2017年8月25日金曜日

「図書コーナー」と「一人読み」の大切さ


これまで『Reading Essentials(読み方指導の本質)by Regie Routman の内容については、3回紹介してきました。
第4章は、  http://wwletter.blogspot.jp/2016/11/blog-post_25.html     
ですでに紹介しました。
今回は、4回目で第5~6章を紹介します。(左の数字はページ数、斜体は筆者のコメントです。)


第5章 教室内の図書コーナー

 日本を訪ねる欧米の教育者が一番驚くことの一つが、教室にまったく本を見かけないことです。64ページにも書いてあるように、読めるようになるためには本が不可欠だというのに。(これは、主には小学校の話です。大分前になりますが、新潟県のある公立小学校を訪ねた時に、各教室に段ボール箱に2つぐらいの本が各教室においてありました。全教室でこれだけの量の本を見たのは、私自身初めてでした。でも、いいところ60冊といったところでした。)

67 最低200冊から、いい「クラス図書スペース」には千冊以上!!!
  この本の数字には、教師の「読み」に対するこだわりが表れています。単なるクラスの図書コーナーではダメで、傑出したのが必要!! 日本は、基本的に、これなしで読む教育をやろうといういのですから、最初から目標達成を放棄しているようなものと解釈できますか?
  アメリカなどの小学校の教室に本が置いてあるのは、全部教師自身が持っている本の場合がほとんどです。 一方、オーストラリアの場合は、図書館の機能を充実させようという動きが強いようで、図書館の本を各教室で行われているテーマに沿った学習に応じて、長期間各教室に貸し出すような仕組みをとっているようです。(以上は、いずれも、小学校レベルの話。
中・高レベルでは、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアといずれも図書館を学校の真ん中に配置して、授業ではもちろん、授業以外でも生徒たちがアクセスしやすいように努力しています。申し訳ありませんが、私の情報収集は高校レベルで止まっています。)

80 夏休み中の読書はクリティカル!! ~ 小学校~大学院までを通して休み中に関わらず、ほとんど本を読んだことのない者がこんなところを指摘するのもおかしいのですが(読む時間があったら、運動ばかりしていましたから)・・・、いまはとても大切だと思っています。宿題でもなく、課題図書的なものを読ませて、読書感想文を書かせるのでもない、もっと主体的ないい方法はないものでしょうか??

 この章(本)では、残念ながら「読む場所」については、一切触れていません。読む場所(や書く場所)については、日本での実践本の『読書家の時間』に詳しく書いてあります。本の集め方についても!(特に、第2章を参照)


第6章 一人読み(Independent Reading

そもそも、「一人読み」は日本の読解教育ではテーマにすらなっていないのではないでしょうか? 国語の時間中の「一人読み=ひたすら読むこと」の必要性に、日本の国語関連の本で言及しているのはあるでしょうか?
朝読も含めて、「一人読み=ひたすら読む」を計画/モニターするという発想もありません! それこそが読み手として育てる一番いい方法なのに。日本の読解教育というのは、「読むことはせずに、読むことを教える方法」というきわめておかしな方法を取り続けていることになります。何のため? テストのため!?
そうなると、日本の図書(読書)教育もあやしくなりますね。いったい、日本の「図書/読書教育」は、何のために存在しているのでしょうか?

83の真ん中: 一人読みとあわせて、モデルで示す、(主には解釈/理解の方法を)教える、ガイドする、モニターする、評価する、目標を設定する/計画するがバランスよく(しかも、一斉ではなく個々のニーズに合わせて)行われないと自立した読み手は育てられない! ~ とてもまっとうなことなのですが、これが丸ごと抜けている日本の読むことの教え方!

84の上: 誰もが読む時間を提供されたら、読めるようになるわけではない。自分の読みのレベルに合っていない本や、読んでいる内容が理解できていなかったり、誰も成長の具合をモニターしていなかったりしたら、読めるようにならない子は結構多い。
84の下から8~10行目: 教師がうまく教えることと、生徒がたくさんの量を読んだり書いたりしないと、読めるようにはならない。
85 日本で普及しているSustained Silent Reading(朝の読書は、これの日本流の解釈)とIndependent Readingがわかりやすく比較している(表を参照)。欧米では、すでにSSRだけでは不十分と思われているにもかかわらず、日本では大手を振ってSSRだけのアプローチが受け入れられ続けている。ある意味では「学び」ということを本気で考えていない証拠!! 多読も含めて?!
  
