2026年3月2日月曜日

教室でのブッククラブ(=読書サークル/読書クラブ/読書会)がもたらす力  (2月27日分)

 歳の息子が、ついに本格的に本を読み始めました。あふれんばかりの本棚から次々と本を手に取り、これまで何度も聞いてきた物語を自分で読んでいる姿を見るのは、本当に胸が躍ります。今では、休み時間に友だちを誘って一緒に本を読むために、本を学校へ持って行きたいと言っています。彼いわく、その名前は「読書クラブ」だそうです。

「私も昔、ブッククラブに入っていたことがあるよ」と私(エリーナ・アギラー)は言いました。ブッククラブとは、友だち同士で同じ小説を読んで、夕食を食べながら感想を語り合う会だと説明すると、息子はすっかり気に入り、誰を誘うか、いつ集まるか、何を読むか、そして何を食べるかまで、すぐにアイディアを出し始めました。

 けれど、私がすっかり「ノスタルジーの穴」に落ちてしまったのは、教師としてブッククラブを運営していた頃の経験でした。7年生の子どもたちが小さなグループで集まり、読書会をしている教室を歩き回っていたあの感覚を思い出すと、今でも胸が高鳴り、目がうるむような気持ちになります。

登場人物の行動をめぐって白熱した議論を交わしていたこと。
ページの間から飛び出すほど貼られた、メモでいっぱいの付箋。
「もう時間だよ」と声をかけると、「あと数分だけ!」と懇願してきた子どもたち。

 ブッククラブの時間、私の教室は学びと情熱と喜びで震えていました。

 

なぜブッククラブなのか?

これから、ブッククラブの「どうやって」「いつ」「どこで」「何を読むか」といった実践的な情報を紹介していきます。でもその前に、幼稚園から高校までのすべての教室で、何らかの形でブッククラブを取り入れるべき理由をお話しさせてください。

 

理由その1:ブッククラブは協同的な学びの場になる

ブッククラブは、生徒同士が読んでいる本や文章を理解し合い、意味づけを助け合う場になります。子どもたちは互いを「学びの資源」として活用する方法を身につけ、より自立した学習者へと育っていきます。もちろん、協同的な学びの場として機能させるためには、教師が意図的にそのように育てていく必要があります。適切な助言やモデルの提示、サポートなしに、自然と協働が生まれるわけではありません。

 

理由その2:ブッククラブは、子どもたちに学びの選択肢を与える

ブッククラブでは、複数の本の中から自分が読みたいものを選ぶ機会が与えられます。また、どのグループで誰と一緒に読むかについても、子どもたち自身が意見をもつことができます。学校では、子どもたちが自分で選ぶ機会が圧倒的に不足しています。選択の機会は、より夢中になれ、自分から読みたくなり、そして「選ぶ力」★を育てる貴重なチャンスにつながります。

 

理由その3:ブッククラブは楽しい。なぜなら人とつながる体験だから。

ブッククラブは、子どもたちにとって楽しい活動です。その理由のひとつは、とても社会的な体験であること。学校生活の多くの時間とは対照的に、ブッククラブではたくさん話し、意見を交わし、時には議論したりもします。自分の経験や気持ちを教室にもち込み、仲間と共有することが歓迎されるのです。読書は、少なくともときどきは楽しくなければいけません。もし読書の体験を楽しいものにできなければ、子どもたちは私たちの手を離れたあと、その習慣を続けようとはしないでしょう。

さらに、私たちが喜びや楽しさを感じると、その場所やそこにいる人たちとのつながりが強まります。私が中学生を教えていたとき、彼らが学校に“つながり”を感じ、仲間と前向きな学びの関係を築くことは欠かせないことでした。多くの都市部の教育委員会と同じように、カリフォルニア州オークランドでは中退率が非常に高いのですが、研究によれば、子どもたちが学校を離れる主な理由は、その場所やそこにいる人たちとつながりを感じられないことだといいます。

だからこそ私は、ブッククラブのような仕組みが、子どもたちを学校につなぎとめる「居場所」になり得ると考えています。子どもたちが教室にいなければ、学習基準を身につけることも、テストで力を発揮することもできません。ブッククラブは、その「教室にとどまる理由」をつくる手助けになるのです。

 

理由その4:ブッククラブは、読書が苦手な子にも大きな力を発揮する。

ブッククラブは楽しくて、子どもたちが自分で選べて、しかも協同的に学べる仕組みです。だからこそ、読書が苦手だったり、読むことに抵抗があったりする子どもたちにとって、とても力になる体験になります。ブッククラブは、もともとグループごとに違う本を読み、レベルもテーマもさまざまです。読書が苦手な子は、自分に合ったレベルの本を選ぶことができますし、教師はそのグループに直接サポートをしたり、読み慣れた子を加えたりして支えることもできます。

