2011年7月29日金曜日

自分が書いた中で、一番好きな作品の理由

 「私は言語使用に関する規則は知らないし、読点をどこに置くべきなのかも知らない。<中略>でも、書くときに自分の心をどこに置くのかは知っている」

 上の言葉は『ライティング・ワークショップ』の中で、ナスティジという作家の回想録の中で書かれた言葉ということで、登場します。

 そして、そのあと『ライティング・ワークショップ』では次のように続きます。

「このナスティジの言葉は、書くことを教えるときに教師がなすべきことと共鳴しています。結局のところ子どもたちにとって大切なのは、教師が教えたヒントや技法よりも、教師自身の書くことへの情熱と、書き手としての子どもたちを信頼することなのです。」

*****

 この言葉は言葉としては分かるのです。しかし、最初にこの言葉に出合った頃は、なんだか、納得のいかない気持ちも、どこかにありました。というのは、私はミニ・レッスンを考えるときには、ヒントや技法を一生懸命、考えていたからです。

 しかし、今年の夏休み前の最後のWWの授業で、生徒たちが、上の言葉を納得させてくれました。

 皆様は、夏休みの前のWWの授業はどのようにされましたか?

 私は「作家の日」プラス「作品の簡単な自己評価」にしました。

 簡単な自己評価というのは、「自分の書いた作品の中で一番気に入っている作品とその理由を書いてもらう」という、ごく短時間の評価でした。

 上のことは、自己評価力をつけるつもり、で行いました。また、それぞれが自分の作品(群)をどう見ているのかも知りたいと思いました。

 しかし、その自己評価から見えてきたものは、(1)それぞれがどういう書き手になのか、(2)私が教えたことの中でどの点が意識されているのか(つまり私の教えたことへの評価)、この二点でした。

 それで、その2点目をもう少し知りたいと思い、自分でミニ分析をすることにしました。約20名分ですが、自分がなぜその作品を一番気に入ったのかというコメントを表にしてみました。そして、その横に、コメントから見えてくるポイントをいくつか書き出していったところ、次の2点に関わるコメントが頻出していることが分かりました。

 ① 読者

(→ 読者を意識して書けたから、とか、読者からの反応がよかったから等。なお、この場合の読者とは、クラスで自分の作品を聞いてくれたクラスメートのことです)。

 ② 自分の書きたいことに取り組み、書くことができた

( → つまり、英語でいうところの voiceです。5月21日のブログに書いた「書き手の思い、書き手らしさが伝わってくる声」がある作品にできたということです)。



 今学期、ミニ・レッスンではもちろん、ヒントや技法、そしてもちろん言語項目や校正もけっこう取り扱いました。おそらく来学期も扱うと思います。

 しかし、書き手の自己評価を見ているときに、ナスティジの言葉がそうなんだと納得できました。

 となると、来学期の準備の中に「自分の書き手としての成長」がはずせなくなります。今の私には、5月14日のWW便りの真ん中あたりで登場した、ドナルド・グレイヴスのアドバイスが、現実的ないいアドバイスです。

出典:

『ライティング・ワークショップ』(ラルフ・フレッチャー、ジョアン・ポータルピ著、新評論、2007年)。上の言葉が出てくるのは156ページです。

2011年7月23日土曜日

マレーの修正の3つの段階

 前回、最後に紹介したマレーの具体的な修正の方法は、全部を一回でやるのではありません。

 彼は、少なくとも3段階に分けてやっているそうです。★


第1段階: 書いている内容のみに焦点を当てる。これだけで、数回を要する。

第2段階: 全体の流れ・構成・順番についての検討。これも、一回のみでは終わらない。

第3段階: 従来は「校正」と呼ばれている言語事項や語句のチェック。読み手にとってわかりやすいことと、読み手の耳にやさしいことが大切なので、この段階では声を出して読むそうです。これも一度だけでなく、数回やるにこしたことはありません。