86 このページに書いてあることは、85ページの表にまとめてあることを別な形で言ったり、若干補足されたりしているものと捉えられます。 ~ ちなみに、私が『テストだけでは測れない!』(NHK生活人新書)で書いたことは、このページで著者が書いていることを具体的にどうやるかを説明していると言えます。
87 Independent reading こそが生徒たちにとっては一番楽しいこと!! 日本では、国語でこの時間を確保することは考えられていない!!! ということは、楽しく学ぶということを考えていない!?
   個別のカンファレンスによって、各生徒の読みのレベルや課題や関心などを把握することの大切さ。

88 「ひたすら読む」の要素をしっかり押さえることの大切さ~表2のチェックリスト
  この中で朝読(や図書の時間)が押さえているのはいくつ??  これによって、読むことにはほとんど寄与していないことが明らかに! 何のためにしているのか? 静かな=落ち着く時間を持つため。
89 自由に読ませるのではなく、指示を出して特定の読ませ方をするときもある。(この辺は、一つの決まったやり方を繰り返すよりも、臨機応変に教師が生徒にとってベストを考えながらやるのがいい!!)
   よりよい読み手=自立した読み手になっていくために、いろいろする(教える)ことが必要。
   本以外の文字媒体を扱うことも重要!! (これは、生徒たちにとって読むことが身近に感じられる機会でもあるので、とても大切。)

91 特に年齢が低い場合に効果的なパートナーとの読み

93~97 自分(たち)にぴったりあった本を選択できるようにするためには、たくさんの本が不可欠。


 ちなみに、私の友人で、自分の教室に(というよりも、隣の空き教室に)自分で買い集めた本を千冊以上並べている小学校の先生がいます。やる気があれば、日本でも不可能ではない、ということです。
  なんと言っても、日本において最大の壁は、教科書です。
  教科書をカバーすることが、授業であり、最善の方法だと思われていることが。
  あの授業スタイルで書くことと読むことが好きになれたら(うまくなれたら)奇跡です。(このことは、すべての教科に言えてしまうのかもしれません。)

  安倍さんを中心に教育改革を旗印にしている政治家も、文科省も、この部分にはまったく触れないで、先生方のやる気を削ぐ政策ばかりを出しますから、状況は悪化の一途です。

2017年8月18日金曜日

理解するための「国語ゼミ」?


 『理解するってどういうこと?』は「でも、誰も、わかるってどういうことか教えてくれたことはなかったわ」という小学校2年生の少女ジャミカ言葉に答えようとして書かれた本です。ジャミカのこの言葉に答えようとして、エリンさんは「わかるってどういうことなのでしょう?」という質問を発するのですが、その答えは一言で済むものではありませんでした。質問するということが、『理解するってどういうこと?』をエリンさんが書き進める原動力になっているのではないか。そう思えるぐらいに、この本にはいい質問がたくさん示されています。

 野矢茂樹著『大人のための国語ゼミ』(山川出版社、2017年)にも「的確な質問をする」という章があります。古代オリンピックについて数行の短い文章を読んで「10個以上質問を考えなさい」というエクササイズがあります。野矢さんは、10個思いつかなかった人は質問づくりの「初心者」だと言い、26個もの質問を例示するのです。読者としては求められた数の2倍半の質問が挙げられて圧倒されるのですが、野矢さんの挙げる26の質問をよく観察してみると、その半数近くが、素材として提供された短い文章冒頭の「古代オリンピックは、競争に対するギリシア人の異様な熱意が生み出した祭典である。」という一文を、疑問詞(5W1H)を使って変形させたものであることがわかります。「古代オリンピック」一語だけであっても、少なくとも6通りの質問が考えられるのです。

