2026年2月6日金曜日

「読書家の時間」の環境

 関西大倉中学校高等学校・堀内誠太郎先生の実践(WW/RW便り: 堀内先生の実践)紹介の第3弾です。

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 本稿では、本校における「読書家の時間」をどのような環境で進めているかをまとめます。授業を行う空間である教室の環境、生徒の学びを支える授業冊子と読書記録という道具、そして人的環境として司書教諭との連携、以上3点について記します。

教室環境

 本校では2022年に新たな大規模図書館が完成しました。この図書館で「読書家の時間」をやり始めた当初は、図書館のどこから本を探してきてもいいし、どこで読んでいてもいい、という形にしました。しかし、これは失敗でした。5万冊近くが並んでいる本棚から自分に合った1冊を選ぶというのは生徒にとって難しすぎました。また、教師が図書館全体を見渡すことができないので、本を読むのに消極的な生徒が教師の死角に集まっておしゃべりに興じるようになり、私は図書館のあちこちでモグラたたきをしているような状態になりました。

 そこで、本棚も読む場所も限定しました。図書館内部に大きめの教室があるのですが、今は本を選ぶのも読むのもその教室内で完結する形にしています。教室内の本棚に、「読書家の時間」に適した本を集めて並べました。学期によって小説限定にしたりノンフィクション限定にしたりするので、それに合わせて教室内に並べる本も入れ替えています。ミニレッスンの内容に合わせて「『平家物語』特集」「『子どもの権利』特集」などのコーナーも特設しています。また、昨年度の生徒がブックトークした本を並べたり、書いたレポートを展示したりして、先輩から後輩へと学びやオススメ本が伝わるようにデザインしています。

 机と椅子は全て前向きに並べて、静寂の中で読み浸る時間を過ごせることを優先しています。生徒がよりリラックスした姿勢でゾーンに入れるように、教室内に畳を敷いたりソファを置いたりするかは、今後の検討課題です。

授業冊子(紙)と読書記録(Googleスプレッドシート)

 「読書家の時間」をやっていく中で、日常的に書かせたいのが「チェックイン」と「読書記録」です。「チェックイン」は、各生徒のその日の活動を教師が把握するため、「読書記録」は生徒自身が自分の読書傾向や読書量を把握するために書きます。この2つを生徒はよく混同して、こちらが「チェックインして」と指示したら読書記録をつけ始める生徒がいるので、たびたび注意する必要があります。

 この2つをどういう形で書いてもらうかについてはかなり慎重に検討しました。いちいち書くという行為を面倒くさく感じる生徒は少なくありません。できるだけ生徒にとって負担が少なく、かつ我々がチェックしやすい形を模索した結果、紙の授業冊子(紙)と読書記録(Googleスプレッドシート)の2つを使う形にしました。

 まず、授業冊子の中には、次のページがあります。時にはノートに書かせたいこともあるのですが、冊子の他にノートも持たせるのは煩雑なので、冊子の中にノートのページもできるだけ多く入れて、1冊で完結するようにしました。

  • 読書家の皆さんに期待すること

  • 「読書家の時間」のルール

  • ジャンル一覧表

  • チェックイン表(4ページ分)

  • 読みたい本リスト

  • ノートのページ(20ページ分)

  • 各学期の自己評価シートを貼るページ

冊子の表紙には10,000ページを目指してキリ番を達成したらシールを貼る場所を作っています。10,000ページ達成者にはキラキラの大きなステッカーを貼って祝福します。この冊子は毎回授業終わりに回収し、次の授業の始めに返却します。生徒は「読書家の時間」に参加するためにホームルーム教室から図書館へと移動してくるので、ホームルーム教室に置き忘れてくるリスクを避けるためです。この冊子の中で最もよく使用するのはチェックイン表ですが、チェックインをするのは授業のときだけなので、生徒が冊子を教室に持って帰らなくても特に困ることはありません。こちらがチェックしやすいように、チェックインしたらそのページを開いたままにして「読み浸る時間」に入るようにしてもらっています。私は彼らのチェックイン表を見ながら「前回読んでいた本はどうしたの?」「読書記録はつけた? 評価は10段階でいうといくつ?」などと話しかけてカンファランスしていきます。


