2021年10月16日土曜日

読む行為の「当たり前」を疑う

 子どもたちが私の想定する範囲をはるかに超えた理解のレベルのしっかり考えて発見したことや見解を見せてくれた何度もの機会を、記録に取っていたらと思います。そういう経験を何度も経たことで、とうとう私は、その子たちの理解を高めたのは、単に理解のための方法を使ったおかげだとばかりは言えないのではないかと思い至りました。それは、こうした理解のための方法を用いることで子どもたちに可能になったことを明らかにし、説明することだったのです。(『理解するってどういうこと?』248ページ)

 ハーマン・メルヴィルの『白鯨』、レスリー・マーモン・シルコウの『儀式』、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』、マッカラーズの『心は孤独な狩人』・・・いずれも多くの読者を得ている小説です。そこに登場する個性的な登場人物たちに魅了される経験をした人も少なくないでしょう。それらを誰かと一緒に読んだとしたら「魅了される」だけでは済まされないことが起こるのではないか。しかもそれが自分とは違う感覚を持つ読者だったとしたら。詩人で作家のラルフ・ジェームズ・サヴァリースのやったことです。その『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書―自閉症者と小説を読む―』(岩坂彰訳、みすず書房、2021年)冒頭の「本書に寄せて」のなかで、盲目の作家スティーヴン・クーシストは次のように言っています。
 本書は読書についての本だが、私がこれまで出会ったどんな本とも違う。自閉症者は心の理論を持たない、言語障害を患っている、想像による遊びができない、といった有害な先入観やステレオタイプを脇に置き、テキサス州オースティンに住む言葉を話さない男性が『白鯨』の中を泳ぎつつ自分の感覚の物語を語るのに耳を傾けるといい、あるいはオレゴン州ポートランドに住むサイバーパンクのさっかにしてコンピューター・プログラマーでもある女性が『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読み、六人のアンドロイドを「廃棄」する賞金稼ぎ、リック・デッカードの共感面での弱点を追究するようすを見てみよう。自閉症者はここに出てくるアンドロイドと同じように共感力を欠くと言われているのだが。
 神経学的に多様な心は、読書に何をもたらすのだろうか。得られることは多い。よく言われる「絵で考える」才能は、文学が映し出す「感情の映画」のいては有利でさえあるかもしれない。(『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書』v~viページ)
 サヴァリースのやったことを、強いて短く言えば、読んだり、批評したりすることについての自分の見方や感覚の狭さに、自閉症者との読書会を通じて思い至ったということになります。その手法は、1970年代から1980年代にかけて、自分とは異なる読者反応を手がかりにして,自身の文芸批評のありようを押し広げ、自明とされた解釈を問い直した、デヴィッド・ブライヒの『主観批評』や『ダブル・パースペクティブ』(いずれも未邦訳)といった著作と共通しています。サヴァリースの試みは自閉症者の読む行為に対する姿勢や見解を観察するばかりでなく、そのことによって自らの読む行為を揺さぶられ、内省を繰り返していくところに特徴があります。「ニューロティピカル」(神経学的な定型発達者)としての自身の読む行為が、実はかえってテクストへの特殊な関わり方の一つなのだということを、サヴァリースの言葉に導かれながら、本書の読者としての私自身が強く思わざるをえませんでした。文学研究者であるサヴァリースは、終始分析的な精読にこだわっていますが、彼が読書パートナーとして選んだ人々は例外なく彼の分析的精読の「死角」を浮き彫りにしていきます。
たとえば『白鯨』を一緒に読んだティトの読み方について。
実際ティトは小説が終わりに近づいたころ「あと何週間か、二章ずつ進んだり戻ったり泳ぎ進めよう。ゆっくりと料理するほうが鯨の風味を引き出せるから」と書いてよこした。文学の教授が「精読」と呼ぶ読み方は「自閉症的読み方」と言い換えていいだろうと思う。ティトが示したような注意深く濃密な読み方こそが文学にふさわしいのである。(『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書』85ページ)
次にシルコウの『儀式』を読んだジェイミーの読み方について。
ニューロティピカルの読者は小説のいくつものイメージをつなぎ合わせる際に、素朴なパラパラ漫画のようなことをしているのに対して、ジェイミーは映画賞を受賞するハリウッドのプロデューサーのようなつなぎ合わせをしているのだ。言葉を肉付けするだけでなく、動きをさらに加えることで「言語パターンの解釈のプロセスを強化する」のだと彼は言う。(『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書』111ページ)
「ニューロティピカルの読者」よりも、ティトやジェイミーのような読者の方が、「注意深く濃密な読み方」をし、「つなぎ合わせ」に長けているというのです。同じ小説を読み合うなかで、読む行為についてのこのような発見の連続が起こったことをサヴァリーズは克明に記述していきます。この本は「理解する」ことの新たな次元を教えてくれます。
本書の最終章「当たり前を疑うために」のなかで、読む行為の認知科学的研究を進め、「感情の統合力」を考察するデヴィッド・マイアルの論文を引きながら、サヴァリースは次のように言っています。
マイアルによれば、文学は「誘発、越境、修正」を引き起こすきかっけになるという。誘発とは、感情に満ちた個人的経験を単純に思い起こすこと、越境は、そうした記憶とテキスト内の出来事とが一時的につながること、修正は、最初の感情を考えなおすことである。マイアルにとり、文学は「感情を呼び覚まし、その意味合いを修正するための効果的な手段」となるものである。(『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書』278~280ページ)
こうした「誘発」「越境」「修正」は、読者とテクストとの個人的なやりとりで生じるのでしょうか、それとも、読者相互のやりとりの過程で引き起こされるものなのでしょうか。『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書』の著者は、自閉症者とともに小説を読むなかで「誘発」「越境」「修正」を繰り返しています。
冒頭に引用した箇所でエリンさんが「記録にとっていたら」と思ったこととは、読む子どもの変容というだけでなく、エリンさんの「想定する範囲をはるかに超えた理解のレベルのしっかり考えて発見したことや見解」を目の当たりにして揺さぶられた自身の「誘発」「越境」「修正」の過程そのものだったと言えるのではないでしょうか。それは、サヴァリーズが実践したようにして読む行為の「当たり前」を疑ってみることでもあります。

