2018年10月20日土曜日

「知の錯覚」から抜け出す道


 『理解するってどういうこと?』は、共訳者の吉田さんとメールで何度もやりとりしながら訳した本です。自分一人でも一応の訳文はつくり、何度も推敲したつもりだったのですが、それと比較すると、出版した本の訳文の方がわかりやすいのです。これは、吉田さんの提案する訳がわかりやすかったということを言いたいわけではありません(それはそれで、実際そのとおりなのですが)。この本の「訳者あとがき」にも書いたように、お互いの訳文を検討し合うことで、思考を重ねた訳文が生み出されたということなのです。知っているつもりでいたことが、じつは何も知っていなかったという事実に、自分が気づかされて頭をフル回転しなければならなくなったということなのです。

 insightという英単語の訳を考えるために、英和辞典を引き、一般的な「洞察」という訳語を宛ててそれで満足していたわたくしは、実のところ、insightという語を著者が「なぜ」使ったかということを考えていませんでした。「この「洞察」ってどういうことなのでしょう?」と問われて慌てるわけです。前後の文を読み、著者が何を伝えようとしているのかということを考えた末に、そこでのinsightは「じっくり考えて何かを発見すること」だと気づいたのです。実際にそういうふうな訳語を使ってみると、著者の言いたいことが自分にもよくわかってくるのです。

スティーヴン・スローマン&フィリップ・ファーンバーグ(土方奈美訳)『知ってるつもり:無知の科学』(早川書房、2018)は、こうしたことを科学の全般にわたって考察した本でした。たとえば、少し勉強していろいろな知識を蓄えた時に、次のようなことに陥ってはいないでしょうか。



物事の仕組みに対する自らの知識を過大評価し、本当は知らないくせに物事の仕組みを理解していると思い込んで生活することで、世界の複雑さを無視しているのである。実際にはそうでないにもかかわらず、自分には何が起きているかわかっている、自分の意見は知識に裏づけられた正当なものであり、行動は正当な信念に依拠したものであると自らに言い聞かせる。複雑さを認識できないがゆえに、それに耐えることができるのだ。(46-47ページ)



この事態をスローマンたちは「知識の錯覚」と呼びます。そして、わたくしたちはときに「探求をやめる決断をしたことに無自覚であるために、物事の仕組みを実際より深く理解していると錯覚するのだ」と言います。

ではどのようにして「知識の錯覚」から抜け出すができるのか。その一つの策は「熟慮」することだとスローマンらは言います。



熟慮の一つのやり方は、他者と話すように、自分自身と語り合うことだ。熟慮はあなたを他者と結びつける。集団は一緒に直観を生み出すことはできないが、ともに熟慮することはできる。(94ページ)



かれらはこれを「コミュニティとしての思考」と呼んでいます。「コミュニティとしての思考」――とても魅力的な概念です。「知識の錯覚」を避けていくためにはとても重要な概念です。そうした「錯覚」から抜け出す道を、スローマンらは次のように言っています。



 本物の教育には、自分には知らないことが(たくさん)あると知ることも含まれている。持っている知識だけでなく、持っていない知識に目を向ける方法を身につけるのだ。そのためには思いあがりを捨てなければならない。知らないことは知らないと、認める必要がある。何を知らないかを知るというのは、自分の知識の限界を知り、その先に何があるかを考えてみることにほかならない。それは「なぜ?」と自問することだ。(238-9ページ)



 スローマンとファーンバーグが論じたのは、平たく言えば「無知の知」です。つまり「わかっていない」立場で物事に取り組むということの重要性です。そのために、他者の考えを理解しようとしながら(自らの考えだけでは完全ではないことを認識しつつ)、協働することを重んじているのです。そうすることで「他者と話すように、自分自身と語り合う」思考が可能になるのではないでしょうか。これは、『理解するってどういうこと?』の共訳の過程でinsightという語の訳語を考え出したときのわたくしの思考と似ています(だからといってすべてわかったとは思いませんが)。

 

2018年10月12日金曜日

「対話読み聞かせ」をしました



対象は、小学3年生です。(このやり方なら、中学や高校でも使えるはず!!)
対話読み聞かせでは、読み聞かせをしながら子どもたちの対話を促していきます。
本について語ることで、本について考えることができるようにします。

今回、対話読み聞かせに選んだ本は、
『名前のない人』(クリス・ヴァン・オールズバーグ 著 村上春樹 訳)です。

お百姓のベイリーさんがトラックではねてしまったのは、鹿ではなく人間でした。
ベイリーさんは自分がトラックではねてしまった男を家に連れて帰ります。
不思議な服を着て、口がきけないその男は事故の衝撃で記憶を失っているだけなのか。
それとも、人間ではない別の存在なのか。
ベイリーさんの一家にとって大切な存在になっていく「名前のない人」とは何者なのか
クラスのみんなで語り合うのにぴったりの絵本です。

まず、表紙の絵(温かい料理から立ちのぼる湯気に驚いたような表情の男性)を見せながら
「何か気づいたことはある?」とたずねてみました。

子どもたちの反応は、
「スープを見て驚いている。」
「初めて見るみたいな顔をしている。」
「記憶をなくした人なのかもしれない。」
「きっとこの人が『名前のない人』だ。」などでした。

