ライティング/リーディング・ワークショップは、子どもたちを読み手・書き手に育てるだけでなく、教師の成長がセットになっている教え方だ、とずっと感じてきました。
ライティング/リーディング・ワークショップの優れた実践者ナンシー・アトウェルの『イン・ザ・ミドル』の中でたびたび登場する「譲り渡し」という概念を読んだときに、「教師の成長がセットになっている教え方」であることをうまく言語化している、と思いました。
教師が、読み手・書き手として生徒の成長に役立つことを、生徒に「譲り渡す」。これを意識すると、「何を譲り渡しているの?」と、自分に問わざるを得ません。ですから、「譲り渡し」を意識するとき、私は、ほぼ自動的に振り返り、「こんな、嘘っぽいこと、実際に読み書きをするときに行っていないこと・役立たないことは譲り渡したくないなあ」と思ったり、もっと自分も学ばなくては、と思わされたりします。
アトウェルは、ジェローム・ブルーナーの本の中で「譲り渡し」という言葉に出合い、それは、自分の在り方の基本姿勢で、「ワークショップでの私は、経験豊かな書き手・読み手です。どうすればいいかを生徒に示し、役立つ助言を与え、自分がしっかり理解した上で生徒に伝えています」(『イン・ザ・ミドル』三省堂、2018年、36ページ)と記しています。(以下の引用も、いずれも『イン・ザ・ミドル』からです。)
私は単純に、まず自分が「何を譲り渡せるのか」が気になります。
しかし、アトウェルはもっと広い視点でこの概念を見てるのもよくわかります。というのは、アトウェルにとっては、これは教師の役割や生徒との関わり方の指針になっているからです。
『イン・ザ・ミドル』で、アトウェルは以前の自分の教えかたについて批判的に言及する箇所も、少なからずあります。それはライティング・ワークショップに初めて出合ったときに、夢中になり、「この教え方ではこうすべきだ」とか「こういうことはしてはいけない」という法則にとらわれてしまったこともあるからです(33~34ページ)。
アトウェルは自分の子ども アンが5歳のときに、靴ひもを結びたいと言ったのでその結び方を教えたときの経験、そして、その後、食卓の準備等、いろいろなことをアンに教えたときのことを次のように振り返っています。
「大人も子どもも課題に集中しています。アンを教えた時には、アンは私をじっと見ていました。私もアンをよく観察して、教え、彼女がやってみるようにし、話もし、必要だと思えば手も貸しました。やがて、アンが私を必要としなくなるまで」(35ページ)
そして、このような自分の子どもへの「譲り渡し」を教室に応用し、次のように語ります。「教室でこれと同じことが起きる時、教師は大人の役割を受け持ちます。何かを上手にできて、よく知っている大人。教師はその立場で、子どもが新しい課題に取り組むのを、取り組みやすく、効率的で、意義深いものにするのです。子どもが自分ひとりでできるようになることが目標ですから、その段階になったと思えば、大人は手を引きます。ここには『こうすべき教え方』も『してはいけないこと』もありません。あるのは、達成したいという子どもの思いと、大人のかかわり。ここにあるのは、生きた人間同士の繋がりを感じる関係であり、私がライティング・ワークショップを始めた頃の『ファシリテーターはこうあるべきだ』という、法則にのっとった関わり方とはまったくの別物です」(35~36ページ)
「譲り渡し」は、アトウェルにとってバランスの模索へとつながります。「聞き手である私と語り手である私のバランス。観察する私と働きかける私のバランス。協力する人、批評する人、そして、いつも生徒を応援する人としてのバランス。それが固定化せず、最適なものになるように、日々模索しています」(36~37ページ)
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アトウェルは3つの知識を活用して、ライティング/リーディング・ワークショップで譲り渡しを行っています。その3つは、教師が持っている①読むこと、書くことについての知識、②教えている生徒がどういう年代かという発達段階についての知識、③一人ひとりの生徒についての知識です。(36ページ)
しかし! アトウェルの初期の出版物を見ているかぎり、アトウェルは詩について、大好きで知識も豊富であったにも関わらず、その教え方について、どうすべきか迷っていた時期もあります。優れた実践者といえども、譲り渡し方を悩むことがあることもわかります。このあたりのことは、また日を改めてWW/RW便りで記したいと思います。
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