Aimee
Bucknerの読書ノートについてのすばらしい本「Notebook Connections」の紹介が続いています。これを、作家ノートに応用することは容易だと思います。というか、そもそも彼女自身、あまりにも自分の作家ノートの実践がよかったので(それを、まとめたのが「Notebook
Know-How」)、それを読書に応用したという経緯ですから。ぜひ、原本および作家ノートの本をご覧ください。私のメモよりもはるかに多くの情報が入手できます。英語では、読みと書きの両方で、こういう紹介したくなる本が、少なくとも20冊前後、過去15年ぐらい毎年出続けています。
数字は、本のページ数。青字(斜字)は、私のコメントです。
第6章 教えながらの評価
113 テストと評価の違い
テストは、教え終わったときに行われるもの: 単元、学期、年度末(学力テストのように、それとは関係なく行われるものもある)
その結果が、受けた生徒たちにフィードバックされるのは点数だけで、さらによく学べる形では何も寄与しない。よくて、次の学年の生徒たちに対する教え方が変わるかな、という程度。しかし、1年後のことなので、変える必要性すら忘れてしまうので、結果的には同じことが繰り返されるだけ。
じゃ、テストはいったい何のために行われているの? 「評価するため」 それが、テストと評価は同じものとして捉えられる所以。 しかし、本当は違う。テストは学んだ結果を、ある時点で生徒が覚えていることを特定の質問の仕方で測ろうというもの。というよりは、「成績を出すための手段」 そのことを「評価」と捉えてきたが、「本当の評価」とは、日々行われるもの。「Sit beside」が評価の本当の意味。テストは、「生徒の隣に座る」ことはしない。ましてや、学力テストなどは出題者と子どもたちとの関係はまったくない。「Sit beside」の評価=「本当の評価」は、子どもたちの状態を把握し、それに応じて子どもたちが一歩前進できるようにするためのフィードバックを行うもの。つまり、子どもの学び方を修正・改善するもの。そのためには、教師の子どもへの接し方や教え方を修正・改善することが前提にもなる。それも、日々。これをするための一番いい方法がカンファランス(あるいはコーチング)。要するに、子どもと教師が話し合う方法。それも、教師はどちらかというと聞く方にウェートを置いた形で。そうすることによって、子どもの状況やニーズをはじめて把握することができるから。教えてばかりいては、子どもの状況やニーズに応じられないことを意味する。
114 評価は、一回限り(一発)でなく、「継続的」というのも大きな特徴。成長を時系列にしっかりと見ている。優れている(他の子どもたちのモデルになるような)点も、欠けている点(課題やニーズ)も見ている。前者はさらに伸ばし、後者は克服ないし改善するためのものが「評価」そうして集められたたくさんの情報は、「いま」私が教える際に役立てられる。しかし、テストはそんなことはいくらやってもしてくれない!!生徒たちは「いま」どこにいて、数週間前はどこにいて、どこに行かせたいかのイメージもあるから、一歩前進させるために何がベストかの判断ができる。その判断を助けるのが「評価」
目的を明確にし、それを達成するための方法も明確にする必要がある。生徒たちに責任と役割を委ねる前に。 ←この発想が大事だ。日本の教育の中にあるのかな?? 試行錯誤のアプローチの大切さを否定しているわけではなく、目的意識をしっかり持ってのぞむことが大切であるということが言いたい。
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115 読書ノートを使って達成したいこと の表
自問すべきこと それに対する私の反応
・カリキュラムの何を達成したいのか? ・登場人物、粗筋、背景
・登場人物の特徴と関係の把握
・7つの効果的な読み方を使いこなして読んでいること
・比較、対照
・テーマ
・比喩やたとえ
・書くことをどうサポートするか? ・鑑賞的、分析的、批判的に反応すること
・自分も使ってみたい言葉や文章をみつける
・これまでに紹介してきた活動を通して
・読書ノートの書き込む頻度は? ・週に2,3回
・自立性を養うために家で書き込めるように
・子どもたちの役割/責任 ・7つの効果的な読み方を使いこなしている証明
・熟考した本への反応
・自立した読み手として成長している証
このリストを見ていえることは、読書ノートから得られることの多さ。でも確認しておきたいことは、読書ノートはRW(読むことを教える)の中のごく一部に過ぎないということ。読むことの評価の中でも一部を占めるに過ぎないということ。
成績はつけないといけない義務がある。それをどうつけるかは教師に委ねられているのでありがたい。事前に、何をどのように評価するのかを知っていることで、子どもたちの成長に寄り添うことができる。 「教師が一生懸命にがんばって教えた後にテストする」という方法をとらなくて済む。 だからといって、すべて決め決めで臨むわけではない。すべては流動的なので。それは、どんなすぐれたレッスン・プランをつくったところで、子どもたちの反応によって臨機応変に計画は改められ、進む方向が変わることは余儀なくされる。そしてそれは、とてもいいこと。子どもたちの考えを無視して計画通りに進めることに、本当にそれだけの価値があるんだろうか? 評価も、それ(指導)と同じ。常に、子どもたちの考えやニーズに応じてベストに接することが求められる。それがresponsive teaching/assessment。
また、子どもたちを評価に参加してもらうことも大切にしている。決して、評価は教師が生徒に行うだけのものではない。どちらかといえば、生徒たち自身が行うウェートの方が多いと思うぐらいの方がいい。ゆくゆくは「自立した読み手」や「自立した書き手」になってもらいたいのだから、「自立した評価者」になってもらうことは、その不可欠な要素。それなくして「自立した読み手・書き手・学び手」になることは不可能。
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