2021年2月26日金曜日

お薦め絵本

  今日はここ5年ぐらいに出版された絵本から、いいなと思った絵本を紹介します。

・『カールはなにをしているの?』デボラ・フリードマン/よしい かずみ、BL出版 2020年

→ しみじみ、いいなあと思いました。主人公はミミズのカールです。ミミズの土や生き物に対する「貢献」を学び、そして、それぞれに置かれた場所でなすべきことがある、と率直に思いました。

・『アランの歯はでっかいぞ こわーいぞ』ジャーヴィス/青山 南訳、BL出版 2016年

 → 文句なしに大好きな絵本です。動物たちを怖がらせるのを楽しむワニのアラン。歯もすごい迫力です。

・『フォックスさんの にわ』ブライアン リーズ/せな あいこ訳、評論社 2019年

→ いつも一緒だった仲良しさんを亡くしたフォックスさん。そんなフォックスさんに寄り添いながら描かれています。

・『おおかみのおなかのなかで』マック・バーネット/なかがわ ちひろ訳、徳間書店 2018年

→ 「こう進むのかな?」と思いながら読んだのですが、私の予測は全く当たりませんでした。私の思考の柔軟性のなさ?を感じつつ、「でもね」と反論したくもなります。

 なお、この著者は、TEDトークで「良い本が秘密の扉である理由」(日本語字幕あり)というタイトルで登場しています。TEDトークは、「皆さんこんにちは、マックといいます。私の仕事は子どもに嘘をつく事です。ただし、それは誠実な嘘です」で始まります。

・『めを とじて みえるのは』 同じ著者よりもう1冊です。 マック・バーネット/ まつかわまゆみ訳、評論社 2019年

→ TEDトークの最初に言った「誠実な嘘」?がたくさん出てくる本。楽しく読了し、後日「終わり方」を教えるミニ・レッスンでも使えるかも。

・『しっぱい なんか こわくない!』アンドレア・ベイティー/かとう りつこ訳 絵本塾出版 2017年

→ エンジニアとはこういう資質を持っているのですね。ロージーという女の子が主人公です。なお、この絵本は、女性の宇宙飛行士が宇宙から無重力状態で、読み聞かせてくれている動画があります(英語)。

https://storytimefromspace.com/rosie-revere-engineer-2/

 同じサイト(https://storytimefromspace.com/library/)では、宇宙関係の本の読み聞かせがたくさん! いろいろな宇宙飛行士が宇宙から読み聞かせをしています(英語)。

・『お話の種をまいて 〜プエルトリコ出身の司書プーラ・ベルプレ』アニカ・アルダムイ・デニス/星野 由美訳、汐文社  2019年 

→ こんな本がもっと増えてほしいです。こういう種からスクスクお話が育っていく土壌は、誰にとっても豊かな土壌だと思いました。

・『かべのあっちとこっち』ジョン エイジー/なかにし ちかこ訳、潮出版社 2020年 

→ 英語の題は The Wall in the Middle of the Book です。「向こう側」は、「こっち側」から見ている限り、なかなかわからないですよね。

・『エイドリアンはぜったいウソをついている』マーシー・キャンベル/服部 雄一郎、岩波書店 2021年

→  小学校高学年向き? 相手への理解や自分の行動、判断が変わることで、関係性も変わってくる??? 好き嫌いは分かれる本かもしれませんが、深い質問を考えることもできそう。

・『みんなとちがうきみだけど』ジャクリーン・ウッドソン/都甲 幸治、汐文社 2019年

→ 英語の題は The Day You Begin です。著者は『ひとりひとりのやさしさ』『わたしは、わたし』などを書いたジャクリーン・ウッドソン。

 なお、彼女もTEDトークに登場しています(日本語字幕なし、Jacqueline Woodson, What reading slowly taught me about writing)。

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  いつもながらですが、リーディング・ワークショップ、ライティング・ワークショップ関連の本を読んでいると、教室内で使われている本や、著者たちのお薦め本などにたくさん出合えるのが嬉しいです。上記の絵本も、 Maria Walther and Karen Biggs-Tucker著の The Literacy Workshop(Stenhouse, 2020)を読んだおかげで知ることができました。

