためには、なんらかの答えを予想した疑問が必要なのだ。」(『記憶のデザイン』52ページ)

 

「検索をかけるには、探し物を思い浮かべ、それに関連する検索後を思いつく必要がある。その出発点となる探し物や検索語は、その人の過去の経験とその記憶に基づいて思い浮かぶものである。」(『記憶のデザイン』55ページ)

 

 山本さんの指摘に従うと、もしも私が「過去の経験とその記憶」をすべて失ってしまったとしたら、私には検索はできないということになります。何かを探そうとする、その何かを支えているのは探そうとする人間の「過去の経験とその記憶」だというのです。山本さんは「検索するためには、なんらかの答えを予想した疑問が必要」だと言っていますが、その「疑問」の源は「過去の経験とその記憶」です。わからないことがあればインターネット検索をしてみればいい、とよく言われますが、そのためには「なんらかの答えを予想した疑問」が不可欠だというのです。これは、理解の仕方を左右する大事な見方です。ケヴィン・ケリーは『〈インターネット〉の次に来るもの』(服部桂訳、NHK出版、2016年)で「いい質問は人間にしかできない」と言っていますが、山本さんの指摘する検索の問題もそこにつながります。インターネット検索のありようは、検索する人の「過去の経験とその記憶」に根ざした「疑問」に左右されるのですから、その人が世界をどのように理解しているのかということが反映されると言っていいかもしれません。

 もう一つ、『記憶のデザイン』のなかで印象に残ったのは、記憶が社会的なものだという指摘です。

 

「会社とは、それらの人のあいだで取り結ばれた契約によって、そのようなものがある、と設定されたなにものかなのだ。法律で認められた、そういってよければ言葉の上で創造された存在である。(中略)私たちはそうした虚構を経験しているということになる。/ここでの私たちの関心に照らして言い換えれば、国家や法律や企業その他、人間がつくる組織は、人びとの頭のなか、記憶の上にのみ存在するものだと言えるだろう。といっても、それは幻想であって、意味のないものだ、ということではない。まったく逆で、むしろモノとしては存在していないのにもかかわらず、人間たちは共同して、そのような各種の組織や仕組みを存在するものとして扱い、運用している。これなども社会的な記憶のあり方としてみることができる。」(『記憶のデザイン』p.103

 

 「人間がつくる組織」はいずれも人間が共同して言葉を使ってこしらえる「社会的な記憶」として存在するという考え方は、人間という動物の特徴を言い当てていると言っても言い過ぎではありません。同じ出来事の記憶が異なっていても、忘却することが少なくないとしても、なお記憶することが人間とその社会にとって重要なのは、そのためです。

山本さんはこの本の最後に次のように述べています。

 

「思うに自分たちの記憶の世話をするということは、自分たちのあり方を世話することでもある。いまさら言うことではないかもしれないけれど、自分たちはどうありたいかによって、記憶の扱い方も変わってゆくだろう。」P.218

 

「自分たちはどうありたいか」ということを絶えず問い続けることが「記憶の扱い方」を左右するというこの指摘は、「記憶」が人間の感情や経験と切り離せないということを含意しています。そして山本さんの言う「自分たちの記憶の世話をする」という営みは、私たちの大切な理解の種類の一つであると思います。

2023年8月11日金曜日

「選択という扉の向こう側にある世界〜[鏡]と[窓]と[ガラスの引き戸]」(★1)

本はしばしば、子どもたち自身の生活への『鏡』となり、自分たちが誰であるのか、どういう人になろうとしているのか、どういう人になりたいのかについて、学ぶのを助けてくれる」            Rudine Sims Bishop (★1)

 選択と自ら行った選択の振り返りを通して、子どもたちが学び手としての自分に目を向けながら成長できるようにサポートしていく具体例に溢れた本(★2)を、今、読んでいます。6章で登場する選択の一つに、子どもたちが読んだものを目に見える形に表現する際、「その表現方法も子どもたち自身が選択する」というのがあります(108-113ページ)。

