プロジェクト・ワークショップで『読書家の時間』の実践をし、その本の執筆に向けて努力をしていた2010年9月4日のミーティングの時にメンバーで「自立した読み手とは?」をテーマにブレイン・ストーミングをし、それを整理した結果が以下の6項目でした。
リーディング・ワークショップ(=読書家の時間)は、これらを意識するだけでなく、実現するために運営されています。学校を卒業してからも生涯にわたって読み続ける自立的な読み手を育てることが何よりも大切だと捉えているからです。
それに対して、通常の国語の授業★で、これら6つの項目の一つでも押さえられているでしょうか? 目的にすら上がっているでしょうか? おそらくそれが、読まない人を育てている結果になっているのではないでしょうか? (さらに言えば、読むのが嫌いな子どもたちや、読むのが下手な子どもたちをつくり出している原因?)
「読み手」を「書き手」に変えても同じことができます。
その結果は、ライティング・ワークショップ(=作家の時間)と通常の作文教育の違いを浮き彫りにしてくれます。
さらには、「学び手」に置き換えても同じことができます。★★
これだと、すべての教科で行っている授業と、あるべき姿とのギャップが浮き彫りになります。
そして、その過程では、教える側の教師のあり方も問われることになります。
「果たして、それらを自分はモデルで子どもたちに示せているだろうか?」という大切な問いが浮かびますから。
そうなんです、教師に求められているのは、教材研究をがんばってすることなどではないのです。★★★自分が読み手や書き手としてのいいモデルを子どもたちにどれだけ示せているか、の方がはるかに教育的効果は大きいですから。
★ 読解教育の授業だけでなく、朝読や図書の時間とさえ比較できてしまうのではないでしょうか?
★★ もちろん、「自立した科学者」(理科)「自立した数学者」(算数・数学)「自立した市民」(社会)等に絞った形でのブレイン・ストーミングも可能ですし、やる価値は大いにあります。
★★★ 教材研究アプローチのおかしさだけでなく、教員研修(校内研究)のあり方のおかしさにも気づかせてくれます。(このブレイン・ストーミングをしないと、これらのおかしさに気づけない状態が続くことを意味します!)そして、あるべき姿も浮かび上がってきます。
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