前回のRWWW便りは、「子どもたちが読むことを好きになるための12の方法」でした。
前回の「好きになるための12の方法」を読みながら、同じコインの裏側にあるのが、「先生自身が、読み手としてナンセンスだと思うことを、授業で行うのを少しずつでもやめる」ことではないかと思いました。
ナンセンスなことをやめると、好きになるための12の方法から、適切なものを選んで入れていく時間もとりやすくなりますから一石二鳥?
どの活動が、よりナンセンスなのかを考える基準としては、私は以下の2つを考えています。
(1)自分の生活の中で、自分が読んでいるときに、実際に行っていることを教えているのかどうか。
自分が授業で行っている内容や活動を、教師自身の読書生活に照らし合わせて、それらを自分が実際に行っていて、助けになることなのか、実際にはまったく行わないことなのかを考えます。
このことを考えていて、RWWW便りの「号外」2016年4月4日「新刊『算数・数学はアートだ!』紹介」を思い出しました。
この本の中に音楽家が見た悪夢が書かれています。悪夢からさめた音楽家が、「どんな社会も、価値があって美しい芸術である音楽を、くだらない作業に落とし込むことはないだろう」(14ページ)と言います。こういう視点で、教室内の読むことに関わる活動を見直してみるのもいいのかもしれません。楽しくて夢中になれる「はずの」読書や国語を、もしかするとあまり意味のない作業に落とし込んでいないか、と考えてみると何か見えてくるかもしれません。
他方、先生が実際に読むときに役に立つことを教えることで、小学校1年生の子どもでも、大人が楽しむようにブッククラブを楽しむこともできます。小学校1年生が、いきいきとブッククラブに取り組んでいる様子は、『読書がさらに楽しくなるブッククラブ-読書会より面白く、人とつながる学びの深さ』(新評論、2013年)の「小学校低学年のブッククラブ」(160~171ページ)でも、よくわかります。
(2)教室で行っている活動が、(教師が口に出さなくても)子どもたちにどんなメッセージを伝えているのかを考える。
ある本(★)では、読むことの魅力や楽しさどころか、マイナスに思えるメッセージを、先生がいつのまにか子どもたちに伝えてしまっていると、21項目にもわたる例を挙げていました。
そこからいくつか挙げると、例えば以下です。
○「読書とは、重大で、骨の折れることである」
○「文学作品の読書は、退屈であるだけでなくて、さらに重大で、さらに骨の折れることである」
○「読書とは、一人の人、つまり先生に向かって行うパーフォーマンスである」
○「テキストの解釈は一つだけで、その一つの解釈とは先生の解釈(あるいは指導書に書かれている解釈)である」
成績を出さないといけないから、教科書をカバーしないといけないから等々、従来型の授業を行う背景には、当然ながら、いろいろと理由があります。とはいえ、簡単ではないですが、教えている教科のプロとして、自分が教室内で行っていることを時折見直し、ナンセンスなことをやめる(減らす)努力をする人が増えてくるなかで、子どもたちに伝わるメッセージも変わってくる気がします。
*****
★ 上で紹介した「ある本」ですが、2015年グローバル・ティーチャー章を受章した Nancie Atwell著 In the Middle の第2版(Heinemann, 1998年)で、その21項目は、28-29ページに書かれています。
2016年4月29日金曜日
2016年4月22日金曜日
子どもたちが読むことを好きになるための12の方法
読むことが好きになれば、確実に読む量は増え、必然的に読む力も漢字力も身につきます。
1.読んだことを振りかえる ~ 私たちがすることは基本的に楽しいと思ったり、意味を感じられること。子どもたちがいい体験をしたと思った時は、振り返ってもらい、それについて言葉にしてもらう。
2.読む理由(目的)を明確にする ~ 年度のはじめに「私たちが読むのは?」でブレインストーミングをしてもらい、出された項目を書き出して、年間を通して貼り出しておく。隣のクラスと競争でどちらが出せるかしたり、年間を通して増やせたりできるとなおいい!
