2018年9月28日金曜日

指導と評価の一体化を実現する「カンファランス」



これまで『Reading Essentials(読み方指導の本質)by Regie Routman の内容については、4回紹介してきました。

今回は、5回目の第7章を紹介します。(左の数字はページ数、←は筆者のコメントで、→は一緒にブッククラブをしていた人のコメントです。)

第7章 指導と評価の一体化 
← 国研(文科省)は、これを17~8年ぐらい前に言い出しましたが、言い出した人たちですら依然として、何をすることが「指導と評価の一体化」なのかわかっていません。従って、現場の先生たちも、これを空虚な言葉としてしか捉えていません! 101~108ページに紹介されているカンファランスは、そのためのもっとも有効な方法と言えると思います。それができるようになるためには、一斉授業から抜け出せないと無理なわけです。『読書家の時間』の第8章を参照してください。
あらためて、『読書家の時間』の第4章と第8章を読みなおしました。104107頁の私が羅列といったリストは、いくらかその場面がイメージできるようになりました。国研の言っている「指導と評価の一体化」は、カンファランスとは違いますね。一体化させる「指導」のコンセプトが異なるので。
← まさに、『「指導」のコンセプト』のズレです。「子どもたちを自立した学び手にする」というビジョンがありません。あるのは「教科書をカバーする」ことだけです。
カンファランスは、結局子どもを評価するだけでなく、子どもの意欲も引き出したり、子ども自身に目標を立てさせたりするわけですよね。
← まさに、その通りです。これほどのパワフルな評価+指導の方法はないと思います。
  『効果10倍の教える技術』の中で、教師の3つの役割を紹介しました(58ページ)。<表3を参照>

  これを書いた10年前は、私もまだコーチング=カンファランスのパワーに気づけていませんでした。まだ、ファシリテーションこそが中心だと思っていたので。それまで、約20年間していたのが、ファシリテーションでしたから。
  しかし、WWRWのメンバーが実際にカンファランスを中心にした授業をやり始めて、ようやく気づけました。
  今だったら、この表も真ん中の「コーチ」のところをもっと膨らませて、一番下の「ファシリテーター」のところは3行ぐらいに減らします。
  ちなみに、この表は、http://projectbetterschool.blogspot.jp/2015/03/blog-post.html にある表の一番左側が「教師」、真ん中が「ファシリテーター」、一番右側が「コーチないしカンファランス」という形で説明がつきます。
  つまり、日本でここしばらく脚光を浴びているアクティブ・ラーニングは、あくまでも表の真ん中の話なわけです。それでも、一番左側よりははるかにマシなのですが・・・・右側に比べると、残念ながら教師の掌に乗っていることには変わりがありません。従って、教師の掌がなくなると、生徒は何もできなくなってしまいます。教師の側も、子どもたちも、最初から自立を目指しているわけではないので。その時間をつつがなくこなすことが目的になってしまいます。いま騒がれているアクティブ・ラーニングは、ほとんどがそのレベルです。
  本書(Reading Essentials)の第9章と第10章で紹介されている、shared reading★1とguided reading★2はファシリテーションの範疇に入れられると思います。カンファランス/コーチングではないし、教える要素は多分に含んでいますが、一番近いのはファシリテーションだと思います。
 評価に使えるカンファランス以外の方法については、『一人ひとりをいかす評価』の第4章と第5章(形成的評価と総括的評価)をご覧ください。たくさんの方法が紹介されています。

98 Assessments should bring about benefits for children, or data should not be collected at all.  By Lorrie A. Shepard
← 引用にあるように、成績(=テスト)中心で、子どもたちの学びに貢献しないことをやり続けているのが日本の教育です。本来、学びと教えることの改善につながらないものは評価の名に値しないの。その値しないことをやり続け、子どもたちの能力を表面的にランク付けすることしかできていない!
 『成績をハックする』が、この点についてさらに詳しく書いています。

100 Being proactive by securing and administering appropriate and useful assessments is part of our job as responsible professionals.
← ということは、responsible professionalになりきれていない日本の先生たち?!(そうなることを「求められていない」と言った方がいいのかもしれません。従来の指導観の枠組みでは。)

101~109までのカンファランスについての記述は、日本でもきわめて効果的なことがすでに証明されています。(『読書家の時間』の第4章をご覧ください。)
 カンファランス中に話し合う内容は、読む際の目標を反映している下記の「読みのルーブリック」です。

