2019年5月31日金曜日

自分を7つのストーリーで紹介するとしたら・・・

ジャネット・アレンさんは、読み書きを教える教師のサポートを長年している人です。
学校レベルの教員研修があまり機能しないのは、洋の東西に関係なく、同じようです。
彼女自身、2年間も失敗続きの校内研修をリードした体験をもっており、その振り返りとして、「やり方が教員を主役にできず、彼らはやらされ感満載の時間だった」という点を真っ先に挙げ、それを打破する方法として最初に取り組んだのが、この7つのストーリーの活動です。これほど、自分に引きつけられる方法はないのではないかと思います。

①「教師である自分を7つのストーリーで紹介するとしたら、何を紹介しますか?」
②「自分の読み・書き史を7つのストーリーで紹介するとしたら、何を紹介しますか?」
③「国語の教師である自分を7つのストーリーで紹介するとしたら、何を紹介しますか?」

②の質問に対する、私の7つのストーリーを紹介します。

1 まちがいなく、私自身の小~高時代の悲惨な国語教育が反面教師になっています。完全に読み・書き嫌いにしてくれ、それから立ち直れるようになるまでに大学院を卒業してからも5年ぐらいを要しましたから。それほど重い後遺症にもかかっていました。そしてその経験が、1960年代には日本のアメリカも同じ読み・書きの教育をしていたにもかかわらず、一方は飛躍的な発展を遂げ、もう一方は半世紀も同じ状態にあるのをなんとかしたいと思ったきっかけになっています(半世紀も、同じところで足踏みをし続けることは許されるのでしょうか?)

2 ワープロの登場。原稿用紙から解放され、削除やコピー&ペーストが容易にできるようになったことが、書くことアレルギーをかなり緩和してくれました。キーボードをたたく形で書けるようにならなかったら、私はいまでも書けないままが続いていたのではと思うぐらいに、大きな出来事です。

3 一方で読む方は、1980年代のグローバル教育、開発教育(いまはESD)、環境教育、人権教育など、90年代以降は教育の様々な(たとえば、上で説明したPD、評価、学校経営/リーダーシップ、そしてもちろん読み・書きなど)分野の英語の本を読み漁っていました。特にいいのは訳しました。http://eric-net.org/text01.html(残念ながら教育の分野で読むに値する日本語で書かれた本を見出すのは困難ですから。)明確な目的がもてて、かつその分野に精通すればするほど、いい本にドンドン出合えることに気づけたことも大きな発見でした。(いい本はいい本とつながっていますから、「芋づる式」という読み方が、もっとも確実にいい本に出合え、かつ効率よく学べる方法です! 80~90年代にかけて読んだ小説(歴史もの中心)は、司馬遼太郎、松本清張、堀田善衛、辻邦生、遠藤周作、塩野七生、五木寛之、阿部謹也などのものでした。阿部さんのは歴史研究書です。)

4 ナンシー・アトウェルの『イン・ザ・ミドル』との出合いは、2000年のことでした。教師ががんばって教えるのではなく、生徒たちががんばって(主体的に)学ぶ教え方を探していたので、この本に出合った時は「目から鱗」でした。彼女の実践は、中学生が対象です。彼女の本を訳して出せるまでに、18年もかかってしまいました。彼女も1970年代は、日本では今も主流であり続けている作文教育と読解教育をしていたことが第1章からわかります。

5 ルーシー・カルキンズやラルフ・フレッチャーをはじめコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジ附属リーディング&ライティング・プロジェクト関係者の本との出合いも、アトウェルの本との出合いと同じレベルで大きいです。こちらの本はすべて小学生が対象です。とにかく、楽しさが前面に出ているのがいいです! 普及のしやすさも考えて『ライティング・ワークショップ』と『リーディング・ワークショップ』の順で訳しました。(が、それはほんの2冊に過ぎず、いまでは少なく見積もっても100冊は出ています。彼女たちの影響が大きいものの一つが下のデンバー・グループです。)

6 エリン・キーン(『理解するってどういうこと?』の著者)をはじめデンバー・グループとの出会いも外せません。彼女たちの業績が、優れた読み手たちが文章を読む際に当たり前のように使っている理解のための方法を、『「読む力」はこうしてつける』という形で私に紹介させたぐらいですから。こちらは、ワークショップのアプローチを国語以外の他教科に応用することにも熱心です。(すでに、こんなに本を出しています。https://www.pebc.org/publications/

7 最後は、『言葉を選ぶ、授業が変わる!』と『オープニングマインド』の著者のピーター・ジョンストンとの出会いです。彼は、研究者の立場から、リーディング・ワークショップとライティング・ワークショップ(RWWW)のクラスの意味や価値を分析し、紹介してくれています。他のいろいろな教育の分野(たとえば、ドウェックの「成長マインドセット」やヴィゴツキーの「発達の最近接領域(ZPD)」など)とも関連づけてくれているのがいいです!

