2016年3月18日金曜日

『内なる創造性を引きだせ』と『理解するってどういうこと?』

 
 先日、上京した時に、日本橋の丸善に行って、偶々、美術書のコーナーを通りかかったところ、なぜかスーパーリアリズムの絵についての本が流行しているようで、たくさんあるなぁと思いつつ、平積みになっている本に目をやると、檸檬・・・ではなくて、クリーム色の表紙の少し大型の本がたくさん積まれていました。タイトルは『内なる創造性を引きだせ』(ベティ・エドワーズ著、高橋早苗訳、河出書房新社、2014年6月)。
 デッサンについてのエクササイズがたくさん入っていたので、絵の描き方の本なんだろうと思っていました(実際、コピー用紙と鉛筆を用意して、自分で描きながら読むといろんな発見がある本です!)。少ししっかり読もうと思って、買って読み始めると、それだけではないことに気づきました。世界をどういうふうに捉えるのかということについての本だったのです。デッサンを通して自分を捉えるための本だったのです。つまり「理解する」ことについて書かれた本だということになります。
 三部構成の本の目次は次の通り(各部の下位の数字は章をあらわします)。
第1部 ものの見方を考え直す
1創造性-あやふやな概念/2内なるひらめきを便りとする/3創造性についてよく考える/4言葉の定義を手がかりにする
第2部
5もう1つの言語を活用する/6筆跡に語らせる/7洞察を引きだす/8直観で描く/9 最初の洞察を手がかりにして疑問を見出す/10意味をあますところなく引きだす
第3部 思考のための新しい戦略
11ゲームのルールをつくる/12新しい視点を活用する/13美しいジェスチャーを活用する/14カタツムリの速度で描く/15思いこみの裏側にあるものを引きだす/16ものを見る行為は見かけほど単純ではない/17合理性、比率、相互関係をよく見る/18道を照らす影/19魔法の瞬間に近づく/20内なる力を引きだす
 私がこの本を「理解する」ことについての本だと考えたのは、たとえば、次のようなことが書かれているからです。
 読み書きの学習が言語システムの訓練に有効であるのと同じように、ものを見て描く学習は視覚システムの訓練に非常に有効であると考えています。だからといって、真偽のほどはともかく、視覚システムのほうが言語システムよりもすぐれているというつもりはありません。ただ、2つのシステムはまちがいなく別のものです。そして、両者が対等なパートナーとして訓練されたときに、一方の思考モードがもう一方のモードを向上させるのであり、2つのモードは強調して人間の創造性を開花させることができるのです。(9ページ)
こんなふうに「人間の脳が言語と視覚による複雑な二重機能をもつ」という考え方をベースにこの本は書かれています。そのことが「内なる創造性」を引き出す上で非常に重要だと著者は言っているのです。(この相矛盾するものの「二重」性が「創造性」を持つという考えは本書のバックボーンになっているようです。宮澤賢治のようでもありますが…)
 美術の本なので、いろいろな種類の絵を描くエクササイズがありますが、その一つに、画家の肖像画デッサンを上下逆さまにしてその絵を模写する、というものがありました。そして著者によれば、このエクササイズを体験した人々は、驚くほど、正確に模写するようになるというのです。。逆さまに描くと何がいいのか。著者は「ものを逆さまに」見ると、「ものどうしの結びつきがいつもとちがって見える」からだと言います。そして「上下を逆にすると、通常の位置では判然としないもの―部分や全体―がはっきり見えるようになります」と、このデッサンの意味を掘り下げた上で次のように言っています。
私の考えでは、逆さまに描かれたデッサンが伝えているメッセージは、あなたはすでに描ける人だということです。つまり、描く能力はあなたの脳のなかにあり、描くことに適した知覚反応をひきおこす作業環境がととのえば、いつでも使えるようになっているということなのです。(33ページ)
 「上下を逆」にするというだけでものの見え方が変わるというのはよく言われることではありますが(世界地図を逆さまにしてみたり、日本海中心の日本地図を見ていると、いろいろと発見があります)、そこに「描く」という体験を組み合わせているところが、この著者のすばらしいところです。上の引用の「描く能力はあなたの脳のなかにあ」るという認識が、この本のタイトルにもあらわれています。「創造性」は外から与えられるものではなくて、その人が自分の内側から「引きだす」ものなのだというメッセージがこの本を貫いています。世界も自分も、「描く」ことによって「見る」ことによってあたらしく「理解する」ことができるようになる、ベティさんはそういうふうに言っているのです。読者の私の脳が揺さぶられている、そんな思いでした。
 もう一つ。『理解するってどういうこと?』の「訳者あとがき」には、訳者相互のやりとりによってinsightという語の意味を深く考えたことを書きました。この本のなかに、それと同じようなことが書かれています。
 Insightという言葉を調べていると、いろいろと興味深い発見がありました。Intuitionのパートナーであるinsightはまさに、見ることや視覚にかんすることを指す言葉ですが、奇妙なことに、なにかを「見抜くこと(seeing into)」や「理解すること」といったように、「かならずしも視覚によらずに対象を見ることを意味しています。理解すること、「把握すること」、insightと同義語のdiscernment(見抜く力)、「視覚(あるいはその他の感覚器官)で見抜くこと」、「心のなかで理解したり認識したりすること」。これらの定義は、見ることと理解することの関連を示唆していました。つまり、意味の把握が創造性の重要な要素であるということです。(47ページ)
 この本でもinsightには「洞察」という日本語の訳があてられているのですが、『理解するってどういうこと?』では、その「洞察」ってどういうこと?というところから、訳者相互のやりとりが始まったのでした。やりとりの末「じっくり考えて発見すること」という日本語を使ったのですが、ベティ・エドワーズさんがここで考察していることは、日本語訳をめぐって訳者同士でやりとりして考えたことと変わらないことのように私には見えます。Insightの「意味を把握」しようとしたからこそ、『内なる創造性を引きだせ』の著者も『理解するってどういうこと?』の訳者たちも、「創造性」にとって何が大切かということを否応なく深く考えることになったのです。そして、あの日日本橋の丸善に立ち寄らなかったらこういう発見もなかったことでしょう。

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