2020年10月17日土曜日

世界を知るという喜びを味わう

  エリンさんは『理解するってどういうこと?』の第7章には「ノンフィクション」を読む困難さとそれを克服する方法について書かれています。

「子どもたちにフィクションを読むときとは違った方法でノンフィクションを読むように教えたときは長持ちします。それは、子どもたちが教室を巣立ってから後にも長く使うことのできるツールですし、私たちが想像もできないような難しいノンフィクションを読み、情報を理解するときに活用できる方法です。ノンフィクションの構造と障害について学ぶことは、多様な種類の理解に役立ちます。ノンフィクションを読みこなすツールは、理解のための7つの方法と同じく、新しい情報を自分のものにする際に使いこなしてほしい方法です。」(『理解するってどういうこと?』277ページ)

 実際、私たちが日常生活で読む文章はおそらく圧倒的に「ノンフィクション」がかなり多いはずです。私自身は「フィクション」を好んでよく読みますが、それはちょっと変わった読む生活ではないかと思います。ましてや、書く文章が「フィクション」ばかりという人もっと少ないはずです。私たちは多くの場合、「ノンフィクション」の読み・書きをしながら人生を送っていますが、「ノンフィクションを読みこなすツール」をどれほど手に入れているでしょうか。

エリンさんは「理解の種類とその成果モデルを用いながら、もっとも熱中度の高い学習に結びついている多くの性質をつきとめ、それらを子どもたちに日常の読み・書きの体験で使うよう求めることを、私は提案しようと思います」とも言っています。「ノンフィクション」の「もっとも熱中度の高い学習」はどのようにすればいいのか。これは難問です。

読むことばかりでなく、書く方向からこの「ノンフィクション」問題に迫ることはできないものか。たまたま、「創作」の仕方について考えようと思って手に入れた ロイ・ピーター・クラークの『名著から学ぶ創作入門』(越前敏弥・国広喜代美訳、フィルムアート社、2020年)を読んでいると、ルイーズ・ローゼンブラットについて書いてある一節が目に飛び込んできました。「読者反応理論」のもとをつくった人物ですが、クラークは書き手が読者の反応を予測するための重要なヒントをこの理論家から学んでいます。

「ローゼンブラットはそれまでの研究と教職の経験から、異なる目的で書かれたふたつの文章によって、それぞれに特徴的なふたつの読書体験が生まれると考えた。その区別はどちから一方だけという性質のものではなく、同じ領域に存在するものだ。ローゼンブラットは一方のタイプの読み方を『導出的』、もう一方を『審美的』と呼んでいる。」(『名著から学ぶ創作入門』218ページ)

 ちなみに『理解するってどういうこと?』の「理解の種類とその成果」モデルのなかにもこのふたつの読書体験のことは登場します(ここで「導出的」と訳されているefferentを「情報を取り出す」と、「審美的」と訳されているaestheticを「喜びを味わう」と、それぞれ訳してあります。それぞれ、理解の「成果」をあらわす概念として使われています)。ちょっとむずかしいローゼンブラットのこの概念を、クラークは次のように端的に書きます。

「導出的な文章は、一度読めばじゅうぶんだ。審美的な文章は、読者が何度も繰り返して読みたくなったとき、そのたびに新たな知恵や喜びをもたらすことで、そのすばらしさが証明される。」(『名著から学ぶ創作入門』220ページ)

 クラークの解説がすばらしいのはこのあとです。ローゼンブラットの用語は一般向けには「難解すぎる」かもしれないと言って、「作家の道具箱」にある言葉をそのまま使って表現しています。すなわち「レポート」と「ストーリー」(物語)です。

「たとえば、『ニューヨーク・タイムズ』紙や『タンパベイ・タイムズ』紙に見られる文章のほとんどはレポートであり、『だれが』『何を』『どこで』『いつ』『なぜ』『どうやって』といった疑問に対する答えをもとに組み立てられている。その評議会でだれが発言したのか。地面にあいた穴を修復する計画はどうなったのか。新しい美術館はいつオープンするのか。(中略)レポートの書き手には、正確に、明瞭に、できるかぎり偏見のないように仕上げる大きな責任がある。/ストーリーはちがう。ストーリーの目的は情報を伝達することではなく、身代わりの体験を提供することだ。八月の暑いさなかのフロリダ州の教室で、エアコンの恩恵にあずかれない生徒たちがどんな体験をしているかを伝えるには、ストーリーの特別な力が必要で、それには目撃者の立場で語る手法を用いるしかない。」(『名著から学ぶ創作入門』221-222ページ)

