2019年9月14日土曜日

自分の立ち位置を「書き手」にする

 前回の詩のワークショップについての記事を読みながら、「プロの詩人や作家が各ワークショップのチューターを務めていることも特徴的」と読み、「書き手」が教えてくれるワークショップであることの魅力を感じました。

 ライティング・ワークショップでは、「教師はモデル」で、「書き手が、書き手を教える/育てる場だ」と、よく言われます。しかし、そのためには、教師は「自分が書き手だ」というところに立つ必要がでてきます。

 教員経験も長く、教員の指導も行っているレジー・ラウトマン(Regie Routman)には、(直訳すると)『子どもの詩~小学校3,4年生に、詩を書くのが大好きになるのを教えよう』という書名の本があります。(これはシリーズで「幼稚園用、小学校1年生用、小学校2年生用」も出ています。)★ 

 題名どおり、子どもが詩を書くのが大好きになるような本ですが、この本の中でも、教師が書き手になることが奨励されています。ラウトマンも、自ら、生徒の前で、考え聞かせをしながら、詩に取り組むところを見せたりもしています。

 生徒に教える自由詩を今までに書いたことのない、4年生担当の先生も登場します。もちろん、生徒の前で考え聞かせをしながら詩を書いた経験も、生徒に見える場所で詩を書いた経験もありません。

 この先生は、生徒の書く時間に、生徒が見える場所で自由詩を書くことにトライします。この先生の下書きは、線でいっぱい消したり、書き込みがたくさんあったりします。また、自分がキックボールのメンバーに呼ばれるかどうか、不安も感じながら待っていた時間についての詩だったので、こういう時間も、詩の題材になることを生徒も学び、自分にとって、ちょっと困難な時間を詩の題材に選ぶ子もでてきたそうです。その詩を書くプロセスと詩が、生徒に好影響を与えているのがわかります(24ページ)。

 教師が書くプロセスを見せたり、段階を追った下書きを見せたりすることが、いかに効果的かは、『イン・ザ・ミドル』の「教師が書くプロセスを見せる」166―168ページ、「教師が自分の書いた詩を使って教える」168―174ページにも、詳しい具体例が載っていますので、ご参照ください。

 長年、よりよい授業を追及してきた実践者アトウェルであれば、「ワークショップでの私は、経験豊かな書き手・読み手です。どうすればいいかを生徒に示し、役立つ助言を与え、自分がしっかり理解した上で生徒に伝えています」(『イン・ザ・ミドル』36ページ)と言い切れます。でも、自分を「経験豊かな書き手・読み手」と認識できるまでには時間も労力もかかりそうに思えます。

 時間も労力もかかるからこそ、上の4年生担当の先生のように、まずは、自分を「書き手」の立ち位置に置くこと、そして、そこに留まり続けることが必要なのかもしれません。

 アトウェルは、書き手として、あまり自信のない教員に対して、以下のようにも書いています。

 「もし、あなたが、書き手としての経験に乏しく、自分の書くプロセスがどのようなものかを実感できていないならば、1行ずつ空けて書いたり、メモ書きを使ったりという方法を、実験的に試してみる機会だと考えてください。生徒たちに、こういう方法をやってみたところ、こんな結果を出せたのだと伝えればよいのです。生徒たちにとって大切なのは、生徒たちよりも、ほんの少しだけであっても先輩の書き手が、紙を目の前にして考え、その考えを変えたり、どんなふうにすればよい文になるのかに思いを巡らしたり、自分らしい文や内容をつくり出そうとしている、その実際の姿を見ることなのです」(『イン・ザ・ミドル』167―168ページ)

*****

 実はアトウェルも、「1980年3月の朝、初めてライティング・ワークショップを行った日には、ワークショップに、私自身に、そして生徒に何を期待できるのか、まったくの未知数」(『イン・ザ・ミドル』92ページ)だったとのことです。

 アトウェルの場合は、ライティング・ワークショップを行いながら、基本的な原則をつくり始めます。半年後には「ワークショップで期待すること」という、以下のような短いリストができたそうです。

