2016年12月30日金曜日

本を読む子どもの様子


 今回のRWWW便りは、RWを実践している小学校の先生二人が、(1)教室から(2)自分の子どもから、本を読む子どもの様子を伝えてくれています。
 
(1)は小学校の教室からロアルド・ダールに夢中になったある子どもの姿です。

(2)はある先生の家庭から、本が大好きなものの、選書や読み方で成長できる余地も感じられる子どもの姿です。(2)は自分の子どもについて書かれていることもあり、「継続的な観察」の価値がよくわかります。以下の文の中にでてくる「観察を大切にすることで、読書へのお節介にストップをかけることもできます」は、なるほど、と思います。
 
【その1 教室から】
 
ロアルド・ダールの『おばけ桃が行く』(評論社)を読み終えた4年生の男の子。

 「おもしろかった!」と興奮気味に話していました。次に手にした本は『魔法のゆび』。なんと、読みはじめたその日のうちに読み終えてしまいました。

 その後、すっかりダールの作品にはまってしまい、教室の図書コーナーにある『マチルダは小さな大天才』、『チョコレート工場の秘密』『オ・ヤサシ巨人BFG』を次々に読み終えると、ついには「この人はおもしろい本しか書かない!」という言葉も飛び出しました。すっかりダールの作品に魅了されてしまったようです。

 教室にはないダールの作品が読みたくなり、家の人に頼んで『ガラスの大エレベーター』『ぼくのつくった魔法のくすり』などを買ってもらっていました。

 それらもすぐに読み終えて、次に読みたい本のこと考えていました。全てのダール作品を読んでしまいそうな勢いです。

 読者をこんなに夢中にさせてしまうロアルド・ダールの作品のすごさを感じました。

【その2 家庭から】
 
年長になった娘の読書熱がいよいよ高まっています。

『読書家の時間』では、カンファランスを行う前によく観察することの大切さが書かれていますが、教室だと観察するよりもすぐに声をかけてしまうことが多く、その大切さをうまく感じることができませんでした。けれど、自分の娘の読書方法を長い間観察していると、 娘の読書の癖がよく分かります。
 
観察はその場ではよく分からなくても、観察を続けていくことが大切なのだとわかりました。観察を大切にすることで、読書へのお節介にストップをかけることもできます。

  まず、娘の読書を観察することですぐに分かることは、読むのがとても速いことです。大人の私が横について、ページをめくったときから同時に黙読で読み始めても、娘と同時に終わるほど。新しいマジック・ツリーハウスを渡しても、ペラペラとめくって、すぐに読み終えてしまいます。集中力があまりないせいか、のんびり読むということはあまりなく 、駆け抜けるように読み、飽きたら読むのを止めます。理解の程度はどの程度なのか質問をしてみると、大体の内容はつかんでいることが分かりますが、何かこだわって読むということはありません。
 
音読させると、ゆっくり読むことができず、文字を飛ばしたり、語尾を勝手にアレンジして読んだりしてしまいます。私は先生のように接したくないので、「正しく音読してごらん」といったようなことは言わないようにしていますが、娘にとって今度入学する学校の音読は、ハードルの高いものになるかもしれません。

次に観察で分かることは、本をほとんど選んでいないということです。図書館に行くと、目についた本をすぐに読み始めてしまいます。表紙が目立つように置かれている本や、背表紙のタイトルが気になる本など、すぐに手にとって読み始めます。巻が抜けてしまっても大して気に留めていない様子です。

書店では、1冊買ってあげるよと言っても、選ぶ感じはなく、目についたものを「じゃあこれ!」と言って決めてしまいます。「これは薄くてすぐ読んじゃうからもっと選んだ方がいいよ」というと、「じゃあ今読んじゃう」と言って、買ってもいない本を読み終えようとします。なんだか、本は思いを込めて選ぶものではなく、偶然に出会うものと考えているのかもしれません。

目的をもって本を読むこともおもしろいと伝えたくて、図書館司書の方に本を教えてもらうということにチャレンジしています。

例えば、「縄跳びの本を読みたいです」と聞くことができたことがあります。次は、本の予約ができるということを教えていきたいと思います。

最後に、読むことに夢中になっているということです。家で静かになっているときは、大体、本を読んでいるときです。ベッドの上に本を撒き散らかして、黙々と読んでいます。ベッドにいないときは、押し入れの中の秘密基地に人形を持ち込んで本を読んでいます。

家には、自分の母親から譲り受けたたくさんの「こどものとも」「かがくのとも」があります。それを、月ごとにブックスタンドに入れて、運べるようになっているのですが、その箱の中の本を次々と読んでしまいます。もう、自分が生まれる前のものもたくさんあるので、そうとうに古いですが、それでも内容がすばらしいので、大人も読み聞かせをしながら愛読をしています。

図書館に行くと、子どもの本はもうどこに何があるのかは全て分かっていて、いつもの椅子に座り、目についた本を読み始めます。もう、親のことには気にせずに、自由に本の世界を楽しんでいます。

本を読んでいるところをみると、ついつい指図をしたり、親のおすすめの本を紹介したりしてしまいますが、結局自分が見つけた本の方がよく読みます。読んでほしい本は、さりげなく近くに置いておいたり、一緒に読もうと誘ったりします。

声をかけすぎず観察することで、小うるさくならずにいられたり、本当に大切な本を薦められたりできます。親の持ってきた本に、素直に喜んで読むばかりではありません。じっくり観察して、大切な本を素敵に紹介していきたいものです。

 ちなまに、読書家の娘は、今落語の本にはまっています。おすすめは?と聞いたら、「そばせい」だそうです。「まんじゅうこわい」は全部暗記をして、保育園の劇で発表しました。クリスマスには、「だれも知らないサンタの秘密」がお気に入りでした。
 

2016年12月23日金曜日

一人読み



そもそも、「一人読み」は日本の読解教育ではテーマにすらなっていないのではないでしょうか? 国語の時間中の「一人読み=ひたすら読むこと」の必要性に、日本の国語関連の本で言及しているのはあるでしょうか? (RWでは、「ひたすら読む」が使われます。)
朝読(や図書教育に)も含めて、「一人読み=ひたすら読む」を計画し、モニターするという発想はあるでしょうか?
これこそが読み手として育てる一番いい方法なのに。 
日本の読解教育というのは、「読むことはせずに、読むことを教える方法」というきわめておかしな方法を取り続けています。
何のためでしょうか? 
テストのため!?
そうなると、日本の図書(読書)教育もあやしくなりますね。
いったい、日本の「図書/読書教育」は、何のために存在しているのでしょうか?

