いま、『呼吸の本』(加藤俊朗+谷川俊太郎、サンガ)を読んでいます。
その中に、こんなのが出てきました(131ページ)。
ぼくは義務教育受けましたが、国語の作文書けなかったんです。書いた記憶ありません。今、やっとこさですが書いてます。
肛門を意識してしめることで集中する能力がついたからです。呼吸を知ったおかげです。書けたという事実が証明です。意識して集中するとはこういうことです。
開き直って書いてます。
肛門を意識してしめることと書くことがつながっていたとは知りませんでした。
これは、国語では教えてくれませんね!!
さらに、60を過ぎてから本を2冊出した加藤さんは「あとがき」に、こんなふうにも書いています。
作文を繰り返し書いていたら、書くことが面白くなってきたんです。こんなこと想像もつきませんでした。
今は書くのが好きになってます。先生(谷川俊太郎のこと)が言ったことを忠実に守って書いてたら少しずつ書けるようになっちゃんたんですね、不思議です。
谷川先生の訓え
1 加藤さんの味を出すには実践を通して書くのがいい。
2 具体的にわかりやすく書くようにする。
3 一般に先生といわれてるような人の書き方を真似しないほうがいい。偉そうに書いてはいけない。
加藤さんは、谷川先生の訓えを忠実に守ってたくさんの練習をしただけではなく、「ときどき、自分の思ってること、感じたことを作文にして先生に見てもら」い、「文章になっているかどうかを検証してもらってた」そうです。(さすがに、谷川先生の訓えの中には、「肛門を意識してしめる」は含まれていませんでした! 呼吸法を窮めた人だから言えることのようです。)
ここからも、たくさんの練習と、読者と、フィードバックの大切さがわかりますね!!
2010年6月29日火曜日
2010年6月25日金曜日
書く前に、友達と話してみる
こんばんは。
Gary Robert Muschlaさんの書いたWriting Workshop: Survival Kit (Second Edition) (Jossey-Bass, 2006) という本があります。5年生から中学校、高校ぐらいを対象に書かれていて、題材探し、下書き、修正、校正、出版など、書くいろいろな段階を説明し、プラス、後半には100のミニ・レッスンが載っている本です。
この中で、「書く前の段階」に行う「リハーサル」について書かれていたのですが(45ページ)、時にはこういう方法もいいかもと思いました。リハーサルというと、なんだか大げさですが、作品にとりかかる準備みたいなもので、この文脈では書く準備のための話し合い、という感じです。
この人が紹介している方法は、例えばマッピングなり、ブレインストーミングなり、何らかの方法でつくられた題材リストから、書く題材を決めて、それをペアで相手に話す、という時間を取るというものです。
聞いている方は、相手が書くことについて話してくれたことを、要約し、はっきりしないところは質問し、そして相手からの質問があればそれに答えたりもします。
自分の言ったことを繰り返されることで、自分の伝えたい意図がはっきりしたり、フィードバックがもらえたりすることで、書く準備になる、そんな感じです。
*****
Nonfiction Craft Lessons (Ralph Fletcher とJoAnn Portalupi, Stenhouse, 2001)の中でも、幼稚園から小学校2年ぐらいを対象にしたミニ・レッスンで、「書く前に話すこと」を、上とは全く違う方法でつかっています。
幼稚園から小学校2年生ぐらいを対象としたレッスンで、ノンフィクションを書くことを教えるときに、写真を使い、それについて話すことをうまく使っています(22ページ)。
ある事柄に関する写真を使い、それをみんなに見せて、その写真について何人かの子どもたちが「金魚鉢」で話すというものです。
この話す過程で、子どもたちは質問したり、仮定をしたり、自分の知っていることと結びつけたり、賛成したり、反対したりしています。これが書くことに活かされていくのです。
*****
英語では、いいミニ・レッスン集が本当にたくさん出版されています。特におすすめは Nancie Atwell さんのミニ・レッスン集、上に紹介したRalph Fletcher とJoAnn Portalupi さんたちの書いたミニ・レッスン集、ーーそしてこの二人は他にもいいミニ・レッスン集を出していますーーですが、これらはまた、後日に紹介したいと思います。(ちなみに、この二人は『ライティング・ワークショップ』新評論の著者でもあります。)
