読者から、以下のようなメール(+質問)をもらいました。
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今年も、読者家の時間というほどではないですが読むことを大切にしてすごしています。
一学期は、本を借りる時間をこまめにとり、全員で流れ星にお願いを読み、ペアでの読書もやり、もちろん読み聞かせも。
幸運なことに今年は読書教育に熱心な図書主任の先生と司書さんがいます。ステキ!なんですが先日こんな話がでました。
『モモ』とか『果てしない物語』とか読ませたい本がある。各学年でリストにしよう。これは納得。さらにそれを強制するのはどうかということになりました。(例えば2年で10冊クリアしようみたいな)ここは、まさにうーん(-_-;)です。個々の読書記録程度としてならなあ。
確かに読んでほしいものってあるんですけどね。でも、私にはアドバイスはできるけど強制はできない。
読んでほしいと思っているものを手に取れる、または手に取ってもらえる工夫は必要だと思います。少なくとも読む時間をとる。これすら大してしていないのに、読むようにはならないですよねぇ。
環境がものをいうと思うんですけど。
環境がものをいうと思うんですけど。
世の中で読書家の時間を実践している先生がたも、読ませたい本ってあると思うんです。でも高学年でいわゆる高学年向けの本を読めない子っているじゃないですか?そういう子たちは自分に合ったものを選んで読んでいるのではないんですか?という質問です。
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以下が、質問への回答です。
読書教育に熱心な図書主任の先生と司書さん が、学校に二人もいるのはラッキーですね。
でも、そういう人たちに限って、「読ませたい本」にこだわる部分も大きいので、困りもんでもあります。
読ませたい本(教科書も、まったく同じアプローチを取っています!)と、子どもたちが読める本や読みたい本の間には、大きなギャップがあります。
本来は、そこまで認識した上での図書主任の先生と司書さんでないと困るのですが、日本の国語関係者や図書関係者は「良書主義」にあまりにも毒されすぎています。
環境がものをいうと思うんですけど。
まったく、その通りです! それは、教室の中に充実した図書コーナーであり、そして読書家の時間の確保というか、実践だと思います。(一言でいえば、こういうことで、『リーディング・ワークショップ』の中には他にもたくさんの環境づくりの方法が紹介されています。何よりの環境は、良書を押し付けるようなことはしない本が大好きな教師の存在かもしれません。)
世の中で読書家の時間を実践している先生がたも、読ませたい本ってあると思うんです。でも高学年でいわゆる高学年向けの本を読めない子っているじゃないですか?そういう子たちは自分に合ったものを選んで読んでいるのではないんですか?という質問です。
まさに、その通りです。
で書いたテーマそのものです。
私は自分に合った本を選べるようにしてあげることこそ、一番大切なことだと思っています。
他は、付録みたいなものです。
(良書を紹介するのは、優先順位が100ある中で、95か96です!)
読書教育に熱心な図書主任の先生と司書さんも、世の中でいいと言われている本(要するに、良書)を子どもたちに読ませる努力をするのではなくて、一人ひとりの子どもに選書能力こそをつけてあげる方向に転換してほしいです。
どうでしょうか?
を同僚二人に見せてあげては。
ここ1週間ぐらいかけて、『リーディング・ワークショップ』を読み直していました。
何回読んでも、とてもいい本です。
読むことが好きになり、同時に読む力をつけ、生涯にわたって読み続ける読み手を育てる環境がここで描かれていると思います。
これを、二人に紹介してあげるのも、もう一つのアイディアかも。
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