*以下、太字は絵本の文章の引用です。

夏が秋へと移り変わって行く頃
「夏の暑さが終わって涼しい風が吹き始める頃だね。」(教師)
「ちょうど今頃(9月)の時期かな。」(子ども)

ベイリーさんが何かをたずねても、その人は何を言われているのか全然わからないみたいだった。
「車とぶつかったショックで記憶喪失になったんじゃない?」(子ども)
「うん、そうだと思う。」(子ども)
「それで、自分の名前を忘れちゃったから『名前のない』なんだよ。」(子ども)

「ああ、それ捨てちゃって構わんよ」とお医者は答えた。「壊れてしまってるんだ。水銀がちっとも上にあがってこないんだよ。」
「昔の体温計はガラスでできていて、熱があるとガラスの中に入っている水銀があがるしくみになっていたんだ。先生が子どもの頃も使っていたよ。ガラスが割れて中の水銀が出てしまうと危険なので、今はみんな電子体温計を使っているけれど。」(教師)

「医者は、名前のない人は『記憶を失っているようだな』と言っているね」(教師)
「やっぱり記憶喪失だったんだ!」(子ども)
「車にぶつかったのが原因で記憶がなくなったんだよ」(子ども)

男はボタンのとめかたがよくわからないみたいだった。
「ボタンのとめ方まで忘れちゃったのかな。」(子ども)
「でも、そんなことまで忘れることってあるかな?何か変だよ。」(子ども)

温かい料理から立ちのぼる湯気を見て、男はなんだかびっくりしてしまったようだった。
「やっぱり変だよ。食べ物を見てびっくりするのはおかしいと思う。」(子ども)
「記憶喪失といっても、普段の生活のことまでは忘れないんじゃないかな。」(子ども)

ベイリーさんの奥さんはぶるぶるっと身震いした。「うう、寒い。今夜はどこかからすきま風がはいってくるようね。」
「今、読んだところだけど名前のない人がケイティーの真似をしてスープを吹いて冷ましたときに、奥さんが身震いしているね。前のページの、壊れてしまった体温計と何か関係はあるかな?」(教師)
「あっ! もしかしたら名前のない人は、体温がものすごく低い人間なのかもしれない。」(子ども)
「でも、体温計で測れないくらい体温が低いとなると、人間じゃないのかも。」(子ども)
「宇宙人だと思う。」(子ども)
「ボタンのとめ方も知らないし、料理見てびっくりしているから地球人じゃないんだよ。」(子ども)

それどころか兎たちはぴょんぴょん跳んで、男のほうにやってきた。
「兎たちは名前のない人を仲間と思っているみたい。」(子ども)
「野生の兎だったら人間が近づいたら逃げるはず。」(子ども)
「兎たちは、名前のない人を森のほうに誘っているみたいだから、名前のない人は本当は動物なんじゃないかな。」(子ども)

男は疲れというものをまったく感じないようだった。汗さえかかなかった。
「やっぱり変だよ。 ベイリーさんは疲れて休憩をしているのに、名前のない人は、汗もかかないなんて。」(子ども)
「人間じゃないと思う。」(子ども)

ここには何か大変な間違いがあるぞ、と彼は感じた。
「間違いって何だろう?」(教師)
「北のほうは、木の色が赤やオレンジになっているのに、ベイリーさんのところから南はまだ夏のままってことかな」(子ども)
「名前のない人は、自分が誰なのか思いだしたんじゃないかな。絵を見ると、何かに気づいたような顔をしてる」(子ども)

でも名前のない人の姿はもうどこにも見えなかった。あたりの空気はひやりとして、まわりの樹々の葉はもう緑色ではなかった。

名前のない人がやってきて以来、ベイリーさんの農場では、毎年秋になると同じことが起こるようになった。

「名前のない人は、一体何者だったのだろう?」(教師)
「やっぱり宇宙人だったんじゃないかな。いそいで家を出たのに一瞬でいなくなったから。」(子ども)
「体温計で測れないほど、体温が低いし、不思議なことがいっぱい起こっているから私も宇宙人だと思う。」(子ども)
「名前のない人がいると夏のままだったでしょ。だから名前のない人は『夏』だと思う。名前のない人がいなくなったとたんに秋が来るんだよ。」(子ども)
「名前のない人は『秋』だと思う。名前のない人を見ても兎が逃げなかったし、自然は動物と友達だから。最後のほうで名前のない人は秋の葉っぱを見て、自分が誰なのか思い出したんだと思う。」(子ども)
「名前のない人は『木』だと思う。茶色の服を着ていたし、木のそばで葉っぱを1枚とって息を吹いたら色が変わったから」(子ども)
「名前のない人は『季節』だと思う。名前のない人が行くところで季節が変わるから。」(子ども)
「すごい力をもった森の動物だと思う。なぜかというと、うさぎとなかよしだったり、鳥をずっと眺めたりしていたから。あと、最後の場面のところでリスになってベイリーさんの家を覗いている。」(子ども)
「いちばん最後に『また来年の秋にね』と書いてあるから、やっぱり秋だと思う」(子ども)