2021年10月9日土曜日

著者の意図?

  「※ここまでの『すてきな三にんぐみ』の読み解きは、作者の意図とは無関係な私の解釈です」

 上の文章は、9月25日の投稿で紹介した『新・絵本はこころの処方箋 〜絵本セラピーってなんだろう』(岡田達信著、瑞雲舎、2021年)の中に出てきます(20ページ)。その前の数ページを割いて、岡田氏が『すてきな三にんぐみ』を、何度も何度も読み直す中で考え続ける様子が描かれています(14〜20ページ)。そして、考える中で、「ここまで想像したときに私は初めてこの絵本が本当に理解できたような気がしました」(19ページ)という思いになれたそうです。私は「本との対話」ってこんな感じなんだと思いながら、興味深く読みました。

 岡田氏は自分の読み解きを「作者の意図とは無関係な私の解釈」と書かれています。そして、「他にもさまざまな解釈があるので、ご興味のある方はどうぞ」ということで、『すてきな三にんぐみ』にかかわる数冊の書名も提示されています(20ページ)。

 考えてみると、誰かに自分の読んだ本の反応を伝える時に、私も時々「これは全体のテーマには関わらないのですが」とか「著者の意図とは違うと思いますが」と前置きをすることがあります。ある場面が心に残り、その場面について語りたい、でも「作者の意図」とは外れているのだろう、とどこかで思っています。なんだか不自由な感じですね。

 『新・絵本はこころの処方箋 〜絵本セラピーってなんだろう』では、研修やセミナーで絵本を使っていた岡田氏が、『ぐるんばのようちえん』に対して大人たちがそれぞれ解釈・反応している例も紹介しています。第3章「絵本に何を見ていたのか」の「3-1 大人の絵本トークバトル」(28〜34ページ)から、『ぐるんばのようちえん』に対する大人たちの反応を少し抜粋します。

