「私は言語使用に関する規則は知らないし、読点をどこに置くべきなのかも知らない。<中略>でも、書くときに自分の心をどこに置くのかは知っている」
上の言葉は『ライティング・ワークショップ』の中で、ナスティジという作家の回想録の中で書かれた言葉ということで、登場します。
そして、そのあと『ライティング・ワークショップ』では次のように続きます。
「このナスティジの言葉は、書くことを教えるときに教師がなすべきことと共鳴しています。結局のところ子どもたちにとって大切なのは、教師が教えたヒントや技法よりも、教師自身の書くことへの情熱と、書き手としての子どもたちを信頼することなのです。」
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この言葉は言葉としては分かるのです。しかし、最初にこの言葉に出合った頃は、なんだか、納得のいかない気持ちも、どこかにありました。というのは、私はミニ・レッスンを考えるときには、ヒントや技法を一生懸命、考えていたからです。
しかし、今年の夏休み前の最後のWWの授業で、生徒たちが、上の言葉を納得させてくれました。
皆様は、夏休みの前のWWの授業はどのようにされましたか?
私は「作家の日」プラス「作品の簡単な自己評価」にしました。
簡単な自己評価というのは、「自分の書いた作品の中で一番気に入っている作品とその理由を書いてもらう」という、ごく短時間の評価でした。
上のことは、自己評価力をつけるつもり、で行いました。また、それぞれが自分の作品(群)をどう見ているのかも知りたいと思いました。
しかし、その自己評価から見えてきたものは、(1)それぞれがどういう書き手になのか、(2)私が教えたことの中でどの点が意識されているのか(つまり私の教えたことへの評価)、この二点でした。
それで、その2点目をもう少し知りたいと思い、自分でミニ分析をすることにしました。約20名分ですが、自分がなぜその作品を一番気に入ったのかというコメントを表にしてみました。そして、その横に、コメントから見えてくるポイントをいくつか書き出していったところ、次の2点に関わるコメントが頻出していることが分かりました。
① 読者
(→ 読者を意識して書けたから、とか、読者からの反応がよかったから等。なお、この場合の読者とは、クラスで自分の作品を聞いてくれたクラスメートのことです)。
② 自分の書きたいことに取り組み、書くことができた
② 自分の書きたいことに取り組み、書くことができた
( → つまり、英語でいうところの voiceです。5月21日のブログに書いた「書き手の思い、書き手らしさが伝わってくる声」がある作品にできたということです)。
今学期、ミニ・レッスンではもちろん、ヒントや技法、そしてもちろん言語項目や校正もけっこう取り扱いました。おそらく来学期も扱うと思います。
しかし、書き手の自己評価を見ているときに、ナスティジの言葉がそうなんだと納得できました。
となると、来学期の準備の中に「自分の書き手としての成長」がはずせなくなります。今の私には、5月14日のWW便りの真ん中あたりで登場した、ドナルド・グレイヴスのアドバイスが、現実的ないいアドバイスです。
出典:
『ライティング・ワークショップ』(ラルフ・フレッチャー、ジョアン・ポータルピ著、新評論、2007年)。上の言葉が出てくるのは156ページです。
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