2019年12月28日土曜日

ブックトーク雑感

 今日はブックトーク雑感です。ブックトークについて考えていたときに思ったこと、そして、先週の「WW/RW便り「『おせっかいな友人』から逃れて自分のなかに『賢い友人』を育てる」から、ブックトークを少し考えたいと思っています。

(1)3つのブックトーク
 ブックトークの導入方法を考えていたときに、「ブックトーク」のやり方をコンパクトにまとめたよいビデオがないかと、インターネットで検索していました。それは、ブックトークがなかなかうまく導入できなかったからです。
 結局、授業ではインターネット上でみつけたものも含めて、3つのブックトークを紹介しました。3つ紹介しようと思ったのは、ブックトークはいろいろなパターンがあったほうがよいと思ったからです。
 今回インターネットで見つけた、あるブックトークは、よく考えられていて、しかも40秒ぐらいにまとまっています。でも、ブックトークの形やコツを教えすぎると、別に紹介したくない本でも、その形に入れると、それなりに「いいブックトーク」に見えるような気がします。
 「いい形のブックトーク」におさめるよりも「この本、本当にいいよ」という思いの方が、伝わるものも大きいかも?とも思います。実際のところ、本を返却するときなどに、クラスメイトに伝える「これ面白かったよ」みたいな個人的な一言のほうが、ブックトークよりも機能しているのでは?と思うときもあります。
 とはいえ、ブックトークでの紹介も組み入れたいこと、そして、これまでの経験から、何も言わないと、本のあらすじだけを言って終わりになるブックトークが多いことも気になっていますので、ある程度の形やコツを示すこと、ブックトークにどういう要素(例えばテーマ、自分の評価等)を含めるのか、ということを伝えることも必要だと思っています。

 さて、今回、例として紹介した3つのブックトークは以下です。

 まず一つ目は『読書家の時間』133-134ページで紹介されている、『ビーバー族のしるし』という同じ本を3回紹介した男の子の話。以下134ページから少し抜粋すると、こんな感じです。
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 みんなにこの本を紹介するのは、これで3回目だけど…...(クラスのみんなは、「また同じ本を紹介するの?」とちょっと驚いた反応です。それでもどんな紹介があるのか楽しみにしている様子です)ぼくは、どうしてもこの本をみんなに読んでほしいのです。本当におすすめです!前にも紹介したように…...(と、簡単に本の内容を説明しました。)
 実は最近、この『ビーバー族のしるし』とつながりのある本をみつけました。
<中略>
 2冊の本は先住民が出てくる点ではつながるのに、全然、違った書き方をしているので、比べて読むと楽しさも倍増です。ぜひ両方を読み比べてみてください!
******
→ このブックトークは、「この本、大好き!、絶対おすすめ」という紹介者の思いが大切であることがよくわかるので、好きです。
 なお、『ビーバー族のしるし』は、私は以前から知っている本ですが、知らない本であれば、上を読んで、きっと図書館で借りてみた本だろうと思います。

 二つ目は『イン・ザ・ミドル』146ページにあるブックトークです。この本の著者で、ライティング/リーディング・ワークショップの優れた実践者でもある、アトウェルが 中学生たちに行ったブックトークです。ニール・ゲイマン著の『ネバーウエア』を紹介しています。
 アトウェルが生徒たちに行ったブックトークは1ページ(146ページ)におさまる長さで、これを読み上げてみると1分20秒ぐらい? それほど長いものではありません。
 しかし、この短い時間に、ニール・ゲイマンの他の本と『ネバーウエア』に対する自分の評価、ごく簡単な内容紹介、本の雰囲気?の紹介(サスペンスもあり、面白く、驚きもある、動きのある冒険物語)、他の本とのつながり、テーマ(他人への共感、忠実であること、信頼、善と悪)など、ブックトークに含めるのによい要素がそろっています。
→ よくできたブックトークですから、ブックトークにどういう要素が含められるか、という分析にも使えます。
→ なお、『ネバーウエア』は、ニール・ゲイマンの中では、アトウェルは高く評価している本ですが、私は結局、この本は、パラパラみながら速読した感じで、本の世界にしっかり浸ることはありませんでした。私向きの本ではなかったようです。

 3つ目のブックトークは、インターネット上で見つけた3分ぐらいのビデオ。ある人が、ブックトークに必要なものを、4文字の英語の頭文字(HEAT)で紹介し、そのあと、40秒ぐらいで、絵本を使ってブックトークの見本を見せてくれています。
 このビデオは英語なので、少し解説しながら紹介しました。HEATは、HがHook で最初の「つかみ」で聴衆を引き付けること。そのためにも、ブックトークをどうやってスタートするのかを考えようと言っています。EはEnergy で、これは話し方について。はっきした大き目の声を使うと、今度はささやき声になったときにも聴衆がしっかり聞いてくれる。Aは Audience で聴衆。聞いている人が、その本の内容と、個人的につながりを感じられるようにしよう、とのことです。そして T はtime、つまりブックトークの長さです。ここでは、30~60秒程度がいい、どんなに長くても2分を超えないように、と言っています。
 そして実際に、この3分ぐらいのビデオの最後では、40秒ぐらいで、ブックトークの見本を見せてくれています。この3分ぐらいのビデオは以下で見れます。
https://www.youtube.com/watch?v=kRkqjudkaME

 この人が、実際にやってくれたブックトークで、見事だと思ったのは、本の内容紹介が極めてコンパクトであることです。具体的なあらすじはほとんど語られていないのに、失敗をしたことがある人、何か失敗をしてきまり悪い思いをしたことがある人には、きっと何かを語り掛けてくれる本だ、と感じます。ある意味、詳細な内容よりも、「失敗から立ち上がる」というテーマを大きめに提示することで、ブックトークがより一般化し、聴衆の共感が得られる範囲が広くなる気もします。 
→ ちなみにこのブックトークで紹介された絵本は、After the Fall という題名で、以下の読み聞かせサイトで読めます。本自体も短くて読み聞かせは3分25秒です。

https://www.youtube.com/watch?v=dUKt1a6I3yw&list=PLBCzIj7I1kj7FllEJaO0yEKEimGw95AEG&index=11&t=3s

