『理解するってどういうこと?』の第1章で、小学校2年生のジャミカの質問を受けた後、エリンさんは「理解」について再考し始めるのですが、そのときに「理解することとは、知的能力が発達することと同義である」ということに気づきます。それがどういうことか説明するために、エリンさんは自分自身の知的な体験の記憶を次のように語っています。
「私は、高校生のときにアメリカ史の授業で死刑制度についての研究プロジェクトに取り組む課題を与えられたことがあります。私は、数十もの資料を使って、幅広い背景と年齢の人々にインタビューを行い、いろいろな州の法律を調べて、自分自身がこれまでにもっていた価値観や考えていたことをもうこれ以上は無理というまで掘り下げました。いろいろな疑問やイメージで頭のなかがいっぱいになって、夜中に目を覚ましたり、この問題についての話に友だちや家族を長々とつきあわせたりしながら、自分の考えを繰り返し修正したのです。そして、クラスメイトに自分の考えを披露し、主張したことを正当化しなければなりませんでした。クラスメイトたちは質問や難題を浴びせてきました。私の発表が終わって、レポートを提出した後も、私はまだそのテーマに終止符をうつことはできませんでした。頭のなかはずっと揺さぶられ続け、この答えの出ない複雑な問題にもがき続けたのです。自分の成績がどんなものだったかは思い出せませんが、知的な取り組みに高揚感を覚えたのは確かです。その私の満足感は、内面的なものでした。外部から与えられるどんな報酬も、細切れの情報をつなぎあわせてパズルを解いていったこのときの興奮にとってかわることはできないでしょう。この死刑制度という複雑な問題を理解できるようになったことによって、私はもっと多くのことを知りたくなりました。」(『理解するってどういうこと?』9ページ)
「答えの出ない複雑な問題にもがき続けた」ことで自分の「内面」に「高揚感」「満足感」「興奮」を覚えたエリンさんにとって、「成績」という「外部」からの価値づけは関心の外であったと言ってもいいでしょう。だから「よく覚えていない」と語っています。このプロジェクトで一番いい成績だったというような回想ならおそらくその結果が書かれることになります。ですから「よく覚えていない」なのです。その代わりにここでは、プロジェクトに取り組んだ自分自身が、何をやったか、他の人の反応はどうだったかという過程が克明に書かれています。これは、エリンさんのこの学習の過程で他の何ものにも替えることのできない「内面」の報酬を得たことをあらわします。この引用の後に「もっと多くのことを知りたくなりました」とエリンさんは続けています。知的な探究心がどのように芽生え発展してくのかということを伝え、知的な探究がいかにそれに取り組んだ者の自己効力感を高めるのかということを教えるエピソードでもあります。
ロン・バーガーさんの『子どもの誇りに灯をともす―誰もが探究して学びあうクラフトマンシップの文化をつくる―』(塚越悦子訳、藤原さと解説、英治出版、2023年)には、エリンさんが経験したような学びの高揚感や達成感や興奮を覚える子どもたちの姿がたくさん描かれています。その一つ「水の学習」プロジェクトで、大学生とともに近隣の小川や井戸の調査研究に協働で取り組んだ子どもたちは、ロンさんを驚かせる「成長ぶり」を示します。プロジェクトに参加した生徒の母親の言葉はロンさんに言います。「私の息子は変わりました。いくらテストの結果が振るわなくても、息子は自分が勉強のできない生徒だと思わなくなりました。あのプロジェクトを成し遂げたのだから、自分にはそれだけの能力があると信じているのです」と(『子どもの誇りに灯をともす』180ページ)。
おそらくこの生徒もエリンさんと同じく「内面」で知的な高揚感や達成感や興奮を覚え続けたのでしょう。それがあるから、外部からの評価を気にしなくなった。そして自らの知的発達を確信することができたということでもあります。
『子どもの誇りに灯をともす』のなかで、もう一つ興味深かったのは、208ページから始まる「ある教室のストーリー―教えるためのインスピレーション―」です。「がっしりとした筋肉質の大柄な小学6年生」である「バディ」という男子生徒と並んで歩くシーンから始まりますが、「バディ」を含めた小学生たちと「旧鉱山」に出かけて、岩石採取をするプロジェクトの描写です。「旧鉱山」には洞窟もあったので、そこでも色々な石を採取します。学校に戻ってから、洞窟での体験をもとづいてマーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』の洞窟のエピソードを読み直して、洞窟地図をつくったり、また洞窟を素材にした短篇小説を書いたり・・・というふうにこのプロジェクトは続いていきました。
「手のかかる」生徒だった「バディ」も、こうした野外での活動には熱心に取り組んだようです。他の生徒たちもそうでした。感心するのは、一人ひとりの生徒たちが自分の「得意」や「興味あること」を見つける手がかりが随所にあるプロジェクトだというところです。また、体験と言葉を結びつけることが組み込まれているというところにも目を引かれました。体験して考えたことを表現する手立てをもつことができるからです。
エリンさんは「死刑制度」の研究プロジェクトに参加する過程で、知的な高揚感と興奮と達成感を覚えました。ロンさんの生徒たちはプロジェクトに参加する過程で知的な発達を見せました。どんなに小さなものでも入り口を見つけて、そこに入って見つけたものにこだわって探究し、仲間とやりとりしながら、何かをつくり上げる過程で達成感を覚えるからこそ、その後生きていくうえで重要になる自尊心がうまれるのだということを、二人の言葉は教えてくれます。深いレベルで学ぶ喜びを味わう道を。
★うかつにも、『子どもの誇りに灯をともす』は「PCL便り」の2023.7.24でも取り上げられていることに、上の文章を書いてから気づきました。引用した生徒の母親の言葉が一致しています。あの言葉はそれぐらいインパクトがあります。
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