 

 ここから少し細かい話になりますが、大事なポイントがひとつあります。子どもたちには、さまざまなジャンルの本を選べるようにすることが必要です。「ブッククラブ」といっても、フィクション(物語)だけを読むという意味ではありません。私のクラスでは、読書が苦手な子(特に男の子たち)は、むしろノンフィクションを好むことが多くありました。(このテーマについて深く掘り下げた本として、Reading Don't Fix No Chevys: Literacy in the Lives of Young Men ★★があります。)

 

ブッククラブの「誰が・何を・いつ・どこで」を明らかにするための情報源

もちろん、ブッククラブを「楽しく、協同的に学べる場」にするためには、教師がやるべきことがたくさんあります。ありがたいことに、質の高いブッククラブを運営するための情報源はたくさんあります。
 まずは、次のようなものを参考にしてみてください。

  • 何年か前に(何と、2006年!です)、私自身がブッククラブについてのウェブサイトを作りました。網羅的なガイドではありませんが、始めるためのアイディアはいくつか載せています。

http://gallery.carnegiefoundation.org/collections/quest/collections/sites/aguilar_elena/literature_circles.htm

  • おすすめの本は、Harvey Daniels の古典的名著 Literature Circles です★★★。

 

読者のみなさんへ:
みなさんのクラスでのブッククラブの経験をぜひ聞かせてください。
なぜ、どのようにしてブッククラブを始めたのか。
どんなことが起きたのか。
どんな課題があったのか。
このテーマについては、まだまだ語りたいことがたくさんあります(もしかしたら、また別のブログ記事で書くかもしれません)。

 

 その間に、私は息子の初めてのブッククラブのために「緑色のスープ」を作りに行ってきます。彼らが最初に読むのは、あのドクター・スースの名作『みどりのたまごとハム』(松岡享子訳、偕成社、1979年)。息子は「動物を食べることの倫理」について議論するつもりらしいのです。廊下に隠れてこっそり聞くのが今から楽しみです。

 

★これは、「何は大切で、何は大切でないかを見極め、その判断のもとに行動する力」としてのクリティカル・シンキングの核心部分につながる。「批判的」や「複眼的」な部分は主要な部分ではないと理解していた方がいいでしょう。

★★この本、とてもいい本です! 邦訳がないのが残念!! 紹介者自身が、小学校~大学院とまったくと言っていいほど本を読まなかったので、このような本の必要性を痛感します。男子生徒の多くは、読むこととは関係のない世界の住人とさえ言える部分があります。そして、国語の教科書や国語の授業で生涯にわたって読める人はつくり出せません(そのことは、最初から目的に設定されていませんし!)。

★★★残念ながら邦訳がないので、『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』が読めます。パート2では、多様なブッククラブの事例が具体的に紹介されており、パート3では、ブッククラブの5WHに答えています。(また、なぜ「ブッククラブ」の名称にこだわったのかも。基本的に、教師と生徒が一番ピンとくる名前を使ってください。)

 なお、この投稿は、ブッククラブではなく「リテラチャー・サークル」で書かれていますが、紹介者の判断で「ブッククラブ」に変更しています。理由は、構成メンバーに役割をもって読ませるのがリテラチャー・サークルの最大の特徴ですが、それは「理解のための方法」を学んでいる最中の小学生レベル(それも、低学年)なら許されるかもしれませんが、中学年以上で役割に固執して読ませるのはかわいそう、としか言いようがないからです。ちなみに、『読者がさらに楽しくなるブッククラブ』では小学1年生ですらブッククラブでやれてしまうことが紹介されています。

 なお、この記事(https://www.edutopia.org/blog/literature-circles-how-to-and-reasons-why-elena-aguilar)の執筆者は『教師のためのアート・オブ・コーチング』の著者のエリーナ・アギラーさんです。この記事からも分かるように、彼女はコーチになる前の約15年間は国語の教師をしていました。実のところ、アメリカ等でコーチ職についている人のほとんどは国語出身です。その理由は、授業でライティングやリーディング・ワークショップで生徒をサポートしていることと、教師や管理職にコーチングを通してサポートすることはほぼ同じと言えるからです。日本にはまだ「コーチ」という職種はありませんが、数(十?)年後には当たり前になります! その時に職種変更を可能にするためにも、いまからライティングやリーディング・ワークショップに取り組み始めた方がいいかもしれません。もちろん、職種変更を考えなくても、子どもたちのためにはもちろん、自分のためにも従来の国語の授業をやり続けるよりも、ライティングやリーディング・ワークショップをしたほうが何倍も得るものがあります(そう言いきれる理由には、どんなものが含まれるか想像できますか?)。