→ この本を読んでみたいと思ったのは、このブックトークの「つかみ」のおかげでした。
→ そして、このブックトークから興味を持ち、この本を上のサイトで読み、その後、自分用にも注文しました。なお、このAfter the Fall は、邦訳はでていないようです。

 著者はダン・サンタットで、この著者の本は、『ビークル ゆめのこどものおはなし』が、2017年に、谷川俊太郎さんの訳でほるぶ出版からでていることがわかりました。ということで、後者のビークルの本も「これから読みたい本」に加わりました。

(2)おせっかいな友人と賢い友人
 先週のRW/WW便り「『おせっかいな友人』から逃れて自分のなかに『賢い友人』を育てる」で紹介されていたので、森博嗣さんの『読書の価値』(NHK出版新書、2018年)を読みました。森さんの読書体験にびっくりしつつも、一気に読んでしまいました。(→ そして、森さんの本を読んだことのなかった私は、町の図書館で予約をしようと、著者検索をしてビックリ。すごい数の本が出てきました。どれを予約したらよいのか、ちょっと考えてしまいました。それでアマゾンのページから、レビューを読んだりしました。ミステリーっぽい本もけっこうあって、ミステリーはそれほど好きではない私はまだ決めかねています。)

 森さんが書かれている選書の大切さはには深く共感しますし、自立した読者になるために、「賢い友人」を自分のなかに育てていくことも必要だと思います。

 ブックトークは、ある意味「おせっかいな友人」なのかもしれません。

 森さんの『読書の価値』を読みつつ、「おせっかいな友人」ができること、できないこと、つまりブックトークができること、できないことを、考えておくのも必要かも?とも思いました。

 「おせっかいな友人」ができないことは、森さんが書かれているように、自分に本当に必要なもの」は自分しかわからない、という部分です。つまり、先週、引用されていた「どうすれば良いのか。その「賢い友人」を各自が自分の中で育てるしかない。今は残念ながら、外部装置として実現されていない。自分が何を読みたいのか、自分にはどんな未来があるのか、自分はどんな人間になりたいのか、といったことを一番正確に知っているのは、まちがいなく自分であり、その自分のために、本を選び、限られた人生の中で、できるだけ効率良くそれらを取り込んでいくしかない」(95~96ページ)という部分です。

 たとえば、病気になったことで同じ病気を闘病した人の記録を読むことで大きな力を得る、家族に問題のある人がいて、同様の問題を抱えた家族の記録を読んでみたくなる、将来、進みたい進路についてより詳しくしりたいので、その仕事をしている人の本を読む等々の例があるのかな?と思います。
 上記のような本が、ブックトークででてくることは、比較的少ないかもしれません。また、内容もあまりに個人的すぎて、信頼関係がなければ、とても紹介したいとは思えないかもしれません。
 また、こういうピンポイントで、それぞれの個々が必要としている本は、教室の図書コーナーには、あまりないかもしれません。

→ そう思うと、教室の外で、どうやって本を見つけていくのか、というミニ・レッスンも折にふれていれていくのもいいかもしれません。

 では「おせっかいな友人」は不必要か?と言われると、そうも思いません。私が最近図書館に予約を入れた本リストを見ても、そのほとんどが、友人からのメールや知人のブログで紹介されていた本です。
 そして、そのなかで、だんだん、ある特定の「おせっかいな友人」のお薦め本は、自分にとって「あたり」が多い等、自分なりの好みを確立し、取捨選択できるようになってきたと思います。「おせっかいな友人」から「自分にあった友人」をみつける過程でもあります。

 ブックトークはいろいろな切り口・目的でとらえることができると思いますが、私の場合、ここ数年は、「次に読みたい本」を見つけられることを優先的に考えています。
 そして、人に薦めてもらわなければ、読まない本もたくさんあります。森さんの本を読みつつ、現状から一歩進んで、「賢い友人」を自分なかに作り出す、そんなことも意識しながら、2020年も、選書をしっかりしていきたいです。そのプロセスから学習者に還元できることもあると思いますから。

2019年12月20日金曜日

「おせっかいな友人」から逃れて自分のなかに「賢い友人」を育てる




   『理解するってどういうこと?』には、子どもが自分にピッタリ合った本を選ぶための「選書の三つの原則」が示されています。

一つは、「読んでほんとうに理解しやすい本はどういうものか考えましょう(それは文の長さや語彙以上のことを意味します)」。二つ目は、「ジャンル、作者、テーマ、本や文章の難易度のレベルの多様性」を保障して「ジャンルからジャンルへと切れ目なく目を向けることのできる幅広い範囲の興味関心」を「少しずつ子どもの身につけさせる」こと、そして、これを「年間」を通して「ジャンルの多様性の点からみても、難易度のレベルの点からみても、質の高い本や文章」に触れられるようにすること、教師たちから「選書についていろいろなことを教わりながら、次第に子どもたちが自分で適切な本を選べるように」すること、「教科書の教材を使うだけではなく、ひとまとまりの本(一組の関連しあった本)を読むこと」そのことによって「子どもたちは、さまざまな作者、テーマ、ジャンルの間に重要な関連づけができるように」なること、「教師がモデルで示すことは何よりも大切」であり、教師は「自分が本を選んだり推薦したりするさまざまな方法をモデルで示し続ける必要があ」ること、そして、「子どもたちは自分で選んだ本を実際に試してみる方法を身につける必要があ」るということ、などです(『理解するってどういうこと?』2278ページ)。

「読んでほんとうに理解しやすい本」を自分で見つけることができる読者こそ「自立した読者」です。そのような読者を育てることこそ、読むことの教育の最終目的です。そのためには読むとはどういうことで、何をどのように読めばいいのかということを、教師と子どもが語り合う時間が必要です。エリンさんが言うように「自分が本を選んだり推薦したりするさまざまな方法」や「自分で選んだ本を実際に試してみる方法」を大人がモデルとして示しながら、それを子どものものにしていく手段を考えていく必要があります。