 どうでしょうか。さらにクラークは前者が「ある場所を指し示す文章」だと言い、後者は「そこへいざなう文章」だと言っています。この両者の「書き方」の違いを知ることで、それぞれの文章に対する「反応」の違いも予想することができるというのです。そして、歴史家のポール・クレイマーの「ストーリーからレポートのあいだにはさまざまな作品が並んでいるが、ある作品の一部が他方の端に近いということはありうるので、配列は作品間だけでなく作中においても存在する。この揺らぎが巧妙に組み合わされていると、豊かな読書体験が生み出させる」という言葉が引用されています。

 クレイマーの言う「揺らぎ」をいかに意識して読んでいくか。「ノンフィクションの構造と障害について学ぶことは、多様な種類の理解に役立ちます」というエリンさんの言葉はそのことを言っているのです。教科書の説明的文章にしても、クラークの言う「レポート」のような「読む者に場所を指し示す」性質(導出的:情報を取り出す)だけでなく「読む者にその場所へいざなう」性質(審美的:喜びを味わう)も持っているわけですから、「ノンフィクションを読みこなすツール」(『理解するってどういうこと?』の「表7.4 ノンフィクションをしっかり読めるようにするには」(274-6ページ))のどれかを使ってその文章と交流してみましょう。「文学的文章」と「説明的文章」を切り分けて考えがちな私たちですが、そういう考えを脇に置いて、クラークがローゼンブラットの言うことをふまえて言うような二つの種類の読み方や書き方を試みてみると、あたらしい情報を自分のものにしていくことができるのではないでしょうか。きっと新聞記事も誰かの伝記もネット記事も、客観的に情報を伝えるだけでないということがわかってきて、もっと調べてみたくなるはずです。そういう読み方が世界を知る喜びを味わうことにつながるはずです。

(ちなみに、クラークの本の訳者の一人である越前敏弥さんは、『ダヴィンチ・コード』等、ダン・ブラウン作品の翻訳者でもあります。読者にその場所を指し示しながら読者をその場所にいざなう名訳の書き手です。)

2020年10月9日金曜日

学びの中核にある好奇心をふまえた教え方・学び方

 アメリカには「子どもたちは?マークで学校に入り、ピリオド(終止符ないし句点)で出る」という言い回しがあるぐらい、学校は好奇心を葬り去る場として知られています。

日本の学校の授業では、好奇心を大切にしているでしょうか?

あなたは、子どもたちがどのような状態で学校を卒業していってほしいですか?

 そのために、自分がやれることにはどんなものがあると思いますか?

 

 今日発売の『「おさるのジョージ」を教室で実現――好奇心を呼び起こせ!』は、まさにその好奇心をテーマに書かれた本です。そして、ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップ(WWとRW)が、いかにその好奇心を活かしながらの教え方・学び方になっているかの裏付けになる本です。それは、以下の目次を見ていただくだけで、明らかだと思います。

 

1章 探究と試行を促進する

第2章 学習を自立的で苦にならないものにする

第3章 内発的動機づけを取り入れる

第4章 想像力・創造力を強化する

第5章 質問することを支援する

第6章 時間をつくる

第7章 好奇心の環境をつくる

 

 もちろん、これらの要素はWWとRWを実践する時だけでなく、すべての教科領域、すべての教える/学ぶ行為をする時に大切なものです! (逆に言うと、これらが押さえられていないと、よく学べないことを保証してしまうことになります!) 各要素について詳しく書かれていますので、ぜひご一読を(具体的に試せる方法が33も紹介されています)! 以下には、WWとRWに関連するところを二つだけ紹介します。

 