 もう一つの書くべきもの、読書記録については紙ではなくGoogleスプレッドシートを使用しています。それには次のようなメリットがあります。

  • 生徒各自の端末からアクセスできるので、授業内でも授業外でもどこでも記入できる(特に長期休暇中の読書に最適)

  • 本のジャンルはプルダウンで選べるようにしているので、生徒にとってわかりやすい

  • 累計ページ数は数式によって割り出されるので、読んだページ数を足し算することに時間を取られない

  • 教師もいつでも生徒の読書記録を見ることができる

読書記録を紙に書いてもらっていたときは、面倒くさくて書きたがらない生徒がそれなりにいましたが、スプレッドシートを使うようになってからは全ての生徒が(時間さえ取れば)読書記録をつけるようになりました。

 読書記録は生徒が自身の読書量・読書傾向を把握するためのものですが、これを見ることで教師も、何冊読んでも評価がすべて「8(同じ数字)」の生徒、ジャンルを理解していない生徒、中断ばかりで1冊も読了できていない生徒など、声をかけるべき生徒を見つけることができます。



2026年1月31日土曜日

飾り気のない素朴なことばに打たれる ~中野鈴子の詩を読む~

[時々、投稿をお願いしている吉沢先生に、今回の投稿をお願いしました]

 今回の投稿でどんな詩を紹介しようかと考えながらアンソロジーを読んでいて、ふと、中野鈴子さんの詩に目が留まりました。高校生の時に国語の授業で中野重治を知り、何編か小説や詩を読みましたが、妹の鈴子さんのことは知りませんでした。何年か前に、中野鈴子という詩人を知り、心を揺さぶられたことを思い出しました。洗練された表現があるわけでもなく、ただ自分の身に起こった出来事を素朴な言葉で述べているだけなのに、ずしんと私の心に響いてきたのです。

 次の詩です。

 

花もわたしを知らない1
                 中野 鈴子
春はやいある日
父母はそわそわと客を迎える仕度をした
わたしの見合いのためとわかった

わたしは土蔵へかくれてうずくまった
父と母はかおを青くしてわたしをひっぱり出し
戸をあけて押し出した ひとりの男の前へ

まもなくかわるがわる町の商人が押しかけてきた
そして運ばれてきた
箪笥 長持ち いく重ねもの紋つき
わたしはうすぐらい土蔵の中に寝ていた
目ははれてトラホームになり
夜はねむれずに 何も食べずに
わたしはひとつのことを思っていた
古い村を抜け出て
何かあるにちがいない新しい生き甲斐を知りたかった
価値あるもの 美しいものを知りたかつた,

わたしは知ろうとしていた

父は大きな掌(て)ではりとばしののしった
父は言った
この嫁入りは絶対に やめられないと

とりまいている村のしきたり
厚い大きな父の手

私は死なねばならなかった
わたしはおきあがって土蔵を出た
外はあかるかった
やわらかい陽ざし
咲き揃った花ばな

わたしは花の枝によりかかり
泣きながらよりかかった
花は咲いている

花は咲いている
花もわたしを知らない
誰もわたしを知らない
わたしは死ななければならないt                          
誰もわたしを知らない
花も知らないと思いながら

 

何年かぶりに読み返してみて、やはり、いい詩だなと思いました。作者は実業学校を卒業し、二度の見合い結婚をしたのは大正末期から昭和の初期だと推測されます。親の意向で望まない見合いをさせられることの多い時代でした。そのような時代に生きる作者の悲しみが、まっすぐに私の心に響いてきます。


何がそうさせるのでしょうか。私は、次の4つのことに注目したいと思います。

 

一つ目は、「~は・・・した/しなかった」「~は・・・だった/ではなかった」

という語り口です。

 

わたしは土蔵へかくれてうずくまった

 父は大きな掌ではりとばしののしった

それは事実をそのまま差し出す語り口です。比喩をほとんど使わず、飾らずに淡々と語っています。

 

二つ目は、一つ目と関係していますが、感情について説明していないことです。

 

父は言った
この嫁入りは絶対に やめられないと

「つらい」「悲しい」「いやだ」「腹がたつ」などの、感情を表す言葉を使っていません。出来事をそのまま置いていく。そのことで、作者の感情の重みがストレートに読み手に伝わっていくように思います。

 

 三つ目は、自分の欲求を、ためらうことなく表出する、力強い言葉です。

 