2021年2月20日土曜日

戦地における「理解することで得られる成果」

 

『理解するってどういうこと?』の第9章には表9・1「理解することで得られる成果」が3ページにかけて掲げられています。いずれも「理解のための7つの方法」(関連づける、質問する、イメージを描く、推測する、何が大切かを見極める、解釈する、修正しながら意味を捉える)を使うことで私たちが経験する「成果」です。「フィクション/ナラティブ/詩」についての見出しだけ列挙してみます。

 

書くために学ぶこと/共感全般/登場人物への共感/舞台設定への共感/登場人物の葛藤への共感/作者への共感/次は何かと思うこと/作品の独自性を見分ける感覚/自信/喜びを味わう/ある部分にこだわって、じっくり考えようとする欲求/支持しようとする願望/信じようとする気持ち/パターンとシンボルがだんだんわかるようになる/思考の修正/考えや価値観や意見の確認/思考力の持続/はっきりした記憶 (『理解するってどういうこと?』347349ページ)

 

 「理解のための7つの方法」を使って詩や物語や小説を読むことで、私たちはこうした「成果」を手に入れるのです。もちろん、いつでもそれがうまくいくということはありませんが、ひたすら本を読んでいる場合にはこのなかのいくつかの「成果」があらわれるものです。

 以前紹介したフェルナンド・バエス(八重樫克彦・八重樫由貴子訳)『書物の破壊の世界史―シュメールの粘土板からデジタル時代まで―』(紀伊國屋書店、2019年)という本には、人類がおこなった書物の破壊・毀損のさまざまな姿が描き出されています。もちろん災厄のなかで失われた書物もありますが、多くは圧政のなかでの「焚書」や空爆などによって失われた書物も少なくないことがわかります(そのなかで圧倒的なのは現代のデジタル焚書です!)。とくに戦争は「読む文化」と対立する、本を壊す側にあるもののようにも思われます。意外なことに戦争のなかで理解の「成果」を実感させてくれる本がありました。モリー・グプティル・マニング(松尾恭子訳)『戦地の図書館―海を越えた一億四千万冊―』(創元ライブラリ、2020年:初版単行本2016年)という本です。まず、次のようなことが書かれています。

 

ドイツは『我が闘争』を武器にし、焚書という恥ずべきことをした。しかしアメリカ人は自分が読みたいと思う書物を読み、その中に記されている思想を広めるのだ。「精神面で勝利すれば、戦場で勝利できるだろう。」(『戦地の図書館』69ページ)

 

 第二次世界大戦に従軍したアメリカの兵士のためにつくられた「兵隊文庫」のことが書かれたノンフィクションです。本をどのように扱えば「戦地」でもいきるのか。一人ひとりの兵士の目と心を通すことによってしか本が人のなかでいきることはありません。「戦地」で限られた空間に閉じこもって戦う兵士たちこそその恩恵を被るものです。そのことを描いた本書の言葉をいくつか掲げます。

 

手紙が届かず、スポーツをする道具もなく、映画を観ることもできず、読書だけが楽しみとなる場合が少なくなく、だからこそ書籍は大切にされた。ある従軍牧師はこう語っている。「本は心を傾ける価値のある何かを与えくれます。本を読むと、戦争がもたらす破壊についてただ悶々と考えていた兵士が、建設的な何かに心を向けるようになります」(『戦地の図書館』81ページ)

 

ここに「心を傾ける価値のある何か」「建設的な何か」と言われる、その「何か」こそが、エリンさんの言う理解の「成果」であることはほぼ間違いありません。

 

本を読むと兵士はやる気を起こし、環境に簡単に適応できるようになり、ノイローゼにならないとも言われた。ある記事には次のように述べられている。「フィクションや戯曲を読むと、自分に必要なこと、目標、身を守る方法、物事の価値が分かるようになる。また、自分に本当に必要なものを取り入れ、自我を脅かすものを拒絶するようになる」兵士は読書をすることで、勇気、希望。決断力、自我を取り戻し、戦争によって心に空いた穴を埋めた。(『戦地の図書館』82ページ)