 よく考え、よく書く子どもにするためには、周りの世界で起きている現実に強い関心をもってもらうことが必要です。一番よいのは、生徒が自分の興味のあることについて書くことです。しかし、ほとんどの場合、教師はその逆のことを行い、制限的な文章の枠組みを割り当て、子どもの声の自然な美しさ、個性、活力を殺してしまっているのです・・・自由に書くことによって、書く際に気をつける要点や、ひいては学校に対する考え方も変化することでしょう。(『「おさるのジョージ」を教室で実現』の134ページ)

 

 学習障害のある思春期の生徒たちと一緒に活動しているパティ・キーンは、きっとできないだろうと判断せず、創造性を奨励するために、「自分を書き手とは思えない人たちの創作グループ」という活動をはじめました。

 キーンと三人の生徒は、自由時間の間、顔を突き合わせ、七分間瞑想し、七分間書き、その書いたものを読み(オプションとして、読まないという選択もできますが、そのオプションが使用されたことはありません)、気づいたことや感動したことに反応するといった活動を行いました。

その後、生徒たちと教師はそれぞれ一つずつ質問をしました。グループの全員(キーンを含む)が「書くことに障害を抱えている」と言われており、それが信じられていました。しかし、このように毎週、リラックスした空間で「ただ書いて」、その場に居合わせるという環境によって、深遠な詩や物語、エッセイ、そして韻を踏むといったことを彼らに促したのです。グループのメンバーはミーティングを続けることを選択し、「夏休みの間はSkypeを使ってミーティングができるか」と尋ねていました。(同、172ページ)

 

 そして、「おわりに」には次のようなことも書かれています。

 

 銀行型教育モデルの教師は、子どもたちがノートに写すことを板書するだけの存在・・・しかし・・・講義中は座って教科書を読んでいるだけであったり、テスト前に試験範囲の内容を記憶したりするような受動的な勉強をしても効果はありません。

 一方、好奇心に満ちた教室では、教師は(教科書から)学習者に焦点を移し、自由な探索的会話を促し、「多様な考え方の出会い」を促します。後者のアプローチでは教師はコーチのような存在となり、生徒に集中力を与えることになりますが、個別に具体的な考え方は教えません。(同、314ページ)

 

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2020年10月3日土曜日

多様な学びの例を省略しないことの価値

 「一人ひとりの読み手を教える」という題名の章が、『イン・ザ・ミドル』(三省堂、2018年)の中にあります。この章を開くと、まず目に入るのが、ライティング/リーディング・ワークショップの優れた実践者ナンシー・アトウェルが、ある月曜日のリーディング・ワークショップ開始時に、一人ひとりの生徒とかわした短いやりとりが、「そのまま」記述されている箇所です。  

  このやりとりは、アトウェル がリーディング・ワークショップの最初に、クラス全員(と言っても18名の少人数クラスです)に対して行う「チェック・イン」と呼ばれる活動です。私が口に出して読んでみると、最も短いものが30秒ぐらい、最も長いものでも90秒ぐらいです。この短時間のやりとりが18名分続けて、記述されています。 

 最初にこの箇所を見たときに、「どうして18名全員分を記載することが必要なのか?」と思いました。「代表的な」(あるいは模範となるような)例を5、6挙げれば、十分ではないかと思ったのです。  

 『イン・ザ・ミドル』には、この「チェック・イン」と呼ばれる時間の描写以外にも、「えっ? こんなにあるの?」と思えるような「例」の記述が、他にもいくつもあります。  

 例えば、「第8章 価値を認める・評価する」という章では、次に向けての目標を考える箇所が出てきます。そして、アトウェル は、過去数年の生徒の成長記録に「書き手の目標」、「読み手の目標」として実際に記入したことから、目標として書けそうな例をリストにして提示しています。

  このリストの長いこと! 「え? まだあるの?」と続き、「書き手の目標」、「読み手の目標」共に、それぞれ50項目ぐらいはあり、それぞれ3ページに渡っています(『イン・ザ・ミドル』334~339ページ)。  

 実は初めて見たときは、このリストは「あ、こんなものがリストされているんだ」ぐらいの印象で、ザクッと飛ばしてしまいました。

  しかし、18名分のチェック・インのやりとりにしても、いろいろな項目のリストにしても、実際に授業をイメージしようとすると、これらの「具体的な多様な例」のページを開くことが多いです。