3.教師のお気に入りを読み聞かせする ~ 授業の内容は覚えていなくても、教師が好きな/こだわりのある(絵)本や詩や記事等については鮮明に覚えているもの。それほどインパクトがある!! 教師が読む代わりに、オーディオブックやラジオドラマなどの選択肢も。
4.読み聞かせと同じレベルで考え聞かせをする ~ 優れた読み手が使っている7つの理解の方法(詳しくは、『「読む力」はこうしてつける』と『理解するってどういうこと?』を参照ください)を使いながら読んでみせる。慣れてきたら、それを子どもたちにもしてもらいながら読み進む。
5.教師が優れた読み手のモデルを示す ~ 子どもたちの前で実際に読んでいるところを見せる。自分がどんな時にどんなところで、どんなのを読んでいるかを紹介する。読むことが自分の人生にどれだけ役立っているかを頻繁に話す。etc.
6.読んで印象的な言葉を紹介し合う ~ 言葉を楽しみ、好きになることはとても大切。
7.マンガやグラフィックノベルも含めて、多様なジャンルに出会えるようにする ~ もちろんマンガやグラフィックノベルの場合は「教育的な内容」であることが前提。もちろん、その定義の仕方は個々の教師の判断。
8.たくさんのジャンルをそろえた教室内の図書コーナーを充実する ~ たとえいい学校図書館があったとしても、そこまで行く子は限られている。でも、あるいて20歩のところに魅力的な本がたくさんあったら、手に取って読まれる確率は飛躍的に高まる。図書コーナーの作り方は、『読書家の時間』の第2章を参照してください。
9.いい本は繰り返し読み直す ~ そして、その度に収穫や感想・印象を語ってもらう(強制ではなく、もし言いたければ)。
10.子どもたちに本について話す機会を頻繁に提供する ~ 話すことを前提にして読むのとただ読むのでは得られるものがまったく違います! だからブッククラブは効果的なのです(詳しくは、『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』を参照してください)。
11.子どもたちにも、どうしたら読むことが好きになるかの考えを出してもらう ~ この役割を教師のみが独占するのではなく、子どもたちにも責任を担ってもらう。
12.リーディング・ワークショップ=読書家の時間を実践する ~ 国語の読む領域の代わりに、読書家の時間をやりはじめたら、ほとんどの子が読むことを好きになります。1~11はもちろん、それ以外にもたくさんの効果的な方法を駆使しているので、確実です。(また読まれていない方は、『リーディング・ワークショップ』と『読書家の時間』をぜひお読みください。)
2016年4月15日金曜日
「ない」を受容する力
「ない」を受容する力
「無知の知」という言葉は、多くの人が中学や高校の社会科の学習で手に入れる言葉です。「アテナイにソクラテスより賢い人間はひとりもいない」というデルフォイの神託は、ソクラテスが知識と知恵を持っているふりをせず、自分が無知であるということが十分にわかっていた、という意味でした。すべて知っているという姿勢でものごとに臨もうとすればどこか無理をしてしまいます。しかし、知らないという姿勢で臨めば、ものごとをしっかりと見極めることができます。
『理解するってどういうこと?』という本は、もしかしたらそういうことを教える本なのではないか、と考えさえてくれる本があります。スティーブン・デスーザとダイアナ・レナーの『「無知」の技法―不確実な世界を生き抜くための思考変革―』(上原裕美子訳、日本実業出版社、2015年11月20日)です。各部・各章の見出しだけ引用します。
PART1 「知識」の危険性
CHAPTER 1 「知っている」はいいこと?CHAPTER 2 専門家とリーダーへの依存
CHAPTER 3 「未知のもの」の急成長
PART2 境界
CHAPTER 4 既知と未知の境界
CHAPTER 5 暗闇が照らすもの
PART3 「ない」を受容する力
CHAPTER 6 カップをからっぽにする
CHAPTER 7 見るために目を閉じる
CHAPTER 8 闇に飛び込む
CHAPTER 9 「未知のもの」を楽しむ
APPENDIX 歩くことによってつくられる道
