『理解するってどういうこと?』の第7章には「自分たちの考えと知識が発展していくさまを描くことのできる子どもたちでいっぱいの授業の特徴」が七つ示されています。そのなかに、読み直すこと(再読)にかかわる項目がありました。
「・教師は、意図的に読み直すモデルを示したり、すでにもっていた知識や考えや意見を確認したり、発展させたり、修正したりするのに、読み直すことがどれほど威力があるかを示している。教師は、子どもたちも読み直しをするように促している。」(『理解するってどういうこと?』255ページ)
「読み直す」(再読する)ことは、自分の「考えと知識が発展していくさまを描く」ことと縁がないように思えるかもしれませんが、ここでは「読み直すことがどれほど威力があるか」を教師が示していることが「自分たちの考えと知識が発展していくさまを描く」うえで大切な条件になると書かれています。
最近刊行された永田希さんの『再読だけが創造的な読書術である』(筑摩書房、2023年)には、再読することが重要な理由について、こう書かれています。
「再読――つまり書物を繰り返し読むと、最初に読んだとき(あるいは何度目かに読み返したとき)と次に読むときとのあいだに、ほかのことを読者が経験する時間がさしはさまれることになります。ほかの本を読んで知識を得たり考え方が変わるということでもいいでしょうし、体調が変わるだとか、住んでいる地域の季節が変わるだとか、学校や勤め先の環境が変わるということもあるでしょう。人間関係で新しい友人知人ができたり、あるいは関係が悪化したり、誰かを亡くしたりする経験もあります。
そういった経験がさしはさまれることで読者自身が変化して、それからかつて読んだ本を読み返すとき、人間の基本機能である「自分に都合の良いことだけを読み取る」が働いたとしても、かつては自分の状況が変化しているので、以前には気づかなかった部分に意識がつけられる可能性があります。
読書や再読を繰り返すうちに、自分の読み取れる内容が変化することにも繰り返し気づかされることになります。読書に慣れ、再読に慣れるとは、書かれていることが変わっていないのに、読むたびに読みとられる内容が変化することを知るということでもあるのです。
かつて読んで意味不明だった部分について、前よりもわかるような気がする場合にかぎらず、以前にわかったつもりになっていた部分がわからなくなってしまう場合もあります。ここで自分の頭が悪くなったと考えるのは、ときには正しい場合もあるかもしれませんが、ひとつにはかつてわかったつもりになっていた部分について解像度が高まった結果として理解困難な部分に気づけるようになったのかもしれません。初読時に「簡単なこと」として読み飛ばしていた箇所について、より精確に近い読みかたができるようになったということです。」(『再読こそが創造的な読書である』73-75ページ)
永田さんの言う「読むたびに読みとられる内容が変化することを知る」ことはとても大切です。「読み取られる内容が変化する」ということは、本や文章そのものが変わるということではありません。繰り返し読むことによって、読んでいる自分自身が「変化」したということを「知る」ということでもあります。「再読」とはそのように読者自身を「再読」することなのです。そうした「変化」を実感した時にこそ、いま読み直している本や文章が読者自身にとってかつてないほど面白く思われるのです。だからこそ永田さんは「再読」が「創造的な読書術」であると言っているのです。
永田さんは何かを理解することの本質を言い当てているように思われてなりません。既にわかっていることとは違ったことに気づくためには、わかったと思っている自分自身の見方や考え方が変わる必要があるからです。わかっていることが実は何もわかっていないのだというつもりで対象を捉えなおすことから、豊かな理解が生まれると言っているように思われてなりません。永田さんの言うことを、どのようにすれば私たちは実感することができるのでしょうか。
エリンさんは次のような問いを日々自らに問うべきだとも言っています。
「さまざまな本や考えに自分たちを変えてくれる力があることを、私たちは子どもたちにはっきりと伝えているでしょうか? 自分がこれまでもっていた力を修正し、新しい考えを受け入れた大切なプロセスを、子どもたちのためにはっきりとモデルとして示せているでしょうか?」(『理解するってどういうこと?』257ページ)
本や文章を読むことについて書かれていることは確かなのですが、それにとどまりません。本や文章にかかわりながらそれらが「自分たちを変える力」を持つという実感をどのように持つことができたかということを共有することは、本や文章の面白さを各々の読者がどのように発見したのかを知ることでもあります。それは、本や文章やものごとに対する自分自身の好奇心を発見することでもあります。対象との「エンゲージメント(engagement)」を高める、すなわち本や文章やものごととの結びつきを強めるためには、対象にかかわる自分自身がどのように「変化」したかを見極めるやり方を共有することです。
そのための方策の一つが『理解するってどういうこと?』には書かれています。
「たとえば、「今日はグループで、この本のなかで一番大切なことを見極めてください」と言うかわりに、「イブ・バンティングの『スモーキー・ナイト』について、何が大切かを見極めることは、人々について、あるいは人々のあいだの争いについて、今までとは違って考えさえたのは何かを判断するのにとても助けになるツールです」あるいは、「まずは、この本のなかで一番大切なことは何なのかについてグループで話し合ってください。その後で、それらのことが、自分たちがこれまでに知っていたり、思い込んでいたりしていたことをどういうふうに変えたのか話し合ってください」、「自分の本を読みながら、ノートの2つの欄の左側には自分がその本で大切だと思うことを書き出してください。その右の欄のほうには、『スモーキー・ナイト』で起こったことについて考えたことや、感じたこと、思い込んでいたことを、左側に書き出した大切なことがどのように変えたのか書いてください」と言うことができるでしょう。
このような投げかけ方を少し変えるだけで、まったく異なるレベルでしっかりと考え抜いた発見や理解を促進していくことができるでしょう。」(『理解するってどういうこと?』256ページ)
このような「投げかけ方」の工夫によって、『スモーキー・ナイト』を再読することができます。そして、「読み直す」(再読する)ことで、『スモーキー・ナイト』のどこが大切だと一人ひとりが考えたかを知ることができ、それだけでなく、一人ひとりが捉えた「大切だと思うこと」によって各々がどのように「変化」したのかを知ることができます。再読しながら「自分たち」がどのように変化したのかを知ることで『スモーキー・ナイト』への「エンゲージメント」が高められ、「面白さ」を見出す道を知り、「しっかりと考え抜いた発見や理解」を手にすることができるのです。
おそらくこれは、本や文章を読むことだけにとどまりません。
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