2010年6月18日金曜日
ピア・カンファランス
☆ 低学年のピア・カンファランス
Katie Wood RayさんのAbout the Authors: Writing Workshop with Our Youngest Writers (Heinemann, 2004) という本があります。幼稚園から小学校2年生ぐらいを対象としたWWについての、実践例豊富な、とてもいい本です。
こんな年代の子どもたちでも、ピア・カンファランスをしています(pp. 188-191)
この本によると、一つの方法として、ピア・カンファランスが必要なとき、ということでいくつかの項目を挙げています。
例えば、どんな時にピア・カンファランスをするといいかというと、「誰かに尋ねたいことがあるとき」、「自分の書いたものにある意図があるので、それが読み手にちゃんと伝わるかテストをしたいとき」、「今、書いていることを、もっと膨らませたいから、誰かに自分に質問をしてほしい(これについて、何が知りたいかを自分に言ってほしい)とき」等々です。
年代的な特徴を踏まえているのかもしれませんが、子どもに「こういう必要があるときに、他の人に助けを求めるといいよ」ということを、はっきりさせることで、ピア・カンファランスをしやすくしているように思いました。
そして先生が、それぞれのカンファランスについて、説明をしたあとに、みんなの前でロールプレイなどをつかって、どんなカンファランスかをはっきりと教えていきます。
また、こんなカンファランスがあるよ、と説明するときに、できる限り、子どもたちの書き手としての経験に照らしあわせて、子どもたちにつながるように教えているのも、よく分かります。
***********
☆ 以下は、先週の金曜日に貼り付けたのですが、設定がうまくいかなくて、再度、貼り付けましたが、うまくいきませんでした。それで、今日、再度、貼り付けます。もしかすると、ほぼ同じものが、すでに2回、メールで流れたかもしれません。もし、そうでしたら、すみません。
人数が多い日本の教室では、ピア・カンファランスはけっこう大切な気がします(←たしか、このことは『作家の時間』でも言われていたと思います)。
ピア・カンファランスをうまく行うためには、いろいろな方法があるようです。
Nancie Atwellさんの In the Middle (2nd ed.) (Boynton/Cook 1998 )という本があります。私の大好きな本の1冊です。
彼女は中学生を教えています。クラスでピア・カンファランスをすることもあると思いますが、彼女の場合は面白い方法を使っています。それはミニ・レッスンを使って、良いカンファランス(助けになるカンファランス)と悪いカンファランス『助けにならないカンファランス)の例を見せるということです(pp. 158-159)。
子どもに協力してもらって、ピア・カンファランスの「いい例」と「悪い例」のロールプレイをして、子どもたちはそれを観察するというものです。同じ作品でいい例、悪い例の両方を行うとはっきりするようですね。
*****
Carl Anderson というカンファランスのカリスマ?とも言われている?人が、WWのカンファランスについて書いたhow’s it going? (Heinemann, 2000)という本があります。
彼も、同様に「金魚鉢」(何人かが金魚になり、その行っていることを他の人が金魚鉢の外側から観察するというので「金魚鉢」と言われる方法)を使っています。
先生は、子どものやっていることを言語化してはっきりさせたり、ときには中に入り「今、先生が何をしたか分かった?」みたいに問いかけたりもしています(p. 146)
→ 私が思うには、どちらにおいても、そのポイントの一つは、他のカンファランスに応用できるような形で子どもが理解できるように、先生が言い換えたり、サポートしたりすることかなと思いました。
例えば「何について助けてほしいかを伝える・(あるいは)尋ねる」などは、次回のカンファランスにもすぐ応用できそうです。
Katie Wood RayさんのAbout the Authors: Writing Workshop with Our Youngest Writers (Heinemann, 2004) という本があります。幼稚園から小学校2年生ぐらいを対象としたWWについての、実践例豊富な、とてもいい本です。
こんな年代の子どもたちでも、ピア・カンファランスをしています(pp. 188-191)