 このように、質問をすることは、肯定文を疑問文に変えることになるですが、一文のかたちを変えるだけにとどまりません(「古代オリンピックとは何か?」という問いと「古代オリンピックに参加したのは誰か?」という問いとでは、答えがずいぶん違ってきます。そうういう問答を繰り返すことで、「古代オリンピック」を取り巻く状況や背景について調べてみたいことがたくさんあらわれるのです。質問を考えるということは、一つの事象を「いろいろ」な角度から見つめて考える、ということなのです。当たり前のことを言っているようですが、ここのところが肝心で、質問をするということは、質問の 対象となっているモノや言葉や作品を多角的に吟味検討して、その価値を言葉にしてあらわすことになるのです。その態度は、野矢さんの本では「的確な質問をする」の次の章になっている「反論する」にもつながっています。そして、質問をすることで、質問の対象についてそれまで意識できていなかったことを発見することができるようになります。対象を一歩も二歩も踏み込んで理解しようとすることになるのです。

 このことは『大人のための国語ゼミ』の最初の章が「相手のことを考える」であるということとも関わってきます。野矢さんは「相手のことを考え、分かってもらえるような言葉に言い換えたり説明を補ったりする力」は「国語力」なので、「相手のことを考えて分かってもらおうとすること」が「国語力を鍛えることになる」と言うのです。そして「国語力が鍛えられる」ことで「相手のことを考えに入れて書いたり話したりできるようになる」と言います(『大人のための国語ゼミ』29ページ)。

 このように、野矢さんがこの本で言っているのは、学校教科としての「国語」に詳しくなれということでは決してありません。むしろ人やモノや社会世界を「理解する」ためには、そのための「方法」を学んでいく必要があると言っているのですが、それは、ジャミカの言葉に、ジャミカにもわかるような言葉で応えようとして『理解するってどういうこと?』を書いたエリンさんと同じです。

★そうそう、『大人のための国語ゼミ』「7 的確な質問をする」の210ページに、吉田さんが訳したロスステインたちの『たった一つを変えるだけ』(新評論)が紹介されていました!「私はこの本を読んで、教師としての自分のこれまでのあり方がひっくり返される思いがした」と、野矢さんの賞賛の言葉があります。

2017年8月11日金曜日

「一人読み」が可能にする7つの特徴


Who’s Doing the Work?(いったい誰が仕事をしているのか?)』というタイトルの本をしばらく前に読みました。★この本は、自立した読み手を育てるためには「責任の移行」を意識した取り組みが不可欠だという考えの基に書かれた本です。「責任の移行」については、
http://wwletter.blogspot.jp/2017/07/ww.html の2つ目の図や、『「読む力」はこうしてつける』の67ページですでに紹介してきました。★★
この本の「はじめに」と「まえがき」には、次のようなことが書かれていました(数字は、ページ数)

ix  コーチがいるときにはできて、いないときにはできないのでは、コーチングの意味はない。選手(子ども)自身が自分で直せるようにサポートするのがコーチの役割。その意味で、「責任の移行」は大切。最終段階では、コーチは何も言わず、「あなたができること/試せることは何ですか?」と返すだけ。自立を促すだけ。
自分で問題解決ができ、修正/改善でき、自分で考えられるようにする! ~ 日本の読みの指導は、ここを目指して行われているでしょうか?
  最初は教師である私に仕事をさせてもらって、その後はフィードバックを中心に提供します。

まえがき  developing agentive readers ~ 主体的な読み手を育てる

2 電気を流され続けた犬は、扉が開いていても、逃げなくなってしまう。
  Learned helplessness(学習性無力感) = 選択が与えられていないことに慣れてしまって、他の可能性を考えられなくなってしまう。 ~ これって、教師をはじめ、生徒も!! 多くの人が日本で体験していること。社会全体でも?

3 足場は取ることを前提にした足場のはずなのに、いつまでもそこにある足場に転換してしまっている!
  指示されないと動かない状況を、自分たちがつくっている。当人が判断して(選択して)動くのではなく。それでは、自立した家庭人(学び手)にはならない。常に指示待ち。
4 つまり、ownership/agencyがない状態!