7つには含めることができなかった番外編として(理由は、読み書きが中心ではないという理由で)、
・著者のキャロル・トムリンソン自身が読み・書きの教師であったということもあり『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』と『一人ひとりをいかす評価』ははずしたくありません。
・『「学びの責任」は誰にあるのか』の「責任の移行モデル」は、元々は読みの指導からスタートしています。なお、「責任の移行モデル」を図化すると図1になります。それを読みの教え方に即して多様な教え方・学び方として表したものが、図2です(いずれも、出典は『読み聞かせは魔法!』の181ページ)。従来の読み聞かせ、考え聞かせ、対話読み聞かせ、そしていっしょ読みの4つが『読み聞かせは魔法!』で紹介されています。ガイド読みと個別読みは『読書家の時間』で、ブッククラブは『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』で、ブック・プロジェクトは『リーディング・ワークショップ』でそれぞれ詳しく紹介されています。要するに、日本の読解指導は「自立した読み手」になるには決定的に方法が欠落していることが図2から分かるわけです。)

・『最高の授業』は、RWWWの「聞く・話す」への応用と捉えられます。
・現在訳しているNurturing Inquiryという本は、ライティング・ワークショップを理科に応用して実践例ですし、日本でも「数学者の時間」「市民/歴史家の時間」「科学者の時間」の実践チームがすでにがんばっていますから、他教科への応用は十分に可能であることもすでに証明されています。

 ぜひ、皆さんも、教員研修をする際の導入として①~③の質問や、そのバリエーションを使ってみてください。メンバーが書き出したものをベースにしたら、従来の教員研修とは違った展開が考えられると思いませんか?

参考: Becoming a Literacy Leader, 2nd Edition, 2016  by Jennifer Allen(主に第3章)


2019年5月25日土曜日

子どもの希望をかなえる選書 ~子ども、教師、司書の連携

 リーディング・ワークショップが進むと、子どもたちも、自分なりの選書の基準を少しずつ作り始め、自分の読みたい本がどんな本かを、少しずつ言えるようになってきます。ある本を「面白い!」と思うと、「この本と同じ作家の、他の本はないの?」とか、「こんな感じの本を次も読みたい」などの声を耳にする先生もいらっしゃると思います。

 「それなら、次に読むお薦めは、これ!」と、お薦め本をさっと本棚から取り出せるときは嬉しいものです。でも、その反面、「教室には、この作家の本はこれ1冊だけだし、こんな感じの本も他にはない」「このトピックの本もこれ1冊だけ」というときには、少しもどかしさも感じます。

   今回は、5年生を教える冨田先生の教室から、子どもたちの希望をかなえるような選書を支援した一つの試みを紹介します。

 これは、子どもたち全員に、どんな本を読みたいかリクエストを書いてもらい、それを活用しながら、公立図書館の団体貸出を使うというものです。

 冨田先生の教室の様子を見ていると、公立図書館の団体貸出を使うときは、①子どもの希望、②その子どもが読めそうな本をわかっている教師の知識、③本に詳しい司書、この3者の連携があると、団体貸出が、より効果的に機能するのがよくわかります。

 その時の具体的な手順や様子が以下です。

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 「どんな本が読みたいですか?」という問いに対して、子どもたちに答えを書いてもらうと、以下のようにいろいろと希望が登場しました。

・野球の練習の方法の本が読みたい。
・世界的サッカー選手の伝記が読みたい。
・宇宙の本が読みたい。
・恐竜の本が読みたい。
・海外旅行の本が読みたい。

 もちろん具体的な書名を挙げてくる子もいます。

 公立図書館からは、予約いっぱいの人気のベストセラーは借りられませんし、あまりにテーマが狭くて該当の本がないものもありました。

 司書の方に、具体的な書名でも揃えてもらいますが、それに加えて、子どもたちの希望を聞いて、該当しそうな本を多めに揃えておいてもらいました。

 僕が図書館に行ってその子の顔を浮かべながら見繕い、難しすぎる本、簡単すぎる本は手を加えてちょうどよい本にしていくようにしました。40冊しか借りれないので、60冊ぐらい揃えてもらい、司書の方にアドバイスを受けたりしながら選書していき、できるだけ子どもの希望に近いものを選ぶようにして、40冊にすることができました。