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上記のルーブリックと、『読書家の時間』の170~171ページを比較してみてください。日本の先生たちも、RWを実践している人は、すでにかなりいいのを(この表よりも?)つくれています。

 ここまで書いたことを見て言えることは、「指導と評価の一体化」の核は、「生徒一人ひとりが学ぶ過程で自己評価をし、それに基づいて自己修正・改善ができるようにすること」だということです。その際の教師の役割は、そのプロセスをサポートすることと、生徒の自己評価(や相互評価)と教師自身の評価/振り返りを踏まえて、よりよい指導(ミニ・レッスンやカンファランス)をしていくこと、です。そうすることで、よりよい読み手(生涯にわたって読み続ける読み手)を育てることができます。間違っても、教師ががんばって(教科書)教材をカバーすることではありません。★6

★1 いっしょ読みについては、『読み聞かせは魔法!』の第4章を参照してください。

★2 ガイド読みについては、『読書家の時間』の第6章を参照してください。

★3 授業中の一人読みは当然のこと(https://wwletter.blogspot.com/2017/08/blog-post_25.html)、授業外の一人読みも重視されていることがわかります。それに対して、日本の国語の授業で一人読みが行われることはあるでしょうか? 読むことを教える授業で、子どもたちに一切読ませないということは、いったいどういうことでしょうか? スキーをするのにスキーをはかせて滑らせない、野球をするのに、グローブをもって守らせないようなものです! コーチだけが熱心にどう滑ったらいいかや、どう守ったらいいのかを講義するだけで。

★4 要約することも含めて、理解するための方法については、『「読む力」はこうしてつける・増補版』が参考になります。学習指導要領で抑えないといけない「読むこと」の領域はすべて含まれているだけでなく、それ以外のものも対象になっています。つまり、優れた読み手が意識せずに使っている方法はすべて。それらを、まだ優れていない読み手に教えるための方法が紹介されています。

★5 教師がリードする話し合いよりも、子どもたち主導の話し合いが重視されています。一人読みと同じように、教師が介入していては「自立した読み手」にはなれませんから。

★6 それに興味関心がもてない生徒は、読むことを嫌いになる選択肢しか提供されていない状態です。(それが、私が学校時代を通してやらされたことで、見事なぐらいに読むことが嫌いになりました。)だからこそ、リーディング・ワークショップ/読書家の時間では、殊の外、ルーブリックの一番目の項目の一人ひとりが「自分にピッタリ」の本を読むことを大事にしています。それ以外に、読むことが好きになり、読む力をつける方法はないからです。(残念ながら、生徒全員が「自分にピッタリ」の本が同じということは、あり得ません!)カンファランスは、それを教師に確実に認識させ続けてくれる教え方でもあるわけです。逆に言えば、生徒たちと話さない限りは、「生徒全員同じでいい」という誤った前提をもち続けることになるわけです。


2018年9月22日土曜日

理解の成果としての「深い絆」


「理解の種類とその成果」は、エリンさんの『理解するってどういうこと?』の中核です。「理解の種類」は私たちの生活(人生)のなかで起こることで、その「成果」は私たちの頭のなかで起こります。これらは、小学校2年生のジャミカの「理解するってどういうこと?」という問いを探究するなかで、エリンさんの次のような問いから生まれました。

「子どもや大人が知的に熱中しているときや、深く理解するときには、どのような特徴があるのでしょうか? 深いレベルの理解をもたらすためのツールとして7つの理解するための方法を用いるとき、読み手にはどのような成果がもたらされるのでしょうか? 子どもたちや大人たちが自分の読んだものを理解し、それを身につけ、他の場面で応用できるというとき、何か共通した成果があるのでしょうか?」(『理解するってどういうこと?』57ページ)

 「理解する」ことをいざなうのは教育の大切な目標です。学ぶ人の頭のなかで理解の「成果」が起こるにはどうしたらいいのでしょうか? これは授業者が切実に抱く問いですが、すぐれた表現者が心に抱く問いでもあります。

 ハリウッド映画のヒット作の脚本を分析しながらこの問いに迫った本を読みました。カール・イグレシアス(島内哲朗訳)『「感情」から書く脚本術―心を奪って釘づけにする物語の書き方―』(フィルムアート社、2016年)です。いい脚本を書くためにどういうことに配慮すればいいのかということを示した本であり、巧く語るための「道具箱」でもあります。ですから、脚本執筆の入門編ではなく上級編です。だからこそ「理解する」ことを誘う「術」がとてもわかりやすく示されています。