・新卒採用の社員から「分かりました、仕事が合わなければどんどん転職したほうがいいんですね」(30ページ)

・会社の経営者から「ぐるんばには顧客視点が抜けています」(31ページ)

・会社役員から「ぐるんばは悪くないと思います。悪いのは管理職です」(33ページ)

 大人たちがぐるんばの幼稚園に様々に反応する様子は、その理由も書かれていて、なるほどと思います。この大人たちも「作者の意図」とは異なるところで、それぞれに反応しているのでしょうか?

 また、先日、別件で、大草原の小さな家シリーズの著者ローラ・インガルス・ワイルダーの検索をしていたときに、「米国の西部開拓時代の生活を描いたワイルダーの作品は、米先住民や有色人種を非人間的に描く表現が使われていると批判」されてきて、「ローラ・インガルス・ワイルダー賞」を「児童文学遺産賞」に変更することが決まったという記事を見つけました。https://www.bbc.com/japanese/44610932

「米先住民や有色人種を非人間的な存在である」ことを著者が伝えている(意図している?)と判断されたことで、賞の名前が変更になっています。最初に賞の名前が決まった時とは異なる視点で著者の意図が捉え直されているのかもしれません。

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 そんなことを考えているときに、少し古い本ですが、Constance Weaverの本★の中に「読むことは意味をつくり出していく能動的なプロセスだ」(201ページ)と書かれていること、 そしてそのプロセスに影響を与える多くの様々な要素が記された後に、「したがって、意味はテキストの中にあるのではない。意味は一人ひとりの読み手によって、ある程度まで、ユニークにつくりだされる。著者と読者のコミュニケーションが完全に一致することは決してない」(201ページ)と説明されていることを思い出しました。(★Constance Weaver, Understanding Whole Language: From Principles to Practice, Heinemann, 1990)

 上記から考えると、教室にいる子どもたちの経験がそれぞれに異なるので、読むことから得られる(つくりだす)意味もそれぞれに異なるので、それぞれが自分の思ったことを「比較的自由に」話す場合、出てくる反応は多様で予想外なのだろうと思います。でも、それぞれにユニークにつくり出していく意味は、もしかすると「著者の意図」や「著者の言いたいこと」という、フレーズの中で消えていったり、横に押しやられることもあるのかもしれないとも思いました。

 ある本のさまざまな解釈は、おそらく著者に詳しい人、著者の生きた時代や社会背景に詳しい人などが、それぞれの知見を駆使して提供されていることと思います。それらからは、優れた読者の読み方の一つを学ぶ学ぶこともできそうです。とはいえ、程度の差はあれ、それらも、やはり個々の読者がそれぞれにテキストやその他の文献等と対話しながら、つくりあげていくものになります。そう思うと、「著者の意図」は私がこれまで考えてきたよりも、緩やかに?捉えることができるものなのかもしれません。

 より深く理解できるような効果的な読み方を知ることは大切、考え聞かせ等で優れた読み手がどうやって読み取っていくのかを見せることも効果的、本に書かれていることを根拠にして論じることも大切、でも、そこから先に生まれること、つくりだされる意味は、それぞれにユニークであり、広い世界がある。その広がりを、私は「著者の意図」というフレーズで、無自覚に狭めてきたのかもしれません。

2021年10月2日土曜日

新刊案内『ピア・フィードバック』

新潟の国語教師・佐藤先生が、本の紹介文を書いてくれました。


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国語の授業(や学級活動)で「振り返り」や「フィードバック」を書かせたとき、子どもたちが「○○ができていないので○○したい」「きれいにできてよかったです」「○○さんがさぼっていたのでやめてほしいです」「自分なりに頑張りました」「改善できました」「これからの生活にいかしたいです」のようなコメントを書いているとしたら、大人の顔色を伺う子どもを育ててしまっているかもしれません。