 読んだことを、何らかの形にして表現する教室は多いと思います。その助けになるようにと、決まった図やフォーマット、あるいはお題となるような書き出しを与える教師もいると思います。

 しかし、表現する形を教師が決めてしまうことに慣れてしまうと、子どもたちの思考や学びは、教師が選んだ枠内に制限されてしまいます。子どもたちの思考や学びを教師が型にはめてしまうことがないように、表現方法を子どもたちが選択することの大切さが強調されています(108ページ)。

 もちろん、「読んだものを目に見える形に表現すること」自体が目的になって、読む時間が大きく減ってしまうと、本末転倒です。でも、考えたことを目に見える形にすることで、読み手は、読んだ内容だけでなく、学び手としての自分をより深く理解する助けになります(108ページ)。この本では、6ページにわたって、子どもたちの写真、成果物、イラストなどで、いろいろな子どもたちの、それぞれの理解のプロセスとその結果を見ることができます(108-113ページ)。それぞれの学び手の、その時点での学び方とその成果が伺え、教師にとっては、子どもたちをどのようにサポートしていくのかを決める助けにもなります(108ページ)。

*****

 さて、この本で、ある子どもが書いた成果物の横に「本はしばしば、子どもたち自身の生活への『鏡』となり、自分たちが誰であるのか、どういう人になろうとしているのか、どういう人になりたいのかについて、学ぶのを助けてくれる」という、ビショップ氏(Rudine Sims Bishop)の言葉の引用がありました(113ページ)。(本日の投稿の冒頭に引用しました。)

 ビショップ氏はオハイオ州立大学の名誉教授で、1990年に、多文化児童文学を、「鏡」と「窓」と「ガラスの引き戸」に喩えており、この喩えを、本日の投稿の副題にしました。(出典などは以下★1をご参照ください。)不勉強の私は今回、この引用のおかげで、初めて、本を「鏡」と「窓」と「ガラスの引き戸」に喩えたビショップ氏の文を読みました。

 上記では、読んだものを「表現する方法の選択」について書きましたが、ビショップ氏は子どもたちが「読むものの選択の幅」について、多文化という観点から記しています。「読む本」について教師が選択を与えても、教室にある本のテーマやジャンルが限定的であれば、教師が選んだ狭い枠の中に子どもを閉じ込めてしまうことになってしまいます。

 多文化児童文学の観点から、ビショップ氏は少数民族と呼ばれる人たちが主人公になっている本の少なさや、その人たちが本の中で歪められた、否定的なイメージで描かれることのマイナス面に警鐘を鳴らしています。

 ビショップ氏はさらに、少数民族の人たちにとっての「鏡」の不足は、多数派の人たちについても、大きなマイナスになっていると言います。この指摘は私はとても大切だと思います。

 つまり、ビショップ氏によると、多数派の子どもたちは、自分の「鏡」を本の中に見つけるのは困らない、しかし、自分以外の人たちの「鏡」が、教室の本の中に不足することは、自分たち以外の人たちが住んでいる社会の現実を知る「窓」が不足しているになります。また「鏡」は「ガラスの引き戸」でもあります。読者はこの引き戸を開けて、著者がつくり出したその世界に入ることもできます。「鏡」が少なければ、「引き戸」も少ないことになります。

→ 教室の図書コーナーの本や、ミニ・レッスンやカンファランスで紹介する本について、教師は常に、子どもたちが生きている現代社会に目を向けて、目配りと勉強と更新が必要なんだなあと思わされます。「鏡」と「窓」と「ガラスの引き戸」は、その一つの指針になりそうです。

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 ビショップ氏が「鏡」と「窓」と「ガラスの引き戸」の喩えを書いたのが1990年です。最近の絵本を見ていると、様々な文化の子どもたちが登場しています。しかし、同時に、「書籍の禁止が全米で増加傾向」であり、禁止されている本は「マイノリティーやLGBTQの著者による作品や、こうした問題を扱った作品が圧倒的多数を占める」(★3)と報道されています。「鏡」が多様になっても、その「鏡」にアクセスできない状態が起こることもあることも覚えておきたいです。