    <以上、対話読み聞かせは終了>

 対話読み聞かせは、通常の読み聞かせとは違い、読み聞かせの途中で教師が子どもに問いかけたり話したいことがある子どもが自由に発言したりする機会を大切にします。必要に応じて一つのテーマについてペアやクラス全体で話し合う時間をとることもあります。これらを行うことによって、1冊の本についてクラスのみんなで考え、互いの解釈を交流することができるようになります。

通常の読み聞かせでは、話の内容に集中し、最後まで静かに話を聞くことが求められます★。一方、対話読み聞かせでは、話の内容についてどれだけ考えることができたか、自分の考えを伝えることができたか、友だちの考えを聞くことができたかなどのことが大切な要素になります。

教師の立場からいえば、通常の読み聞かせのように、話をすらすら読めるようにしておくことに加えて、どこでどのような問いかけをするか、何について話し合うべきかを予め考えておくことが必要になります。

話を聞く子どもの立場からいえば、話を集中して聞くことに加えて、話の途中で浮かんだ疑問や思いついたことなどを、遠慮なく話せることが必要になります。また、話を聞くことと、話し合うことの切り替えがすぐにできることが求められます。

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以上の実践を紹介してくれたのは、相模原市の都丸陽一先生です。

対話読み聞かせのやり方は、『読み聞かせは魔法!』の第3章で詳しく紹介されています。

都丸さんは、その本の192~3ページで、対話読み聞かせと、従来の読み聞かせ、考え聞かせ、そしていっしょ読みの4つの方法を比較する表を作成してくれています。

今回の選書について都丸さんに尋ねたところ、以下のように回答してくれました。

通常の読み聞かせで選ばれる多くの本は、
読み聞かせをする対象の児童が「聞いてわかること」が条件だと思います。

考え聞かせ、対話読み聞かせを行うと、
「聞いてわかる」本だけでなく、
自分の力では読めない本まで選書の選択肢が広がると思います。
その理由は、先生の説明を聞いたり、友達の話を聞いたり、
わからないことを質問したりと、理解するための要素が増えるからだと思います。

『名前のない人』の場合は、使われている漢字や言葉の言い回しなど、
3年生が1人で読むには、かなり難しいと思いますが★★、
対話読み聞かせによって、多くの児童が話の内容を理解できたと思います。

作品中の「水銀式体温計」「隠者」などの子どもたちに馴染みのない言葉については読み聞かせを行いながら補足の説明を入れています。

一方的な読み聞かせと同じか、それ以上に対話読み聞かせが効果的な理由については、次の引用文から明らかだと思います。
「より典型的な一方的な(教師による)話が行われているクラスの子どもたちと比較し て、(対話のあるクラスの子どもたちは)読んだことをよく覚えており、より深く理解しており、文学を喜び味わう側面に対してより詳しく反応することができます」Opening Mindsの第5章からの引用。Opening Mindsは『言葉を選ぶ、授業が変わる!』の続編として現在翻訳中で、あと2~3か月で出版されますのでお楽しみください)

★ どれだけ理解しているかはすべて聞いている各人に委ねられます。残念ながら、教師はそれを把握する術がありません。子どもたちの顔色ぐらいしか?
★★ この本を大人対象のブッククラブの練習のときに使うことがありますが、大人にも難しいぐらいです!!

2018年10月6日土曜日

作品の読み直し/書き直しをしない子どもたちへの対応

 ライティング・ワークショップで、改善の余地がたくさんある作品が、読み直した形跡もなく、提出されることもあるかもしれません。

 その対策としては、以下の二つがあるように思います。

(1)自分の作品を読み直すときに、具体的にどういう書き直しができるのかを教えていく。
(2)読み直しながら「あーでもない、こーでもない」と思うこともよくあるので、書き手は、そういう「混沌としたプロセス」のなかで(1)のようないろいろな書き直し方を使っていることを示す。

 (1)については、例えば、『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)の86ページには以下がリストされています。

・書き出しを変える
・結末を変える
・ある部分を付け加える
・話の順番を変える
・ジャンルを変える
・視点を変える
・文の調子を変える
・時制を変える
・大切な場面を膨らませる
・一部に焦点をあてる
・長い部分を複数の部分に分ける、あるいは章立てにする

 『イン・ザ・ミドル』(三省堂、2018年)にも、165ページに「書き手が使う技についての、必要不可欠なミニ・レッスン」の項目がリストされています。

(2)の「混沌としたプロセス」ですが、一般に「書くプロセス」と言われると、「アイディアを出し、下書きをし、それを読み直し、書き直し、推敲して、校正をする」等の段階が浮かびます。でも『ライティング・ワークショップ』の著者たちが言うように、書くことは一直線には進まずに複雑な過程を進み、現実には書き手は各段階を行ったり来たりしています(『ライティング・ワークショップ』81~83ページ)。