 どうやって「チェック・イン」をすればいいのだろうか、「チェック・イン」で何ができるのだろうか、次の目標を考える場合どんな例があるのだろうか…等々と考える時に、これらの例の価値に気づきます。具体的な多様な例を提示されることで初めて、学びを見る物差しというか、見方のレパートリーが、少し広くなる気がします。

  一人ひとりの生徒を、書き手、読み手として、個々に見ると(たった18名の少人数クラスでも)、これだけ多様な例が出てくる、これが学びの現実なんだろうとも思います。

  アトウェル が書いた『In the Middle』★は、アメリカでは、初版から第3版まで、合計50万部以上売れたというロングセラーですが、初版、第2版、第3版と版を重なるごとに新しい内容が加わり、そこからアトウェル の教師としての変容も伺えます。版を追うごとに量も増えていきます。その増えている理由の一つに、多様な例を省略しないでできる限り提供することで、教師に役立つ本にしようという点があるようにも思います。教師が思っているよりも、生徒たちの学びはずっと多様であり、それに気づけるように後押しされているようにも感じます。

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★邦訳『イン・ザ・ミドル』は第3版パート1からの抄訳です。
 

 
 
 




  

2020年9月25日金曜日

ハック・シリーズ第4弾

 これまで『成績をハックする』『宿題をハックする』『教科書をハックする』と出してきましたが、訳者の阿部良子さんが、4冊目の紹介文を送ってくれましたので、下に貼り付けます。


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『子育てのストレスを減らす10の「魔法のことば」』が来月出版されます。著者は元教師で現在は「執筆コーチ」兼教育関連ウェブサイトの編集者です。彼女が二児の母として子育てに関するいろいろな問題に直面したとき、「ただ繰り返し唱える」ことでその困難を切り抜ける助けになった「魔法のことば(原書ではmantra)」が10章の各タイトルとなっています。おそらくこの「魔法のことば」によってストレスがすっかりなくなるとお考えの方はいないと思いますが(その通りです!)、子どもと長く付き合う中で大人も成長していくためには、これらのことばと次の二点が不可欠であると著者は述べています。

1.子どもの発達段階を客観的に見て、その時のその段階に合わせた対応をすること
2.「子育てノート」に記録をつける習慣をもつこと

 「子育てノート」は「子どもの成長アルバムのようなもの」です。子どもができるようになったことを記録するだけでなく、子どもがやがて「一人の自立した責任感のある大人」となれるように、様々なスキルを身につけるためのヒント集や計画表としても機能します。それぞれの章(具体的な「問題」で始まり「魔法のことばが実際に唱えられている事例」で終わります)には「記録シート」というひな形がありますから、書き方に悩むこともありません。

 さらに、題名からは想像がつきませんが、この本の「親と子」の関係を「教師と生徒」と読み替えることによって、生徒とのかかわり方についてもヒントが得られるようになっています。

 子どもの質問に必要以上に答えてはいないか(4章)
 子どもの嘘にどう対応し、信頼関係をどのように築くか(7章)
 子どもに対する頼み事や指示を繰り返さずに済むには(8章)
 子どもによるデジタル機器の使用を(どのように)制限すべきか(9章)

など、親(や教師)として気になりつつも、日常をやり過ごすことを優先してじっくり考えてこなかったテーマと向き合うよい機会となるでしょう。記録をつけることを習慣にすることで、私たちが子ども(や生徒)に対して持つ期待や不安の内容がより明瞭になるだけなく、子ども(や生徒)にいつか話したいと思っている難しい話題(死や性など)について準備することも、彼らが達成できたことを後から振り返ることも簡単にできます。

 この本が一般的な子育て本と異なる点のひとつに、読者に自分自身のことを親(や教師)である前に一人の独立した大人として考えるよう促しているところがあります。例えば、デジタル機器の使用に関して私たちは親として子どもをどう管理するか、その効果的で(可能ならば)子どもとの対立を生まないような方法を知りたいと思いがちです。しかし著者やその友人が実際に試して親子で効果を実感したのは意外な方法でした。残念(かつ当然)ながら、簡単にうまくいく特効薬ではありませんが、一人の大人としても実践してみたいと思わせてくれる新しい発想であることは間違いありません。