83 一人読みとあわせて、モデルで示す、(主には解釈/理解の方法を)教える★、ガイドする★★、モニターする、評価する、計画するがバランスよく(しかも、一斉ではなく個々のニーズに合わせて)行われないと自立した読み手は育てられない! ~ とてもまっとうなことがここに書かれているのですが、残念ながら、これらが日本の読解教育で行われているとは思えません。どうりで子どもたちの読む力がつかない!?

84 ただ読ませれば、いいというものではない。難しすぎる本や優しすぎる本を読んでいては、マイナスの効果のほうが大きいぐらい! そうでなくても、時間を無駄に使っていることに・・・朝読でしていることは、まさにここで書かれていること?
85 朝読や図書の時間的な読み方と一人読み(RWのひたすら読む時間)の比較の表★★★ (なお、ここでは85ページに紹介されているのより網羅的な表1を紹介します。)

88 「ひたすら読む」の要素をしっかり押さえることの大切さ ~ 表2のチェックリスト

   この中で朝読が押さえているのはいくつ?? これによって、読むことにはほとんど寄与していないことが明らかに! 何のためにしているのか? 静かな=落ち着く時間を持つため。

91 特に年齢が低い場合に効果的なパートナーとの読み(二人読み)

94~97 自分(たち)にぴったりあった本の選び方
    (これについては、http://wwletter.blogspot.jp/2016/10/blog-post_28.html を参照)


★ この方法については、『「読む力」はこうしてつける』を参照ください。
★★ ガイド読みについては、『読書家の時間』の第6章を参照ください。
★★★ この表から何が言えると思いますか?
    できるだけ早く朝読や図書の時間からRWに移行することです!

    なお、従来の国語(読解)の授業とRWを比較した表は、『「読む力」はこうしてつける』の53ページに掲載されています。


2016年12月17日土曜日

深く学ぶために必要なこと


深く学ぶために必要なこと

 

 早川書房と聞くと、SF小説やミステリー小説を連想する人も多いと思います。私もその一人です。でも、そうではない本もたくさん出版していて、面白い本が多い。チップ・ハース&ダン・ハースの『決定力!:正しく選択するための4つのステップ』(千葉敏生訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2016年)もその一冊です。
この本の副題になっている「正しく選択するための4つのステップ」とはどのようなものでしょう。著者は4つのステップの頭文字を使ってそれを「WRAP」と呼んでいます。訳者の千葉さんが本書解説の406ページに示しているものを引用します。

 (W)選択肢を広げる(Widen Your Opinion)
 (R)仮説の現実性を確かめる(Reality-Test Your Assumption)
 (A)決断の前に距離を置く(Attain Distance Before Deciding
 (P)誤りに備える(Prepare To Be Wrong

 『理解するってどういうこと?』には、七つの「優れた読み手が使う理解するための方法」が何度も出てきます。『決定力!』の「WRAP」は、「大切なところを見極める」という「理解するための方法」を使うときの手がかりになります。「大切なところを見極める」ことができれば、その本や文章について考えるための立脚点ができます。だからこそ「理解する」ためには大事なのですが、「大切なところを見極める」には何をどうすればいいのか。
 たとえば、『決定力!』には次のようなことが書かれています。

・「夫は自分勝手だと思うけど、私を気遣ってくれている場面も記録しておくべきかもしれない」「同僚は失礼で無愛想に見えるけど、本当は無愛想なのではなくて、私に時間を取らせまいと気を遣ってくれているのかも?(逆に、私が雑談しようとして相手の時間を奪っているのかも?)」。この「逆を考える」というシンプルな手法で、厄介な認知のバイアスの多くを抑えられることが数々の研究で実証されている。(167ページ)

・選択肢を評価するとき、私たちは無意識のうちに内部の視点に立つ。スポットライトの当たっている情報を検討し、そこから第一感を導き出してしまう。(中略)ところが、これまで見てきたように、ズームアウトとズームインの二つを使えば、このバイアスを修正することができる。
 ズームアウトとは、外部の視点に立ち、自分と似た選択をした人々の経験から教訓を学び取ることだ。ズームインとは、状況をクローズアップし、意思決定の参考になる“色合い”をとらえることだ。どちらの戦略も有効であり、会議室でうだうだと話をしているだけではめったに得られない洞察をもたらしてくれる。(201ページ)

・一時的な感情を重視しすぎるバイアスは、逆の効果をもたらすこともある。道路で目の前に割り込んできた運転手にカッとなるように、私たちは一時的な感情のせいで我を失い、慌てて行動しすぎてしまうこともある。(中略)しかし、本書でずっと見てきたように、バイアスは必然ではない。簡単な心の切り替えを行うだけで、感情と距離を置くことができる。そのためには、時間軸の切り替えや視点の切り替え(「親友に何とアドバイスするか?」)が効果的だ。時間軸や視点を切り替えることで、状況の輪郭をより鮮明にとらえ、難しい意思決定に直面したときでも、賢く大胆な決断ができるようになるからだ。(258259ページ)

いずれも、選択という行為につきものの「バイアス」(偏り)をどのようにすれば捉え直すことができるのかということに触れたものです。本や文章の「大切なところ」を決めるために何をどのように吟味していけばよいのかということを考えるヒントになるのではないでしょうか。
 自分の選んだ「大切なところ」について、「逆を考え」たり、「ズームアウト」「ズームイン」したり、「切り替え」を行ったりすることによって、「大切なところ」を選んだ自分の選び方を再考したり、読んでいる本や文章を新たな目で見直し、捉え直していくことができます。もちろん、『決定力!』は意思決定についての本であって、文章理解についての本ではありません。しかし、「理解するための方法」を使いながら本や文章から深く学ぶためには何が必要かということを教えてくれるのです。「深い学び」の「深い」の意味も教えてくれます。