 (私自身の書くプロセスを振り返っても、この点は納得です。書き直している間に、最初に書こうと思っている主な内容が大きく変わることもよくありますし、数日前に書いた下書きが、書き直しているうちに、ほぼ原形をとどめないことも、私の場合はけっこうあります。)

 中学校レベルの優れた実践者のナンシー・アトウェルは、「読み直して、書き直す」ことを教えるには、生徒たちに「実際に読み直して書き直すことがどういうことか」を、しっかり教師が見せて教える必要があるとしています。

 それを示す効果的な方法が、教師が書くプロセスを見せる」とというセクションで詳しく述べられています(『イン・ザ・ミドル』166~168ページ)。

 その方法を簡単に紹介します。

 教師は用紙に向かい、手元の様子をスクリーンに映して、「自分の頭の中を生徒に見せると決めて、生徒たちに、上手に書けるようになりたいと思っている大人、つまり教師の頭のなかで何が起こっているのかを、しっかり観察するように言う」ことです。これで、「生徒たちは、何とかしてよい文を書こうとするときに生じる、手のかかる面倒なプロセスを目の当たりに」できる、のです。(167ページ)

 ⇒ 『イン・ザ・ミドル』の共訳者の一人、あすこまさんは、これを教室で行っています。その様子はあすこまさんのブログ「改めて感じる、教師のデモンストレーションの手応え」で、ぜひどうぞ!
https://askoma.info/2018/10/06/6934

 他のやり方もあります。それは、「自分の書いたいろいろな段階のものをさがし、それを残しておいてコピーし、教室で使えるセット」をつくることです。生徒はそれらを「書くプロセスについての研究者」として、「調査」します。生徒たちは、いろいろな段階の原稿を「調査」したあとで、書き手としての教師が、何をどういう理由で行っているのかについて、一緒に考えます。具体的かつ明確に何ができるのかを知るためです。(『イン・ザ・ミドル』167ページ、および、次の「教師が自分の書いた詩を使って教える」というセクション、168~174ページ)。

*****

 『イン・ザ・ミドル』には12~14歳ぐらいの生徒の書いたものがたくさん掲載されていますが、思わず引き込まれる作品が多いです。それは、「読み直して書き直すことがどういうことか」を、教師がはっきり示していることに加えて、「書くことは、紙の上でひたすら考えに考え抜くことで、そのやり方はたくさんある」ことを、ワークショップ開始の早い時期のミニ・レッスンで扱っていることも、後押ししていると思います(このミニ・レッスンについては161~163ページ)。

*****

 『ライティング・ワークショップ』の著者たちは以下のようにも述べています。

・「忍耐をもって子どもたちに接してください。教師は書くことを教えるのに熟達してくると、実は子どもたちは「書き方のテキスト」が言っているようには書かないのだ、という厳しい現実を学んでいくことになります。」(『ライティング・ワークショップ』147ページ)
・「教師がすべての子どもたちに一つの書くプロセスを押し付けることは大きなまちがいであり、それは書き手としての子どもを潰してしまうことにもなりかねません。」(82ページ)

 自分の書くプロセスを眺めてみても、「アイディアを出す ⇒ 下書き ⇒ 推敲 ⇒ 校正」 と一直線に着々と進まないからこそ、混沌とした中でできる、いろいろなことを教える価値があるのだ、と改めて思います。

2018年9月28日金曜日

指導と評価の一体化を実現する「カンファランス」



これまで『Reading Essentials(読み方指導の本質)by Regie Routman の内容については、4回紹介してきました。

今回は、5回目の第7章を紹介します。(左の数字はページ数、←は筆者のコメントで、→は一緒にブッククラブをしていた人のコメントです。)

第7章 指導と評価の一体化 
← 国研(文科省)は、これを17~8年ぐらい前に言い出しましたが、言い出した人たちですら依然として、何をすることが「指導と評価の一体化」なのかわかっていません。従って、現場の先生たちも、これを空虚な言葉としてしか捉えていません! 101~108ページに紹介されているカンファランスは、そのためのもっとも有効な方法と言えると思います。それができるようになるためには、一斉授業から抜け出せないと無理なわけです。『読書家の時間』の第8章を参照してください。
あらためて、『読書家の時間』の第4章と第8章を読みなおしました。104107頁の私が羅列といったリストは、いくらかその場面がイメージできるようになりました。国研の言っている「指導と評価の一体化」は、カンファランスとは違いますね。一体化させる「指導」のコンセプトが異なるので。
← まさに、『「指導」のコンセプト』のズレです。「子どもたちを自立した学び手にする」というビジョンがありません。あるのは「教科書をカバーする」ことだけです。
カンファランスは、結局子どもを評価するだけでなく、子どもの意欲も引き出したり、子ども自身に目標を立てさせたりするわけですよね。
← まさに、その通りです。これほどのパワフルな評価+指導の方法はないと思います。
  『効果10倍の教える技術』の中で、教師の3つの役割を紹介しました(58ページ)。<表3を参照>

