2023年4月29日土曜日

深呼吸できる風穴を開けてくれる登場人物 〜教室にいるヒロインやヒーローたち

  数日前に、ダウン症のバービー人形が発表されたというニュースを目にしました(★1)。褐色の肌のバービーや車椅子のバービーなどの多様なバービー人形のラインアップに、また新しいものが加わったことになります。同様に、英語の絵本を見ていると、登場人物も多様化し、多様な子どもたちが教室の中にいることがわかる挿絵もよく目にします。

 いろいろな登場人物が主人公になったり活躍したりすることが当たり前になり、時には自分がなんらかの共感や好感をもてる人がいると、教室の風通しがよくなり、子どもも教師も、呼吸がしやすくなる気がします。

 例えば、「こうあるべきだ」という思い込みが、現実ではないことがわかると、ほっと深呼吸できそうです。

 古い絵本ですが、『いじわるブッチー』(★2)の女の子。「ママはいろんな人とお友だちにならなきゃだめよ」というけど、ブッチーとは遊びたくない。「もうちょっと、お互いに快適な距離のとりかたはできないの?」と、私は思ってしまいます。でも、「すべての人とお友だちなれるわけではない」という出発点があって初めて、次に進めるのかなと思ったりもします。

 『Harriet, You'll Drive Me Wild!』(★3)という絵本に登場する若いお母さん。なかなか親の思うように動いてくれない子どもハリエットちゃんは、悪気はないけど不器用で失敗ばかり。お母さんは、すごい忍耐力で接しています。しかし、ある時、キレて大爆発。なかなか見事なキレかたで、惚れ惚れ?します。

 『としょかんライオン』(★4)で図書館長として活躍するメリーウェザーさん。図書館に突然ライオンが登場しても動じず、他の利用者と同じように、温かい厳しさをもって受け入れます。挿絵を見ていると、やや年配の女性のようです。毅然としていますが、人間味たっぷりで、ちょっとドジ。なかなかカッコいいです。(ちなみに図書館員のマクビーさんは中年の男性。本の前半では、ライオンが登場すれば、びっくりして焦ったり、図書館にライオンなんていらない、と思ったり、とよくありそうな「普通の」反応です。しかし、後半で、彼は大きく変わります。)

 もし、ブッチーと分かり合う努力の大切さが謳われていたり、もし、ハリエットちゃんのお母さんがひたすら忍耐の人であったりすると、なんだか息が詰まりそうです。

 また、もし、メリーウェザーさんとマクビーさんの性別が逆であれば、私は今と同じぐらい、メリーウェザーさんが好きになれたかな?とも思います。いまだ「男性の上司」の比率が高い日本ですから、図書館長のメリーウェザーさんを女性にした設定にも魅力を感じたのかもしれません。

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 知人の大学教員で英語の絵本を授業で使っている人がいます。学期の終わりに学生たちにお気に入りを尋ねると、「同じ何冊かの本に集中することなく、ばらつく」と言います。それぞれにとって、ほっと一息ついたり、力づけてくれる本は異なる、ということかと思います。

 そう思うと、教室の図書コーナーにいるヒーローやヒロインたちが多様であることの価値の大きさを思います。私であれば、メリーウェザーさんのような年配の女性が活躍している本が印象に残りやすい反面、いろいろな年代の男性を不自由にしている「こうでなければならない」という思い込みに、風穴を開けてくれるような絵本は、素通りしているかもしれません。

 「ほかの人の立場で考える力」が問われるところです。

 『ポスおばあちゃんのまほう』(★5)のポスおばあちゃんは、優しいおばあちゃんですが、積極的で勇気に満ちた選択ができる人です。著者のメム・フォックスによると「4歳の女の子の読者に、70年後にこうなってほしいというモデル」(★6)とのことです。

 そう思うと、「4歳の女の子の読者に、70年後にこうなってほしいというモデル」の本を選んだ後は、「4歳の男の子に70年後にこうなって欲しいというモデル」というイメージで、意識的に本を選んでみるということも面白いかもしれません。

 自分の好みや偏りを自覚しつつ、教室にいる、また読み聞かせで使う本のヒロインやヒーローも多様にしていく、そのことの価値は子どもにとっても教師にとっても、大きそうです。