 

ある学者は、戦時中の書籍の役割についてこう述べている「兵士が本を喜んで読んだのは、望郷の念に浸れたからだ。本が自分の気持ちや考えを代弁してくれたからでもある。騒々しく、落ち着かない軍隊生活では、兵士はなかなか心の内を話せなかった」さまざまな人物の物語を読むことで、自分の置かれた境遇に対処できるようになるために、兵士はもっと本を読みたいと思うようになった。(『戦地の図書館』160ページ)

 

「やる気」「環境に簡単に適応できるようになる」「自分に必要なこと、目標、身を守る方法、物事の価値がわかるようになる」「自分に本当に必要なものを取り入れ、自我を脅かすものを拒絶するようになる」「自分の気持ちや考えを代弁する」「自分の置かれた境遇に対処できるようになる」・・・これらは、まさしく兵隊たちが「兵隊文庫」の本を理解した「成果」に他なりません。登場人物や舞台設定への「共感」や、「自信」「喜びを味わう」「支持しようとする願望」「信じようとする気持ち」「思考力の持続」といった、エリンさんの言う「理解の成果」を、確実に兵隊たちが得ていたことの証言として読むことができます。とくに最後の引用に書かれてあるように、軍隊生活で「心の内」を語れない兵士たちが、本を読み、理解しようとすることで「自分の気持ちや考え」をあらわす機会を得られたことの意義は大きいと思われます。ルイーズ・ローゼンブラットの言う交流(transaction)が、戦地という状況下での本と兵士とのあいだで引き起こされたということです。

 

2021年2月12日金曜日

『私にも言いたいことがあります!』


教育の変化やトレンドについて研究している人たちであれば、「生徒の声こそが効果的な教室の学びの中心である」という考え方を支持するでしょう。実際、現場の教師はご存じのとおり、生徒が学校生活で主体性を発揮できると感じたり、自分の言いたいことを安心して聞いてもらえると感じたりするとき、教室は「生きた学びの場」となるのです。私たち教師が、双方向的で、サポート的で、身近なことにチャレンジできるような授業を確立することができれば、生徒はきっと「私にも言いたいことがあります!」と言い放ってくれることでしょう。

 これは、この本の著者が「まえがき」の最後に書いていることです。

 日本で教育にかかわる多くの人も、これには賛同するのではないでしょうか。しかし、現実には「生徒の声こそが効果的な教室の学びの中心」になっている割合はどのくらいでしょうか? (中心にあり続けているのは、教科書であって、生徒の声はもちろん、教師の声すら活用されることはない、という「声」が聞こえてきそうです!)

 トーク(話す・聞く)活動そのものは教科ではありません★。・・・新しい概念を理解すること、主体的な学び手として他者ときちんとコミュニケーションをとること、多様なものの見方ができること、他者に対する寛容さを育てること、といったさまざまな機能があります。(本書、5~6ページ)

 さらに著者は、トーク活動の価値というか効用について、次のように書いています。

 トーク活動は、生徒の知識を高めるだけでなく、質問することや話し合うこと、振り返ること、情報から意味をつくり出すことといった能力を高めることになります。

 ですから、学校はトーク活動を推奨し、それによって学習へと誘う場であるべきです。熟考に満ちた探究が評価され、探究には対話が必要だと認識されている場所であるべきです。そして、教室でのトーク活動を最大限に活かすためのさまざまな方法とカリキュラムを開発する必要があります。そうすれば、生徒は次のようになります。

 ・言葉や言い方を文脈にあわせて選ぶ。

 ・聞き手、聴衆に対する自分の発言の効果に気づく。

 ・自分の内なる声(意見、考え、思い)に気づき、他者の発言と結びつける。

 ・書く活動を行う前に話し合う。

 ・グループ活動においてより高い理解につながる。

 ・すべての学習において意味をつくり出す際、その中心に話し合いを位置づける。

 ・自らが参加した方法を振り返る。

  これだけの効果があるのですから、ぜひトーク活動を活用してください。そして、考えるため、コミュニケーションを取るため、振り返るため、何よりも学びのコミュニティーの一員であるために、トーク活動を使いこなせる生徒を育てましょう。トーク活動は、アイディアを試し、フィードバックを得て、視点を増やし、協働して知識を構築する機会を生徒に提供するのです。

