今年の4月に、ペナック先生の「読者の権利 10ヶ条」を取り上げています。
とてもいいリストなのですが、これですべて網羅されているわけではありません。
(世界人権宣言や子どもの権利条約が、すべてを網羅していないのと同じように。)
欠けている部分は、教師が子どもたち(や司書や保護者)と協力しながら補っていくことが求められています。
もう一度、掲載します。(元のリストに、私のコメントつきで。)
1. 読まない権利 → これが最初にあるのが、なんともいいです!
2. 飛ばし読みする権利 → 本には、ほどほどお付き合いすればいい!
3. 最期まで読まない権利 → 最後までお付き合いする必要はない!
4. 読み返す権利 → とても大事なのに、なかなか出来ない(特に、大人は)
5. 手当たりしだいに何でも読む権利 → 読みたくないものは読まない権利
6. ボヴァリズムの権利(小説と現実を混同する権利)→私の場合は、『ギヴァー』
7. どこで読んでもいい権利 → どんな姿勢で読んでもいい権利?
8. あちこち拾い読みする権利 = 全部はちゃんと読まない権利
9. 声を出して読む権利 → ということは、出さないのが普通?
10. 黙っている権利 = 感想を求められても、言わなくていい権利
(出典:『ペナック先生の愉快な読書法―読者の権利10ヶ条』
ダニエル・ペナック著、藤原書店、2006年)
あなたが、他に加えたいものはありますか?
今年の4月20日の書き込みには、「多くのいい本にアクセスできる権利」が加えられていました。
いま、ブッククラブの本を書いている私としては、「何人かと一緒に読む権利」をぜひ加えたいところです。
あなたも、子どもたちと一緒に、「自分たちのクラスの読者の権利」をぜひつくってください。その際、数を10に限定する必要はまったくないと思います。
ペナックさんのリストには、「どこで読んでもいい権利」が含まれていますが、「いつ読んでいい権利」というのは含まれていません。それがあると、問題の方が多いからでしょうか?
「本を読みなさい、読みなさいと言われない権利」というのは、どうでしょうか?
でも、たとえそれを教師や司書や親から言われ続けたとしても、第1条の「読まない権利」で守られているのかもしれません。
ある意味で、「場所と時間(と姿勢まで)を制約されて読むのが、朝の読書の時間」なわけですが、そういうのは読書と言えるのか、と考えさせられてもしまいます。そもそも、朝の読書が目標としていることは、何なのでしょうか? そのための方法として、適切なのでしょうか? などとも。
ここまでは「普通の読者」を対象にした権利を扱っていますが、「優れた読者」というか、「少し熱狂的な読者」というか、「書くことにつなげている読者」の十箇条を紹介します。それは、2年半前に亡くなった井上ひさしさん(『本の運命』文藝春秋)のです。
・
オッと思ったら赤鉛筆
・
索引は自分で作る
・
本は手が記憶する
・
本はゆっくりと読むと、速く読める
・
目次を睨むべし
・
大部な事典はバラバラにしよう
・
栞(しおり)は一本とは限らない
・
個人全集をまとめ読み
・
ツンドクにも効用がある
・
戯曲は配役して読む
全部ではなくても、部分的には子どもたちだって十分にできるものがあります。モデルを示して、やれるようにしてあげる価値はとても大きいと思います。(これらができてしまうと、国語の学習指導要領に書かれていることはすべて押さえられるだけでなく、相当のお釣りもくるのではないでしょうか? しかも、生涯にわたって使える読み方も身につきます。)