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 今朝のCNNニュース(★7)で、フロリダ州の「本の禁止」に関わって、作家ジュディ・ブルームのインタビューがありました。ここ数年、アメリカでは、人種差別やLGBTQ関連ほか「禁止される本のリスト」がニュースで取り上げられています。彼女の本も一部の教室から撤去されているようです。子どもたちの本に多様性が増える一方、逆行するかのように、これまで教室にあった本の多様性がなくなるということも起こっているようです。

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★1 https://www.cnn.co.jp/business/35203122.html

★2 『いじわるブッチー』バーバラ・ボットナー(著)、ペギー・ラスマン(画)、東春見(訳)、徳間書店、1994年

★3 『Harriet, You'll Drive Me Wild!』 Mem Fox (著)、 Marla Frazee (イラスト)、Clarion Books、2003年

★4 『としょかんライオン』 ミシェル ヌードセン (著)、ケビン ホークス (イラスト)、福本 友美子 (訳)、岩崎書店、2007年

★5 『ポスおばあちゃんのまほう』 メム フォックス (著)、ジュリー ヴィヴァス (イラスト)、加島 葵 (訳)、 朔北社,

2003年

★6 『Radical Reflections』Mem Fox(著)、Harcourt、1993年、161ページ

★7 2023年4月29日午前9:00-10:00(日本時間)放映の「Anderson Cooper 360°」

2023年4月22日土曜日

なぜ登場人物を気にかけるのか

 『理解するってどういうこと?』の「表22a」(3840ページ)と「表91」(347349ページ)はともに「理解することで得られる成果」と名づけられていて、私たちが「理解するための方法」を使って「フィクション/ナラティブ/詩」や「ノンフィクション」を経験する「成果」がたくさん挙げられています。これはエリンさんが「子どもたちや大人たちのさまざまな反応についてのメモを注意深く集め」(346ページ)てその内容を整理したものです。そのうちの「フィクション/ナラティブ/詩」を理解することの成果としてずいぶんたくさん挙げられているのが「共感(empathy)」です。

「たとえば、理解のための方法のひとつを教えるとき、教師は自分の推測したことを考え聞かせして、その上で、その推測によって自分が(たとえば)その登場人物にどのようにして共感できるようになったか、つまり登場人物の置かれた状況と自分の状況とはかなり違っていても、いかにその人物の感じ方に共感する助けになったかを考え聞かせる、という次の段階に進むのです。こうして、私たちは徐々に、子どもたちが自分で行った推測だけでなく、そうした推測が、その理解のための方法を使わなければ理解できなかったどういうことを理解させてくれたのかを共有するように、求めることができるでしょう。」(『理解するってどういうこと』350ページ)

こうした営みは「理解する」とはどうすれば可能になるかというだけでなく、「理解する」ことができれば自分(たち)にとってどのようないいことがあるのかということを生徒たちが知ることにもなります。それは同時に、物語や小説や詩を読むことで自分(たち)にとってどのようないいことがあるのかということを知ることでもあります。

もちろん、大変重要な指摘です。が、理解するために「推測する」という「方法」を使うことで登場人物や舞台設定や作者への「共感」という「成果」があらわれる過程で、本や文章のなかの何が引き金になったのでしょうか。たとえば、エリンさんは「作者への共感」を「なぜ、どのように、ある人の解釈がそのように形づくられたのか、読者の解釈を形づくるために作者が使った文学的方法(述べ方、伏線、イメージ、主張、筋立て)はどのようなものか、理解する」(『理解するってどういうこと?』348ページ上段)と述べています。「文学的方法」と「読者の解釈」はどのように結びついて「作者への共感」がもたらされ、果たしてそれは読者の生活のなかでどのようなことの役に立つのでしょうか。

そのことを探ったのが、アンガス・フレッチャーの『文學の実効―精神に奇跡をもたらす25の発明―』(CCCメディアハウス、2023年)です。『文學の実効』は古今東西の古典的文学作品にあらわれた「文学的発明」を見つけてそれを脳科学の知見等を踏まえて多角的に論じた本です。「勇気を奮い起こす」「恋心を呼び覚ます」「怒りを追い払う」「苦しみを乗り越える」「好奇心をかきたてる」「心を解放する」「悲観的な考え方を捨てる」「苦悩を癒す」「絶望を払いのける」「自分を受け入れる」「悲痛を撃退する」「人生を活性化する」「あらゆる謎を解決する」「自分を高める」「失敗から立ち直る」「頭をリセットする」「心の安らぎを手に入れる」「創造力を育む」「救いの扉を開く」「未来を書き換える」「賢明な判断を下す」「自分を信じる」「凍りついた心を解かす」「夢の世界を生きる」「孤独を和らげる」という25の「実効」をもたらした「文学的発明」が700ページにわたって、論じられていきます。読み通すのはなかなか骨が折れますが、付箋紙で一杯になりました。

