2010年10月30日土曜日

もし、書くことに関して、たった一つのことしか教えられないとすると、何を教えますか?

(昨日、投稿したのですが、うまく配信いかなかったようですので、再度、貼り付けます。もし、同じようなメールが昨日届いていましたら、すみません)。

「もし、書くことに関して、たった一つのことしか教えられないとすると、何を教
えますか? 」
 という質問を、今日のブログの題にしました。

 みなさんは、何を教えようと思われますか?

 自分にあった題材を見つけること? 
 自分の伝えたいことを持つこと? 
 毎日書くこと? 
 読者意識を持つこと? 

 少し考えるだけでも、いろいろ出てきそうです。

 これについては、今日のブログに最後に書きたいと思います。

*****

 さて、上のことから少し離れて、以下のような教室の様子を想像してください。

 集中して、一心不乱に書いている子どもがいます。30分ぐらいたったところで、一心
不乱に書くのをやめて、立ち上がって、友達のところにいって、さっそく、意見を求
めています(=つまり、ピア・カンファランスが始まっています)。

 このクラスでは、こんな感じの子どもが多いようです。


 どんな印象をもたれましたか?

 実はこれは、このブログで、以前にも紹介したアトウエル氏の本の中で描かれた教室のひとこまです。

 そして、アトウエル氏は、こういう子どもたちの様子を見て、「これはまずい!」
思ったようです。

 というのは、「最も大切な読者である、自分を飛ばして、ピア・カンファランスを
求めているから」です。


 そこで、アトウエル氏は「自分とカンファランスをする」ということを教えています。

 「自分とカンファランスする」ときのガイドラインも、子どもたちと一緒につくって
います。

(以上はNancie Atwell, In the Middle, Boynton/Cook, 1998 の246-249ページより)

→ これを読んでいて、自分のクラスで、「自分とカンファランスするときに、役立
つ質問」を子どもたちとつくってみるのもいいと思いました。

 アトウエル氏も上の本で指摘していますが、自分がカンファランスでよく尋ねる質
問、子どもたちが先生や友達から、尋ねてもら って助けになった質問、役にたった質
問などを挙げていけば、「自分とカンファランスするときの質問リスト」もできそうです。

*****

 さて、最初の質問ーーー書くことに関して、たった一つのことしか教えられないとす
ると、何を教えますか?ーーーに戻りますが、私は『ライティング・ワークショッ
プ』の著者たちが言っていることに、とても共感しています。

 それは「読み直すこ と」を教えるです。
(『ライティング・ワークショップ』(ラルフ・フレッチャー、ジ
ョアン・ポータルピ著、新評論、2007年、90ページ)

 自分の教えている生徒を見ていても、そう思います。

 そして読み直すことが、つまり、「自分とのカンファランス」なんだと思います。

2010年10月22日金曜日

書かない子をどうサポートするか (2)

10月8日に続いての「書かない子をどうサポートするか」の2回目です。

RWの中で「優れた読み手が使っている方法」★を教える際に、もっとも効果的な方法は「読み聞かせ(read-aloud)」ではなく「考え聞かせ(think-aloud)」です。

読むことは、頭の中で起こっていることなので当然見えません。しかし、読む時はいろいろ考えます。その考えていること=優れた読み手が使っている方法を、声に出して語ってしまおう、というのが「考え聞かせ」です。そうすることで、教師(=子どもたちよりははるかに優れた読み手)が読む時にしていることが、初めて見える(聞こえる)ようになるわけです。「読み聞かせ」だけでは、残念ながらそれが見えるようにはなりません。★★

⑦ 書かない子/書けない子たちにとっては、この「考え聞かせ」をWWに応用した「書き聞かせ(write-aloud)」が効果的です。

書かない子/書けない子は、書ける人がどういうふうにして書いているのかをイメージできていないという問題があります。そこで、教師が実際に書く時、考えていることを声に出しながら書いていくのです。一文を書きだす前に、たくさんのことが頭をよぎります。それを全部言葉にして表してしまうのです。(実際に書くことの数倍を考えることもあるはずです。)次の文を書く前にも、ひょっとしたら書きながらも、いろいろなことを考えると思いますが、それも語って聞かせます。