2016年12月9日金曜日

「他の人の何気ない一言から、魅力を再認識した絵本」

 ここしばらく1冊の絵本ーー『おとうさんのちず』(ユリ・シュルヴィッツ作)
ーーに魅了されました。初めて読んだときは、「まあ、いいか」みたいな印象だ
ったので、そのまま忘れてしまう可能性の高かった本です。
 

 ところが、知人は同じ本について、 「一度読んだときに、あ、これは絶対授
業に使いたいと思った」と、ブログに書いていました。

 「絵本に詳しい、その知人が何か強く感じた絵本であれば、私が見落としてい
る何かがあるのでは?」と思い、読み直しました。結果として、知人の一言が
きっかけで、どんどんその豊かな世界に入り込んでいます。

 私は最初、インターネットの読み聞かせサイト★で英語で読みましたが、知人
とのやりとりのあと、読み聞かせを再度見て、そのあとは絵本も注文しました。

 本が届いたことで、この本が自叙伝的なものであることを知りました。

 また知人から、著者のユリ・シュルヴィッツがこの本について語っているサイ
ト★★も教えてもらいました。

  著者が語っているのは3分半ぐらい(英語)ですが、この語りがまたいいのです。

最初のほうで、小さな島を見て、そのあと、海の中からその島を見ると、水の中のある部分がとても大きい、海の上に見えているのは、その小さな一部分に過ぎない。絵本はその見えている小さな島で、いい絵本というのは、その下の見えない部分がある、というような話です。

 「大人が絵本を読む(子どもも同じかもしれません)価値を言語化してくれてい
る」ように感じました。それで、そういうミニ・レッスンができそう、とも思いま
した。
 

 後半では 食物の必要な現実の世界とイマジネーションの世界の両方があること、
両方とも必要なことを話しています。

 知人とそんな情報交換をしている間に、本の世界にどんどん入り込めます。知
人は、「一つの絵本を深く読むことで、その作家の手法とか思想とかにふれて、
その上で他の著作を読むと、過去には気づかなかった読み方ができる。読み手が
その本の意味に出会い、発見していくというのは、こういうことを言うのだなと
感じます」と書いていましたが、まさに同感です。

  また上述のように、私は「大人が絵本を読む(子どもも同じかもしれません)
価値」というミニ・レッスン案が浮かびましたが、知人の方は、あっさりした
描写の場面と、パンがない場面の詳しい描写等の使い分けから、ライティングに
もメンターテキストとして使えると、考え始めています。                                                       (さらにこの絵本を考えていて、「思考を整理するための図」を書いてみる、というミニ・レッスンにも使えると思いました。現実世界と地図の世界を図にするときに、どう表現するかはいろいろなパターンがあるからです。➡ いい絵本は、ストーリーが分かった後は、いろいろなミニ・レッスンに使えそうです。)              

 何気ない一言がなければ、「まあいいか」で、忘れてしまったであろう絵本で
すが、本について語ることがきっかけで、より深く広く読めることを実感しました。

 そういえば、ジャネル・キャノンの『ともだち、なんだもん!--コウモリの
ステラルーナの話』という絵本も、「この本、アイ・アム・サムという映画の中
で使われていた」という学習者の一言で、 「あ、そうなんだ」と思った本です。

 結果として、 アイ・アム・サムも見て、またジャネル・キャノンの他の本も
数冊読みました。

  どちらの絵本についての「一言」も、「私の読みを深めさせてあげよう」と
思って言われた一言ではありません。でも、そのおかげで私が得たものは大きか
ったです。

 そんな一言が、自分の生活の中で、また教室の中でたくさんあるといいなと思
います。

*****

★ 映画スターが読み聞かせ、絵本も動画仕立てになっているサイトです。英語の字幕も出せます。

http://www.storylineonline.net/how-i-learned-geography/

★★ エリック・カール・ミュージアムで語っているようです。

https://www.youtube.com/watch?v=wEMc_z45n5w

2016年12月2日金曜日

教室内の図書コーナーの大切さ


 大分、古い話になりますが・・・50年以上前の小学校にも、学校図書館は存在し、図書の時間もありました。
 そして、小・中学校時代を通じて、私も「図書館に行って本を読むことは大切なこと」というのは分かっていました。しかし、それを実行しようと教室を出て廊下を歩きはじめると、運動場からにぎやかな声が聞こえてきて、私の身体は自然にそちらの方に引き寄せられ、図書館にたどり着いたためしが一度もありませんでした。

それが、教室の中に充実した図書コーナーがあったら、どうなるでしょうか?★
教師が読ませたい本だけでなく、生徒たちが読みたくなる多様なジャンルやテーマの本が一杯の。★★
教室を出る必要がないのです(そして、数歩でそれらの本を手にできるのです)から、私のような人間でさえ(少なく見積もっても、図書館にたどり着けない子どもたちは、半分はいます!)、学校時代に読む習慣がついたと思いますし、選書能力の練習もできたと思います。そして、友だちとの本の紹介のしあいっこもできたでしょう。

 前号で紹介した『読み方指導の本質』の第5章は「教室内の図書コーナー」に特化した章ですが、その中で、「単なるクラスの図書コーナーではダメで、とても充実したのが必要」としています。
 前章(http://wwletter.blogspot.jp/2016/11/blog-post_25.html)の中で、著者が特に重視している5つの方法の一つに含まれていますし、

 もちろん、充実した教室内の図書コーナーがリーディング・ワークショップ=RW=読書家の時間を実践するネックになってしまってはまずいですし、多様なジャンルの本をすでに抱えている学校図書館の存在は否定しませんが、少なくとも欧米で実践している先生たちは、教室内の図書コーナーを必需品と位置づけています。それなしの読みの指導はあり得ない、と。~ しかし、日本はこの「教室内の図書コーナー」なしで読む教育をやろうというのですから、最初から「読むことが好きで、読む力をもった子どもたちを育てる」という目標を設定しているとは思えません。それではいったい何を目標に設定して国語の時間は行われているのでしょうか?