 ・自分で取り組む題材を決めて発展させること
 ・毎日のワークショップに「執筆中ファイル」を持ってくること
 ・他の人のフィードバックをもらうまえに、自分の書いたものを批評家のような目で読み直すこと
 ・たくさん書くこと
 ・書くプロセスを試してみること

                   (『イン・ザ・ミドル』92ページと94ページ)

 未知数で始めたライティング・ワークショップ。そして、その半年後にできた上記のリストを見ると、「期待すること」は、教師が「書き手としての立ち位置」にいるからできたリストのように思います。「書き手」として必要だと思うことから、生徒ができそうなこと・必要なことを、具体化したリストのように思えます。

 授業に「期待していること」を具体的に書き出してみる、それが「優れた書き手(あるいは、優れた読み手・優れた学び手)」が行っていることかどうか、を考えてみる、そんなところから、「書き手として、書き手を教える」という目標への道筋が見えてくるのかもしれません。

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★Regie Routman著 Kid's Poems: Teaching Third and Fourth Graders to Love Writing Poetry (Scholastic, 2000). タイトルの副題の3,4年生(Third and Fourth Graders)のところが、幼稚園 (Kindergarten)、1年生 (First Graders)、2年生 (Second Graders) になっている本も同じ著者、同じ出版社から刊行されています。

2019年9月6日金曜日

イギリスにおける詩創作ワークショップ


 島根県立大学の中井悠加さんが、とても面白い(教師対象のライティング・ワークショップの研修と捉えられる)コースを紹介してくれたので、そのまま以下に掲載します。

イギリスのArvon Foundation(アーヴォン・ファンデーション)は、全ての「書く人」を対象に様々なクリエイティブ・ライティング(例えば、詩、小説、テレビ番組の脚本、コメディー、グラフィックノベル、児童文学、フィクションなど)のワークショップを提供している基金団体です。
アーヴォンでは、4つのライターズ・ハウスと呼ばれるイギリスの伝統家屋を地方にかまえ、毎年5日間の宿泊講座を年間で約100回開いています。アーヴォンと契約したプロの詩人や作家が各ワークショップのチューターを務めていることも特徴的です
 20119月に、デヴォン州に建つTotleigh Barton(トートレイ・バートン)というアーヴォンの中でも最も古いライターズ・ハウスで開かれた「詩を書き始める(STARTING TO WRITE POETRY)」というワークショップに参加しました。
 「初心者の書き手や、何か新しいものを試してみたいと思っている人に向いた講座です」という説明に強く惹かれ、その頃はまだ海外に出たことも無いのを忘れて思わず申し込んでしまったのを覚えています。
 チューターはAntony Dunn(アントニー・ダン)とCatherine Smith(キャサリン・スミス)という2人の詩人。参加者は私を含めて14人の、高校生から退職後の方々まで様々な年齢層が集まりました。
 トートレイ・バートンは、わらぶき屋根の2階建て家屋です。1階には、食卓としても使用するワークショップの作業ホールが1つ、「シッティング・ルーム」と呼ばれる大きな部屋が1つ用意されていました。2階には個人部屋と図書室が設けられており、図書室には詩集や小説などが保管されています。毎日の夕食はグループ当番制で、配られたレシピをもとに相談しながら料理をします。
             写真① トートレイ・バートンの概観    


                 写真② 入り口の階段
 
               写真③ 2階の図書室    

          写真④ 食卓でもありワークショップの作業ホールにて

5日間の基本的な日程は全ての講座に共通しており、朝に書く時間、昼に個人指導、夜に朗読の時間が設定されています。下の表に、5日間のおおまかな活動の内容を示しました。1から14の番号を振ったものが書く活動です。
                 スケジュールの表

朝は、それぞれの活動につき1つの詩を書くことを中心としながら、【】で示したように詩を読む場面もたくさん設けられています。朝の書く活動については次回以降でもう少し詳しく取り上げます。
お昼の個人指導では、これまでのワークショップの中で書いた詩について、チューターと1対1のカンファランスが20分ずつ行われます。