 著者イグレシアスは「登場人物が激しい感情をむき出しにしているのに白けてしまうという映画は何本も見ているはずだ。心が震える理由がなければ、客は飽きてしまう」と言い、ある作家の言葉を引用しています。すなわち、「大事なのは、読んでいるそのページで何が起きているかじゃない。読んだ人の心の中で何が起きたか。それが肝なんだ。」(24ページ)。読んだ人の「心の震える」作品をつくることが「読んだ人の心の中で何が起きたか」に焦点を絞ることであるというこのような主張は、理解の「成果」にターゲットを絞ることでもあります。

では「心の震える」作品には何が必要か。

イグレシアスは、映画の観客が三つの感情をもつと、その作品に引き込まれると言っています(22ページ)。「見たい」(Voyeuristic=覗きたい)という感情、「わかる」(Vicarious=相手の気持ちになる)という感情、「理屈抜き」(Visceral=本能で感じる)感情、という三つです。

本書では、これらの感情を抱かせるために必要なことがらが、「読者」「コンセプト」「テーマ」「キャラクター」「物語」「構成」「場面」「ト書き」「台詞」のそれぞれについて実例を交えて詳しく説かれていきます。いずれも観客の「心」が「震える」条件を探っています。

たとえば、「キャラクター」(登場人物)の造型に必要な「5つの質問」を取り上げたくだりがあります(87ページ)。

1 この物語の主役は誰か(タイプ、特徴、価値観、欠点)

2 何を求めているのか(欲求と目標)

3 なぜ求めているのか(動機と必要性)

4 失敗したらどうなるか(代償の大きさ)

5 どのように変わるのか(内面的変化の軌跡)

脚本を書くための本なので、このような問いに答えるようにして「造型」することによって、「心の震える」登場人物の造型ができるようになるということなのですが、物語や小説の理解に応用してみると、登場人物を詳しく知る手がかりになります。のみならず、その物語や小説の表層の理解にとどまらず、深いレベルで理解していくことに繋がっていくでしょう。いきおいそれは、登場人物の「変化」の意味を考えることになり、読者である自分自身の「変化」を意識することにもつながります。脚本家がその「変化」を明らかにする方法として「2行の対応表」というアイディアが示されています。

「1枚の紙に線を引き、横2行の表を作る。1行目には「私がこのキャラクターについて知っていること」と見出しをつける。その下に、主な特徴を書きこんでいく。隣の行には「見せ方」と見出しをつけ、最初の行に羅列された特徴をどのようにドラマとして見せるか書き込んでいくのだ。」(101ページ)

シンプルなアイディアですが、物語や小説を「理解する」きっかけになると思います。登場人物について気づいていなかったことに気づくきっかけになるからです。このようにして「キャラクターと一緒に感じ、置かれた状況や感じ方、そして動機を理解する」ことが「共感」だとして、「キャラクターを好きになって応援したいと思う」「同情」とを区別することが大切だと言っています。そして、キャラクターの行動や欲求や感情を認識したときに「キャラクターと読者の心は結ばれ」「深い絆が結ばれる」と言っています(112113ページ)。

『理解するってどういうこと?』の第9章で、エリンさんと子どもたちがロバート・コールズの『リビー・ブリッジス物語』を読みながら、「共感」という理解の成果を手に入れるくだりを思い出します。登場人物と読者の心が結ばれることによって、読者のあいだにも「深い絆」という理解の成果が生まれるのです。

2018年9月15日土曜日

解釈の自由? 正しい解釈? ➡ 読みを修正し、読み取れる部分を深める

 リーディング・ワークショップでは、教師が「これが正しい解釈ですから、ちゃんと覚えておいてね」と話す光景は想像しにくいです。でも、だからと言って、明らかな読み間違いを「解釈の自由」として放置するような授業でもありません。「優れた読み手が共通に見つけられるような意味」が見つけられるように、(間違って読んでいる場合は)必要な修正ができること、そしてそこから読み取れることを深めることが大切にされています。

 「優れた読み手が共通に見つけられるような意味」に関して、まず思い出すのが、『リーディング・ワークショップ』(ルーシー・カルキンズ、新評論)の中の、「自分の理解を確認し、必要な修正をする」(185~188ページ)というセクションです。

 ここでは「降雪」という単語を例として、「この単語をみたときに、降りしきる豪雪を思い浮かべる人や空を舞っている雪を思い浮かべたりする人がいるということは分かりますが、両方とも空から降ってきた雪のことを考えているということだけはまちがいありません」(185~186ページ)と書かれています。

