翔くんへのカンファランス
ここに翔くん(全ての人物の名前は仮名です。障害特性や学習場面等にも、ある程度のフィクションが入っています)がいます。翔くんは特別支援学級に在籍しています。6年生ですが知的障害と半身に軽度の麻痺があり、学校では1年生程度の学習をゆっくりと学んでいます。ひらがなの練習を続けていますが、まだまだ書けない字も多く、支援者が寄り添いながら、練習を続けています。視知覚に特性があり、文章のようにたくさんの文字が並んでいると、どの文字に注意を向けたら良いかが難しく、また、注意を向け続けることも難しいです。けれど、どの文字もちゃんと読むことができます。そして、言葉も多く知っていて、生活語彙もたくさんもっています。どの子よりも先んじて英単語を発表し、大活躍することもあります。翔くんのすばらしいところは、コミュニケーションを楽しんで行うことができることです。愛嬌があり、いろいろな人と仲良くしたいという気持ちに溢れています。翔くんは作家の時間が大好きです。
私「翔くん、今日は何を書く?」
翔「名前を書く」(翔くんは自分の名前を書くのが得意で自信を持っています)
私「よし、じゃあ名前を書いてごらん!」
翔「し・ょ・う」
私「ょのクルッとなる所も上手に書けたね。じゃあ、うのつくものは?」
翔「うー・・・ うさぎ?」
私「うなぎ? うなぎおいしいよねー」
翔「うさぎだよー! うさぎは食べちゃダメー」
私「そっかー、うさぎかー。じゃあ、うさぎを書いてみよう。絵も描いてみよう」
私は、薄墨のサインペンでうさぎの絵を描き、ひらがなの練習と一緒に、なぞり書きの練習も同時にできるようにしました。そして、支援員の高木先生に目配せをして、支援のバトンタッチをします。高木先生もよく分かっていて、翔くんとやりとりをしながら、ひらがなを書いたり、なぞり書きをしたり、または絵を描いたりすることを、彼の思いに応じて寄り添ってくれます。
これは、翔くんへのカンファランスです。一般的な作家の時間のカンファランスとは大きく違いますが、個別最適な支援が行える作家の時間の枠組みで学習することで、彼もまた、自分の良さを発揮することができます。今日は、翔くん以外にも作家の時間に参加した児童は、6人いました。交流で一般級に学びに行った子もいるので、今日はこの人数です。6人とも、学年はばらばら(4年生4人、5年生2人)、習熟度もばらばら、特性もばらばら。私はもはや、この子たちに「国語」を教えることができる枠組みは、作家の時間と読書家の時間以外にはないのではないかとも考えています。
特別支援×作家の時間
特別支援の教室においても、作家の時間はとても力強いプラットフォームを提供します。下の箇条書きの順で、説明をしていこうと思います。
- その子のこだわりや学び方に柔軟に応じられる
- その子の発達や学力に最適な支援を届けられる
- 欠席しても、交流で抜けても、スムーズに学習に合流できる
- 多様な他者がその子の「よさ」に気付き、認めることができる
その子のこだわりや学び方に柔軟に応じられる
作家の時間はもともと、自由度の高い学習の枠組みなので、その子が書きたいものを自分で決めて、表現することができます。自閉的傾向の高い子どもは、自分の内的な世界を豊かに持っていることが多いですが、他者が設定した課題に自分を適応させることが難しく、教室で苦しい思いをする子が多くいます。他者がたとえ大好きな先生だったとしても、不安定な先生の課題に身を委ねるのがとても怖く、それだけで苦しく感じてしまうのです。そのようなこだわりの強い子どもであっても、作家の時間は安心して学ぶことができます。私の場合は、子どもたちも作家の時間に慣れてきた(制限のない作家の時間を1年ぐらい続けました)ので、緩い制限をかけてユニットを構成することも少しずつ出てきましたが、それでも、子どもたちが自分の安心できる内容を選ぶことができるのは、変わらず続けています。たとえば、「バトルもの」を書くことが好きな子、決まった想像上のキャラクターが出てくる子、建物の見取り図やマークが好きな子、全ての子の安心を確保することができます。何かを教えるにしても、まずはその子が安心して学べる環境を作り上げることを最優先にし、その子が学びをスタートすることができてから初めて、その子に何を教えるかを考えていきます。その子が学びのサイクルを回し始めないと、その子の見取りは難しいからです。その子の好きなもの、学び方の特性、こだわり、認知や発達の偏り、コミュニケーションの特徴、注意の持続力、その日の気分など、いろいろな角度からその子のアセスメントを行い、作家の時間という自由度の高いプラットフォームで走り始めたその子に、適切な支援を考えていきます。その子が学び始めてから、指導の手立てを考えることができるのです。