本書のタイトルは『ピア・フィードバック ICTも活用した生徒主体の学び方』です。

フィードバックが機能するための環境づくりと、様々な手法を教えてくれます。

「フィードバックってコメントを返すことじゃないの?」

「ピアってことは子ども同士でフィードバックをさせるということ? どうやって?」

そんなふうに思われる方こそ、ぜひ本書を読んでほしいです。

近年、「フィードバック」という言葉がビジネスでも教育でも使われるようになりました。

学校で言えば、教員対象に行われている「教員評価」、児童生徒に配られる「通知表」がイメージしやすいと思います。「反省」「振り返り」「リフレクション」は自分主体ですが、フィードバックは相手、他者の目線が送られてきます。一定の成果を前にして「素晴らしい」「改善できました」「努力が必要です」と反応が伝えられてきます。

しかし、よくあるフィードバックは「空虚な決まり文句」の伝達で、これをやり取りする行為や時間が役に立つことは、ほぼありません。時期の問題もありますが、通知表の所見に至ってはクレーム回避のためにほぼ定型であり、例文の本まで出版されている始末です。本書では、こうした言葉を「空虚な決まり文句」「聞き心地のよい言葉」「真実から目をそらすためのもの」と表現しています。人を育てることに資さない内実のない言葉がばらまかれているだけだからです。

そもそも私たち大人ですら、受けたフィードバックを忘れてしまいます。校長室を出たとたん、教室を出たとたん、授業終わりのチャイムが鳴ったとたん、休日が来たとたん、忘れてしまうのです。ですが、今日も多くの教室では「空虚な決まり文句」が飛び交っています。

なぜなのでしょう。

本書は明快に答えています。

P77L1~「私たちには、生まれながらにして身につけていると思い込んでいるスキルや、生徒どこかで身につけたはずだと思い込んでしまって、あえて教えていないというスキルがあるように思えます。フィードバックを適切に(送ったり-評者追加)受け取り、それを活用することは、まさにそのようなスキルだと言えます。」

つまり「習っていないから、送ることも、受け止めることも活用もできないのだ」ということです。

思い返せば、「反省」「振り返り」ですら、しっかり教わったでしょうか。教師になって理論的に教えたでしょうか。清掃の反省会では「きれいにできました」、失敗を咎められて「反省してます」と言いさえすれば、その場から解放してもらえると思っている子どもが多くいます(同じことは、家庭でも訓練されています!)。形式的な反省と振り返りが生活の中にはびこっているのです。「フィードバック」で他者目線をったとしても、受け止めて活用する術を知らないので、空虚な「反省」「振り返り」と同様に空気に流されて消えてしまうのです。

「フィードバック」は単純な評価活動ではありません。児童生徒の出来栄えを賞賛したり、弱点を指摘したり、教師の自己評価を肯定的に語って勇気づけたり、たった一回のやりとりで人を変えられたりする取り組みではないのです。

絶対に必要なのが子どもたちの聞く力を育てること。そして、たくさんの練習をさせること。P98L11「フィードバックと修正は継続的なプロセス」なのです。「フィードバック」を使いこなすようになることは、教師から正解を与えられることを待つのではなく、自ら学びのハンドルを握って、学びに立ち向かう力をもつことになるのです。「主体性(エイジェンシー)」「オウナーシップ(自分事という意識がもてること)」「エンパワーメント(自分が本来もっている力を引き出せること)」は、身に付けなさいと言われて身につくものではなく、継続的なプロセスを教室で経験する必要があるのです。

本書に書かれている全てをいっぺんに実現することはできません。私たち大人の多くが「フィードバック」を理解できていないからです。

では、どこから始めたらいいでしょう。

・教師の態度を変える

・教室の環境、雰囲気を調整する

・具体的でタイミングの良いフィードバックを試す

・フィードバックの受け取り方を学ぶ

・生徒の聞く力を育てる

・ルーブリックを生徒と作る

Googleドキュメントを使う

など、本書では様々な考え方や方法が紹介されています。

関係づくりに興味がある方は第2章から、ICTが得意な方は第7章から、フィードバックを生徒に教える方法を学んでみたい方は第4章から、というように、興味を惹かれたところから手を出してみてください。