 もちろん、マレーがしていたとおりを真似る必要はありません。これを参考にして自分にとってのベストの方法を編み出してください(子どもたち一人ひとりが自分のベストの方法を作り出すのをサポートしてあげてください)。


★  Donald Murray, Crafting a Life in Essay, Story, Poem、140ページ

2011年7月22日金曜日

修正の大切さとその方法

 WW(作家)の時間は、本物の作家やジャーナリストたちがしているように、題材探し・下書き・修正・校正・出版のサイクルを繰り返し体験していきます。★


          (出典: 『作家の時間』プロジェクト・ワークショップ編著、91ページ)

 このサイクルの中で、何が一番大切か?

 あえて言えば、前回とのつながりだからというわけではないのですが、修正でしょうか

 これまでの作文教育になれてしまうと、題材探しや出版はそれなりにすんなり受け入れられても、修正の部分が一番受け入れにくい、という先生たちの声を聞くからでもあります。その大きな理由は、これまでの習慣で、下書き=清書の一歩手前の感覚で下書きが存在するので、修正をやりたくない子が多いというのです。その背景には、書き直しはまずい文章をよくする、というイメージが付きまとっているからのようです。(誰も、自分の書いた文章がまずいとは認めなくない?!)もう一つは、校正と混同されていることもあります。

 日本語の「修正」と「推敲」に若干問題があるのかもしれません。修正は「よくない点を改めること」「手を加えて、直し整えること」、推敲は「文章を書いた後、字句を良くするために何回も読んで練り直すこと」と、一般的には理解されています。後者のニュアンスは、すでにできている文章に磨きをかける感じです。ちなみに、「推敲」を和英辞典で調べたところ、re-visionという言葉が出てくるのもありましたが、中心はpolishingや improvementでした。

 私たちは英語のre-visionの訳として「修正」を選びました。Re-visionには、もう一度、自分が書きたいことを見る、作り出す、再発見する、明確にするという極めて前向きな意味が込められています。だからこそ、この過程がとても大切なわけです。しかしながら、日本語の「修正」にはそういうニュアンスが残念ながら弱いというか、ないのかもしれません。

 修正をもう一度、自分が書きたいことを見る、作り出す、再発見する、明確にすることと捉えると、その前の下書きはこれまでよりも肩の力(頭の力?)を弱めて、気楽に書いてもよくなります。何回か繰り返す修正のあくまで下書きですから、あまり文章の流れ(構成)や語句や言語事項などを気にせず、頭に浮かんだことを書き出す段階と位置づけられます。間違っても、清書の一歩手前ではありません

 自分自身がジャーナリストであり、作家でもあり、そして教育の世界に作家のサイクルを導入した一人でもあるドナルド・マレーは、修正をする際の具体的なヒントとして以下のような点を挙げてくれています。★★
   ・全体を読んで、欠けている部分を探す。
   ・声を出して読み、意味が通じるか確認する。
   ・いい部分は、さらに伸ばす/膨らます。
   ・省ける部分はカットする。短くできれば、それに越したことはない。
   ・読み手が持つであろう疑問・質問を考え、それらに答えているか確認する。
   ・文の流れについては、理解できるようにゆっくりするところはゆっくりし、読み手が作品から目を離さないように飛ばすところは飛ばすようにする。


★ もちろん、すべての題材や下書きを修正したり、校正したり、出版する必要はないのですが。
★★  Donald Murray, Crafting a Life in Essay, Story, Poem、141ページ

2011年7月15日金曜日

「締切りの活用」と「修正は繰り返し」 

 今日のWW便りは、「締切りの活用」と「修正は繰り返し」です。 

 まずは「修正は繰り返し」から、書きます。 

 WWで教えながら、私の教えている生徒の多くは、「提出して終わり」、つまり「第1稿がほとんど最終稿」で、今までの作文の授業を過ごしてきたんだな、と感じることが、けっこうあります。 