フレッチャーの方法論は至ってシンプルです。その「文学的発明を見つける」二段階の「方法」とは次のようなものです。

「一、ある文学作品が持つ独自の心理的効果を見きわめる。医学的な効果や幸福感を高める効果など、何らかの意味で灰白質に有益な効果である。その効果を突き止める際には、近くの神経科学研究室で心を測定できる便利な器具を利用させてもらえれば、それに越したことはない。だが、そのような器具が手に入らない場合には、自分に内蔵された脳スキャナー(自分の意識のことだ)を利用して、その文学作品の独自の効果をできるかぎり正確に把握する。

二、その独自の効果を生み出す発明を突き止める。発明は、筋書きや登場人物、物語世界、語り手など、物語の何らかの要素を創造的に利用してつくられている。テーマや寓意、作者の意図を気にする必要はない。言葉にこだわる必要もない。むしろ作品のスタイルや語り、物語に耳をすませよう。」(『文學の実効』723-724ページ)

「自分の意識」を利用して文学作品の「独自の効果」を見きわめ、その「独自の効果を生み出す発明」を探る、というわけです。たとえば、第3章「怒りを追い払う」では「共感」がクローズアップされます。

たとえば『若草物語』のジョーも、『赤毛のアン』のアンも、自分の言動に後悔や悔恨に見舞われます。また、今の自分に失望する登場人物があらわれる文学作品も少なくありません。フレッチャーはこのような人物の言動は「読み手の脳に入り込み、完璧ではない人物に共感させ、その人物が人間であるがために抱いた否定的な気持ちをゆるそうという気にさせる」と言います。これを「共感を生み出す発明」として次のように述べています。

「過去二〇〇年間に執筆されたほとんどの文学作品には、読み手の心に共感を引き起こす登場人物がいる。それはつまり、ほとんどの現代小説、回想録、漫画、童話、映画、テレビドラマには、登場人物の心のなかをのぞき、その後悔を明らかにする技法が含まれているということだ。」(『文學の実効』134ページ)

「人間の脳の視点取得回路の力は、正義を求める原始的な衝動よりも弱いため、共感はなかなか十分に広がらない傾向がある。だが文学の助けを借りてゆるしを実践し、それにより神経回路を調整していけば、共感に対応する力や頻度を高めていける。その結果、個人的な怒りやストレスを軽減すると同時に、誰もが円満に共生していける豊かな社会を構築することが可能になる。」(『文學の実効』134-135ページ)

「どれほど厳格な心の持ち主でも、心の底から後悔していると思えるような登場人物が、文学の世界には必ずいる。そういう人物に出会ったら、読み手は原始的な正義への衝動に駆られるだけでは終わらない。/きっと人間的なおもいやりの感情を抱くことだろう。」(『文學の実効』135136ページ)

 ここまで言われると「推測する」という「理解のための方法」を使えば、読者としての自分にどのようないいことがもたらされるのか、少なくともその一つが見えてくるような気持ちがします。読者は「共感を生み出す発明」を利用して「完璧でない人物に「人間的なおもいやりの感情を抱」き、自分の心にある「怒りを追い払う」ことができるようになるというのです。エリンさんの言う理解の「成果」のその先のことまで触れているように思われます。フィクションを読んで(あるいは観て)その登場人物や作者に「共感」を覚えることができたとして、それが読者の心のなかに何をもたらすのかということが述べられているからです。私たちが絵本や童話や小説や詩読んだり、聞いたり、テレビドラマや映画を観たりしようするのはなぜか、フィクションの登場人物をなぜ気にかけるのか、という問いに答えてくれている、と言うと大げさでしょうか。

 

2023年4月14日金曜日

なぜ、すべての学年で読み聞かせをすることが有効か

 残念ながら、読み聞かせは小学校中学年ぐらいまでやればいい、という間違った捉え方が一般的に定着しています。

 しかし、読むことはもちろんのこと、読んでいる内容について(ということは、国語以外の教科でも!)好きになってもらうなら、読み聞かせほど効果的な方法はありません。なぜでしょうか?