 図書コーナーへの本の揃え方については、『読書家の時間』(プロジェクト・ワークショップ編著)の第2章「読書環境をつくろう」で詳しく説明されていますので参考にしてください。★★★


★ 私の小・中学校時代は、いまと同じ教室の中に50人弱の生徒たちがひしめいていましたから、たとえ図書コーナーという発想はあったとして、そのスペースをつくるのは困難でした。熱心な先生は設けていたかもしれませんが、スペースがないので、せいぜい数十冊というところではなかったでしょうか?
★★ よりたくさんのジャンルやテーマの本がある図書館と、教室内の図書コーナーの違いは、教師の目を通過しているか否かです。この違いは、大分前のマスターカードの宣伝にあった”priceless”です。教師が、その本について何かを語れるものがあるかないかの。(要するには、本という物よりも人から人へ手渡される部分の方が比重は大きいと言うことだと思います。それを司書が肩代われるか? あなたはどう思いますか? この辺になると、読書家の時間の核にあるカンファランスの話になってきます。)いずれにしても、最低でも数百冊は必要になります。
★★★ 教師ががんばって教えることよりも、子どもたちが主体的に読み続けられる環境を提供することの方が、「読むことが好きで、読む力をもった子どもたちを育てる」にははるかに効果的なのを長年の経験から導き出していると言えます。

2016年11月25日金曜日

優れた読み手を育てるためのシンプルな方法


『読み方指導の本質』★の第4章の主だった内容を紹介します。(数字は、ページ数です。青字は、私のコメントです。)
中心は、優れた読み手を育てるための具体的な方法について、です。

第2+3章はhttp://wwletter.blogspot.jp/2016/05/blog-post_13.htmlですでに紹介しました。

第4章 Teach with a Sense of Urgency  ~ 章のタイトルを直訳すると「切迫感/緊迫感をもって教える」です(いずれにしても、Sense of Urgencyをもっている授業をしているという印象は日本では少ないです!)が、日本の状況を踏まえて訳すと、「ほんとうに必要性を感じるものを教える」というニュアンスかなと思います。要するに、単に教科書に載っているから教えるのではなく、子どもたちにとっても必要性が高いと判断したものです。そもそも、そういう判断も委ねられていないでしょうか? しかし、選択を教師はもっています。それなしで教師とは言えませんから!

42 professional developmentPD)が大切 ~ 日本には教員研修はたくさんありますが、PD=プロとしての資質向上プログラムがほとんど存在しないことに気づいてしまったのが、1990年代の前半でした。
教師が学び続けることを軽視して、いい教育が存在するはずがないのに。
(※ 教員研修とPDの違いは何か? イベントか継続性の違いかがもっとも大きいです。また、教員研修が画一的ないし企画者中心なのに対して、PDは個別の教師のニーズ重視です。★★)

著者の最新の本は、完全にここに行き着いています。もう読み書きを超えて、教師の学びに。 ~ 私は、作家のサイクル=読書のサイクルも、すべての教科や教師の学び、さらには学校経営でも使えると思っています。というか、使わないとまずいんじゃないか、と。

42 優れた読み手を育てるための方法
     多様なジャンルを紹介する
     個々のレベルで読める本をたくさん揃える → 充実した図書コーナー
     たくさんの読み聞かせをする
     教師自身の読書好きを紹介/共有する
     子どもたちが自分の読んだものについて話せる機会を提供する
     たくさんの読む時間を確保する
     何を読むかの選択を提供する
     常に「あなたは読み手です」と子どもたちに言い続ける★★★
     読むことをおもしろくする
     モデルを示し続ける
     読むことを他の教科と関連づける

43 著者が特に重視している優れた読み手を育てるための5つの方法
     教師が読み手であることを示し続ける
     教室内の充実した図書コーナーを用意する
     子どもたちが自分の読みたい本を読めるたくさんの時間を提供する
     本を含めたテキストを理解するために必要な「理解のための方法」★★★★を教える
     こまめに評価して、フィードバックを提供し、各自の目標設定・達成をサポートする
 ~ なんと、日本の国語の授業では、一つもやられていない?! どおりで、読み手は育たないわけ。(※ もちろん日本に読み手がまったくいないわけではありません。ごく少数の読み手たちが国語の授業とは関係なく存在しています。)
   上の42ページの□はどれぐらいやれていますか?

★ Reading Essentials, by Regie Routman
★★ PDについて詳しくお知りになりたい方は、『「学び」で組織は成長する』光文社新書がオススメです。
★★★ これは簡単なことですが、とても大切です。アイデンティティにかかわりますから。作家の時間では、「書き手」ないし作家と呼び続けてください。
★★★★ 「理解のための方法」については、『「読む力」はこうしてつける』と『理解するってどういうこと?』に詳しく書いてありますので参照ください。