 

2026年2月21日土曜日

めいめいの「知」がゆるやかにつながる幸福

  『私たちが光の速さで進めないなら』(カン・バンファ/キム・ジヨン訳、ハヤカワ文庫NV、2024年)の作者キム・チョヨプさんの『本と偶然』(カン・バンファ訳、かんき出版、2025年)は、読むことと書くことについての思考を言葉にした本です。作家が自著や他の人の書いた本を読むということは、そのひとの創作にどのように作用するのだろうと思って読み始めました。

チョヨプさんは、ピエール・バイヤールの『読んでない本について堂々と語る方法』(大浦康介訳、ちくま文庫、2016年)の「人が自著について語るとき、とある「別の本」について話しているように感じる。こうした分裂が起こるのは、わたしたちの内面にそれぞれの本があるためだ。この内なる本はだれにも伝わることがなく、いかなる本とも重なり得ない」という言葉を引いて、次のように言っています。
「作家の手元を離れた本は数千数万の読者に届きながら、数千数万とおりの内面の本となる。それらは一冊ごとに構成が異なり、各自の読書経験に固有のかたちで介入するためには、ほかの誰かにそっくり伝えることも不可能だ。自分の解釈や感想を書評にまとめようとしても、それは内なる本の一部でしかなく、書評を読み、書く行為もまた、もう一つの「内面の書評」を生み出すことだから。(中略)作家が読者に意味を伝えつくすことに失敗し、読者が作者の意図を把握しつくすことに失敗することで、本は本来より拡張した存在となる。」(『本と偶然』、213ページ)
そして「だとしたら書評を書くことこそ、失敗の危険を冒して初めて可能なことではないだろうか。読むことを試み、読むことに失敗し、時に誤読が拡張の可能性へと変貌する偶然の瞬間を期待しつつ、誤解と理解のあいだを行きつ戻りつしながら本に無数の意味を塗り重ねていくその作業を、わたしは喜ばしい気持ちで追いかけたい」と言います。この考え方が「読むこと」と「書くこと」をつなぐのです。私は作家ではありませんから、書くために読むということをいつもしているわけではありません。しかし、読者としての私も読みながら実は「内面で」書いていると思うのです(それを言語化するとこのような文章になるのですが)。そして私の場合、それはたいていチョヨプさんの言う「失敗」であると思いますが、そのことによって「本は本来より拡張した存在となる」という考え方にとても惹かれます。
『理解するってどういうこと?』の340頁以降にエリンさんの親友の「ブルース・モーガン」という先生のことが書かれています。チョヨプさんのような作家ではありませんが「情熱的で好奇心旺盛」な先生で、「建築、都市計画、アウトドア、環境、政治、社会的な公正さについての自らの強い関心を教室に持ち込む」先生です。エリンさんはモーガン先生の日常の振る舞いを丁寧に紹介した後、次のように言っています。
「でも、子どもたちには、もう一人のモーガン先生に出会ってほしいのです。子どもたちみんなに、彼のような情熱を持ち、人間の感情の意味を明確にして説明することを怖れない教師に触れてほしいのです。ブルースの教室で子どもたちが飛躍的に成長するのは、つまり学んだことを記憶して、それをどこかで応用できるようになるのは、いつもというわけにいかなくとも、自分たちが学んだ概念に感情的な意味づけをひんぱんに行っているからなのです。」(『理解するってどういうこと?』342頁)
この「感情的な意味づけ」をチョヨプさんも実行していて、『本と偶然』にはその姿も描かれています。先程引用した部分に示されているチョヨプさんの考え方に惹かれるのと同じように、彼女が自分の日常に示す「感情的な意味づけ」にも惹かれます。モーガン先生よりもずいぶん静かなかたちですが(これは多分に、エリンさんが語るモーガン先生と自ら語るチョヨプさんという書き方の違いであると思われます)。
チョヨプさんはSF作家ですが、もともと化学研究をしていた大学院生であったこともあります。その知識と経験をいかしてノンフィクション作家になろうとした時期があったとのこと。しかしSF小説で作家としてデビューすることになります。第一作品集『私たちが光の速さで進めないなら』にはその頃に書かれたSF小説をまとめたもので、私も日本語訳を2024年の末に読んで感銘を受けました。
