2019年1月12日土曜日

「私のことを正直に話します」で始まる『イン・ザ・ミドル』の初版と第2版

 教師が前に出て、クラス全員を一生懸命(かなり強引に?)引っ張ろうとした授業を行ったある日。終了したあとに、学習者の一人が「早すぎて、作業がついていかなかった」というようなフィードバックをくれました。学習者のことがちっとも見えていないと、その日、つくづく思いました。

 その日の夜中、ふと目がさめたときに、急に『イン・ザ・ミドル』の初版、第2版は「私のことを正直に話します」という衝撃的な文★で始まっていることを思い出しました。「私のことを正直に話します」という文のあとに続くのは、教室の中で起こっていることに目を向けない教師の姿です。

 「教室の中で実際に起こっていることから学ぶことは一切なく、自分の組み立てた授業だけに目を向けていたのです」と、第2版の第一段落が締めくくられます。(第2版、3ページ)

 『イン・ザ・ミドル』の著者はナンシー・アトウェル。2015年のグローバル・ティーチャー賞も受賞した優れた実践者です。アトウェルのような優れた教師でさえも、(優れた教師だったからこそ?)「机上で周到に準備した授業を、学年が終了するまで、計画どおりに行うことに明け暮れていました」(第2版、3ページ)という日々だったようです。

 『イン・ザ・ミドル』の初版、第2版は邦訳がありませんが、邦訳が出ている第3版(『イン・ザ・ミドル』、三省堂)は、40年間学び続けた教師アトウェルが、第3版執筆時の「ベストの実践」を描いています。第3版は、「生徒に期待すること、私(=アトウェル)が実演すること、見本を示すこと、選択の大切さ、利用可能なリソース、ワークショップでの約束、ルーティン(日常的にいつもしていること)、助言、留意点、考え方や計画、観察の仕方や話し方など」(3版、邦訳17ページ)、アトウェルが得てきた、すべてのベストを、惜しみなく記してくれています。

 この第3版が、初版、第2版の延長線上にあることを思うと、二つのことを改めて感じます。

 一点めは、第2版の最初で描かれる「自分がつくった創造物(授業)を滞りなく行う教師」から、それを捨てて学ぶ過程があることです。「この過程で身を切るような思いになるのは、自分がよいと思ってつくってきた授業が、子どもたちが読み手・書き手として成長することの妨げになっていることに気づくときであり、そのときには、前に進むために私の創造物を手放すことが必要になります」(2版、4ページ)という時間でもあります。

 二点めは、第3版は「自分が最善の授業だと思っていることは、常に変わり続けるだろうし、それは変わり続けるべきものだ、ということを進んで受け入れてきた」(2版、4ページ)延長線上にある「現時点のベスト」だということです。「これ以上、手を加えられない完成品」ではなく、教師への「招待状」(3版、邦訳16ページ)であるからこそ、3版でも、「矛盾に直面したり」、「パッとしない体験」(3版、邦訳25ページ)なども含めて、教師が学ぶ、教師としてのライフ・ストーリーを語ってくれている気がします。2版でも、教師に対して、次のような招待の言葉が書かれています。

 「この本を手に取ってくださった先生に、教師用の机から動かずに、授業をつくることから、教室の中で学ぶことをお勧めしたいです。その招待状として、私自身の物語を語ります。私自身、直観や運で教室の中に踏み出せたのでもなく、また、一晩で辿り着いたのでもないからです」(2版、4ページ)

 アトウェルの場合、教室の中で教師が学び始める時が変容のポイントだったことにも、改めて思いがいきます。

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★ 初版の In the Middleは1987年、第2版は1998年に出版されています。どちらも英語の冒頭の文は、 I confess. です。なお、上記の第2版の訳は、『イン・ザ・ミドル』の邦訳の企画書を作る際、私も含む訳者3名で考えた試訳に少し手を入れたものです。

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