 

1)何よりも、教える教師がそれを好きであることが生徒たちに伝わります。(もちろん、それが伝わらないように、教師が読んでしまっては逆効果ですが!)と同時に、生徒たちに読むことや読んでいる内容を好きになってもらう、最も手っ取り早く、かつ簡単な方法です。モデルで示す以上の優れた教え方はありません。

2)教科書以外に、読み聞かせする題材を教師が探し続けます。ということは、教師が本や文章を読み続けること=それらのなかから生徒に何を読んだらよいかを考え続けることを意味します。それは、教師が学び続けることです。

3)教師だけが読み聞かせをし続けるのではなくて、生徒のなかの希望者が読み聞かせをできるようにすれば、2)の輪がどんどんクラスで広がっていきます。それは、さらにはブックトークや書評や紹介文(あるいは、特定の作家やテーマに特化した読みや、読み聞かせされた本について話し合いやブッククラブなど)に広がっていく可能性もあります。

4)小学校高学年でも、中学生でも、高校生でも(大人でさえ)、読み聞かせは好きですし、自分では手に取らなかったり、読むのが難しかったりする本や文章を聞くことで読めるので、理解や興味関心が広がります。

5)読む題材は、絵本や小説に限定しません。新聞や雑誌やネット上の記事、詩や短歌、説明文やエッセイや論文など、教師自身がおもしろいと思え、生徒たちの関心を向けさせたいものなら何でもOKです。

6)教師が取り上げる題材は、生徒が自分で読むものの呼び水の役割を果たします(上の3で紹介したように、その次の段階として生徒がみんなの前で読み聞かせをするという行動に移さなくても。)

7)恒常的に読み聞かせが実施されているクラスの生徒の学力は、そうでないクラスの生徒よりも、高いことが研究結果から明らかになっています。

 読み聞かせを、スケジュールに組み込みために、毎時間の流れを固定化している国語の教師もいます。たとえば、授業始まりの5~10分は読み聞かせを、その後の5~10分は(読み聞かせされた内容を含めて)何でも書きたいことをジャーナル(作家ノートでも、読書家ノートでもOK)に書く形で授業をはじめています。

 読み聞かせは、読むことを好きにするとっかかりだけではなく、好きになった本に似た本を探したりすることを含めて、いろいろな「つながり」とクラスにコミュニティーをつくり出すきっかけにもなるのです!

 あなたも新年度が始まるこの時期に、読み聞かせ★を大事な一日の日課に加えてみませんか?


★読み聞かせのベーシックから発展形まで、『読み聞かせは魔法!』

https://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-115617-6 が参考になります。

 

2023年4月8日土曜日

「パンダ読み」ならぬ「パンダ書き」のお薦め

 今日の投稿は、一つの作品に取り組んでいる間に、その作品以外の書くことに取り組むこと、つまり「パンダ書き」(あるいはレインボー書き)を、ライティング・ワークショップで紹介することについてです。

 「パンダ読み」(あるいはレインボー読み)というのは、『改訂版 読書家の時間』(新評論、2022年)で「複数の本を同時に読むことを教えるミニ・レッスン」(61-63ページ)で登場しています。3種類ぐらいの本の面白さを楽しんでいる教師が、白と黒が代わりばんこに出てくることにたとえて「パンダ読み」と呼んでいます。また、虹色みたいに様々な楽しさを味わえるので、「レインボー読み」と言う人がいることも紹介しています。

 私は「パンダ読み」を日常的に行っています。考えてみると「パンダ書き」もそうです。書くことにおいて、いろいろな長さや目的のものに同時進行的に取り組み、その複数のものの間を行ったり来たりしている方も多いのではないでしょうか。しかしながら、「パンダ書き」は、ライティング・ワークショップのミニ・レッスンのトピックとして、私はこれまで考えたことがありませんでした。

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 「パンダ書き」を考えるきっかけになったのは、『Writing Clubs』(★1)で、「サイド・プロジェクト」が紹介されていたことが、きっかけです。「サイド・プロジェクト」は、メインで取り組んでいる作品が順調にいっていないとき、あるいはメインで取り組んでいるものから少し休憩をとりたい時に、取り組みます。