 本書は、こうしたトーク活動を組み立てる多様な方法を紹介することを目的として書かれています。(12~13ページ)

 実際、「多様な」どころではなく、「膨大な」量の方法と情報を提供してくれています。そして、各章の最後には、極めて効果的なチェックリストも! たとえば、次のような感じです(第1章のごく一部の紹介にとどめます。)

あなたは、学校での勤務経験を通して、トーク活動をどのように変化させてきましたか?

現在、学校で生徒がよく取り組んでいる対話の形を考えてみてください。インタビュー、質問、グループでの問題解決、読み聞かせ、日々の生活の話、調べたことの共有、理科の実験について説明すること、ロールプレイ、読み取ったことのグループ間交流などです。あなたのクラスでは、どのような活動を行い、とくに何を強化していますか? 生徒の学習がどのように活性化しているかについて気づき、学校でのトーク活動にどのような変化をもたらすことができますか?

授業では、自然に話すといった機会が歓迎されていますか? ペア、グループ、クラス全体で話すとき、もっとよい状況を設定することはできないでしょうか? そして、生徒がリアルで重要だと思えるような活動を通して、自然に話す・聴くことの力を成長させることはできないでしょうか?(32ページ)

 これらの問いかけは、WWRWのカンファランス・アプローチと同じです。教師が生徒に「~をしなさい」と指示をしても効果は薄いのと同じで、問いかけアプローチこそがアクションに結びつく可能性は高いからです。

 この本の中で書かれていること(の全部ではなくても、一部)を自分のものにできたら、国語教師としての力量を大幅にアップさせられることは間違いありません。

 

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★それに対して、読むと書くは、アメリカ等では異なる教科になっているところが少なくありません。

 

2021年2月5日金曜日

読む・書くを好きにする国語の授業のやり方

 先週の「読むことを嫌いにする国語の授業に意味があるのか?」と「教科書ベースのカリキュラム/教え方/評価」をうまく乗り越えるためのヒントを、公立中学校でRWを実践している佐藤可奈子先生が以下に紹介してくれます。少し長くなりますが、6つのハックでうまくまとめてくれています。


*****


 昨今、「単元デザイン」「カリキュラム・マネジメント」等の言葉が広く使われています。学校の先生の授業は、もっとクリエイティブでいいし、教科書に縛られなくてよいという方向で進んでいるように思います。


 何のために「読む」「書く」のか。他人の価値観で設定された賞をもらったり、点数をもらったりするためではありません。他人から能力を値踏みされるためではありません。

子どもたちが世界を知って、意味や価値を考えて、自分で選んだ人生を歩むためだと私は考えます。そうなると「総合」「学活」と教科の連携はとても大事です。根っこは一緒ですから。「どういう力をつけたいのか」がベースなのだと思います。


 ところで私の自治体の某学校は、新学習指導要領への対応を「通知表」から始めました。「他人の目線」への対応と「能力の値踏み」から始めたわけですが、やっている側は、そのおかしさに気づいていないと思います。「評価=通知表」というレベルの思考なんだと思います。(ちなみに、通知表は法定帳簿ではありません。)


 では、授業をどう変えたらいいのでしょうか。


 同僚との温度感に差がありすぎる。WW/RWなんて理解されない。同僚からテストを盾にされたら何も言えない。周りはテスト至上主義で育ち、自分の経験した授業を再生産しているだけの教師たちだ…という方は少なくないと思います。


 私も同じ状況です。特に4月に異動した現任校は「ザ・昭和」の学校です。チョークと黒板を駆使する講義型の授業と管理教育が得意技です。生徒は教師の顔色を見て忖度し、行動します。テストの点数への執着が強く、人間関係の中にも学力によるカーストが見られます。