2016年11月18日金曜日

「良い質問」を生み出すことを支援するテクノロジー

 『〈インターネット〉の次に来るもの:未来を決める12の法則』(ケヴィン・ケリー著/服部桂訳、NHK出版、2016年)という刺激的なタイトルの本を読みました。原題はINEVITABLE。「不可避」という意味ですね、
 広範で動きの速いテクノロジーが次の12の力を増幅させることになり、それ不可避なことだと書かれてあります。
・ビカミング(なっていく)
・コグニファイイング(認知化していく)
・フローイング(流れていく)
・スクリーニング(画面で見ていく)
・アクセシング(接続していく)
・シェアリング(共有していく)
・フィルタリング(選別していく)
・リミクシング(リミックスしていく)
・インタラクティング(相互作用していく)
・トラッキング(追跡していく)
・クエスチョニング(質問していく)
・ビギニング(始まっていく)
 この本では、この12の力の一つ一つを豊富な例を引きながら論じて、〈インターネット〉以後のテクノロジーの変化が、人間に何がもたらされるのかということがくわしく示されていきます。人間の読書行為に関心がある私は「スクリーニング(画面で見ていく)」が考察されている章をとくに面白く読みました。従来行われてきた読書は、紙媒体の本の「スクリーニング」だという捉え方になります。そのように考えることで、タブレット端末や電子書籍での読書を従来の読書とのつながりで捉えることができそうです。電子的でない「スクリーニング」が従来の読書であると。でも、「本を読むこと」と「スクリーニング」はどこが違うのか。著者のケリーは次のように言います。
 本は熟慮する心を養成するのに良いものだった。スクリーンはより実用的な思考法向きだ。スクリーンで読んでいて新しいアイデアや聞きなれない事実に出合うと、どうにかしようという気にさせられる――単に熟慮するのでなく、その用語を調べたり、画面に現れる友人の意見を訊いたり、違う観点を見つけたり、ブックマークを付けたり、インタラクティブにやり取りしたり、ツイートしたりする。読書する場合には、じっくりと脚注にまで目を通すことで、物事を解析する力が養われた。スクリーンを読む場合は、すぐにパターンを作り、あるアイデアを他のものと結び付け、毎日のように現れる何千もの新しい考えに対処するやり方を身につける。スクリーンで読む場合はリアルタイムの思考が育成されるのだ、映画を鑑賞しながらそのレビューを読んだり、議論の途中ではっきりしない事実を調べたり、ガジェットを買う前にマニュアルを読むことで、買って家に帰ってから後悔しないようにしたりする。スクリーンは現在を扱うための道具なのだ。(『〈インターネット〉の次に来るもの』137ページ)
 ネットワークにつながれたスクリーンを見つめる者はそのことを通して断片を積み上げ(結びつけ?)自分たちの神話をつくり出すのだと著者は言っています。読書も「スクリーニング」の一部かもしれませんが、読書対象がネットワーク化されるなら、それを覗き込むことは「リアルタイムの思考」をつくり出さざるをえません。このあたりに、紙媒体の本が生き残る余地があるように思いますが、どうでしょう? 熟慮したい時に限って、紙媒体の本を選んで読む、ということになるのかもしれません。同じ作品でもスクリーンで読む時と紙媒体で読む時とでは読み方が違ってくるのかもしれません。そして貪欲な私たちはその両方を必要とするのかもしれません。
 『理解するってどういうこと?』で繰り返し示されている七つの「理解するための方法」(関連づける、質問する、イメージを描く、推測する、何が大切かを見極める、解釈する、修正しながら意味をとらえる)と、ケリーの言う「12の力」のいくつかは重なっています。しかし、決定的に異なっているのは、「理解するための方法」が理解するために熟慮する、つまりじっくり考えるためのものであり、対象をわかろうとしてもがいて知的な発見をするためのものだということです。
 著者のケリーは、「良い質問」とは何かということを次のように書いています。
良い質問とは、正しい答えを求めるものではない。
良い質問とは、すぐには答えが見つからない。
良い質問とは、現在の答えに挑むものだ。
良い質問とは、ひとたび聞くとすぐに答えが知りたくなるが、その質問を聞くまではそれについて考えてもみなかったようなものだ。
良い質問とは、思考の新しい領域を創り出すものだ。
良い質問とは、その答えの枠組み自体を変えてしまうものだ。
良い質問とは、科学やテクノロジーやアートや政治やビジネスにおけるイノベーションの種になるものだ。
良い質問とは、探針であり、「もし~だったら」というシナリオを調べるものだ。
良い質問とは、ばかげたものでも答えが明白なものでもなく、知られていることと知られていないことの狭間にあるものだ。
良い質問とは、予想もしない質問だ。
良い質問とは、教養のある人の証だ。
良い質問とは、さらに他の良い質問をたくさん生み出すものだ。
良い質問とは、マシンが最後までできないかもしれないものだ。
良い質問とは、人間だからこそできるものだ。
(『〈インターネット〉の次に来るもの』380~381ページ)
 未来のテクノロジーを扱ったかのように見える本なのに、面白いことに「良い質問」が「人間だからこそできるもの」だという考えで貫かれています。「良い質問」をつくることは人が何かを理解するための重要な方法でもあります。ケリーも言っているように、私たちの「未来」を一人ひとりにとってよりよいものとしてくれるのは、私たちの代わりに「質問」をしてくれるテクノロジーではなくて、「良い質問」を生み出すことを支援するテクノロジーなのだろうと思います。『理解するってどういうこと?』には「良い質問」がたくさん示されています。そういう「良い質問」を生み出すことを支援するテクノロジーとはいったいどういうものなのか? 知的な探究のできる人を少しでも多く育てようとするなら、この問いをみんなで考えていかなければなりませんね。

2016年11月11日金曜日

すべての話し合いを円滑に進める6つのコツ


  同僚や、保護者や、子どもたちとのコミュニケーションに悩んでいませんか?

 内容的には「カンファランスをする時の6つの原則」が正しいのですが、読んでいるうちにすべてのコミュニケーションに応用できると思い、あえて大き目のタイトルにしてみました。
カンファランスは、WWとRWの中心であるだけでなく、ワークショップ形式での教え方・学び方の核となるものです(間違っても、ファシリテーションではありません! ファシリテーターは、対象にやらせる活動の指示を出すだけですから)。
 とてもいいカンファランスの原則を長年WWとRWの実践経験をもつメラニー・ミーアンという人がまとめてくれているのを見つけたので紹介します。これは、その対象がどんな年齢でも(大人でさえ!)あてはまると思います。さらには、どんな教科の授業でも!

1.生徒の隣に座る
 生徒を教師の机に呼んでカンファランスをするのではなく、生徒が作業をしているところに行ってします。この違いは、あまりにも大きいです。主役が誰なのかを明らかにしますから。後者は、「私(教師)が何かサポートできることはありますか?」というメッセージを発信します。

2.書いている内容について教えるのではなく、書き手に教える
 教える内容が、その場限りで終わってしまうのではなく、いま取り組んでいる作品以外にも使えるものであることを殊のほか意識するということです。(さらには、私たちは必要なすべてのことを教えるわけにはいかないので、優先度の高いものに絞って教える必要がある、ということです!)書き手は、一人ひとり(書く題材も、その中に書くことも)違いますから、大変ですが!!
RW(読書家の時間)の場合は、同じように読んでいる内容について教えるのではなく、読み手に教えます。

3.一回のカンファランスで教えすぎない
 一回の数分間のカンファランスでは、一つのことに絞って教えます。理由は、教えすぎたら、生徒が受け取れないからです。でも、あまりにもひどい作品を見たら、直したくなってしまうのが教師の性ではありますが・・・上記の2の原則を思い出して、作品を教えているのではなく、書き手に教えます。書き手は、一度にたくさんのことを言われても受け取れません。通常は教えるポイントは一つ、多くても二つに制限するのがいいでしょう。

4.ほめる。必ずほめることを忘れない。
 誰でもほめられるとうれしいものです。書き手であるということは、自分をさらけ出していますから、とても傷つきやすい存在です。(読み手も、話し手も、ですが。)なので、ほめられることは安心感につながりますし、さらに挑戦したいとも思えます。ぜひ、ほめ方を磨いてください。

