2011年12月23日金曜日

続 「ひとりではできないことが、できるようになる」

世の中、「こういうことだらけ」ではないでしょうか?
 つまり、「ひとりではできないことが、二人、三人、チームでできるようになる」ことばかりです。(もちろん、中には逆に「複数ではできないことが、ひとりでできること」もありますが。)

 このメルマガ/プログは、まさにそれをサポートする媒体としてスタートしました。
 しかし、メルマガ/ブログという媒体の宿命なのか、まだ一方通行の情報の流れしかありません。
 先週、提案されたようなことをプログ上で展開することは不可能でしょうか?  コメント欄があるので。ぜひ、フィードバックをお願いします。

 さらには、メルマガ/ブログを読んでの感想やフィードバックを発信していただければ、一方通行から脱して、私たちがこのブログ/メルマガを始めた最初の主旨でもある「ひとりではできないことが、できるようになる」の両方通行の情報のやりとり(=最大の学び)に近づけます。
 先日、ある本を読んでいたら、「私たちの学びは、双方通行の情報交換やフィードバックによって可能になる」という主旨のことが書いてありました。何かを書くことも、本などを読むことも、そして学ぶことも、個人的な営みと捉えられますが、どうも誰かとのやりとりのもとに行われている割合のほうがはるかに高いようです。

 年末・年始の休みの間に、過去1年間を振り返り、新たな1年に想いを馳せるためにも、以下のアンケートにお答えいただくのはきわめて効果的だと思います。よろしくお願いします。

 コメント欄に書きにくい方は、pro.workshop@gmail.com に私信の形でメールを流してください。

アンケート

1) 今後もこの「WW/RW便り」を読み続けたいですか?
2) これまでの「WW/RW便り」で印象的な内容は?
3) これまでブログにコメントやフィードバックを送ったことはありますか?
4) あなたがいま一番ワクワク(興奮)している/情熱を傾けていることは?
5) 教師として一番ワクワク(興奮)している/情熱を傾けていることは?
6) あなたが書くことを教える時に一番大切にしていることは?
7) あなたが読むことを教える時に一番大切にしていることは?
8) あなたがWW/RWを実践する中でもっともうまくいっていることは?
9) WW/RWを実践する中での課題や疑問・質問は?
10)来年(度)、WW/RWで新たに挑戦したいことは?
11)WW/RWのテーマで扱ってほしいこと/「WW/RW便り」への期待・要望は?
12)あなたが「WW/RW便り」に貢献できることは?

★ アンケートの結果は、何らかの形でまとめて新年にメルマガ/ブログで流したいと思っています。(ある程度の量が集まらないと、それもできませんので、ぜひお願いします。)

2011年12月16日金曜日

「ひとりではできないことが、できるようになる」

 英語という科目についてのRWとWWを一緒に学んでいる仲間の一人と一緒に、「作家ノート」についてのワークショップを先日行いました。

 今日のRW・WW便りの題に書いた「ひとりではできないことが、できるようになる」は、この時の経験から思ったことです。

 それは、ひとりでは、絶対につくれないワークショップが、二人で作り出せたからです。

 もちろん、作り出すところに至るまでの過程でも、学ぶことが多かったです。

 例えば、「作家ノートを、学習者が使い続けるためにできそうなこと」を、一緒に考える中で、「作家ノート」は集めるべきなのか? その場合は何のために集めるのか? 集めるタイミングは? など、私が以前にはあまり考えていなかったことを考え、私の教え方を修正することもできました。

 この経験を振り返ったときに、私は少なくとも二つの面で、得るものがありました。

1) 一つ目は「二人以上で一緒に同じものをつくる」ことで、「ひとりでは作り出 せなかったものが、作り出せる」です。

2) 二つ目は、「その過程で相手の人から情報をもらうことで、自分の教え方が変わったり、豊かになったりする」です。

 2点目の「人から情報をもらうことで、自分の教え方が変わったり、豊かになったりする」は、まさにRWとWWの教え方・学び方だと思います。

 メーリングリストその他で、共に学ぶ仲間が増えることで、新しいメンターテキス ト、ブッククラブにお薦めのいい本、いいミニ・レッスンなどの情報を得て、教え方もどんどん豊かになり、そこから取捨選択をしてよりよいものをつくっていこうとします。

 これは、このブログを読んでくださっている方たちには、共通していることではないでしょうか。

 そして、共に学ぶ仲間から得たことを、教室の学びに活かしていると思います。

 ところが、 1点目の「二人以上で一緒に同じものをつくることで、ひとりでは絶対に作り出せなかった素晴らしいものが、作り出せる」という点を考えると、私はこの点から、教室の学びに活かしていることはとても少ないのです。

 例えば「二人で一つの作品を完成させる」などは、ほとんど教えたことがありません。

 「ひとりではできないことが、できるようになる」というのは、とても実りが多いのにもかかわらず、です。

 教えることに踏み切れない理由は簡単です。

 私の教えている学習者に対して、どういうミニ・レッスンをして、どんなふうに組み立てれば成功の確率が高いのかが分からないです。

 私自身は過去に何度か、二人(以上)で一つのものをつくるという経験がありますが、その成功は、まだ「相手次第」みたいな点が大きいのです。

 「作家ノート」についてのワークショップがうまく行ったのは、相手の方のおかげです。でも、これでは教室で「うまくいきそうな人をさがしてね」以外に教えられることがありません。

 ということで、今日のブログは、「二人以上で、一人では絶対につくれないような素晴らしい一つのものをつくる」ことを教えたいので、ご自身の経験からでも、また、教室の例からでも、
いいミニ・レッスンや例などを、情報提供してくださると嬉しいです、というお願いで終わりたいと思います。

 よろしくお願いします。

2011年12月9日金曜日

「順調に進んでいないのですが……」 → 「順調に進めるために」 ~二つのヒント~

 前回のRWWW便りは「順調に進んでいないのですが……」でした。

 今回はそのつながりで、「順調に進めるために」のヒントを、「うまく行っている場合」「うまく行っていない場合」から、書きたいと思います。

★ まず「うまく行っている場合」のヒントです。

 中学校レベルでの優れた実践者であるナンシー・アトウエル氏の本の中で、とても印象に残っている箇所があります。

 アトウエル氏のWWのクラスに、WWの第一人者の一人のグレイヴス氏がやってきます。

 その日の授業のあと、グレイヴス氏はニコニコして、アトウエル氏に、「君は、WWのいい先生とは、どういう先生なのか、よく分かっているね」と言って、ほめてくれるのです。

 アトウエル氏は、その瞬間、何をほめられるのか、と頭の中にいろいろな可能性が 浮かび、期待でいっぱい、まさにドキドキの瞬間だったと思います。

 グレイヴス氏の返事は予想外だったようです。

 その返事とは、"You're so damned organized." でした。
 
 日本語にうまく訳せない台詞ですが、「思いっきりしっかりと、計画的できちんと整理されている」みたいな感じでしょうか。

 きょとんとしたアトウエル氏に、 グレイヴス氏は、「だって、計画的できちんと 整理されていないと、この方法(つまりWW)で書くことは教えられないからね」と続けます。

 *****

 この箇所がとても印象的になのは、実際にWWやRWをしていると、「そうだ」と思うことが多いからです。

 学習者が主体的な書き手、読み手になるためには、きちんと用意しなければいけないものもけっこうありますし、学習者が自分で動けるような準備も、そのためのサポートも必要です。

 特に人数が多い場合、例えば、書き終わったものはどうする、質問のあるときはどうする等々を、学習者が分かっていないと、先生は学習者に追われてしまいます。そうなると、カンファランスの時間もとれなくなってしまいます。

 うまくいっているときには、「カンファランスが上手だから?」とか「私自身が書き手であり、読み手であるから、書き手と読み手の気持ちがよく分かって指導できているから」等々と、考えたいものです。

 でも、学習者が自分で動けるようにきちんと整理・準備されていて初めて、カンファランスの時間は確保されるのです。カンファランスの記録がきちんと整理されていて初めて、数回のカンファランスにつながりが生まれたりするのです。

 明日の授業での学習者の動きを想像してみて、必要な準備をきちんと整理し行っておく、これは大きい気がします。


 ★ 次に「うまく行っていない場合」のヒントです。

 前回のRWWW便りに書きましたように、全く順調でなかった私が、次のミニ・レッスンを考える上でよりどころにしたことは二つありました。

 一つは書き手としての自分です。学習者よりも、少し先輩の書き手として、自分が書くときにしていること、助けになること、問題点などを、もう一度振り返り、そこ から、書き手として、学習者に現時点で伝えることは何だろうかと考えました。

 もう一つは、学習者の書いたものです。

 今までに出された作品に、もう一度目を通し、課題を整理しました。

 全体への共通した課題というよりは、3段階ぐらいの課題があるように思いました。

 それで、次の授業にできることとして全体で行うことと、選択肢のある課題(3段階ぐらい)を考えました。そして全体で行うことが終了したあとは、その3つの中で、自分があてはまる部分をやってみるように言いました。

 ほんの少し、修正軌道に入れたかなとも思います。

 引き続き考えて行こうと思います。


出典:

上で紹介したアトウエル氏とグレイヴス氏とのやりとりは、Nancie Atwell著、In the Middle, second edition (Boynton/Cook, 1998) 89-90ページです。

2011年12月2日金曜日

「順調に進んでいないのですが……」

 「RW・WWが順調に進んでいますか?」と問われると、現在の私は「いいえ」と答えざるを得ません。

 うまくいっていません。

 『リーディング・ワークショップ』(新評論、2010年)の第7章は、「評価を授業に組み込む」という章です。



 その章の注に「この章で扱っている評価とは、成績や評定をつけるための評価ではなく、教師の教え方と子どもたちの学び方を改善するための評価です」(115ページ)と書かれています。

 まさにそういう、教え方と学び方の改善のための「評価」の必要を、ここ2週間ぐらい、痛切に感じています。

 さて、WWの方を例にとり、私の今学期のWWで、現在、どんな問題が発生しているかというと。。。

○ 作家ノートを集めてみると、宿題で行うように言ったことしか、書いていない学習者がいる。これでは、作家ノートの本来の意味がかなり失われている。(要は最低限しか書いていない、ということです。)

○ (私の担当科目は英語ですが、)この時点になっても、まだ、英語の基本的な書き方が分かっていなくて、翻訳ソフトを使ってその場をしのごうとする学習者がいる(→ ミニ・レッスンを聞いていない? 教えたことが定着していない)。

○ 修正には興味がもてない、あるいは自分で修正できるようになることに意欲のもてない学習者もいる。

○ 校正の個別のチェックリストをつくれるような方向に、もっていけていない。

○ 校正は私が手を出しすぎている。自分で読み直すことがうまく教えれていない。

○ ピア・カンファランスができていない。


 

 少し考えるだけでも、どんどん出てきます。問題が山積みですね。

*****

 ここまで読んでくださった人の中には、「RW,WWって、タイヘンな教え方なのでは?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。

 たしかに、RWとWWをはじめた途端にすべてがバラ色になるわけではありません。

 準備の量も、授業をどう組み立て、どう修正しようかと悩む量も、「量的にみると」従来型の教え方と同じぐらい、あるいはそれ以上にあるように思います。

 しかし、「この教え方を続けたいですか?」と尋ねられると、答えは「はい」です。

 それは、授業の準備も、悩む内容も、従来型の教え方と「質」的にまったく違うからです。



 質的な違いは、簡単には説明できないのですが、RWとWWに出合う前は、「今読んでいるものを読める」とか「今書いているものがよくなる」に終始していた気がします。この場合、もちろん、教師が正解を提供するのが一番早い解決法となります。



 RWとWWに出合った後は、明日以降も使えることを教えたいと思いますし、全体に教えることと個人に教えることを分けたいとも思い、その方向で準備をします。



 もちろん、カリキュラムの制限、人数の問題、教室内に物理的にあるものやないもの等々の問題ともあいまって、なかなかうまくはいかないときもあります。それでも、そのろいろな制限や問題のなかで、その手立てを考えようとしています。


 それだけでなくて、授業から受けとるものも違う気がします。RWやWWで教えていると、書き手、読み手としての個性が出てく るので、それは教室の学びを豊かにしてくれています。学習者が読んだ本について、学習者と語るのは、とても楽しいですし、誰かが他の人に、自分が読んだ本について語っているのを聞くこともよくあります(特にうまくいっているときは)。



 また、学習者の方から「次は○○さんが読んでいたような詩集を読みたい」等々、学習者から、何を学びたいかという声を聞くこともあります。これ も従来型の学びでは、あまり聞けなかった声ですし、教えているほうにしても、とても楽しいし、嬉しいことです。

*****

 さて、山積みの問題に目を戻します。

 『リーディング・ワークショップ』の中には以下のような文もでてきます。

 「事実、問題が起こるのです。<中略> 私たちが今までに読んできた多くの物語と同じように、教室を舞台にしてこれからはじまる物語も、問題が生じるところから旅がはじまるということなのです」(80-81ページ)。

 この文、納得です。



 そして、『リーディング・ワークショップ』の中では、問題解決の一つの方法として、ミニ・レッスンを挙げています。「ミニ・レッスンは、子どもたちを集めて問題解決に向けて取り組む最良の場を提供してくれます」(82ページ)とも書かれています。

 この週末は、次回のミニ・レッスンを慎重に考えようと思っています。

2011年11月25日金曜日

カンファランスの押さえどころ

そろそろ年度の3分の2が過ぎようとしています。
 WWとRWに共通する(しかも、最も重要な部分を占めている)カンファランスも、順調にこなせるようになっていますか?
 そこで、今回はその押さえどころというか、原則を振り返ってみたいと思います。

1.子どもが主役!
 子どもが語るいま書いていることや読んでいることに耳を傾けることが、まずはカンファランスの基本です。それには待つこと、問いかけること、そして何よりも信頼することが求められます。一番まずいのは、教師が話してしまうこと!