いまとこれからの社会で、そのことはどのような意味を持つのでしょうか。そのことを強く教えてくれるのが、作家の森博嗣さんが書いた『読書の価値』(NHK出版新書、2018年)という本です。森さんがこの本のなかで強調しているのも、読者が自ら「本を選ぶ」ことの重要性です。



「子どもに本を選ばせる方が良い。幼稚園児になるくらいの年齢なら、つまり、言葉がしゃべれるようになったら、自分で選ばせる。絶対に大人が「これが面白そうだよ」などと言ってはいけない。自分で選ぶことが、本を読むことの一部分の意義だと言ってよい。」(『読書の価値』83ページ)



 このように考えると、本の機能(はたらき)は、本そのものの属性というより、読者の能力に左右されることになりそうです。これは、戦後のはやい時分に人びとを能動的な読者に育てていく必要性と方法を示し、本や文学の価値はそれが読者にどれだけ多くの「インタレスト」をもたらしたかで決まると説いた、桑原武夫の読者論的な『文学入門』(岩波新書、1950年)と同じです。森さんは「本の機能というのは、今のところは、読者の能力に依存している」と述べた後、次のように言います。



「読者の能力に依存している、その最たる部分が、「読む本を選ぶ」という行為にあるのは明白だ。かつては、当たり前に行われていたこの最初の「着眼」や「選択」が、今では、だいぶ怪しくなってきた。SNSのつながりで推薦された本を読む、ネット書店があなたのお気に入りの本を選んでくる、既にそんな「おせっかいな人」にあなたの本選びは先導されつつあるのではないだろうか。

 現在はまだ「おせっかいな友人」しかいない。「賢い友人」は、あなたが幼いときから一緒に成長して、初めて生まれるものだ。今のところそれは実現していない。技術というのは、消費者からの集金が見込めるところへ優先的に注ぎ込まれるから、「おせっかいな友人」がどうしても先行してしまう。

 どうすれば良いのか。その「賢い友人」を各自が自分の中で育てるしかない。今は残念ながら、外部装置として実現されていない。自分が何を読みたいのか、自分にはどんな未来があるのか、自分はどんな人間になりたいのか、といったことを一番正確に知っているのは、まちがいなく自分であり、その自分のために、本を選び、限られた人生の中で、できるだけ効率良くそれらを取り込んでいくしかない。」(『読書の価値』9596ページ)



 「賢い友人」を「自分の中で育てる」という考え方が魅力的です。おそらく、自立した読者になるというのは、森さんの言う「賢い友人」を「心の中に持つ」このとできる読者になるということなのかもしれません。そしてこの「賢い友人」は、「技術」としても、「外部装置」としても、まだ実現されていないというのです。スマートフォンやインターネットでは実現できない。どうすればいいか。自分の内側にもつしかない、育てるしかない、と森さんは言うのです。そして「賢い友人」を自分の内に育てるためにこそ、自分で選べ、と森さんは言うのです。そして森さんは「何を読んだらいいのか」は自分にも「さっぱりわからない」と書いて、「まずは一冊読んでみること」そして続けて「別の著者によるものを読んでみること」、「間違っても一冊読んでそれを鵜呑みにしないことが大切」と言っています。その道筋が、「賢い友人」を自分のなかに育てることだと言うのです。

 これを自分が読んだ本の足跡を振り返りながら言葉にすることが、エリンさんの言う「自分が本を選んだり推薦したりするさまざまな方法をモデルで示し続ける」ことになるのではないでしょうか。そのようにして「選書」という学びをつくり出すことが、自分のなかに「賢い友人」を育てることになるのです。「おせっかいな友人」の助言を聞きながら、その一方でその助言から逃れて「賢い友人」を育てること。「なんでも検索できる時代」だからこそ、本を読みながらそういうことを果たしていくことが何よりも大切なだと、森さんもエリンさんも私たちに語りかけているのです。

2019年12月13日金曜日

イギリスにおける詩創作ワークショップ(2)


前回(http://wwletter.blogspot.com/2019/09/blog-post.htmlに引き続き、イギリスのArvon Foundation(アーヴォン・ファンデーション)の詩創作ワークショップについてご紹介します。

               写真① ワークショップの様子。

5日間のコースの中で、初日のウォーミングアップも含めて14種類の書く活動が提供されました★。それらは大きく分けて、次の3つの形で示されていました。
    詩を全員で読み合ってから詩の創作に入るもの
    チューターの出す質問に答えるだけで自然と行と連の形式ができあがるような仕組みになっているもの
    簡単なルールに従いながらことばを操作することで自動的に想像的な世界をうみだすもの
 ここでは、①と③からひとつずつ取り上げてご紹介しようと思います★★。

1 まきもど詩
 書く前に詩を読む場合は、詩の持つアイディアや構造を借りたり、詩の中のことばを入れ替えたりすることが唯一のルールとして示されます。例えばこの「まきもど詩」では、Michael Laskey(マイケル・ラスキー)によるHome Movies(「ホームビデオ」)をまず参加者同士で読み合いました★★★。
 この詩は、〈ビデオの最後のコマまで゙に〉から始まる、あるホームビデオを巻き戻し再生する様子を描いた詩です。ひとり1連ずつ音読した後、「経験を見るひとつの方法」としてのこの詩のアイディアについて、チューターのキャサリンは次のように言いました。
 ・物事が起きている時間の枠にとらわれることなく経験を見る方法を与えてくれるアイディアです。
 ・「巻き戻し」という魔法を使って馴染みのある経験をひっくり返すことは、経験を「異化する」ことを意味します。
 次に、生活の中でどんな瞬間でも良いのでひとつ取り上げて、頭の中で巻き戻しながら書き出してみるという作業に取り組みました。実際の経験でも良いし、完全にフィクションでもかまいません。エクササイズの中で「時間で遊ぶ」という経験ができていることをキャサリンは重要だと言いました。
 水へ飛び込む、パーティー、電車に乗る/降りる、雨が降り始める/止む、雪だるまを作る、…といった日常のシーンを思いつくだけキャサリンは私たちに提供してくれます。そうやってたくさんの例を示しながらチューターも横で一緒にアイディアを試している、というこの時間は、日本の教室では体験したことのないもので、とても印象的でした。
 詩を読み合って思ったことを話し合う時間は約10分、創作アイディアについてのキャサリンの説明はおおよそ4分程度で、それぞれがアイディアを試しながら紙に書く時間が20分ほど。その後、各々が書いた詩を読み合って共有しました。人生全体を巻き戻した参加者もいれば、その日の朝の歯磨きといった一瞬のできごとを巻き戻した人もいました。