このようにして、文章を書いていく時に考えていることを見えるようにしてあげるわけです。教師がいろいろ考えながら、苦しみながら、挑戦しながら、間違えながら、そして楽しみながら書いているのをナマで見せるのは、とてもインパクトがあります。

もう一つは、⑧ 子どもたちと一緒に書く方法(shared writing)があります。
子どもたちも興味が持てるテーマを設定して、子どもたちにも参加してもらいながら、一緒に文章を黒板に書いていくのです。もちろん、書かない子/書けない子たちだけを集めて、一緒に書くこともできます。とにかく、一人ではまだハードルが高いのを協力し合って書いてしまおう、また実際文字にする部分は教師が担って文章を書き上げる体験をするのです。文字のきれいさや正しさなどを気にせずに、自分が考えたことを発現するだけで、それが文章になっていくのですから、ハードルはかなり低くなりますし、協力し合って書くことは楽しいです。思わぬ発想も含めて、いろいろ異なるアイディアが出されますから。

「書き聞かせ」をする時も、「子どもと一緒に書く」時も、たまには意図的に間違えてください。そうすることで、子どもたちの修正・校正能力に磨きをかけられますし、最初から完璧な文章を書く必要はなく、下書き段階の間違いはOKという雰囲気もつくれます。

いずれか(ないし両方)試された時は、ぜひ実践報告を送ってください。(下のコメント欄か、e-mail: pro.workshop@gmail.comにお願いします。


★ 関連づける(自分と、他の本と、世界と)、質問する、イメージを描く、推測する、何が大切かを判断する、解釈する、自分の読みを修正する、批判的に読むなどが含まれます。これらの具体的な教え方については、『「読む力」はこうしてつける』(吉田新一郎、新評論、11月刊行予定)をご覧ください。「考え聞かせ」の具体的なやり方も紹介されています。
もちろん、「優れた読み手が使っている方法」はRWの中だけでなく、従来の国語の授業として扱うことはできます。しかし、教え方に注意しないと、従来の授業形態では身につかない可能性はあります。ポイントは、それらの方法を子どもたちが自分にあった本を使ってたくさん練習する時間を確保することです。

★★ だからといって「読み聞かせ」や自分でたくさん読むことに価値がないわけではありません。それらをすることで、書く題材のヒントや作家の技は蓄積されていきますから、とても価値はあります。特に、書かない子/書けない子をサポートする際のそれらの活用法ついては、別の機会に触れたいと思います。

2010年10月15日金曜日

30以上の分類になった!

9月17日のブログにメンター・テキストの書き込みがあります。

私自身、WWのカンファランスで、うまくメンター・テキストが使えた!と思えたこともあります。

しか し、「○○ということを教えれる短いテキストがあればいいのに」と思うの
ですが、具体的な本がさっと出てこないことも、よくあります。

そんななか、Katie Wood Ray の Wondrous Words   (NCTE, 1999) を読んでいて、
どうして自分がうまく使えていないのか、分かったように思いました。

(Katie Wood Rayさん の書く本は、なんともいえないいい雰囲気の語り口で、教室
の様子を知らせてくれるいい本が多いですが、これもそのうちの1冊です。)

以下の上の本からのメモで、(  )内は、該当のページ数です。

Katie Wood Rayさんは、他の人から「どんな本をもっていて、それがどんなふうに
(WWの)授業に役立っているか教えてほしいなあ」と言われると、「はい、これが本
のリストです」と渡すのを躊躇するそうです。

その理由は、「本には、書名を並べるだけでは伝えきれないことが、とてもたくさん
あるからだ」と書いています。(139ページ)。

さて、WWで、本にはいろいろな使いかたがありますが、Katie Wood Rayさんは、「作品の構
成を教える」と「言葉ができることを教える」という目的で、使うことが多いと書い
ていますについて(140ページ)。

この本の7章(139-159ページ)は、「作品の構成を教える」ための本(主に絵本や短
い本)について書かれているのですが、いろいろな作品の構成を教えるために、教室の本を、
構成別に分けてみたら、なんと30以上の分類ができた!とのことです。

