2015年10月30日金曜日

カンファランスと『南国港町おばちゃん信金』



南国港町おばちゃん信金』という一風変わったタイトルのいい本を紹介します。

著者の原康子さんが、南インドのスラム街で培った国際協力のあり方(本当に役立つ支援の仕方)をまとめたものです。
これの応用範囲はとても広い! と思って読みました。
もちろん、草の根の海外協力に役立つことは言うまでもありませんが、国内の地域(コミュニティ)づくり、組織づくり(組織改善)、学級経営、共同プロジェクトの実施などなど。

この本のエキスが、「援助をしない技術」の10のステップとしてまとめられているので(185~7ページ)紹介します。
 アプローチが何かに似ていると思いませんか?



そうです。リーディング・ワークショップ(RW)やライティング・ワークショップ(WW)のカンファランスです。
逆に言えば、カンファランスはこういう仕事をするのにそのまま応用できるということです。教師が読書家の時間や作家の時間でいいモデルを見せ続けることで、そして子どもたちにピア・カンファランスをさせることで。
RWやWWでは、そういう極めて価値の高いことに日々取り組んでいるのです。

2015年10月24日土曜日

書き手の目で読む


 絵本、本、詩など、まずは読み手として、読むこと自体を楽しみたいと思います。でも、読み手としてだけ楽しむだけでなく、時には、「書き手として読む」ことも、楽しみたいです。

 ストーリー(あるいは大きな内容)が分かったあとに、書き手の目で、再度読むことで、上手な書き方が学べるので、二倍良い!と、以前は思っていました。

 最近は、上手な書き方が学べるだけでなくて、同じものを分析的に読むことで違う読み方の練習もできて、読み方もさらに上手になるし、でてくる語いも繰り返しになるので語いの定着にも効果的なはずだと、思っています。(三倍以上の効果では?)
 
 『リーディング・ワークショップ』(新評論、2010年)の4647ページには、読み聞かせで使った本の一部を使って、作家の特徴的な書き方やその作家がつくりだそうとしている効果を学ぶ例が紹介されています。ここでは、本の中で注目すべきポイントを、先生が子どもたちに伝えています。

それ以外の方法としては、自分の好きな本、気に入っている本を自分で選んで、どうして、そういう効果が生み出されているのかを、自分で探してみるというのは、いかがでしょうか。

いきなり探すのはイメージしにくいので、先に、書き手の工夫例をいくつか挙げておくと、見つけやすくなります。いずれは、自分で一人読みのときにも、書き手の目で読めるようにするためにも、このステップは大切だと思います。自分の好きな本なら、「どうしてこんなに好きと思えるの? それはどんな工夫をしているからなのか?」、とまさに宝さがし?です。

書き手の工夫が満載の本があれば、それを1冊指定して、みんなで「ひとり一つはみつけよう」もいいかもしれません。自分が気づかない点にも気づけます。
 
最近、英語の文献では、メンター・テキスト関連の本を、以前よりもたくさん見かけるように思いますが、それは書き手の目で読むことの価値に気づく先生が増えてきたからかもしれません。


2015年10月16日金曜日

本を読むときに何が起きているのか


 「イメージを描く」ことは「理解するための方法」の一つです。たとえば、『理解するってどういうこと?』の後ろから13ページ目には、「優れた読み手は、読んでいる間、そして、読んだ後、意識するしないにかかわらず、イメージを描いている。それは、五感と感情からつくり出され、読み手のもっている知識や体験に支えられている」「優れた読み手は、詳細なイメージを描くことで読んでいる本や文章のなかに浸ることができる。詳細なイメージが、読んでいることに奥行きを与え、より集中して読むことができ、さらにより記憶に残りやすくしてくれる」など「イメージを描く」方法の具体的な説明があります。
  それらは、この方法の特徴をわかりやすくあらわしているものがほとんどなのですが、一つだけ「読んでイメージしたことは、読み手が書き手になるときに活かされる」というのがあります。どうして「読み手が書き手になるときに活かされる」のでしょう。
 ピーター・メンデルサンドという装丁家のつくった『本を読むときに何が起きているのか』(細谷由依子訳、フィルムアート社、2015年)を読むと、この「イメージを描く」がより詳しくわかるような気になります。この本では、装丁家らしく、いろいろなフォント(字形)やデザインを凝らした文字と図像の配置を駆使して、読書行為の「イメージを描く」ことができるように工夫されています。多くの図像の狭間に、選び抜かれた考察や引用が、気の利いたコピーのように置かれています。
 CONTENTS(目次)には次のように各章の見出し語が掲げられています。スペースの都合で見出し語の間に「/」をつけて、まとめてあらわしました。