2.書き手/読み手としての子どもを把握する
 一人ひとりの子どもがもっている興味、関心、こだわり等をしっかり認識することが大切です。(教師自身の興味、関心、こだわり等も認識し、有効に活用することも忘れないでください。)

3.子どもたちは伝えたいことをもっている!
 子どもたちが書いている/描いていることや、読んで解釈したことには意味があると信じます。聞いてあげさえすれば。聞いたのですから、待つことはセットです。

4.低学年の子が話したことの大事な部分は書き出す
 自分で書くスピードがまだ遅い低学年の子には、カンファランス中に語ったことを教師が聞きながら(子どもの言葉で)書き出してあげると、記録として子どもも教師も使えます。

5.その時の子どもにとって最も相応しいことを教える
 間違えは目に付きやすく、すぐに修正したくなってしまうものですが、それをしたところで子どもが身につく形で学べるわけではありません。新しい作家の技や読み方に挑戦してできた時に、ほめた方が定着率ははるかにいいです。あるいは、ほめた上でその一歩先に挑戦するように促してみることの方が。

6.一人当たりの時間は短く
 教師はいつも、一時間の中でできるだけたくさんの子どもを対象にカンファランスをしたいと思っています。
 2を活かしつつも、子どもたちがいま書いている作品や読んでいる本も把握することで、一人当たりのカンファランスは短くても(二言三言=1~2分以下でも)効果的なやりとりができるようになります。
 逆に教師が必要と判断した時は、一応の制限時間である一人当たり5分を大幅に超えてもいいという柔軟性はもっていたいです。

7.次にすべきことを子どもが理解して終わる
 子どもとカンファランスすることで両者が学べるのですが、終わった後に子どもが何をしたらいいのかわかっていると、学びは広がり/継続します。これは、自立した書き手や読み手になっていくための練習でもあります。

 以上の1~7は、チェックリストとして使えますし、もしまだいくつかが押さえられていない場合は、それらをすべて一緒にやろうとするのではなく、一つずつ自分のものにして、着実に押さえられるようにしてください。子どもたちが新しい作家の技や読み方を一つずつ自分のものにしていくのと同じように。

参考: Writing Conference Principles, in Choice Literacy

2011年11月18日金曜日

朝読とRWの比較

今回は、とても基本的なことを・・・朝の読書の時間(以下、朝読)を実施している学校は少なくありません。

 あなたは、どれほどの価値を見出していますか?
 それとも、無駄な時間と思っていますか?
 そもそも何のためにしているのか、ご存知ですか?
 その目的のための方法として適切であるか考えたことはありますか?

 朝読の効果(いい点)と問題点(悪い点)を、ぜひ書き出してみてください。(書き出したものは、下のコメント欄に書き込むか、pro.workshop@gmail.comにぜひお送りください。)

 本来は、それをしっかり出して、問題点が効果を上回るのを確かめた上で実践すべきなのですが・・・、なんと言っても、学校で一番欠落しているものの一つが時間ですから。

 参考までに、朝読とRWを比較した表を見つけたので、以下に紹介します。(表をクリックすると、拡大します。)

2011年11月12日土曜日

執筆者への問いかけ

私たちは、教科書にしても、本にしても、雑誌にしても、与えられたテキストを鵜呑みにする傾向があります。
 「書いてあることに間違いがあるはずはない」「正しいことが書いてあるはずだ」という思い込みです。果たして本当にそうでしょうか?

 今回紹介する「執筆者への問いかけ」は、テキストには欠陥もあるという前提に立って、意味を作り出す/理解するための手段として活用します。
 その際、一人だけでするのではなく、クラスメイトと個々人が考えたことについて話し合いができれば、意味/理解はより一層深まり・広がります。

 執筆者(作家)に問いかける/フィードバックするためには、批判的に読むことが求められます。
 具体的には、
・ 内容と書き方を分析する
・ 気に入ったところとそうでないところをはっきりさせる
・ わからない(わかりにくい)ところは質問する
+ 改善のための提案をする
などを意識ながら読みます。

 これは、読むことと書くことを、切り離せない形で扱う方法でもあります。

 子どもたちにとっても、教師にとっても一番身近な本である教科書を例にとって進め方を紹介します。

1) 教科書の一部を分析的・批判的に読む
 理解は、「書き手と読み手の協同作業」であることを説明した上で、「理解できないのは、読み手だけの責任ではなく、書き手側に落ち度がある可能性もあること」を伝えたうえで、テキストを評価する/修正する人の目で読みます。
その際、プラス面とマイナス面の両方をしっかり把握しながら読むことが大切です。書き手のスタイル(書き方)が、理解を促進させたり、妨げたりしていることだってあるからです。
 以下のような質問を考えながら読むといいでしょう。
① 書き手が伝えようとしていることは何か?
② 書き手はなぜそれ(ら)を伝えようとしているのか?
③ 書き手はそれ(ら)をはっきりわかる形で書いてくれているか?
④ もっと理解しやすい方法で書くにはどんな方法が考えられるか?
⑤ あなたが書き手だったら、どんなふうに書いたか?

2) 実際に、①~⑤の質問に対する考えと、気に入った点や疑問点なども踏まえながら、「執筆者への問いかけ」=手紙を書きます。
 ここまでするだけでも、十分に価値がありますが、実際のアクションとして、その手紙を執筆者に送れたら、言うことありません。
 しかし、似たような手紙が20通~30通も届いたら、受け取る側も大変です。個別に回答してもらうことは期待できませんから。
そこで、(1)もっとも説得力のあるものをいくつか選ぶか、(2)何人かが集まってチームとしての問いかけ=手紙にする形★で、参考/修正に活用してもらうために教科書会社や執筆者に送ってみるのです。子どもたちをガッカリさせないために、送ることを事前に伝えて、受け取ってもらえることを確認してからのほうがいいと思います。

 教科書や作家の文章を批判的に読み、修正をすることは、自分の文章を批判的に読み、そして修正するのに役立ちます。
 読みにくい/わかりにくい教科書も、子どもたちの手で少しは読みやすい/わかりやすいものにすることができるかもしれません。

 教師の役割は、それを可能にするためにいい問いかけをしたり、子どもたちが質の高いやりとりをできるようにサポートすることです。もう一つは、子どもたちと「やらせる」「やらされる」の関係ではなく、モデルで示し、自分たちもやってみたい関係を築きたいものです。★★


参考資料: Questioning the Author, by Isabel L. Beck他著、International Reading Association発行、1997年


★ 小学校段階から、このような形で選択したり、協同で執筆する練習をしておけば、大人になってから大分楽です。9月30日に研究紀要や研究発表会の要綱について書いたところを参照


★★ 私事ですが、この「執筆者への問いかけ」という方法を頻繁に実行しています。主には、いい点を指摘するのと、疑問点を問いかける形で。(残念ながら、それに値する本に対してですから、95%は英語の本です。そのうちの何冊かは、翻訳するということまでやってしまいました。その際、執筆者への質問攻めは半端ではありません。質疑応答だけで新たな本が書けるぐらいになってしまったこともありました。)

2011年11月4日金曜日

たかが図表、されど図表

私たちが読んだり書いたりするもののほとんどは、ノンフィクションです。それも情報を提供したり、得たりすることが目的のものです。
 自分が実際に読んだり書いたりしたものすべての記録を1日取ってみると明らかになるはずです。(状況は、子どもたちも変わりないと思います。)

 小説は、最初から最後まで読まないと意味がないですが、情報を得るために読む方法は目的に応じて多様にあります。
 最近は、紙媒体のものと同じか、それ以上にインターネットでウェブ・ページを見る人が増えていますから、その方法は顕著に表れます。(なんと、「読む」とは言わずに「見る」と言うぐらいです。一昔前までは、新聞や雑誌でしたが、それらはまだ「読む」でした。)
そうした情報を得るときに多く出てくるのが、図表(やイラスト・写真・動画)です。それらを読みこなすことは、リサーチ・スキルとしてはもちろんのこと、ライフ・スキルとしても欠かせません。

 それほど日常的なものなのですが、読み・書き(RWとWWや他教科)を教える時に、図表等を扱ったことがある方は、どれぐらいいるでしょうか?
一般的には、言葉を補う媒体と見られがちですが、視角に訴えかける分、記憶に残るという点では文章よりもインパクトがあります。

 ジャンルによっては、どれだけいい文章を書けるかと同じウェートで、どれだけ効果的な図表等のビジュアルを使えるかで、読み手に伝わるメッセージ(そもそも読んでくれるか、も含めて)が決まります。もはや、わかりやすい文章だけでは不十分と言ってもいいぐらいです。(I See What You Mean, by Steve Moline 26ページ)
たとえば、「パンのつくり方」をインターネットで検索すると、多様なつくり方の方法を使って紹介していることがわかります。たとえば、文章で。写真を使って。ビデオで。フローチャートで、など。(パンづくりを解説した本も、文章以外の方法を効果的に使っているはずです。)

 これだけ文章以外の媒体に子どもたちが日常的に接していると扱わないわけにはいきません。たとえば、①本を読みながら/人の話を聞きながら、②メモをとり、③それを使って自分の文章を書くということは普通に行われてきましたが、最近は、②のメモを取る代わりに、マインドマップを描く方法も普及しています。視覚的に記録したり、考えたりした方がいい人がたくさんいることを示しています。

 図表等を使う際には、「伝えたい情報が読み手にしっかり伝わるためにはどんな方法を使うのがもっとも効果的か?」を問う必要があります。(I See What You Mean, by Steve Moline 23ページ)
 たとえば、私が2つの本を比較した時の例を紹介します。ジョン・バーニンガムの『おじいちゃん』とアリキの『おじいちゃんといっしょに』の内容の比較をするときに、可能性としては、文章で書く、表に表すなどもありましたが、私が結果的に選んだのは下の図でした。(『「読む力」はこうしてつける』90ページ)一番読み手にとって、わかりやすい/伝わりやすいと判断したからです。

2011年10月28日金曜日

「WW、RWで教える前と、今とでは、変わった点はどんな点ですか?」

WW、RWで教える前と、今とでは、変わった点はどんな点ですか?」

 私にWWとRWを紹介してくれた人から、この質問をメールでいただきました。

 「RWとWWという教え方に出合って、何か変化がありましたか?」という質問に言い換えてもよいかもしれません。

 今日は、自分の振り返りのために「RW・WW便り」を使っているようで恐縮ですが、以下は私の回答です。

 ★ まず私自身についてです。すべて現在も進行中です。

1) 自分自身が作家ノートを携帯し、定期的に使うようになった。

2) 読み書きをする時間が飛躍的に増えた。

3) 「読書ノート」と 「自分の好きな詩」を集めたノートをつくった。

4) 目標にしたい教室や教育者、そして共に学ぶ仲間ができた。

★ 次は授業について。相変わらず試行錯誤という感じですし、必ずしも順風満帆ではありませんが、それでもいくつか挙げたいと思 います。

4) 「考え聞かせ」を使って教える時間が増えた。

5) 「読み方、書き方」を教えるようになった。

6) 課題や教え方などで、迷ったときは、学習者を信頼して舵を切るようになった。

7) (まだすべてのクラスで実現できていませんが)、クラス全員で同じことをする時間がかなり減り、個人に教える時間が増えた(特に、WWと少人数クラスのRW)。

 ここで終わると、変化した自分が見えてよいのかもしれませんが、振り返りの場合は、だいたい次に向けての課題が見えてくるものですし、私の場合も同様です。

 これを書きながら、私の場合、特に7番、人数の多いクラスで読むことを教えることに大きな課題が残っていることが分かります。

 今日このブログを投稿したあとで、自分なりに課題を整理しなくては、と思います。

 みなさんはいかがでしょうか? 時には上の質問を自分にしてみると、次に取り組むべき課題が見えてくるかもしれません。
 

2011年10月21日金曜日

WWとRWが効果的なわけ

 今回は、理論というか原則的なことを。(しかし、見方を変えると、それは極めて実践的なことでもあります。)
 Jane Hansen(当時、ニューハンプシャー大学教授)が、1980年代の中ごろ、読む教え方は相変わらず効果的でない授業(=今も日本では主流の教え方)が続いていたので、すでにWWの普及で書く授業は極めて効果的になっていて(=子どもたちは、読むことよりも書くことをはるかに好きになっていて)、その成功の要因を分析して選び出したのが、このメルマガ/ブログの初回に紹介した5つの要因でした
 彼女は、それを読む授業にも当てはめるべきだと、『When Writers Read(書き手が読む時)』の中で主張しました。

 ハンセンの本が出版された同じ年の1987年には、中学校の教師のNancie AtwellがWWとRWの金字塔の一冊と言われている『In the Middle(すべての真ん中)』の初版を出版しています。彼女も、WWから実践し始めましたが、それがあまり効果的だったので、自分で読みに応用してRWをすでに実践していたのです。
 ある意味では、研究者と実践者が、異なる立場からWWとRWに迫り、似たような結論に達した、と言えると思います。

 このメルマガ/ブログの初回のコメント欄には、6つ目の要因として、「評価と指導」「自己評価と学び」の一体化が達成されている、を加えた方がいいと提案しましたが、アットウェルはそれを最初の時点から意識し、そして実現していたように思います。教え方と評価の仕方は連動していますから、切り離す方がおかしなわけです。

 ここ1年半、私自身、これらの要因について考え続けてきました。今日は、7番目の要因として、「教師がモデルを示す」を加えたいと思います。

 <メルマガの続き>

 教師(や他の大人たち)がいいモデルを示す、という極めて効果的な教え方は、学校や家庭を含めて、社会全般からも減少傾向にあると言っていいぐらいです。子どもたちは、さぞ困っていると思います。こと勉強に関しては、教えられることばかりで、ぜひ真似したいと思えるようないいモデルが提示されないのですから。

 多くの教師は、モデルを示す代わりに、がんばって教える方に時間とエネルギーを注ぎこんでいます。「教えなければいけない」や「教えたい」という気持ちが強すぎて(一種の職業病?)、その結果子どもたちが主体的に学ぶ時間を奪い去っています。それは、授業の中で誰がどれだけ話しているかを測れば簡単に明らかになることです。

 そういう反省がWWとRWでは導入時からありましたから、教師が熱心に教えすぎることを防ぐために、前回も扱ったミニ・レッスンという枠組みで、教師が教える時間を最低限に縮小しています。それによって、子どもたちが主体的に書いたり、読んだり、話し合う時間を最大限確保しています。

 WWやRWの場合は、教師が実際に書いたり、読んだりしているところをモデルで示せます。書くことは、①テーマ選び⇔②下書き⇔③修正⇔④校正→⑤出版のプロセスを順追って、しかも一つの作品が仕上がるまでをじっくり紹介したいものです。(図1を参照。)



 図1では、サイクルで示していますから、何度も繰り返し、しかも異なるジャンル(学級通信や通知表の所見欄など常日頃書くものも活用しながら)で紹介できます。図では矢印は一方向のみにしか描かれていませんが、実際は逆戻りすることも見せたいです。また、それぞれのステップも一回限りでなく、数回繰り返し行われることも。ぜひ、いいモデルというよりも、普段しているモデルを見せてあげてください。

 同じことは、他の教科にも応用できるのではないでしょうか? モデルを示すことは、教科書をカバーすることよりも、はるかに大事なことのような気がします。 教師が、作家や読書家としてだけでなく、科学者、歴史家、市民、数学者等になる体験をとして学び続け、かつ生活していることを。 そしてもちろん、いやいやしているのではなく、楽しくイキイキしているところを。

2011年10月14日金曜日

ミニ・レッスンとは?