疑問に思うところ、難しいと感じるところ、現実的じゃないと思うところがありましたら、ぜひメール、Googleドキュメント、Twitterなどで一緒に読書会―ブッククラブ―をしませんか。きっと「フィードバック」の体験ができると思います。

 

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2021年9月25日土曜日

「絵本をきっかけにしたおしゃべり」という絵本の使い方

  最近、読んだ本『新・絵本はこころの処方箋 〜絵本セラピーってなんだろう』(岡田達信著、瑞雲舎、2021年)から、「絵本をきっかけにしたおしゃべり」という絵本の使い方について考えました。以下のページ数は上記の本のページ数です。

 まず、この本のトピックである絵本セラピーとは何かですが、「大人が絵本を読むと癒される」とか「誰かに絵本を読んで癒してあげる」ということではないと説明されています(5ページ)。岡田氏も「絵本で誰かを癒してあげよう、何かを気づかせよう、感動させようという考えは、個人的にはあまり賛同していません」(5ページ)と記しています。

 49ページには、絵本セラピーについて、以下のように説明されています。少し長いですが、抜粋します。

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 「大人が安心して自分を表限し、ホッとできる場を絵本の力で作ることが肝心なのです。そんな場を作る方法を『絵本セラピー』と名付けました。

 『絵本セラピー』とは、大人が絵本を読んでいる時に心の中で無意識に起きている事を出来るだけそのまま出してもらう試みと言えるかもしれません。絵本をきっかけに感じたことや出てきた感情をキャッチしたり、何かを思い出したり、自分のことに置き換えて考えてみたりすることです。

 『どんな事を感じましたか?』『何を思い出しましたか?』など簡単な投げかけをすることで言葉に表限しやすくなります。絵本と投げかけがセットになっています」

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 3章の「5。絵本セラピーができた」では、岡田氏が絵本セラピーに辿り着く(?)経緯も書かれています。研修などで絵本を使っている間に、「絵本を読んだ時に出てきた感想や解釈は内面を投影している」ことに気づいた氏は、同じ本を多くの人に読んでもらって感想を聞いたり(46ページ)、何人かで集まってグループで読んだり(47ページ)し始めます。

 「絵本をきっかけにしたおしゃべりの会を何度もやっているうちに不思議なことに気がつきました。たとえ初対面同士でも絵本の会が終わる頃には仲良くなっているのです」(47ページ)

 このことを「予想していなかった嬉しい副産物」(48ページ)という岡田氏は、仮説としつつも次のように分析しています。

 「素直に自分を出して話したことに対して、相手は面白がって、興味を持って、受け取ってくれます。つまり、ありのままの自分を受け入れてもらえたと感じます。これをお互いに何度も繰り返すわけですから、自然と良好な関係ができていくのではないでしょうか」(47〜48ページ)

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→ この本を初めて読んだのが、新学期の新しいクラスなどで、どうやってお互いに話しやすい/学びやすい環境が作っていけるのかを考えていたときでした。そして、上のような記述を読み、一つの方法として、絵本を「きっかけ」にしたおしゃべり、というのも、十分「あり」なんだなと思いました。

→ リーディング・ワークショップやライティング・ワークショップの教室でも、絵本の読み聞かせや、「対話的読み聞かせ」などもよく行われていると思います。絵本を読み、簡単な投げかけをすると言う点では、絵本セラピーで行われていることと、一見同じように見えますが、しかし、立ち位置というか、目指している点が異なります。そこに私は興味を持ちました。

 また、「結果として」得られるものも、重なることもあるかと思います。絵本セラピーで話している中で、ある絵本のテーマをより深く理解したり、著者の書き方から書き手の技に気づいたり等も起こりうることかとは思います。しかし、これらの結果が得られることがあっても、それらは、絵本セラピーでは「副産物」だと思います。