2 シフト・ポエム
 まず全員で輪になって座ります。紙を左右に分け、左側の上部に「PARTY(パーティー)」と書きます。そして、「パーティー」と聞いて思い浮かぶものを1つずつ順番に挙げていき、それを上から下のように並べていきます。この時もちろんチューターも参加者と一緒に輪になって座り、思いついたことばを同じように挙げていました。

 今度は右側の上側に「FENERAL(葬式)」と書き、同じように思い浮かぶことを順番にあげて上から下に並べます。先ほどの「パーティー」と合わせて、次のようになりました。全て実際に挙げられたことばです。

 出そろった後は、上の「パーティー」と「葬式」を消して入れ替えます。そうすることで、「パーティー」という文脈の中に「葬式」から連想されることばが置かれ、「葬式」という文脈の中に「パーティー」から連想されることばが置かれます。この文脈の「ずれ」から、発想を転換して物語をうみだそうとするアイディアです。
 つまり、「葬式」から連想されることばを使って「パーティー」の詩を、「パーティー」から連想されることばを使って「葬式」の詩を書くのです。ルールはシンプルです。15個ことばが並んでいるので、1行につき1つのことばを入れながら15行の詩を書く、というだけです。順番も変えてもかまいません。
 「一番好きなことばはどれ?面白いもの、変わったもの、興味深いもの、おかしいもの…傘を開く人々、ダンスフロア…どうしてパーティーで悲しみを感じているんだろう?」と、チューターのキャサリンは書き出しや書く時の例をなるべくあげてヒントとなる声かけをしてくれます。私たち参加者は書きながらそれが耳に入ってくるので、そこから連想したり広げたりすることもできれば、それをそのまま使うことも許され、またそれを全く使わないことも可能です。
この活動で書かれた詩を、詩集Swallow Thisにおさめた参加者の方がいたので、許可を得てご紹介します。

 書いた詩を共有する時、チューターの2人は、「この連が良い」「ここで○○という言葉を使っているのがとても良い」「2行目が好き、もう一度そこを読んでみてくれる?」と、詩の中の〈お気に入り〉をいくつも指摘してくれました。直したいところではなく大事にしたいところを見つけてくれる声かけは、ワークショップの中で次第に参加者同士の交流の中でも広がっていきました。修正点を見つけて指摘したり、改善案を提示するよりもハードルが低い印象があったのも、広がった理由のひとつだったかもしれません。自分が書いたものに〈お気に入り〉を見つけてもらう喜びを共有できることは、お互いに書き手として励まし合う大切な反応の仕方だったと感じます。


★ウォーミングアップの「ことばあわせ」については、日本向けに作り直したワークショップを次の論文で紹介しています。山元隆春・中井悠加(2013)「「詩人の時間」を体験する」『月刊国語教育』No.498
★★ ②の例にあてはまる活動は、前回の記事(http://wwletter.blogspot.com/2019/09/blog-post.htmlの最後に示しした論文の中でひとつ紹介しています。
★★★ 日本語訳はありませんが、次のサイトで全文を読むことができます。何の場面を巻き戻しているのか、読んで考えてみると面白いです。https://www.poetryarchive.org/poem/home-movies

2019年12月6日金曜日

公立中学校におけるRWの実践紹介


新潟県の国語教師の吉澤孝子さんが、実践レポートを送ってくれました。実践当時は中学校で、現在は高校で教えています。
先月の佐藤可奈子さんに引き続き、新潟県がリーディング・ワークショップの日本のメッカになりそうです! 

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 この実践は新潟市立早通中学校において、2016年度~2018年度の3年間をかけて行った実践である。
 早通中学校では、「自立した読み手を育てる」ことをめざして、2016年度は集中的に、2017年度からは、週1回国語の授業の中でリーディング・ワークショップ(以下RW)の実践を積み重ねてきた。2016~17年度は、1年生対象に、2018年度は12年生対象に行った。読む練習をするたくさんの時間を確保し、さまざまな活動をすることで生徒たちは何より読むことが好きで、読むことを楽しむようになった。
  1回の RWの授業は、「ミニ・レッスン」→「ひたすら読む」→「共有の時間」という流れで行った。年間を通して、基本的には「自分の選んだ本を読む」が、同じことばかりしているとマンネリ化してしまうので、「絵本の評価」を行う時期(6月~7月)、小説の冒頭やノンフィクションの自分が興味のあるところを3分間読む「おためし読書」に取り組む時期(小説編11月~12月、ノンフィクション編2月~3月)を設定した。
「絵本の評価」で使う絵本や「おためし読書」で使う本は司書による選定なので、生徒からすると自分で選んでいないのであるが、かなり読書家の生徒であっても、自分の読む枠(ジャンル・作家)が決まっている生徒が多く、毎回ライトノベルばかり読んでいる生徒たちに「今まで読んだことのないジャンルにもおもしろい本があるよ」と揺さぶりをかけるねらいがある。実際、「おためし読書」の後に小松左京著『復活の日』や黒柳徹子著『トットちゃんとトットちゃんたち』などが人気になったり、新刊図書やライトノベルの前にいた生徒たちが小説の本棚の前に集まるようになったりと、ちょっとした変化が起こった。さらに、しばらく人が選んだ本を読んでいて、いつもの「自分の選んだ本を読む」時期に戻ると、生徒の読書は加速する。やっぱり自分で選んだ本を読むのがいいと実感するようだ。