  これを書いた10年前は、私もまだコーチング=カンファランスのパワーに気づけていませんでした。まだ、ファシリテーションこそが中心だと思っていたので。それまで、約20年間していたのが、ファシリテーションでしたから。
  しかし、WWRWのメンバーが実際にカンファランスを中心にした授業をやり始めて、ようやく気づけました。
  今だったら、この表も真ん中の「コーチ」のところをもっと膨らませて、一番下の「ファシリテーター」のところは3行ぐらいに減らします。
  ちなみに、この表は、http://projectbetterschool.blogspot.jp/2015/03/blog-post.html にある表の一番左側が「教師」、真ん中が「ファシリテーター」、一番右側が「コーチないしカンファランス」という形で説明がつきます。
  つまり、日本でここしばらく脚光を浴びているアクティブ・ラーニングは、あくまでも表の真ん中の話なわけです。それでも、一番左側よりははるかにマシなのですが・・・・右側に比べると、残念ながら教師の掌に乗っていることには変わりがありません。従って、教師の掌がなくなると、生徒は何もできなくなってしまいます。教師の側も、子どもたちも、最初から自立を目指しているわけではないので。その時間をつつがなくこなすことが目的になってしまいます。いま騒がれているアクティブ・ラーニングは、ほとんどがそのレベルです。
  本書(Reading Essentials)の第9章と第10章で紹介されている、shared reading★1とguided reading★2はファシリテーションの範疇に入れられると思います。カンファランス/コーチングではないし、教える要素は多分に含んでいますが、一番近いのはファシリテーションだと思います。
 評価に使えるカンファランス以外の方法については、『一人ひとりをいかす評価』の第4章と第5章(形成的評価と総括的評価)をご覧ください。たくさんの方法が紹介されています。

98 Assessments should bring about benefits for children, or data should not be collected at all.  By Lorrie A. Shepard
← 引用にあるように、成績(=テスト)中心で、子どもたちの学びに貢献しないことをやり続けているのが日本の教育です。本来、学びと教えることの改善につながらないものは評価の名に値しないの。その値しないことをやり続け、子どもたちの能力を表面的にランク付けすることしかできていない!
 『成績をハックする』が、この点についてさらに詳しく書いています。

100 Being proactive by securing and administering appropriate and useful assessments is part of our job as responsible professionals.
← ということは、responsible professionalになりきれていない日本の先生たち?!(そうなることを「求められていない」と言った方がいいのかもしれません。従来の指導観の枠組みでは。)

101~109までのカンファランスについての記述は、日本でもきわめて効果的なことがすでに証明されています。(『読書家の時間』の第4章をご覧ください。)
 カンファランス中に話し合う内容は、読む際の目標を反映している下記の「読みのルーブリック」です。

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上記のルーブリックと、『読書家の時間』の170~171ページを比較してみてください。日本の先生たちも、RWを実践している人は、すでにかなりいいのを(この表よりも?)つくれています。

 ここまで書いたことを見て言えることは、「指導と評価の一体化」の核は、「生徒一人ひとりが学ぶ過程で自己評価をし、それに基づいて自己修正・改善ができるようにすること」だということです。その際の教師の役割は、そのプロセスをサポートすることと、生徒の自己評価(や相互評価)と教師自身の評価/振り返りを踏まえて、よりよい指導(ミニ・レッスンやカンファランス)をしていくこと、です。そうすることで、よりよい読み手(生涯にわたって読み続ける読み手)を育てることができます。間違っても、教師ががんばって(教科書)教材をカバーすることではありません。★6

★1 いっしょ読みについては、『読み聞かせは魔法!』の第4章を参照してください。

★2 ガイド読みについては、『読書家の時間』の第6章を参照してください。

★3 授業中の一人読みは当然のこと(https://wwletter.blogspot.com/2017/08/blog-post_25.html)、授業外の一人読みも重視されていることがわかります。それに対して、日本の国語の授業で一人読みが行われることはあるでしょうか? 読むことを教える授業で、子どもたちに一切読ませないということは、いったいどういうことでしょうか? スキーをするのにスキーをはかせて滑らせない、野球をするのに、グローブをもって守らせないようなものです! コーチだけが熱心にどう滑ったらいいかや、どう守ったらいいのかを講義するだけで。

★4 要約することも含めて、理解するための方法については、『「読む力」はこうしてつける・増補版』が参考になります。学習指導要領で抑えないといけない「読むこと」の領域はすべて含まれているだけでなく、それ以外のものも対象になっています。つまり、優れた読み手が意識せずに使っている方法はすべて。それらを、まだ優れていない読み手に教えるための方法が紹介されています。

★5 教師がリードする話し合いよりも、子どもたち主導の話し合いが重視されています。一人読みと同じように、教師が介入していては「自立した読み手」にはなれませんから。

★6 それに興味関心がもてない生徒は、読むことを嫌いになる選択肢しか提供されていない状態です。(それが、私が学校時代を通してやらされたことで、見事なぐらいに読むことが嫌いになりました。)だからこそ、リーディング・ワークショップ/読書家の時間では、殊の外、ルーブリックの一番目の項目の一人ひとりが「自分にピッタリ」の本を読むことを大事にしています。それ以外に、読むことが好きになり、読む力をつける方法はないからです。(残念ながら、生徒全員が「自分にピッタリ」の本が同じということは、あり得ません!)カンファランスは、それを教師に確実に認識させ続けてくれる教え方でもあるわけです。逆に言えば、生徒たちと話さない限りは、「生徒全員同じでいい」という誤った前提をもち続けることになるわけです。


