2020年9月19日土曜日

理解する手立てとしてのアート思考

  大学1年の秋、午前の講義が終わった後、とくにすることもなかった日に、山陽本線に飛び乗り、名前にひかれて岡山県の倉敷駅に降り立ちました。倉敷の地理もまったく分からず、有名な場所と後から知ったアイビースクエアを出口の方から入ってしまったりして、迷いながら歩いている内に、大きめの洋館の入り口にたどり着きました。そこが「大原美術館」でした。時間はたっぷりあったので、順路に従って絵を見ていきました。美術の教科書で出会った作品がたくさんあり、結局その日は閉館間際までそこにいたのです。帰りしなに立ち寄った現代美術の館で、ジョルジュ・マチューという画家の作品の前で立ち止まりました。高校の美術の教科書で「現代の書家」と呼ばれていた画家の絵。黒く塗られたカンヴァスの下地の上に乱暴に書き殴られたかのように見える線で構成された抽象画ですが、独特の質感とバランスを伴っています。それまで見慣れていた写実的な絵とはまったく正反対のものでしたが。故郷を遠く離れた大学に少し慣れたばかりの秋の多少不安定な気持ちのバランスをとってくれるようで強く惹きつけられました。少なくともマチューの絵の前で私は束の間、我を忘れる体験をしていたのです。

 『理解するってどういうこと?』愛3章「理解に駆られて」には、エリンさんがヴァン・ゴッホの絵を鑑賞した時の強烈な知的経験のことが描かれています。そういう体験をした時に次のようなことをしてみるといいとも。


・自分の人生のなかで強烈な知的経験として記憶していることはどのようなことでしょうか?

・そのときに、あなたが経験した学びの特徴とはどのようなものですか?

・自分の置かれた状況を理解するためにあなたが使った方法にはどのようなものがありましたか?

・どのような理解の種類をあなたは経験しましたか? その成果はどのようなものでしたか? そしてそのことについて今、子どもたちに話すことができますか? あなたが経験した種類の理解とその成果を説明するときは、単にあなた自身の経験を紹介することに重きをおくのではなく、子どもたちが持つことになるかもしれない経験に関連づけるように、言葉遣いを考えてください。(『理解するってどういうこと?』102ページ)


 私の言葉は拙くて、とてもマチューの絵を前にした「強烈な知的体験」もそのときの「理解の種類とその成果」もうまく伝えることはできていません。しかし、その秋のマチューの絵前にしてもっと誰かと話したり、詳しく書きとめたりしておけば、違っていたかもしれません。マチューの絵のどこから救われた思いがしたかを語ることができるからです。

 末永幸歩さんの『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社、2020年)にはそのようにして絵画についての理解を分かち合うためのヒントがたくさん示されています。たとえば、ワシリー・カンディンスキーの《コンポジションⅦ》という作品について、末永さんはまず「この絵には「なに」が描かれているでしょうか?」と問いかけます(『13歳からのアート思考』141ページ)。その後にカンディンスキーの絵が見開きで示され、次のような言葉た続けられています。

 

 いかがでしょうか? ここまでの授業でアートのとらえ方が少し変化してきたみなさんでも、「この絵に何が描かれているのか?」という質問には「う~ん?」と首をひねってしまったのではないかと思います。

 

 一刻も早くスッキリとしたい気持ちだと思いますが、こういうときこそ、まずは自分の目で作品をよく見る「アウトプット鑑賞」です。

 ここまでの授業でだいぶ慣れてきたと思いますので、ここでは「アウトプット鑑賞」をもう一段面白くするための秘訣をご紹介しましょう。作品を見て出てきた「アウトプット」に対して、とてもシンプルな2つの問いかけを自分でぶつけてみるのです。(『13歳からのアート思考』144ページ)

 

 末永さんの「2つの問いかけ」とは、「どこからそう思う?――主観的に感じた「意見」の根拠となる「事実」を問う」と「そこからどう思う?――作品内の「事実」から主観的に感じた「意見」を問う」です。この「アウトプット鑑賞」と「2つの問いかけ」でどのような会話が生まれるのかということについては是非『13歳からのアート思考』をご覧ください。中学生の具体的な面白いやりとりが示されています。40年程前に大原美術館で見たマチューの絵についてもこういうことをやっていけば、少なくとも私の経験した理解の種類とその成果を共有することができたのではないか。それは、自分に対して自分の経験を説明することになり、その経験の意味をつくり出すことになったのではないでしょうか。末永さんが引用する、クロード・モネ《積みわら》に出会ったときにカンディンスキー自身が発したという次の言葉は、この本を読んで私が得た発見にもあてはまります。

 

 「『なに』が描かれているのかわからなかったのに、惹きつけられたのではなく、『なに』が描かれているかわからなかったからこそ、惹きつけられたではないだろうか」(『13歳のアート思考』152ページ、原文では「のに」と「こそ」が圏点(・)で強調されている。)

 

