『読解・読書指導事典』倉沢栄吉・藤原宏編を読んでみました。
数字はページ数。青字は、コメント・感想です。
15 読みのさまざまな機能: 理解・思考・反映・想像・判断・評価・類別・理由づけなど。
読みの経験は、①問題の解決、②余暇の善用、③趣味の拡充発展、④教養を変え広める習慣の育成、⑤見解・態度・発想の推進などに関わるもの
読むことによって、人間が「人間として生きる」ことを求めるのである。 ~ ここまでは、抵抗感なく受け入れられます。
17 従来の読みの指導が一種の心情主義に陥ったり、不正確なあいまいな読みを許していたりしたのではないかという反省に基づいている。(昭和30年以降に、読解指導が華々しく行われるようになる。)学校では、文字文章と正しく対面して、その意味を正しくかつ十分に理解すべきであるというのは、当然の考えである。かくして、学校における読みは二つに分化した。「生活読み」と「学校読み」 ~ 「正しく、正しく」がいまだに続いているということ。偉大なる「正解当てっこゲーム」が。 いったい誰が判断する正解??
それに対して、欧米ではこの分化が行われなかった!!
18 もしわが国が、イギリスなどのように、Every teacher is a teacher of
readingの思想が普及していて、読みの指導が教科を越えて重視されていれば、読解読書の二分観は出なかったであろう。 ~ ということは、必要悪として生まれた読解??
読解は、学校において系統的計画的に指導が可能な“区切りを持った”働きである。~ そんなこと可能なのかな? 効果があるのかな?
19 要するに読解は文章をたいせつにし、その形や要素を認識し、また、文章とその意味との対応を認識しようとする時にあらわらにある行為である。したがってすべての文字言語は読解の対象となり得る。けれども、そのために、文献が文献として意識されず、文学作品が理性的認識によって分解されてしまうことになる。この点が指導上の問題となる。 ~ 推進/実践している人たちは、この課題を通り越した弊害を認識してやっているのかな?
33 国語科の読むことの指導の特質は、読みの能力を養うべく、意図的、計画的に行われる指導である ~ 今の、教科書をベースにした指導が、それを体現していると言える? もちろん、「読みの能力」をどう捉えるかによりますが。
日本の読むことの指導の特質
(1) 教科書教材中心の読み
(2) 一斉指導中心の読み
(3) 基礎学力養成のための読み
(4) 必要な諸知識や情報を得させるための読み
(5) 心情を豊かにするための読み
(6) 国語の特色、ことばに対する諸知識を得るための読み
(7) 読みの能力を養うための練習学習としての読み
確かに、この通り今もやられ続けている印象です。(1)と(2)の方法をとってしまうことによって、「正解当てっこゲーム」ないし「教師が求めることに従う/を当てる授業」が横行してしまい=(7)、結果的に(3)から(6)が得られないという残念な結果が起こっている/続いている。
34 国語科における読みの指導は、生活と結びつく要素を何らかの形において、常に混入することによって、練習的色彩のもたらす欠陥を補うような指導上の考慮をすることが必要である。そうすることによって、国語科で養われた読みの能力が日常の生活における読みの能力へ転化、発展することが期待できるのである。 ~ これが書かれてから40年も経つというのに、いまだに実現されていない!? 必要悪を後生大事にやり続けているからなのではないでしょうか? 最初のボタンの掛け違えを後で直すのは大変だといういい例としか言いようがありません。 それの被害者は、子どもたち。ちなみに、私もその一人でした。 まったく、国語科が役に立たなかった(あるとされていた「恩恵」をまったく受けていなかった)のですから。
43 読解能力
(1) 音読や黙読や朗読をする。
(2) 文字を読む。
~ RWで抜けているものは、ないです!
それに対して、
48~51 読解・読書を統一した「読む力」としての読書力が紹介されている。 ~ こちらもすべて、RWでカバーされている! 問題は、日本の読解・読書指導がここで止まっているのか(これらをすべて満たせているのか)ということです。少なくとも、欧米の読みの教育は過去40年間、かなり進化してきています。たとえば、『理解するってどういうこと?』で紹介されているように。)
第14章 文章の形態別による読むことの指導
~ これだけのジャンルが提起されているのはいいが、教科書の中では? RWや『理解するってどういうこと?』(209~219ページ、特に211ページの表は上記のコピーとほぼ同じ!)
第18章 読むことの指導技術
~ 一斉授業の技術以外は、言語活動的なものとして教師が指導するのではなく、子どもたちが意味のある状況の中で当たり前にし続けることとして行われ続けます。
第19章、第20章の 評価 は、かなりピンボケ (というか、指導=P.33の(1)と(2)とみごとに一体化している!ということ。これじゃ、教え方の改善につながるわけがない!!)
第21章 の 読むことの教育の史的展開 も、これらが今の読解教育に強く影響しているということで紹介されているのかもしれませんが、これからのあるべき姿を考える際の役に立つのでしょうか??
(章に言及していないところは、見る価値もないということで、ボツにしました。)
これは、1973年に出た本です。
その後に、日本の国語教育をよくするための本で読むに値する本は出ているのでしょうか? ご存知の方は、ぜひ教えてください(宛先:pro.workshop@gmail.com)。