古い村を抜け出て
何かあるにちがいない新しい生き甲斐を知りたかった
価値あるもの 美しいものを知りたかつた,

 

「私は~したい」ということを、明快に言い切る姿勢に、私は作者の芯の強さを感じます。世間は何と言おうと、自分の望みを引っ込めることはしないのです。

 

 四つ目は、第六連から第八連で表現されている、「花」との対比です。「外は明るかった」「やわらかな陽ざし」「咲き揃った花」。いずれも、明るい、前向きのイメージを伝えています。その言葉に対して、作者の「死ななければならなかった」という暗く悲痛な思いが対比されています。花が美しく、世界が明るければ明るいほど、作者の心の中の叫びは、悲痛なものとして伝わってきます。

 

 作者は諦めてはいない、と思います。「花もわたしを知らない」というフレーズを繰り返しながら、その場に立っています。

 

 

中野鈴子は、の1909年(明治39年)、福井県で生まれました。小説家で政治にも携わった中野重治の妹です。実業学校を卒業後、郷里で二度、見合い結婚をしますが、二度とも離婚し、23歳で、兄を頼って上京し、プロレタリア運動の影響を受けて詩や小説を発表しました。

時代背景は違いますが、飾り気のない素朴な言葉に私は打たれます。多くの人に知ってほしい詩人の一人です。★2

 

1 高橋順子編 『現代日本女性詩人85』 新書館, 2005

2 中野鈴子の詩は、『中野鈴子全詩集』『中野鈴子著作集』という形でまとめられていますが、いずれも絶版です。ただ、いくつかの詩は青空文庫で読めます。また、中野鈴子の詩を朗読しているサイトがあり、YouTubeで見ることができます。

 

2026年1月23日金曜日

壊す手間が必要? ~A Iによるフィードバック

 最近、ライティング・ワークショップでの、AIによるフィードバック例(★1)を目にすることがあり、個別化された具体例に感心しつつも、「あれ? ここは指摘なし?」と驚いた点もありました。A Iによっては、子どもの書いたものを書き直してしまうものもあるそうですが、今回、見たA Iの例は、「子どもの書いたものを褒める。子どもの代わりに修正することも、子どもの代わりに書くこともしないで、子どもができることを提案して、励ます」ことができるようにしたそうです。また、AIのフィードバックを子どもが受け取る前に、教師がそれを見て修正・変更できるということで、AIの関わり方について、慎重に注意深く考えられているようです。しかしながら、肝腎な要が抜けているような、落ち着かなさも感じました。

 AIがフィードバックをしている例は、教師が「子ども風に」書いた「この日曜日、私は家族と一緒に公園に行きました」から始まる数行の文に対してです。公園に行った後、滑り台まで走って行って、先に滑りたかったのに、押しのけられて、手すりにぶつかり、泣きだしてしまった等の描写が続きます。 

 私が落ち着かない気持ちになったのは、以下の二点からです。 

 一点目は、「この日曜日、私は家族と一緒に公園に行きました」という書き出しについて、何の助言もないので、肩透かしをくらった気がしました。この最初の文では、その後に、公園で楽しいことが起こるのか、とんでもないことが起こるのかなど、何もわかりません。次の文も競争して走っていくことにしたと言う説明です。「前触れ」というか、読者にとって「次が気になる」「続きを読ませてしまう」ような何かを、もう少し加えると、もっと良くなるのに、と思ってしまいます。

 二点目は、AIが「思ったこと」をしっかり伝えていたことでした。全体として、ポジティブなトーンで、まず、AIが「気に入った」点を伝えて、褒めてくれます。それから、よりよくするために、「会話」「小さな行動」「考えたこと」「感情」などで、詳細な情報を加える等ができることを提示します。さらに、その選択肢を実際に使う例として、元の文を踏まえながら、「例えば、滑り台で先に滑りたかったのに、押しのけられて滑れなかった時に、考えたことや感じたことを加えることもでき、そうすることで、臨場感が出る」ことも示唆されています。そして「情報を加えられる箇所を探してみよう、読み直して、書き直すことで、あなたの書いていることが、これから、どのように発展して、今よりさらにワクワクするものになっていくのか、待ち切れないです!」と締めくくるのを読むと、あまりに見事で、私は、逆に、ある種の気持ち悪さを感じて、思わず引いてしまいました。