 2016年度は研究授業の関係もあり、9月~10月と2月~3月に集中的に行った。中学1年生ということもあり、小学校の「図書の時間」の感覚を取り戻し、生徒たちはあっという間に読書家になった。しかしながら、それが終わると、あっという間に普通の人に戻ってしまった。それを見たときに、継続的にやることの必要性を痛感したのである。
  どんな成果があったのかについて、後半2年の実践から述べていきたい。
まず、読書家になることで、読むことに対する抵抗感はなくなっていき、教科書で扱われている長い小説などもつい読んでしまう生徒が増えたり、教科書の作品をジャンルでとらえて、以前習った説明文と今、習っている説明文を比較してとらえる生徒が出てきたりした。日頃、表紙があり、場合によってはあとがきがあり、奥付を見ている生徒にとっては、教科書の教材は切り取られたコピー数枚といった印象なのだろう。読書家にだれがどこでなるのかというのは、やはりその生徒にとってヒットする本との出会いであるのだなという場面をいくつも見ることができた。また、本との出会いの中で自己に対する気づきが促される場面も多くあった。山田詠美著『僕は勉強ができない』や鴻上尚史著『孤独と不安のレッスン よりよい人生を送るために』を読むことで、自分の勉強に対する苦手意識に気づいたり、コミュニケーションに対するコンプレックスに向き合ったりして、他者の目を通して、自分を肯定的にとらえることのできた生徒もいた。そんなそれぞれの感想を共有する中で、他者への気づきも促され、教科書の小説を読んでいてわからないことがあると、よく読めているあの人ならばわかるはずと聞いている場面もあった。同じ本を読んでも感じ方やとらえ方は違うというそのずれの中で読むことの楽しさに浸るようになった。

 自分にとって「読む力はどうやってつけたらいいのか」というのが、永遠のテーマである。そして、5年前に『「読む力」はこうしてつける』に出会ったときに衝撃を受け、いつかこれをやってみたいと思ったものの、現状の国語の授業に組み込むことは無理だと思っていた。しかしながら、2016年度に早通中学校に転勤し、有志でやったブッククラブに参加していた生徒たちが「読むことが好きでたまらない」「自主的に読んでいる」という「自立した読み手」だったのを見て、とにかく読む練習をするたくさんの時間が必要だと思い、週1回のRWを実施するしかないと見切り発車的にスタートした。それでもやればやるほどRWは奥が深く、生徒たちにとって中学時代にしか手に入れることができない、さまざまな学びを創出していけると感じ、本当にやってよかったと思っている。
さまざまな活動をしていくことでほとんどの生徒が読書家になっていくが、残念ながらそうなっていかない生徒が数人いる。貧しい言語環境で育った子どもの語彙、読解力は学年にして3学年の開きがあるというが、正にそういった生徒は中学校の図書館で自分に合った本を探すことができないのだと思われる。そう考えると
小学校と連携し、どんな本を図書館に入れていくのかを検討していく必要がある。
 現在、私は定時制の高校に勤めているが、RWに取り組むことがむずかしい生徒が多くいる。それでも、文章が書けないのかといえば、そうでもない。読めないからといって書けないわけではないということに気づき、今頃、『作家の時間』と『ライティング・ワークショップ』をあわてて読んでいる。読めない人には、実はライティングが先の方が取り組みやすいのではないかという気がしてきている。ライティングをやっていけば、自然にリーディングのモチベーションにつながっていくのではないかと。
WWの本も本当にいい本で、子どもが書けるところから広げていく、その段階でできていないところがいっぱいあっても、できているところに目を向けさせるというアメリカ的で、日本のやり方と逆だ。こうやって育てていくと書けるようになるんだろうなと思える。読むことと書くことは両輪で、これを学んでいくと教師にとっても子どもの見え方が違ってきて、この生徒に何を教えていけばいいのかがわかるようになる。RWとWWを実践することは、生徒にとっても、教師にとってもプラスになると思っている。

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以上は、吉澤さんが「博報賞」 国語・日本語教育部門に応募し、受賞した作品を基にまとめてくれたものです。全文(詳しいミニ・レッスン、様々な活動内容、生徒対象のアンケート結果等を含めた実践報告)を読んでみたい方は、吉澤さん(メール・アドレスは、zawako1015@gmail.com )に直接問い合わせてください。


2019年11月30日土曜日

「作家読み」のためのリストから、絵本を少し紹介

 校内の図書館にある本から、「この作家なら、この1冊」という、「今後の作家読み」につながりそうな、簡単なお薦め(絵)本リストを作ってみました。リストに記載したのは以下です。

①著者名、② 書名、③個人的感想などを一言、④校内図書館にある、その著者の異なる本の冊数

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 私は英語を教えているので、リストは以下のような感じになります。
 ① Anthony Browne  ② Piggybook  ③ 母親が家事をするのを当たり前と思っていると、ブタになるかも? ④ 21冊

① Louis Sachar  ② Small Steps   ③ ニューベリー賞受賞の Holes の登場人物が活躍するスピンオフ作品。不器用な主人公にドキドキハラハラしながら読み、途中で深呼吸しないと読み続けられないぐらいでした。 ④ 15冊
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  私自身は、選書手段として、「作家読み」を一番よく使っているので、「作家読み」を後押しできるような、こういうリストも「あり」かな?と思っています。なお、このリストで紹介する本は、すべて、勤務校の図書館では作家の名前別で配架されています。
   
 「10歩以内で本が手に取れるのと、100歩以上歩かないと手に入らないのでは、自ずと読む量が変わってきます。これが、いくら立派な学校図書館があっても、多くの子どもたちがなかなか読むようにならない理由の一つではないでしょうか」と、『読書家の時間』36ページに記されています。本当にそのとおりだと思います。

 物理的環境が与える影響を否定するつもりはありませんし、本が10歩以内にあり、かつ、学期が進むにつれ、学習者の成長や単元に併せて、本の配置を変えたり、オススメ本を置く場所の本が増えたりする、それができればどんなにいいだろうかと思います。