 前回、ミニ・レッスンをどのように計画するのかについて書きました。そんなこともあり、一度、自分の中で(主に)RWとWWに おけるミニ・レッスンとは何だろう?と整理してみたくなりました。

 RWやWWを実施している多くの人の共通理解としては、「授業の最初に短時間(5- 15分)で行うことが多く、クラス全員にポイントを絞って教える時間」ではないかと思います。
 (★教える対象者が「クラス全員」である点は、カンファランスとの大きな違いだと思います。)

 ただ、中学校レベルの優れた実践者のアトウエル氏の本を見ていると、彼女の中でもミニ・レッスンが進化しているのも感じます。
 少なくとも、「5~10分で、
先生がしっかりポイントを一方的に提示する」ようなレッスンだけに限定していないように思います。一方的ではなくて、教師と生徒がミニ・レッスンで一緒に考えることもできる部分もあると、アトウエル氏の本を教えてくれているようにも思います。
 そんなことも思い出しつつ、「私にとってミニ・レッスンとは?」と考えてみました。

 とりあえずのイメージは、「河口に向かうボートにクラス全員が乗っている」です。
 
① このボートにクラス全員が乗っていることにより、例えば「オール」、「船尾」 など、クラス全員でボートや川下りについて、
共有できる言葉がある。

 ちょうどミニ・レッスンで、ある作家について学んだ後では、「ロイス・ロー リー」といえば、クラスのみんなが知っているのと同様です。みんなが
共有している 土台であり、共有している知識でもあり、何かを語るときに基本となる枠組みでもあ るように思います。

② 先生には河口までどうやって進むのかについてのイメージや地図はあるが、川の荒れ具合や天候によって、調整が必要。また、次に教えることについては、それぞれ が現在、どんなふうに漕いでいるのかが基本となる。

 (★ ただし教えている時間よりも、もちろん、漕いでいる時間のほうが長い)

 教えている内容は、実際にボートを操るのに役立つこと。
うそっぽいことや、実際に行わないことは教えません。また、子どもがどのようにボートを操っているのか、 これがスタートポイントにもなります。

 ★ 先生自身も、自分の漕ぐスキルを常に向上させている。 

 ★ 川の曲がり具合や天候により、教える時間の長さが変わることもある。また、一緒に新しい漕ぎ方を試してみて、分かることもある。
③ 河口は学年末(あるいは卒業時)。ここからはそれぞれが新しいポートで、新しい川や海出て行く。

 より大きな、新たな世界に出て行くという違いはあっても、どちらも本当に川で ボートに乗っているという点では同じ。

*****
 
 ちなみに 『リーディング・ワークショップ』には、次のようは文章が登場します。

 「ミニ・レッスンは、子どもたちを集めて問題解決に向けて取り組む最良の場を提供してくれます。ミニ・レッスンは、私たちが教えていこうとするカリキュラムを動かしていく力となるのです。ミニ・レッスンがあるからこそ何か素晴らしいことがはじめるという期待感をもって、一貫性のある、しっかりと構成されたリーディング・ ワークショップをつくっていくことができるのです」(82ページ)

 「ミニ・レッスンは、子どもたちの日々の学びや生活と関係のないところに存在しているわけではありません。ミニ・レッスンで取り扱われる内容は、教室で行われている読むことにまつわる様々は活動と密接に関わっています」(83ページ)
 
 また、 『リーディング・ワークショップ』の著者のカルキンズ氏は、書くことの教え方についての本(
The Art of Teaching Reading)では、「ミニ・レッスンは一見 すると短時間の講義のように見えるが、そうではない」と言っています。

 この本を見ていると、短時間の講義とミニ・レッスンの違いは、ミニ・レッスンの場合は「子どもありき」、つまり、実際に書いている(あるいは読んでいる)子ども たちがいて、その子どもたちの助けとなることは何かと考える、ここにミニ・レッス ンが存在する、そんな風に感じます。

出典:
アトウエル氏のミニ・レッスンの考え方は、 Nancie Atwell著 
In the Middle (Second Edition), Boynton, 1998 の 150-151ページを参照しました。

『リーディング・ワークショップ』 ルーシー・カルキンズ著 新評論、2010年

Lucy McCormick Calkins著 The Art of Teaching Writing (New Edition), Heinemann, 1994では、193-217ページの12章にミニ・レッスンについて詳しく書かれています。

2011年10月7日金曜日

ミニ・レッスンを(系統だてて)計画する

 先週のRWWW便りにコメントをいただきました。ありがとうございます。その中に以下のような段落がありました。

「2年目の実践ですが、「とにかく書く」ということがどれだけ重要かを実感しています。楽しそうに書く子どもが増えました!その一方でミニレッスンが行き詰まって います。系統立ててミニレッスンを行うことが自分はとても苦手なんだなぁとつくづ く感じます。今はミニレッスンでとにかく読み聞かせをして、いろんな作家の作品に触れることを大事にしているのですが…」

→ 「今はミニレッスンでとにかく読み聞かせをして、いろんな作家の作品に触れる ことを大事にしているのですが」と書かれていたのですが、素晴らしいミニ・レッスンだと思いました。

 なんといっても「読み書き」のつながりのあることがいいですね!

 『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)の7章に詳しく書かれていますが、いい作品に触れることは、書くことの大きな力になりますし、いろいろな作家の作品に触れることで、読むことは楽しい!と思えるとさらに素晴らしいと思います。

 そのあとは、例えば、すでに読み聞かせをした作品を、「作家の目で読む」という ことをしてみてもいいかもしれませんし、いろいろな発展系がありそうです。

 『ライティング・ワークショップ』101ページからの「ライティング・ワークショップのミニ・レッスンで本を使う」の、101-105ページでは、本から「作家の技」を学ぶだけでなくて、ジャンルや選択の幅が学べることもよく分かります。

*****

 いろいろな作家から学ぶことは、山のようにあります。ですから、実はミニ・レッ スンを計画する難しさは、そこから何を教えるのかを「厳選すること」と「その順番をどうするか」ではな いかと思うことがあります。

 私は、自分がWWを始めた頃は、以下のような感じで、順番もあまり考えずに単発のミニ・レッスンをたく さんしていました。

 ある日に、複数の本から「書き出し」を教える。
 次の日には、複数の本から「あるトピックを違ったジャンルで書けること」を教える。
 つまらない題を書いている学習者が多いことに気づいたので、その翌日は「いい題 とは?」を教える。

 教えたいことが多すぎて、あっちにいったり、こっちにいったりしていました。そうなると、系統だったミニ・レッスンは、なかなかできません。

 今もいろいろと試行錯誤中です。 ただ、ここしばらく、一つのテーマで継続して いくつかのミニ・レッスンをすることもでてきました。

 ミニ・レッスンが多少なりとも系統だって(というか、一つのテーマで連続して) できることが増えて
きたのには、2つのことが、助けになっているような気がします。

 一つには、年間を通して達成してほしいことが、いくつか見えてきたので、それを 中心に、それを達成するための一連のミニ・レッスンを考え始めた、という部分があります。

 例えば「作家ノート」。これは使えるようになってほしいし、いろいろな使い方があります。常にノートを携帯して、書きたいと思える題材をさがし、作家のように考え、メモを取り、アイディアを書きとめられるようになってほしいです。そのうち に、自分にとって役立つ作家ノートの使いかたもつくりあげていってほしいです。

 そうすると作家ノートの使いかただけでも、いくつかのミニ・レッスンが浮びますし、1回では教えられません。

 「読者を意識して読み直せ、修正ができる」 。これも、身につけてほしいことの 一つです。もちろん、これも一度のミニ・レッスンでは教えられません。

 そしてしっかり修正したあとは、読者に優しい仕上げのためにも、校正もきでるようになってほしいです。

 こういう大きめの達成目標がいくつか見つかると、どれも一回のミニ・レッスンでは達成できないので、それを元に一連のミニ・レッス ンを考えることもできます。

 もちろん、年間を通して、一度しか教えないのでなくて、同じことを、しばらく後に、また違う角度で、あるいはより深く教えることもあります。

 二つ目ですが、年間を通して達成したいことを考えるときに、書き手としての自分の経験がけっこう大きいです。

 作家ノートにしても、自分が実際にどのように使っていて、自分の場合はどのよう に助けになっているのか、これが一つ入るだけでも、ミニ・レッスンが1回増えます。

 修正しかり、校正しかりです。

 もちろん、先生という「ひとりの書き手」の方法を、生徒に押し付ける必要はあり ませんが、折にふれて、先輩の書き手として、どのようにしているのかを、一つの選 択肢として、ミニ・レッスンで伝えていくことも大切な気がします。

*****

 ミニ・レッスンの計画については、『ライティング・ワークショップ』 (143-144ページ) 「ミニ・レッス ンで何を教えてよいのか分からない」と11章の年間計画(日本に合うように、原著者の了解を得て、日本の小学校向けに日本の小学校の先生に書いています) なども、ぜひご参照ください。

2011年9月30日金曜日

続・いい文章とは

 5月27日に「いい文章」の6つの要素を紹介しましたが、ある学校の研究発表会要綱と研究紀要を読む必要があったことで、一つ加える必要性を感じました。
 付け加えたい要素とは、「見ため」のいいことです。読む気をそそる「レイアウト」です。

 校内研究の研究発表会要綱や研究報告書は、全国的に同じ形態だと思います。良くも悪くも(おそらく、今となっては後者だけ?)、画一化が行き届いています。

 あなたは、読みたくなる研究紀要や報告書を手にしたことがありますか?★

 その答えのかなりの部分は、「レイアウト」というか「見ため」の問題が大きいと思います。たとえ、内容的にはいいことが書いてあったとしても、ぎゅうぎゅう詰めなので、最初から目を通す気すら起こらないのです。
 少ないスペースで(平等に割り振られている場合がほとんどです★★)、できるだけ多くの情報を盛り込もうとした努力の結果であることは伝わって来るのですが、読み手の読む意欲をそそるレイアウトや見ためがまったく考慮されていません。従って、読む気になれないのです。とても残念です。
 これは、読者の視点をまったくと言っていいほど考えていない結果とも言えます。★★

 「いいレイアウト/見ため=文字が書かれていないホワイトのスペースの多さ」では必ずしもありませんが、ホワイトのスペースの有効利用をぜひ考えてほしいです。同時に、小見出しも、文字の大きさや字体を少し考慮するだけで、まったく異なる見ためになり得ます。(同じくぎゅうぎゅう詰めの新聞や雑誌が参考になります。)

 ここまで書いてきて、フト気づきました。この文章も、見ため/レイアウトに無頓着であることを。(いいアイディアがありましたら、ぜひ教えてください!!)

 子どもたちが手書きで書く場合には、字のうまさも「見ため」の重要な要素として含まれることになります。実際に添削をして、この点に気づかない教師はいないと思いますから。


<以下、メルマガの続き>


 校内研究の紀要や報告書にはレイアウト/見ための問題以外にも、2つほど大きな問題があります。

 一つは、「指導案」という形態です。そろそろこの「指導案」という形態自体を見直す時期に来ています。これが続く限りは、子どもが主体的に学ぶ授業を最初から否定しているようなものですから。

 もう一つは、分担執筆です。大学の研究紀要や研究者たちが書く分担執筆の本が悪い見本になっているのかもしれません。分担執筆でおもしろい本や人に紹介したくなる本に出合うのは極めて稀です。執筆者同士が協力して互いの原稿を改善するための努力をせずに、ただ自分の書きたいことを書いているだけなのが伝わってきてしまうからです。相互に関連のない論文が、学校や大学の時間割のように、ただバラバラと並んでいます。(中には、編集者の努力で、何とか全体を通して読めるものもありますが、「執筆者たちの業績を上げるための本」=読者のことは考えていないことがもろに伝わってきてしまう本の方が圧倒的に多いです。)

★★ 校内研究の紀要や報告書も、この読者のことを考えて書かれているものがどれだけあるでしょうか?
もし読者の視点に立てたなら、参考になる・ならないの如何にかかわらず、たくさんの事例がほぼ均等に割り振られているということは起こらないと思います。参考にならないものはスペースが減らされたり、場合によっては消されたりするでしょうし、参考になるものはスペースが増やされたり、強調されるレイアウトになるはずだからです。要するに、校内研究の紀要や報告書で読み手を意識して編集が行われているものは、極めて稀なのが実態です。
 執筆に関わる人全員で(少なくてもチームで)、互いの実践を高めあったり、互いの原稿も高めあったりできれば、最低限の質は確保できるようになるはずです。その過程で、最低限の質が確保できないものは紹介しないし、校外にぜひ紹介したいと思えるもののみをしっかり選んで編集やレイアウトをしてほしいと思います。

★ 私が出会ったものの中では、新潟県上越市の高志小学校のが、この「悪習を脱した」研究報告書でした。

 ぜひ、読み手を意識した校内研究の紀要や報告書を作ってください。おそらく大分薄くなって、編集する者にとっても、読む者にとっても、ラクだし、作り甲斐/読み甲斐があるものになるはずです。


◆参考文献: 6+1 Traits of Writing, by Ruth Culham, from Scholastic ( +の後の「1」が見ため/レイアウトを指しています。「6」は、5月27日に紹介した「いい文章」の6つの要素です。)


●これでコメントが書きやすくなったのではないでしょうか? 
 あなたのご希望、疑問・質問、感想、実践紹介、各種情報提供等を、下のコメント欄に書いていただくか、あるいはpro.workshop@gmail.comに直接お送りください。必ず反応/フィードバックします。

2011年9月23日金曜日

ミニ・レッスンは1日にしてならず?