私にとってはこの各章の見出し語そのものがいずれも刺激的で魅力的でした。たとえば、第3部の「「ない」を受容する力」という見出しは、いったいどういうこと?という疑問を引き出しながら、なるほどそういう力はかなり大事かも、と思わせてくれます。このフレーズは、イギリスの詩人ジョン・キーツが兄弟にあてて書いた手紙のなかで、シェイクスピア作品の持つ力について語った際に使ったnegative capabilityという言葉から来ています。つまり「知らない」ことの有用性を物語るものです。
「ない」を受容する力(negative capability)がどういう姿をしているのかということは、本書の第6章から第9章にかけて詳しく触れられています。カップは満たすものであるはずなのに「カップをからっぽにする」、目を開けているから見ることができるのに「見るために目を閉じる」、まったく何があるかわからない「闇に飛び込む」、慣れないから楽しめないのが普通のはずなのに「「未知のもの」を楽しむ」、なんだか矛盾していますよね。そういうことをできるようになることが、negative capabilityを持つことになるというわけです。本書末尾の付録「歩くことによってつくられる道」で、この四つの「「ない」を受容する力」すなわち「知らないという姿勢で臨むためのテーマ」についての「実験」が提案されています。たとえば「「見るために目を閉じる」ための実験」には「静寂の音を聞く」「部屋の中で世界を旅する」「耳を傾ける」「3歳児になってたずねる」があります。
次のようなことが書いてあります。
・たとえば朝食をつくりながらラジオを流す癖があるなら、それを止めてみる。読書中、食事中にテレビをつけっぱなしにしているのなら、消してみる。それでどんな気持ちがするか探ってみてほしい(「静寂の音を聞く」)。
・相手が使う言葉、口調、姿勢、表情に好奇心をもつ。その言葉が自分にどう響くか、身体の中でどんな感覚が呼び起こされたか、意識する。傾聴することによって、発想や可能性を共有しやすい連帯の場をつくり出す(「耳を傾ける」)
『理解するってどういうこと?』の第4章「アイディアをじっくり考える」では「沈黙を使う、深く耳をすます」という理解の種類が扱われていて、「自立心、探究心、協調性のある教室をつくり出す」ための読み・書きの構成要素が扱われていますが、「静寂の音を聞く」「耳を傾ける」という「「ない」を受容する力」が「発想や可能性を共有しやすい連帯の場をつくり出す」という『「無知」の技法』に書かれてあることと驚くほど一致しています。
「「ない」を受容する力」を育てる「無知」の技法は「理解」のための技法にほかならなりません。「「ない」を受容する力」を育てて、理解しようとする心の構えを身につけるレッスンの種になりそうです。えっ? 「無知の知」だけじゃなくて、「既知の知」も大事なのじゃないか? 大丈夫です。そのことについてもこの本ではたっぷり触れてあります。ご安心ください。いや、「無知」の技法は「既知の知」にも有効なものなのです。
2016年4月8日金曜日
作家の時間に取り組んでみて
年度末に作家の時間を振り返ったY先生からの報告が届きましたので紹介します。
2学期から作家の時間に取り組みましたが、3学期はばたばたとしていてほとんどゆっくり時間をとってあげられませんでした。
そんな中、作家の時間を体験してもらった子どもたちからフィードバックをしてもらいました。(かなり長くなります。すみません)
初年度の取り組みでこのような結果になったのは驚きでした。個人個人へのフィードバックが十分にできていなかったし、子どもから何を教えるべきか見出すこともなかなかできなかった。それでも、子どもたちの作品をよみ、そのよさを伝えることだけは続けてきました。子どもの感想にもあったが、最初は「殺し合い」のような作品ばかり書いていた男の子がある日から突然ものすごい物語をばりばりと書き出すことがありました。子どもの力ってすごいですね。子どもが変容するには時間がかかる。でもそれを信じてアプローチし続ける。その大切さも感じました。なかなかおもしろい体験ができたと思います。
● 作家の時間をする前に行ったアンケート結果
1 書くこと「文字を書く」をどう思いますか?