  でも、諸事情で教室に図書コーナーがつくれない場合もあると思いますし、図書館でリーディング・ワークショップを行う先生もいらっしゃると思います。そうなると、校内の図書館(そしていずれは町の図書館)に、願わくば、少しでも頻繁に足を運べるようになるように、あの手この手を考える必要があります。トピック別や作家別のリストをつくり、その本を教室に持って行ってブックトークしたり、授業中にリストの本をできるだけ手にとって読むことも、その一つです。


  このリストに載せた(絵)本を調べてみると邦訳が出ているものも多いです。今日は、そのリストの「絵本」のところに入れた本から、邦訳が出ているものを中心に少し紹介します。「ひとりの作家から1冊だけ紹介し、あとはその作家を好きになって、どんどんその作家を読んでね!」というのが目的ですが、それぞれの作家から「この1冊」を選ぶのが難しくて、この手のリストをつくるときは、いつも苦労します。

 本好きの皆さんには、ご存じの作家、本ばかりかもしれませんし、皆さんなら、同じ作家から違う1冊を選ばれるかもしれません。なお、→ で個人的な感想を一言入れました。

・アンソニー・ブラウン 『おんぶはこりごり』
→ 「この1冊」を選ぶのが特に難しいアンソニー・ブラウンですが、メカに強いお母さんに敬意を表して、今回はこの本を選びました。
 


・ショーン・タン 『ロスト・シング』 
→ アカデミーの短編アニメーションも受賞している作品です。最近、ショーン・タンの個展も開催されたようです。行きたかったです。

・ジャネル・キャノン 『ともだち、なんだもん!』
→ 映画、アイ・アム・サムのなかで、サムの子どもの女の子が読んでいる絵本。この映画の中でこの絵本が読まれていることに納得です。

・トミー・デ・パオラ 『絵かきさんになりたいな』 

→ 最後の1ページ、なんともカッコイイです。

・マーラ・フレイジー 『あかちゃん社長がやってきた』

→ あかちゃんが生まれるというのは、こういうことなんですね!

・ジョン・バーニンガム 『コートニー』
→ 最後に近いページに、よく見ると浪の間にコートニーの姿が小さくあるところが気に入っています。

・バード・ベイラー 『わたしのおいわいのとき』
→ 独特の世界観が楽しめる作家です。

・ユリ・シュルヴィッツ 『おとうさんのちず』
→ 主人公の実体験に基づいています。食べ物が満足にない状態で地図を購入したお父さんの思いを考えてしまいます。


・シェル・シルヴァスタイン 『ぼくを探しに』
→ 人生を考える?絵本。この続編もお勧めです!

・クリス ヴァン・オールズバーグ 『西南号の遭難』
→ この作家は、村上春樹が何冊も翻訳しているようです。

◇ 「この作家ならこの1冊」と思った本の邦訳が見つけられなかった作家もいました。以下、その作家で邦訳が出ている中から、オススメを紹介します。

・ イヴ・バンティング 『スモーキーナイト』→ これはロス暴動が元になっています

・ピーター・レイノルズ 『てん』 → 『てん』から始まる3部作は、もう絵本としては「古典」の域?みたいな気すらします。

・メム・フォックス 『おばあちゃんのきおく』 → 読み聞かせの名手でもあるメム・フォックスが、記憶を失いつつある高齢者と男の子の交流を描きます。


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 このリストを作りながら、つくづく思うのは、「もっと範囲を広げたい!」です。過去の学習者に好評だった作家を中心に、毎年、図書館に、できるだけ「作家読み」ができるようにリクエストを出していますが、学習者と話していると、「あ、こういうトピックの本リストが必要なんだ」「この作家の本ももっとたくさん必要」と思わされることが多いです。また、私がすぐに対応できないジャンルや私が詳しくない分野の本への興味もでてきます。

 『イン・ザ・ミドル』では、著者のアトウェルやアトウェルの同僚の教師が、「生徒一人ひとりがリーディング・ゾーンに入れているかどうか、読むのを楽しめているのかどうかを確認する」ことを大切にしています(279ページ)。この一見シンプルに見えることを確実に行うために、アトウェルや同僚の教師が、いかに学習者をしっかり理解しているか、そしてそれに対応できるだけの知識をもっているかを、改めて思います。

 そして、自分には学習者の理解も、それに対応する知識も不十分であることを思い知らされます。学習者の興味やリクエストを教師が知っていく過程は、学習者が、教師を読み手として成長させてくれる過程でもあるようです。リーディング・ワークショップは、教師を読み手として成長させてくれる教え方だと、よく思いますが、生徒が成長させてくれるという部分も大きい気がします。

2019年11月22日金曜日

RW第Ⅰ期の生徒たちの様子を踏まえた第Ⅱ期の構想


新潟の佐藤さんのRW実践を、http://wwletter.blogspot.com/2019/11/blog-post.htmlで紹介しました。かなりの反響がありました。「自分もやれると思った」「生徒の生の声を送ってほしい」など。
その後、佐藤さんから以下のメールをもらいました。

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今回、RWをやって、その後の生徒の所感をGoogleフォームで集めたのは以前お話ししたとおりです。

RW以外でも、今年度の3年生は、総合の時間(内容は修学旅行、キャリア)の単元ごとの振り返りでGoogleフォームを活用しています。RWの振り返り入力で6回目くらいだと思います。

そうした中で、生徒に大きな変化がありました。
家でゆっくり自分の学習を振り返ることができる。好きな時間に。(生徒のフォームへの入力時間は個人によって相当に違います。)
回答の文章の長さが、どんどん長くなります。書きたいことを書くようになります。
回答を印刷して共有するので、書いていいことかどうか、自分で精査するようになります。
回答を印刷して共有するので、コメントを入力すればするほど、他者のコメントへの関心が高まります。
スマホ、またはPCから入力するので、書字に不安のある生徒でも安心できます。
書くことが自然になります。
授業のことについてコメントを求めるので、RWで培った、自分なりの意味を実際に構築する場面として活用できます。もちろん自分への期待も!
などなど。
特に、次の授業への期待についてコメントを求めると、本当に自分がしたいことを書いてくるようになりました。それを受けて、授業を作っていくことができます。これは生徒も教師もWin Winだと思います。