 末永さんの『13歳からのアート思考』は、もうすぐ60歳になる私にとってもこのような新鮮な発見の連続をもたらしてくれる本でした。それは、この本が、エリンさんの言葉を借りるなら、自分の経験した種類の理解とその成果を説明する言葉をもたらしてくれるからでもありますし、それだけでなく、自分自身の経験と、それを分かち合おうとする相手が持つことになる経験とを関連づけるための「言葉遣い」や手立てを具体的に示してくれるからです。末永さんの言う「アート思考」は言語作品を理解するための方法でもあるとという思いを強くしました。それは作品を介して自分を理解するたいせつな手立てでもあります。

2020年9月11日金曜日

フィードバック・フォームを使った学校(授業)改善法

   学校にも、教室や授業にも、改善を要する点は「山のように」とは言わないまでも、結構たくさんあります。日々そこで仕事をしている人は、それらに気づくものですが、それを活かして改善する仕組みが学校にも、教室/授業にもないのが現状です。(もし、効果的な方法をすでにお使いでしたら、pro.workshop@gmail.com宛にぜひ教えてください。)

以下は、ある校長が学校の問題を解決/改善するために取り組んでいる例です。もちろん、教室/授業レベルでも応用できます。(さらには、保護者の学校への参加にも使えます!)

 フィードバックは、だんだん病みつきになります。私たちは、それが生徒にとってどれだけ効果的か、よく知っています。特に、WWやRWのカンファランスで提供されるフィードバックのインパクトには大きいものがあります。しかし一般的に、フィードバックはそれを受け取(って、うまく活用す)るよりも、提供する方がはるかに容易です。物事をよくするためのフィードバックを提供したり、受け取ったりするためには、いい仕組みと多くの練習が必要です。(カンファランスと「大切な友だち」https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/08/blog-post_19.htmlを多用してください! 効果的なやり取りによって、物事は確実に改善していきます。効果的でないと、時間を無駄にしますし、よくもなっていきません。)

 職員会議や学年会議、教科会議、校務分掌の会議等は、まさにそのための場のはずですが、どれも改善のための機会として機能しているとは言い難い状況です。いつも発言する人や声の大きい人が、言いたいこと(それは、物事をよくすることに結びつかない方が多い!?そもそも熟考しておらず、思い付きレベルだから?)を言う場になっていることをみんな気づいています。校長としては、全員(職員だけでなく、生徒)の声も聴きたいところです。そんなふうに思っている時に知ったのが、「自分の気になること」を次のような体裁で発信できる用紙を提出してもらうことにしました。


 ・名前、日付:

 ・問題の深刻度(1~5の段階で。5が最も深刻!):

 ・私が気になる(問題と思う)のは:

 ・それに対する、私の提案は:

  気になること/提案のある人は、この用紙に記入して、校長の秘書に渡します。秘書は名前を除いて、それをオンライン・ドキュメントにアップします。(校長およびこの用紙の発案者は、この匿名性こそが大事だと考えているからです! そうすることで、誰が言ったかによって内容が判断されないからです。)

過去1年間に、9つの気がかりな点/提案を受け取ったそうです。当然のことながら、深刻度はすべて4か5でした。扱われていた内容は、どれも大切なことばかりでした。基本的に、個人にとって(この用紙を書きたくなるぐらい)の気がかりは、学校にとっての気がかり/問題ですから。

 たとえば、運動場で使う用具(たとえば、サッカーボールなど)の置き場所の問題は、読み書きとは関係ないと思われがちですが、そんなことはありません。もし、読み書きや授業以外のことで、教師が問題を抱えていたら、そちらに大切な時間と焦点を奪われてしまい、本来優先順位が高いことがおろそかにされてしまうからです。(ちなみに、運動用具の置き場所は、校舎の出入り口のすぐそばに置くことで解決でした。そこに行くまでに音がうるさくて問題だったのです!)

 そしてもちろん何よりもセンシティブなのは人間関係にまつわる気がかり/問題です。この点については、ここでは詳しく説明しませんが、あと3~4か月で出版される「関係修復のアプローチ」を紹介している『生徒指導をハックする』を参考にしてください。主には、教師が生徒たちの問題行動に対処する方法が描かれていますが、教師間、管理職と教師、さらには教師と生徒の間でも基本的には同じです。

 気がかりなこと/問題へのフィードバックを提供できる用紙を埋める機会を提供することで、学校関係者は「声」をもつことができたと、この取り組みを紹介してくれている校長は言います。そして、その書くチャンスは、いろいろな場面で発言することに確実につながったとも。(みんなが、書くことが得意なわけではなく、口頭で発言する選択肢を選ぶ人もいるわけです!)そして、みんながエンパワーされました。

 ある時、教師二人の衝突があった時、校長は両者の考えを聞いた上で、両者にお互いのやり取りを記録したり、それについて自分の考えを書いたりするように勧めたところ、自分自身に対してフィードバックができるようになったことで、問題の解消につながったそうです。まさに、学ぶために書くことが軽視/無視されていることを、教師がモデルで示していたわけです(http://wwletter.blogspot.com/2019/08/blog-post_9.html)が、ノートに記録し始めると書くことでより熟考しますし、振り返りますし、改善案まで考えますから、問題解決につながる可能性がはるかに高くなるわけです。

 書く文化を、学校レベルで、そして教室/授業で、さらには保護者とも、今まで以上にとってください。そうすることで、みんながよりよく考えられ、学校や教室/授業の課題が確実に解決/改善するようになります!