 前期はゲリラ戦でWW/RWの実践を進め、夏以降は校内の様子を探り、しっかり考えを持っている職員を探しました。教科は違えど、方向性を同じくする2~3人の同僚がいることが見えてきました。


 以下は、そうした状況で、私が現場で実践しているハックです。


〔ハック1〕新指導要領を「錦の御旗」にする  

 新学習指導要領を熟読することをお勧めします。(私の周りにいる「ザ・昭和」の授業の方々は、基本的に学習指導要領を読みません。)誰よりも先行して新指導要領を熟読し、授業を変える根拠を得ましょう。


 まず、新学習指導要領(国語科)は、相当「読書」に肩入れをしています。

 ところが現実には、多くの国語教室が年間140時間以上使って教科書1冊を解説する講義・解説・精読の国語授業を行っています。この情報化の時代に効率が悪すぎませんか? 無駄が多すぎませんか? 教科書だけでなく、たくさんの本を選択肢にして、生徒が選び、インプットしたりアウトプットしたりする場(WW /RWの場)をつくる。そこに、もっと時間を投資しましょう。


 新指導要領は、生徒のパフォーマンスに価値を置いています。つまり、生徒が「根拠ある推測」などの「優れた読み手 /書き手がつかう方法」を手に入れられる授業をしなければなりません。新学習指導要領には、非常に曖昧な形で、国語科の「見方・考え方」という言葉が出てきます。私は、これを「優れた読み手 /書き手がつかう方法」と読み換えることができると考えます。こうした「優れた読み手 /書き手がつかう方法」、つまり、スキルや知識を活用して表現したり思考したりする場をつくることを新学習指導要領は求めていると考えられます。WW/RWの授業がやりやすい指導要領だと言えると思います。


 一気にWW/RWへ移行できなくても、新指導要領は、スキルや知識を活用しながら力を身につけさせることを求めているので、パフォーマンス評価は避けて通れません。

パフォーマンス評価をどうするかについては、ルーブリックで共通理解をしておく必要があります。そこから先の授業運営は以下の〔ハック2〕をお読みいただき、教師が学び、力量を形成するしかないと考えます。新指導要領は、教師にも学びを求めている気がします。そうして時代の要請に応じて授業を変えることを求めているのだと思います。



〔ハック2〕教科書「も」使う

 私は日本の公立学校でWW/RWを実践するには、「教科書との共存」が最も抵抗なく実践を進めるための条件だと思っています。私は教科書教材を使ってミニ・レッスン部分を指導しています。1教材1~4時間程度しか時間を使いませんが。そうして生み出した時間でWW/RWを実践します。私立では教科書を使わずにWW/RWをできるそうです。ですが、ミニ・レッスン教材としての教科書は、そう悪いものでもありません。もちろん保護者からのクレームも防止できます。


 WW/RWの学びのない同僚には、まず、教科書の授業を解説する授業から脱皮していただくために〔ハック4〕で説明している内容の教材を提供し、「資質・能力」ベースの授業に転換するきっかけを作ります。

 変わらない授業をすることが最も楽に生きる方法だという考えもあるでしょう。しかし、学年で読む物を指定する教科書だけだと、個々の生徒の力量差への対応ができません。現に教科書自体が難しいという子どもが、どこの学校にも存在します。教科書だけなぞるような授業は、機会の均等性、教師の歩調合わせという部分で、ある意味で「平等」ではあるかもしれませんが、「公正」とは言えないと思います。https://projectbetterschool.blogspot.com/search?q=%E5%B9%B3%E7%AD%89

 また、一度やってみると分かるのですが、生徒が「する」授業は、教師が、ずーっと話し続ける授業に比べたら体力的には楽です。(が、生徒への指導はより細やかさが必要になります。また、「手法」の消化で終わらないように、同僚には手取り足取り世話をする必要がありますが。)

 初めてWW/RWを実施した場合でも、生徒が概念を理解できれば半年~1年で自立できると思います。


         <ここまでは、フェイスブックでも掲載>  


〔ハック3〕生徒に委ねる

 私のWW/RWの時間には、その時間に何をするかを生徒自身が決めます。「読む」「書く」以外に「4時間に1時間は国語のテスト勉強」を「してもよい」と設定しています。その時間に何をしているのかはチェックイン★で私が把握しているので、生徒が不正を働くことはありません。一般に、授業の始めの帯活動で行われる漢字テストなども、私はやりません。教師に依存するのではなく、生徒が自分で決めて自分の責任で学習することが重要だと考えています。これによって、「テスト対策をしないなんて!」というようなクレームを回避できます。Googleでは「20%の時間」という自由な探究の時間が保障されていますが、私は25%与えています!