 「agentive readers」という発想や、教育の中に「ownership/agency」という考えが存在しない状態が続いている気がします。(そもそも、それらがないので、これらを訳せない状態も続いています。)

 この後、第1章 ゴールを明確にする
第2章 読み聞かせ ~ 読むことを学ぶ理由を生徒たちに提供する
     第3章 いっしょ読みShared Reading 読み聞かせとガイド読みの間
     第4章 ガイド読み: 教師の観察の下に練習する
と紹介された後に、今回、主に紹介する
第5章 一人読み ~ 読むことを好きになる読み方

があります。日本で国語の時間には残念ながら「一人読み」をするという発想はありません! それは、「読むことを好きになる読み方」を排除していることを意味してしまいます。それに比べて、リーディング・ワークショップ(読書家の時間)は「一人読み」を中心に据えた教え方・学び方です。どおりで、みんなが読むことが好きになり、かつ読む力をつけるわけです!

104 ダンスの例えだと、一人読みはリサイタル
読み聞かせは見本を見る。いっしょ読みは学ぶ。ガイド読みは練習する/リハーサル。 ~ このように「責任の移行」モデルの下でしっかり段階的に取り組まずに、いったい日本の国語教育は何を目的に、何をやり続けているのでしょうか?

106 一人ひとりの子どもが、ぴったり自分に合った本を読むのが一人読み。個別カンファランスの役割の大きさ!

108 一人読みこそが、読みの指導の核。 ~ 悲しいかな、この発想がまったく欠けている日本の国語教育。教師ががんばることが教えることだと錯覚しています。子どもたちががんばる/出来るようになるのではなく。

108~110 一人読みを特徴づけるもの ~ 以下の7つの特徴が、今回の書き込みの最大のポイントです。読みの指導でこれらが満たせているか否かが、指導の良し悪しを左右すると言えるぐらいに!
・一人読み(こそ)が、生徒をよりよい読み手にする ~ 教師がいくら頑張って指導しても、生徒が読まない限りはよい読み手にはなれない! 自分に合ったたくさんの本を読むことが、よりよい読み手になる最善の方法! 自転車の乗り方をいくら講義されても乗れるようにはならず、自分で転びながらも練習するしかない。
 ・一人読みが、自分の読みのパワーを気づかせる(に磨きをかける) ~ それは、自分が読みたいものでこそ可能。読みたいものでこそ、本当の力を使う(あるいは、もっているものを超えて、力を身につける)。
 ・一人読みで、読むことの楽しさを実感できる ~ 本とのいい関係こそが大切だし、読む量と読む力をもたらす。
 ・一人読みは、「一人ひとりをいかす教え方・学び方」★★★を実践している ~ 各人の興味関心や(本の難しさや易しさ等の)レベルに応じて、自分に合った本を読んでいる! 一人読みの間に行われるカンファランスも、個々人を読み手として成長させるために行われる。読んでいるものの内容理解は二義的な目標。
 ・一人読みは、すべての責任が一人ひとりの生徒によって担われている ~ ミニ・レッスンや「いっしょ読み」等では、教師も含めてみんなで問題解決をするので、各人は引いてしまう=傍観者になることができるが、一人読みではそうはいかない。自分で判断して読むスキルを使いこなすことが求められる。失敗することも含めて。
 ・一人読みは、教師に自分がミニ・レッスンやガイド読み等で指導してきたことがどれだけ定着しているのかを把握する機会を提供する。そして、その情報は、教え方の改善のきっかけにもなる。
 ・一人読みは、カンファランスの時間でもあるので、教師と生徒のいい関係づくりと、読みのコミュニティーづくりに貢献する ~ 互いに読んだ本について紹介し合ったり、推薦し合ったりする仲間意識が芽生え、そして実際、たくさんの本が紹介される。

117 一人読みには複数の本が必要
常に、いくつかのレベルや種類の選択肢を読書家は自分に提供している。子どもにも同じような選択肢があって、おかしくない!!