(もちろん、一つの本で、複数の構成分類に属する本もあります)。

しかも、「子どもたちが書き手として、作品のこういう構成の仕方を学べるとよいの
では」と、自分の教えている子どもたちを念頭においた分類です。

すごい、と思いました。

私は自分の教室にある本を、「書き手にこういう構成を教える」という視点で分類したと
きに、いくつかの分類がすぐに浮かび、そしてそれに該当する本がいくつかすぐに浮
かぶだろうか、と考えさせられました。

それができていないから、うまく本をミニ・レッスンやカンファランスで使えていな
いのかな? ということは、
逆に言うと、教室の図書コーナーの絵本を、「作品の構成を学ぶ」とい
う視点で、いくつか分類してみることで、教師がつかえる本が増えてくるように思い
ます。

子どもたちが帰ったあとの放課後の15分を、時にはそんな時間にとってみるのもいいかもしれません。

Katie Wood Rayさんのそれぞれの分類には、それぞれに複数の本が挙げられています。30以上の
分類をここで紹介することはできませんし、どの本に邦訳があるのかが、いまいちよ
く分かりません。

それで、ごく少しですが紹介します。(邦訳が見つけられたものは邦訳も)

○ 最初と最後がつながっている構成

例 『マンゴー通り、ときどきさよなら 』 (サンドラ・シスネロス 著)

 書き出しと終わりがつながっている(例えば、同じ場所)。

 書き出しと終わりに、同じ言葉が使われるこ ともある。

 しかし、終わりの言葉は少し違っていて、話が進んでことがわかることもあ
る。同じドアから出て、また入る、というイメージ(145ページ)

○ 大切な質問で始まり、残りはその質問に答えていくの形で構成 (146-147ページ)

例 『パリのおつきさま 』 (シャーロット・ゾロトウ 著) 

→ この本は私は読んでいないので、いまいちイメージがわきませんが。。。

○ 会話で構成(147ページ)

○ 時間は一定、その時間でいろいろな場面(場所)を描く構成(148-149ページ)

○ 無生物が語り手(154-155ページ)

*****

おまけ。。。で、私には本当に予想外で、インパクトが強かった本から、その構成を考えてみました。

○ ずっと繰り返しが続いて、それが最後に予想外に崩れた(?)ところで終わる構成

『だから?』 ウイリアム・ビー著 (→ まだ読まれていない方は、ぜひ、驚いて(?)ください。)

2010年10月8日金曜日

書かない子をどうサポートするか (1)

WWをやりはじめると、従来の作文よりははるかに書ける子は増えますが(量的にも、質的にも)、それでも数人の書かない子/書けない子には悩み続ける場合があります。

そこで、今回は「書かない子へのサポートの仕方」がテーマです。

2010年8月4日のブログですでに紹介したことのある『When WW Isn’t Working(WWがうまく行かない時の対処法)』(Mark Overmeyer著、Stenhouse, 2005年)の第2章で示されている6つの方法を紹介します。

① 書けないこと/書かないことを、書くことがないのではなく、たくさんある中から選べない問題と捉えると対処法が違ってくる。(→ RWの選書=本が読めない/読まないのではなく、自分にあった本が選べない問題と似ている)
「誕生日」一つとっても(あるいは、「夏休み」「水泳」をとっても)、書けることはありすぎる。たとえば、「ペット」で書きたいと言っても、逃げた、穴を掘る、おじいちゃんとの関係、ほえる/ほえないなどなど、いろいろあり得る。「友だち」の場合も、いじわる、親切、けんか、遊び、問題を起こしたときなどなど、いろいろな可能性があり過ぎる。選ぶ/絞る方法を、教師が実際に見せる。または一緒にやっていく。

② 書く題材を引き出すための教師によるインタビュー  → カンファランスの醍醐味
もちろん、この応用として書けない子による書けている子や友だちへのインタビューや、書けている子による書けない子へのインタビュー(要するには、ピア・カンファランス)が考えられる。しっかりいいモデルを示した上でやると、教師がするのと同じぐらいか、それ以上の効果がある。

③ メンター・テキストを使って(ブログの2010年9月17日を参照)
たとえば、『月夜のみみずく』(お父さんとフクロウを見に行った楽しい思い出)や『てん』(絵を描けなかった私が描けるようになった話) ~ 具体的な事例でイメージがつきやすくする。本物の作家がしていることを事例として示す。

