レッスン6の続きです。
250 当たり前ですが、ものを書くというのは、何か言いたいことがあるから書くわけですね。そのせいで、つい自分の思いのたけをひたむきに述べる、訴えるという書き方になりがちです。でも、どうもこういう書き方はあまりうまく行かない。
趣味の問題かもしれないけれど、僕はむしろ「対話的な気持ちで書く」というのが書き方のコツだと思う。自分の内部に甲乙二人がいて、その両者がいろんなことを語り合う。ああでもない、こうでもないと議論をして、考えを深めたり当たらし発見をしたりする。
以前のレッスンでバフチンのポリフォニック理論について話しました。対話的な書き方によってポリフォニックな効果が生まれるんですね。
251 テニスのラリーみたいなもの
252 考えるときには対話的に考える、しかしそれを書くときには、普通の文章の書き方で書く
253 例文 吉田秀和の『モーツァルト』のなかの文章です。
対話的な構成で作られている文章
254 山崎正和さんとの対談をやったお陰
255 そういう自分のなかの対話を、登場人物を二人出すのではなくて、一人称の文章のなかでやればいい。そう思って僕は書いてきました。
なお、吉田さんの文章は、レトリック(修辞学)のいい見本でもある。
列挙があり、比喩があり、譲歩もある
256 ここで大事なのは、ロジックがしっかり通っているからこそ、レトリックが冴えるということなんです。つまり、ロジックとレトリックを組み合わせて話を運ぶ ~ これが肝心なんです。単なるロジックでは頭がこわばってしまって、中身が頭に入りにくい。そこにレトリックがあるお陰で、ロジックが鮮明な形で入ってくる。
僕が三島由紀夫の文章が気に入らないのは、レトリックはたいへん派手だけれども、ロジックが通っていないことが多いからなんです。
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