 私の場合、9月から、初めてWWを受講する学習者もかなりいます。そこで、ここしばらくは初回からのミニ・レッスンの準備をしていました。

 今学期は「作家ノート」を使っての学びを充実させたいと思っていますので、まずは「作家ノート」についてのミニ・レッスンの計画を立てました。

 「作家ノート」とは何かを教えるために、『ライティング・ワークショップ』の共著者、フレッチャー氏が「作家ノートは孵卵器のようなもの」(4月15日のブログをご参照ください)といっているところを、引用して紹介しようと思いました。

 そのあと、ドナルド・マレー氏(7月22日、7月23日他、何度かブログに登場しています)は「作家ノート」についてどう言っているのか、エイミー・バックナー氏(9月9日のプログをご参照ください)はどう言っているのか、等々、すぐれた書き手や教育者が、作家ノートについてどう言っているのか、あるいはどのように使うように言っているのか等々をいくつか集めました。

 また、すぐれた教育者がどのように作家ノートを導入しているのかも知ろうと、何冊か読み直したり、拾い読みしたりしました。

 もちろん、ミニ・レッスンで、自分の作家ノートも見せることにしました。

 そうやって準備しているうちに、作家ノートについてのミニ・レッスンでとりあげたいことがどんどんふくらんで行きます。もちろん、一度のミニ・レッスンで抑えることは不可能です。

 そこで立ち止まり、作家ノートについて準備したことを、複数回のミニ・レッスンに、順番を考えつつ割り振りを始めました。

*****

 RWでもWWでも、一つのトピックやテーマについて一連のミニ・レッスンを、何回か連続して行うことは、よくあります。作家ノート一つとっても、いろいろな使い方がありますし、その使い方を一度のミニ・レッスンで自分のものにはなかなかできません。何度か同じトピックを、角度を変えて取り上げたり、深めていったりすることは有効な方法だと思います。

2011年9月16日金曜日

作家ノートと読書ノートと

 作家ノートについて書かれたいい本と言われると、すぐに2-3冊の本が浮かびます
が、読書ノートについて書かれたいい本と言われると、浮かびま せん。
(もしご存知でしたら、教えてください。読みたいです。)

 この2冊のノートについて、ここしばらく考えてみました。思いがけず、いろいろと共
通点をみつけた気がします。

★ まず、どちらのノートも、あくまでも思考を生み出す場であり、そのための道
具である、と思います。(→ 目標になってはまずい、ということです)

 『リーディング・ワークショップ』(新評論、2010年)の11章は「話すことと書くこ
とを活かして読みと思考を深める」(189-207ページ)です。この章の中に、図や表
をつかってまとめることについて、205ページには以下のように書いてあります。私
は大いに賛同しますし、これに近いことが、読書ノートにも言えると思います。

 「絵や図表は、興味を掻きたてたり洞察を深めたりするのに役立ちますが、その一方
で、せっかく考えはじめたことを台無しにしてしまう場合もあります。その違いは、
絵や図表を子どもたちが一緒に考えるという目的を達成するのに役立てるのか、それ
とも絵や図表を描くこと自体が目標になってしまって、話し合いはただ絵や図表を完
成させるためにあるのかということから生まれます」

 目標ではなくて道具。ただ、そのための使い方は様々だと思います。

 また、どちらのノートも、先生によっては授業で教えたことを書きとめておく場所を
つくることもあると思います。

★ この2冊のノートの中でも、読むことと書くことが出会うことは多いように思います。

 例えば、作家の目で本を読み、自分が今度使ってみたい作家の技を書き留める。

 あるいは、読書ノートのメモから、あるテーマやある作家についての自分の関心をみつけ、そ
こから次の作品へのヒントを得る。

★ 教師は、どちらのノートも、子どもたちが卒業しても使いつづけてほしいと思っ
ているのではないかと思いました。

 ミニ・レッスンなどで使いかたを教えるのは、そこから少しずつ、自分なりのノート
のいい使い方を見つけていってほしいからなのでは? そのために、いい使い方のレパー
トリーが増えるように、ミニ・レッスンで教えていくのかなとも思います。

 また、教師が実際にこの2冊を自分用につくると、実際に役立たないことは、教えることから淘
汰されていくという利点もあると思います。

★ どちらのノートにも、読者(あるいは話し合う相手)の姿がちらちら見える気がします。

 「ちらちら」とい うのは、遠い将来だったり、近い将来だったりするからです。

 もちろん、読者(あるいは話し合う相手)がほとんど見えない書き込みもあると思います。 

 そして、読者の姿が、どこかにちらちら見えるノートが、実際の生活でも継続しやすいノートの
ような気もするのですが、皆さんはどう思われますか。

*****

作家ノートについてのお薦めの3冊は以下です。

『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)の共著者でもあるラルフ・フ
レッチャー(Ralph Fletcher)が書いた次の2冊。

A Writer's Notebook  (HarperTrophy, 2003) 高学年向きに書かれています。

Breathing In, Breathing Out (Heinemann, 1996)

先週のRW/WW便りで紹介した、Aimee Buckner の Notebook Know-How (Stenhouse,
2005) 


2011年9月9日金曜日

ひとつの話は新しい話を生み出すきっかけとなる

 「(…略…)優れた読み手は、読んでいるときに頭を働かせています。そして頭を働かせていると、書くことがでてくるものです。ですから、子どもたちが、話、詩、記事などに耳を傾け、自分が考えたことを書きとめる時間を持てるようにするのは大切なことです」

 下手な私訳で恐縮ですが、上の文は作家ノートについて書かれた本 Notebook Know-How という本に出てきています。

 (この本は、『ライティング・ワークショップ』共著者のひとり、ラルフ・フレッチャー氏が前書きを書いているおススメ本です。すぐに自分の授業に使えそうな点もたくさんあります。)

 私が最近、特に注目しているのが、(作家ノートをうまく子どもたちに導入したあとに)作家ノートを、続けてどんどん書くことをサポートするような方法をいくつかも紹介している点です。(言うまでもなく、書けるようになるためには、書くことが必要です。)

 どんどん書くことをサポートする方法の一つとして、冒頭で紹介したように、「読むことを使う」というのがあります。

 この著者の場合は、短編や詩なども授業中によく使うようです。そして次のように、言うそうです。(以下も、下手なざっくり私訳ですみません)。

 「(…略…)今から詩を2回読むから、1回目はまずしっかり聞いて、読者として楽しんでね。2回目も聞いてほしいけど、2回目は、聞いている間に、何か考えが浮かんだり、つながりを見出したり、他にも何か書きたいことが出てきたら、書き始めていいですよ。そして、先生が2回目を読み終わったら、それについて話し合うことはせずに、思ったことを書いてみようね」

 もちろん、読むことは、上の例以外にも、「メンターテキスト」や「作家の目で読み作家の技に気付く」等、WWの中でいろいろと使えます。

出典:Aimee Buckner著の Notebook Know-How (Stenhouse, 2005). 最初の引用は24ページ、二つ目の引用は24-25ページです。

2011年9月5日月曜日

「秋の読書探偵」作文コンクール開催

早速、読むことと書くことをミックスした情報です。

「秋の読書探偵」作文コンクール開催! ~海外の小説や絵本を読んで、おもしろさを伝えよう!~
http://d.hatena.ne.jp/honyakumystery/20110901/1314829931

しめきりは、2011年10月24日(月)消印有効。(メール応募の場合は日付が変わる前まで。)

2011年9月2日金曜日

WW便り → WW/RW便り に名称変更

これまでは「WW便り」でしたが、今回から「WW/RW便り」に名称を変更しました。
WWはライティング・ワークショップの略で、RWはリーディング・ワークショップの略です。

 夏休み中の書き込みがほとんど、よりよく書くための材料集め、つまりおもしろい/生徒たちに紹介したい本や、お気に入りの作家や、好きな言葉集めに関するものだったこともあり、これからは読むことと書くことを分けないで書いていくことにします。

 先日読んでいた本★にも、Every piece of writing stands on the shoulders of all the literature that came before it.(すべての書くものは、それ以前に書かれたものすべての肩の上に乗っている)と書いてありました。自分の書いたものも、あらゆるジャンルのものも含めて、です。

 また、読み聞かせが効果的なことは、『ライティング・ワークショップ』(ラルフ・フレッチャー&ジョアン・ポータルピ著)の第7章で詳しく書いてありますが、ルーシー・カルキンズ著の『リーディング・ワークショップ』の第3章でもRWの欠かせない柱の一つであることが紹介されています。ちなみに、読み聞かせの対象は年齢に関係ないとも書いてあります。大人ですら、講師/教師が好きなものを読み聞かせてもらうことには抵抗感がありません。読み聞かせは、学齢期前や低学年の子どもたちだけを対象にするものでは決してないのです。(方法ですから、あくまでも使い方次第ということです!)

 私の好きな『ギヴァー』の作者のロイス・ローリーさんも、よりうまく書くためにできることの筆頭にたくさん読むことを挙げています。

 次回からは、このブログ/メルマガを読まれる皆さんには、翌週はWWなのか、RWなのかという楽しみが増えたわけです。


★ 本は、Doing History (4th Edition), by Linda Levstik and Keith Bartonの123ページです。
 なぜ歴史の教え方を書いた本にこんな引用が出てくるの、と不思議に思う方もいるかもしれませんが、日本のように教科書だけを使った暗記中心の科目ではないという位置づけがあるからです。
 発想としては、本当に書いたり、読んだりすることを中心に据えたWWやRWと同じで、本当に歴史をする形で学ぶことはたくさん読んだり、書いたり(プラス話し合ったり)することを意味します。
 読んだり、書いたり、話し合ったりすることが、歴史だけでなく、地理にも、公民領域にも、そして読み・書きを含めたすべての教科で不可欠なのですが、残念ながら日本の多くの授業はまだそうなっていません。主体的に読んだり、書いたり、話し合ったりすることこそが一番よく学べる方法なのに。

2011年8月27日土曜日

お気に入りの作家を増やそう

 毎週、金曜日更新予定のWW便りですが、今回は1日遅れて しまいました。すみません。 

 夏休みもあと少しです。早いです。夏休みの間に「増やしたいもの」 として、「メンター・テキスト」、「教室の壁に貼っておきたいような書 くこと、読むこと、学ぶことについての名言(インパクトのある、他の人の言葉)」などが、8月のWW便りで登場しました。

 今日も「増やしたいもの」について書きます。今回は「お気に入りの作家を増やそ う」です。

  読み書きのつながりについては、『ライティング・ワークショップ』7章 の最初のエピソードで、「上手に書かれている話の『響き』を知っ て」いる子どものことが語られていて、その「響き」は読むことによって蓄えられると書かれています。

 「美味しい食事を味わうことなく、名シェフになりたいと思うで しょうか。先達の画家の創造的な作品を知らずして、一流の画家に なることができるでしょうか。同様に、十分な読書をしていない子 どもたちが、書き手として成長することができるでしょうか」と 、『ライティング・ワークショップ』の著者たちは問いかけています。

 おそらくライティング・ワークショップ(WW)を実践されている先生方は、リーディング・ワークショップ(RW)にも興味 をお持ちか、あるいは読みの授業をRWで実践されている方も 多いと思います。 そしてRWを行っていると、子どもたちは、自分の好きな作 家を見つけたり、あるシリーズを続けて読んだりということがよく あると思います。 

 たくさん読書をする中で、お気に入りの作家やシリーズが見つかることで、子どもたちは、もちろん、個別の作品から作家の技や「上手く書か れている話の響き」を学びます。

 しかし、それだけではありません。例えば大きめのトピック やテーマを、「これはシリーズで扱おう」と思ったり、「○○という作家のよ うに、いくつかの作品に共通するテーマを描こう」など、書き手と してダイナミックな成長のきっかけにもなります。

 またお気に入りの作家やシリーズについて、それを題材に使って、論評や書評を書くこ とも、もちろんできます。 

 子どもたちが作家としてダイナミックに成長するためにも、先生もぜひ、 お気に入りの作家やシリーズを増やして、それを子どもたちに語っ ていきたいものです。

*****

 私は本を読むのが大好きです。そして、WWとRWに関わり始め てから、児童文学の読書量が急増し、そのおかげで、 私の人生をとても豊かになっていると思います。私は英語の教師なので、英語で読めるものについては、その作家の作品のほとんどを読了したような作家も少しずつでてきました。そういう作家については、その作家・シリーズから学べることについて、できれば英語の先生たちや、洋書を読んでみたいと思っている生徒たちにも、書いてみたいです。(それで、書ける場をさがしてみたいと思っています)。

 こういう作家について具体的に書き始めると、WW便りでなくて、RW便りになってしまいそうです。でも、読み書きのつなが りという点から考えると、WW便りとRW便りは連動しているのだろうと思います。

 教師が読むことを大好きになることで、そしてお気に入りの作家を見つけたりすることで、そしてその楽しさを子どもたちに伝えることで、WWの時間も豊かになると思います。

 そして、もちろん、RWの時間にも活きてきます。

 それだけではなくて、教師自身の時間も豊かになります。『リーディング・ワークショップ』の中から、私の好きな箇所を引用して、今日のWW便りは終わります。

  「本のある生活を豊かなものにし、子どもたちに命を吹き込む最良の方法は、教師自身が本とのかかわりを深め、教師自身の本を読む生活に命を吹き込むことです。<中略>私たちが読むという経験を広げて深めることは、読むことを教える ときに活きてきます。しかし、教師が本を読む最も大切な理由は、 楽しみながら本を読むことで教師自身が元気になったり、励まされ たり、慰められたりする姿を子どもたちに見せることができ、本を 読むとはどういうことなのかを教えられるからです」


出典:
○ 上で紹介した『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)の読み書きのつながりについては、93-95ページをご覧ください。

