「作家の技」を学ぶ
『理解するってどういうこと?』の「表6・2 読み・書きを学ぶ際の主要な構成要素」という表の下部には、「目的に応じてさまざまなレベルの本や文章を用いる」ことが書かれています。「さまざまなレベルの本や文章」は大きく二つに分けられています。「基礎的なことを教えるための本や文章」と「より難しい本や文章」です。エリンさんは「ひたすら書いたり、読んだりする時間に、子どもたちにとって、難しいかもしれない本や文章に彼らが取り組むこと」を提案しています。そして、次のように言っています。
そういった本や文章は、あなたが既に読み聞かせしたことのある本や文章であるべきです。とても短いものか、少し長い本や文章から一部を切りとったものになるかもしれません。そしていくつかの課題をあたえるのがよいでしょう。たいていの場合、子どもたちが「フラストレーション」を覚えるレベルの本や文章だと思うとき、たくさんの見知らぬ言葉や、長く複雑な文があって、情報が詰め込まれた本のことを思い浮かべます。子どもたちにとって挑戦となる本や文章に取り組ませるべきだと提案するのは、何もそういったタイプの本や文章を使うべきだと言っているのではないのです。(中略・改行)興味深くて、子どもたちの関心に応えるもので、刺激的なアイディアを示してくれる本で、子どもたちはさまざまな理解のための方法を使ったり、ブッククラブやその他の共有の形態を通じてほかの子どもたちと話し合ったり、一番関心を持ったところをより深く読んだり、そして、深い認識方法(意味づけ、関連づけ、そして、優れた読み手・書き手になる)を練習したりできます。子どもたちはテーマやジャンルや文章構造についての背景となる知識をもてた場合には、むずかしい本でも読むことができるようになります。(『理解するってどういうこと?』223ページ)
この引用文の最後は、「テーマやジャンルや文章構造についての背景となる知識」をもつことが「より難しい本や文章」に取り組むエネルギーを子どもたちにもたらすというふうに読むことができます。確かに表6・3の「より難しいや文章を使ってすること」には「作家の技を学ぶ」や「作品構造を分析する」ということもあげられています。
理解する力を高めるために難しい本や文章で「作家の技を学ぶ」ことがなぜ大事なのか、どのように学べばいいのか、ということはこの本を訳している時から疑問でした。編集者としての経験をいかして書かれた、佐藤誠一郎さんの『あなたの小説にはたくらみがないー超実践的創作講座』(新潮新書967、2022年)にはその疑問にこたえるためのヒントがあります。
佐藤さんの本は、小説を書こうとする大人向けの入門書として書かれています。読者に面白さを体験させるために何が必要なのかということを、いくつもの小説作品を取り上げながらわかりやすい言葉で届けてくれます。たとえば「意外性」について、次のように書かれています。
意外性とは、つまるところ、著者の言いたい本当のところを読者に納得させるための「選出」なのだ。演出のなかで最も効果のあるもの、それが「意外性」なのだ。
人間はつねに新しいもの珍しいもの意外なものを求めて彷徨う生き物だから、新しさと意外性がセットになって読者を攻撃するだけで、読者は白旗をあげて降参してしまう。
小説における最後のクライマックスでこの「意外性」が発揮されるのは、その時テーマが本当の姿を見せるためなのだ。(『あなたの小説にはたくらみがない』56ページ)
読者が「意外性」を覚えるような工夫の積み重ねが、その小説の読書体験を左右するという指摘です。佐藤さんのこの本の魅力は、小説を書く側が読者の読むプロセスをどのように演出するかということの重要性を繰り返し語っているところにあります。それは「テーマ」について書かれているところにも次のようにあらわれます。
小説における「動機」は、作家がオリジナリティを発揮できる最大級のポイントであり、「テーマ」に直結して最後のクライマックスを盛り上げる橋頭堡のようなものだ。世に言う「テーマ」とは、動機をきっかけに始まる行為全体を、あらためて意味づけし、読者が我がこととして感じられるよう一般化してみせることだと思うが、その成否の大部分は、この「動機」にかかっていると思う。(『あなたの小説にはたくらみがない』133ページ)
「作家の技」と言えば「いかに書くのか」ということを中心なのだろうと私などは考えがちですが、佐藤さんがここで述べているのは「なぜ書くのか」の重要性です。そこにこだわらないと、書き手が読者に訴えたいこと(テーマ)は伝わらないというのです。そして読むプロセスを能動的にするのが作品に仕掛けられた「予感」をいざなうことでもあるとも述べられています。
どんなジャンルにせよ、予感が書ければ、その作品は半ば完成したものとさえ言えるのではないだろうか。予感の件りが心の中に出来上がっているということは、その先の中核部も見えているはずだからである。(『あなたの小説にはたくらみがない』161ページ)
読む行為を推進するのは「予覚と保有の弁証法」だと説いたヴォルフガング・イーザーの『行為としての読書―美的作用の理論―』(轡田収訳、岩波書店、1982年)の読書行為論と呼応するような言葉でもあります。佐藤さんは読者が「予感」を重ねて読む作品のモデルとして、ヘンリー・ジェイムズの作品を取り上げていますが、イーザーも読書行為の能動性を説明する素材としてジェイムズ作品を取り上げています。書くことと読むことが同じ軸を共有する両輪であることを実感できる考察でもあります。
佐藤さんの本の第九章には、安部龍太郎という作家の『冬を待つ城』という時代小説の創作過程がとても詳しく分析されています(詳しく知りたい人は是非佐藤さんの本をお読みください)。
視点人物を誰にするか、それは一人なのか複数なのか。一人称と三人称のどちらがこの作品に相応しいのか。テーマの深化を演出するためにどんな構成にすべきなのか。話の順序をどうすれば面白さを最大化できるのか、つまり、時系列をどう動かすべきなのか・・・。(『あなたの小説にはたくらみがない』186~187ページ)
プロの作家が一つの小説をつくり上げるときにどのように頭と心を働かせるのかということを明快に可視化しています。それを読む私も書けそうな気になりかけますが、それは無理なことでしょう。しかし、少なくともフィクションを書くときに「作家の技」がどのように行使されるのかということを知る貴重な文章です。エリンさんが言う「作家の技を学ぶ」ことがなぜ理解するために重要なのかということを教えてくれました。そして「作家の技」を学ぶことはひたすら読む時間にその本や文章を深く理解するために必要で、ひたすら書く時間で文章をうみだすときに何を考えればいいのかということも教えてくれます。『理解するってどういうこと?』を訳している時に私の頭に浮かんだ疑問に答えを与えてくださった佐藤さんのこの本に感謝したいと思います。
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