2025年6月27日金曜日

作家の時間で自己表現「『推し』の魅力を伝えよう」ユニットを振り返る

(全ての人物の名前は仮名です。学習場面にも、ある程度のフィクションが入っています)
(全く関係ないですが、尾瀬の写真もお楽しみください)

特別支援学級から一般学級へ


 久々のブログへの投稿になります。昨年度は特別支援学級で行う作家の時間について、具体的な事例を織り交ぜながら、実践を紹介させていただきました。一般学級の子どもへの視点とは違った角度から子どもを捉える経験を積ませてもらえたと思っています。ぜひ、今年度から特別支援学級で書くことを楽しむ教室を作りたい方は、こちらのブログから検索をかけていただければ、実践をご覧いただくことができます。是非ご参照ください。


 今年は久々に一般学級の6年生の担任をしています。コロナ元年からはずっと特別支援学級担任だったため、過去に取り残されていた感覚があります。コロナ前とコロナ後では、大きな体制から些細な方法までたくさんの変更があり戸惑っていますが、タブレット時代になったとしても、やっぱり自分には拡大コピーやホワイトボードなど、アナログが好きな自分に改めて気付かされています。特別支援の深く濃密な関係作りから、一般学級の膨大な児童情報の洪水へと一気に環境が変わり、目が回るような毎日ですが、なんとかがんばっています。

(日本三名爆に入ることもある三条の滝)



「推し」の魅力を伝えよう


 さて、一部教科分担制ということで、今年度は6年生の全クラスの約週1時間を担当することができました。学習指導要領や私の引き出し、行事や子どもたちの実態などを総合して、年間のカリキュラムを編成しています。もちろんその中には、作家の時間も含まれています。そこで、「『推し』の魅力を伝えよう」というユニットを実践しましたので、それを紹介したいと思います。
 子どもたちの生活や文化の中で「推し」はその一部になっています。それが自分を構築するセルフイメージやアイデンティティの一つとなっている子も多く、大切なものです。それを作家の時間の軸として扱いました。作家の時間の魅力は、子どもが本気で取り組むこと、そしてその本気で取り組んだ作品は、子どもたち自身が凝縮されていて、それを通じて教師とつながったり、アセスメントを深めたりすることができます。この学年の子たちを初めて受け持つので、私にとってはメリットの多いユニットになりました。
 作家の時間の作品の読者は、6年生全体と設定しました。6年生の多感な子どもたちが自分をしっかり出せるように保護者は入れず、全クラスの6年生、約100人という設定です。子どもたちも自分の「推し」を心ゆくまで表現できることから、教室はワクワク感でいっぱいになりました。(普段は学習とは関係ない「推し」を検索することは注意を受けてしまいますが、学習の中で堂々とできるのでそれも楽しかったようです。)

 学習スケジュールは、全5回。ミニ・レッスンのシリーズは
①作家の時間の構造
②テーマの設定(どの程度具体的にするか)
③話し言葉ではなく書き言葉(「すごい」って何?)
④主語と述語(あなたしか分からない自己満足な文章)
⑤読者に届く効果的なタイトル
のようにしました。(子どもたちの様子から事前に立てた計画から調整をしました。)
 本来の作家の時間であれば、複数の作品を書くことができるぐらい余裕を持って行うことができますが、このスケジュールでは、やはり一人1作品になりました。
 すべてタブレット端末で「ひたすら書く」を行い、出版もタブレット端末上から読んで、ファンレターを送るシステムになっています。私にとってははじめての、全てタブレット端末で完結する作家の時間の実践になりました。

(たくさんの水芭蕉。今年の尾瀬沼は雪が多く降ったことで、水芭蕉が例年にも増して群生してるそうです)