         写真⑤ カンファランスの時間割を決めるメモ。
        それぞれが好きなところに自分の名前を書いて決めます

小さな文法の誤り(冠詞や時制など)を訂正したり、翻訳間違いと思われるような箇所に代わりの単語を提案したりはしましたが、その他大きな修正を加えられることはありませんでした。書いたことそのものを尊重してくれながら、その後も再び書き直すことを励ましてくれるような肯定的な声かけをたくさんいただきました。

● あなたは力強い想像力を持っている。このアイディアは他の誰も持っていない、本当に〈あなたの詩〉を書いたんだよ。
● とても美しい。この2行目がとても好きだ。
● あなたの詩には短い言葉を使うという規律があるようだ。それがとても読みやすくしているし、簡単な詩の中に大きなアイディアが詰まっている。
● もっと(言葉の壁に)苦悩しているのではないかと不安だったんだ。ワークショップのアイディアを良い詩にしてくれた。とても嬉しい。よくやった。素晴らしい。

これらの言葉は、私の詩を読んだチューターのアントニーがカンファランス中にかけてくれたものです。ExcellentBrilliantGreatGoodBeautiful…と、「ほめる言葉」と辞書で引いたら出てきそうなポジティブな言葉を浴びるように受けた20分の間に、詩を書くことに対する不安は「書いて良かった」という心の底からの充実感にすっかり変わっていきました。
夜には、前半は2人のチューターやゲスト詩人によって自作の詩の読み聞かせが行われます。ゲストで作家が来ることも全ての講座の特徴で、この時はJohn MacCllough(ジョン・マカロー)がやって来ました。

  写真⑥ ゲスト詩人の朗読会は庭に設置されているテントの中で行われました。
朗読会後の雑談の様子。

後半はシッティング・ルームで参加者自身が詩を朗読する会が開かれます。「詩の朗読会①」では図書室から気に入った詩作品を2編選んで、全員の前で1人ずつ朗読します。
私は日本の詩や俳句を他のメンバーに聞いていただく良い機会だと思い、日本から持参した鈴木寿雄『はいくのえほん』(2009年復刻版、足立美術館)と、まどみちお/美智子訳『THE ANIMALS』(1992年、すえもりブックス)から2編を選んで読みました。

 

          写真⑦と写真⑧ シッティングルームでの朗読会の様子。

朗読会では、それぞれの詩の詳しい解釈について話し合ったりすることはなく、口頭で読まれたものを全員で共有するだけで次々に読んでいきます。この活動によって、自分の好きな詩を紹介できるだけでなく、チューターを含めた他の参加者が選んだ様々な詩にたくさん触れることができました。
金曜日の午後までに、チューターと参加者はワークショップにおいて自分が書いた詩の中から2編選び、それらを一冊の詩集にまとめます。上の表にある「詩の朗読会②」において、それぞれが選んだ詩を朗読するのです。

            写真⑨ 詩集のタイトル候補と投票の様子  


            写真⑩ 完成した詩集「Swallow This

詩集の作成とその朗読に向けて詩を選んだり書き直したりするために、私たちはたくさんのことを求められました。まとめると、次の3つになると思いますが、5日間で一番苦労した時間だったと感じます。
1 朗読会という場や詩集という、発表の場、読み手や聞き手に対する意識
2 5日間の中で自分が取り組んできたことへの振り返り
3 自分が書いたものに対する自己評価

以上のように、書く時間(詩をうみだす時間)と読む・聞く時間(詩にふれる時間)が交互になるように設定されています。そして最終的に、自分たちの詩集の刊行と朗読という形による発表の場によって締めくくられています。
チューターのアントニーは、初めに全員で顔合わせをした時に、私たちに次のように言いました。

(講座名の)「書き始める」というのは「読み始める」ということも意味する。読むことを続けること、自分たちの読みを深めること、などにもつながる。とても重要なことは、私たちは書くことと同様に読むことについてもたくさん考えるということだ。読むことや読むことを学ぶことは、確実に書くことに対して不可欠だと思っている。”