★詳しくは、『イン・ザ・ミドル』の278ページ以降を参照してください。



〔ハック4〕単元(教科書)ベースの授業を「資質・能力」ベースの授業に転換する

 教科書「で」教えると言いながら、教科書「を」教えている教師のみなさんがいます。教科書に引っ張られるのは、やはりテスト対策があるから。テストに出すと言えば生徒は言うことをききますし。黙ってつまらない授業でも受け入れてくれます。それを失いたくない、他の方法も知らない(学ばない)人が単元(教科書)ベースに固執するのでしょう。


 さて、私は2017年ごろから、自分の授業で取り扱う内容を整理しました。

例えば・・・一部ですが紹介すると

《ジャンル》詩歌 物語 論説 随筆 批評文 鑑賞文 メモ書きなど

《スキル》 比較 選択 映像化 質問 根拠と推測 関連付け など

《表現技法》比喩 倒置 反復 対句 体言止め 省略 切れ字 など

《形式/フレームなど》 起承転結 具体と抽象 トピックセンテンス 三角ロジックなど

《メニュー》 情報の取り出し 解釈 熟考 評価


 結局、中学校の国語科はこういう内容を3年間教材を変えながらぐるぐる繰り返しているのですね。これを扱うミニ・レッスンとWW/RWでカリキュラムを組めます。教科書、テストとWW/RWの共存です。


 どの教科でも、どういうジャンルでどういうスキルを狙うのか、どういうフレームで学ぶのかなどを考えるといいのかもしれません。(ただ、気を付けるのは、例えば同じ「スキル」でも知識として知っている「スキル」と、実際の表現の道具として使いこなす「スキル」では評価場面が異なるので、ごちゃまぜにはできないなというところです。)



〔ハック5〕時間をかけて成績評価を「公正」に変更する

 これまではテストの点数によって決まった成績ですが、新学習指導要領を機に、テストの価値を、まず今の半分にします。5年後には全体の20~25%にすることが目標です。一発勝負しかないテストはアメリカ並みに小さくなってもらいたいのです。


①定期テストの出題内容を「知識」レベルに限定する。

 テストの採点が楽になります。テスト内容を、言語事項、情報の取り出し、情報の補足、正誤問題レベルだけにします。ICTによって将来的には自動採点できるといいなと思っています。評価項目の「知識・技能」はテストで測れる力として基礎的な内容のみです。多くの生徒が事前に練習すればできる内容にします。ですから、これまで通り、教科書教材でよいと思います。小学校の業者テストは、ほぼこの部分に該当すると思います。極端なことを言えば、業者テストをやめて、〇✖クイズレベルでも良いと私は思います。


②パフォーマンス評価を充実させる。

 〔ハック4〕のジャンルなどの部分を使って、生徒のパフォーマンス評価教材を用意します。私は教科書教材バージョンと教科書外のテキストバージョンを使っています。これまで色々作っていて、数えてみたら96教材ありました(テキストは「教科書(各社、新旧あれこれ)」「新聞記事」「絵本」「小説」「詩歌」など)。これらはパフォーマンスにおけるスキルの練習テキストとして使っています。PISA型です(〔ハック4《メニュー》〕参考)※


※ここの教材作りが難しいという方もいると思います。すぐにアイテムを欲しがるのではなく、まず『教科書をハックする 21世紀の学びを実現する授業のつくり方』を、お読みください。一緒に学んでいただけたら嬉しいです。