★ Who’s Doing the Work?  How to say less so Readers can do More, by Jan Burkins and Kim Yaris, from Stenhouse (2016)

★★ この「責任の移行」モデルは、読み方の指導を改善するために生まれたもので、本書をはじめ英語ではたくさん出ていますが、残念ながら日本で翻訳するのが難しいです。マーケットが少ないので。(圧倒的多数の人は、教科書を使った読解教育が読みの教え方だと錯覚を起こしたままですから!)しかし「責任の移行」モデルが紹介されて30年以上たった今では、英語圏ではすべての教科で使われています。それなら日本でもニーズがあるだろうと年内には翻訳が出ます。タイトルは、『「学び」の責任は誰にあるのか?(仮)』ダグラス・フィッシャー&ナンシー・フレイ著、新評論です。


★★★ 「一人ひとりをいかす教え方・学び方」については、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』キャロル・トムリンソン著、北大路書房を参照してください。


2017年8月4日金曜日

一人の教師が描いた図~WWと従来型の教え方の違い




 

 ライティング・ワークショップと従来型の作文授業の違いをわかりやすく伝えるのはどうしたらいいのだろう、と話している中で、上の図が生まれました。上の図を描いてくれたのは、ライティング・ワークショップを使って、中学校・高等学校の教室で、英語で書くことを教えている吉沢先生です。人数が多い日本の教室で、その多さに苦労しながらも、カンファランスを一貫して行っている先生です。

 

 この図の説明を聞いたときに私はとても納得し、頭が整理された気がしましたので、吉沢先生に許可をいただいて紹介します。なお図を書いてくれたのは吉沢先生ですが、説明は私の記憶からです。

 

 従来型の作文(英作文)については、真ん中の横向きの➔が表現しています。スタートは教師が設定したテーマ、トピックです。

 

教師が設定したテーマ、トピックから生徒が書いたものまでは、1本の直線の矢印ですが、それは、テーマやトピック(そして締切も)を与える以外、あまり指導の幅がなく、直線的に進むからです。


その後、生徒が書いたものを教師が添削し、成績をつけて終了です。そこから先につながるものはあまりありません。

 

少し戻った矢印でクエスチョンマークがついているのは、生徒に返却されるものもあるだろうけど、それがどのように、今後の生徒の学びに還元されるのかが、よくわからないからです。


 ライティング・ワークショップの場合は、下から上に向けての流れです。

 

 スタートは「何について書くか?」という題材さがして、その後の書き進めていくプロセスを、教師が併走しています。指導も、カンファランス・アプローチですから、一人ひとりの子どもに適したように変えるので、幅がありますし、直線的に進むわけではありません。

 

 そうやって書いたものができてきます。

 

 書くプロセスや書いたものから、今までドアの向こうに隠れたいたものが見えてきます。
 
 英語を教える吉沢先生は、今までドアの向こうにあって見えていなかったが、カンファランスをすることで、教師が学んだこととして2点あげています。

 

 それは書き手としての1)個性と2)世界だそうです。

 

 一つ目の、「書き手としての個性」というのは、書き方の特徴でもあります。教えている教科が英語なので「あの子は、こうやって英語を書いていたんだ」とうことを、知ったそうです。例えば「とにかく英単語を並べるような書き方をする子」、「主語と動詞をうまく決めずに英語にしようとする子」等、カンファランスの指導をする前には、「どうやって」の部分は見えていなかったそうです。

 

 2点目の「書き手としての生徒の世界」は、意味不明の英文をカンファランスする中で見えてきたそうです。書かれている英文がわからない、でも、カンファランスをすると「部活のこういう経験があったから」この英文になっていると分かるそうです。その理解がないとよいカンファランスができない、逆にいうと、カンファランスをすることで、その子のもっている世界のドアが教師に向かって開く、ということです。


 カンファランスは、書き手の個性と世界へのドアを開く鍵みたいなものだそうです。

 

開いたドアからは、さらにその子の個性と世界が生かされ、読者のいる外の世界へと広がっていきます。

 

 吉沢先生によると、カンファランスで大切なのは、まず好奇心で、好奇心をもってその子の書いたものから、その子の書き方の個性や世界を学ぶと、次のカンファランスはもっとよくなるそうです。