 さて、このWW便りでも何度か紹介しているドナルド・マレー氏は、修正とは、書く過程に存在する、ある一つの独立した部分ではないことに、あるとき、気付いたと、言います。 

 そうではなくて、修正とは、(その後に)校正する価値がある文(つまり、読んでもらうのに耐えうるもの)ができるまで、必要なだけ「何度も何度も繰り返す」という、(書く)過程だ、と考えています。

 もちろん、その「何度何度も繰り返す」過程の中で、そのとき、そのときで、「情報を集める」、「計画する」、「発展させる」など、修正の方法や修正の焦点が異なります。 

 マレー氏は、修正の過程で、生徒が自分に尋ねてみるといいのでは?というチェックリストも紹介してくれていますので、そこから修正の焦点・方法を、いくつか紹介します。 

○ 情報は十分か。
→ もしそうでなければ、「情報を集める」ことが必要 

○ 一つのことを語っているか。「この文は何を意味するの?」という質問に答えられるか。 
→ もしそうでなければ、(構成を)「計画する」ことが必要。

○ 読者が満足できるように情報を提示できているか。 
→ もしそうでなければ、今ある情報を「発展させる」ことが必要。

***** 

 さて、修正の大切さが分かっても、実際に「書く」ことを行わなければ、どこにも行き着きません。 

 WWでは、自分の作品を、どのジャンルで書き、どのくらいの長さにし、どのくらい時間をかけて仕上げるのか、というのは、書き手である子どもたちの選択にゆだねられることが多いです。

 この選択を活かして、子どもたちは自分の取り組みたい題材に力を注ぎつつ、書き手として成長していきます。

 その中で、絶対的に大切なのが、当たり前のように聞こえるかもしれませんが、「書く時間」です。

  『ライティング・ワークショップ』の中では、書くことの第一人者であるドナルド・グレイヴスに向かって、「もし、1週間に一度しか書く時間がとれないとしたら、どのように教えるべきでしょうか?」と尋ねた教師に対して、グレイヴスが以下のように答えたことが紹介されています。

 「週に一度しか教えられないのであれば、やめたほうがよいですね。<中略> 週に一度の授業では、子どもたちは書き手にはなれません」 

 実は、私のWWの授業は週に一度しかないのです(教える学年があがってくると、私のように、週に一度しか時間が確保できない先生もいらっしゃるのではないでしょうか?) 

 そして、書き手としての自分を考えたときに、書き手として自分がなかなか成長できないのは、やはり書く時間が少ない、ということに尽きるように思います。 

 私の生徒にしても、私にしても、書き手として成長できるかどうかのカギは、書く時間の確保だろうと思います。

 生徒の場合は週に一度しか授業時間が取れないという問題。 私の場合は、日々の忙しさに取り紛れてしまい、なかなか継続的に書く時間が取れないという問題。 

 さて、どうしましょうか。 

 まずは、書き手としての自分(教師)が、解決策を考えて、それを試してみる必要があると思います。 

 そのための一つの方法は、「締切りを設けて、締切りを活用する」ということだろうと思います。 

 締切りというのは、WWになじまないように思われるかもしれません。 もちろん、「全員が今週は下書き、来週は2章まで書く、さ来週は構成、その次の週が校正」というような、一律の締切りは、WWではまず使われないと思います。 

 しかし、それぞれの書き手が、「書く時間を確保」するために、それぞれに自分の生活の中に締切りを設けて、それを活用する、ということは、私はWW的にも、「あり」だと思っています。 

 上で紹介したマレー氏は、「たとえば、1日で(あるいはある時間で)○ページ書く」というような「締切り」を自分に課すのをやめたときに、自分は書くことをやめてしまう、ともいっています。