成果

「推し」を通じて、自分に気づく


 とにかく、8割の子どもは熱中して取り組みました。子どもたちの「推し」は多岐に渡り、アニメやゲーム、芸能人やミュージシャンはもちろん、レストランや食材、動物、歴史上の人物など、いろいろなジャンルが挙がりました。多くの子どもたちは書きたいものをすぐに決定することができるのですが、その後立ち止まります、「あれ?どうして好きなんだろう?」という問いが生まれるのです。
 普段自然と感情が動いて「推し」と認識しているので、いざ言葉でなぜ好きなのかと問われると、言葉にすることに苦労する子は多くいました。この問いと立ち向かえた子は良い作品を残せています。(一方で、この問いから逃れようとすると、情報に偏った紹介になり、魅力を伝えるというテーマから外れたものになってしまいます。課題参照)
 漫画『ONE PIECE』を推している子どもは、よく考えた結果、登場人物が発する名言が好きだという結論になりました。絆を大切にする言葉を例に挙げて、「もう涙が出ちゃう」と泣きながら書いていました。また、「トランスフォーマー」の熱をすごい勢いでぶつけてくる子もいます。私は少ししか知らないのに、熱っぽく「読んでくれー」と切望してきます。この子は「大好きな乗り物や動物の形が変わる」ということが、好きな理由なのだそうです。子どもたちの「推し」への思いは計り知れません。
 一方で、特徴的な子もいます。「好きなものがない」「好きなものを出したくない」という子です。私が一緒に考えても、友達が(結構強く)励ましても、一向に好きなものを決めることができません。友達が「そんなんでいいのかよー! 好きなものないなんて、寂しすぎるぞ!!」と言われても、「うーん」と濁した返事を繰り返します。同じようなケースで、「好きなものを出したくない」という子は、自分のイメージが崩れるからか、本当に好きなものは書けないと言います。他のものを書くことで妥協しましたが、高学年ともなると、やはり、自分の好きなものを表明した時に、周りの友達からどのように思われるか、とても気になるようです。対人過敏の子にとって、推しを他者の視点にさらすことを不安に感じるようです。そのような子が、自分の好きと向き合って悩むこと自体が、自己理解を深める成長のチャンスであると思っています。作品の完成のために無理に書かせててしまうことがないよう、気を配りました。

 「推し」を通じて、人と繋がる


 4月から出会った私と子どもたち。まだ関係を厚く結ぶことができていません。しかし、子どもたちの「推し」を通じて、会話を始めたり感想を交流したりすることで、関係を深めていくことができたのが大きな成果でした。私は子どもたちが教えてくれるミュージシャンやアニメを、短時間ですが、自分で調べたり子どもたちから教わったりすることで、先生と子どもが同じ土台で会話をすることができます。そこから、コミュニケーションの糸口が見つかり、その子の人間らしさを垣間見ることができます。今年のクラスの子どもたちの傾向なのか、コロナ後の子どもたちの一般的な特性なのか分かりませんが、授業の中では教師と子どもの関係は保ちつつも、1:1の関係では、こんなおじさん先生とも、友達感覚で接してくるフラットな関係を望む子どもが多い気がしています。私もそれをカンファランスの中で受け入れ、好きな気持ちを一緒に共感する場を作ることができました。「学習を通じて子どもを理解する」という視点は、私が大切にしている点であり、作家の時間の大きな魅力の一つであるように感じています。
 また、今年度から初めて同じクラスになった子ども同士のコミュニケーションのきっかけとして、「推し」が生かされています。「沼」という言葉を使って、推しのカテゴリー分けをしているのですが、たとえば「アーティスト沼」の中に、Mrs. GREEN APPLE推しが何人かいると分かると、「何の曲が好きなの?」と会話が始まります。教師と同じように、子どもたち同士もコミュニケーションの糸口となっているのです。昔は、子どもならば誰でも好きというものがありました。例えば、私の時代であれば「ドラクエ」や「ドラゴンボール」だったのですが、今はそのように一括りにはできそうにありません。Youtubeでもその子の趣向に合ったリコメンドがありますし、音楽などもサブスクで聞いていると一つのアーティストが好きという思考にはなりづらいのかもしれません。友達の好きなものと自分の好きなものの共通点が見つけづらい社会になっているように思います。だからこそ、「推し」を学校の中で伝え合う活動が、人間関係の最初の一歩を踏み出せるきっかけになれたことが、私としてもとても嬉しい思いでした。