主体的で対話的って、こういうことかな、と思います。
生徒が勝手に主体的になっていきます。

今後なんですが、こんなことを考えています。

Googleフォームでの振り返りと、その共有を繰り返していく。
私がブログを開設して、生徒の作品や、授業のことを公開していき、生徒にコメントを求めることを繰り返していく。またはGoogleドキュメントの共同編集を使う。
③①からへの流れに慣れることができて初めて、子どもたちはSNSTwitterやインスタ)で学習内容の交流ができるようになる。

こういう国語の授業があってもいいのではないかと思うし、実際、こうした授業でもしないとSNSトラブルなんて減らないし、常に問題発生の後追いになるのでは。

いつまでに、ということではないのですが、生徒の時間と学習の手段に自由度を持たせられるようにしたいなあと夢見ております。

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  そこで、第Ⅱ期の進め方を教えてほしいとお願いしたところ、以下の資料が送られてきました。まだ構想段階なので、前回と今回のを読まれて、感想・質問・提案などがありましたら、佐藤さんの実践をさらによくするために、ぜひお送りください。お願いします。

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【第II期の取組の柱】
何よりも優先して『生徒のニーズ』に応える!

I期の振り返りで得られた『生徒のニーズ』は、およそ以下の通り。

違うジャンルに挑戦したい、レター・エッセイを書く時間がもっと欲しい、レター・エッセイをもっと上手く書きたい、本の中の表現技法にもっと気付きたい、分からない言葉を辞書で調べたい、先生のオススメ本を紹介して欲しい、表現やセリフなどを抜き出して皆で話し合いたい、時間の使い方を考えたい、スキルをもっと使えるようになりたい、自分の視野を拡げていきたい、もっとゆっくり読む場所や時間が欲しい、もっと読了したいetc
     
I期で最も生徒が使ったと実感しているスキルは「映像化」「推測」だった。これ以外のスキルに目が行くようにミニ・レッスンをする。
絵本を活用する。読みの苦手な生徒、「映像化」「推測」のスキルをうまく使えない生徒は、第I期でそれが自覚できているので、絵本を推奨し、相互にやり取りしながら体験的に学んでもらう。(同じ本を読んだ上での思考のやりとりの機会ももつ。)

II期 13時間〜18時間を生徒に委ねる!

全時間を示し、生徒が自分で時間配分を計画できるようにする。その中で、「テスト」というジャンルに時間を使うことを4時間に1回許可する。受験期の不安と学びの本質の両立に対応するため。(早い生徒は1月に進学先が決まる。遅い生徒は3月後半である。生徒自身に自分に合う学習プランを立てさせたい。)
I期のルーブリックの内容を絞り、言葉を優しくし、生徒に示し直す。
希望があればPCを使った成果物づくりを一部でも可能にしたい。短いエッセイならばGoogleフォーム入力による提出を試してみる。

【『生徒のニーズ』の集め方】
経験を積むことが重要ポイント

今年度は、第I期として4クラス全部でRW1013時間程度実施している。
生徒の半分は、前年度からRWを経験している。(佐藤担当2クラスのみ)
今年度は、RWの振り返りを、レジュメに記述する方式(授業時に書く)と、Googleフォームで実施する方式(家庭で入力する)の2種類を行っている。
RW以外でも、生徒は、総合的な学習の時間(内容は修学旅行、キャリア)の単元ごとの振り返りでGoogleフォーム入力を経験している。第 IRWの振り返り入力までに6回ほどの経験がある。

Googleフォームによる振り返りが生徒をさらに育てる!

Googleフォームの効用
家でゆっくり自分の学習を振り返ることができる。好きな時間にできる。(生徒のフォームへの入力時間は個人によって相当に違う。)
回答の文章の長さが、どんどん長くなる。書きたいことを書くようになる。
回答を印刷して共有するので、書いていいことかどうか、自分で精査するようになる。
回答を印刷して共有するので、コメントを入力すればするほど、他者のコメントへの関心が高まる。
スマホ、またはPCから入力するので、書字に不安のある生徒でも安心して参加できる。
日常的に、書くことが自然になる。
授業のことについてコメントを求めるので、RWで培った、自分なりの意味を実際に構築する場面として活用できる。もちろん自分への期待も!

特に、「次の授業への期待」についてコメントを求めると、本当に「自分がしたいこと」を書いてくるようになった。教師は、生徒のニーズを把握しやすくなる、それを受けて、授業を作っていくことができる。これは生徒も教師もWin-Winの循環だと思う。生徒が勝手に主体的になっていくのが嬉しい。
RWだけでなく、読み書きのスキルを実践的に使う総合的な学習の時間でも、生徒はGoogleフォームでの振り返りを複数回経験した。これらが関連づくことによって、生徒が何かしらの影響を受け、生徒の変容に繋がったのではないかと考えている。
「慣れる(なれる)」ことによって「熟れる(なれる)」ということ。

【これからの夢・理想の授業】
「読むこと」「書くこと」を生活につなげる!

Googleフォームでの振り返りと、その共有を繰り返していく。
教師がブログを開設して、生徒の成果物や、授業のことを公開していき、生徒にコメントを求めることを繰り返していく。または、Googleドキュメントの共同編集を使って、成果物作成をWeb上で行う。

からへの流れに慣れることや、Web上のやりとりについて学習できて、初めて、子どもたちはSNSTwitterやインスタ)で学習内容の交流ができるようになると思う(熟れる)。
 実際、こうした授業でもしないとSNSトラブルなんて減らない。生徒も教師も学ばなければ、常に問題発生の後追いになり、しかも状況を変えられない負のスパイラルが続くことになる。

いつまでに、ということではないが、生徒の時間と学習の手段に、もっともっと自由度を持たせられるようにしたい。
つくづく、コンピュータ室なんていらないから、1人に1台のChrome bookとか、iPad miniで十分!)が欲しいものだと思う。

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 感想・質問・提案など、よろしくお願いします。


2019年11月16日土曜日

そのものを理解するためにはWHYから始めよ!