5.ほとんど、生徒が話しているようにする
 6つの中で、これが一番大切かもしれません。カンファランスはポイントを絞って、教師が教える時間ではありますが、教師が話している時間ではありません。その理由は、「一番話している者が、一番よく学ぶ」からです。教師は、自分が学ぶためにいるのではなく、教えるために存在しますから、話しすぎてはまずいのです。では、どうしたらいいのか? 教師が教えたり、話したりする代わりに、いい質問を投げかけるのです。そうすれば、生徒たちが話しますし、(教師が話したい内容を含んだ)答えを生徒たちが言ってくれます。

6.時間は短く
 一人の生徒に費やすカンファランスの時間は、3~5分です。それ以上になると、書き手に教えているのではなく、作品に教えている、と思ったらいいでしょう。そして、教えたことについて試してもらうことが何よりも大切ですから、「もしそれを試してみたら、★を付けておいてね。そしたら、すぐに先生がわかるから」と言って分かれます。

 『リーディング・ワークショップ』の中で紹介されているカンファランスの流れ(第6章)は、①子どもの状態を把握する→②教える内容を選択する→③実際に教える(単に言うだけでなく、子どもに試させる→④カンファランスの記録をとる(これからすることを含めて)ですが、この原則を紹介してくれたミーアンさんは、①子どもの状態を把握する→②いい点を指摘する(ほめる)→③教える→④次のステップを明確にしておく、としていました。大きな違いはありませんが、強調点が違います。◆
この流れは、生徒たちも知っていることが大切です。その理由は、自分がカンファランスをされる対象なのではなくて、カンファランスの主役であることを自覚してもらうために、です。
さらには、この手順(原則)は、教師同士のやり取りや指導案検討や研究授業のあとの研究協議などでも使えると思いませんか? このアプローチを使うだけで、雰囲気や関係がガラッと変わるかもしれませんので、ぜひ試してください。

◆ 後者の流れは、http://projectbetterschool.blogspot.jp/2012/08/blog-post_19.html と同じと言えますので、参考にしてください。


2016年11月4日金曜日

本物の書き手たちから学ぶ、説得力




「教師が書き手になる、そのためにできることは?」というタイトルで、2016723日のRWWW便り(http://wwletter.blogspot.jp/2016/07/blog-post_23.html)では、中学校で書くことを教える教師の本から、教師が書き手であることや、そのことを授業にどう活かすのかについて、紹介しました。

 

 その時のRWWW便りの最後に、私が個人的に行いたいことの一つとして、「外部の書き手たちの集まり(私の場合は英語を教えていることもあり、英語の書き手たちの集まり)に 出席すること」を挙げました。

 

 そういう目的を書いたことも後押しになって、この10月下旬、初めて「書き手のための会合」★に、恐る恐る?出席しました。


 
 書き手として活躍している人たちの話は、現実に書くことに基づいていて、説得力がありました。


 逆に聞こえるかもしれませんが、教育関係の学会「ではない」ので、文脈が教室「ではない」のが、よかったような気がします。
 
「明日の授業にすぐにつかえるアクティビィティ」はないのですが、ミニ・レッスンのアイディアも含めて、得たものは大きかったです。WWに関わらなければ、こういう会合にはまったく関心がないまま、一生を終えていたかも、です。
自分が書き手として、いかに狭い世界にいて、いかに経験不足かということをしっかり認識できましたし、書き手としてもっと成長したい!とも、思いました。


 
 私は、5つのセッションに出ましたが、一番面白かったのが、原稿料を払ってくれて、採用されるのに競争率の高い詩の雑誌に、詩を書いている人が、詩の書き方を語ってくれたセッションでした。現実を踏まえての話なので、納得ですし、いいミニ・レッスンをセットで聞いたような印象で、なんだかとても得した?気分です。

 

これを聞きながら、自分の子ども時代に、こんなミニ・レッスンを受けていれば、自分の現在の読み書きはまったく違ったものになっただろうと思いますし、何よりも「こんなふうに教えることができるようになりたい!」と思いました。
 
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 自分を書き手として成長させてくれそうな機会を意識してさがすこと、つくること、その大切さを「実感」でき、こういう機会を続けてさがしたいと思いました。


 見つけるのが難しければ、ちょうどRWに関わる先生が「大人のブッククラブ」を作って楽しむように、自分たちで「大人のライティング・クラブ」(あるいは大人のライティング・ワークショップ)をつくるのも「あり」では?とも思いました。

 

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 ★ 私が今回参加したのは、Japan Writers Conference で、毎年、開催されている、こじんまりとした集まりのようです。同時並行で開催されているセッションも3つ程度です。使用言語は英語で、上で紹介したように、詩人がどうやって出版できる詩を書くのかについても学べましたし、日本の作家の本や日本に関わる本の翻訳をコーディネイトしている人が多くの本を紹介してくれるセッションもありました。教科書を多く出版している人からは、教科書の提案書の書き方やマーケットと編集者の視点も学びました。

2016年10月28日金曜日

選書能力をつけるには?


ある意味では、10月7日号(および9月2日号)の続きです。

もう一人別な読者からの質問をもらいました。

読書家の時間の一番大切なところは選書だと思います。そして、自分の読みたい本を選んで読み浸るところが要です。選べる力をつけてほしいのですが、どうしたらその力がつくのでしょう。子どもたちが気付いてさまざまなジャンル、ちょっと難しい本へ自然とシフトしていければよいのですが、そうならないとき、どうしたらよいのでしょうか?