この発言からも、うみだす時間・ふれる時間が交互に設けられていることを大切にしていることが分かります。それぞれの時間に行う活動が有機的に作用しあって、参加者の表現する力と読む力が相互に高められるような構成になっています。
次回は、朝の「書く活動」からいくつか取り上げてご紹介します ★★

Arvon Foundationのウェブサイトでライターズ・ハウスの様子や今年のワークショップ一覧を見ることができます。講座の予約もウェブ上で可能です。https://www.arvon.org
★★ また、このワークショップについての論文も書いています。中井悠加(2016)「ワークショップ型詩創作指導による学びの形成—Arvon Foundationの取り組みの検討から」『学校教育実践学研究』第22巻、pp.65-77

2019年8月31日土曜日

「読むこと」と「話すこと」

 ちょうど、1週前に出席した、長年の教師仲間たちとの研究会で、ブックトークの時間があり、付箋をいっぱい貼った『じぶんで考えじぶんで話せるこどもを育てる哲学レッスン』(河野哲也、河出書房新社、2018年)という本を持ってきた人がいました。

 「どうして、この本なんですか」と聞くと、「忖度のない、先生が喜ぶことの「あてっこゲーム」ではない対話を体験しておくことの大切さを、最近、よく考えるから。そして、そういう対話ができることが、多くの学びの基本にあるような気がしているから」という返事が返ってきました。

 対話・話すことの価値は、『リーディング・ワークショップ』の著者、カルキンズも以下のように力説しています。

 「学校教育において話すという活動は、大きな価値があると見なされることもありますし、まったく無視されることもあります。...  しかしながら、読み書きと同じように、話すことは知性の発達を促す原動力であり、この原動力は極めて大切なことなのです」
         (『リーディング・ワークショップ』新評論、2010年、141ページ)

 『リーディング・ワークショップ』の中には、子どもたちが「読むこと」を通して、話すことを学んでいく様子がたくさんでてきます。特に第9章「話すことを読むことに活かす」(139~167ページ)は、子どもたちが段階を追って、うまく話せるようになる具体例が豊富です。

 私が印象に残ったのは、本についての話し合いで、ほかの子どもの意見を聞かずに話したり、会話の主導権を握ろうとして争ったり、大声をだしたり、また、一度も発言できない子どもがでてきたときの先生の対応でした。

 すぐに仲裁に入り、問題点を指摘するのではなく、「どうすれば、もっとみんなの助けになれる、いい参加者になれるだろうか」を、子どもたちが考えられるように助けています(155-161ページ)。

 「問題が深く大きくはっきりしていればいるほど、子どもたち自身が改善しやすいからです」(156ページ)という文を読んだときは、子どもにとってこういう話し合いを体験すること自体、大きな財産だと思いました。また、教師が、問題に対して、このような対応を、安心してできるようになるまでの、道のりの長さも思いました。

 もちろん、新学期にいきなり「話し合い」をさせ、仲裁にも入らず、問題を認識させることは、マイナス面の方がはるかに大きいと思います。

 カルキンズは「話すことのカリキュラム」と呼んでいますが、「読むこと」の中に「話すこと」を、簡単なことから段階を追って、織り込んでいます。

 最初は、クラス全体への読み聞かせからスタートです。

 子どもたちは読み聞かせの時間に読んでもらった本について、話し、教師は、子どもたちがうまく話せるようになるため、その足場となる土台づくりができるようにサポートします。学年にもよると思いますが、読み聞かせを2~3ページごとに中断して話すというところから、スタートです。最初の段階では、話すテーマを絞るわけでもありません。

 時間の経過とともに、子どもたちは、読み聞かせで読んでもらった本ではなくて、自分で読んだ本について、主体的に話し合いを行うようになっていきます。また、まとまった量を読んでから話したり、一つか二つのテーマを中心に話したりします。
(詳しくは『リーディング・ワークショップ』142ページの「最初は」と「時間の経過とともに」の表を参照してください)

 これが、ブッククラブの学びにもつながっていきます(「ブッククラブの成功ために」229-239ページに、詳しく載っています)。

 カルキンズの場合、カンファランスのために観察したあとに、次のような方向のどれかで、ブッククラブをサポートすることが多いそうです(236-238ページ)。あくまでのブッククラブの事例ですが、具体例を変えることで、他の科目にも応用可能な部分もありそうです。