 子育てにおいても学校現場においても、最近は動画や写真に記録を残すことが一般的になっていますが、紙のノートやスマートフォンを用いて記録をつけることで、子どもと自分自身の変化や成長をよりいっそう実感できるはずです。そして、その習慣は子どもとよりよい関係を築くために欠かせないものとなることでしょう。

 

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 ということで、学校で教える方々にも十分(すぎるぐらい!?)に参考になる本です。

 そういえば、『イン・ザ・ミドル』を書いた、あのナンシー・アトウェルさんも子育ての後にライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップへのアプローチの仕方がだいぶ変わったと本の中で書いていました。それほど両者の間には深い関係があります。

 この本も、教師には授業やクラス運営に、管理職や教育行政に携わる方には学校経営にそのまま使える/応用できるハックばかりだと思います。みんな、子/人育て(そして、自分育ても?)をしているのですから、当然ですね!!

 (ちなみに、この本の原題は『子育てをハックする』です。しかし、それでは読者対象にアピールしないだろうということで、主タイトルとサブタイトルを逆にしました。)


 

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2020年9月19日土曜日

理解する手立てとしてのアート思考

  大学1年の秋、午前の講義が終わった後、とくにすることもなかった日に、山陽本線に飛び乗り、名前にひかれて岡山県の倉敷駅に降り立ちました。倉敷の地理もまったく分からず、有名な場所と後から知ったアイビースクエアを出口の方から入ってしまったりして、迷いながら歩いている内に、大きめの洋館の入り口にたどり着きました。そこが「大原美術館」でした。時間はたっぷりあったので、順路に従って絵を見ていきました。美術の教科書で出会った作品がたくさんあり、結局その日は閉館間際までそこにいたのです。帰りしなに立ち寄った現代美術の館で、ジョルジュ・マチューという画家の作品の前で立ち止まりました。高校の美術の教科書で「現代の書家」と呼ばれていた画家の絵。黒く塗られたカンヴァスの下地の上に乱暴に書き殴られたかのように見える線で構成された抽象画ですが、独特の質感とバランスを伴っています。それまで見慣れていた写実的な絵とはまったく正反対のものでしたが。故郷を遠く離れた大学に少し慣れたばかりの秋の多少不安定な気持ちのバランスをとってくれるようで強く惹きつけられました。少なくともマチューの絵の前で私は束の間、我を忘れる体験をしていたのです。

 『理解するってどういうこと?』愛3章「理解に駆られて」には、エリンさんがヴァン・ゴッホの絵を鑑賞した時の強烈な知的経験のことが描かれています。そういう体験をした時に次のようなことをしてみるといいとも。


・自分の人生のなかで強烈な知的経験として記憶していることはどのようなことでしょうか?

・そのときに、あなたが経験した学びの特徴とはどのようなものですか?

・自分の置かれた状況を理解するためにあなたが使った方法にはどのようなものがありましたか?

・どのような理解の種類をあなたは経験しましたか? その成果はどのようなものでしたか? そしてそのことについて今、子どもたちに話すことができますか? あなたが経験した種類の理解とその成果を説明するときは、単にあなた自身の経験を紹介することに重きをおくのではなく、子どもたちが持つことになるかもしれない経験に関連づけるように、言葉遣いを考えてください。(『理解するってどういうこと?』102ページ)


 私の言葉は拙くて、とてもマチューの絵を前にした「強烈な知的体験」もそのときの「理解の種類とその成果」もうまく伝えることはできていません。しかし、その秋のマチューの絵前にしてもっと誰かと話したり、詳しく書きとめたりしておけば、違っていたかもしれません。マチューの絵のどこから救われた思いがしたかを語ることができるからです。

 末永幸歩さんの『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社、2020年)にはそのようにして絵画についての理解を分かち合うためのヒントがたくさん示されています。たとえば、ワシリー・カンディンスキーの《コンポジションⅦ》という作品について、末永さんはまず「この絵には「なに」が描かれているでしょうか?」と問いかけます(『13歳からのアート思考』141ページ)。その後にカンディンスキーの絵が見開きで示され、次のような言葉た続けられています。

