今回は、理論というか原則的なことを。(しかし、見方を変えると、それは極めて実践的なことでもあります。)
Jane Hansen(当時、ニューハンプシャー大学教授)が、1980年代の中ごろ、読む教え方は相変わらず効果的でない授業(=今も日本では主流の教え方)が続いていたので、すでにWWの普及で書く授業は極めて効果的になっていて(=子どもたちは、読むことよりも書くことをはるかに好きになっていて)、その成功の要因を分析して選び出したのが、このメルマガ/ブログの初回に紹介した5つの要因でした。
彼女は、それを読む授業にも当てはめるべきだと、『When Writers Read(書き手が読む時)』の中で主張しました。
ハンセンの本が出版された同じ年の1987年には、中学校の教師のNancie AtwellがWWとRWの金字塔の一冊と言われている『In the Middle(すべての真ん中)』の初版を出版しています。彼女も、WWから実践し始めましたが、それがあまり効果的だったので、自分で読みに応用してRWをすでに実践していたのです。
ある意味では、研究者と実践者が、異なる立場からWWとRWに迫り、似たような結論に達した、と言えると思います。
このメルマガ/ブログの初回のコメント欄には、6つ目の要因として、「評価と指導」「自己評価と学び」の一体化が達成されている、を加えた方がいいと提案しましたが、アットウェルはそれを最初の時点から意識し、そして実現していたように思います。教え方と評価の仕方は連動していますから、切り離す方がおかしなわけです。
ここ1年半、私自身、これらの要因について考え続けてきました。今日は、7番目の要因として、「教師がモデルを示す」を加えたいと思います。
<メルマガの続き>
教師(や他の大人たち)がいいモデルを示す、という極めて効果的な教え方は、学校や家庭を含めて、社会全般からも減少傾向にあると言っていいぐらいです。子どもたちは、さぞ困っていると思います。こと勉強に関しては、教えられることばかりで、ぜひ真似したいと思えるようないいモデルが提示されないのですから。
多くの教師は、モデルを示す代わりに、がんばって教える方に時間とエネルギーを注ぎこんでいます。「教えなければいけない」や「教えたい」という気持ちが強すぎて(一種の職業病?)、その結果子どもたちが主体的に学ぶ時間を奪い去っています。それは、授業の中で誰がどれだけ話しているかを測れば簡単に明らかになることです。
そういう反省がWWとRWでは導入時からありましたから、教師が熱心に教えすぎることを防ぐために、前回も扱ったミニ・レッスンという枠組みで、教師が教える時間を最低限に縮小しています。それによって、子どもたちが主体的に書いたり、読んだり、話し合う時間を最大限確保しています。
WWやRWの場合は、教師が実際に書いたり、読んだりしているところをモデルで示せます。書くことは、①テーマ選び⇔②下書き⇔③修正⇔④校正→⑤出版のプロセスを順追って、しかも一つの作品が仕上がるまでをじっくり紹介したいものです。(図1を参照。)
図1では、サイクルで示していますから、何度も繰り返し、しかも異なるジャンル(学級通信や通知表の所見欄など常日頃書くものも活用しながら)で紹介できます。図では矢印は一方向のみにしか描かれていませんが、実際は逆戻りすることも見せたいです。また、それぞれのステップも一回限りでなく、数回繰り返し行われることも。ぜひ、いいモデルというよりも、普段しているモデルを見せてあげてください。
同じことは、他の教科にも応用できるのではないでしょうか? モデルを示すことは、教科書をカバーすることよりも、はるかに大事なことのような気がします。 教師が、作家や読書家としてだけでなく、科学者、歴史家、市民、数学者等になる体験をとして学び続け、かつ生活していることを。 そしてもちろん、いやいやしているのではなく、楽しくイキイキしているところを。
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