この本は、夏目漱石と丸谷さんの両者が専門の英文学の視点から漱石の3冊の有名な本『坊ちゃん』『三四郎』『吾輩は猫である』を見てみた本です。
なんと、これまでとは違った作品像が表れます。
私たちは、漱石はそもそも英文学を勉強しにイギリスに行ったことを忘れて、彼の作品を読みがちですが、彼ほど自分の作品にそこで学んだことを生かしている作家はいない、というのが丸谷さんの説です。(ほとんど下宿先を出ていなかった漱石ですが、しっかり当時のイギリスでポピュラーだった本は目を通して、自分の血肉にしていた、と。)
『吾輩は猫である』と『坊ちゃん』は、漱石が東京帝国大学で『十八世紀英文学』を講義してしたのと並行して書かれていたそうな。
丸谷さんの言葉を借りれば、「『坊ちゃん』はイギリス18世紀文学のことを考へつづけるかたはらに想を構へ、筆を採つた小説であつた。それゆゑもしもあのころの漱石の小説を大学教師の余技とする立場(これが昔は横行した)に立てば、『坊ちゃん』はイギリス18世紀文学研究の副産物と見立てることもできるでせう。そしてもちろんわたしとしては、漱石がフィールディングに刺激され触発されたからこそ、あれだけの名篇を書くことができたと考へるのである。念のために言い添へて置くならば、一般に文学作品は単なる個人の才能によつて出来あがるものではなく、まして個人の体験のみによつて成るものでなく、伝統の力による所が大きい。しかもそれが自国の文学の伝統に限らないことは言ふまでもないでせう」(23ページ)ということです。 ~ この最後の部分は確実に、ノンフィクションにも言えてしまうと思いました。
とくに、『坊ちゃん』は喜劇小説(滑稽小説、ユーモア小説)の影響を受けている、というのが丸谷さんの主張。特に、ヘンリ・フィールディングの『トム・ジョーンズ』。
ちなみに、喜劇小説はイギリス文学の特産品で、これには丸谷さんが訳しているジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』などから、ジェイン・オースティンの『誇りと偏見』やE・M・フォスターの『ハワーズ・エンド』も、そしてフィールディングの『トム・ジョーンズ』やスウィフトの『ガリヴァー旅行記』まで含まれます。さらには、それは「シェイクスピアの喜劇に端を発し、18世紀の豪宕な精神にはぐくまれ、ジェイン・オースティンによって洗練され、ディケンズによってふたたび生命力を注がれたあげく、知識人向けと大衆ものの双方に分れて、そのどちらでも活況を呈することになった。ディケンズからそれを学び取った外国作家が、ロシアのドフトエスキーとフランスのプルーストであったとすれば、フィールディングの異邦の弟子は『坊ちゃん』の夏目漱石と『酔ひどれ草の仲買人』のジョン・バースだったでせう」と解説してくれています(28~9ページ) ~ 漱石以外に、この流れをくむ人が日本にはいないのが残念です。いたら、ぜひ教えてください。丸谷さん??
0 件のコメント:
コメントを投稿