 『理解するってどういうこと?』の第9章「感じるために、記憶するために、理解するために」には、著者キーンさんの「親友」であるブルース・モーガンという先生のことが書かれています。「感情がどのように理解に影響を及ぼすのか」についてキーンさんに大きな影響を与えた人物でもあります。「彼は思春期直前の子どもたちの不安や優柔不断さに対して果敢に挑戦し、子どもたちが自分自身やお互いに正直になれるように刺激し、励まし、問いかけます」(344ページ)とキーンさんは書いています。モーガン先生はこうして子どもたちばかりでなく周囲の人々の学ぶ「歓び」を呼び起こすのです。

 どのような問いかけが、私たちの学ぶ「歓び」を呼び起こすのでしょうか。

 TEDTechnology Entertainment Design)スピーカーの一人である、サイモン・シネックの『WHYから始めよ!インスパイア型リーダーはここが違う』(栗木さつき訳、日本経済新聞出版社、2012年)にはそのためのいくつものヒントが示されています。

たとえば、コンピュータの売り込みについての次のような二つのメッセージを読んでみてください(『WHYから始めよ』の48ページから49ページにシネックがあげているものです)。



①われわれは、すばらしいコンピュータをつくっています。

  美しいデザイン、シンプルな操作法。取り扱いも簡単。

  一台、いかがですか?



②現状に挑戦し、他者とは違う考え方をする。それが私たちの信条です。

 製品を美しくデザインし、操作法をシンプルにし、取り扱いを簡単にすることで、私たちは現状に挑戦しています。

 その結果、すばらしいコンピュータが誕生しました。

 一台、いかがですか?



①と②との違いをどのように考えますか。いや、どちらのメッセージが「買いたい」という気持ちを起こすでしょうか? メッセージを受け取る側を「鼓舞」するでしょうか? ①はコンピュータをつくる側のWHAT(していること)をそのまま伝えています。それはそれで、受け取る人の「なるほど」という思いを引き出すでしょう。これに対して②の一文目と二文目は、WHAT(していること)そのものではなく、している理由(WHY)を提示しています。

  「一台、いかがですか?」と言われて、私がその製品を手に取ってみようと思ったのは、②の方でした。何をどのようにつくったのか、ということを聞かされるよりも、なぜそれをつくったのかということをぶつけられた方が、対象に対する興味を引き出されます。「考え方」や「信条」や「挑戦」についてもっと知りたいと思うのです。

  ちなみに、この②は「アップル」のメッセージの提示の仕方です。シネックは言います。



「製品が優れているから、アップルが抜きんでた存在として認識されているわけではない。アップルのWHAT、つまり製品は、かれらの信念が具現化したものだ。かれらのWHATと、それをしているWHYのあいだに明確な相互関係があるからこそ、アップルは傑出した存在となっている。だから私たちはアップルを本物と見なす。アップルがしていることはどれをとっても、かれらのWHY、つまり「現状への挑戦」の実演である。どんな製品をつくろうが、どんな産業に算入しようが、アップルの「シンク・ディファレント」(異なる考え方をしろ)はつねに明確だ。」(52ページ)



誤解のないように言えば、私は「アップル」のコンピュータのユーザーではありません。だから「アップル」の「製品」の質についてとやかく言う資格はありません。ですが、そのことはいまの問題ではありません。何をどのようにつくったのかということを説明されても、モノを買う気は起こらないけれども、つくった理由を語られるとモノを買う気が引き出されるということが問題です。

 この問題は、あるものを「理解する」という行為にとって、決定的に重要です。目の前に見えているものや聞こえてくることが、どうしてそのようなかたちでそこにあるのかという理由を考えていくことが、そのものを「理解する」ということの第一歩であることは間違いのないことだからです。

 キーンさんは、モーガン先生が街を散歩したときにその街並みについて「たくさんの観察」をしながら次のように問いかけたことを紹介しています。



「あそこでミッドセンチュリーモダンをつくっているのに気づいた?(私の答えは、もちろん「いいえ」です)、何しているんだと思う? どうして緑色に塗ったんだろうね? (私に答えられるわけがありません)、あの正面のデザインをどう思う? なぜまわりの建物と調和するように考えなかったんだろうね? どうしてこのあたりにオープンスペースを作ろうと誰も計画しなかったんだろうって思ったことないかい? まったく素晴らしい町だよね?」彼はとどまることがありません。そうなんです、とどまらないのです。彼とほかの町に行ったときにも、今みたいなたくさんの質問を繰り返すのです。私たちが一緒に行った、シカゴでの90分予定の建築ツアーは3時間にも及びました。他のツアー参加者たちはだんだんと一人去り二人去りして、残ったのはとうとう私と、ブルースと、くたびれきったガイドだけでした。」(『理解するってどういうこと?』341ページ)



 明らかにブルース先生の「とどまらない」問いかけはWHYの問いかけです。その街の景観がどうしてそうなっているのかということを問いかけています。私もシカゴのリバークルーズに参加したことはありますが、とてもこのようなWHYの問いを繰り返すことはできませんでした。しかし、モーガン先生のような問いを発してみれば、少なくともこの街がこのようにつくられた理由を考えることができます。シカゴの街を「理解する」きっかけになることは確かです。そう考えると、キーンさんが言うようにモーガン先生が子どもたちの目と心を「鼓舞」している理由がわかるのです。



「人間の行動に影響を及ぼす方法は、ふたつしかない。操作(マニピュレイト)するか、鼓舞(インスパイア)するか、だ。」(『WHYから始めよ!』12ページ)



モーガン先生は「鼓舞する(インスパイア)」という方法で子どもたちの行動に影響を与え、学ぶ「歓び」をもたらし続けているのではないでしょうか。『WHYから始めよ!』のシネックの言葉を手がかりにしてモーガン先生の言葉を読み直してみると、そこには、理解を引き出し、学ぶことを「生きる歓び」に満ちたものにする手がかりがたくさんあることがわかるのです。何がどうなっているかという問いよりも、なぜそうなっているのかという問いから始めることがそのものの深い理解を生み出すのです。「人々は、あなたのWHATを買うわけではない。あなたがそれをしているWHYを買う。」(『WHYから始めよ!』50ページ)