2018年9月22日土曜日

理解の成果としての「深い絆」


「理解の種類とその成果」は、エリンさんの『理解するってどういうこと?』の中核です。「理解の種類」は私たちの生活(人生)のなかで起こることで、その「成果」は私たちの頭のなかで起こります。これらは、小学校2年生のジャミカの「理解するってどういうこと?」という問いを探究するなかで、エリンさんの次のような問いから生まれました。

「子どもや大人が知的に熱中しているときや、深く理解するときには、どのような特徴があるのでしょうか? 深いレベルの理解をもたらすためのツールとして7つの理解するための方法を用いるとき、読み手にはどのような成果がもたらされるのでしょうか? 子どもたちや大人たちが自分の読んだものを理解し、それを身につけ、他の場面で応用できるというとき、何か共通した成果があるのでしょうか?」(『理解するってどういうこと?』57ページ)

 「理解する」ことをいざなうのは教育の大切な目標です。学ぶ人の頭のなかで理解の「成果」が起こるにはどうしたらいいのでしょうか? これは授業者が切実に抱く問いですが、すぐれた表現者が心に抱く問いでもあります。

 ハリウッド映画のヒット作の脚本を分析しながらこの問いに迫った本を読みました。カール・イグレシアス(島内哲朗訳)『「感情」から書く脚本術―心を奪って釘づけにする物語の書き方―』(フィルムアート社、2016年)です。いい脚本を書くためにどういうことに配慮すればいいのかということを示した本であり、巧く語るための「道具箱」でもあります。ですから、脚本執筆の入門編ではなく上級編です。だからこそ「理解する」ことを誘う「術」がとてもわかりやすく示されています。

 著者イグレシアスは「登場人物が激しい感情をむき出しにしているのに白けてしまうという映画は何本も見ているはずだ。心が震える理由がなければ、客は飽きてしまう」と言い、ある作家の言葉を引用しています。すなわち、「大事なのは、読んでいるそのページで何が起きているかじゃない。読んだ人の心の中で何が起きたか。それが肝なんだ。」(24ページ)。読んだ人の「心の震える」作品をつくることが「読んだ人の心の中で何が起きたか」に焦点を絞ることであるというこのような主張は、理解の「成果」にターゲットを絞ることでもあります。

では「心の震える」作品には何が必要か。

イグレシアスは、映画の観客が三つの感情をもつと、その作品に引き込まれると言っています(22ページ)。「見たい」(Voyeuristic=覗きたい)という感情、「わかる」(Vicarious=相手の気持ちになる)という感情、「理屈抜き」(Visceral=本能で感じる)感情、という三つです。

本書では、これらの感情を抱かせるために必要なことがらが、「読者」「コンセプト」「テーマ」「キャラクター」「物語」「構成」「場面」「ト書き」「台詞」のそれぞれについて実例を交えて詳しく説かれていきます。いずれも観客の「心」が「震える」条件を探っています。

たとえば、「キャラクター」(登場人物)の造型に必要な「5つの質問」を取り上げたくだりがあります(87ページ)。

1 この物語の主役は誰か(タイプ、特徴、価値観、欠点)

2 何を求めているのか(欲求と目標)

3 なぜ求めているのか(動機と必要性)

4 失敗したらどうなるか(代償の大きさ)

5 どのように変わるのか(内面的変化の軌跡)

脚本を書くための本なので、このような問いに答えるようにして「造型」することによって、「心の震える」登場人物の造型ができるようになるということなのですが、物語や小説の理解に応用してみると、登場人物を詳しく知る手がかりになります。のみならず、その物語や小説の表層の理解にとどまらず、深いレベルで理解していくことに繋がっていくでしょう。いきおいそれは、登場人物の「変化」の意味を考えることになり、読者である自分自身の「変化」を意識することにもつながります。脚本家がその「変化」を明らかにする方法として「2行の対応表」というアイディアが示されています。

「1枚の紙に線を引き、横2行の表を作る。1行目には「私がこのキャラクターについて知っていること」と見出しをつける。その下に、主な特徴を書きこんでいく。隣の行には「見せ方」と見出しをつけ、最初の行に羅列された特徴をどのようにドラマとして見せるか書き込んでいくのだ。」(101ページ)

シンプルなアイディアですが、物語や小説を「理解する」きっかけになると思います。登場人物について気づいていなかったことに気づくきっかけになるからです。このようにして「キャラクターと一緒に感じ、置かれた状況や感じ方、そして動機を理解する」ことが「共感」だとして、「キャラクターを好きになって応援したいと思う」「同情」とを区別することが大切だと言っています。そして、キャラクターの行動や欲求や感情を認識したときに「キャラクターと読者の心は結ばれ」「深い絆が結ばれる」と言っています(112113ページ)。