 充実感一杯の、頑張ったプロジェクトが終わり、そのあとすぐに「しっかりした次の作品」に多大なるエネルギーをかけるのが難しいような時期も、サイド・プロジェクトの出番です。次の作品に向けてうまくスタートできない子どもも、サイド・プロジェクトがあることで、「途切れることなく」書き続けていくことができます。ライターズ・ブロックと言われる、書き手が行き詰まってしまう状態になったときも、サイド・プロジェクトがあれば、書き続けることができます(『Writing Clubs』123ページ)。

 また、子どもたちが、安心して、書くことにおける冒険や遊びができるような「やってみる」時間を設けるという方法もあります(『Writing Clubs』123ページ)。新しいジャンルや新しい作家の技を学んだ時など、それを使うとどうなるのか、一場面あるいは一部に限ってやってみるということもできます(『Writing Clubs』113ページ)。この「やってみる時間」は、作品を完成させるというプレッシャーを感じずに書いてみる、書くことを楽しむことが目的です。好きなように、安心して書くことを楽しむ時間を、時折、確保することで、書く楽しさを(再)発見できれば、もっと書いてみようと思えます。そしてもっと書いていけば、もっと上手になっていくという好循環に繋がりそうです。

 いろいろな種類や目的の書くことがある中で、パンダ書きやレインボー書きは、「途切れずに書く」「書く楽しさの再発見」のサポートという観点で、導入を考えてみてもいいように思います。

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★1 著者はLisa EickholdtとPatricia Vitale-Reilly、Stenhouse より2022年に出版。この本は、ここしばらく読んでいることもあり、2023年3月11日土曜日の投稿「書き手の目で読む 〜メンター・テキストを使う二つのタイミング」、2023年3月24日金曜日の投稿「ジャンルごとのユニット vs 自ら選択したジャンルで書くという喜び」でも紹介しています。


2023年4月1日土曜日

英訳の歌詞を読み解く 〜「花は咲く」と “Flowers Will Bloom” 〜

(時々、投稿をお願いしている吉沢先生に、今回の投稿を書いていただきました。)

 ことばの意味、そのニュアンスを別の言語に置き換えることは、とても難しいことです。日本語の作品の英訳を読んで、「内容はわかるけれども日本語のニュアンスが伝わらないなあ」とか、「この英語のニュアンスは日本語で表すのは難しい」と感じることがよくあります。

 しかし、原作者の意図を生かしながらも、一つの作品としての奥深さを持つ英訳作品に触れる経験をしたことがあります。英訳作品を読みながら、なぜこのことばが使われていいるのか、このことばはどんなニュアンスを持つのかを考えながら読むことで、単にもとの日本語がうまく英語に訳してあること以上の、訳者のメッセージを感じました。そのような作品の一つを紹介します。

 それは「花は咲く」という歌の歌詞です。NHK東日本大震災復興支援ソングとして、広まっている歌です。その英語版が “Flowers Will Bloom” というタイトルで作られています。訳者は米国出身の作家、翻訳家、劇作家、演出家として活躍しているロジャー・パルバース氏です。

▶︎日本語の歌詞---誰が語りかけている歌か

 まず、岩井俊二氏★1が作詞した、日本語の歌詞の1番を紹介します。


真っ白な 雪道に 春風香る

わたしは なつかしい

あの街を 思い出す


叶えたい 夢もあった

変わりたい 自分もいた

今はただ なつかしい

あの人を 思い出す


誰かの歌が聞こえる

誰かを励ましてる

誰かの笑顔が見える

悲しみの向こう側に


花は 花は 花は咲く

いつか生まれる君に

花は 花は 花は咲く

わたしは何を残しただろう

 東日本大震災があったのが、2001年の3月11日でした。長い冬が終わり春の兆しが見え始める時期です。「なつかしいあの街」とは、震災で被災した街であることは、容易に察しがつきます。では、それを思い出している「わたし」とは誰なのでしょうか。

 岩井俊二氏は、次のように言っています。

 被災した石巻の先輩が語ってくれた言葉を思い出しました。「僕らが聞ける話というのは生き残った人間たちの話で、死んで行った人間たちの体験は聞くことができない」生き残った人たちですら、亡くなった人たちの苦しみや無念は想像するしかないのだと。★2

 歌の中の「わたし」とは、震災で亡くなった人なのです。この歌は亡くなった人が語りかけているのです。★3 ----春の感じられる時期、思い出すのは、かつて暮らしていた街やまわりの人たち。誰かの歌声が聞こえる。それは悲しみを超えた励ましに感じられる。この被災地に花は咲く。生まれてくる子供たちのために。---おおよそ、このような内容です。


▶︎英語版の第1連---「私の心」と「あなた」

 では、英語の歌詞はどうなっているでしょうか。第1連は次のように始まります。

        My heart goes out to you

  when the winter snows give way to spring.