 これは、ある意味、当たり前です。絵本セラピーは「大人が安心して自分を表限し、ホッとできる場を絵本の力で作ることが肝心」(49ページ)であるのに対し、リーディング・ワークショップやライティング・ワークショップの教室では、より良い読み手、よりよい書き手になれるようにサポートしていくことに力点が置かれているからです。

 ですから、リーディング・ワークショップでは「本をきっかけしたおしゃべり」ではなく、子どもたちが、お互いに本に根拠を求めて話せるように教えていくことも大切となります。『リーディング・ワークショップ』(カルキンズ、新評論、2010年)第9章「読むことを話すことに活かす」の「本の内容から逸れずに、本を参照して話し合う」というセクションなどは、その好例です。

 「本をきっかけにしたおしゃべり」という方法は、ある意味、ライティング・ワークショップで、絵本を使って、絵本を「きっかけに」題材探しをするという使い方と似ているのかもしれない、とも考えました。しかし、絵本がきっかけであっても、ライティング・ワークショップでは、うまく題材を探せるようになるという「書き手を育てる」ことがその延長線上にありますから、やはり向かっている方向が異なります。

 そうやって見ていくと、読み手を育てる、書き手を育てるという路線と、「本をきっかけにしたおしゃべり」の接点は少ない?ようにも見えます。しかし、「予想していなかった嬉しい副産物」(48ページ)を、絵本セラピーに参加する大人だけに限定するのは、あまりにもったいない、とも思います。

 このような絵本の使い方が有効と思える時には「本をきっかけにしたおしゃべり」を使う、それを「教師の絵本の使いかたの引き出し」に入れておきたいと思いました。

 また、リーディング/ライティング・ワークショップでは、同じ絵本をいろいろなミニ・レッスンで使えますから、絵本セラピーのような立ち位置で活用し、後日、また読み手・書き手を育てるという立ち位置で使うこともできそうです。

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 なお、『新・絵本はこころの処方箋 〜絵本セラピーってなんだろう』では、4章が「やってみる」というタイトルで、実際に誌上で絵本セラピーをやってみましょう、という章でした。ここで絵本セラピーが実際にどのように進むのかが紹介されています。また巻末には、「大人の悩みに『絵本の読み薬』50冊」として、50冊の絵本及びそれぞれの絵本についての絵本セラピストのガイドと問い(投げかけ)が一つ記されています。

2021年9月18日土曜日

読む文化を築く家族の絆

   『理解するってどういうこと?』の第3章には、エリンさんが大学を卒業する頃、母親が急性リンパ腫と診断されてから父親とともにその治療法を求めて母親が亡くなるまで半年間取り組んだ「自分の人生においてもっとも強烈な学習体験」のことが書かれています。彼女の人生にとってこの上なく悲しい出来事であったと思いますが、その20年後に書かれたこの本のなかでその時のことを振り返って、次のようにも述べています。

「母に診断が下された頃、私は自分が知的な人間であるとも、しっかり調べたり考え抜いて何かを見出し足りすることのできる人間であるとも思ってはいませんでした。知的な雰囲気を持っていた友人たちと会話することに居心地の悪さを感じていたぐらいです。ですから、私が貢献などできるわけがないと思っていました。しかし、実際に私たちは、読むこと、話し合うこと、質問すること、何かをもっと読むこと、もっと多くの質問をすること、理にかなった方法を見つけ出そうとすること、答えを熱烈に探し求めること、などを行っていたのです。」(『理解するってどういうこと?』、101ページ)

 家族のために、家族とともに、家族が直面する困難に取り組むことで「知的なことに熱烈になれる能力」を誰しもがもちうること、そして「学校であっても家庭であっても、私たちは自分たちにとってとても重要なことを学ぶときには、完全に我を忘れるという経験をする」ということをエリンさんは家族の絆をもとに発見したのです。