○ 上で紹介した『リーディング・ワークショップ』(新評論、2010年)からの引用は、78ページに載っています。

2011年8月19日金曜日

インパクトのある、他の人の言葉を使う

 前々回のWWは「夏休みの間にメンター・テキストを増やそう!」でした。
 今回のWW便りのテーマは、「夏休みの間に(も)(子どもたちに紹介したいような、また自分の励みになりそうな)インパクトのある、他の人の言葉(に出合い、それ)を増やそう!」です。
 何かを書くときに、インパクトのある言葉を引用することは、よく行われるように思います。私も、引用で書き始める(あるいは書き終わる)こともありますし、もちろん、本文中で誰かの言葉を引用することもあります。
 インパクトのある、他の人の言葉を使う、ということを考えていて、このWW便りでも何度か紹介している、ナンシー・アトウエル氏の本の最後のほうに、「ライティング/リーディング・ワークショップを実施している教室の壁に貼っておけるような言葉の引用例」という一覧があることを思い出しました。
 それで、その箇所をもう一度、見たくなりました。
 中学校レベルのすぐれた実践者であるナンシー・アトウエル氏のいろいろな著作の大ファンである私は、この一覧に挙げてあるいろいろな人の言葉を選んだアトウエル氏の思いを考えたりしながら、読みました。
 彼女の選んだ言葉は、もちろん、書くこと・読むことに限定したものもありますが、書くこと・読むことだけに限定されずに、生きること、考えること、学ぶことに関わる引用も多かったです。
 今日は、アトウエルさんの本の「ライティング/リーディング・ワークショップを実施している教室の壁に貼れるような言葉の引用例」から、書くことについて私が印象に残ったものを、私の下手な私訳で申し訳ありませんが、2つ紹介します。
「読む人が飛ばしそうな箇所は、省いておくようにしています」
     エルモア・レナード  (作家)
「これ以上、削除すべき単語が一つも見つけられないときに、詩が完成したということが分かります」
      ボビー・キャッツ (詩人)
 上の二つの引用が印象に残ったのは、「削除する、省く」というのは、子どもたちにとって(多分、大人にとっても?)、難しいことの一つのように思えるからです。
 夏休みの間に、ライティング・ワークショップで子どもたちに紹介できるような、書くこと(や学ぶこと、考えること、生きること)についての、インパクトのある言葉にもたくさん出合い、書き留めておきたいものです。
 また、それ以外にも、お気に入りのフレーズなどは、作家ノートに書き留めておくと、いつか自分の作品の中に引用してインパクトを増すこともできるかもしれません。
出典:
Nancie Atwell 著 の In the Middle (Boynton, 1998) 519-521ページには、「ライティング/リーディング・ワークショップを実施している教室の壁に貼っておけるような言葉の引用例」が、3ページに渡って載っています。

2011年8月12日金曜日

WWの中で本を使う

 前回のWW便りは、「夏休みの間にメンター・テキストを増やそう!」でした。

 その流れで、今回は「WWの中で本を使う」です。『ライティング・ワークショッ
プ』(新評論、2007年)の第7章が「ライティング・ワークショップのなかでの本の使
い方」という章(93~107ページ)です。ぜひ、この章もご覧ください。

 特にミニ・レッスンで本を使う(101~105ページ)と、カンファランスで本を使う
(105~107)は具体的です。

★ WWで使える本の増やし方をいくつか考えてみました。

○ 102-103ページに書かれている本のリストから、同じようなポイントを学べる本
はないかな?と考えてみるのも、一つの手かもしれません。あるいは芋づる式?に、
他のポイントが浮かぶかもしれません。
 例えば、そのリストの最初に出てくる本は、以下のように紹介されています(102
ページ)

 『三びきのコブタのほんとうの話ーーA. ウルフ談』 (ジョン・シェスカ著)
ある出来事を、従来とは異なる立場から書くことが学べます。


→ ここから私の頭に浮かんだ本は、この話つながりで、
『3びきのかわいいオオカ
ミ』でした。芋づる式?に、少し違うポイントの本を思い出し始めまたのです。

 
『3びきのかわいいオオカ ミ』 からは、従来の立場を逆転させることもできるなあと
思いましたし、パロディの面白さも学べ ると思いました。

→ パロディというところから、次の本が浮かびました。『へそまがり昔ばなし』で
す。この話の中では赤ずきんちゃんはピストルをオオカミにピストルを向けます。
パロディというジャンルの一つのメンター・テキストになりそうです。

○ 先学期自分が行ったミニ・レッスンやカンファランスを思い出して、リストをつくり、
その中で「本をつかって教えると、効果的なものはないかな? そのためには、どう
いうポイントの本があるといい?」と、自分に問いかけてみて、いくつか書き出してみる
のもいいかもしれません。
 そのリストがあると、何か本を読んだときに、書名を書き込んでいくことができます。

→ ちなみに、私は「書き出し」や「対話」を教えるミニ・レッスンで、本を使わな
いことはありません。

★ 前回のWW便りには、「特に絵本をお薦めするのは、短時間で読みたり、紹介でき
たりするだけでなく、いい文章の要素が凝縮される形で詰まっているからです」と書
かれていましたが、同じ理由で詩もお薦めです。夏休み、ぜひ、詩も楽しんでください。
自分が気に入った、いろいろな人のいろいろな詩を集めて、自分だけの
「お気に入り詩集」をつくるのも、いいかもしれません。
(→ 私はつくっています。これがあると、「明日はどの詩で授業を始めようかな」と、パラパラ見れます。
いろいろなアイディアも浮かびます。つくってよかったです。好きな詩も増やし続けたいです)。

出典:
『三びきのコブタのほんとうの話ーーA. ウルフ談』 ジョン・シェスカ(著)
レイン・スミス(絵)、岩波書店、1991年
3びきのかわいいオオカミ ユージーン トリビザス (著), ヘレン オクセンバリー (イラスト)
こだま ともこ (翻訳) 、冨山房, 1994年
へそまがり昔ばなしロアルド ダール (著)、クェンティン ブレイク (イラスト)
灰島 かり (翻訳)、評論社、2002年

2011年8月5日金曜日

夏休みの間にメンター・テキストを増やそう!!

 とにかくたくさんの本(特に、絵本★)を夏休みの間に読んで、WW(作家)の時間にメンター・テキストとして使える本を探してください。

 まずは、自分がおもしろいと思える本、子どもたちに紹介したいと思える本を探してください。それらはすべて、読み聞かせ用の本として最低限使えます。さらには、RW(読書家)の時間をしている方は、そのメンター・テキストとして使える可能性大です。

 おもしろい/紹介したいと思った本は、いい文章の要素3回連続で紹介したWilliam Zinsserの「いい文章を書くには」などの視点(要するに、「作家の視点」)で見てみると、どういうとき(ミニ・レッスン)に使えるかが浮かんできます。身近においておくと、カンファランスでも使えます。

 いい本は、ぜひ教えてくださいWWサイトに載せますので。


★ 特に絵本をお薦めするのは、短時間で読めたり、紹介できたりするだけでなく、いい文章の要素が凝縮される形で詰まっているからです。

2011年7月29日金曜日

自分が書いた中で、一番好きな作品の理由

 「私は言語使用に関する規則は知らないし、読点をどこに置くべきなのかも知らない。<中略>でも、書くときに自分の心をどこに置くのかは知っている」

 上の言葉は『ライティング・ワークショップ』の中で、ナスティジという作家の回想録の中で書かれた言葉ということで、登場します。

 そして、そのあと『ライティング・ワークショップ』では次のように続きます。

「このナスティジの言葉は、書くことを教えるときに教師がなすべきことと共鳴しています。結局のところ子どもたちにとって大切なのは、教師が教えたヒントや技法よりも、教師自身の書くことへの情熱と、書き手としての子どもたちを信頼することなのです。」

*****

 この言葉は言葉としては分かるのです。しかし、最初にこの言葉に出合った頃は、なんだか、納得のいかない気持ちも、どこかにありました。というのは、私はミニ・レッスンを考えるときには、ヒントや技法を一生懸命、考えていたからです。

 しかし、今年の夏休み前の最後のWWの授業で、生徒たちが、上の言葉を納得させてくれました。

 皆様は、夏休みの前のWWの授業はどのようにされましたか?

 私は「作家の日」プラス「作品の簡単な自己評価」にしました。

 簡単な自己評価というのは、「自分の書いた作品の中で一番気に入っている作品とその理由を書いてもらう」という、ごく短時間の評価でした。

 上のことは、自己評価力をつけるつもり、で行いました。また、それぞれが自分の作品(群)をどう見ているのかも知りたいと思いました。

 しかし、その自己評価から見えてきたものは、(1)それぞれがどういう書き手になのか、(2)私が教えたことの中でどの点が意識されているのか(つまり私の教えたことへの評価)、この二点でした。

 それで、その2点目をもう少し知りたいと思い、自分でミニ分析をすることにしました。約20名分ですが、自分がなぜその作品を一番気に入ったのかというコメントを表にしてみました。そして、その横に、コメントから見えてくるポイントをいくつか書き出していったところ、次の2点に関わるコメントが頻出していることが分かりました。

 ① 読者

(→ 読者を意識して書けたから、とか、読者からの反応がよかったから等。なお、この場合の読者とは、クラスで自分の作品を聞いてくれたクラスメートのことです)。

 ② 自分の書きたいことに取り組み、書くことができた

( → つまり、英語でいうところの voiceです。5月21日のブログに書いた「書き手の思い、書き手らしさが伝わってくる声」がある作品にできたということです)。



 今学期、ミニ・レッスンではもちろん、ヒントや技法、そしてもちろん言語項目や校正もけっこう取り扱いました。おそらく来学期も扱うと思います。

 しかし、書き手の自己評価を見ているときに、ナスティジの言葉がそうなんだと納得できました。

 となると、来学期の準備の中に「自分の書き手としての成長」がはずせなくなります。今の私には、5月14日のWW便りの真ん中あたりで登場した、ドナルド・グレイヴスのアドバイスが、現実的ないいアドバイスです。

出典:

『ライティング・ワークショップ』(ラルフ・フレッチャー、ジョアン・ポータルピ著、新評論、2007年)。上の言葉が出てくるのは156ページです。

2011年7月23日土曜日

マレーの修正の3つの段階

 前回、最後に紹介したマレーの具体的な修正の方法は、全部を一回でやるのではありません。

 彼は、少なくとも3段階に分けてやっているそうです。★


第1段階: 書いている内容のみに焦点を当てる。これだけで、数回を要する。

第2段階: 全体の流れ・構成・順番についての検討。これも、一回のみでは終わらない。

第3段階: 従来は「校正」と呼ばれている言語事項や語句のチェック。読み手にとってわかりやすいことと、読み手の耳にやさしいことが大切なので、この段階では声を出して読むそうです。これも一度だけでなく、数回やるにこしたことはありません。

 もちろん、マレーがしていたとおりを真似る必要はありません。これを参考にして自分にとってのベストの方法を編み出してください(子どもたち一人ひとりが自分のベストの方法を作り出すのをサポートしてあげてください)。


★  Donald Murray, Crafting a Life in Essay, Story, Poem、140ページ

2011年7月22日金曜日

修正の大切さとその方法

 WW(作家)の時間は、本物の作家やジャーナリストたちがしているように、題材探し・下書き・修正・校正・出版のサイクルを繰り返し体験していきます。★


          (出典: 『作家の時間』プロジェクト・ワークショップ編著、91ページ)

 このサイクルの中で、何が一番大切か?

 あえて言えば、前回とのつながりだからというわけではないのですが、修正でしょうか

 これまでの作文教育になれてしまうと、題材探しや出版はそれなりにすんなり受け入れられても、修正の部分が一番受け入れにくい、という先生たちの声を聞くからでもあります。その大きな理由は、これまでの習慣で、下書き=清書の一歩手前の感覚で下書きが存在するので、修正をやりたくない子が多いというのです。その背景には、書き直しはまずい文章をよくする、というイメージが付きまとっているからのようです。(誰も、自分の書いた文章がまずいとは認めなくない?!)もう一つは、校正と混同されていることもあります。

 日本語の「修正」と「推敲」に若干問題があるのかもしれません。修正は「よくない点を改めること」「手を加えて、直し整えること」、推敲は「文章を書いた後、字句を良くするために何回も読んで練り直すこと」と、一般的には理解されています。後者のニュアンスは、すでにできている文章に磨きをかける感じです。ちなみに、「推敲」を和英辞典で調べたところ、re-visionという言葉が出てくるのもありましたが、中心はpolishingや improvementでした。

 私たちは英語のre-visionの訳として「修正」を選びました。Re-visionには、もう一度、自分が書きたいことを見る、作り出す、再発見する、明確にするという極めて前向きな意味が込められています。だからこそ、この過程がとても大切なわけです。しかしながら、日本語の「修正」にはそういうニュアンスが残念ながら弱いというか、ないのかもしれません。

 修正をもう一度、自分が書きたいことを見る、作り出す、再発見する、明確にすることと捉えると、その前の下書きはこれまでよりも肩の力(頭の力?)を弱めて、気楽に書いてもよくなります。何回か繰り返す修正のあくまで下書きですから、あまり文章の流れ(構成)や語句や言語事項などを気にせず、頭に浮かんだことを書き出す段階と位置づけられます。間違っても、清書の一歩手前ではありません

 自分自身がジャーナリストであり、作家でもあり、そして教育の世界に作家のサイクルを導入した一人でもあるドナルド・マレーは、修正をする際の具体的なヒントとして以下のような点を挙げてくれています。★★
   ・全体を読んで、欠けている部分を探す。
   ・声を出して読み、意味が通じるか確認する。
   ・いい部分は、さらに伸ばす/膨らます。
   ・省ける部分はカットする。短くできれば、それに越したことはない。
   ・読み手が持つであろう疑問・質問を考え、それらに答えているか確認する。
   ・文の流れについては、理解できるようにゆっくりするところはゆっくりし、読み手が作品から目を離さないように飛ばすところは飛ばすようにする。


★ もちろん、すべての題材や下書きを修正したり、校正したり、出版する必要はないのですが。
★★  Donald Murray, Crafting a Life in Essay, Story, Poem、141ページ

2011年7月15日金曜日

「締切りの活用」と「修正は繰り返し」 

 今日のWW便りは、「締切りの活用」と「修正は繰り返し」です。 

 まずは「修正は繰り返し」から、書きます。 

 WWで教えながら、私の教えている生徒の多くは、「提出して終わり」、つまり「第1稿がほとんど最終稿」で、今までの作文の授業を過ごしてきたんだな、と感じることが、けっこうあります。 

 さて、このWW便りでも何度か紹介しているドナルド・マレー氏は、修正とは、書く過程に存在する、ある一つの独立した部分ではないことに、あるとき、気付いたと、言います。 

 そうではなくて、修正とは、(その後に)校正する価値がある文(つまり、読んでもらうのに耐えうるもの)ができるまで、必要なだけ「何度も何度も繰り返す」という、(書く)過程だ、と考えています。

 もちろん、その「何度何度も繰り返す」過程の中で、そのとき、そのときで、「情報を集める」、「計画する」、「発展させる」など、修正の方法や修正の焦点が異なります。 

 マレー氏は、修正の過程で、生徒が自分に尋ねてみるといいのでは?というチェックリストも紹介してくれていますので、そこから修正の焦点・方法を、いくつか紹介します。 

○ 情報は十分か。
→ もしそうでなければ、「情報を集める」ことが必要 

○ 一つのことを語っているか。「この文は何を意味するの?」という質問に答えられるか。 
→ もしそうでなければ、(構成を)「計画する」ことが必要。

○ 読者が満足できるように情報を提示できているか。 
→ もしそうでなければ、今ある情報を「発展させる」ことが必要。

***** 

 さて、修正の大切さが分かっても、実際に「書く」ことを行わなければ、どこにも行き着きません。 

 WWでは、自分の作品を、どのジャンルで書き、どのくらいの長さにし、どのくらい時間をかけて仕上げるのか、というのは、書き手である子どもたちの選択にゆだねられることが多いです。

 この選択を活かして、子どもたちは自分の取り組みたい題材に力を注ぎつつ、書き手として成長していきます。

 その中で、絶対的に大切なのが、当たり前のように聞こえるかもしれませんが、「書く時間」です。

  『ライティング・ワークショップ』の中では、書くことの第一人者であるドナルド・グレイヴスに向かって、「もし、1週間に一度しか書く時間がとれないとしたら、どのように教えるべきでしょうか?」と尋ねた教師に対して、グレイヴスが以下のように答えたことが紹介されています。

 「週に一度しか教えられないのであれば、やめたほうがよいですね。<中略> 週に一度の授業では、子どもたちは書き手にはなれません」 

 実は、私のWWの授業は週に一度しかないのです(教える学年があがってくると、私のように、週に一度しか時間が確保できない先生もいらっしゃるのではないでしょうか?) 