まず、「読む力」がタイトルについた本は、かなりの数出版されていますが、選書力に言及している本に出あったことはありますか?
10月7日号で見たように、司書も含めて、教師の多くは良書を読ませれば、読む力は自然につくと思い込んでいるようです。
確かに、自分で良書を選べるような子は、すでに「優れた読み手が使っている理解のための方法」も身につけているので、上の質問に書かれているようなことは、教師や司書の助けもなくやれている可能性が大です。
しかし、そこまで行っていない(多くの?)子たちにとっては、まさに上記の質問の中身が大きな課題であり続けます。中でも、選書が。自分にピッタリあった本が見つからないということは、読み浸る環境に入れないことを意味し、さらには、「優れた読み手が使っている理解のための方法」を駆使して読み漁ることもできませんから。

具体的な方法としては、『「読む力」はこうしてつける』の中に、「自分にあった本を選ぶ」という項目立てで、8つのレッスンというかエクササイズが紹介されています。

その中から、「子どもたちが気付いてさまざまなジャンル、ちょっと難しい本へ自然とシフトしていければよいのですが・・・」の部分に応えるために、レッスン4の一部を紹介します。これは、「みんなで楽しく本選び」という方法で、Yellow Brick Roadsという本の103~106ページで紹介されていた事例です。




以上は、『「読む力」はこうしてつける』の179~180ページのコピーでした。
この最初の部分「教師が子ども達に読んでほしいと思う様々な本をクラスの人数分集めます」のところを、自然ではなく、かなり意図的にはなりますが、さまざまなジャンルや、ちょっと難しい本も交えて選んで集めればいいのです。そうすることで、自分だけでは広げられない読みの領域を、教師やクラスメイトの助けや刺激を借りながら、徐々に押し広げていけるようになります。

他にも、優れた読み手(校長先生? 保護者の親?)を教室に招き、通常、どんなものを読んでいるのか、そしてそれらをどのように選んでいるのかを紹介してもらう(これは、『リーディング・ワークショップ』の22~23ページで紹介されている方法)や、友だち同士で本を紹介し合う方法(『読書家の時間』の133~138ページ)、などがあります。人間、知っている人や友だちが興奮して読んでいるものは、トライしてみたくなるものです。

 いずれの場合も、いいモデルが鍵で、その結果として「自然とシフト」する場合が見られるようになることでしょう。リーディング・ワークショップは、大人や友だちの中にたくさんのいいモデルがあるのを分かっているので、それらを有効に活用しているわけです。(教科書に依存し過ぎる伝統的な国語の授業とは極に位置づけられるかもしれません。)


2016年10月22日土曜日

想像力を駆使する練習


 ケリー・ギャラガー(Kelly Gallagher)という著者の『Readicide』(Stenhouse, 2009、未邦訳)という本を読みました。Readicideという耳慣れないタイトルは、genocide(虐殺)やsuicide(自殺)やhomicide(殺人)と同じ-cideという言葉をreadにくっつけたもので、強いて訳せば「読殺」とでもなるでしょうか。物騒なタイトルに思われますが、副題には「学校がどのように読むことを殺しつつあるか、そしてあなたはそれについて何ができるのか(How Schools Are Killing Reading and What You Can Do About It)」とあります。過度に教えすぎることや、大切なことを教えずにすべてを子どもに任せてしまうような教え方が、「読殺」を招いているのが現在の米国における理解指導の現実であり、それを克服するために、本や文章をじっくりと読んで考え、理解するような学習が必要だというのが『Readicide(読殺)』という本の趣旨です。
 もちろん、米国の現状についての警鐘を鳴らす本ですから、日本の現状に直接言及しているわけではありません。むしろ、この本のなかでは、米国では「読殺」が着実に進行しているけれども、日本や中国・韓国・シンガポール等のアジアの国々はそうではないと書かれています。ですが、「学校がどのように読むことを殺しつつあるか、そしてあなたはそれについて何ができるのか」という副題の問いは米国だけのこととは思えないのです。
 一つだけ、この本に何度も引かれている言葉について書きます。それは言語哲学者ケネス・バークの本のなかに出てくる「想像力を駆使する練習(imaginative rehearsals)」という言葉です。
 彼女がバークの言葉を引きながら言っていることを、かなり意訳して言えば、次のようになります。

ケネス・バークは、若者が本を読まなければならないのは、本が現実世界への「想像力を駆使する練習」を提供するからだ、と言っている。バークが主張しているのは、本を読む子どもたちはただ単に物語を読んでいるのではなくて、読むことによって自分の生きる込み入った世界を理解する機会が彼らには与えられつつある、ということだ。

 子どもが本をじっくり読んで、考えて、発見するための「想像力を駆使する練習」にならないような授業とカリキュラムは、どのようなものであっても「readicide(読殺)」を招くというわけです。じっくり読んで、考える時間があるからこそ、読むこと、理解することの学びは子どもの人生とつながるというわけです。
Readicide(読殺)』は警鐘を鳴らしているだけではなく、読書体験を回復し、読み手を育てるためのたくさんの対策を示してもいます。それはジャミカの言葉への回答として書かれた『理解するってどういうこと?』の著者が探究したのと同根の問題意識をもったものに思われます。世界中の小さなジャミカを「読殺」しないようにするため私たちは何をすればよいのか、という問いを私たちが共有していかなくてはならないという問題意識です。
 タイトルにひかれて読み始めた、平川克美さんの『なにかのためではない、特別なこと―失われた「大人の哲学」を求めて―』(平凡社、2016年)には、「弱さ」を中心に据える社会の持つ強さについて、自らの経験にもとづいた魅力的な言葉がたくさんありましたが、その一つに次のようなものがあります。

学ぶとは何かを分かるために行うのではなく、分からないことを巡る旅のようなものであり、一巡りすると自分の目の前の風景が以前とは異なって見えるようになる。おそらくは、学ぶとはそういう経験のことなのだろう。(79ページ)

 平川さんのたどり着いた「学ぶとは何か」に対する回答も、おそらく「想像力を駆使する練習」を繰り返した成果です。平川さんの本は読書についてだけのものではありませんが、「想像力を駆使する練習」もまた「なにかのためでない、特別なこと」の一つなのだと思います。「読殺」を回避するためのすばらしい知恵がここにも示されています。

2016年10月14日金曜日

子どもの本をたくさん読む、3つの理由

 知人のブログで、司書さん二人に教室に来てもらって、本の紹介のデモンストレーションをしてもらったという、「息ぴったり、司書さんコンビのブックトーク」という書き込み★を読みました。

 子どもたちが実際に本の紹介をする前に、いろいろなモデルを見せる価値を感じながらも、私が印象に残ったのは、お手本のようなブックトークをした司書さんについての、次の一文でした。