 また締切りというのは、「最終原稿」を仕上げる日だけではありません。

 「最終原稿を○月○日までに仕上げる」ということは、毎日の生活の中ではむしろ見えにくい印象を持ちます。 マレー氏の文を読んでいると、毎日の生活の中で見えにくい締切りを持つよりも、(その目標に向けて、まずは)「毎日○ページ書く、毎日○時間書く」というような、「毎日の生活」の中で目に見える締切りがないと、「書く時間」の確保にはつながらないということではないか、と私は思いました。

 最終の締切りだけを生徒に提示しても、前日に慌てて仕上げようとするだけで、日常的に書く時間が増えることにはつながらないのかもしれません。それと同じなのだろうと思います。

  「先生も皆さんも書き手です。書くことの大変さや苦労も一緒に乗り越えていきましょう」というメッセージが、『ライティング・ワークショップ』にでてきます。

 このメッセージを子どもたちに伝えられるように、まずは教師が、自分の生活のなかで書く時間を増やすために、この夏、日々の生活の中に、目に見える締切りを設けることを、試してみるのはいかがでしょうか?

出典:

Donald M. Murray の A Writer Teaches Writing, Revised Second Edition, (Thomson, 2004)で、修正は繰り返しについては56-58ページ、締切りについては52ページに書かれています。

『ライティング・ワークショップ』(ラルフ・フレッチャー、ジョアン・ポータルピ著、新評論、2007年)より、ドナルド・グレイヴスの上で紹介した言葉が出てくるのは19-20ページです。「書き手として一緒に」という上の言葉が出てくるのは43ページ。42-43ページでは、教師が子どもと一緒に書く、教師が書く姿を見せることの大切さが強調されています。

2011年7月8日金曜日

「人について書く」というユニット 

 前回のWW便りでは、自己紹介という題材について書きました。その拡大版?で、今回は「人につ
いて書く」というユニットについて書きます。

 先日、詩をパラパラ見ていました。その中に小学生向きの詩があ り、もし、我が家
の犬が言葉を話せれば、お父さん、お母さん、自分などに向けて、それぞれに、こう
いうことを言うだろう、という ものがありました。

 これを読んでいて、そうか、「飼い犬の口から家族を語らせる」こ とも可能なんだと
思いました。

 これは自己紹介というよりは家族の紹介です。

 家族だけでなく、他の人を紹介する文を書くということは(たとえば、 新しく赴任
した先生を紹介するなど)、現実生活でも時々必要とな る、ひとつの分野だと思います。

 自己紹介、自分の家族の紹介、他の人の紹介など、「人について 書く」というユニ
ットをWWにつくるのもいいのではないかと思いました。

 その理由は、二つあります。

1)まず一つ目の理由です。いろいろなジャンルやスタイルのメン ター・テキスト
が、さがしやすいので、何かについて書くときに、 いろいろなジャンルやスタイルが
あること提示しやすいというメ リットがあることです。
これを活かして、「書き手と
いうものは、ジャン ルやスタイルを選択することが必要だ」ということを教えるの
に、 いいユニットになると思います。

 私は英語の教師なので、どうしても英語のWWでのメンター・テ キストを考えてし
まいますが、少し考えただけで「人について書 く」ユニットのメンター・テキストと
して、以下のことが浮かびました。

 自分のことを、ある切り口で書いた詩。(これは前回のWW便りをご覧ください)。

 自分の家族のことを、第3者の口(たとえば、家族の飼って いる犬)から語らせる詩。

 自分のあこがれの人、マイケル・ジョーダンについて書いている詩

 歴史上の人物、ハリエット・タブマンについて書いている詩 

 詩は短い時間で紹介できるというメリットがありますが、詩だけ に限っても上のよ
うに、いろいろとあります。

 詩以外で、頭に浮かんだのは、アメリカの大学のホームページの 中で、在学生を何
人かを、かなり詳しく紹介しているページです。(→ 紹介されている人によっ て、
書かれている情報はかなり異なります。)