 

 いかがでしょうか? ここまでの授業でアートのとらえ方が少し変化してきたみなさんでも、「この絵に何が描かれているのか?」という質問には「う~ん?」と首をひねってしまったのではないかと思います。

 

 一刻も早くスッキリとしたい気持ちだと思いますが、こういうときこそ、まずは自分の目で作品をよく見る「アウトプット鑑賞」です。

 ここまでの授業でだいぶ慣れてきたと思いますので、ここでは「アウトプット鑑賞」をもう一段面白くするための秘訣をご紹介しましょう。作品を見て出てきた「アウトプット」に対して、とてもシンプルな2つの問いかけを自分でぶつけてみるのです。(『13歳からのアート思考』144ページ)

 

 末永さんの「2つの問いかけ」とは、「どこからそう思う?――主観的に感じた「意見」の根拠となる「事実」を問う」と「そこからどう思う?――作品内の「事実」から主観的に感じた「意見」を問う」です。この「アウトプット鑑賞」と「2つの問いかけ」でどのような会話が生まれるのかということについては是非『13歳からのアート思考』をご覧ください。中学生の具体的な面白いやりとりが示されています。40年程前に大原美術館で見たマチューの絵についてもこういうことをやっていけば、少なくとも私の経験した理解の種類とその成果を共有することができたのではないか。それは、自分に対して自分の経験を説明することになり、その経験の意味をつくり出すことになったのではないでしょうか。末永さんが引用する、クロード・モネ《積みわら》に出会ったときにカンディンスキー自身が発したという次の言葉は、この本を読んで私が得た発見にもあてはまります。

 

 「『なに』が描かれているのかわからなかったのに、惹きつけられたのではなく、『なに』が描かれているかわからなかったからこそ、惹きつけられたではないだろうか」(『13歳のアート思考』152ページ、原文では「のに」と「こそ」が圏点(・)で強調されている。)

 

 末永さんの『13歳からのアート思考』は、もうすぐ60歳になる私にとってもこのような新鮮な発見の連続をもたらしてくれる本でした。それは、この本が、エリンさんの言葉を借りるなら、自分の経験した種類の理解とその成果を説明する言葉をもたらしてくれるからでもありますし、それだけでなく、自分自身の経験と、それを分かち合おうとする相手が持つことになる経験とを関連づけるための「言葉遣い」や手立てを具体的に示してくれるからです。末永さんの言う「アート思考」は言語作品を理解するための方法でもあるとという思いを強くしました。それは作品を介して自分を理解するたいせつな手立てでもあります。

2020年9月11日金曜日

フィードバック・フォームを使った学校(授業)改善法

   学校にも、教室や授業にも、改善を要する点は「山のように」とは言わないまでも、結構たくさんあります。日々そこで仕事をしている人は、それらに気づくものですが、それを活かして改善する仕組みが学校にも、教室/授業にもないのが現状です。(もし、効果的な方法をすでにお使いでしたら、pro.workshop@gmail.com宛にぜひ教えてください。)

以下は、ある校長が学校の問題を解決/改善するために取り組んでいる例です。もちろん、教室/授業レベルでも応用できます。(さらには、保護者の学校への参加にも使えます!)

 フィードバックは、だんだん病みつきになります。私たちは、それが生徒にとってどれだけ効果的か、よく知っています。特に、WWやRWのカンファランスで提供されるフィードバックのインパクトには大きいものがあります。しかし一般的に、フィードバックはそれを受け取(って、うまく活用す)るよりも、提供する方がはるかに容易です。物事をよくするためのフィードバックを提供したり、受け取ったりするためには、いい仕組みと多くの練習が必要です。(カンファランスと「大切な友だち」https://projectbetterschool.blogspot.com/2012/08/blog-post_19.htmlを多用してください! 効果的なやり取りによって、物事は確実に改善していきます。効果的でないと、時間を無駄にしますし、よくもなっていきません。)