④ 「書き手、読み手、ジャンル、テーマ」を設定した上で書く
例: 書き手は生徒。読み手はテストや成績で脅迫する教師(または親)。ジャンルは手紙。テーマはテストか成績。
あるいは、葉っぱが散るのをいろいろなジャンルで書いてしまう、というのもオススメ。手紙や詩など、通常ではあまり書かないのがいい。

⑤ 自分のことについて書くことに乗り気じゃない生徒たちにとっては、ノンフィクションがいい。社会か理科の内容を使って。たとえば、恐竜、宇宙、虫など。
書く方法は、④を使ってもいい。

⑥ 写真や絵に描かれていることを書く
他の子たちには見られないように、一人ないしペアで描かれていることを書く。
写真を前に展示し、番号をつけ、それぞれ読まれる文章は何番の写真かを当てる。
読み手意識を持たせることになる。
写真や絵に代わりに、じゃがいもや石を使ってもできる。


自分は書き手という意識が持てれば、爆発できる。そうじゃないと、とどまり続ける(=嫌いなまま)
読み手意識も大切。
④以降のサポートの仕方は、何をどう書くかを指示してしまっている。自分で書き始められることに越したことはないが、それがなかなかできない子たちには最初のきっかけを与えてあげることは大切。
特に、④の例のように、多様なジャンルを知れる(体験できる)ことは、とても大切。自分がどのジャンルで輝けるかわからないから。(その意味でも、創作文=物語に固執しすぎるのはよくないというか、他のジャンルで書く機会をできるだけ提供する役割が教師にはある。世の中で生きていくのに、私たちが実際書くのは9割以上がノンフィクションです!)

2010年10月1日金曜日

短いので、メンター・テキストとしても扱いやすい詩

 9月3日のブログで紹介したアトウエル氏は、A Poem a Day: A Guide to Naming the World (Heinemann, 2006) の中で、毎日の短時間の詩のレッスンの締めくくりのポイン トとして、子どもたちに「詩の読み手、書き手として、詩の新しい可能性を見 いだせ るようにすること」つまり、今日授業で読んだ詩のように「こういうこと もできるのでは」と気付 かせることを大切にしています(26-27ページより)。

 これを読んで、それほど長くない詩は、短いメンター・テキスト(9月17日のブログ参照)としても、とても有効な気がします。 絵本や小説よりも短いものであれば、子どもにとって把握もしやすいし、教師にとっても短時間で提示できるという のも魅力です。

***

 さて、私の先週のWWの時間ですが、ひとりの生徒が下書きの段階で、ノートに音楽の魅力を断片的にいくつか書いていました。しかし、このままでは形になりませんし、本人も、どうまとめていいのか方向性が見えないというか、まだそこまで考えていないという感じでした。

 そのときに、ふと昨年の生徒の書いた詩をひとつ思い出しました。

 この昨年の生徒は、最初にこれから 書くことを簡潔にまとめた文を書き、そのあとにずっと具体例を並べて、最後に「だから大好き!」みたいな感じの文でまとめていました。

 その詩を見せたとたん、その生徒は急に自分の書くことの構成について、自分のイメージが生まれ始めたようでした。

 短い詩だと、短時間のカンファランスでもメンター・テキストとして使うことができ、しかも文の構成というかなり大きなトピックを扱える、と思えた瞬間でした。

*****

 短時間で使える詩のメンター・テキスト、これの可能性を感じられたのはいいのですが、やはり自分の中のメンター・テキストのストックの少なさ(特に詩!)に、がっかりです。

 詩を読むときに、しっかり味わったあとに、これをメンター・テキストに使う場合、ここから何を教えたい? (例えば、構成? 単語の使い方? 詩人の技? 等々)と問いかけてみて、付箋を貼ってみようかなとも思いました。

 絵本などを読むときは、「これは会話文を教えるのにいい」、「これは書き出しを教えるのにいい」、「これは物の立場から書くということを教えるのにいい」等、わりと考えることがありますが、詩については、あまりそういう目でみたことがありませんでした。

 書き手の目、つまり詩人の目で読むーーこれは未知の世界ですが、なんだか楽しそうです。

 今日の冒頭に書いた「詩でこんなこともできる」と気付けるかもしれません。