 しかし、2018年に『だれも私たちに「失格の烙印」を押すことはできない』(五十嵐真希訳、小学館、2022年)を書いたキム・ウォニョンという作家の誘いで、障害学についての本を書くことになります。身体に障害をもつウォニョンさんから聴覚に障害を持つチョヨプさんに「互いに異なる境遇に置かれていながら、障害という少数性を共有するふたりの視差を示す」本を書こうという誘いでした。SF小説家としてデビューしていたチョヨプさんにもともと書きたかったノンフィクションを書くチャンスがめぐってきたのです。しかし、ここでチョヨプさんは小説を書くこととノンフィクションを書くこととの違いに直面します。
 SF小説を「世界の霧に覆われた地図と似ている」とするチョヨプさんにとって、ノンフィクションの世界は「霧のない地図と同じ」でした。だから「知らないことをごまかす」ことのできない分野です。最終的には『サイボーグになる テクノロジーと障害、わたしたちの不完全さについて』(牧野美加訳、岩波書店、2022年)として刊行されることになりますが、この本をまとめるまで苦難の道が続きます。本書の第1章後半にはこの本が出来上がるまでのチョヨプさんの内面のドラマが描かれていて、読みごたえがあります。
 「知らないことをごまかす」ことのできない分野で「障害学の観点で障害-テクノロジーの関係を再設定すること」というテーマに取り組んだチョヨプさんは、執筆に取りかかるまで膨大な「資料の海を手探りで漂う」ことになりました。
 重要な論文に出会い続け「霧のない地図」のなかで自らの問題意識や問いを「説明できるクリアな言語」を手に入れていきます。ところが、初稿に対する編集者の言葉は「語り口があまりにもドライだ」というものでした。チョヨプさんが編集者から言われた言葉が引用されています。
「読者が知的な刺激の向こう側、本の世界により深く入りこむには、自分を揺さぶる問題式やいつまでも解決しない悩みなど、もう少しむき出しの自分が見えたほうがいいのではないかと思います。ここで紹介しているさまざまなディベートの中心に、当事者であるご自身の経験と問題意識が組みこまれているといいのですが」(『本と偶然』101ページ)
 大切なことを気づかせてくれた編集者の言葉に応える試行錯誤がこのあとに詳しく書かれるわけですが、それは本書を手に取ってお読みください。チョヨプさんはその試行錯誤のなかで次のようなことに気づきます。
「初稿を何度も手直しし、経験を入れては取ってをくりかえすなか、徐々に原因が見えてきた。初稿が読者を引きこめなかった根本的な理由は、わたしの経験がどれくらい入っているかにあるのではなかった。書いているわたしでさえも、そこで紹介している多くの事例と自分の話を別個のものと考えていたせいだった。体験談が浮いているのも当然だ。わたしはここに至るまで、障害を自分のアイデンティティとして真剣に受け止めたことがなかったのだ。」(『本と偶然』105ページ)
 ドキュメンタリーを見たり、文献をさらに読み進めてそれらの著作物の助けを借りるということに自覚的になったり、研究者や編集者、共著者のウォニョンさんと対話したりすることによって「障害の経験」という「ゆるやかなつながり」を知ることになるだけでなく、チョヨプさん自身が障害を「自分のアイデンティティ」として受け止めていく過程が描かれていきます。チョヨプさんは「自分の書くものが自分のものであると同時に、だれかとともに書かれるものであることを知った」と書き、「わたしたちのめいめいの「知」が決してかけ離れたものではないのだと、だれしも自分の力だけで傑出することはできないのだと考えさせられた。そしてそれが、わたしたちにとっていかに幸せなことであるかを」と結んでいます(『本と偶然』113ページ)。
 自らの得た知識や経験に「感情的な意味づけ」をすることによって、「めいめいの「知」」がゆるやかにつながっていることに「幸せ」を覚えるチョヨプさんの世界認識に、この本を読みながら繰り返し私は惹かれています。大切な理解の種類の一つだと思うからです。

2026年2月13日金曜日

生徒が自走するための「WWミニレッスン冊子」 ―ライティング・ワークショップを支える、もう一つの実践

  江刺家先生の第2弾をお送りします。第1弾は、https://wwletter.blogspot.com/2025/11/blog-post.html

 

