2017年8月18日金曜日

理解するための「国語ゼミ」?


 『理解するってどういうこと?』は「でも、誰も、わかるってどういうことか教えてくれたことはなかったわ」という小学校2年生の少女ジャミカ言葉に答えようとして書かれた本です。ジャミカのこの言葉に答えようとして、エリンさんは「わかるってどういうことなのでしょう?」という質問を発するのですが、その答えは一言で済むものではありませんでした。質問するということが、『理解するってどういうこと?』をエリンさんが書き進める原動力になっているのではないか。そう思えるぐらいに、この本にはいい質問がたくさん示されています。

 野矢茂樹著『大人のための国語ゼミ』(山川出版社、2017年)にも「的確な質問をする」という章があります。古代オリンピックについて数行の短い文章を読んで「10個以上質問を考えなさい」というエクササイズがあります。野矢さんは、10個思いつかなかった人は質問づくりの「初心者」だと言い、26個もの質問を例示するのです。読者としては求められた数の2倍半の質問が挙げられて圧倒されるのですが、野矢さんの挙げる26の質問をよく観察してみると、その半数近くが、素材として提供された短い文章冒頭の「古代オリンピックは、競争に対するギリシア人の異様な熱意が生み出した祭典である。」という一文を、疑問詞(5W1H)を使って変形させたものであることがわかります。「古代オリンピック」一語だけであっても、少なくとも6通りの質問が考えられるのです。

 このように、質問をすることは、肯定文を疑問文に変えることになるですが、一文のかたちを変えるだけにとどまりません(「古代オリンピックとは何か?」という問いと「古代オリンピックに参加したのは誰か?」という問いとでは、答えがずいぶん違ってきます。そうういう問答を繰り返すことで、「古代オリンピック」を取り巻く状況や背景について調べてみたいことがたくさんあらわれるのです。質問を考えるということは、一つの事象を「いろいろ」な角度から見つめて考える、ということなのです。当たり前のことを言っているようですが、ここのところが肝心で、質問をするということは、質問の 対象となっているモノや言葉や作品を多角的に吟味検討して、その価値を言葉にしてあらわすことになるのです。その態度は、野矢さんの本では「的確な質問をする」の次の章になっている「反論する」にもつながっています。そして、質問をすることで、質問の対象についてそれまで意識できていなかったことを発見することができるようになります。対象を一歩も二歩も踏み込んで理解しようとすることになるのです。

 このことは『大人のための国語ゼミ』の最初の章が「相手のことを考える」であるということとも関わってきます。野矢さんは「相手のことを考え、分かってもらえるような言葉に言い換えたり説明を補ったりする力」は「国語力」なので、「相手のことを考えて分かってもらおうとすること」が「国語力を鍛えることになる」と言うのです。そして「国語力が鍛えられる」ことで「相手のことを考えに入れて書いたり話したりできるようになる」と言います(『大人のための国語ゼミ』29ページ)。

 このように、野矢さんがこの本で言っているのは、学校教科としての「国語」に詳しくなれということでは決してありません。むしろ人やモノや社会世界を「理解する」ためには、そのための「方法」を学んでいく必要があると言っているのですが、それは、ジャミカの言葉に、ジャミカにもわかるような言葉で応えようとして『理解するってどういうこと?』を書いたエリンさんと同じです。

★そうそう、『大人のための国語ゼミ』「7 的確な質問をする」の210ページに、吉田さんが訳したロスステインたちの『たった一つを変えるだけ』(新評論)が紹介されていました!「私はこの本を読んで、教師としての自分のこれまでのあり方がひっくり返される思いがした」と、野矢さんの賞賛の言葉があります。

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