1)子どもたちの話し合いを違うやり方でもう一度やってみるように言う。
2)ある効果的な方法を試してみるように提案する。
3)子どもたちが直面している問題を明らかにして、自分たちで改善策を考えて、解決できるようにする。
4)誰かがすでにしていること(あるいは、ほぼできていること)を指摘し、ほかの子どもたちにそれをやってみるように言う。
5)話し合いの中で、特定の子どもにささやく形でアドバイスをする。

*****

 このような学びの価値をカルキンズは以下のように締めくくっています。

 「… 子どもたちはほかの子どもと一緒に考えたことについて語り、自分の考えを変え、意見をしっかりともち、人の話を聞き、学ぶことができるという人生を歩んでいくのです。今日の社会では、このようなことを学ぶことに大きな価値があるのです」(239ページ)

 冒頭で紹介した『じぶんで考えじぶんで話せるこどもを育てる哲学レッスン』を持ってきた教員の思いと共鳴する部分、そして話すことの価値を感じます。

2019年8月23日金曜日

読む文化を学校につくるための10の方法


 学年が上がるにしたがって、読む量は低下するというのは万国共通です。
 この状態から脱して、読む量を飛躍的に増やすには、一人二人の教師の努力ではどうにもなりません。それこそ、学校ぐるみの取り組みが不可欠です。
 ある学校が取り組んだ10の方法を紹介します。

1. 読むことを(おおやけ)にする。
 具体的な方法としては、教師が自分の読んだ本のリストを教室に貼ったりすることです。これには、生徒たちも参加できますし、「読みたい本のリスト」や「おすすめの本のリスト」などの形でも可能です。(これ以外の紹介の仕方が、『読書家の時間』の133~138ページに紹介されています。)

2. 各教室に図書コーナーを設置する。
 図書コーナーに学年は関係ありません。すべての学年、すべての教科で、あらゆるジャンルで、生徒たちが読みたがる本(教師や大人が読ませたい本は、本の一部!!)が身近にありさえすれば、生徒たちは読むようになります。

3. 言葉を探究する掲示板を設置する。
 教科で必要な語彙や社会的な事件等で出てきた言葉を、わかりやすく解説する情報およびそれにまつわる本や記事の紹介は、読む文化づくりに大いに貢献します。

4. 教師が創造的に協力し合える時間を提供する。
 教師が協力して授業を計画する時間をもつことで、教科書にはないたくさんのアイディアが生まれます。その時間が確保できないと、退屈な時間を約束することになります。

5. 生徒たちに本(読んだこと)について話す機会をふんだんに提供する。
 自分たちが読んだことや書いたことについて話し合うことは、もっとも効果的な学びのチャンスを活かしきることです。話さない限りは、読んだことや書いたことに興奮できません!!(詳しくは、『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』をご覧ください。)

6. すべての教科で学ぶために読むことと書くことを重視する。
 読み・書きは国語の教師だけが教えるのではなくて、すべての教師が教えるものというメッセージが生徒たちに伝わるだけでなく、生徒たちは本当に読んだり書いたりすると、よりよく学べるようにもなります。

7. 各教科に固有の読み・書きを大切にする。
 各教科には特有の読み方や書き方があるので、それをしっかり尊重するということです。しかし、一方で、読むことや書くことと関係のない教科は、たとえ体育や家庭科でさえあり得ません。よく読んだり書いたりすることで確実に学習目標は達成できます。

8. 本当に書く体験を提供する。
 現状では、生徒が書いたものを読むのは教師のみというのがほとんどです。単に教師に書くのではなく、生徒が「これは本当に書いているんだ!」と思える場面設定で書くように工夫します。それは、読者対象を具体的に設定して、意味のあるフィードバックが戻ってくる状況設定と言い換えられます。

9. できるだけ多くの本に触れられる機会をつくる。
 図書館にあるたくさんの本棚から背表紙だけで自分が読みたい本を選べる人は、あまりいません。できるだけ表紙が見えるような設定で選んだり、さらには、中身まで(1~2分で)眺められるようにする機会を設けましょう。