○なぜ、ライティング・ワークショップに「ミニレッスン冊子」を作ったのか

ライティング・ワークショップは、生徒が自分のペースで書き進めることができる自由度の高い学習です。その一方で、生徒によっては「何から手をつければよいのか」「今、自分はどこで立ち止まっているのか」が見えにくくなり、不安を抱く場面もありました。

そこで、一通りの流れや考え方をあらかじめ示しておくことで、書くことに苦手意識をもつ生徒の不安を和らげると同時に、得意な生徒が自分の判断で執筆を進められるようにしたいと考えました。WWミニレッスン冊子は、ナンシー・アトウェルが『イン・ザ・ミドル』で示している「教師がいつも教えている基本的な項目」を参考にしながら、生徒が「今、何を考えればよいのか」「次にどこへ向かえばよいのか」を判断するためのよりどころとして作成したものです。

 

○学ぶための心構えを共有する

16の思考の習慣・IB学習者像学ぶための心構え1

WWで期待すること学ぶための心構え2

WWのルール学び方の確認

ミニレッスン冊子の冒頭では、16の思考の習慣https://bit.ly/3XZmfbhIBの学習者像https://ibconsortium.mext.go.jp/about-ib/、ライティング・ワークショップで期待する姿勢やルールを示しています。これは、書く技術を学ぶ以前に、「どのような姿勢で学ぶのか」を生徒と共有しておきたいと考えたからです。

ここで示しているルールは、行動を管理したり統制したりするためのものではありません。安心して試行錯誤し、失敗しながら書くための約束事として位置づけています。生徒が注意される前に、自分で立ち返り、学び方を整えるための土台になることを意図しています。

「『イン・ザ・ミドル』の93ページを参考に一部変更したもの」

「『イン・ザ・ミドル』の96~97ページを参考に一部変更したもの」

 

○「書く手順」を説明するためのページ

④ 文章作りの参考に作家の言葉から書き方を学ぶ

⑤ メモ書きの法則アイディアの書き留め方、設定

⑥ 自分の題材を広げるために➡題材探し

⑦ 作家のサイクル➡活動の流れや作家としての在り方

書くことに苦手意識をもっている生徒は少なくありません。その際、「書けない」という状態を、能力不足として捉えないことを大切にしています。

「書けない」状態の分析や解決策については、多くの方が議論し研究されていると思います。ここでは、私が関わった生徒達の様子と私の実践をもとに書きます。

「書けない理由」

・書く手順を知らない

(① アイディア出し、②アイディアの分類、③順番を決める、④下書き、⑤本書き★)

・①~④をジャーナルやノートなどに書いていない。

・①~⑤までを同時に行っている。

・①の段階で自分への評価が厳しすぎて、アイディアが可視化されない★★。

以上のいずれかに当てはまることが多いため、生徒の実態に合わせて、ミニレッスンとカンファランスを繰り返すことで、能力不足ではないことを生徒に理解してもらいます。①のアイディア出しは「質問づくり」なども通して、他の場面でも「評価しない」ことを意識してもらいます。

 

メモ書きの法則や題材探し、作家のサイクルといった項目は、どこで思考が止まっているのかを、生徒自身が把握するための手がかりです。

ミニレッスン冊子を手に取ることで、「まずはメモを書いてみよう」「題材を広げてみよう」と、自分で次の一手を考えられるようになります。教師の助言を待つのではなく、自分で考え、動き出すための支援として機能することを目指しています。

 

○書く意味を問い直すための視点と構造

⑧ 物語の構造文章の構成

⑨ それで?の法則(テーマ)テーマの概念

⑩ 頭と心の法則テーマの概念、表現力の向上

テーマとは?テーマの概念の補足

一粒の小石の法則表現力の向上

よい題名とはタイトルの考え方

校正について校正の方法

作品のプロット(構造)の計画構造の着眼点

この部分では、文章をうまく仕上げることそのものよりも、「自分は何を書こうとしているのか」「それをなぜ書きたいのか」を考えることを大切にしています。物語の構造やテーマ、具体的な描写に関する考え方は、表現の技術であると同時に、書き手が自分自身と対話するための視点でもあります。特にそれで?の法則(テーマ)頭と心の法則テーマとは?一粒の小石の法則は自分と向き合うことによって理解、習得につながるものです。これらのほとんどは、『イン・ザ・ミドル』を参考にしています。

 

生徒は、「それで?」と問い直したり、「頭で考えたこと」と「心で感じたこと」を行き来したりしながら、自分が本当に伝えたいことを探していきます。テーマとは、あらかじめ用意された答えを当てはめるものではなく、書く過程の中で少しずつ見えてくるものだと考えています。