 子どもたちは、自分がリクエストをした本が実際に教室に届いたことが本当に嬉しいようです。

 自分のリクエストを図書館が聞いてくれたという体験を持っている子はほとんどいないので、宝箱を開けるかのようにダンボールを開いて、自分のリクエストした本を手にとっていました。

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 ライティング・ワークショップで、書く題材を上手に選ぶことが書くことの原動力の一つになるのと同様に、リーディング・ワークショップでは読む本を上手に選ぶことは大切です。でも、読みたい本がわからなかったり、自分では読めない、難しすぎる本を手にとったままの子どもがいるときもあると思います。

 上の実践を紹介してくれた冨田先生も「選書は難しいので、教師の支援が必要な子が多くいます。教師の他にも、学校司書や公立の図書館司書の助言、良い本を探すための掲示物やおすすめ本、友達が読んでいる本など、手がかりになるものを紹介して、選書の力をつけていくサポートが必要です」と言っていました。

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 上の実践を読みながら、『読書家の時間』(新評論、2014年)の52-53頁に、「公立図書館の利用」というセクションがあることを思い出しましたので、またこちらもご参照ください。


2019年5月18日土曜日

あなたはけっしてひとりではない


 長い連休に若松英輔さんの『種まく人』(亜紀書房、2018年)という本を手に取りました。「種まく人」と言えばフランソワ・ミレーの代表作。しかし若松さんの本は美術書でありません。むしろ含蓄のある文章の収められた本であり、詩人である筆者の魅力的な詩が随所に挟まれています。なぜ『種まく人』か。「ミレーの「種まく人」――あとがきに代えて」には、彫刻家萩原碌山の「彼は人の知る如く農夫に関する画ばかりを画いたが、彼の画いた農夫は皆一種の説教である」という言葉に続けて、次のように書かれていました。

〈ルネサンス以降、ヨーロッパにおいて、その国、その文化を象徴するような画家は、ミレーの登場を待たねばならなかった。彼は画家だが、その作品にふれた者はまるで、無音のコトバで説教を受けたような感動を覚えた、というのである。〉(『種まく人』169ページ)



 
 ミレーの〈画いた農夫は皆一種の説教である〉という碌山の言葉は独特の比喩。若松さんはこれを〈無音のコトバで説教を受けたような感動を覚えた〉と解しています。それでも〈説教〉という語は堅苦しく思われます。若松さんは次のように続けています。
 
〈ミレーが絵によって「説教」をした、といっても、高い所から人々にむかって何事かを語ろうとした、というわけではない。彼は絵によって、文字の読めない人にも、この世の摂理とは何かを伝えようとしたのだった。言葉にならない思いを抱えて生きる民衆の心に、ミレーは、色と線、そして構図というもう一つの「コトバ」によって、あなたはけっしてひとりではない、そう静かに呼びかけるのである。〉(『種まく人』170171ページ)
 
 『種まく人』のなかでは〈コトバ〉は〈文字、あるいは声にならない意味のうごめき〉のこと。ミレーは〈文字、あるいは声にならない意味のうごめき〉を表現することによって〈民衆の心〉に呼びかけたというのです。〈あなたはけっしてひとりではない〉と。詩人も同じだ、いや、同じでなければならない、とこの詩人は書きます。
 
〈詩を書くとは、おもいを言葉にすることであるよりも、心のなかにあって、ほとんど言葉になり得ないコトバにふれてみようとする試みなのではあるまいか。

むしろ、言葉にならないおもいで心が満たされたとき、はじめて人は、言葉の奧にコトバがあることに気がつくのかもしれない。〉(『種まく人』45ページ)
 