 また、出版されている本に載っている著者紹介も、長いもの、短 いもの、フレンド
リーな感じのもの、フォーマルな感じのもの、と とりまぜて紹介するのもいいかもし
れません。

 上記のように、少し考えるだけでいろいろなメンター・テキストが浮かびますので、 「作家が行う選択」
というテーマも、教えやすいと思います。

 (「作家とは選択をするもの」ということは、早めの段階で教え ておいてもいいこ
とのように思います。この点については、『ライ ティング・ワークショップ』53-
54ページで、「作家には決断が必要です」ということが書かれています。
この「決断」をジャンルやスタイルという点から教えるのに、このユニットはいいように思います。

2)二つ目の理由は、お互いを知ることの助けになることです。

 自己紹介だけに限定せずに、「人について書く」と範囲を広げることで、自分にあ
った、自分の安心できる自己開示 を自分で選択できる、というのも悪くないのかなと
も思います。 

 誰について、どんな切り口で書こうとも、その生徒自身やその生 徒が関心や関わり
をもっている人について知ることができるので、教師に とってもプラスだと思います。

 一人一人の生徒に対して、理解しようという気持ちは、WWでは大きいと思いま
す。書き手としての生徒を、一人ひとり知ることは、一人ひとりを個人レベルで(あ
るいは同じ課題をもっている生徒を小グループで)教え サポートしていくカンファラ
ンスの土台の一部ともいえます。

*****

* 本日の題に書いたユニットというカタカナですが、「単元」と訳されることもあ
ります。ただ、単元というと、「教科書ベースで、それをカバーする」イメージもあるよう
にも思いますので、カタカナのまま「ユニット」と書きました。

* 本日のWW便りは、前回のブログに対して、以下のコメントをいただいたことがきっ
かけで、書けました。ありがとうございいました。

「自己紹介」をすべてのジャンルをそろえて
学年の早めの段階でやってみるというのは
いい考えかもしれませんね。

生徒たちのことを知れる(生徒相互に知れる)
だけでなく、ジャンルの多様さも提示できます
から。

出典:

○ 自分の家族のことを、第3者の口(たとえば、家族の飼って いる犬)から語らせ
る詩は,
Kirk Mannの書いた If Dogs Could Talk で、Perfect Poema with Strategies
for Building Fluency: Grades 3-4
(Scholastic, 2000)に載っています。


○ 自分のあこがれの人、マイケル・ジョーダンについて書いている詩は Jay Spoon
 が書いた
A Sestina for Michael Jordan で、この詩はNancie Atwell のNaming the World
(Heinemann, 2006)に載っています。

○ 歴史上の人物、ハリエット・タブマンについて書いている詩は、Eloise
Greenfield の書いたHarriet Tubman で、この詩は、Eloise Greenfield のHoney,
I Love and Other Love Poems
(Crowell, 1978)に載っています。

○アメリカの大学のホームページの 中で、在学生を何人かを、かなり詳しく、紹介し
ているページについては、例えば、
http://www.semo.edu/spotlights/students.htm
ご覧ください。

2011年7月1日金曜日

古くて新しい題材: 自己紹介は面白い?

 学期もだいぶ進んできましたが、今頃になって、なぜかWWの題材として「自己紹
介」を書く生徒が何人かでてきました。

 私としては、「なぜ今頃自己紹介なの?」と、少し不思議な気もしました。とはい
え、数名の生徒が自己紹介を書いているので、カンファランスで、自己紹介のいくつ
かの切り口を教えようと思いました。

 詩をつかってWW(やRW)を教えることの魅力にかなりはまっている私は、さっそく、自
己紹介という題材を書くために助けになりそうな、いくつかの詩を思い出しました。

 まずは 『悲しい本』の著者、マイケル・ローゼンが書いた詩集で、Michael
Rosen's Scrapbook
という本の中にある For Naomi という題の詩です。