 印南敦史さん★の『読書する家族のつくりかた―親子で本好きになる25のゲームメソッド』(星海社新書、2021825日)の「おわりに」で、電車のなかで読んで魅了された本があったとしたら、それを「同じ家で暮らす家族」とそれを共有できると楽しいかもしれない、と書いています。そして次のように続けています。

「その結果、やがて本を読むという行為がSNSやデジタルツールよりも大きな意味を持つようになっていくかもしれません。そこまでいかないにしても、Twitterのトレンドワードで盛り上がるのと同じように、本の話で盛り上がれる機会は少しずつでも増えていくかもしれない。そこに大きな意味があるし、それがさらなる読書体験へとつながっていくのです。/しかもその結果、家族との関係がより深まっていくということだって大いに考えられます。「絶対に深まっていく」などと断言することはできませんが、少なくともその可能性は生まれるはずです。そう信じて疑わないからこそ、僕は本書を書いたのです。/「はじめに」で触れたように、そして本編を読んでいただいておわかりのように、本書の裏テーマは「家族のコミュニケーション」です。本の話題や読書を通じて家族間の交流が増えたとしたら、それは純粋に楽しいことじゃないですか。」(『読書する家族のつくりかた』229230ページ)

 『読書する家族のつくりかた』は印南さんの魅力的な読書論がこれまでの著作同様に展開されていますが、この「あとがき」にも書かれているように、家族の絆を深める読む文化づくりの提唱★★であると捉えることができます。印南さんは本書で25の「読書」のゲームメソッドを具体的に提案しています。たとえば、「読書ゲーム4」に「借りてきた本公開ゲーム」は次のようなものです。

「・家族で図書館へ行き、(30分後など)集合時刻を決めてから散らばる

 ・各人がそれぞれ、興味のある本を借りる

 ・集合してからも、選んだ本の話はしないでおく

 ・帰宅後、みんなで借りてきた本を公開し合い、選んだ理由を家族に明かす」

                                                 (『読書する家族のつくりかた』109-110ページ)

 とてもシンプルです。しかし、これだけのことで「興味のある本」を選ぶということを家族の皆がやることになりますし、帰宅するまで「選んだ本の話はしない」ことで、後のお楽しみがうまれます。そして、借りてきた本を公開して「選んだ理由」を明かすことで、家族間の交流ができます。何か言葉を交わすことができますね。

 その際に「特定の本を否定しない」「押しつけない」「読めなくてもOK!」というところが大切だと言っています。そして「子どもが自分の尺度やイメージだけで選んだ本だったとしても、その選び方にはなんらかの意味がある」「「自分で選んだ」という事実が、その後の読書体験にもよい影響を与える」と言ってもいます。とても重要なことですね。こうしたことをお互いに守っていけば「借りてきた本公開ゲーム」を家族で楽しむことができるだけでなく「選んだ本を」きっかけにして、自分の知的な理解能力にも家族の知的な理解能力にも気づくことができるようになるでしょう。

 他の24の「読書ゲーム」もいたってシンプルなもので、家族で取り組みやすいものです(ぜひ『読書する家族のつくりかた』を手に入れて確かめてください!)。シンプルですが奥行きは深く、家族間でさまざまに言葉を交わす仕掛けになっています。エリンさんが言っている「読むこと、話し合うこと、質問すること、何かをもっと読むこと、もっと多くの質問をすること」そして「理にかなった方法を見つけ出そうとすること、答えを熱烈に探し求めること」を引き出すトリガー(引き金)になります。それは家族の一人ひとりを理解し、その絆を深めるきっかけであると同時に、家族でさまざまな理解の種類の特徴を語り合う場をつくることでもあります。

 

RW/WW便りでは、「フロー・リーディングのすすめ」(2016520日)で『遅読家のための読書術:情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイアモンド社、20162月)を、「「自分に必要なかけら」を見つけ出し、結び合わせる(2020620日)」で『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書、2018年)を、それぞれ取り上げています。

