2020年8月28日金曜日

メンターとメンター・テキスト ~ 子どもたちは誰から/何から学ぶのか?

Engaging Literate Minds(本づくり)の第3弾です。マークさんが第4章の下訳を送ってくれたので、そのエキスを紹介します。それは、下の写真に象徴されています!

 クラスの中に貼り出された「書き出しの技」とタイトルがついた掲示物が、それを象徴しています。『みんなからみえないブライアン』で有名なトルーディ・ラドウィッグや、『クリフォード』シリーズの作者として有名なノーマン・ブリッドウェルと並んで、クラスの2人の作家たち(名前は消されています!)の例も紹介されていることが分かります。

 第4章は、次のような形で始まっています。

 「さあ、作家の皆さん、集まりましょう」とメリー・コマール先生が声をかけ、2・3年生がカーペットの上に集合します。10月のある日、授業でクラスのみんなに学びを提供するメンター(先生)は2年生のポールです。彼の作品『スイーキー (Sweekey) 』がホワイト・ボードに映し出されています。彼の書いた本が多彩な作家の技を使っており、何人かのクラスメイトが彼の本について語り合っていたので、コマール先生は彼に作品をクラス全体で共有するようにお願いしました。作家としてのポールの「声(voice) 」が作品の文章からよく聞こえること、そして彼が他の作家の多くのテクニックを応用したことがみんなを感動させていました。

ポールはここ数週間、読む時間と書く時間にモー・ウィレムズの『ハトに夜ふかしさせないで(Don’t Let the Pigeon Stay Up Late!)』などの作品に没頭していました。ウィレムズの本が面白く、読者を強く引きつける力を持っているとポールは感じて、自分も同じように読む人の心を動かすにはどうしたらよいか考えていました。みんなへの発表ではまず、「僕はウィレムズのハトのシリーズの本の書き出しと同じような書き出しを書いてみました。ウェレムズのハトのシリーズの始め方はぞうさんぶたさんシリーズの書き出しと違います」と明しました。書き出しの技はクラスで話し合ったことがありましたが、このような書き出しはまだ話し合ったことがありません。

 2年生が、本物の作家と同じような話し方ができてしまっています!!

 その背景には、いろいろなことが詰まっているのですが(それは、ぜひこの本の出版をお楽しみに!)、何よりも大きいのはポールが自分を作家と捉えていることです。そして、自分の本を書いていることです。(それがないと、教室で学ぶ読み・書きはきわめて薄っぺらなものになってしまいます。単に、教師が教科書をカバーする授業が続き、読むことも書くことも好きになれず、読む力も書く力もつかない状態が続くことを意味します。)逆に、「自分も同じように読む人の心を動かす」作品を書きたいという強い動機があると、それを実現するために助けになるものを自ら探し、子どもたちはスポンジのようにたくさんのことを吸収するのです。「助けになるもの」は、プロの作家の作品だけでなく、身近にいる教室の中の他の作家たちも含まれます。(あなたも、そういう授業をしてみたいと思いませんか?)

 通常は、5~10分のミニ・レッスンが、この日はポールが先生役をして40分も続いてしまった内容が詳しく紹介されています。そして、クラスの子どもは明らかに興奮していて、自分の作品を書く時間が再開すると熱心に自分の作品に取り組みました。その日の話し合いは数週間も子どもたちの作品や会話に波及しました。(教師が教科書をカバーするような授業で、このような効果が得られることはあるでしょうか?)

 授業の仕方というか、進み具合にも大きく影響します。

これは「スパイラル・カリキュラム」のようでもありますが、本づくりの「イマージョン・カリキュラム」のようでもあります。そして、子どもは読むことや書くことにおいて何が常識なのかを吸収していきます。一人で書く場合も、誰かと協力して書く場合も。教師は子どもと協力し、子どもの考えを組み込みながらカリキュラムを構築し、それぞれの子どもにとって個人的に意味義がある内容としていくのです。(実際の本を出版するまでには、「スパイラル・カリキュラム」や「イマ―ジョン・カリキュラム」も分かりやすいようにしたいと思います。)

ポールの先生は、次のようにも語っています。

 記録によるとポールは『スイーキー』 を7週間ほどかけて書き、その後12週間手を付けずに置いてから再開して仕上げました。モー・ウィレムズの作品に詳しい人はすぐに分かると思いますが、ポールはウィレムズをメンターとしています。『スイーキー』 はとても大きな作品で、細かい創造的な要素が多く見られます。このような作品を一回の授業で作らせたり、期限を教師が設けて作成させても完成しないでしょう。(「スパイラル・カリキュラム」や「イマ―ジョン・カリキュラム」という名称を使っている背景が、この辺に表現されています!)

 教師や教科書の都合で教えるのか、それとも、一人ひとりの子どもの都合やペースで学んでいくのかの違いは、とてつもなく大きいです!!

 

★このカリキュラムに関しての部分は、あと1か月ぐらいで出る予定の『「おさるのジョージ(Curious George)」を教室で実現――好奇心を呼び起こせ!』(ウェンディ―・オストロフ著)の18ページに書いてある、次のことと関連するというか、ほぼ同じと言えます!! というか、第4章でコマール先生が実際にして見せていることが。

 教師が共に学ぶ存在であるとき、生徒が教室にもたらす知識や見識は、教師と同じくらい学ぶ価値のある重要なものとなります。教師が共に学ぶ学習者であるからといって、子どもたちが収拾のつかないほどの多様な質問をしたり、いたずらが生じたりしたとしても、当初の授業計画を「お払い箱」にする必要はありません。とはいえ、子どもたちに好奇心を追求してもらうことや、知りたいことを理解して、調査や探究の結果を得るための方法を示すことを目的として、カリキュラムのかなりの部分を計画する必要があります。

教師が果たすことのできるもっとも価値ある役割の一つは、子どもたちが自分の好奇心をもっと自覚し、それについて熟考することができるように支援することです。

 この本も、要チェックの内容が盛りだくさんです!!