ここでは正解を示していません。どの視点を使うか、どこまで掘り下げるかは、生徒自身が自分の作品と向き合いながら選択していきます。ミニレッスン冊子は、作品を評価するための基準ではなく、書き手が立ち止まり、考え直し、再び書き始めるための支えとして位置づけています。

 

○ミニレッスン冊子があることで、教師が「言わなくてよくなったこと」

WWミニレッスン冊子を共有することで、毎回同じ注意や説明を繰り返す必要が少なくなりました。カンファランスの場面では、「この考え方を使ってみましたか」「ここに戻って考えてみてはどうですか」といった対話が生まれています。

ミニレッスン冊子があることで、教師は指示を出す立場から、生徒の思考に寄り添う立場へと自然に移行していきました。対話を減らすための道具ではなく、より深い対話を生み出すための装置として機能していると感じています。

 

○未完成であることを前提にしたミニレッスン冊子  

このミニレッスン冊子は完成形ではありません。実践を重ねる中で、項目は少しずつ書き換えられ、必要に応じて加えられていきます。生徒の書き方が変われば、ミニレッスン冊子もまた変わっていくものだと考えています。

教師自身もまた、学び手です。ミニレッスン冊子を更新し続けることは、授業を問い直し続けることでもあります。

「『イン・ザ・ミドル』の175ページを参考に一部変更したもの」

 

○おわりに

ミニレッスン冊子を整えたことで、教師が前に出すぎなくても授業が進むようになりました。生徒が自分で判断し、書き、振り返る時間が、少しずつ増えてきています。

WWミニレッスン冊子は、生徒を管理するためのものではありません。生徒が自分の言葉で考え、書き続けていくための支えとして、これからも実践の中で育てていきたいと考えています。

 

この書く手順について、編集者からの質問: これって、WWの書く手順でしょうか? それとも、作文教育の?

WWを始めた人たちは、基本的にWW/RW便り: 的な作家のサイクルと読書のサイクル か、WW/RW便り: フリーイティングを試してみよう! のアプローチが使われています。のアイディアの分類やにある「書く順番を決める」は使いません。理由は、書く前から書く内容が決まっているので、面白いものが書けないからです。それに対して、(特に、フィクションの場合は)筆に語らせる/キーボードに打たせるアプローチが取られます。江刺家さんが、下で「テーマとは、あらかじめ用意された答えを当てはめるものではなく、書く過程の中で少しずつ見えてくるものだと考えています」と書いているように。

江刺家先生の返答: これは、作文教育における課題です。ただ、アイディアの分類や順番を決めることについては、WWの中でも必要だと感じます。ただし、教師が書くもののテーマや内容を定めるという意味ではありません。子どもが自分の考えていることがどういうことなのか理解(分類)すること、考えたことをどんな順番で組み合わたり、並べたりするかは大切なのだと思います。
その過程(考えていることを書き留める、筆に語らせる)で、面白いものが作られていくと考えます。

★★この「アイディアが可視化されない」について編集者の質問: この意味が、いまいち理解できません。

江刺家先生: 自分の考えに対する評価が厳しいと、ノートなどにメモをすることも躊躇してしまい、頭の中で却下してしまう子どもが多いです。客観的にみると興味深いものもたくさんあるので、可視化してみると書くヒントになります。

2026年2月6日金曜日

「読書家の時間」の環境

 関西大倉中学校高等学校・堀内誠太郎先生の実践(WW/RW便り: 堀内先生の実践)紹介の第3弾です。

  *****

 本稿では、本校における「読書家の時間」をどのような環境で進めているかをまとめます。授業を行う空間である教室の環境、生徒の学びを支える授業冊子と読書記録という道具、そして人的環境として司書教諭との連携、以上3点について記します。

教室環境

 本校では2022年に新たな大規模図書館が完成しました。この図書館で「読書家の時間」をやり始めた当初は、図書館のどこから本を探してきてもいいし、どこで読んでいてもいい、という形にしました。しかし、これは失敗でした。5万冊近くが並んでいる本棚から自分に合った1冊を選ぶというのは生徒にとって難しすぎました。また、教師が図書館全体を見渡すことができないので、本を読むのに消極的な生徒が教師の死角に集まっておしゃべりに興じるようになり、私は図書館のあちこちでモグラたたきをしているような状態になりました。