 職員会議や学年会議、教科会議、校務分掌の会議等は、まさにそのための場のはずですが、どれも改善のための機会として機能しているとは言い難い状況です。いつも発言する人や声の大きい人が、言いたいこと(それは、物事をよくすることに結びつかない方が多い!?そもそも熟考しておらず、思い付きレベルだから?)を言う場になっていることをみんな気づいています。校長としては、全員(職員だけでなく、生徒)の声も聴きたいところです。そんなふうに思っている時に知ったのが、「自分の気になること」を次のような体裁で発信できる用紙を提出してもらうことにしました。


 ・名前、日付:

 ・問題の深刻度(1~5の段階で。5が最も深刻!):

 ・私が気になる(問題と思う)のは:

 ・それに対する、私の提案は:

  気になること/提案のある人は、この用紙に記入して、校長の秘書に渡します。秘書は名前を除いて、それをオンライン・ドキュメントにアップします。(校長およびこの用紙の発案者は、この匿名性こそが大事だと考えているからです! そうすることで、誰が言ったかによって内容が判断されないからです。)

過去1年間に、9つの気がかりな点/提案を受け取ったそうです。当然のことながら、深刻度はすべて4か5でした。扱われていた内容は、どれも大切なことばかりでした。基本的に、個人にとって(この用紙を書きたくなるぐらい)の気がかりは、学校にとっての気がかり/問題ですから。

 たとえば、運動場で使う用具(たとえば、サッカーボールなど)の置き場所の問題は、読み書きとは関係ないと思われがちですが、そんなことはありません。もし、読み書きや授業以外のことで、教師が問題を抱えていたら、そちらに大切な時間と焦点を奪われてしまい、本来優先順位が高いことがおろそかにされてしまうからです。(ちなみに、運動用具の置き場所は、校舎の出入り口のすぐそばに置くことで解決でした。そこに行くまでに音がうるさくて問題だったのです!)

 そしてもちろん何よりもセンシティブなのは人間関係にまつわる気がかり/問題です。この点については、ここでは詳しく説明しませんが、あと3~4か月で出版される「関係修復のアプローチ」を紹介している『生徒指導をハックする』を参考にしてください。主には、教師が生徒たちの問題行動に対処する方法が描かれていますが、教師間、管理職と教師、さらには教師と生徒の間でも基本的には同じです。

 気がかりなこと/問題へのフィードバックを提供できる用紙を埋める機会を提供することで、学校関係者は「声」をもつことができたと、この取り組みを紹介してくれている校長は言います。そして、その書くチャンスは、いろいろな場面で発言することに確実につながったとも。(みんなが、書くことが得意なわけではなく、口頭で発言する選択肢を選ぶ人もいるわけです!)そして、みんながエンパワーされました。

 ある時、教師二人の衝突があった時、校長は両者の考えを聞いた上で、両者にお互いのやり取りを記録したり、それについて自分の考えを書いたりするように勧めたところ、自分自身に対してフィードバックができるようになったことで、問題の解消につながったそうです。まさに、学ぶために書くことが軽視/無視されていることを、教師がモデルで示していたわけです(http://wwletter.blogspot.com/2019/08/blog-post_9.html)が、ノートに記録し始めると書くことでより熟考しますし、振り返りますし、改善案まで考えますから、問題解決につながる可能性がはるかに高くなるわけです。

 書く文化を、学校レベルで、そして教室/授業で、さらには保護者とも、今まで以上にとってください。そうすることで、みんながよりよく考えられ、学校や教室/授業の課題が確実に解決/改善するようになります!

 

出典: https://choiceliteracy.com/article/using-concern-forms-for-feedback/


2020年9月5日土曜日

「諸刃の剣? 〜学びたくないことを学ぶ価値とその立ち位置」

  ITや機械が苦手な私ですが、ここ数ヶ月は、やむをえず、機械やテクノロジー関係の「ハウツー」をいくつか学びました。オンラインに詳しい同僚がデザインした授業からは、「オンライン上で(手作業では手間がかかりすぎて絶対できないような)こんなことができる!」という、目から鱗のような活動も学びました。