その子の発達や学力に最適な支援を届けられる
カンファランスの最大のメリットは、一人ひとりの子どもをしっかり見ることができるところです。反対に、支援者が子どもの見取りのできない(しない)授業は、子どもに恐怖を与えることに他ならないことを、子どもと関わる大人全員が知っておくべきでしょう。それは特別支援の教室では、なおさら顕著です。外部の環境に適応できなくて苦しい思いをすることが多いので、その子が自分の身を守ろうとしなくても学べる方法をアセスメントし、カンファランスによって個別最適な支援を届けています。もちろん、一回で最適なものを届けられるわけでもないので、支援や環境を調整しながら、最適な学習を再考し続けます。翔くんのエピソードにもある通り、ひらがなを書くのが難しくても、こだわりが強くて絵しか描けなくても、作家の時間を通じて、その子の安心は広がっていきます。私たちは在籍する全ての子に一律の能力を身につけさせようと思っていませんし、無論、それを一定の基準と照らし合わせて評価しようとも思っていません。翔くんは書くことを通じて、表現する喜びを体感し、艶のある自尊感情のまま、ひらがなの練習をすることができます。また、同じクラスの康太くんは、短い集中時間でありながら、すごい熱量で作品を短時間で仕上げ、文章構造も修辞技法も多彩。康太くん自身のスピード感で学ばないと、イライラしてしまいます。二人とも、学力や習熟度はまったくちがう次元にいるので、比較のしようもありません。だからこそ、安心して学べる状況は異なります。けれども、作家の時間というプラットフォームであれば、良い具合に関わり合いながら学ぶことができるのです。どんな支援や指導を行うかは、安心して学ぶことができてから、支援者がじっくり考えていけば良いように思います。
欠席しても、交流で抜けても、スムーズに学習に合流できる
特別支援学級あるあるなのが、一つの単元を続けて学んでもらいたいのに、欠席が多かったり、一般級への交流があったりして、流れが途切れてしまいがちであるということです。どうしても、単発型の授業やプリントを使った学習が多くなってしまうのも、このようなことが原因にあります。しかし、作家の時間は、一度や二度、授業を抜けたとしても、全く問題がありません。その子の学びはしっかり保管されていますし、同じ学習のサイクルで淡々と進んでいきますから、複雑な説明を聞いていなくても、枠組みを理解できていればいつでも合流できるのです。これは、私も特別支援学級で作家の時間を始めてみて、非常にメリットであると感じています。多様な他者がその子の「よさ」に気付き、認めることができる
完成した作品を色々な人に見てもらえることも、その子の心を豊かにしていきます。美穂さんは、特別支援学級の担任だけでなく、自分から学校中の先生に見せて回り、コメントを聞いてまわる子です。康太くんは、作品を動画にアレンジして、一般級で披露することができます。他の子も出版をすれば、保護者の方々がファンレターを届けてくださいます。もっともっと広げられれば、地域の方々や他校の子どもたちにも届けることができるかもしれません。自分の分身である作品が認められるということは、自分の世界の輪郭が広がって、安心できる世界が広がることになります。温かいつながりが、心を耕してくれると思います。翔くんの作家の椅子
私「では、あと発表の時間にしましょう。今日発表したい人はいますか?」
翔「はーい」
この日、翔くんは、絵を描きながらしりとりを続けました。薄墨サインペンの線をたどたどしくなぞったウサギや、「ぎたー」も書かれています。翔くんは自分の書いた紙を書画カメラからテレビに写し、「えへん!」と言わんばかりです。
私「何を書いたの?」
翔「しょう」
私「これは?」
翔「うさぎ!」
私「これは?」
翔「ギター」
康太「あーわかった、しりとりだ! 次のこの点みたいなのは何?」
翔「なんだっけ? 高木先生・・・ あっそっか! アブラムシ」
一同「笑」
私「感想教えて」
美穂「おもしろかったです!! アブラムシがおもしろかった!!」
康太「このしりとりに出てきた物を推理小説みたいにアレンジして、読んだ人が後からしりとりだったことに気づくようにしたら面白いよね。やってみようかな」
私「はい、じゃあ翔くんの原稿は完成原稿ファイルに閉じておくね。次の出版は来月だからお楽しみに」
こんな感じで、特別支援学級の作家の時間は続いていきます。
(写真は、新屋島水族館のフロリダマナティー「ニール」です)