〈言葉にならないおもいで心が満たされたとき〉に〈言葉の奧にコトバがあることに気がつく〉のだというのは、何かを理解することができたときのことを言い当てています。たぶん、わかったと人が思う時とは〈言葉の奧にコトバがある〉ということに気づいたときなのです。表現者の〈言葉の奧〉の〈コトバ〉に思いを向けるということなのだと思います。理解するということは〈あなたはけっしてひとりではない〉という表現者の〈コトバ〉に気づくことなのだと若松さんは言っているのだと思います。
 エリンさんが『理解するってどういうこと?』の各章で理解のメンターとして選んだ、ヴァン・ゴッホやピカソやホッパーやネルーダらも、それぞれに〈あなたはけっしてひとりではない〉と伝え伝えられた人々だったのです。そして、理解の種類とその成果を考えるということは〈あなたはけっしてひとりではない〉というメッセージの見出し方を知り、そのことによって自分たちの〈コトバ〉にふれることなのではないでしょうか。心のなかのほとんど言葉にならない〈コトバ〉にふれることができたとき、わたくしたちは〈けっしてひとりではない〉と感じることができるはずなのですが、その瞬間が「わかった」と実感できる瞬間になり得るのだと、若松さんの『種まく人』は教えてくれるのです。

2019年5月10日金曜日

接点は一致とズレの両方にから + テストというジャンル

 A Writer’s Notebook(作家ノート)をつけることによって得られる宝庫の第2弾(第3章と第4章)です。ブッククラブ形式で紹介します。1回目(第1~2章)は、http://wwletter.blogspot.com/2019/04/blog-post_26.html

Aさん・ 第3章のハイライトは、24ページの Maybe the single most important lesson you can learn as a writer is to write small. だと思いました。焦点を絞る。必ずしも短く書くことではありません。
Bさん「楽しかったです。」「おいしかったです。」「よかったです。」「嬉しかったです。」「悲しかったです。」「さびしかったです。」等々、小学生から大人までの日本人の得意なフレーズ。こういう作文を読むと、結局何も読み手の心にひっかからないため、「へー」とか「ふーん」とか「ほー」という言葉で片付けてしまいがちになるのだと思います。「もっと知りたい」に繋がらないですよね。これは会話をしていても言えることなんだと思います。そこをこの章に出てくるような細かく具体的な描写で書くことができれば、「書き手と読み手の五感」が一致すると言いますか、まさに臨場感あふれる作品になるのだなと思いました。
Aさん・ 一致する部分とズレる部分の両方が大切な気がしました。(私はひねくれていて、一致することを強要する日本の読解教育になじめなったものですから。フィクションであれ、ノンフィクションであれ、ズレている部分の方が大きいし、大切だという思いをもっています。皆さん、どう思われますか?)一致するから共有できる部分と、ズレているからさらに広げられたり、深められたりするわけで・・・・さらに言えば、文章を盗むのでは決してなく、自分なりにアレンジするというか、さらにいいものにしていくというか・・・・
Bさん・ そうですね。結局そのズレがクリティカルシンキングにもつながっていく部分ですよね。そこをまず「皆が一緒で、一致する」という前提がある、あるいはそう思わせていくのが日本の教育なんですね。まず「皆違う」が前提であるべきなんですよね。心しておかねばならないことだと思いました。そして、そのズレを広げたり掘り下げたりできるのが、ブッククラブでもあるんですね。
Cさん・ A single detail can sometimes give a window into a person’s whole life. この文章、深い!give a window into person’s whole life.詩的な表現でうっとりします。
Aさん・ 27ページの You can train yourself to notice the details around you.作家ノートをつけることで、身近にあるいろいろなことに気づけるようになる! そんなこと、日本の作文教育では大事にされていません。綴り方では、中心に据えらえていましたが。
Use all your senses.目だけでなくて、五感すべてを使うことは詩人や俳人と同じですね(第六感も?)。ここの部分は、まさに前回の主テーマになっていた、子どもたちが鈍感になっていることを乗り越えさせてくれます!