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★1 以下のURLでPDFが読めます。PDFの最後には次のように出典が記されています。

Source: By Rudine Sims Bishop, The Ohio State University. "Mirrors, Windows, and Sliding Glass Doors" originally appeared in Perspectives: Choosing and Using Books for the Classroom. Vo. 6, no. 3. Summer 1990. 

http://www.rif.org/us/literacy-resources/multicultural/mirrors-windows-and-sliding-glass-doors.htm

また英語ですが、著者が語っている90秒ぐらいの動画を見つけました。

https://www.youtube.com/watch?v=_AAu58SNSyc

★2 Debbie Miller, Emily Callahan著

"I'm the Kind of Kid Who ...": Invitations That Support Learner Identity and Agency

Heinemann, 2022年

*書名を直訳すると「私がどういう子どもかというと...("I'm the Kind of Kid Who ...")」、副題は「学習者のアイデンティティと主体性をサポートすることへの招き(Invitations That Support Learner Identity and Agency)」です。4章、5章、6章はリーディングの時間での選択について書かれています。

★3 「学校の禁書で訴訟、「言論の自由を侵害」 米フロリダ州」(2023年5月18日)

 https://jp.reuters.com/article/florida-books-lawsuit-idJPKBN2X90JG

2023年8月4日金曜日

新刊案内

佐野和之先生(かえつ有明中・高等学校副校長)が、『SELを成功に導くための五つの要素 先生と生徒のためのアクティビティー集』の(ローラ・ウィーバーほか著、新評論)の書評を書いてくれましたので、紹介します。なお、原書タイトルは『The Fifth Dimmension of Engaged Teachingです。

最近、巷では「心理的安全性」という言葉をよく耳にします。一人ひとりが自分らしく居られ、安心して率直に自分の考えや意見が出せ、それを周囲の仲間に受け止めてもらえる。そんな関係性でできたコミュニティーが、心理的安全性の確立されたコミュニティーと言えるのでしょう。

教育界でも心理的安全性と学習効果の相関が注目され、教師の在り方や教育実践の手法について、従来の教育シーンをガラリと変える転換期を迎えている、と教育現場に立つ一員として感じています。

とはいえ、情熱をもって「教育」という仕事に向き合っている教師ほど、この教育界の新しい動きの前に、その重圧を受け、立ち竦んでしまっているのではないでしょうか。

本書は、そんな教師をエンパワーする二つの魅力をもった本です。一つ目は私たち教師自身のエンゲージ・ティーチングの実践が、同僚たちとの良好でサポーティヴな関係性を築き、健全で安心安全な職員室の創造につながるということ。毎朝、ポジティヴな気持ちで職場に向かう私たちの姿こそ、もっとも生徒に必要なことなのかもしれません。

二つ目は、教室の中で、真に意義のある学びを届け、生徒たちが自ら豊かな学びの旅へと向かっていけるような、具体的で即効性のある教育実践が豊富に紹介されていること。本書のタイトルにも含まれる「エンゲージメント」には「夢中で取り組む」という意味の他に「結びつける・統合する」というニュアンスも含みます。SEL(感情と社会性の学習)と教科学習を、心と知性を、教える内容と背景を統合し、生きるうえで大切な感覚を養う教育的アプローチが「エンゲージ・ティーチング」です。

生徒が目的に満ちた意義深い人生を送れるようにと願い、そのために良い影響を与えられる教師でありたい、と日々腐心されている方にぜひ手にとっていただきたい一冊です。生徒たちが自らの個性やエージェンシー(主体性)を発揮し、伸びやかにそれぞれの学びに向かっていける、そんな教室が日本の中にたくさん増えることを願って。


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