  フィードバックの対象となっている元の文を読まずに、AIのコメントだけを読むと、教師が書いた的確な指摘のようです。でも、元の文を読むと、凡庸な書き出しが見落とされ、そして、感情のないAIが、「温かい」トーンで「思ったこと」を伝え、一つのポイント(この場合は、詳細を書き加える)を指摘し、今後の成果に「期待」して、励ましていることが、分かります。

 書き出しが指摘されていないのは、現時点では、教師とA Iとの間の、情報量の差が大きいのが理由だと思いました。教師の個別フィードバックや教師の個人カンファランスでは、教師は、これまでに教えてきたミニ・レッスンの内容、その子の現時点での到達度、書き手としての個性や創造性も踏まえて、現時点で教えるべきことを一つか二つ選択しているからです(★2)

 二点目のA Iによるポジティブかつ人間が書いたようなトーンについては、おそらく対象となる子どもの年齢が意識されているからだと思いつつも、私は「苦手」でした。そして、「ロボットが人に似てくると好感度が上がってくるものの、人間に近づきすぎると不気味さを感じる」という、ロボット工学者が指摘した「不気味の谷」(3)とは、こういうことだと、実感できた気がしました。

  個人の好みによる部分も大きいとは思いますが、A Iが、無味乾燥に、間違いや選択肢を指摘してくれる方が、私には心地よい距離感があり、提供される情報を取捨選択して、扱いやすい気がします。

 そのまま子どもに丸投げできそうなトーンの文で届くと、完成度が高すぎて、現時点では、AIは、教師と比べると、ごく限られた情報しか持っていないことを忘れてしまいそうです。感心してしまって、いざ、それを「活用しよう」と思うと、使いたい情報を抜き出すために、「そのままで使えそうな文章」を一旦「壊す」という余分な手間がかかりそうな気がしました。

 忙しい教師にとっては、完成度の高いA Iのフィードバックを「メイン」にして、必要な調整だけを加えれば、時間の節約になりそうに見えます。でも、A Iに「メイン」を任せられるという確信が持てる時代が来るまでは、私は「不気味の谷」に居続けるのかもしれません。

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1 

2025116日に配信された Unit of Study Office Hours Featuring Writing というビデオの中で、13:05頃にAIのフィードバックの画面が出てきて、このAIの性質やどのように活用できるかなどが説明されています。動画のURLは、このシリーズ(Unit of Study Office Hours)に登録すると送られてきます。

 

2 

書き出しが見落とされていたので、思い出したのが、『イン・ザ・ミドル』で、主張文というジャンルの書き出しを扱った、個人カンファランスの例でした。主張文というジャンルの書き出しのパターンで、以下が記されています(275ページ)。

エピソード:問題の本質に関わるエピソードから始める。

引用:引用句から始める。

ストーリー仕立て:読者が架空の現場にいるように想像させる書き出しから始める。

告知:事実や強い主張を述べる一文から始める。

描写:場面の描写から始める。

ニュース:最新の話題から始める。 

 教師による子どもへの主張文のカンファランスでは、その子の書き出しが、事実と地名が列挙されているだけで説得力がないことに気づいた教師が、「今書いているのだと、『誰が何をどこで』という書き出しで、読者は引き込まれないよ」(『イン・ザ・ミドル』264ページ)と指摘し、ミニ・レッスンで扱った、主張文における、いろいろな種類の書き出しに触れつつ、子どもの選択肢を広げています。その結果、子どもは、上記から「ストーリー仕立て」を選び、カンファランス後の文章は、格段に読者を惹きつけるものに改善されています。短いカンファランスですが、教室での学びの厚みというか、教師がもっている(教えたきた)情報の蓄積の価値を感じます。

 

3 

不気味の谷については、以下のような説明を見つけました。

「不気味の谷という概念を初めて提唱したのは、ロボット工学者の森政弘氏だ。1970年に森氏が書いた「不気味の谷」というエッセーによると、人々は、人間のような性質を持ったロボットに好感を抱くが、あまりに人間に近づきすぎると逆に不気味さを感じるようになるという(この部分が、谷に当たる)。しかし、それを通り越して人間とほぼ区別がつかないほど似てくると、再び好感が持てるようになる」

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC276AO0X21C23A0000000/