第4章
Aさん・ A writer’s notebook works just like an incubator.  この「孵化器」という発想がとてもいいです。私の感覚では「言葉を育てるところ」というよりも、「アイディアを育てるところ」ですが。
Cさん・ Those are describing words. You should smell them
「書く」という行為の前に、細やかな観察力や豊かな想像力によってアイディアを孵化させる。そうやって綴られた言葉の一つひとつがたしかな匂いを放って読み手にせまってくる・・・そんなことを思わせる一文です。「生き生きとした記述」とよく言われますが、それはそれぞれの言葉が五感に裏打ちされた質感や温度を持ったときに、命が吹き込まれたように鮮やかに立ちあがるのだなーと、さまざまな実例を読んで感じました。
そしてそれは「書く」ことだけでなく「読む」ことにも通じるのではないか?と新聞記事のくだりを読んでふと考えこみました。一つの新聞記事も「生き生きとした読み」ができるのでは。。最近ちょっとこだわっているものの中に「個性的な読み手になろう」というテーマがあり、ヒントをもらった気がします。
Aさん・「個性的な読み手」~ 私は、本来、誰もが個性的な読み方しかできない、と思っている部分が大きいので、これを聞くと、ウ~ンと唸ってしまいました。受ける印象・イメージ・想起する考え等は、まったく同じことはあり得なくて、一人ひとりが違う/ズレていると思っているので・・・たとえ同じものを聞いても、読んでも、見ても、考えても・・・
Bさん・ これ、上の五感のズレの部分と同じですね。このことを意識していない/認めていないがために、いろんなことがおかしくなるんですね、この国は。
Cさん・ 高校の現場の悩みなんですが・・大学受験においての読解力では「個性」はノイズとして扱われてしまいます。特にセンター試験の5つの選択肢から正解を選ぶ作業のときに、自分の想像やストーリーを勝手に解釈にのせるな!と指導します。文章の読み方の指導に2タイプあるという現状・・・。矛盾を感じつつ「仕方ない」ですませていますが、けっこう悩ましいです。「読解力」についての私の理解が浅いのか?だれか私を説得してください~
Bさん・ それは「仕方ない」で済ませてしまいますよね・・・「いや違うでしょ」と言ったところですぐにそれが変わるわけではないですものね。理解すればするほど悩ましさは増すと思います。「こんなものは本当の学びではない!」と生徒達が試験をボイコットするくらいになってくれたらいいなーとは思いますが・・・。
Aさん・ ライティングとリーディング・ワークショップでは、年間を通じて本当のことを教え続けますが、テストの前約1週間だけ「テスト」というジャンルを行い、点数のとり方を教えます。年間を通じてテストのための準備をし続けることは、生徒たちに失礼だし、それは真の意味で教えていることにならないからです。しかし、できるだけ高い点数も取らせたいという妥協の産物として生まれた方法です。日本でも、この方法で対処できますか?
Bさん・ テストというジャンルかー!なるほど
Cさん・ 学校の中にものさしが一つしかないんです。教員も子どもも。それに加えてAさんが指摘していたように「従順、服従、忖度」の文化が根強く残っているのでやっかいです。社会の構造は変わってきているのに、いまだに「忍耐」を成功への必須アイテムとして子どもたちに強要する教師が多い。もちろんそれがよかれと思ってやっているのでしょうけれども。それで輝けない子どもを量産している気がして、鬱々します。どの子どもも命を輝かせて生きることができる学校をつくりたいです。

2019年5月4日土曜日

連休明けにお薦め? 「ピザ一切れ」/「一粒の小石」系のミニ・レッスンやカンファランス

 ライティング・ワークショップをされている先生の教室では、連休明けに、連休中での出来事を題材にした作品に取り組む子どもたちがいるかもしれません。「連休中のこと」という、大きなトピックに意欲的に取り組み、頑張ってできるだけたくさんの情報を網羅しようとしている子どもたちがいれば、クラスや子どもによっては、「ピザの一切れ/一粒の小石」系のミニ・レッスンやカンファランスの導入を検討してもよいかもしれません。

 「ピザの一切れ」という書き方は、幼稚園から中学生ぐらいを対象とした、書くことについてのミニ・レッスン集 Craft Lessons: Teaching Writing K-8(Stenhouse, 1998)の中で紹介されています(58ページ)★。

 これは「夏休み」や「家族」といったな大きなトピックを扱うときに、その中からポイントを絞るということです。ピザ全部が夏休みの思い出であれば、その一切れずつに思い出を一つずつ入れ、その中の一切れに焦点をあてます。ピザ全体が家族のメンバーとすれば、その中の一切れ、たとえば「おじいちゃん」に焦点をあてます。

「家族」を例に考えると、ピザの一切れを「おじいちゃん」に絞っても、「おじいちゃん」というトピック自体も、まだまだ大きなトピックです。ですから、今度はピザ全体を「おじいちゃん」にして、一切れ一切れにおじいちゃんのいろいろなことを書き、そのピザ全体から、さらに「一切れに絞り込む」ということもできます。