  My heart is longing now

  Longing for the town where happiness had been...

 冒頭で、「私の心」と「あなた」とが向かい合う存在として示されていることに、私は着目します。日本語の歌詞の冒頭とは大きく違います。

 最初の行は、文字通り訳すと、「私の心があなたに向かって出ていきます」となりますが、この表現は、英語圏では「あなたのことを想うと心が痛みます」という意味で使われるフレーズです。悲惨なことが起きた時などに、相手に対する同情や悲しみを表す表現で、お悔やみの言葉としても使われます。

 3〜4行目に出てくる long for 〜は、「〜を切望する、〜を恋しく思う」という意味です。日本語の歌詞の「なつかしく思い出す」私の心のあり様が、より具体的に感じられます。

 4行目を文字通り訳すと、「幸せ(happiness)のあった街」となります。では、不幸せなことがあった街もあったのでしょうか。このように問いかけてみれば、これは、生きて生活していたことそのものが幸せであったのだ、というふうに思えます。

これらを踏まえて、日本語にしてみます。

あなたのことを思うと心が痛みます。

冬の雪が春に変わっていく時期になると。

私の心は思い焦がれているのです

かつて(生きて暮らしていた)幸せのあった街のことを。


▶︎英語版の第2連---どんな場所か

 第2連は、第1連の最後のフレーズを繰り返しながら、「私の心」が切望する場所について語ります。

  been a place of hope and of dreaming too,

  been a home where my heart always went back to you,

  but for now I only dream

  of the people who I loved and knew.


 2行目に homeということばが使われています。「家族とともに住む所」という意味で捉えれば「家」であり、私の心が帰っていく先のyouは家族ということになります。「生まれ育った所」という意味で捉えれば「ふるさと」であり、私の心が帰っていく先のyouの範囲は、そこで自分とともに生きた人たちを指すでしょう。いずれにせよ、人と人との間で、「私の心」が行き交う場所として捉えられています。

 この2行目は、第1連の1行目と呼応する表現であることはすぐに分かります。

   「私の心はあなたのもとへ向かっていく」

   「私の心はいつもあなたのもとへ帰っていく」

 日本語に訳してみます。

   そこは希望に満ちた土地、夢に見たこともある土地。

そこは故郷。私の心が(そこから出て行っても)必ずそこへ帰っていく、そのよ

うな故郷。

(そういう場所を思い焦がれるけれども)今はただ私は夢に見るだけなのです

私が愛した人たち、私が知っていた人たちのことを。


▶︎英語版の第3連---「誰か」の意味するもの

 第3連は、次のようになっています。

   Someone is singing, I can hear singing now,

   someone is weeping, I can feel their tears,

   someone is smiling, showing me why and how

   to go on living for years and years.


  「誰か(someone)」ということばが使われています。「あなた」とは別の、不特定の人たちがイメージされます。その人たちが歌っているのです。その歌声が聞こえる、と言っています。また、泣いている人もいて、その人たちの涙を感じることもできる、と言っています。

  そして、微笑んでいる人がいます。その人は、「何年も何年も生き続ける理由と方法を私に教えてくれている」と言っています。「泣くこと」に続けて、「微笑むこと」がおかれているところから、私は、 "いろいろな悲しいことやつらいことがあっても、やがて、微笑みはやってくる。いえ、微笑むことでその辛さを乗り越えて、「ああ、生きていける」「生きていこう」と思える" そんな心情を伝えているように思います。

 日本語に直してみます。

誰かが歌っていますね。私にはその歌声が聞こえますよ。

誰かが泣いていますね。私にはその涙を感じることができます。

誰かが微笑んでいますね。そうやってこれから何年も何年も

生きていくんですね、それが私に伝えわってきます。


▶︎英語版の第4連---花は意志をもって咲く

 第4連は、次のようになっています。

   Flowers will bloom, yes they will, yes they will

   for you who are here or yet to be born.