10. 振り返りと目標設定を大事にする。
 何冊読んだとか、難しい内容を読めたり、書けたりするとか、テストでいい点を取ったとかより大切なことは、次に読む本は決まっているのか、あるいは次に書く題材は決まっているのか、ということです。振り返りと目標設定については、『イン・ザ・ミドル』の第8章に詳しく書いてありますので、参照ください。

 生徒たちがどうしても読みたくなったり、書きたくなる状況をつくらない限りは、「学校ごっこ」が続くだけで、生徒たちは最低限のお付き合いをし、「自立した読み手や書き手」からは遠ざかります。そうしないためには、教師たちの(可能なら協力して取り組むための)準備が欠かせません。その時間を確保するにはこの件についての、管理職を中心に、教師たちの優先順位を高くする必要があります。



2019年8月17日土曜日

「見えていない」から「見通す」への移行

『理解するってどういうこと?』を訳すときに、insightという言葉をどういう日本語にするかということについて共訳者の吉田さんとやりとりしたいきさつについては「訳者あとがき」に書いてあります。結局「洞察」という英和辞書の訳語は採らず、「じっくり考えて発見すること」としました。短くはできませんでしたが、「「洞察」でわかってもらえますか?」という吉田さんの問いに答えようとして、その末にわたくしにもたらされたものがinsightなのだと実感しました。
不思議なもので、そういう経験があると、本屋の店先で否応なく本のタイトルが目に飛び込んできてしまうものです。果たしてそれをしも「セレンディピティ」と言っていいかどうかはわかりませんが。ターシャ・ユーリック著(中竹竜二監訳・樋口武志訳)『insight―いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力―』(英治出版、2019年7月)。つい買ってしまいました。
一言で言うと「自己認識」についての本でした。

自己認識とは、要するに、自分自身のことを明確に理解する力――自分とは何者であり、他人からどう見られ、いかに世界へ適合しているかを理解する能力だ。(15ページ)

この「自分自身のことを明確に理解する力」としての「自己認識」が「二一世紀のメタスキル」だと著者は行っています。なるほど、ですね。では、肝心のinsight(インサイト)という言葉はどういうふうに登場するかというと、次のようなかたちで登場します。

自己認識をひとつの旅と捉えるなら、インサイトはその道中で起こる「アハ」体験だ。自己認識という高速を走る高出力のスポーツカーに燃料を与えるものだ。そんな燃料を得て、私たちはアクセルを踏む。燃料がなければ、路肩に乗り上げてしまう。(29ページ)

「インサイト」なしに「自己認識」をまっとうすることはできないというわけです。そしてその「燃料」としての「インサイト」には、「価値観」(自らを導く行動指針)/「情熱」(愛を持っておこなうもの)/「願望」(経験し、達成したいもの)/「フィット」(自分が幸せで存分に力を尽くすために必要な場所)/「パターン」(思考や、感情や、行動の一貫した傾向)/「リアクション」(自分の力量を物語る思考、感情、行動)/「インパクト」(周りの人への影響)、という七つの「柱」があるとされています(44ページ)。自分についてこの七つがどうなっているのかを知ることで、私たちは自分に関してそれまで気づいていなかったことに気づくことになります。だからこそ「インサイト」は「自己認識」の燃料になるのです。

たとえば「フィット」については次のように言われています。

自分がフィットする場所、自分が幸せで存分に力を尽くせる環境を見つけたとき、人は以前よりも少ない努力で多くを達成できるようになり、良い時間を過ごしたという気分で一日を終えることになる。(中略)自分の価値観を知り、自分が情熱を燃やすものを知り、人生で何を経験したいか知ることで初めて、自分にとって理想的な環境を思い描くことができるようになる。(56ページ)

