レッスン5の続きです。
184 次に大切なことは、「当たり前なんだ」とか「昔からそうだったんだ」と納得してはいけない。昔からそうだったとしても、じゃあなぜ昔からそうだったのかと、子供のように問を発することです。 ← 習慣に流されない。まやかしの「不変」に。疑問をもつ。「なぜ、どうして?」と発する。しかし、それをすると波風を立てることに。これを嫌うのが世間=日本文化。
186 こだわり続ける。その産物としての『忠臣蔵とは何か』 ~ 怨霊信仰 ← 『逆説の日本史』の井沢さんが言い出したことじゃないんだ。おそらく、はるか前から。古代から?
187 常に謎を意識することが大事なんです。
ところが、謎を意識化すればすぐに答えが出るかというと、そううまくは行かない。でも、あせるのは禁物です。謎を解くには時間がかかるものなのです。時間をかければ、そのうちに何かが訪れる・・・・かもしれません。
188 謎は大事にとっておくとたとえ50年後であろうと解けることがあるわけです。
189 定説・通説を検討してみる
歌舞伎の勘九郎さん(=この前亡くなった勘三郎さん)が「演技で大事なのは型である」と言う。同時に、「その型をするときに、なぜこういう演技になったのかを考えることが大切だ」とも言ってるんですね。
190 型の生まれたゆえん、自分と型との関係、そういったことを考えないで、ただ型をなぞるのでは意味がない。つまり通説、定説に無批判に盲従していても意味はないということです。それは官僚主義というものですね。ところが日本の学者には官僚が実に多い。→ 教科書は「型」。それを疑問に思わずにカバーし続けるのは、考えない人がすること!国文学者、あるいは近代日本文学研究者が、国文学の定説、近代日本文学の定説を管理する官僚になっている。そこからは新しいものは何も生まれません。
だから、ものを考えようと思ったら、専門家に笑われてもいいと度胸を決めることが必要です。第一、専門家と言ったって、なにも全員が偉いわけじゃない。
しかも、定説といわれるものが、学者たちの世界の、漠然とした、かなり無責任な世論にすぎないことはよくあることです。通説だってかなりあやしいものがある。
191 ことに文化的な大きな変動期には、いろんな条件が揺れて、新しいものが見えてくることがあります。それがパラダイムの転換ですね。ものの見方の約束ごと、考え方の約束ごとが根底から変化する。いまわれわれが生きていること時代など、まさしくパラダイムの転換の時代ですよね。 ← しかし、残念ながら世間の住人たちは、そう思いたくない。考えるのがイヤだから。
193 忠臣蔵の場合は、もっとひどかった。つまり、日本で最も重要な説話なのに、まともに論じた人は誰もいなかったわけです。因習としての思考どころの騒ぎじゃなくて、因習化した無思考だったわけですよ。 ← これがすべての分野で充満している日本!?
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