とても好き 6人
どちらかといえば好き 14人
どちらかといえばきらい 10人
とてもきらい 0人
2 作文を書くことをどう思っていますか?
とても好き 5人
どちらかといえば好き 10人
どちらかといえばきらい 12人
とてもきらい 3人
3 作文を書くことは得意ですか?
とても得意 4人
どちらかといえば得意 5人
どちらかといえば得意でない 15人
得意でない 6人
4 作文をもっと上手にかけるようになりたいですか?
なりたい 17人
どちらかといえばなりたい 11人
とちらかといえばなりたくない 1人
なりたくない 1人
5 友達に自分の作文を読んでもらうことはすきですか?
好き 8人
どちらかといえば好き 4人
どちらかといえば好きではない 12人
きらい 6人
このアンケートから、文字を書くことはさほど嫌いではないことがわかる。しかし、作文を書くことは嫌いな子が多い。したがって友達に自分の作文を読まれることに拒否感がある子がいる。そんな子どもたちは作文を上手に書けるようになりたいと願っていることが伺える。
国語の授業では「書く」ということをこんなに行っているのに、結果的にこのような状況にあるということがわかった。
● 3学期を終えてのふりかえりから
1 あなたは「作家の時間」をどう思いますか?
とても好き 22人
どちらかといえば好き 8人
どちらかといえばきらい 0人
きらい 1人
2 あなたにとっての「作家の時間」?
とても楽しみ 21人
どちらかといえば楽しみ 10人
どちらかといえば楽しみではない 0人
楽しみではない 0人
3 この1年、「作家の時間」をやってみて、作文を書くことへの気持ちはかわりましたか?
前よりすきになった 19人
少しすきになった 10人
かわらない 2人
下手になった 0人
4 この1年、「作家の時間」をやって、文はどう変わりましたか?
前より上手になった 13人
少し上手になった 15人
かわらない 3人
下手になった 0人
5 今までの作文と変わったと思うことは?
・話を考えるのが速くなった
・前までは文が全然思いつかなかったけれど、作家をやって文を書く力がついた
・いろいろなジャンルをかけるようになった
・本とはちがう自分だけの話をかけるようになった
・いままでは「楽しかった」みたいだったけど、今は具体的に書けるようになった
・頭の中で話題を広めることができるようになった
・文をわかりやすくすることができた
・友達の作品を見て、自分も真似したりして楽しかった
・何を書くのかをすぐに決められるようになった
・登場人物の会話が前よりうまくなった
・前はネタ集めをして書いていたけど、今は、自分にしかないものを見つけて書いている
・かぎかっこや点の使い方
・字を多く書けるようになった
・ほめられたこと。すらすら書けるようになった
6 自分の最初の作品と最後の作品を読み返して感じることは?
・最初は本当にあったことをそのまま書いていたけど、最後は自分で作った物語でまえよりちゃんとしたおはなしになったと思います。
・上手になったし、不思議な感じ
・かぎかっこの文が多くなった
・長くなっている
・変なものしか書いていなかった
・前よりすらすら書けるようになった
・漢字が多くなった
・字がきれいになっていった
7 「作家の時間」の感想をどうぞ
・話をつくるのは難しかったけど楽しかった
・楽しくて5年生でもやりたくなってきました。
・作家の時間は自分で考えた作品を作るので楽しかった。
・友達とやることは楽しかった
・作家をしてからお話を作るのが好きになった。
・いろいろな工夫をして作ったから楽しかった。自分がプロの作家になったみたいだった
・作家の時間はすごく楽しかったけど、勉強にもなってすごくよかった
・「作家の時間」は本を読むのがきらいでも、物語を作るのが楽しいから、本を読むのが好きになると思う。
・国語の中で一番好きな時間
・おかげで本を読んだりいろいろすごくすきになりました。先生ありがとう
・発想力が働く
2016年4月4日月曜日
新刊『算数・数学はアートだ!』紹介
なぜ、こんなタイトルの本が、「あたらしい国語(読むこと/書くこと)の授業をつくるため」のRW/WW便りで紹介されるのか、下の1~8から選んでお答えください。
1.教えることと学ぶことの本質を考えさせてくれるから。
2.算数・数学の本らしからず、きわめて文学的ともいえる内容だから。(数式は、ほぼ「ない」といってもいいぐらいです!)