 「読者が自分のもっているイメージを読んでいるページに重ねあわせるというのはその通りなのですが、同時に、優れた読書家があるページを読んだときに共通して見つけられるような意味も存在している」(185ページ)ということです。

 「優れた読書家が共通に見つけられるような意味」という点から、もう1冊、思い出すのが、クリス・トバニ(Cris Tovani)さんの本★です。ここでは、ある物語の最後で、主人公が明らかに「飛び降り自殺をした」ということをはっきり示唆する箇所があるにもかかわらず、それが読み取れなくて、「最後がどうなったかわからない本はムカつく」みたいなことを言う生徒が登場します。「あれ?」と思った先生が、クラスの他の子に訊ねると、この生徒以外からも、突飛な結論のオンパレード。「引っ越した」「ドラッグの過剰摂取で死んだ」「銃で撃たれた」等々。

 先生が「そういう結論に至ったのは、本文のどういうところを論拠としているの?」と尋ねると、「本文のどこにも書いていないけど、これは私の意見。意見なんだから、間違いだとか間違いでないとか、関係ないでしょ?」という反応の子もいます。なかなか手強い?クラスです。

 さて、どうするか、です。

 一人ひとりが異なる本を読んでいることが多いリーディング・ワークショップの場合、まず、頭に浮かぶのは、個別対応ができるカンファランスやチェック・イン*の活用です。「これまでのところ、どう?」みたいな簡単な問いかけの応答から、あるいは「この主人公、ひどいね」みたいな生徒からの何気ない一言から、教師が生徒の読み違いに気づけることはけっこうあります。

(*チェック・インとは、一人ひとりの生徒に、読書の進みぐあい、理解度、満足度を確認する、ごく短い会話です。一人ひとりとのチェック・インの具体例は、『イン・ザ・ミドル』(ナンシー・アトウェル、三省堂)の278~290ページを参照してください。このチェック・インの実例が載っている箇所は、「読むときのカンファランスは難しい」と悩んでいる先生にはヒント満載です! まずは短時間で終わるチェック・インから、個別対応をスタートするのはいかがでしょうか?)

 でも、「読み間違いの修正」というトピックを、全員(もしくは小グループ)で扱ったほうがいいと感じるときには、クラス全体あるいは小グループでのやりとりを通して教えていくこともできます。(『リーディング・ワークショップ』185~188ページ「自分の理解を確認し、必要な修正をする」というセクションだけでなく、その前のセクション「読んだあとに再話できるように読む」も参考になります。)

  わからなくなったとき、話が通じなくなってきたときに、「あ、今、わかっていないのでは?」と、気付くこと、そして、気づいたときにできること、というのも、ミニ・レッスンのよいトピックになると思います。

 また、短いテキストを使い、 「どうやって」先生が、ある結論を読み取れたのかを、具体的な根拠を示しながら、実演することもできます。もちろん、その過程で「優れた読み手が共通に見つけられる意味」と「それぞれの意見や反応」は別物であることも、しっかり押さえたいです。

 なにしろ、 「おそらく、ほかのどんな効果的な読み方よりも、読み手は(ちょうど書き手が書いたものを修正していくのと同じように)自分の理解を修正することを学ぶことが最も必要」(『リーディング・ワークショップ』187ページ)なのです!

 また、「優れた読み手が共通に見つけられる意味」から読み取れることは、書き手の言葉の選択や書きかたに注目することで、より深くより豊かに読める可能性を持っています。

 それを総合的に、しかも毎時間行っているのは『イン・ザ・ミドル』(ナンシー・アトウェル、三省堂)で描かれている「今日の詩」の時間です。「今日の詩」の場合、詩は短いこともあり、毎回の所要時間はわずか10分程度です。『イン・ザ・ミドル』112~117ページに詳しく説明されていますが、無茶を承知でごくごく短く書くと、先生が詩のコピーを配布し、音読する、生徒はしるしをつける、そのしるしをつけた箇所をみんなで話し合う、それだけです。
 『イン・ザ・ミドル』での、「今日の詩」の時間に、先生が音読し、生徒が話し合う風景を、なんと、生徒が詩で描いています。その詩から教室の様子がよくわかります。「たとえ最初にうまくいかなくても」という詩で、『イン・ザ・ミドル』115~117ページに掲載されています。

 「たとえ最初にうまくいかなくても」という、中学生が書いたこの詩を見ていると、「優れた読書家が共通に見つけられる意味」だけでなく、それをより豊かに、より深く、しかも、書き手としても、多くのことを同時に学びながら、学習に集中している様子がひしひしと伝わってきます。

 こうやってみていくと、カンファランス、チェック・イン、全体でのミニ・レッスン。全体や小グループでのやりとり。そして、生徒が今読んでいるもの、先生が選ぶ短いテキストや詩。使えるものも、行う方法もいろいろありそうです!