「描くこと」を思い描く/フィクション/冒頭/時間/鮮やかさ/演奏/素描する/技/共同創作/地図と規則/抽象/目、視覚、媒体/記憶と幻想/共感覚/意味しているもの/信念/模型/部分と全体/ぼやけて見える

 メンデルサンドは「読書」を「「心象」と「描写すること」の物語」だとして、次のように言っています。

 読書の物語は、記憶された物語だ。私たちは読書する時、没頭する。没頭すればするほど、経験に対して分析的な思考を向けることが難しくなる。だから、読書の感想を語る時、私たちは「読んだ」記憶について話しているに過ぎない。/そしてこの読書の記憶は正確ではない。/読書体験を思い出す時、私たちは連続展開するイメージ群を脳裏に見ているのだ。(『本を読むときに何が起きているのか』910ページ)

 おもにフィクションの読書体験について書かれた本だと言ってもよいでしょう。それだけにに「イメージを描く」ことが、どうして意味をつくり出すことにつながるのか、ということについてのさまざまなヒントが示されていきます。それは、『理解するってどういうこと?』で、著者のキーンさんがメンターたちの作品を深く意味づけたり、絵本や本や文章をもとに子どもたちが豊かな言葉を紡ぎ出したりすることのわけを教えてくれます。深い理解の生まれる秘密を示してくれます。では、「イメージを描く」ことがどのように深い理解につながるのか。

 メンデルサンドの言葉をさらに追いかけてみます。

体のために部分を認識するのは、ある種の置き換えである。隠喩と類推もまた、換喩のように、置き換えである。(391ページ)

作家は文章を書く時に要約し、読者は読む時に要約する。脳そのものが、要約し、置き換え、表象化するようにできているのだ。信憑性は偽の偶像であるだけでなく、到達できないゴールでもある。だから、私たちは要約する。私たちはこのようにして世界を理解する。これが、人間のすることだ。/物語を思い描くことは、絵の中で人物が影にされているように、要約することである。そうすることで意味を作り出す。(415ページ)

 私がメンデルサンドの本をこのようにして紹介している行為も、その本について私が抱いたイメージを「要約」し、「置き換え」、「表象化」していることになるのかもしれません。少なくとも、そのようにして私はいまこの文章を書いています。メンデルサンドの本に抱いたイメージを描いて、それを言葉にしているのです。まさしく「読み手が書き手になる」ために「イメージ」を活かそうとしているのではないでしょうか。
 それは、世界のなかに、あるいは本や文章のなかにはじめから隠されているイメージを私たちが、貝の肉を端で取り出すように、掘り起こそうとしているわけではない、ということでもあります。世界や本と交渉するなかで、頭のなかにうまれた、あくまで不完全で部分的でかすみがかかっているように「ぼやけて見える」ものをはっきりとさせることが「イメージを描く」ことにほかならず、そのはっきりさせようとする努力が、意味をつくり出すのだ、ということです。だからこそ「イメージを描く」ことが「読み手が書き手になるときに活かされる」のです。
 ここまで書いてきたおかげで、そのことを実際に私は「理解」することができました。メンデルサンドの本を読むときに私のなかで何が起きていたのかを、「要約」し、「置き換え」ることによって。

2015年10月9日金曜日

作家ノート、読書ノートのリスト

 作家ノートの最初の方に「書きたい〈書けそうな)題材リスト」欄を作り、WWの導入時期に「題材リスト」を作成する時間を取っている先生は多くいらっしゃると思います。

 また、それだけでなく、年間を通して、新しい題材、書いてみたい題材を思いついたときに、リストにどんどん追加しているようにされている先生もいらっしゃるかと思います。

 読書ノートの方では、「これから読みたい本(候補)」欄をつくり、これも、思いついたときに書き足していけるようにされている先生もいらっしゃると思います。

 ミニ・レッスンで教えたことのポイントを書きこむ欄をつくっておられる先生もいるかもしれませんし、ノートの後ろのほうに、言語事項に関わるリスト(それぞれの校正のチェックリスト、英語の場合ですと、綴りを間違いやすい単語のリスト等)をつくる場合も あると思います。