3.これほどシリアス(生真面目な)内容を、こんなにもユーモア◆を使って書くことができるのかと驚けるから(訳が、それを十分に伝えてきれているかな?)
4.『リーディング・ワークショップ』と『ライティング・ワークショップ』の訳者がこれも訳しているから。
5.算数・数学で言えてしまうことの多くは、国語でも同じように言えてしまうから。(要するに、基本的に教科の壁は思われているほど高くも、厚くもないから。)
6.原書のタイトルは『A
Mathematician's Lament(ある数学者の嘆き)』なのに、日本語訳のタイトルは『算数・数学はアートだ!』になっている理由を考えてもらいたいから。(と同時に、この本を参考にしながら、誰かに『ある国語教師の嘆き』を書いてもらいたいから。)
7.現在行われている算数・数学教育の現状の批判と、それに変わる提言という形で、お世辞にも面白いとはいえない内容を扱いながら、それをとても面白く読める形にすることの可能性を示してくれているから → 難しいテーマを面白く書く際のメンター・テキストに使えるから。
8.算数・数学嫌いが生まれる理由とそれを乗り越える方法をわかりやすく提示してくれているから → わかりやすく書く時のメンター・テキストにできるから。
■本を読むほう方法:
1.校長(学校)を説得して、購入してもらう。
2.近くの公立図書館にリクエストを出して、借りて読む。
3.全額自腹を切って(書店およびネット価格・1836円)読む。
4.訳者を介して割引購入して(送料・税込み価格1600円))読む。
★ 4の場合は、①冊数、②名前、③住所、④電話番号をpro.workshop@gmail.com にお知らせください。本は4月8日発売なので、発送はそれ以降になります。また、5冊以上だと、1冊あたり1500円(送料・税込み)です。
◆このユーモアは、かなりの部分、どれだけクリティカルとクリエイティブな思考ができるかにかかっています。
2016年4月1日金曜日
RWとWWの土台となる教室の風土 ~子どもたちと一緒に考えたい新年度の目標は?~
レシピ通りに「形」を行えば、RWやWWが成功するか、というと、そうではないようです。
『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)でも指摘されていますが、例えば、WWで書いている作品をみんなに共有しても、冷淡で皮肉な反応しか返ってこなければ、共有の時間は機能しないでしょう。
『読書家の時間』(新評論、2014年)では、「一人ひとりが自立した読み手になるためには、楽しく意欲的に学んだり、自分の課題に気付いて試行錯誤した りすることが必要です。一緒に学ぶ仲間から元気と勇気をもらえる状況でこそそれが可能であり、子供たち自身がこの目標に向かって、臆することなくチャンレ ジできるのです」(44~45ページ)と書かれています。
では、「みんな仲良しで、温かい雰囲気でさえあれば、WWやRWは機能する」のでしょうか?