 また、読書は断然「紙の本!」派の私ですが、夏休みに、職場の図書館にある英語学習用のe-bookを、授業に使う可能性も考えながら100冊ぐらい読みました。e-bookのシリーズによっては100ページまでダウンロードや印刷可という設定のものもあり、また、紙の本のように重たいものを持ち運ぶ必要もない等の点を活かせないか、と思ったのです。ただ、本を読むのが大好きな私ですが、今回は、ブックトークをしたいような本に、なかなかうまく出合えませんでした。作家読みが簡単にできたり、次に読みたい本がたくさんあるような、自分がこれまで行なってきた読書体験とは異なる読書体験でしたし、これまでに使ってきた選書スキルもうまく応用できなかったので、そのあたりの課題を意識しつつ次のことを考えていこうと思います。

 このように、ここ数ヶ月「自発的には、まず学ぼうとしないこと」を学びながら、考えたことがいくつかあります。

・「必要に迫られて、やむをえず学ぶ」ことの価値。
→ 自発的にはまず学ばないことに触れることで、私でも、できることが少し増え、対面授業・遠隔授業という授業形態にかかわらず、今後も使い続けたいと思える活動に出合えるという嬉しいサプライズもありました。

・新しいものを学ぶためのサポート
→ 私は、サポートされるばかりででしたが、喜んで知識や技術を惜しげもなく共有してくれ、質問にも対応してくれた同僚に助けられました。

・緊張やストレス
→ 馴染みのないことを学び、時間の余裕のない中で使うのは、予想外の緊張やストレスを作り出すこともよくわかりました。

・「自分の中に学習者としての経験や蓄積のないもの」への対処の仕方
→ 上記のように、図書館にあるe-bookのシリーズを読むことは、私のこれまでの読み手としての読書体験とは異なるものでした。考えてみると、それ以外も、オンラインでの学びは、私の中には経験や蓄積の少ないものが多いです。

 少し前に、長年の仕事仲間が、「新しいものに出合った時に、単なるハウツーの寄せ集めにならないためには、自分の中にある土台を意識することが必要」というようなことをメールに書いてくれ、そのことを折りに触れて思い出しています。

 ライティング/リーディング・ワークショップには、教師は先輩の読み手・書き手であり、実際に読む時、書く時に役立つことから、学習者に適したものを厳選して教えていく、という考え方があります。例えば、8月7日の投稿「Engaging Literate Minds(本づくり)の第2弾」では、ライターズ・ブロックについて、(1) 何を書けばいいのかわからない、(2)次に何をすべきかわからないという状態であることを説明した上で、それを乗り切るためにできることのリストが紹介されています。このリストは小学校の教室の壁に掲示されているとのことですが、そのリストを見ると、まさに私自身が使いたいような項目が並んでいます。これなら書き手としてずっと使える、学ぶ価値のあるリストだと、自分の経験上からも、納得できます。

 私が大きな影響を受けた優れた実践者のナンシー・アトウェル は、上のような学びを「譲り渡し」という概念で説明しています。つまり、教師が、読み手・書き手として使っていることから、生徒の成長に役立つことを選んで、生徒に「譲り渡し」ます。(『イン・ザ・ミドル』35〜38ページ、および、2018年12月1日の投稿「譲り渡し ➡️ いったい何を譲り渡すの? そしてどのように」もご参照ください。)

 これまでは、いろいろな制限の中でも、自分が読み手、書き手として行なってきたことの中から、役立ちそうなことを教えよう、と考えてきました。しかし、必要に迫られて新しいことを学ぶ時には、その新しいことは、自分の読み書きのレパートリーに入っていない未知のことが多いです。その中には、「目から鱗」で飛びつきたいものもありますし、その特徴をどう活かせばよいのかがすぐに見えないものもあります。そして時間的な余裕がないまま、使いながら考え、できる修正を少しずつ加えて整えていくということが必要な時もあります。

 それらに対しての立ち位置を定めてくれるのが、私にとっては「譲り渡し」という概念のように思います。自分の読み書きのレパートリーにそれらを加えるのと同時進行で、読み手・書き手を育てるのに、ここから「譲り渡し」できることがあるのか?と考えるからです。

「譲り渡し」を土台に、何をどうやって譲り渡すのかという模索はまだ続きそうです。