 そして、書き手としての自分を考えたときに、書き手として自分がなかなか成長できないのは、やはり書く時間が少ない、ということに尽きるように思います。 

 私の生徒にしても、私にしても、書き手として成長できるかどうかのカギは、書く時間の確保だろうと思います。

 生徒の場合は週に一度しか授業時間が取れないという問題。 私の場合は、日々の忙しさに取り紛れてしまい、なかなか継続的に書く時間が取れないという問題。 

 さて、どうしましょうか。 

 まずは、書き手としての自分(教師)が、解決策を考えて、それを試してみる必要があると思います。 

 そのための一つの方法は、「締切りを設けて、締切りを活用する」ということだろうと思います。 

 締切りというのは、WWになじまないように思われるかもしれません。 もちろん、「全員が今週は下書き、来週は2章まで書く、さ来週は構成、その次の週が校正」というような、一律の締切りは、WWではまず使われないと思います。 

 しかし、それぞれの書き手が、「書く時間を確保」するために、それぞれに自分の生活の中に締切りを設けて、それを活用する、ということは、私はWW的にも、「あり」だと思っています。 

 上で紹介したマレー氏は、「たとえば、1日で(あるいはある時間で)○ページ書く」というような「締切り」を自分に課すのをやめたときに、自分は書くことをやめてしまう、ともいっています。

 また締切りというのは、「最終原稿」を仕上げる日だけではありません。

 「最終原稿を○月○日までに仕上げる」ということは、毎日の生活の中ではむしろ見えにくい印象を持ちます。 マレー氏の文を読んでいると、毎日の生活の中で見えにくい締切りを持つよりも、(その目標に向けて、まずは)「毎日○ページ書く、毎日○時間書く」というような、「毎日の生活」の中で目に見える締切りがないと、「書く時間」の確保にはつながらないということではないか、と私は思いました。

 最終の締切りだけを生徒に提示しても、前日に慌てて仕上げようとするだけで、日常的に書く時間が増えることにはつながらないのかもしれません。それと同じなのだろうと思います。

  「先生も皆さんも書き手です。書くことの大変さや苦労も一緒に乗り越えていきましょう」というメッセージが、『ライティング・ワークショップ』にでてきます。

 このメッセージを子どもたちに伝えられるように、まずは教師が、自分の生活のなかで書く時間を増やすために、この夏、日々の生活の中に、目に見える締切りを設けることを、試してみるのはいかがでしょうか?

出典:

Donald M. Murray の A Writer Teaches Writing, Revised Second Edition, (Thomson, 2004)で、修正は繰り返しについては56-58ページ、締切りについては52ページに書かれています。

『ライティング・ワークショップ』(ラルフ・フレッチャー、ジョアン・ポータルピ著、新評論、2007年)より、ドナルド・グレイヴスの上で紹介した言葉が出てくるのは19-20ページです。「書き手として一緒に」という上の言葉が出てくるのは43ページ。42-43ページでは、教師が子どもと一緒に書く、教師が書く姿を見せることの大切さが強調されています。

2011年7月8日金曜日

「人について書く」というユニット 

 前回のWW便りでは、自己紹介という題材について書きました。その拡大版?で、今回は「人につ
いて書く」というユニットについて書きます。

 先日、詩をパラパラ見ていました。その中に小学生向きの詩があ り、もし、我が家
の犬が言葉を話せれば、お父さん、お母さん、自分などに向けて、それぞれに、こう
いうことを言うだろう、という ものがありました。

 これを読んでいて、そうか、「飼い犬の口から家族を語らせる」こ とも可能なんだと
思いました。

 これは自己紹介というよりは家族の紹介です。

 家族だけでなく、他の人を紹介する文を書くということは(たとえば、 新しく赴任
した先生を紹介するなど)、現実生活でも時々必要とな る、ひとつの分野だと思います。

 自己紹介、自分の家族の紹介、他の人の紹介など、「人について 書く」というユニ
ットをWWにつくるのもいいのではないかと思いました。

 その理由は、二つあります。

1)まず一つ目の理由です。いろいろなジャンルやスタイルのメン ター・テキスト
が、さがしやすいので、何かについて書くときに、 いろいろなジャンルやスタイルが
あること提示しやすいというメ リットがあることです。
これを活かして、「書き手と
いうものは、ジャン ルやスタイルを選択することが必要だ」ということを教えるの
に、 いいユニットになると思います。

 私は英語の教師なので、どうしても英語のWWでのメンター・テ キストを考えてし
まいますが、少し考えただけで「人について書 く」ユニットのメンター・テキストと
して、以下のことが浮かびました。

 自分のことを、ある切り口で書いた詩。(これは前回のWW便りをご覧ください)。

 自分の家族のことを、第3者の口(たとえば、家族の飼って いる犬)から語らせる詩。

 自分のあこがれの人、マイケル・ジョーダンについて書いている詩

 歴史上の人物、ハリエット・タブマンについて書いている詩 

 詩は短い時間で紹介できるというメリットがありますが、詩だけ に限っても上のよ
うに、いろいろとあります。

 詩以外で、頭に浮かんだのは、アメリカの大学のホームページの 中で、在学生を何
人かを、かなり詳しく紹介しているページです。(→ 紹介されている人によっ て、
書かれている情報はかなり異なります。)

 また、出版されている本に載っている著者紹介も、長いもの、短 いもの、フレンド
リーな感じのもの、フォーマルな感じのもの、と とりまぜて紹介するのもいいかもし
れません。

 上記のように、少し考えるだけでいろいろなメンター・テキストが浮かびますので、 「作家が行う選択」
というテーマも、教えやすいと思います。

 (「作家とは選択をするもの」ということは、早めの段階で教え ておいてもいいこ
とのように思います。この点については、『ライ ティング・ワークショップ』53-
54ページで、「作家には決断が必要です」ということが書かれています。
この「決断」をジャンルやスタイルという点から教えるのに、このユニットはいいように思います。

2)二つ目の理由は、お互いを知ることの助けになることです。

 自己紹介だけに限定せずに、「人について書く」と範囲を広げることで、自分にあ
った、自分の安心できる自己開示 を自分で選択できる、というのも悪くないのかなと
も思います。 

 誰について、どんな切り口で書こうとも、その生徒自身やその生 徒が関心や関わり
をもっている人について知ることができるので、教師に とってもプラスだと思います。

 一人一人の生徒に対して、理解しようという気持ちは、WWでは大きいと思いま
す。書き手としての生徒を、一人ひとり知ることは、一人ひとりを個人レベルで(あ
るいは同じ課題をもっている生徒を小グループで)教え サポートしていくカンファラ
ンスの土台の一部ともいえます。

*****

* 本日の題に書いたユニットというカタカナですが、「単元」と訳されることもあ
ります。ただ、単元というと、「教科書ベースで、それをカバーする」イメージもあるよう
にも思いますので、カタカナのまま「ユニット」と書きました。

* 本日のWW便りは、前回のブログに対して、以下のコメントをいただいたことがきっ
かけで、書けました。ありがとうございいました。

「自己紹介」をすべてのジャンルをそろえて
学年の早めの段階でやってみるというのは
いい考えかもしれませんね。

生徒たちのことを知れる(生徒相互に知れる)
だけでなく、ジャンルの多様さも提示できます
から。

出典:

○ 自分の家族のことを、第3者の口(たとえば、家族の飼って いる犬)から語らせ
る詩は,
Kirk Mannの書いた If Dogs Could Talk で、Perfect Poema with Strategies
for Building Fluency: Grades 3-4
(Scholastic, 2000)に載っています。


○ 自分のあこがれの人、マイケル・ジョーダンについて書いている詩は Jay Spoon
 が書いた
A Sestina for Michael Jordan で、この詩はNancie Atwell のNaming the World
(Heinemann, 2006)に載っています。

○ 歴史上の人物、ハリエット・タブマンについて書いている詩は、Eloise
Greenfield の書いたHarriet Tubman で、この詩は、Eloise Greenfield のHoney,
I Love and Other Love Poems
(Crowell, 1978)に載っています。

○アメリカの大学のホームページの 中で、在学生を何人かを、かなり詳しく、紹介し
ているページについては、例えば、
http://www.semo.edu/spotlights/students.htm
ご覧ください。

2011年7月1日金曜日

古くて新しい題材: 自己紹介は面白い?

 学期もだいぶ進んできましたが、今頃になって、なぜかWWの題材として「自己紹
介」を書く生徒が何人かでてきました。

 私としては、「なぜ今頃自己紹介なの?」と、少し不思議な気もしました。とはい
え、数名の生徒が自己紹介を書いているので、カンファランスで、自己紹介のいくつ
かの切り口を教えようと思いました。

 詩をつかってWW(やRW)を教えることの魅力にかなりはまっている私は、さっそく、自
己紹介という題材を書くために助けになりそうな、いくつかの詩を思い出しました。

 まずは 『悲しい本』の著者、マイケル・ローゼンが書いた詩集で、Michael
Rosen's Scrapbook
という本の中にある For Naomi という題の詩です。

 この詩では、自分の父親像を描いています。

 「自分は、子どもからすると、一緒にいるところを見られたくない」親であると述
べたあとで、どんな親かという描写をしていきます。

 どんな親かという描写のところは、who のあとに、各行に一つずつ具体例が続いて
いきます。その具体例は、各行、3~5単語ぐらいなので、とても理解しやすいし、こ
んなに短い表現でいろいろと言えてしまうこともよく分かりますので、英語に苦手意
識のある生徒にも、いいと思いました。(例えばいくつか例を挙げると、eats
pizzas in the street とか has long hair などです)。

 この詩の場合は、「父親像」ですが、何か自分の一部に焦点をあてて、その行動を
描写することで自分の一部を紹介する・伝える、という方法を教えるのに、いいメン
ターテキストだと思いました。

 それ以外にも、いろいろな形の自己紹介があるね、という話をカンファランスでし
ました。

 この詩では、自分の行動がずっとリストのように並んでいますが、リストそのもの
を使っての自己紹介もできます。

 リストも、「ほしいものリスト」、「新年の決意リスト」、「自分のいいところリ
スト」、その他、いろいろなリストが可能だと思います(過去にも、リストを使った
作品を書いた生徒も何人かいます)。

 自分の携帯から自分を紹介する、自分のカバンの中身から自分を紹介する、など、
あるものに焦点をあてた自己紹介も可能です。

 そのあともしばらく考えていました。

 また、「もし、私が世界を自分の好きなようにできるなら」、ということで、自分
のしたいことを、いろいろ書いてある詩も思い出しました。

 また、自分の人生を「短く5章」でまとめてしまう詩もあります。

 自分の人生???を、詩の形で上手に表現しているものも思い出しました。


 こういういろいろな方法で、自分を語るのも「あり」だなと思いました。

 いろいろあって楽しいですし、人間がもつ表現力はすごいなと思います。
 
 実は、私は今までは、自己紹介的な題材は、WWでは「つまらない」題材だと思って
いましたし、私から書くことを奨励したこともありませんでした。

 しかし、いろいろな可能性が分かるテキストを提示することで、表現にはいろいろ
な幅があることも学べますし、表現方法は、それぞれに工夫されているので、こうい
う詩を「作家の目」で読むのも、いいなと思います。

 実は自己紹介という題材は、かなり魅力的な題材になりうるように思い始めました。

 また、「他の人を書く」という題材に、発展する可能性もあります。
  
 来学期は3,4回目ぐらいのミニ・レッスンで「自己あるいは誰かの紹介」をいれ
てみようか、と思い始めているぐらいです。
 
出典:

 私が英語を教えていることもあり、今回のWW便りで紹介している詩も、英語のもの
になってしまいました。

○ 上で紹介したマイケル・ローゼン(Michael Rosen)が書いた詩集は、Michael
Rosen's Scrapbook
(Oxford University Press, 2006)です。

 これはかなり面白い詩集です。というのは、なんと著者の「考え聞かせ」がついて
いるからです。それぞれの詩をつくったときの著者の頭の中に浮かんだことや補足の
説明など、著者の頭の中にあることの「考え聞かせ」が、あちこちに書き込んであり
ます。

○ 「もし、私が世界を自分の好きなようにできるなら」ということで紹介したの
は、Judith ViorstのIf I Were in Charge of the World and Other Worries 
(Aladdin Books, 1981) です。

○ 自分の人生を5章で語るというのは、Portia Nelson の Autobiography in
Five Short Chapters で、この詩は複数のアンソロジーなどの中で紹介されていま
す。私はこの詩はRead-Aloud Anthology (Janet Allen and Patrick Daley,
Scholastic 2004)の中で見つけました。

○ 自分の人生???を詩の形で上手に表現していると思い、私が好きなのは
Naomi Shihab Nye の 
A Maze Me (Greenwillow Books, 2005) のカバーを開いたところに書いてある詩です。

2011年6月24日金曜日

ワークショップの活気が失われてきたら

 学期が進むに連れ、順調に滑り出したと思うWWも、停滞気味になってしまうと
きもあります。

 今日はそんなときにできること(方法)・考えてみたいこと(考え方)を少し書い
てみたいと思います。

  『ライティング・ワークショップ』の10章は「予想される問題とその解決法」
の章ですが、その中に、「ワークショップが沈滞気味になる」という問題も登場しま
す(145-146ページ)。

