昨年末に山口県下関市の「ねをはす」という本屋さん★の棚の隅で見つけ、気になって購入した、M・R・オコナー(梅田智世訳)『WAYFINDING 道をみつける力―人類はナビゲーションで深化した―』(インターシフト、2021年1月)という本。400ページ余りの大冊なので時間を見つけて少しずつ読みながら、ようやく読み終えました。
15年程前に勤務先の附属幼稚園長をしたことがあります。3歳児から5歳児までの保育に接するのははじめてでした。「藪漕ぎ」を知ったのもその時です。5歳児(年長)の卒園間際の頃に、園の先生が付き添って、幼稚園の裏山の藪のなかを数人のグループで歩くのです。「藪漕ぎ」はもともと山登りで行われるもの。もちろん毎年無事に園舎に戻ってくるのですが、この活動では「道に迷わせる」ことをあえて行います。ずいぶん乱暴なことを…と思われるかもしれませんが、オコナーの本を読む間、私の頭のなかにはこの「藪漕ぎ」のことが呼び起こされていました。
オコナーの本の表題にあるWAYFINDING(ウェイファンディング)とは何か。この本の後半にティム・インゴルドの定義が次のように引かれています。それによると、「過去の体験をもとに微調整された近くと行動力を持つ移動者が、目標に向かって『手探りで進み』、進行中の周囲の知覚的観察に対応してみずからの動きを絶えず調整する技能」(『道をみつける力』, p283)です。
「道を見つける」ならGPSを使えばいいという意見もあるでしょう。実際、わたくしも上京したときに宿泊先を探すときにはスマホでGoogleマップをよく使います。これはGPSで自分の位置を地図表象上に示して、それwを見ながら最短距離で行く方法です。上の引用文の二重カギ括弧部分「手探りで進み」の感覚はまったくないとこに特徴があります。「進行中の周囲の知覚的観察」がまったくないかと言えばそうでもないのですが、いずれにしても周囲の知覚的観察もGoogleマップの地図表象が前提です。
『道を見つける力』の143ページから145ページには、進化哲学者のショー=ウィリアムズの「社会的痕跡説」について述べられています。「人類という動物は別の人類や動物の残した痕跡を『読む』ことを覚え、やがてそうした印から過去の出来事の持つ意味を推測するようになった」という考え方のことです。「痕跡」を「『読む』こと」によって「そうした印から過去の出来事の持つ意味を推測する」ようになったというわけですが、その「痕跡を読む能力」(認知過程としては、読んで「推測する」ようになったところが重要だと思います)から「道を示す独自の人工的な記号や象徴」をこしらえ、「身ぶりによる合図や話し言葉」を使うようになり、最終的に「書き言葉」を生み出すわけです。「書物」はそのようにして作られました。「書物」は紙の上に残された「社会的痕跡」です。
そして、仲間の人間や動物が残した「痕跡のパターン」を視覚的に分析する種は人類だけであり、そのことが「物語を語る知性」となりました。「痕跡」を読むことによって、追跡する者は「痕跡」を残した者の「心と身体のなか」にいるところを想像しながら物語を生み出すのです。そこで求められるのは「自己中心的な自己参照と別の主体の視点から見た他者中心的な感覚」であり、そのような認知システムによって、「罠や落とし穴を仕掛けるときには、想像のなかで自分に置き換えた動物が何を知覚し、どんな精神状態になるのか、その可能性にしたがってすべてを整え」ることになるのです。
進化哲学者ショー=ウィリアムズの言葉をもとにしたオコナーの考察を踏まえると、理解するための七つの方法の起源はどうやらここのところにあるようです。こうしてみると、エリンさんの言う「理解するための方法」の一つである「推測する」が根源的な「わかる」ための方法であると言うことができるでしょう。「痕跡」★★を読むことで「推測する」ことになりますが、「推測する」ことを引き出すのが、「痕跡」を読みながら「質問する」ことになります。10年ほど前に吉田新一郎さんが翻訳した『たった一つを変えるだけ』の「質問づくり」が有効なのは、学びのなかで「推測する」という方法を学ぶ者にたくさん使わせることになるからだと思います。また、「自己中心的な自己参照と別の主体の視点から見た他者中心的な感覚」によって引き起こされる「イメージを描く」行為も、「推測する」行為の大きな手がかりになるだけでなく、理解するという行為を厚くしていきます。
オコナーの考察はさらに続きます。