 WW/RWのレターエッセイ★もここで評価します。こちらを評価の主軸にしたいのですが、同僚の力量形成までは時間が必要です。

 指導において、作品を値踏みするのではなく、教師がサポートを繰り返し、できることを増やしていくことが重要です。教師が「こういう作品を書けたらA」などという発言を絶対にしてはいけません。成果物の「質」の向上が目的です。ある時点での状況、または一番よくできたと本人が申告してきた作品を、ルーブリックによって評価します。更に、今後は口頭試問も評価材とできると考えています。これらが評価項目の「思考力・判断力・表現力」に該当します。教師側の価値観の変容が必要ですし、学ぶことがたくさんです!


★詳しくは、『イン・ザ・ミドル』の290ページ以降を参照してください。


③アナログでポートフォリオを作る。

 自己評価やWW/RWの記録、成果物等をポートフォリオとして保管し、評価シーズンに振り返りをさせます。こうした記録や成長の自覚とメタ認知を「主体的な取組」として評価します。教師が主観的に「授業態度が悪いからC」とか「ノートが汚いからC」ということで評価する時代は終了です。ポートフォリオの概念を学ぶには、日本の中学生はアナログから始めた方がいい気がしています。教師のICT能力への配慮も必要ですので。


 個別カンファランスでの評価が可能ではないかというご意見を伺いました。同意します。評価自体が子どもにとって大切な気づきを得る場面になることが重要だと思います。だからこそ「ルーブリック」の設定が必要です。評価基準は授業開始時に知らせることを原則としなければ、生徒は目指すゴールが分かりません。もはや後出しじゃんけん的な評価や、闇討ち評価はできないものと理解しましょう。評価は生徒のものなのだということを当たり前にしないといけないですね。Gsuiteでルーブリックの作成ができます。



〔ハック6〕教師の力を使う場所を変える、考える

 「主要5教科」「技能4教科」という呼び方に、いつも違和感を覚えます。国語科は「技能教科」だと思います。英語、数学、理科、社会も同様に(これは小学校も変わらない気がします。)だからこそ「スキル」を学ぶ必要があるし、成果物を求めます。子どもたちが「できる」ように「支援」します。

 講義にエネルギーを使うのではなく、必要な道具と材料を与えて、一生懸命取り組んでいる生徒を支えるように指導することにエネルギーを使う方が、楽しくて実践的だと思います。講義型の職員研修、楽しいですか?楽しくないですよね。自分の力を発揮する場、育てる場を用意する国語教室を運営したいものです。


 また、親にもメッセージが必要です。


 現在の親世代は受験戦争世代。偏差値で輪切りにされてきた過去を、子どもたちに当てはめて、わが子を自ら点数で輪切りにしています。それ以外の評価や価値を知らないのです。(テストを盾にする教師も、この片棒を担いでいないでしょうか。「テストに出るぞ」「入試に出るぞ」という言葉で学習させるやり方は、点数至上主義を強化します。)親も教師も「親の生きた時代とは違う時代を子は生きる」という現実を認める必要があります。


 私の周辺ですが、保護者の皆さんは、ほとんどが指導要領の改訂を知りません。だから「テスト」ばかりに注目してこだわり続けるのかもしれません。

学校は「資質・能力」ベースの授業と評価を慎重にアナウンスしていかねばなりません。GIGAスクールはこれらの説明を支えることになるでしょう。時代が違うことの象徴として。


「どうすれば点数が上がるのか。」「どうすれば志望校に入るだけの成績を得られるのか。」

 こうした目先の質問に、私たちが答えられるのは以下の原則的なメッセージだと思います。

「学習指導要領の範囲で、必要な知識を身に付けて、それを活用したパフォーマンスの力量を身に付けること」「公立高校入試の出題は、学習指導要領の範囲を超えない」


 保護者に対して学校は、学びの主役は子どもであることを明確にすることだと思います。(もちろん、学びの責任を生徒が自覚できるような授業をしている必要がありますが。ここのあたりのことは、『「学びの責任」は誰にあるのか 責任の移行モデルで授業が変わる』で学べると思います。)



 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。