  「実は一週間前にリクエストしたその日に、本を何冊も持ち帰られて検討してくださった」

  この時の本の紹介には、「類の異なる2冊以上の本をつなげて紹介する」という条件がついていたのでハードルが上がったとは思いますが、本のプロの司書さんでも、いい紹介をしようと思えば、それだけの努力がいるのだ、と改めて思いました。

 これを読んで、思い出したのが、アメリカでの中学校レベルの優れた実践者が、「詩集を1冊読んでも、子どもたちに紹介したい詩が1つしか見つからないこともある」というような内容のことを書いていたことです。
 司書さんでも、RWやWWの優れた実践者でも、教えている子どもたちが興味を持てそうな本や詩を紹介したり、見つけたりすることは、決して簡単なことではない! のです。

 今日のRWWW便りは、「子どもの本をたくさん読む3つの理由」ですが、まず一つ目は、「(1) 司書さんでも、優れた教師でも、いい本を紹介したり、興味の持てそうなものを見つけたりするのは、タイヘン!!」だからです。

 しかも、「詩集1冊から、一つの詩」みたいに、あまり効率よくできることではなさそうです。となると、「焦って集中して行っても、効果があがることではない」ので、普段から読むしかなさそうです。

(2)二つ目の理由は、「たくさん知っていることで、選書のカンファランスがより効果的にできる!」です。

  もちろん、子どもたち同士も、教室内でお互いに本のお薦めをしたりして、お互いに選書を助けていますから、選書を助けることは、司書や教師だけの仕事ではありません。

 SFに強い子ども、ある分野のノンフィクションに強い子どもなど、教室の中に、あるジャンル・作家の専門家?が出てこれば、その子どもたちに活躍してもらうこともできます。

 そういう子どもたちに活躍してもらうためにも、教師だって、「この作家ならまかせて」、「このジャンル・トピックならまかせて」を複数持っておきたい、と、なおさら思います。

(3)三つめは言うまでもなく、楽しい!です。読むこと自体もそうですし、本を通して子どもや本の好きな他の大人たちとつながる楽しさです。

 余談ですが、数日前に、市の図書館に 上橋菜穂子さんの『鹿の王』(上・下)を返却し、岡田淳さんの本を借りて帰宅しました。どちらの作家も、RWで知り合った先生に教えてもらいました。今日、教室に新たに持っていったのは、マイケル・モーパーゴの『世界で一番の贈りもの』の英語版(私は英語を教えているので)。この作家もRWやWWで知り合った人に教えてもらいました。RWに関わると、自分の読書生活は、確実に豊かになります。
★ 冒頭で紹介した「息ぴったり、司書さんコンビのブックトーク」のURLは以下です。 いいお手本を見せることの価値をしっかりと感じます。よく考えて計画された本の紹介なので、詳しくは以下のURLでぜひ!
  http://askoma.info/2016/09/17/3870 


2016年10月7日金曜日

教師/司書/親の役割は、良書を提供すること?

読者から、以下のようなメール(+質問)をもらいました。

今年も、読者家の時間というほどではないですが読むことを大切にしてすごしています。
一学期は、本を借りる時間をこまめにとり、全員で流れ星にお願いを読み、ペアでの読書もやり、もちろん読み聞かせも。

幸運なことに今年は読書教育に熱心な図書主任の先生と司書さんがいます。ステキ!なんですが先日こんな話がでました。

『モモ』とか『果てしない物語』とか読ませたい本がある。各学年でリストにしよう。これは納得。さらにそれを強制するのはどうかということになりました。(例えば2年で10冊クリアしようみたいな)ここは、まさにうーん(-_-;)です。個々の読書記録程度としてならなあ。

確かに読んでほしいものってあるんですけどね。でも、私にはアドバイスはできるけど強制はできない。

読んでほしいと思っているものを手に取れる、または手に取ってもらえる工夫は必要だと思います。少なくとも読む時間をとる。これすら大してしていないのに、読むようにはならないですよねぇ。
環境がものをいうと思うんですけど。

世の中で読書家の時間を実践している先生がたも、読ませたい本ってあると思うんです。でも高学年でいわゆる高学年向けの本を読めない子っているじゃないですか?そういう子たちは自分に合ったものを選んで読んでいるのではないんですか?という質問です。

◆◆

以下が、質問への回答です。

読書教育に熱心な図書主任の先生と司書さん が、学校に二人もいるのはラッキーですね。
でも、そういう人たちに限って、「読ませたい本」にこだわる部分も大きいので、困りもんでもあります。
読ませたい本(教科書も、まったく同じアプローチを取っています!)と、子どもたちが読める本や読みたい本の間には、大きなギャップがあります。
本来は、そこまで認識した上での図書主任の先生と司書さんでないと困るのですが、日本の国語関係者や図書関係者は「良書主義」にあまりにも毒されすぎています。

環境がものをいうと思うんですけど。
まったく、その通りです! それは、教室の中に充実した図書コーナーであり、そして読書家の時間の確保というか、実践だと思います。(一言でいえば、こういうことで、『リーディング・ワークショップ』の中には他にもたくさんの環境づくりの方法が紹介されています。何よりの環境は、良書を押し付けるようなことはしない本が大好きな教師の存在かもしれません。)

世の中で読書家の時間を実践している先生がたも、読ませたい本ってあると思うんです。でも高学年でいわゆる高学年向けの本を読めない子っているじゃないですか?そういう子たちは自分に合ったものを選んで読んでいるのではないんですか?という質問です。
まさに、その通りです。
で書いたテーマそのものです。

私は自分に合った本を選べるようにしてあげることこそ、一番大切なことだと思っています。
他は、付録みたいなものです。
(良書を紹介するのは、優先順位が100ある中で、95か96です!)
読書教育に熱心な図書主任の先生と司書さんも、世の中でいいと言われている本(要するに、良書)を子どもたちに読ませる努力をするのではなくて、一人ひとりの子どもに選書能力こそをつけてあげる方向に転換してほしいです。

どうでしょうか?
を同僚二人に見せてあげては。

ここ1週間ぐらいかけて、『リーディング・ワークショップ』を読み直していました。
何回読んでも、とてもいい本です。
読むことが好きになり、同時に読む力をつけ、生涯にわたって読み続ける読み手を育てる環境がここで描かれていると思います。

これを、二人に紹介してあげるのも、もう一つのアイディアかも。