   They'll bloom, yes they will - and they'll bloom again until

   There's no missing sorrow and no reason left to mourn. ★4


 will という語は、未来を表す助動詞ですが、その語源は、「意志」「意図」「〜をしたいと望む」という意味です。それを踏まえて歌詞を眺めると、花は(意志をもって)咲く、というふうにイメージすることができます。

 さらに、yesということばがはさまれています。「花は咲くの?」「もちろん、咲きますよ」といった応答が隠されているようにイメージできます。このyesも意志を感じさせます。

 この花はいつまで咲き続けるのでしょうか。「失われたことの悲しみがない状態(no missing sorrow)」や「喪に服する理由がなくなる状態(no reason left to mourn)」になるまで、咲き続けると言っています。それはいつのことでしょうか。何年先というふうに想定することのできない、遠い未来です。しかし、そんな日がやがて来ると思うこと自体が、一つの希望でもあります。

 日本語に直してみます。

花は咲きます。そうです、花は咲くんです。

ここに生きているあなたのために、そしてやがて生まれてくる人たちのために。

花は咲きます、そうです、花は咲き続けるんです。

失われたことの悲しみと、嘆きと追悼の理由がなくなる日まで(いつまでも)。


▶︎比喩的な表現と直接的な表現

 日本語の歌詞が、雪解けの春のイメージから始まり、平易な言葉で失われたものへの悲しみに寄り添うように語っているのに対し、英語の歌詞は、亡くなった者と「私」とが向き合い、そこに通いあう心情を示そうとしている、という印象をもちます。

 この「花は咲く」の英訳を作る話が持ち上がった時、このプロジェクトに関わっていた長野真一氏★5は、英訳を担当するロジャー・パルバース氏に、「真っ白な雪道に 春風香る」という冒頭の美しい比喩の表現をそのまま英語にしたい、と言ったそうです。するとパルバース氏は、「英語の文化圏では、この比喩の裏に込められた美意識は伝わらない。もっと直接的に心情を表現しないとダメだ」★6と言ったそうです。

  「真っ白な雪道」「春風」という言葉で、春の清らかさ、芽吹く季節の訪れ、新しい時への期待感などのイメージを刺激されるのは、日本人の美意識によるものであって、英語の文化圏ではそうはならない、と言うのです。

 英語の歌詞を読んでみて、訳者のパルバース氏の意図が分かる気がします。誰が誰に語りかけているのか、思い出している場所はどこか、どのような人たちか、微笑みは何を表しているのか、花は何のために咲くのか、いつまで咲き続けるのか。・・・英語の歌詞はそれらの描写にことばを尽くしています。

 今回、英訳された歌詞のことばを丁寧に読み解くことで、いろいろな気付きがありました。そして、訳者が、もとの作詞者の意図を活かしながら、そこに自分の表現したいことを盛り込んでいることに心を動かされました。一つの作品を、違う言語に完璧に移すことはできないと同時に、もとの言語とは違った側面から、その作品世界を広げることができるのです。この英訳作品が広く知られることを望みます。★7

***** 

1  日本の映画監督、脚本家、音楽家。

★2 エキサイトアニメニュース「歌:花は咲くプロジェクト<岩井俊二さんメッセージ>」

https://blog.excite.co.jp/exanime/17508534/

★3 例えば、次のコラムを参照。

歌詞検索UtaTen:「花は咲く」NHK東日本大震災復興ソングの歌詞の意味を考察!希望ある温かな言葉が心に迫る

https://utaten.com/specialArticle/index/7527

★4  ここまでが1番の歌詞です。2番も含め、英語の歌詞の全文を、以下のサイトで見ることができます。(日本語の歌詞の全文も収めています。)

WordPress.com: Il Divo version “Flowers Will Bloom”

https://jhlui1.files.wordpress.com/2012/05/hana_wa_saku-e88ab1e381afe592b2e3818f_lyrics.pdf

★5  大和大学社会学部教授。専門は、映像、放送メディア、映像制作。長らくNHKで番組プロデューサーをつとめました。

★6  “note「花は咲く」の英訳が教科書に」”

https://note.com/naganocharo/n/nd4e869189415

★7  “Flowers Will Bloom” は、中学校用の英語検定教科書NEW CROWN English Series 3(三省堂, 2022年)に掲載されています。