★上で書いたクリス・トバニさんの本は、Cris Tovani著のI Read It, But I Don't Get Itで Stenhouse より2000年に出版。
 「理解できないところを『自分で』見つけられるようにする」というタイトルで、2015年11月13日のWW/RW便りでも、この本の他の箇所から、あまり読めない子どもたちの様子を紹介をしています。https://wwletter.blogspot.com/2015/11/blog-post_13.html

2018年9月7日金曜日

評価も、教え方も、3つの種類がある!



 評価には、①「学びのための評価(assessment for learning)」②「学びとしての評価(assessment as learning)」そして③「学んだ結果の評価(assessment of learning)」の3種類があります。

 『一人ひとりをいかす評価』の中で(90ページ)、①「学びのための評価」を教師が「受け持っている生徒や内容や学習環境に関する知識を組み立てたり、使ったりして、生徒の多様なニーズを確かめたり、確かめたニーズを次の学習段階での指導で使ったりする」評価と捉えています。つまり、「指導のための評価」とも言い切れます。そうなのです、評価は生徒の成績を出すために行われるだけでなく、(生徒の学びを促進するために)教師の教え方を常に改善し続けるためにも存在するのです! これこそが、形成的評価と言えます。ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップで行われるカンファランスは、その最適の方法と言えると思います。(診断的評価も、これに含めて間違いないと思いますが、中心は形成的評価です。)

 ②「学びとしての評価」については、評価と学びをつなぐコネクター(接続)役としての生徒の存在が強調されています。「生徒たちは単に評価の情報を提供する者なのではなくて、評価情報の意味づけに積極的の取り組むことができる者にならなければならいのです。その際には、明確に定義された学習目標と、自分が理解したことを関連づけたり、フィードバックしてもらったことを自分自身の学習を振り返るために使ったりして、知識や理解やスキルを伸ばしていくのに必要な修正や改善をしていくことができるようになるのです」((90~91ページ)と説明されています。つまり、生徒たちを自己が評価でき、その情報を自分の学びの修正・改善に活かせる者として捉えているのです。それは、「指導としての評価」とも言うことができ、ポートフォリオ、パフォーマンス評価(プロジェクト学習)、ジャーナルなどがその典型的な方法です。(これらは、総括的評価の方法と呼べるもので、たくさんの作品を書いたり、たくさんの本について感想等を口頭や紙面でやり取りをしたりすることなどを通して、ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップでもこれらを使っています。)

 最後に、③「学んだ結果の評価」ないし「指導した結果の評価」は、テストに代表されるものです。評価というよりは、「成績」と言ってしまった方がスッキリするぐらいかもしれません。日本の評価は、基本的にこれが中心であり続けていますが、提供してくれる情報は最低限であり、上記の①と②の機能をもっていないので、ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップではほとんど使われていないといっても過言ではありません。これと、よりよい書き手やよりよい読み手に育てることとの相性が極めて悪いです。もちろん、テストのために(年間を通して)教えるという無駄なこともしません。テストだけでなく、成績を出すことに労力を費やしても、残念ながら生徒の学びの質と量を向上することも、教師の指導力の向上にも寄与していないことは明らかですから。★

 以上のように、評価について理解できると、教え方をドラスチックに改善できる糸口が見えてきます。★★
 さらには、文科省が長年にわたって切望している「指導と評価の一体化」の実態も見えてきます。力点を置くべきは、③ではなくて、①と②です!!

★ この点に特化した本が『成績をハックする』で、本の内容は今回の書き込みとかなりオーバーラップするが多いです。事例として使われているのがライティング・ワークショップをベースにしたものが多いのがその理由です。

★★ 『イン・ザ・ミドル』の第8章からも、それははっきり見えてきますので、合わせて読んでみてください。(このブログの8月24日号では、評価の別な側面に焦点を当てて紹介しています。http://wwletter.blogspot.com/2018/08/blog-post_24.html