 そこで、本棚も読む場所も限定しました。図書館内部に大きめの教室があるのですが、今は本を選ぶのも読むのもその教室内で完結する形にしています。教室内の本棚に、「読書家の時間」に適した本を集めて並べました。学期によって小説限定にしたりノンフィクション限定にしたりするので、それに合わせて教室内に並べる本も入れ替えています。ミニレッスンの内容に合わせて「『平家物語』特集」「『子どもの権利』特集」などのコーナーも特設しています。また、昨年度の生徒がブックトークした本を並べたり、書いたレポートを展示したりして、先輩から後輩へと学びやオススメ本が伝わるようにデザインしています。

 机と椅子は全て前向きに並べて、静寂の中で読み浸る時間を過ごせることを優先しています。生徒がよりリラックスした姿勢でゾーンに入れるように、教室内に畳を敷いたりソファを置いたりするかは、今後の検討課題です。

授業冊子(紙)と読書記録(Googleスプレッドシート)

 「読書家の時間」をやっていく中で、日常的に書かせたいのが「チェックイン」と「読書記録」です。「チェックイン」は、各生徒のその日の活動を教師が把握するため、「読書記録」は生徒自身が自分の読書傾向や読書量を把握するために書きます。この2つを生徒はよく混同して、こちらが「チェックインして」と指示したら読書記録をつけ始める生徒がいるので、たびたび注意する必要があります。

 この2つをどういう形で書いてもらうかについてはかなり慎重に検討しました。いちいち書くという行為を面倒くさく感じる生徒は少なくありません。できるだけ生徒にとって負担が少なく、かつ我々がチェックしやすい形を模索した結果、紙の授業冊子(紙)と読書記録(Googleスプレッドシート)の2つを使う形にしました。

 まず、授業冊子の中には、次のページがあります。時にはノートに書かせたいこともあるのですが、冊子の他にノートも持たせるのは煩雑なので、冊子の中にノートのページもできるだけ多く入れて、1冊で完結するようにしました。

  • 読書家の皆さんに期待すること

  • 「読書家の時間」のルール

  • ジャンル一覧表

  • チェックイン表(4ページ分)

  • 読みたい本リスト

  • ノートのページ(20ページ分)

  • 各学期の自己評価シートを貼るページ

冊子の表紙には10,000ページを目指してキリ番を達成したらシールを貼る場所を作っています。10,000ページ達成者にはキラキラの大きなステッカーを貼って祝福します。この冊子は毎回授業終わりに回収し、次の授業の始めに返却します。生徒は「読書家の時間」に参加するためにホームルーム教室から図書館へと移動してくるので、ホームルーム教室に置き忘れてくるリスクを避けるためです。この冊子の中で最もよく使用するのはチェックイン表ですが、チェックインをするのは授業のときだけなので、生徒が冊子を教室に持って帰らなくても特に困ることはありません。こちらがチェックしやすいように、チェックインしたらそのページを開いたままにして「読み浸る時間」に入るようにしてもらっています。私は彼らのチェックイン表を見ながら「前回読んでいた本はどうしたの?」「読書記録はつけた? 評価は10段階でいうといくつ?」などと話しかけてカンファランスしていきます。


 もう一つの書くべきもの、読書記録については紙ではなくGoogleスプレッドシートを使用しています。それには次のようなメリットがあります。

  • 生徒各自の端末からアクセスできるので、授業内でも授業外でもどこでも記入できる(特に長期休暇中の読書に最適)

  • 本のジャンルはプルダウンで選べるようにしているので、生徒にとってわかりやすい

  • 累計ページ数は数式によって割り出されるので、読んだページ数を足し算することに時間を取られない

  • 教師もいつでも生徒の読書記録を見ることができる

読書記録を紙に書いてもらっていたときは、面倒くさくて書きたがらない生徒がそれなりにいましたが、スプレッドシートを使うようになってからは全ての生徒が(時間さえ取れば)読書記録をつけるようになりました。

 読書記録は生徒が自身の読書量・読書傾向を把握するためのものですが、これを見ることで教師も、何冊読んでも評価がすべて「8(同じ数字)」の生徒、ジャンルを理解していない生徒、中断ばかりで1冊も読了できていない生徒など、声をかけるべき生徒を見つけることができます。



2026年1月31日土曜日

飾り気のない素朴なことばに打たれる ~中野鈴子の詩を読む~

[時々、投稿をお願いしている吉沢先生に、今回の投稿をお願いしました]