『読書家の時間』では、その次の段落には「個」として子どもをとらえることの大切さが、以下のように書かれています。
「こうした目標に向かって学ぶ子どもちは、当然、みんな同じでなく、それぞれの学び方、成長の速度、嗜好、得手・不得手などが違います。そのような一人ひとりの違いを大切にし、確実に自立した読み手への成長を促すのが読書家の時間を支える考え方です。<略>」
そして、次のように続いていきます。
「一人ひとりが認められ、違いを前提にした学び方であること、それぞれが自立した読み手を目指していくこと、ともに学ぶ仲間をつくるのは自分たち自身であることなどの目標を共有していきましょう」
これを見ていると、ただ「みんな仲良くしましょう」だけでなく、「個」の違い前提としていることもよくわかりますし、先生が目標を共有していく(時には、子どもたちと一緒に考えることも含めて)ことの大切さも感じます。
そう思うと、RWとWWの優れた実践者であるナンシー・アトウエル氏の学校でのいろいろな「権利」を思い出します。この「権利」リストは、時々、見直されているようですが、2014年に出版された彼女の本★の中には、一番最近の権利(16か条)が載っています。
第1条「誰とでも、みんなと、遊ぶ権利」で始まり、「自分自身でいる権利」(10条)や「物理的、感情的に安全である権利」(12条)など、多岐にわたります。
その中で、 集団への関わりと個人という面については、第2条で、「誰とでも、みんなと、共に学びに取り組む権利」と出てくると、その次の第3条では「一人で学びに取 り組む権利」も出てきます。(もちろん、人と取り組むのか、一人で取り組むのかは、課題次第という点もあります。)
学ぶことにおいても、人との関わりでの学びと自分ひとりでの学びの両面のスペースがある、そうすることで、『読書家の時間』に書かれているような教室につながるのだろうと思いました。
新学期、RWやWWがうまく機能するような、クラスの風土の目標を考えてみるのも、教師の一つの大切な準備のようにも思います。
*****
★ ここで紹介した本は以下です。Nanice Atwell著 Systems to Transform Your Classroom and School, Heinemann、2014. 権利については29ページにでてきます。
『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)でも指摘されていますが、例えば、WWで書いている作品をみんなに共有しても、冷淡で皮肉な反応しか返ってこなければ、共有の時間は機能しないでしょう。
『読書家の時間』(新評論、2014年)では、「一人ひとりが自立した読み手になるためには、楽しく意欲的に学んだり、自分の課題に気付いて試行錯誤した りすることが必要です。一緒に学ぶ仲間から元気と勇気をもらえる状況でこそそれが可能であり、子供たち自身がこの目標に向かって、臆することなくチャンレ ジできるのです」(44~45ページ)と書かれています。
では、「みんな仲良しで、温かい雰囲気でさえあれば、WWやRWは機能する」のでしょうか?
『読書家の時間』では、その次の段落には「個」として子どもをとらえることの大切さが、以下のように書かれています。
「こうした目標に向かって学ぶ子どもちは、当然、みんな同じでなく、それぞれの学び方、成長の速度、嗜好、得手・不得手などが違います。そのような一人ひとりの違いを大切にし、確実に自立した読み手への成長を促すのが読書家の時間を支える考え方です。<略>」
そして、次のように続いていきます。
「一人ひとりが認められ、違いを前提にした学び方であること、それぞれが自立した読み手を目指していくこと、ともに学ぶ仲間をつくるのは自分たち自身であることなどの目標を共有していきましょう」
これを見ていると、ただ「みんな仲良くしましょう」だけでなく、「個」の違い前提としていることもよくわかりますし、先生が目標を共有していく(時には、子どもたちと一緒に考えることも含めて)ことの大切さも感じます。
そう思うと、RWとWWの優れた実践者であるナンシー・アトウエル氏の学校でのいろいろな「権利」を思い出します。この「権利」リストは、時々、見直されているようですが、2014年に出版された彼女の本★の中には、一番最近の権利(16か条)が載っています。
第1条「誰とでも、みんなと、遊ぶ権利」で始まり、「自分自身でいる権利」(10条)や「物理的、感情的に安全である権利」(12条)など、多岐にわたります。
その中で、 集団への関わりと個人という面については、第2条で、「誰とでも、みんなと、共に学びに取り組む権利」と出てくると、その次の第3条では「一人で学びに取 り組む権利」も出てきます。(もちろん、人と取り組むのか、一人で取り組むのかは、課題次第という点もあります。)
学ぶことにおいても、人との関わりでの学びと自分ひとりでの学びの両面のスペースがある、そうすることで、『読書家の時間』に書かれているような教室につながるのだろうと思いました。
新学期、RWやWWがうまく機能するような、クラスの風土の目標を考えてみるのも、教師の一つの大切な準備のようにも思います。
*****
★ ここで紹介した本は以下です。Nanice Atwell著 Systems to Transform Your Classroom and School, Heinemann、2014. 権利については29ページにでてきます。
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