課題


情報の羅列になってしまう子がいる


 子どもたちは書いているうちに「『推し』の魅力を伝える」という目的を見失ってしまうことがあります。例えば、ONE PIECEの魅力を伝えるという目的が、ONE PIECEのキャラクターの図鑑作りのようになってしまったり、スプラトゥーンの楽しさを紹介することが、いつの間にか、攻略情報ばかりになってしまったりするということです。気づくと、情報ばかりの大作ができあがっていることもあり、カンファランスのタイミングの遅れを感じることもありました。
 最初からテーマ自体を理解できていなかった可能性もありますが、私は大方の子はそれができていたと考えています。書いているうちに図鑑作りや攻略情報の方が楽しくなってしまい、コントロールを失っていきます。この情報に偏重した文章ではたくさんの読者に届かないですし、新しいファンを増やすこともできません。相手意識が希薄になっていってしまう子がいました。
 また、「私はなぜ『推し』が好きなのか」という問いから避けようとして、作品の中に自分の存在を消していくような心の動きがあるように思います。昔の子どもも今の子どもも同じですが、自分の気持ちを表現することや、どうして自分の気持ちが動いたか理由を考えることは、あまり得意ではありません。感情を表す言葉を獲得できていないという問題もあるでしょうが、視点が自分の内側に向きにくい(メタ認知の視点の未発達)点もあるように思っています。また、情報を多く持っている方が優れているという感覚も子どもの中に確実にあります。確かに情報は大切ですが、自分と「推し」との関係について掘り下げるための支援をもっと想定していなければなりませんでした。
 また、タブレットで書くということが、すぐに検索できるという環境であるために、自分との対話から外れやすくなっていく側面もあるように思います。コピー&ペーストがしやすくなっているので、安易に文章を仕上げてしまいたいという気持ちをもちやすい環境になっているのかもしれません。あらためて、書くという学習が、読者との対話、自分との対話が大切であることに気付かされることになりました。
 自分の作品への熱量は高いものでしたので、子どもたちは夢中になって取り組んだことは事実です。それを目的のために調整する振り返りや、事前のアセスメントの中でそれを想定して支援していくことができれば、さらに読者に届く文章がかけたように思います。次また同じようなユニットを作ることができたならば、そこに配慮できたらと思っています。

まとめ

自己表現をする機会の中で、効果的な表現方法を学ぶ


 今年は全クラスに週1時間程度入って国語の授業をしています。その中で、書くことだけでなく、詩や読書、書写なども織り混ぜて指導しています。その中で私は、自己表現をする機会をできるだけ大切にするようにしています。
 例えば、書写では一般的に同じ字を使って指導しますが、4月の当初は「今年の目標を表す一字」というテーマで行いました。どの字を選び、どんなことに気をつけて書くのか、子どもたちが決められるようにし、お互いに成果を見せ合って6年生をスタートさせました。詩では、教科書教材にも採用されている独楽吟を使って、自分自身の小さな幸せについて、短歌の形式で表しています。
 なぜ自己表現を大切にするかと言えば、繰り返しになりますが、「学習を通じて子どもを理解する」という視点を重視しているからです。子どもの力を伸ばすという視点ももちろん大切ですが、それは子どもの好きなことや得意なことを理解した上で、その子どもに合う教え方学び方を提供できれば、もっと意欲的に安心して学ぶことができるはずです。また、学習の効果は、教師と子どもの関係性などの環境に大きく依存します。人間関係が悪くなれば、良い学習を設定しても子どもたちは不安に煽られて良い学びができません。遠回りのようですが、子どもを理解し、関係を結んでいくということが、回り回って安心して学べる環境作りになり、子どもの力を伸ばすことにも通じるように思います。

 今後も、読書や詩、そして作家の時間を使って、子どもたちの自己表現を後押しするような授業を計画しています。またこちらのブログで、私自身の振り返りを含めて、お伝えできたら良いです。


(尾瀬沼に写る逆さ燧ヶ岳)

0 件のコメント:

コメントを投稿