 子どもたちにとって――――特に書きたいことがたくさんあると――――ある作品に入れる情報を絞りこむ(あるいすでに書いたことを削除する)というのは、簡単ではないようですから、こういうミニ・レッスンやカンファランスが必要な時期もあるように思います。

 一つの作品に入れる題材や情報を絞り込むというカンファランスの好例が、『イン・ザ・ミドル』(ナンシー・アトウェル、三省堂、2018年)の「題材が大きすぎる」というセクションにあります(258-259ページ)。

 ここでは、お父さんのお誕生日にプレゼントするために、お父さん宛ての詩を書いている中学生の女の子アメリアへのカンファランスが描かれています。アメリアの下書きをみて、アトウェルは、お父さんのいろいろな部分から、「思い切って一つを選び、それに肉付けして、考えたことや感じたことを加え、お父さんとアメリアがどんなふうか示せないか」と助言しています。

 そこで、アメリアは「お父さんと夜にふたりで散歩したこと」を選びます。(その結果は、お父さんと過ごした時間をいとおしく思う気持ちや喜びの伝わるものとなります。今日の書き込みの最後に、その詩を書いておきますので、ぜひどうぞ!)

 大きすぎる題材の中で焦点を絞る、あるいは一般的なことから個別の一つのことに目を向ける、ということは、上記のアトウェルの教室では「一粒の小石の法則」と呼ばれています。(『イン・ザ・ミドル』182-185ページ)。

 この「法則名」は、ネイサンという生徒が「石」について書いた、何も伝わってこない詩の下書きがきっかけで生まれました。このときにはアトウェルは、「小石全般について書かれていても、何も見えないし、聞こえないし、感じるものもない。騙されたと思って、駐車場に出て行って小石を一粒選び、それを持ってきて、それについて書いてごらん」とアドバイスをしています。

 この時のことから、アトウェルの教室では、大きな題材や、一般的なことから、個別のことに絞りこむことを「一粒の小石の法則」という言い方になります。この言い方だと、具体的でイメージしやすく、生徒にとっても思い出しやすいので、こういう呼び方になったそうです。

 ※なおアトウェルの教室には、その他にも「それで?の法則」「頭と心の法則」等々、子どもたちに伝わりやすい書き方のヒントがいろいろあります。詳しくは『イン・ザ・ミドル』174-194ページをご参照ください。

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 一つに絞るということは、ノンフィクションを書くときの一つの方法としても使えそうです。ノンフィクションを書くときのミニ・レッスン集 Nonfiction Craft Lessons: Teaching Information Writing K-8★★(Stenhouse, 2001)では、「一つに焦点を絞る」というミニ・レッスンがあります(56ページ)。

 何かについて調べていると情報がたくさん集まります。そのときにできる一つの方法として、一つに絞るということが、4ー8歳向きの、動物がテーマの絵本2冊を例にあげて、紹介されています。

 1冊はカリブーという動物。この絵本の著者は、カリブーについて、事実をリストすることもできるけど、それをしないで、1匹の母カリブーと、そのカリブーの雄の子どもに焦点をあてて、その生態を描いています。もう1冊はイワシが缶詰になるまでの過程。これも一匹のイワシに焦点をあてています。そんなことを、教師はミニ・レッスンで絵本を示して語っています。

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 では最後に、アメリアがお父さんのお誕生日のために書いた詩「収穫」をどうぞ!

「収穫」

声の届くところには誰もいない
真っ暗な夜を
私たちは声でつつむ
葦の葉を揺らす風が
月の青白い光をたたえた沼の向こうへ
私たちの会話を運ぶ。
ときおり噴き出す歌と笑い声が
舗装された丘にこだまして
アスファルトの上には
定まることなく混じり合う
木々と私たちの影。

家への帰り道
心地よい沈黙の中へ私たちは滑り込む
錆ついた街頭の光のプールを歩き
ちりばめられた星空の下に出る。
じっと見る先には
きらめく星たち
2人はどちらも深く息をする
ともにいるこの一瞬と
その上に刻まれた模様を
収穫するために。

ーーーアメリア・ニールソン
(『イン・ザ・ミドル』259ページ)

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★の本も、★★の本も、どちらも『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)の著者、ラルフ・フレッチャー(Ralph J. Fletcher)とジョアン・ポータルピ(JoAnn Portalupi)によって書かれています。