『理解するってどういうこと?』の第9章で、エリンさんと子どもたちがロバート・コールズの『リビー・ブリッジス物語』を読みながら、「共感」という理解の成果を手に入れるくだりを思い出します。登場人物と読者の心が結ばれることによって、読者のあいだにも「深い絆」という理解の成果が生まれるのです。

2018年9月15日土曜日

解釈の自由? 正しい解釈? ➡ 読みを修正し、読み取れる部分を深める

 リーディング・ワークショップでは、教師が「これが正しい解釈ですから、ちゃんと覚えておいてね」と話す光景は想像しにくいです。でも、だからと言って、明らかな読み間違いを「解釈の自由」として放置するような授業でもありません。「優れた読み手が共通に見つけられるような意味」が見つけられるように、(間違って読んでいる場合は)必要な修正ができること、そしてそこから読み取れることを深めることが大切にされています。

 「優れた読み手が共通に見つけられるような意味」に関して、まず思い出すのが、『リーディング・ワークショップ』(ルーシー・カルキンズ、新評論)の中の、「自分の理解を確認し、必要な修正をする」(185~188ページ)というセクションです。

 ここでは「降雪」という単語を例として、「この単語をみたときに、降りしきる豪雪を思い浮かべる人や空を舞っている雪を思い浮かべたりする人がいるということは分かりますが、両方とも空から降ってきた雪のことを考えているということだけはまちがいありません」(185~186ページ)と書かれています。

 「読者が自分のもっているイメージを読んでいるページに重ねあわせるというのはその通りなのですが、同時に、優れた読書家があるページを読んだときに共通して見つけられるような意味も存在している」(185ページ)ということです。

 「優れた読書家が共通に見つけられるような意味」という点から、もう1冊、思い出すのが、クリス・トバニ(Cris Tovani)さんの本★です。ここでは、ある物語の最後で、主人公が明らかに「飛び降り自殺をした」ということをはっきり示唆する箇所があるにもかかわらず、それが読み取れなくて、「最後がどうなったかわからない本はムカつく」みたいなことを言う生徒が登場します。「あれ?」と思った先生が、クラスの他の子に訊ねると、この生徒以外からも、突飛な結論のオンパレード。「引っ越した」「ドラッグの過剰摂取で死んだ」「銃で撃たれた」等々。

 先生が「そういう結論に至ったのは、本文のどういうところを論拠としているの?」と尋ねると、「本文のどこにも書いていないけど、これは私の意見。意見なんだから、間違いだとか間違いでないとか、関係ないでしょ?」という反応の子もいます。なかなか手強い?クラスです。

 さて、どうするか、です。

 一人ひとりが異なる本を読んでいることが多いリーディング・ワークショップの場合、まず、頭に浮かぶのは、個別対応ができるカンファランスやチェック・イン*の活用です。「これまでのところ、どう?」みたいな簡単な問いかけの応答から、あるいは「この主人公、ひどいね」みたいな生徒からの何気ない一言から、教師が生徒の読み違いに気づけることはけっこうあります。

(*チェック・インとは、一人ひとりの生徒に、読書の進みぐあい、理解度、満足度を確認する、ごく短い会話です。一人ひとりとのチェック・インの具体例は、『イン・ザ・ミドル』(ナンシー・アトウェル、三省堂)の278~290ページを参照してください。このチェック・インの実例が載っている箇所は、「読むときのカンファランスは難しい」と悩んでいる先生にはヒント満載です! まずは短時間で終わるチェック・インから、個別対応をスタートするのはいかがでしょうか?)

 でも、「読み間違いの修正」というトピックを、全員(もしくは小グループ)で扱ったほうがいいと感じるときには、クラス全体あるいは小グループでのやりとりを通して教えていくこともできます。(『リーディング・ワークショップ』185~188ページ「自分の理解を確認し、必要な修正をする」というセクションだけでなく、その前のセクション「読んだあとに再話できるように読む」も参考になります。)

  わからなくなったとき、話が通じなくなってきたときに、「あ、今、わかっていないのでは?」と、気付くこと、そして、気づいたときにできること、というのも、ミニ・レッスンのよいトピックになると思います。

 また、短いテキストを使い、 「どうやって」先生が、ある結論を読み取れたのかを、具体的な根拠を示しながら、実演することもできます。もちろん、その過程で「優れた読み手が共通に見つけられる意味」と「それぞれの意見や反応」は別物であることも、しっかり押さえたいです。

 なにしろ、 「おそらく、ほかのどんな効果的な読み方よりも、読み手は(ちょうど書き手が書いたものを修正していくのと同じように)自分の理解を修正することを学ぶことが最も必要」(『リーディング・ワークショップ』187ページ)なのです!