 著者のラルフ・フレッチャー氏とジョアン・ポータルピ氏は、二つの提案をしてい
ます。

 一つは、新しいジャンル(例えば詩やノンフィクション)について学ぶ機会を導入
する。

 もう一つは、自分の今までに書いた作品の中からいいものを選び、磨きをかけ、他
の人の目に触れる機会をつくるという「作家の日」という、書き手たちを称えるよう
な活動を行う。

 後者は「出版」の一つの形態でもありますから、『ライティング・ワークショッ
プ』が出版について述べている88-89ページ、そして89ページの注もご参照ください。



 上の2点は、活気づけるための具体的な、いい「方法」だと思います。

  実は私のクラスも、滑り出しのほうがよくて、今は少し沈滞気味?なので、何冊
かWW関係の本を見ていました。
そして、ドキッとしたのが、ルーシー・カルキンズの
「考え方」です。(ルーシー・カルキンズは、『リーディング・ワークショップ』の
著者ですが、以下に述べることは、彼女の書くことについての本、The Art of
Teaching Writing
に書かれています。とてもいい本なのですが、残念ながら、こちら
の方は邦訳が出ていません。)

 カルキンズ氏の本を見ていると、「教師が押し付けることはやめて、子どもたちが
持っているエネルギーを使う/活かす」ことで、本当の活気が生まれると考えているよ
うに感じます。

 彼女は、もともとは、子どもたちを「刺激し、動機付ける」ために、いろいろな工
夫をしていたようです。しかし、それらは短期の効果しかない、といいます。また、
先生が面白いと思うものを教室にもっていって、それについて書かせることもしたよ
うです。

 「しかし」、と彼女は考えています。

 先生が面白いと思うものを教室にもっていって、それについて書かせること
は、間接的には、「あなたたちが選ぶ題材は価値がない」というメッセージになると
いうのです。(たとえば、その典型例の一つをすでに紹介しました。結構いい先生
というか、がんばっている先生ほど犯しがちな気がします。

 そうではなくて、子どもたち一人ひとりが、そこに時間とエネルギーをかけたいと
思う題材を活かす、クラスにあるエネルギーを活かす、そういうものでないと、本当
の活気は生まれてこないといいます。

 「クラスにあるエネルギー」となると、クラスという単位で、学びの場になってい
ることが、改めて問われてくる、カルキンズ氏の本は、そんなことも教えてくれました。

 
出典
○ ラルフ・フレッチャー、ジョアン・ポータルピ著、『ライティング・ワークショ
ップ』 (新評論、2007年)、88-89ページ、145-156ページ

○ Lucy McCormick Calkins 著 The Art of Teaching Writing, New Edition,
(Heinemann, 1994、12ページ、174-176ページ)
    



2011年6月17日金曜日

いい文章を書くには 3

 William ZinsserのOn Writing Wellの最終回は、パート3と4の書く「種類」と「姿勢」についてです。(左の数字は、ページ数です。)

種類

99 ほとんどの人にとって書くということは、ノンフィクションを意味する。
   それは、自分が知っていること、観察できること、調べることができることだから。子どもたちにとって、このことは特に当てはまる。 → 詩や俳句を含めて、フィクションは作り出す/生み出す/イメージすることとは大分違う! それとも変わりない?

    人、場所、出来事が中心。

100 人なら、聞けば話してくれる。
101 インタビューの大切さ。
105 それには、準備が大切。質問のリストを作っていく。
107 テープを使っても(補助的に使い)、メインは自分のノートにする。
   → やり取りを楽しむことの大切さ。願わくは、宮本常一のレベルで!!

   人と同じレベルで、読み手の場所への関心も大きい。
   人、場所、出来事以外は、思い出、科学技術、ビジネス。スポーツ、批評など。

195 批評/書評は評価することよりもレポートすることが目的。4つの条件は、①対象(の作品)が好きである、②内容を明かしすぎない、③具体的な例を使う、④大げさに書かない。+ ユーモアと真面目さは、表裏一体。ウーディー・アレンのように。

姿勢

233 読者が聞きたい「声」を見つけることは、書き手の好みが左右する。
    女性の着る服のセンスに似ている。
235 好きな作家を真似することを恐れない! 自分のものにしてしまう。

245 自分自身が楽しむことの大切さ。楽しく学び続けることがカギ。
256 何に焦点を絞るかがポイント。

261 大きな判断は、作品のshape, structure, compression/focus/intention(形、構成、切り詰め/焦点/目的)
262 書き始めの大切さ
    文章を2つ、3つに分ける!
302 書くということは、自分の書いたことと自分自身を信じるということ。リスクを犯すということ、他の人との違いを際立たせること、成長し続けること。

2011年6月10日金曜日

いい文章を書くには 2

 前回に引き続きWilliam ZinsserのOn Writing Wellの紹介です。今回は、パート2の「方法」。(左の数字は、ページ数です。)

50 書くことを学ぶには、書くしかない! ひんぱんに書く。
   たとえば、記者は新聞社で毎日2~3の記事を載るか載らないかは別にして、書いていれば半年で自然にうまくなる。 → 教訓: 毎日たくさん書く。

   書くことは、問題解決。
   どこから情報を得るのか、それらをどう構成するのか等。
   書く姿勢, トーン(調子), スタイル(文体)をどう決めるのか。

51 3つの大きな選択:
    ・ 一人称か三人称か
    ・ 現在形か過去形か
    ・ ムードや調子

52 書き始める前に問うべき質問:
    ・ どのような立場で書くのか?
    ・ 人称と時制?
    ・ どのようなスタイル?
    ・ 書く姿勢は?(たとえば、のめり込んで?切り離なして?批判的?皮肉的?おもしろがって?)
    ・ どのくらいの量で書くのか?
    ・ 自分が言いたいことは何か?
 最後の2つが特に大事。切り落とすこと!!

 読み手は、こちらの意気込みをすぐに読み取ってしまう。
 それを自分が失わないレベルに押さえることが大切。

 2つでも、5つでもなく、1つだけ言いたいことが伝わればそれでいい。

53 計画/構想の奴隷になってはダメ!
   ムードやスタイルが一貫しているように修正する。

54 記事で一番大切なのは、書き出しの文章。
55 「これを読むことで何が得られるのか?」に答えてあげないと。
   その際、ユーモアや驚きは、大切な要素。
58 通常考えつかないような情報源を活用する(常に広く情報収集する)
63 書き終わりは、書きはじめと同じレベルで大切。

   はじめ ~ 中 ~ 終わり にこだわらないことの大切さ!!

66 驚きこそが、ノンフィクションで一番大切。

79 パラグラフは短く。作品はビジュアルに。見てくれが大切。読みたくなるように見えないといけない。

83 読み直しがすべて!
84 書くことがプロセスと思えないうちは、よく書けないということ。
   修正は、変形する(順番を変えたり、強弱をつけたり)、切り詰める、洗練する、の3つで構成されている。
86 声を出して読む。響きが大切。

91 読み手にも参加してもらうために、書きすぎない/説明しすぎない。
   自分の情熱/感動に従えばいい。必ず伝播する。

2011年6月3日金曜日

いい文章を書くには

 前回とのつながりで、「いい文章を書く」というか「上手に書く」とはどういうことかを、そのままのタイトルの本を使って紹介します。William Zinsserが1976年に書いたOn Writing Wellです。私がもっているのは2006年に出た30周年記念の改定第7版ですが、すでにその時点で100万部以上が売れています。サブタイトルには、The Classic Guide to Writing Nonfictionとありますから、対象はノンフィクション限定です。★この本の内容に相当する本がすでに日本語でありましたら、ぜひ教えてください。

 まずは、パート1の「原則」から。(私が読みながら取ったメモを起こしていますから、必ずしも要約とは言えないかもしれません。左の数字は、本のページ数です。斜字は、私のコメントです。

xii&4 書くことのエッセンスは、修正すること。
xiii    IT時代でも書くことがベース → 増えこそすれ、減らない!!

5 最終的に書き手が提示しているのは、中身よりもその人本人。
  書き手の意気込みが伝わってくるか? 文章を通じて、humanity, warmth, aliveness(人間性、温かさ、イキイキさ)が。 → これらが伝われば、読んでくれる。
  文章自体は、clarityとstrength(明快さと説得力)が大事。

6 いい文章の秘訣は、最小限に切り詰めること。
8 読み手は、30秒ぐらいしか時間をくれない。

16 最初の下書きは、何の問題もなく半分にすることができる。
   短くすることを、心がける。

19 読み手は、書き手に誠実であること/本当にその人であることを望む。そのために、書き手はリラックスすることと自信を持つことの両方を同時に実現しなければならない。
21 「私」という言葉を使わなくても、書き手の主張(Voice)は伝えられる。
   Style is tied to the psyche.(書き手のスタイルは、その人の心を表している。)

24 自分自身のために書く。自分が楽しめれば、他の人も楽しめる。
   書くときは、自分であれ!! 偽らない!

34 メンター・テキストから学ぶ/真似る。
Learn to use words with originality and care. (言葉は、大事にしかも自分なりのオリジナリティをもって使えるように練習する。)

2011年5月27日金曜日

いい文章とは?

 WWは、「よりよい書き手」「自立した書き手」を育てることをねらいとしていますが、だからといって、「作品」の出来を無視しているわけではありません。

 今回は、「いい文章とは、どんな文章か」を考えてみたいと思います。

『ライティング・ワークショップ』(ラルフ・フレッチャー他著)を翻訳出版する前に、日本で出ている「いい文章」「いい作文」関連の情報を集めましたが、ピンとくるのを見つけることはできませんでした。ちなみに、指導要領の「書くこと」の項目では、小学校は低・中・高、中学校は学年ごとに、(1)課題・取材、(2)構成、(3)記述、(4)推敲、(5)交流、そして言語活動にわかれて書かれています。(もし見つけていたら、当然のことながらあえて翻訳までして出す必要はありませんでしたから。)

 前回の「書き手の思い、書き手らしさが伝わってくる声」(Voice)は、いい文章を書くときのとても大切な要素の一つです。他の要素としては、
  ・ 構成
  ・ テーマ(アイディア)
  ・ 言葉の選択
  ・ 文章の滑らかさ
  ・ 言語規則
があげられます(Creative Writers: Through 6-Traits Writing Assessment and Instruction, by Vicke Spandel ~ これらの要素の導き出し方がなんともアメリカ的です。一人二人の著名人/権威者を信じるのではなく、何百人の普通の先生たちに出してもらった結果を整理統合したものです)。他にも、「詳しさ」「ジャンルの知識」をあげる人もいます(Assessing Writers, by Carl Anderson ~ これはWWのカンファランスに焦点を当てたとてもいい本です)。

 これらの要素はいずれも、ミニ・レッスンやカンファランスや共有の時間で扱う大事な題材です。

 中でも、私はテーマと「書き手の思い、書き手らしさが伝わってくる声」がもっとも重要だと思っていますが、後者が日本の作文では言われることはほとんどないようです。それに対して日本では、言語規則や構成が事のほか重要視されています。しかし、中身や書き手の声がないのに(=書き手が本当に書きたいと思っていないものに)、構成や言語規則や文章の滑らかさや言語の選択に努力することにどれだけの価値があるのでしょうか? 構成は書く中身次第というところが多分にありますから、「型」から教えてしまうことには疑問を感じてさえいます。書き手の声が消えてしまうのではないかと。

 WWは、テーマと声を主軸にして、構成や言語規則のことなどはまずは考えずに下書きを書くアプローチといえます。(これが、子どもたちが書くことを好きになる秘訣の一つの気がします。)その後に行う修正の段階で(強弱をつけたり、カットしたり、詳しく書いたり、順番を変えたりといった判断も含めた)構成、言語規則、文章の滑らかさ、言語の選択、さらには場合によってはジャンルの変更なども身につけていきます。

 ですから大切なことを無視はしていません。順番が逆というか、優先順位が違うという感じです。

 さらに言えば、清書の一歩手前としてではなく、あくまでも「筆に語らせる」のが下書きということです。従ってそれは、あらかじめ考えたことを整理して書き出すのではなく、思いついたことを順番は気にせずに書く「ラフな原稿」です。
 そうなると当然、その下書きと清書の間の修正や校正の作業が事のほか重要にもなります。内容や書く対象が鮮明にイメージできるものは、子どもたちも繰り返しの修正をいとわなくなります。(好きになるといっても過言ではありません。)なんといっても、本当に伝えたいことはよりいい形で伝わってほしいですから。
 ということで、結果的に日本の作文や文章が大切にしている「構成、言語規則、文章の滑らかさ、言語の選択」なども、子どもが心底よくしたいと思う作品を使ってより一層磨きがかかります。

2011年5月21日土曜日

書き手の思い、書き手らしさが伝わってくる声

 毎週、金曜日に更新することになっているWW便りですが、昨日は更新できなくてすみません。

 さて、今日のタイトルは、「書き手の思い、書き手らしさが伝わってくる声」です。

 このタイトルの英語は、voice ですが、それを「声」とだけ訳してもなんだか分かりにくいので、私としては、「書き手の思い、書き手らしさが伝わってくる声」と、少し言葉を補って考えています。

「書き手の思い、書き手らしさが伝わってくる声」について、ここしばらく考えていましたが、それには二つの理由があります。

 1)WWで提出される作品を見ていると、「書き手の思い、書き手らしさが伝わってくる声」がしっかり感じられる作品と、そうでない作品があります。

 後者の方が、「一見、うまくまとめられている」ことが多くて、「あ、まずい!」と感じました。おそらく書いた生徒たちは、けっこう形になっていて満足しているのではないか、そんな気もしました。

 「書く」ということは、そんなにつまらないものでも、そんなに簡単なものでもない、それをなんとかして教えなくては、と思いました。
 
 2)最近の出来事です。ある人から、その家族にとっての、とても大切な思い出の品が送られてきました。私が、その品を、しばらく(多分今から20年ぐらい??)預かることになりました。その思い出の品が送られてきたときに、その品にまつわるエピソードが、数枚に渡って添えられていました。そのエピソードは、「書き手の思い、書き手らしさが伝わってくる声」に満ちあふれていました。

 さて、上の1)と2)のギャップについて、もう少し考えてみました。

 WW関連で多くのいい本を出版しているフレッチャー氏は、低学年よりも、高学年の方が、「書き手の思い、書き手らしさが伝わってくる声」のある作品を書くのが難しいと言っています。なんとなく分かる気もします。

 さて、フレチャー氏の本を手掛かりに、どうすべきかを、少し考えてみました。(以下のページ数は参照したページ数のメモです)。

 まずは、読者意識です。

 家族の思い出の品にまつわるエピソードを書き留める、というように、たとえ、読者がごく少数であっても、具体的な読者が念頭にあると、「書き手の思い、書き手らしさが伝わってくる声」が入ってくると思います。