自分が「存分に力を尽くすために必要な場所」とはどういうものか。もしも読書なら、自分に「フィット」する本を選び出すために、自分の「価値観」「情熱」「願望」をしっかり知らなくてはならないということになります。「存分に力を尽くす」ために必要な本を、そのようにして探し出せるなら、これ以上のことはありません。ターシャのこの考え方は、読書行為の根底に何が必要なのかということを考えさせてくれます。
もう一つ、示唆的だったのは「内省」との付き合い方についての考えです。著者は「内省が自己認識を生むという前提は間違いだ」として、「内省」というプロセスよりも、「インサイト」を得ることに焦点化すべきだと言っています。そして「感情や行動を説明するひとつの根本原因を探す」よりも、「複数の真実や解釈にオープン」であるような「柔軟なマインドセット」を持つことが大切だとも言っています(161-162ページ)。「自分自身についての絶対的な真実を知ってしまいたいという気持ち」から自由になることが肝心だと言っているのです。そうすれば、「内省」が「好奇心に満ちた探究」になると言うのです。
これは「理解」についてもあてはまることではないでしょうか。
また、本書ではinsightに「自分を見通す状態」という訳語もあてられています。「自分のことが見えていない状態」から「自分を見通す状態」になることへの移行がinsightだというのです。その移行において三つのことが必要だとされています(107-110ページ)。
1)自分のなかの前提を知る(自分の価値観や前提を疑う、他者からも疑問を投げかけてもらう)
2)特に自分がすでによく知っていると思っている分野をひたすら学び続けること
3)自分の能力や行動に対するフィードバックを求めること
いずれも自分が当たり前と思っていることを見つめ直しやすくする「テクニック」です。この三つのなかで、2)はどうして「自己を見通す状態」につながるのかということが少々わかりにくいかもしれません。が、「よく知っていると思っている分野」だからこそその分野を学び続けることによって、自分が既によく知っていると思われる部分での無知が露呈し、自分にとっての大切な「気づき」が生まれやすいということです。そのようにして学びを深めるばかりでなく、自己認識を深めるに至った人も少なくないでしょう。
本書や「自己認識」についての本ですが、随所に『理解するってどういうこと?』を訳すときに、insightという言葉をめぐって、共訳者とやりとりしたり、考えたりしたことと重なることが書いてありました。「じっくり考えて発見する」という訳語を考え出したときに、わたくしの心のなかで生まれた発見のことを思い出します。その訳語がすぐに見つかったわけではありません。試行錯誤のどちらかと言えば苦しい道程でありました。そこで得られた「発見」は、英語にぴったり(だと思っているだけかもしれませんが)の日本語を見つけ出したというにとどまりません。むしろ、頭のなかでしっかりと考えることなく、先行者がどうしてその訳語にたどりついたのかということに思いを馳せることなく、作業的に先行者のつくった訳語を利用するだけで事を済まそうとしていた自分自身に気づいたのです。理解行為が、対象を把握することにとどまらず、自分自身がそれまで見えていかなったり、見ようとしなかったりしたことに気づくことなのだということを、この『insight』という本の著者であるターシャさんは文字通り気づかせてくれます。
監訳者の中竹さんは日本ラグビーフットボール協会のコーチングディレクター。おもに「コーチング」の理念について本書原著から多くを学んだと「あとがき」で書いています。「自己の理解と他者の理解は、切っても切り離せない関係であり、非常に難解且つチャレンジングな私の人生のテーマとなった」とも書いています。学びをサポートする立場の人の内面でおこる自己認識を探る人が読んで多くを得た本だということです。コーチングの問題に限らず、本書もまた「理解」にとって大切なことを探究した本であると思います。そして「自分の理解」を半ば含んでいると感じられる場合に限って、私たちには本や文章をひたすら読み、わかろうとするのです。そして本書の言い方を使えば、読者が「自分のことが見えていない状態」から「自分を見通す状態」に移行したときに、深い理解が得られるのではないでしょうか。

2019年8月9日金曜日

学ぶために読むことと書くことを軽視(無視?)している学校


 あなたは、表題に賛同しますか? それとも反対しますか?