 今回の投稿でどんな詩を紹介しようかと考えながらアンソロジーを読んでいて、ふと、中野鈴子さんの詩に目が留まりました。高校生の時に国語の授業で中野重治を知り、何編か小説や詩を読みましたが、妹の鈴子さんのことは知りませんでした。何年か前に、中野鈴子という詩人を知り、心を揺さぶられたことを思い出しました。洗練された表現があるわけでもなく、ただ自分の身に起こった出来事を素朴な言葉で述べているだけなのに、ずしんと私の心に響いてきたのです。

 次の詩です。

 

花もわたしを知らない1
                 中野 鈴子
春はやいある日
父母はそわそわと客を迎える仕度をした
わたしの見合いのためとわかった

わたしは土蔵へかくれてうずくまった
父と母はかおを青くしてわたしをひっぱり出し
戸をあけて押し出した ひとりの男の前へ

まもなくかわるがわる町の商人が押しかけてきた
そして運ばれてきた
箪笥 長持ち いく重ねもの紋つき
わたしはうすぐらい土蔵の中に寝ていた
目ははれてトラホームになり
夜はねむれずに 何も食べずに
わたしはひとつのことを思っていた
古い村を抜け出て
何かあるにちがいない新しい生き甲斐を知りたかった
価値あるもの 美しいものを知りたかつた,

わたしは知ろうとしていた

父は大きな掌(て)ではりとばしののしった
父は言った
この嫁入りは絶対に やめられないと

とりまいている村のしきたり
厚い大きな父の手

私は死なねばならなかった
わたしはおきあがって土蔵を出た
外はあかるかった
やわらかい陽ざし
咲き揃った花ばな

わたしは花の枝によりかかり
泣きながらよりかかった
花は咲いている

花は咲いている
花もわたしを知らない
誰もわたしを知らない
わたしは死ななければならないt                          
誰もわたしを知らない
花も知らないと思いながら

 

何年かぶりに読み返してみて、やはり、いい詩だなと思いました。作者は実業学校を卒業し、二度の見合い結婚をしたのは大正末期から昭和の初期だと推測されます。親の意向で望まない見合いをさせられることの多い時代でした。そのような時代に生きる作者の悲しみが、まっすぐに私の心に響いてきます。


何がそうさせるのでしょうか。私は、次の4つのことに注目したいと思います。

 

一つ目は、「~は・・・した/しなかった」「~は・・・だった/ではなかった」

という語り口です。

 

わたしは土蔵へかくれてうずくまった

 父は大きな掌ではりとばしののしった

それは事実をそのまま差し出す語り口です。比喩をほとんど使わず、飾らずに淡々と語っています。

 

二つ目は、一つ目と関係していますが、感情について説明していないことです。

 

父は言った
この嫁入りは絶対に やめられないと

「つらい」「悲しい」「いやだ」「腹がたつ」などの、感情を表す言葉を使っていません。出来事をそのまま置いていく。そのことで、作者の感情の重みがストレートに読み手に伝わっていくように思います。

 

 三つ目は、自分の欲求を、ためらうことなく表出する、力強い言葉です。

 

古い村を抜け出て
何かあるにちがいない新しい生き甲斐を知りたかった
価値あるもの 美しいものを知りたかつた,

 

「私は~したい」ということを、明快に言い切る姿勢に、私は作者の芯の強さを感じます。世間は何と言おうと、自分の望みを引っ込めることはしないのです。

 

 四つ目は、第六連から第八連で表現されている、「花」との対比です。「外は明るかった」「やわらかな陽ざし」「咲き揃った花」。いずれも、明るい、前向きのイメージを伝えています。その言葉に対して、作者の「死ななければならなかった」という暗く悲痛な思いが対比されています。花が美しく、世界が明るければ明るいほど、作者の心の中の叫びは、悲痛なものとして伝わってきます。

 

 作者は諦めてはいない、と思います。「花もわたしを知らない」というフレーズを繰り返しながら、その場に立っています。

 

 

中野鈴子は、の1909年(明治39年)、福井県で生まれました。小説家で政治にも携わった中野重治の妹です。実業学校を卒業後、郷里で二度、見合い結婚をしますが、二度とも離婚し、23歳で、兄を頼って上京し、プロレタリア運動の影響を受けて詩や小説を発表しました。

時代背景は違いますが、飾り気のない素朴な言葉に私は打たれます。多くの人に知ってほしい詩人の一人です。★2

 

1 高橋順子編 『現代日本女性詩人85』 新書館, 2005

2 中野鈴子の詩は、『中野鈴子全詩集』『中野鈴子著作集』という形でまとめられていますが、いずれも絶版です。ただ、いくつかの詩は青空文庫で読めます。また、中野鈴子の詩を朗読しているサイトがあり、YouTubeで見ることができます。