「この一連の認知的発達は、想起意識の誕生を説明するものでもある。想起意識とは、時間のなかの存在物としてみずからの体験を認識する能力のことだ。想起(オートノエティック)という語は、「知覚する」を意味する古代ギリシャ語を語源としている。この用語は、統合失調症研究の文脈で使われることもある。自分の思考が外部の発生源から来ていると信じる統合失調症患者は、想起失認とされる。1970年代には、著名な実験心理学者エンガル・タルヴィングをきっかけに、想起意識に注目が集まった。タルヴィングは、過去の出来事の記憶であるエピソード記憶を、文脈とは切り離された事実を意識的に引き出す意味記憶とは異なるものとして区別した。タルヴィングに言わせれば、エピソード記憶はいわばシステム内の接着剤だ。それがあるおかげで、主観性、想起意識、そして体験をつなぎあわせ、一貫した自己認識感覚を維持することが可能になる。このエピソード記憶システムがあるからこそ、わたしたちは時間のなかで自分の位置を見定め、過去へ去り、未来へいくことができる「見通す(プロスピー)」または「見晴らす(プロスペクション)」と呼ばれるプロセスだ」(『道をみつける力』, p.144)
これを読むと理解するための方法の源には「想起意識」の誕生と関わることがわかります。「推測する」は「想起意識」の誕生によって可能になったのです。タルヴィングの説をもとにオコナーは「システム内の接着材」となるのが「エピソード記憶」だとしていますが、「関連づける」という理解するための方法はこの「エピソード記憶」を活用するものです。
「解釈する」「修正しながら意味を捉える」という理解するための方法は、いずれも「時間のなかで自分の位置を見定め、過去へ去り、未来へいくことができる「見通す(プロスピー)」または「見晴らす(プロスペクション)」と呼ばれるプロセス」を支えるものです。いずれも「主観性、想起意識、そして体験をつなぎあわせ、一貫した自己認識感覚を維持する」エピソード記憶を根拠にしています。
オコナーの本はウェイファンディング(道を見つける力)についての本です。人類学的なフィールドワークをもとに、人間にとって重要な道を見つける能力の根源に迫ろうとしています。が、そこで書かれていることは「わかる」ための方法を考える上で重要な示唆をもたらすものばかりでした。
オコナーが引用している、馬術家のダッドリー・パターソンの次の言葉はとても示唆的です。
「どこへ行こうが、なんらかの危険が待っている。それが起きる前に、予想できるようにならなきゃだめだ……精神に磨きがかかっていなければ、危険を予想することはできない……精神を磨けば、長生きできる。人生の踏みわけ道が、ずっと遠くまで続く。どこへ行こうが、危険に捕えられる。それが起きる前に、頭のなかで予見できる。どうすれば、そのチエの道を歩けるかって? そうだな、たくさんの場所へ行くといい。そこをじっくり観察しろ。そのすべてを覚えろ。あなたの親戚も、その場所のことを話してくれるだろう。彼らの話すことも、残らず覚えろ。それについて考えろ。そうしなければいけないのは、あなたを助けられるのは、あなた以外にはいないからだ。それをしていれば、あなたの精神は磨かれる。安定して、回復力を持つようになる。厄介事を遠ざけておける。長い道を歩き、長い時間を生きられる。知恵は場所に宿る。けっして干上がらない水のようなものだ。生きるためには、水を飲まなければいけない。そうだろう? 要は、場所にあるものを飲まなければいけないということだ。その場所のことを、すべて覚えないといけないんだ。」(『道をみつける力』, p.165)
冒頭に取り上げた幼稚園での「藪漕ぎ」も、パターソンがいうように生きるために必要な「知恵」を手に入れるためのものです。「知恵は場所に宿る」からです。道に迷いながら道を見つけることは、エリンさんの『理解するってどういうこと?』の「理解の種類」にはないものですが、これが人生において大切な「理解の種類」であることは確かです。。
本や文章を読む行為もまた同じではないでしょうか。どこかに答えがあるわけでもない。誰かが教えてくれるわけでもない。自分で「痕跡」を見つけて、それについて考えることで、新しい発見が生まれるわけですし、読むことが面白く思えるわけです。「痕跡」を見つけて、その痕跡について、理解するための方法のどれかを使って考えていくことが、本を読む時の「道を見つける」行為に他なりません。読書行為のウェイファンディング、さらに探っていきましょう!
★ねをはす HOTEL BOOK & CAFÉ
★★ 本や文章の場合、読者の注目すべき「痕跡」にあたるものが、この「RW/WW便り」の6月5日(「合い言葉は、ノーティス・アンド・ノート(そこに注目して! そこにちゃんとメモして!)」)、7月3日(「本(Book)。頭(Head)。心(Heart)」)、8月8日(「本(Book)。頭(Head)。心(Heart)」)で言及されているビアーズとプロストの「道標」です。