この本によると、一つの方法として、ピア・カンファランスが必要なとき、ということでいくつかの項目を挙げています。
例えば、どんな時にピア・カンファランスをするといいかというと、「誰かに尋ねたいことがあるとき」、「自分の書いたものにある意図があるので、それが読み手にちゃんと伝わるかテストをしたいとき」、「今、書いていることを、もっと膨らませたいから、誰かに自分に質問をしてほしい(これについて、何が知りたいかを自分に言ってほしい)とき」等々です。
年代的な特徴を踏まえているのかもしれませんが、子どもに「こういう必要があるときに、他の人に助けを求めるといいよ」ということを、はっきりさせることで、ピア・カンファランスをしやすくしているように思いました。
そして先生が、それぞれのカンファランスについて、説明をしたあとに、みんなの前でロールプレイなどをつかって、どんなカンファランスかをはっきりと教えていきます。
また、こんなカンファランスがあるよ、と説明するときに、できる限り、子どもたちの書き手としての経験に照らしあわせて、子どもたちにつながるように教えているのも、よく分かります。
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☆ 以下は、先週の金曜日に貼り付けたのですが、設定がうまくいかなくて、再度、貼り付けましたが、うまくいきませんでした。それで、今日、再度、貼り付けます。もしかすると、ほぼ同じものが、すでに2回、メールで流れたかもしれません。もし、そうでしたら、すみません。
人数が多い日本の教室では、ピア・カンファランスはけっこう大切な気がします(←たしか、このことは『作家の時間』でも言われていたと思います)。
ピア・カンファランスをうまく行うためには、いろいろな方法があるようです。
Nancie Atwellさんの In the Middle (2nd ed.) (Boynton/Cook 1998 )という本があります。私の大好きな本の1冊です。
彼女は中学生を教えています。クラスでピア・カンファランスをすることもあると思いますが、彼女の場合は面白い方法を使っています。それはミニ・レッスンを使って、良いカンファランス(助けになるカンファランス)と悪いカンファランス『助けにならないカンファランス)の例を見せるということです(pp. 158-159)。
子どもに協力してもらって、ピア・カンファランスの「いい例」と「悪い例」のロールプレイをして、子どもたちはそれを観察するというものです。同じ作品でいい例、悪い例の両方を行うとはっきりするようですね。
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Carl Anderson というカンファランスのカリスマ?とも言われている?人が、WWのカンファランスについて書いたhow’s it going? (Heinemann, 2000)という本があります。
彼も、同様に「金魚鉢」(何人かが金魚になり、その行っていることを他の人が金魚鉢の外側から観察するというので「金魚鉢」と言われる方法)を使っています。
先生は、子どものやっていることを言語化してはっきりさせたり、ときには中に入り「今、先生が何をしたか分かった?」みたいに問いかけたりもしています(p. 146)
→ 私が思うには、どちらにおいても、そのポイントの一つは、他のカンファランスに応用できるような形で子どもが理解できるように、先生が言い換えたり、サポートしたりすることかなと思いました。
例えば「何について助けてほしいかを伝える・(あるいは)尋ねる」などは、次回のカンファランスにもすぐ応用できそうです。
2010年6月4日金曜日
「書くこと」=「読むこと」??
いま、『「考える力」はこうしてつける』の続編的な位置づけの『「読む力」はこうしてつける』という本を書いています。以下は、その「まえがき」の下書きです。
-------------------------------
10年ほど前に、「優れた読み手が使っている方法」を紹介してくれている(Strategies That Workというタイトルの)本に出会いました。
その方法を紹介する前に、「読む」とはどういうことか、についても簡潔にまとめてくれていました。
・ 考えること、意味を作り出すこと
・ 読んでいる時は、思考が脳の中をかけめぐっている
・ 見方/視点を作り出している
・ 場合によっては、生き方まで変わるときも...