 作家ノートにしろ、読書ノートにしろ、両方共通のノートにしろ、自分の教室の子どもたちの学びに適したリスト欄をつくっておいて、年間を通して、足したり、選んだりしていくことで、子どもたちの成長に応じたサポートになるように思います。

 今、私が興味を持っているのが、「なりたい読み手(像)」のリストです。(私は英語を教えているので、「なりたい、英語の読み手」ということになります。)

 私が印象ですが、「自分のなりたい読み手像(目標)」は、学期の初めに尋ねても、うまく出てこないか、出てきても、大きな目標で、そこに到達するための小さな目標が見えにくいことが多いです。

 だからこそ、ちょうど、書きたい題材リストを書き足していくように、 学期を通して、少しずつ具体的な目標を書き「足していく」、そんなことも必要ではないか、と思い始めています。

 「選択」を大切にするRWであれば、「なりたい読み手像」を学習者が考え、選択し、その目標が具体的かつ達成可能であるようにサポートできれば、達成した目標が消え、新しいものが加わるのも自然な気がします。

 自分のなりたい読み手像は、最初はイメージしにくいと思うので、評価基準表と組みあわせる形で、最初は教師側から、何点か「○○ができる」(3~4段階評価)を提示し、そこに「○○ができる読み手像」を自分で書き足していく(書き足した日付もいれて)というのも、現実的な気がします。

 私は英語を教えているので、特にそう思うのかもしれませんが、未知語への対応方法(調べるタイミングなど)などの、身につけてほしい「英語(外国語)」の読み方を、なりたい読み手の中に織り込んでいけないかと思うのです。



 

2015年10月2日金曜日

出版学習


京都橘大学の池田修さんから以下のようなメールをもらいました。


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一人WWをして、本を書いて出版しました。
料理の本を書きました。電子書籍です。
15種類の料理、エッセイ、琵琶湖の写真などの36pで、
定価は100円です。iPad、iPhoneで読むことができます。

『5分、5ステップではじめる料理
〜 包丁を持ってみようかなあと思い始めているあなたへ 〜』
やってみて実に面白かったです。
本格的な出版学習というのが、実はとっても簡単にできるのではないかと思いました。


に、簡単にまとめてみました。
報告まで。

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それへの私の返信は:

メール、ありがとうございました。

とてもおもしろい試みです。
小6、中3、高3、そして大学の卒業プロジェクトとしては、最高かも!
(入試なんかよりも、はるかにいいと思います。
何よりも、読者意識をもてるのがいいです。
いまの論文や作文では、教師以外に読む人がいないで書いているイメージでしょうから。)

並行して、ますます選書能力が問われることになり、教科書のような時代錯誤的なものを後生大事にしている時じゃないとも思いました。

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池田さんの返信は:
とてもおもしろい試みです。
小6、中3、高3、そして大学の卒業プロジェクトとしては、最高かも!
→本当にそう思います。
今の学生たち、生徒も、デジカメでアルバムを作ることは簡単にやっています。
この下地があるわけですから、さらに発展させて本を出す。
そして、正式に世に問うというのは、ありだと思います。

私の学生には、大学4年間で一冊本を書くということを課題にしたいと思うほどです。

(入試なんかよりも、はるかにいいと思います。
何よりも、読者意識をもてるのがいいです。
いまの論文や作文では、教師以外に読む人がいないで書いているイメージでしょうから。)
→げに。
いま、作文の指導で免許更新講習をしています。
いずれこれは論文にまとめますが、子どもの頃誰に向かって作文を書いていたか?と問うと一番多いのは「なんとなく先生」です。私の指導ではこれを「クラスの仲間」に設定させるのですが、これで随分と書きやすくなります。

並行して、ますます選書能力が問われることになり、教科書のような時代錯誤的なものを後生大事にしている時じゃないとも思いました。
→私も実は教科書を書いていますが(中学校国語)、実は電子教科書の肝は、児童、生徒が自分たちで自分の使う教科書を作ることにあるのではないかと考えています。

そこへの壮大な野望に向けて少しずつやっています(^^)。