ニューヨーク・タイムスの名コラムニストであったデイヴィッド・ブルックスの『あなたの人生の科学』(夏目大訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2015年、上下2巻)もそんな本です。「認知革命」以後の脳科学の心理学の成果を踏まえながら、ハロルドとエリカという夫婦を中心に、誕生から死に至る人生におけるさまざまなシーンにおける問題が、具体的な場面をとおして分析・考察されていくのですから、思わず引き込まれてしまうのです。
たとえば「第15章 科学と知恵」は、夫ハロルドが博物館の学芸員として勤めながら、いつしかヨーロッパの文化の歴史の解明に取り組むようになる姿が描かれるのですが、いつしか著者の筆は人間の認識と感覚の問題に及び、「謙虚さ」の考察に及びます。
人間は「わからない」ことを嫌う。それで、解釈らしきものが目の前にあるとすぐに飛びついてしまう。「わかった」ことにしたいからだ。(中略)恐怖に駆られれば、人は恐怖を早く消したいと望む。早く「わかった」状態になりたいと望むのだ。どうなった時に勝つことができ、どうなった時に負けてしまうのか、そのパターンを知りたいと望む。パターンさえわかれば恐怖から逃れられるからである。/ここで言う「謙虚な」態度とは、この「わからない」という状態に耐える態度である。賢く謙虚な人は物事を急いで理解しようとせず、自制することができる。ジョン・キーツの言う「消極的能力」を持っているのだ。消極的能力とは、不確実なものや未解決なもの、疑わしいものをそのまま受容できる能力のことである。いら立って無理に論理的、合理的な解釈を与えて終わらせようとはしない。(『あなたの人生の科学』[下]99-100ページ)
そして、「謙虚」な人がどのようにその「消極的能力(negative
capability)」(「ギリシアの壺に寄せて」 (1819)の詩人ジョン・キーツがうみだした概念)を発揮するのかということについて、次のような考察が続きます。
謙虚な人は、自分がどういう誤りをしやすいかを知っていて、常に警戒を怠らない。そして、無意識の知覚にも絶えず注意を向けている。仮説を立てることはあっても、それを普遍の法則だとは考えない。新たな情報を基に絶えず仮説を更新する用意がある。いつまでも探求をやめないし、得られた情報にすぐに解釈は加えない。いったん奥にしまっておき、熟成を待つ。色々なことを同時に検討するだけでなく、一つのことを様々な角度から見る。それも、ただ見るのではなく、じっくり見る。しばらくある角度で見たら、ゆっくりと角度を変えて、またよく見るのだ。たとえ同じ人間であっても、いつも態度が同じとは限らない。だから、状況が変わった時は、すでに知っている人も知らない人と同じとみなす。行動も考え方も、生き方も笑い方もすべてが変わるという前提で見る。本人も気づかない間に、日常生活のあらゆるパターンが新しいものに変わってしまうかもしれない。そのつもりで観察する。もちろん、表面と内面の両方を見る。( 同書、101ページ)
これが「不確実なものや未解決なもの、疑わしいものをそのまま受容できる能力」の発揮の仕方です。けっして特別なものではないのですが、「わかった」立場で物事に対するのとどこが違うのかと言えば、それは「無意識の知覚」にも絶えず注意を払っているということです。氷山の水面下の部分のように、私たちの認知活動を支えている要素に配慮するということなのです。
『あなたの人生の科学』は、ハロルドとエリカの人生の岐路で生じる問題を、このように、科学の知見を使いながら考察していく本ですが、私たちがどのように生き、人生を終えればよいのかを考えるという目的意識に貫かれていますから、難解ではありません。心理学も哲学も脳科学も、そもそも人生の解明のために始まった学問のはずです。だからおもしろい。『理解するってどういうこと?』も、訳者たちが日本語タイトルとして選んだこのジャミカの質問が、根源的だったからこそ、読んで「わかる」ことの解明にとどまらず、人生を「わかる」ことの探究につながる本になったのだと思います。ブルックスの本からの引用を読んでいただくとわかるように、わかろうとして思い悩み、もがくことによって、その人の人生の哲学がつくり出されるのですから。
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