・ 読み手は、部分的には書き手でもある
「まったく、その通りだよな~」とうなってしまったのを、今でもよく覚えています。少なくとも、私自身が体験した国語教育には、まったく欠落していた点ばかりでしたし、日々(とはいっても、20年ぐらい前から)、本を読むことを通して自分自身が実感していることでもあったからです。
紹介してくれていた「優れた読み手が使っている方法」は、次の7つです。★
・ 自分や、他の読み物や、世界とのつながりを見出す
・ イメージを描き出す
・ 質問をする
・ 著書が書いていないことを考える(つまり「行間」を読む)
・ 何が重要かを見極め、他の人に説明できる
・ さまざまな情報を整理・統合して、自分なりの解釈や活かし方を考える
・ 自分の理解をチェックし、修正する
皆さんも、これらの方法を意識せずに使っていると思います。
このリストを最初に見たときの私の印象は、「なぜ、小・中学校時代に紹介してくれなかったの?」というものでした。紹介してくれていたら、自分で苦労せずに、もっと楽しく読むことができたと思ったからです。と同時に、これまでに読んだたくさんの読書術に関する本では得られなかった興奮を覚えました。
しかし、その後もいろいろ考えていると、これらは「読むとき」だけでなく、「聞くとき」に間違いなく使っていますし、「話すとき」や「書くとき」にも使っていると思います。「考えるとき」は必ずです。
そして、「世界を読むとき」「世の中を見るとき」にも使っています。
それほど大切な方法ですから、その身につけ方をぜひ紹介したいと思った次第です。
上記の本では7つの方法でしたが、その後、この本を書くにあたっていろいろ情報収集をする過程で、一つ付け足すことにしました。それは、情報が氾濫する社会でその重要性がますます増しているインターネットなどを含めた文字媒体全般を「クリティカルに見る」ことです。
ここまで文章を読むだけ(書くだけ)でも、7つの方法+クリティカルに見る、を全部使っていると思いませんか?
★ これら7つを最初に提示したのは、David Pearosnらの研究報告だと言われています。(詳しくは、David P. Pearon, J. A. Dole, G.G. Duffy, and L.R. Roehlerの “Developing Expertise in Reading Comprehension: What Should Be Taught and How Should It Be Taught?”, 1990, または 1992, in What Research Has to Say to the Teacher of Reading, ed. J. Farstup and S.J. Samuels, 2nd ed, International Reading Association)
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10年ほど前に、「優れた読み手が使っている方法」を紹介してくれている(Strategies That Workというタイトルの)本に出会いました。
その方法を紹介する前に、「読む」とはどういうことか、についても簡潔にまとめてくれていました。
・ 考えること、意味を作り出すこと
・ 読んでいる時は、思考が脳の中をかけめぐっている
・ 見方/視点を作り出している
・ 場合によっては、生き方まで変わるときも...
・ 読み手は、部分的には書き手でもある
「まったく、その通りだよな~」とうなってしまったのを、今でもよく覚えています。少なくとも、私自身が体験した国語教育には、まったく欠落していた点ばかりでしたし、日々(とはいっても、20年ぐらい前から)、本を読むことを通して自分自身が実感していることでもあったからです。
紹介してくれていた「優れた読み手が使っている方法」は、次の7つです。★
・ 自分や、他の読み物や、世界とのつながりを見出す
・ イメージを描き出す
・ 質問をする
・ 著書が書いていないことを考える(つまり「行間」を読む)
・ 何が重要かを見極め、他の人に説明できる
・ さまざまな情報を整理・統合して、自分なりの解釈や活かし方を考える
・ 自分の理解をチェックし、修正する
皆さんも、これらの方法を意識せずに使っていると思います。
このリストを最初に見たときの私の印象は、「なぜ、小・中学校時代に紹介してくれなかったの?」というものでした。紹介してくれていたら、自分で苦労せずに、もっと楽しく読むことができたと思ったからです。と同時に、これまでに読んだたくさんの読書術に関する本では得られなかった興奮を覚えました。
しかし、その後もいろいろ考えていると、これらは「読むとき」だけでなく、「聞くとき」に間違いなく使っていますし、「話すとき」や「書くとき」にも使っていると思います。「考えるとき」は必ずです。
そして、「世界を読むとき」「世の中を見るとき」にも使っています。
それほど大切な方法ですから、その身につけ方をぜひ紹介したいと思った次第です。
上記の本では7つの方法でしたが、その後、この本を書くにあたっていろいろ情報収集をする過程で、一つ付け足すことにしました。それは、情報が氾濫する社会でその重要性がますます増しているインターネットなどを含めた文字媒体全般を「クリティカルに見る」ことです。
ここまで文章を読むだけ(書くだけ)でも、7つの方法+クリティカルに見る、を全部使っていると思いませんか?
★ これら7つを最初に提示したのは、David Pearosnらの研究報告だと言われています。(詳しくは、David P. Pearon, J. A. Dole, G.G. Duffy, and L.R. Roehlerの “Developing Expertise in Reading Comprehension: What Should Be Taught and How Should It Be Taught?”, 1990, または 1992, in What Research Has to Say to the Teacher of Reading, ed. J. Farstup and S.J. Samuels, 2nd ed, International Reading Association)
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