2026年8月1日土曜日

詩人の変節 ~高橋順子の詩を読む~

  [時々、投稿をお願いしている吉沢先生に、今回も、以下の投稿をお願いいたしました。]

 自分の信念がくつがえされた時、詩人はどのような言葉を使うでしょうか。

今回取り上げる高橋順子さん1は、太平洋に面する海辺の町に育ち、海が

大好きでした。海を題材にした詩を書き、34歳で上梓した第1詩集は『海まで』というタイトルでした。

それから30年以上経ち、高橋さんは海が嫌いになります。それは、東日本大震災の津波がきっかけでした。70歳で上梓した詩集『海へ』には、高橋さんが「海が大好きだった」では済まなくなった心境を綴る詩が収められています。そのような高橋さんの2つの時期の詩を読み比べてみたいと思います。

 

 まず、初期に書かれた詩を1編、紹介します。

 

貝殻のみち2

 

ここは埋立地だから

海に向かって歩いてゆくと

貝殻みちになる

白い化石の貝殻を手にあふれさせる

 

九階のベランダに

打ち上げられたように貝殻をならべると

ゆっくりと海の時間が

昼なら昼を 夜なら夜をひたす

 

 

 ゆったりした時間が流れているのを、私は感じます。穏やかな眼差しで海を眺めている詩人の姿を想像します。この頃の自分について高橋さんは、「海は、自分が対するものと言うより、自分と同一化しているんですね。」3と言っています。

 

 

 次に、東日本大震災の後に書かれた詩を1編、紹介します。

 

海を好きだった4

 

海を好きだった

(わたしの第一詩集は「海まで」という)

海が凶暴な力をもっていることは知っていたが

それは海の向こうの海のことだと思っていた

幼かった足うらをえぐる小さくない波の力と砂のつぶを

いまでもわたしの足うらはおぼえている

わたしの海は荒れるときも

防波堤に当たって夢が砕けるように自らを砕き

わたしの夢に侵入することはなかった

三月十一日 東日本大震災が起きた

大津波がわたしの古里にも押し寄せ

中学時代の同級生など十四人が波に呑まれた

これが わたしの海か

これが 海のわたしか

わたしの「海まで」の矢印は 海によってへし折られたことを

分かってゆかねばならない

一カ月後余震の中を古里に行くと

家の庭からも前の道からも

それまでは家並みにさえぎられて見えなかった海が見えた

海が見えた というよりは

海を見なければならなかった というべきだろう

海 青い他界

古里の家には昨日青畳が入った

わたしたちは凪を踏むようにして その上を歩いた

 

 

どうでしょうか。

「これが わたしの海か/これが 海のわたしか」

自分が慣れ親しんだ海とはあまりにも違う凶暴な海の姿。そのような海に対する、そしてそう信じてきた自分自身に対する怒りを感じます。

 続けて、詩人は次のように言います。

 

わたしの「海まで」の矢印は 海によってへし折られたことを

分かってゆかねばならない

 

これが海だなんて思いたくない、しかしこれが現実である。それを「分かってゆかねばならない」というように読み取れます。

 さらに、次のように言います。

 

それまでは家並みにさえぎられて見えなかった海が見えた

海が見えた というよりは

海を見なければならなかった というべきだろう

 

この表現は、まわりくどいと感じます。が、そのまわりくどさが、詩人の心持ちを表しているのでしょう。津波で壊されて更地になった古里の家並みを見ることのつらさを、詩人はこのような言い方で表していると思います。

 そして、詩は次のように締め括られます。

 

海 青い他界

古里の家には昨日青畳が入った

わたしたちは凪を踏むようにして その上を歩いた

 

他界とは、この世とは違う「あの世」(死後の世界)のことです。多くの人びとの命を呑み込んだ海を、詩人はこのような言葉で呼びます。海と自分が一体になって、そこに心をゆだねていた頃の詩人からは、出てこない言葉だと思います。

津波で被害にあった家に、新しく畳が入ります。青い海と青い畳。この「青」は詩人の目にどのように映っていたのでしょう。そして、青畳の上をどのような思いで歩いたのでしょう。

 

「凪(なぎ)」とは、風がやんで波が消え、海の水面が静かになる状態です。詩人の心の中も「凪」の状態になったのでしょうか。あるいは、自分に言い聞かせるように、自分に言い含めるように、思いを秘めて静かに歩いたのでしょうか。私はそのような想像をします。

荒れ狂う津波との対比で、詩の末尾に「凪」という言葉が置かれているところが、とてもいいと感じます。

 

引用した2編の詩を比べてみると、「貝殻のみち」は、言葉が詩的な雰囲気を醸し出していますが、「海を好きだった」は、詩的な雰囲気を排除しています。海が嫌いになったことに向き合い、葛藤し、それを詩として差し出している詩人の姿に、私は感銘を受けます。

 

 

1 高橋順子は、1944年千葉県生まれ。九十九里浜の東端に位置する飯岡町(現在は旭市の一部)に育つ。

2 『高橋順子詩集成』(書肆山田, 19964243ページ

3 「高橋順子詩集成*付録」の三木卓との対談より。

4 『詩集 海へ』(書肆山田, 2014)より