 この詩では、自分の父親像を描いています。

 「自分は、子どもからすると、一緒にいるところを見られたくない」親であると述
べたあとで、どんな親かという描写をしていきます。

 どんな親かという描写のところは、who のあとに、各行に一つずつ具体例が続いて
いきます。その具体例は、各行、3~5単語ぐらいなので、とても理解しやすいし、こ
んなに短い表現でいろいろと言えてしまうこともよく分かりますので、英語に苦手意
識のある生徒にも、いいと思いました。(例えばいくつか例を挙げると、eats
pizzas in the street とか has long hair などです)。

 この詩の場合は、「父親像」ですが、何か自分の一部に焦点をあてて、その行動を
描写することで自分の一部を紹介する・伝える、という方法を教えるのに、いいメン
ターテキストだと思いました。

 それ以外にも、いろいろな形の自己紹介があるね、という話をカンファランスでし
ました。

 この詩では、自分の行動がずっとリストのように並んでいますが、リストそのもの
を使っての自己紹介もできます。

 リストも、「ほしいものリスト」、「新年の決意リスト」、「自分のいいところリ
スト」、その他、いろいろなリストが可能だと思います(過去にも、リストを使った
作品を書いた生徒も何人かいます)。

 自分の携帯から自分を紹介する、自分のカバンの中身から自分を紹介する、など、
あるものに焦点をあてた自己紹介も可能です。

 そのあともしばらく考えていました。

 また、「もし、私が世界を自分の好きなようにできるなら」、ということで、自分
のしたいことを、いろいろ書いてある詩も思い出しました。

 また、自分の人生を「短く5章」でまとめてしまう詩もあります。

 自分の人生???を、詩の形で上手に表現しているものも思い出しました。


 こういういろいろな方法で、自分を語るのも「あり」だなと思いました。

 いろいろあって楽しいですし、人間がもつ表現力はすごいなと思います。
 
 実は、私は今までは、自己紹介的な題材は、WWでは「つまらない」題材だと思って
いましたし、私から書くことを奨励したこともありませんでした。

 しかし、いろいろな可能性が分かるテキストを提示することで、表現にはいろいろ
な幅があることも学べますし、表現方法は、それぞれに工夫されているので、こうい
う詩を「作家の目」で読むのも、いいなと思います。

 実は自己紹介という題材は、かなり魅力的な題材になりうるように思い始めました。

 また、「他の人を書く」という題材に、発展する可能性もあります。
  
 来学期は3,4回目ぐらいのミニ・レッスンで「自己あるいは誰かの紹介」をいれ
てみようか、と思い始めているぐらいです。
 
出典:

 私が英語を教えていることもあり、今回のWW便りで紹介している詩も、英語のもの
になってしまいました。

○ 上で紹介したマイケル・ローゼン(Michael Rosen)が書いた詩集は、Michael
Rosen's Scrapbook
(Oxford University Press, 2006)です。

 これはかなり面白い詩集です。というのは、なんと著者の「考え聞かせ」がついて
いるからです。それぞれの詩をつくったときの著者の頭の中に浮かんだことや補足の
説明など、著者の頭の中にあることの「考え聞かせ」が、あちこちに書き込んであり
ます。

○ 「もし、私が世界を自分の好きなようにできるなら」ということで紹介したの
は、Judith ViorstのIf I Were in Charge of the World and Other Worries 
(Aladdin Books, 1981) です。

○ 自分の人生を5章で語るというのは、Portia Nelson の Autobiography in
Five Short Chapters で、この詩は複数のアンソロジーなどの中で紹介されていま
す。私はこの詩はRead-Aloud Anthology (Janet Allen and Patrick Daley,
Scholastic 2004)の中で見つけました。

○ 自分の人生???を詩の形で上手に表現していると思い、私が好きなのは
Naomi Shihab Nye の 
A Maze Me (Greenwillow Books, 2005) のカバーを開いたところに書いてある詩です。