2011年7月22日金曜日

修正の大切さとその方法

 WW(作家)の時間は、本物の作家やジャーナリストたちがしているように、題材探し・下書き・修正・校正・出版のサイクルを繰り返し体験していきます。★


          (出典: 『作家の時間』プロジェクト・ワークショップ編著、91ページ)

 このサイクルの中で、何が一番大切か?

 あえて言えば、前回とのつながりだからというわけではないのですが、修正でしょうか

 これまでの作文教育になれてしまうと、題材探しや出版はそれなりにすんなり受け入れられても、修正の部分が一番受け入れにくい、という先生たちの声を聞くからでもあります。その大きな理由は、これまでの習慣で、下書き=清書の一歩手前の感覚で下書きが存在するので、修正をやりたくない子が多いというのです。その背景には、書き直しはまずい文章をよくする、というイメージが付きまとっているからのようです。(誰も、自分の書いた文章がまずいとは認めなくない?!)もう一つは、校正と混同されていることもあります。

 日本語の「修正」と「推敲」に若干問題があるのかもしれません。修正は「よくない点を改めること」「手を加えて、直し整えること」、推敲は「文章を書いた後、字句を良くするために何回も読んで練り直すこと」と、一般的には理解されています。後者のニュアンスは、すでにできている文章に磨きをかける感じです。ちなみに、「推敲」を和英辞典で調べたところ、re-visionという言葉が出てくるのもありましたが、中心はpolishingや improvementでした。

 私たちは英語のre-visionの訳として「修正」を選びました。Re-visionには、もう一度、自分が書きたいことを見る、作り出す、再発見する、明確にするという極めて前向きな意味が込められています。だからこそ、この過程がとても大切なわけです。しかしながら、日本語の「修正」にはそういうニュアンスが残念ながら弱いというか、ないのかもしれません。

 修正をもう一度、自分が書きたいことを見る、作り出す、再発見する、明確にすることと捉えると、その前の下書きはこれまでよりも肩の力(頭の力?)を弱めて、気楽に書いてもよくなります。何回か繰り返す修正のあくまで下書きですから、あまり文章の流れ(構成)や語句や言語事項などを気にせず、頭に浮かんだことを書き出す段階と位置づけられます。間違っても、清書の一歩手前ではありません

 自分自身がジャーナリストであり、作家でもあり、そして教育の世界に作家のサイクルを導入した一人でもあるドナルド・マレーは、修正をする際の具体的なヒントとして以下のような点を挙げてくれています。★★
   ・全体を読んで、欠けている部分を探す。
   ・声を出して読み、意味が通じるか確認する。
   ・いい部分は、さらに伸ばす/膨らます。
   ・省ける部分はカットする。短くできれば、それに越したことはない。
   ・読み手が持つであろう疑問・質問を考え、それらに答えているか確認する。
   ・文の流れについては、理解できるようにゆっくりするところはゆっくりし、読み手が作品から目を離さないように飛ばすところは飛ばすようにする。


★ もちろん、すべての題材や下書きを修正したり、校正したり、出版する必要はないのですが。
★★  Donald Murray, Crafting a Life in Essay, Story, Poem、141ページ

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