 また、「優れた読み手が共通に見つけられる意味」から読み取れることは、書き手の言葉の選択や書きかたに注目することで、より深くより豊かに読める可能性を持っています。

 それを総合的に、しかも毎時間行っているのは『イン・ザ・ミドル』(ナンシー・アトウェル、三省堂)で描かれている「今日の詩」の時間です。「今日の詩」の場合、詩は短いこともあり、毎回の所要時間はわずか10分程度です。『イン・ザ・ミドル』112~117ページに詳しく説明されていますが、無茶を承知でごくごく短く書くと、先生が詩のコピーを配布し、音読する、生徒はしるしをつける、そのしるしをつけた箇所をみんなで話し合う、それだけです。
 『イン・ザ・ミドル』での、「今日の詩」の時間に、先生が音読し、生徒が話し合う風景を、なんと、生徒が詩で描いています。その詩から教室の様子がよくわかります。「たとえ最初にうまくいかなくても」という詩で、『イン・ザ・ミドル』115~117ページに掲載されています。

 「たとえ最初にうまくいかなくても」という、中学生が書いたこの詩を見ていると、「優れた読書家が共通に見つけられる意味」だけでなく、それをより豊かに、より深く、しかも、書き手としても、多くのことを同時に学びながら、学習に集中している様子がひしひしと伝わってきます。

 こうやってみていくと、カンファランス、チェック・イン、全体でのミニ・レッスン。全体や小グループでのやりとり。そして、生徒が今読んでいるもの、先生が選ぶ短いテキストや詩。使えるものも、行う方法もいろいろありそうです!

★上で書いたクリス・トバニさんの本は、Cris Tovani著のI Read It, But I Don't Get Itで Stenhouse より2000年に出版。
 「理解できないところを『自分で』見つけられるようにする」というタイトルで、2015年11月13日のWW/RW便りでも、この本の他の箇所から、あまり読めない子どもたちの様子を紹介をしています。https://wwletter.blogspot.com/2015/11/blog-post_13.html

2018年9月7日金曜日

評価も、教え方も、3つの種類がある!



 評価には、①「学びのための評価(assessment for learning)」②「学びとしての評価(assessment as learning)」そして③「学んだ結果の評価(assessment of learning)」の3種類があります。

 『一人ひとりをいかす評価』の中で(90ページ)、①「学びのための評価」を教師が「受け持っている生徒や内容や学習環境に関する知識を組み立てたり、使ったりして、生徒の多様なニーズを確かめたり、確かめたニーズを次の学習段階での指導で使ったりする」評価と捉えています。つまり、「指導のための評価」とも言い切れます。そうなのです、評価は生徒の成績を出すために行われるだけでなく、(生徒の学びを促進するために)教師の教え方を常に改善し続けるためにも存在するのです! これこそが、形成的評価と言えます。ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップで行われるカンファランスは、その最適の方法と言えると思います。(診断的評価も、これに含めて間違いないと思いますが、中心は形成的評価です。)

 ②「学びとしての評価」については、評価と学びをつなぐコネクター(接続)役としての生徒の存在が強調されています。「生徒たちは単に評価の情報を提供する者なのではなくて、評価情報の意味づけに積極的の取り組むことができる者にならなければならいのです。その際には、明確に定義された学習目標と、自分が理解したことを関連づけたり、フィードバックしてもらったことを自分自身の学習を振り返るために使ったりして、知識や理解やスキルを伸ばしていくのに必要な修正や改善をしていくことができるようになるのです」((90~91ページ)と説明されています。つまり、生徒たちを自己が評価でき、その情報を自分の学びの修正・改善に活かせる者として捉えているのです。それは、「指導としての評価」とも言うことができ、ポートフォリオ、パフォーマンス評価(プロジェクト学習)、ジャーナルなどがその典型的な方法です。(これらは、総括的評価の方法と呼べるもので、たくさんの作品を書いたり、たくさんの本について感想等を口頭や紙面でやり取りをしたりすることなどを通して、ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップでもこれらを使っています。)

 最後に、③「学んだ結果の評価」ないし「指導した結果の評価」は、テストに代表されるものです。評価というよりは、「成績」と言ってしまった方がスッキリするぐらいかもしれません。日本の評価は、基本的にこれが中心であり続けていますが、提供してくれる情報は最低限であり、上記の①と②の機能をもっていないので、ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップではほとんど使われていないといっても過言ではありません。これと、よりよい書き手やよりよい読み手に育てることとの相性が極めて悪いです。もちろん、テストのために(年間を通して)教えるという無駄なこともしません。テストだけでなく、成績を出すことに労力を費やしても、残念ながら生徒の学びの質と量を向上することも、教師の指導力の向上にも寄与していないことは明らかですから。★

 以上のように、評価について理解できると、教え方をドラスチックに改善できる糸口が見えてきます。★★
 さらには、文科省が長年にわたって切望している「指導と評価の一体化」の実態も見えてきます。力点を置くべきは、③ではなくて、①と②です!!

★ この点に特化した本が『成績をハックする』で、本の内容は今回の書き込みとかなりオーバーラップするが多いです。事例として使われているのがライティング・ワークショップをベースにしたものが多いのがその理由です。

★★ 『イン・ザ・ミドル』の第8章からも、それははっきり見えてきますので、合わせて読んでみてください。(このブログの8月24日号では、評価の別な側面に焦点を当てて紹介しています。http://wwletter.blogspot.com/2018/08/blog-post_24.html