  私たちは考えることを通して学びます。その手段として、読んだり、聞いたり、書いたり、見たり、したり(体験したり)します。(他に、考えたり、学んだりするのに効果的な手段はありますか?)
 しかし、学校での授業での中心は、教師ががんばって教科書をカバーすることです。(生徒ががんばって教科書をカバーする、というのは聞いたことがありません! 生徒ががんばりたくなるようなシロモノではないからでしょうか?)結果的に、教師が話すのを聞くか、教師が教科書に書いてあることを違う形で板書したものを見ることが中心になります。(板書したものは、自分のノートに書き写すことがほぼ義務づけられていますが、それに能動的/主体的な部分はほぼゼロですから、価値としてはどんなものがあるのでしょうか? テスト前に暗記して、テストが終わると同時に忘れるぐらいの価値でしょうか?)

 別に、聞いたり、見たり、したり等をおとしめるつもりはまったくありませんが、私たちが学んだり、考える際に読むことと書くことの価値を否定する人はいないと思います。それは、多くの大人が日常生活の中でしていることでもあるからです。(ある意味では、あまりにも当たり前にしているので、気づかないぐらいです!)
 しかし、そのもっとも効果的といえる手段が、学校の中で使われることはあまりないのです。学ぶことに特化した場所である学校や大学が、そんなふうでいいのでしょうか?
 教師ががんばって話したり、書いたりする代わりに、生徒ががんばって話したり、書いたりするだけで、生徒たちの学びの量と質は飛躍的に伸びると思いませんか? 生徒が聞き手にとって面白い話ができるようになるためには、必然的に面白い話を聞いたり、たくさんの本や資料を読んだりすることになります。
 この単純な転換を図ることはできないでしょうか?

 このシンプルな転換をみごとに実現した方法の一つが、ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップ(以下、WWRWと略す)です。(WWRWを実践する教師は、だからといって、楽をしているわけではありません。自分ががんばって話したり、板書したりする代わりに、カンファランス、ミニ・レッスン、共有の時間等、他のより効果的な方法で生徒たちを支援していますから!)
 そして、WWRWのクラスには、唯一絶対の教科書は存在しません。多様な教材やメンター・テキストのうちの一つとして教科書は存在します。生徒たちは、自分に合った本(書く際には、もっとも参考にしたいメンター・テキスト)を選べる能力を磨く形でWWRWの時間を過ごします。この選書能力は、生涯にわたって読み続ける/書き続けることを考える際に、もっとも役立つ力と言えるかもしれません。

 また、読むときに優れた読み手が当たり前のように使っている「理解のための方法」も大事にされています。それには、読みながら①関連づける(自分と、他の本と、世界で起こっていることと)、②質問する、③イメージを描く、④推測する、⑤何が大切かを見極める、⑥解釈する、⑦自分の読みや理解を修正するなどが含まれています。(これらについて詳しくは、『「読む力」はこうしてつける』と『理解するってどういうこと?』を参照してください。)
 この「理解のための方法」のすばらしさは、読むときだけでなく、聞くときや見るときはもちろん、話すときも、さらには書くときも使えるものです。使った方が、理解や学びの質と量が大きく伸びます。より多くを考えますから。

 これら読み書き能力を国語で練習し続けることは当然なのですが、算数・数学、理科、社会、そして他の教科でも使うことを考えたことはありますか?
 使わないと、かなり貧弱な学びが続いてしまうことを意味しています。

 そして、表題に書いたように、教科書以外の読み物★を大量に読んだり、教科書とは関係のないことを大量に書いたりするようにしないと、学びの楽しさも味わえないと思います。

★残念ながら、教科書を「読み物」と捉えられる人は、百人に一人もいないでしょう。どうがんばっても、誰にとってもあれが進んで読みたいものになることは考えづらいです。
 欧米では、20年近く前から教科書も含めた「テキスト・セット」という考え方が普及し始めています。一つの教材が生徒全員に等しく受け入れられるはずがないからです。多様なニーズと興味関心および読みのレベル等の生徒たちに受け入れられるには、複数のテキストを用意して選んでもらうのが、よりよい学びをつくり出すために欠かせないと判断したからです。これについては、『教育のプロがすすめる選択する学び』と今冬に出版予定の『教科書をハックする』が参考になります。