 この読者意識は、顔の見えない(より多くの)読者に対して書くときも、応用可能です。

 フレッチャー氏は、出版するときに、その出版物を読む(必ずしも顔の見えるとは限らない)「読者たち」を、「一人の人」だと考える、と言います。そして、もし、そのひとりの人が、これを書いている自分を「一人の人」だと感じてくれれば、自分の言いたいことに耳を傾けてくれるのではないか」とのことです。そして、作家ノートに書き留めた「書き手の思い、書き手らしさが伝わってくる声」が入るようにする、とも言っています。(71ページ)

 また、フレッチャー氏は、以下のようにも言っています。

 「書き手の声とは、誰か実在の人が本当にそれを書いたのだ、とうことを感じさせてくれるようなものです。つまりどこかの委員会が書いたのでも、コンピュータが書いたのでもなく、ある人間が書いた、ということです」(68ページ)

 次はそのトピック(書く題材)と書き手の距離です。

 フレッチャー氏も、書く題材と書き手との距離が遠いと「書き手の思い、書き手らしさが伝わってくる声」が消えやすいことを指摘しています。(72ページ)

 これは、特に子どもたちがレポートやノンフィクションを書くときに、注意したいことです。

 もちろん、メンターテキストになるようないい作品を読むことは、とても有効な方法の一つです。
 (「メンター・テキスト」については、左上の検索を使うとたくさんのこれまでの記事が読めます。)

 また、フレッチャー氏は、子どもたちがあるトピックを消化する前に、つまり、子どもたちはそのトピックについてまだ書く段階に行っていないのに、そのトピックについてのエキスパートであるように書くように、急がせているのではないかとも言っています。(77ー78ページ)

 書き手との距離が遠いうちは、やはり、書き手の声や思いは入ってこないと思います。書き手とその題材の距離を近くする、このいい方法も、ミニ・レッスンやカンファランスで扱わなくては、と思います。


出典:

上で紹介したフレッチャー氏の本は以下の通りです。

Ralph Fletcher, What A Writer Needs (Heinemann, 1993).
この本の第6章(67-79ページ)が Voice つまり(書き手の思い、書き手らしさが伝わってくる)声で、この章を手掛かりに考えました。
                           






 
 

2011年5月14日土曜日

「私も、WWの授業では12分書いています!」

 前回、「教師も生徒たちと一緒に書く」ことの大切さを紹介したところ、日本女子体育大学附属二階堂高校で国語を教えている佐藤広子先生がメールをくれたので、高校での実践例を紹介します。

 「私は生徒にB5ノート1ページ以上60分で書くように言っているので、自分でもWWの授業中に1ページは書くようにしています。私の書くペースは、30行22字で平均12分です。12分は書いて、残りの時間、生徒全員のノートをのぞき込んで記録を取り、必要な生徒にカンファランスしています。共有の時間に読みたいという生徒がいない時は、私が書いたものを読む時もあります。」

 書く授業もですし、読む授業もですが、日本の教育全般で一番忘れ去られているのが、教師がいい見本を示すことではないでしょうか。懇切丁寧に教えることよりも、はるかに見本を示すことのパワーは大きいと思います。私たち人間は、いいモデルにとても弱いからです。「あれは、いい」と思ったら、「やってはいけません」と言われても関係ありません。無性に真似したくなってしまいます。
ですから、教師が楽しく書いている姿を見せることこそを、WWや作文の授業の根幹に据えるべきだと思うぐらいです。

 それを実現するためには、書き慣れていない教師は書き始めなければなりません。WWの生みの親のDonald Gravesは、最初は毎日10分ずつ書き始めることを薦めています。それが軌道に乗ったら、15分に伸ばし、ゆくゆくは20分(その場合は、10分を2回に分けてもOKです)に伸ばしていきます。徐々に、でいいです。(理想は、30分と書いていますが、無理しなくていいです。)書く内容は、なんでもOKです。書き続けることで、毎日新しい発見や学びがもたらされ、また世界の新しい見方に気づくこともできます。もちろん、自分のことをよりよく知ることも。
 その際、以下のようなアドバイスもくれています。「まずは、自分のために書く。他の人が読むかどうかは、後で考える」「あるポイントまでいくと苦痛/わずらわしさが、快感になる」と。そのポイントを超えると、快感の連続ですから、ぜひ試してみてください。(出典: Discover Your Own Literacy)

 もう一人のアドバイスも紹介します。読み・書きの分野ではたくさんの本を書いているFrank Smithは、クラスを「読み・書きクラブ」のようにしてしまうことを提案しています。部活動を思い出していただければいいと思いますが、とにかく好きな人たちの集まりです。うまい下手はいろいろあると思いますが、みんなさらにうまくなりたいと思っているところです。そんな中で、教師はみんなのモデルとなる存在です。「ああ、なりたいな~」という。(出典: Joining the Literacy Club)

 顧問的な立場でしか自分を位置づけていない方は、生徒たちの中にいるいいモデルをドンドン紹介することで、自分がモデルになる重荷から逃れることは多少できます。でも、自分もみんなと同じクラブの一員だよ、というメッセージは何らかの形で発信しないと、一人だけ浮き上がってしまうでしょう!
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2011年5月6日金曜日

教師も一緒に書く!

 伝統的な作文の授業における教師の役割は、①子どもたちが書くテーマを考えて、提示することと、②子どもたちが提出した原稿を添削・評価して戻すことが中心でしょうか?

 それに対して、WW(=書き手を育てるため)の教師の役割は、
① 書くモデルを示す
② 作家のサイクルや作家の技などを教える
③ 評価する/リサーチする
④ 計画し、ソフトやハードの環境を整備する
⑤ コーチないしコンサルタントとしてサポートする
の5つがあります。(◆これら5つ以外の役割を果たしている方は、ぜひ教えてください◆)

②の作家のサイクルや作家の技などは、主にミニ・レッスンを通して教えていきます。
③の評価する/リサーチすると、⑤のコーチないしコンサルタントとしてサポートするのは、子どもたちがひたすら書いている(教師にとっては、カンファランスの)間にします。
④は、主にはWWの時間以外でしますが、共有の時間でも行われます。

 これら4つは確実に行われていると思いますが、最もインパクトがあるにもかかわらず見落とされがちなのが、教師が実際に①書くモデルを示すことのような気がします。(②~⑤で頭がいっぱいで?)

 でも多くのことがそうであるように、私たちにはいいモデルが必要です。
 いいモデルが提供されると、「それをしてはいけない!」と言われても、やりたくなってしまいます。その意味では、教える必要などなくなってしまうというか、霞んでしまうぐらいです。それほど教師が実際に書いている姿はインパクトがありますから、毎回ではなくとも、ひたすら書く時間の最初の5分とか10分は一緒に書いてください。

 あるいは、自分が書いたものをミニ・レッスンでどんどん紹介してください。上手下手は関係ありません。教師もちゃんと書いている、あるいは何度も書き直しをしている、と伝わることが大切なんです。「書くことは大切なことだから君たちはやりなさい」と言うか言わないかは別にして、書く授業を実践し続けても、教師がまったく書いていないのでは説得力がありません。その意味では、授業のために書いたものよりも、実際に生活の中や仕事で使うものとして書いたものの方が効果はあります。書くことは生活の一部なんだ、というメッセージも同時に発信できますから。

 そして何事もそうかもしれませんが、教師が楽しんでやっているものは、子どもたちもやりたくなってしまうものです。まずは、書いてみてください。そして、(自分自身の再発見も含めて)楽しんでください。★

 きっかけになる本としては、『魂の文章術』ナタリー・ゴールドバーグ 著、『あなたも作家になろう』ジュリア・キャメロン著の2冊がオススメです。◆他にいいのをご存知の方は、ぜひ教えてください◆


★ そのための第一歩は、子どもたちと同じように自分でも「作家ノート」を持って、書いてみるのがいいと思います。

2011年4月29日金曜日

(もし、まだ教室になければ)連休中につくっておきたいもの

 今日のWW便りのタイトルは、「(もし、まだ教室になければ)連休中につくっておきたいもの」です。

 新学期が始まり3週間、題材さがしや作家ノートの作り方、そして修正の例なども教え始めて、そろそろWW
も軌道に乗り始めた頃でしょうか。

 さて、WWが軌道の乗り始めた頃には、(もし、まだ教室になければ)連休中につくっておきたいものがあります。

 それはWWの評価基準表です。

 各クラスにぴったりの評価基準表をつくり、それを子どもたちに示すことで、子ども
たちも期待されていることが分かりますし、評価基準表があることで、自己評価にも
つながります。また保護者に何か説明するときにも、こういうものがあるといいので
はないかと思います。

 この前、読んでいたWW関係の本では、WWの評価基準表が2種類載っていました。

 ひとつは、書き上げた作品についての評価基準表で、以下の項目が記されていました。

構成
クラフト(作家の技)
言語事項

 もうひとつの評価基準表ですが、それは、WWへの取り組み全般についてです。こち
らの評価基準表に書かれている項目は以下でした。

ミニ・レッスン
ひたすら書く時間
先生とのカンファランス
ピア・カンファランス
プロジェクトの完成
   共有の時間

 「なるほど」と思いました。後者もしっかり評価することで、時間の使い方や取り組んでいる様子も評
価できる、そのことがよりよい作品につながっていくようにも思います。そしてよ
りよい作品が書けることで、時間の使い方や取り組み方も、よりよくなっていくように
思います。

 もしまだ教室になければ、この連休中に、自分のクラスにぴったりの評価基準表をつくる
のはいかがでしょうか。

 なお 『作家の時間』には資料6、7、8に、評価基準表の例が、低学年、中学年、高学年に
分かれて載っています(200-205ページ)のでご参照ください。

 特に前者(つまり、書いている作品について)の評価基準表については参考になる点も多いと思います。
 
出典:
Marybeth Alley & Barbara Orehovec, Revisiting the Writing Workshop,
Scholastic, 2007.
評価基準表については、133-136ページ参照。

2011年4月22日金曜日

やはり難しい? 修正の教え方とそのタイミング

 子どもたちは、そろそろ第1作目や2作目を仕上げ、次に書く題材を選んだり、それを発展
させたりしている頃でしょうか。

 「先生、できたよ」と提出されたもの、つまり、子どもたちが完成したと思ってい
るものに対して、教師は、もっとその作品がよくなる余地が多く残されていることに
気づくことが、わりとよくあるのはないでしょうか。

 教師としては、「さあ、今から修正が始まるよ」と伝えたいものの、それは、完成した、
と思っている子どもの気持ちを思うと、意外に難しいものです(←少なくとも私の場合は)。

 いくつか方法を考えてみました。

1) 下書きの段階で修正方法をたくさん教える。

 下書きの段階で、修正方法をたくさん教えてしまうのも、一つの手かもしれません。

 WW関係で、いい本を何冊も書いているレイ氏は、「最初に書いた下書きが、ちゃん
とできていないから修正するのではない、そうではなくて、修正とは、下書きについ
て、今からどんなことが可能かを考えてみる、いいチャンス」ととらえられるように教えよ
うと言っています。

 そしてメンター・テキストからそのアイディアを得るのも一つの方法だと言ってい
ます。教師が自分のメンターテキストを語り、このメンターテキストから学んだ、
書くことについての作家の技を使って、自分の下書きに何ができるのか、

自分の下書きをどう変えたいのかを紹介しています。

 (メンターテキストは子どものよく知っている絵本だと、
子どももイメージしやすいと思います)。

2) 下書きのチェックリストや自己評価をしてみる

 私は前回のミニ・レッスンで、「いい題のつけ方」を取り上げて、いい題の条件を
書いたものをシールにして、作家ノートに貼る(← 前回のブログの、「作家ノート
は教室の壁」というところをご参照ください)ように言ったにもかかわらず、前回の
授業の終わりに、なんの工夫もない題をつけて提出した生徒もいました。

 いくつかミニ・レッスンのポイントをまとめて、例えば、「題の工夫、書き出しの工夫、終
わりかたの工夫、段落の順番(構成)の工夫」などのチェックリストをもって、自分
の下書きを見直すのもいいかもしれません。

 また、自己評価的に、自分が、そのチェックリストの項目をどのように工夫したの
か、それはうまくいったのかどうかを書いてもらうというのも、ありかもしれません。

 ただ、これは、初期だけで、いつかはチェックリストの必要がなくなるほうが、いいと思います。

(3) 完成作品だと思っているものに修正の提案をされて、気を悪くした人の話を
して、気を悪くするのはソンだとわかる例を出す。

 生徒から、「完成した」と思って提出されたものに、今から修正を教えるのはちょっと難しいなと
も感じます。

 作家ノートについても、WW全般についてもいい本をたくさん書いているフレッチ
ャー氏は、詩の書き方について書いた本のなかで、友達が詩を見せてくれたときのことを書いてい
ます。

 フレッチャー氏は、その詩の中のイメージをほめたあとで、その詩を今よりもさらによくする提案をしたとこ
ろ、その友人は、気を悪くして、「変える気はないよ」と言うシーンが出てきます。

 これが普通の人の反応なのかもしれません。一度書いたら、完成、これで終わりと
いう反応です。

  彼の書いた詩の教え方の本では、「この気を悪くした人が例外でなくて、この人
のように、作家の技をいろいろと使って、自分の詩をよりよくする意識のある人は少
ない」ことが書かれています。

 そこで、まずはこんな感じの、よりよくする提案について、気を悪くする人のエピソードを紹介します。

 (先生の周囲で実際にあったことだと、より説得力があるとは思います。)

 そして、その後、フレッチャー氏は、「でも、実は、よりよくするいろいろな方法が
ある」ことを述べ、そして、具体的な方法を具体例とともにいくつか出してくれています。

 これにならって、「実は、よりよくする具体的な方法は、いくつもあるんだよ」、と言って、
かなりパワフルな例をいくつか立て続けに紹介します。

 その具体例がとてもパワフルなので、上の人ように気を悪くするのが、ソンだと思
わせてしまうような感じがします。

 これは昨年の子どもの例を見せるのと、かなり効果的だと思います。
 
出典:

レイ氏の修正についての上の箇所は、Katie Wood Ray, What You Know by Heart
(Heinemann, 2002) の64-67ページです。

フレッチャー氏の詩の教え方についての本は Ralph Fletcher, Poetry Matters,
(HarperTrophy, 2002) で上のことが載っているのは59-73ページです。