 

出典: https://choiceliteracy.com/article/using-concern-forms-for-feedback/


2020年9月5日土曜日

「諸刃の剣? 〜学びたくないことを学ぶ価値とその立ち位置」

  ITや機械が苦手な私ですが、ここ数ヶ月は、やむをえず、機械やテクノロジー関係の「ハウツー」をいくつか学びました。オンラインに詳しい同僚がデザインした授業からは、「オンライン上で(手作業では手間がかかりすぎて絶対できないような)こんなことができる!」という、目から鱗のような活動も学びました。

 また、読書は断然「紙の本!」派の私ですが、夏休みに、職場の図書館にある英語学習用のe-bookを、授業に使う可能性も考えながら100冊ぐらい読みました。e-bookのシリーズによっては100ページまでダウンロードや印刷可という設定のものもあり、また、紙の本のように重たいものを持ち運ぶ必要もない等の点を活かせないか、と思ったのです。ただ、本を読むのが大好きな私ですが、今回は、ブックトークをしたいような本に、なかなかうまく出合えませんでした。作家読みが簡単にできたり、次に読みたい本がたくさんあるような、自分がこれまで行なってきた読書体験とは異なる読書体験でしたし、これまでに使ってきた選書スキルもうまく応用できなかったので、そのあたりの課題を意識しつつ次のことを考えていこうと思います。

 このように、ここ数ヶ月「自発的には、まず学ぼうとしないこと」を学びながら、考えたことがいくつかあります。

・「必要に迫られて、やむをえず学ぶ」ことの価値。
→ 自発的にはまず学ばないことに触れることで、私でも、できることが少し増え、対面授業・遠隔授業という授業形態にかかわらず、今後も使い続けたいと思える活動に出合えるという嬉しいサプライズもありました。

・新しいものを学ぶためのサポート
→ 私は、サポートされるばかりででしたが、喜んで知識や技術を惜しげもなく共有してくれ、質問にも対応してくれた同僚に助けられました。

・緊張やストレス
→ 馴染みのないことを学び、時間の余裕のない中で使うのは、予想外の緊張やストレスを作り出すこともよくわかりました。

・「自分の中に学習者としての経験や蓄積のないもの」への対処の仕方
→ 上記のように、図書館にあるe-bookのシリーズを読むことは、私のこれまでの読み手としての読書体験とは異なるものでした。考えてみると、それ以外も、オンラインでの学びは、私の中には経験や蓄積の少ないものが多いです。

 少し前に、長年の仕事仲間が、「新しいものに出合った時に、単なるハウツーの寄せ集めにならないためには、自分の中にある土台を意識することが必要」というようなことをメールに書いてくれ、そのことを折りに触れて思い出しています。

 ライティング/リーディング・ワークショップには、教師は先輩の読み手・書き手であり、実際に読む時、書く時に役立つことから、学習者に適したものを厳選して教えていく、という考え方があります。例えば、8月7日の投稿「Engaging Literate Minds(本づくり)の第2弾」では、ライターズ・ブロックについて、(1) 何を書けばいいのかわからない、(2)次に何をすべきかわからないという状態であることを説明した上で、それを乗り切るためにできることのリストが紹介されています。このリストは小学校の教室の壁に掲示されているとのことですが、そのリストを見ると、まさに私自身が使いたいような項目が並んでいます。これなら書き手としてずっと使える、学ぶ価値のあるリストだと、自分の経験上からも、納得できます。

 私が大きな影響を受けた優れた実践者のナンシー・アトウェル は、上のような学びを「譲り渡し」という概念で説明しています。つまり、教師が、読み手・書き手として使っていることから、生徒の成長に役立つことを選んで、生徒に「譲り渡し」ます。(『イン・ザ・ミドル』35〜38ページ、および、2018年12月1日の投稿「譲り渡し ➡️ いったい何を譲り渡すの? そしてどのように」もご参照ください。)

 これまでは、いろいろな制限の中でも、自分が読み手、書き手として行なってきたことの中から、役立ちそうなことを教えよう、と考えてきました。しかし、必要に迫られて新しいことを学ぶ時には、その新しいことは、自分の読み書きのレパートリーに入っていない未知のことが多いです。その中には、「目から鱗」で飛びつきたいものもありますし、その特徴をどう活かせばよいのかがすぐに見えないものもあります。そして時間的な余裕がないまま、使いながら考え、できる修正を少しずつ加えて整えていくということが必要な時もあります。

 それらに対しての立ち位置を定めてくれるのが、私にとっては「譲り渡し」という概念のように思います。自分の読み書きのレパートリーにそれらを加えるのと同時進行で、読み手・書き手を育てるのに、ここから「譲り渡し」できることがあるのか?と考えるからです。

「譲り渡し」を土台に、何をどうやって譲り渡すのかという模索はまだ続きそうです。

2020年8月28日金曜日