★★1960年代に椋鳩十さんが提唱した「母と子の20分間読書」や、1990年代に村中李衣さんが提唱した「読みあい」とも共通した部分があると思いました。

2021年9月11日土曜日

読み書きを統合する時間を設定する

  最近、読み書きを統合して教える時間について、時々、考えます。読み書きを統合する時間を設けるためには、少なくとも二つの方法があるように思います。

1) ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップを統合する、リテラシー・ワークショップと呼ばれる時間を導入する。

 これについては、少し前にオンラインのブッククラブに誘っていただいたおかげで、ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップを統合した「リテラシー・ワークショップ」と呼ばれる時間の導入を提案し、そのための具体例も数多く紹介している本★を読んだことがきっかけとなりました。(★The Literacy Workshopという書名で、それぞれ小学校1年生と5年生を教える、Maria WaltherとKaren Biggs-Tuckerの共著、Stenhouseより2020年に出版。この本のパートIIは1年生と5年生の教室での、クラス全員に短時間で教える時間のレッスン集となっています。)

2) 読み書き両方について同時に学べる時間を、それぞれのワークショップとは別に設定する。

 この例として頭に浮かぶのは、実践者アトウェルが毎回の授業の最初の10分を使って行う「今日の詩」という時間です。「今日の詩」については、『イン・ザ・ミドル』(アトウェル、三星堂, 2018年)112-117 ページに詳しく説明されています。詩の読み方を学び、いい詩に出合うだけでなく、書くことについての多くのこと(アトウェルの言葉を借りると「段落の分け方は詩では教えられませんが、それ以外の、素晴らしい文章について私が実演して教えたいすべてのこと」(113ページ)も学べる時間になっています。また、『イン・ザ・ミドル』112−117ページを見ていると、生徒たちがクラスメイトの発言から学んでいることもよくわかります。

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 読み書きのつながりや、読み書きの相乗効果は多くの先生が実感していることだと思います。上の1)のように意識して統合したり、2)のように、そのための時間を設定しなくても、例えば、ライティング・ワークショップのカンファランスでメンター・テキストを紹介して読むことを促すこともあると思います。また、リーディング・ワークショップの時間中に、本についてより深く考えるために書くことを使うこともあります。また、読んでいる本から、自分が取り組み中の作品にアイディアが浮かんで、それを大急ぎでメモしている生徒もいるかもしれません。特別なことを意識的に行わなくても、実際の教室では、読み書きをつなげた学びは、けっこう頻繁に起こっているのかもしれません。

 とはいえ、上記のような時間を積極的に設定して実施する実践者は、その価値(導入する理由)を見出しているからこそ、だと思います。その価値について、今日は自分の頭の整理も兼ねて書いています。

 2)のアトウェルは、詩の魅力を実感していますし、生徒たちもそれをしっかり受け止めています。『イン・ザ・ミドル』でも、生徒たちの詩が紹介されていますが、一人ひとりが「自分の」書きたいことをしっかり見つけて、それに磨きをかけているのがわかります。自分しか書けないものを書いているので、彼らの詩はそれぞれの「声」がしっかり聞こえてくるので面白く、読んでいて飽きません。

 また、アトウェルの生徒たちについては、「どのジャンルで書くのが好きですか?」という質問に、なんとクラス全員の子どもが自由詩と答えたというエピソードがあるぐらいです。そして、「どうしてそのジャンルで書くのが好きですか」という質問については、「素晴らしい時間をもう一度生きることができる」「見たり、聞いたり、感じたりしたことを描写しようという、知覚・感覚的チャレンジが好き」「表現に限界がない。自分のあらゆる思いを、具体的かつ美しく言葉にできる」等々、すごい答えがたくさん紹介されています。(2006年にHeinemannから出版されたNaming the World: A Year of Poems and Lessons とセットの A Poem a Day: A Guide to Naming the World の 最初のページに書かれています。また、2010年9月3日のブログ版の投稿でも紹介しています)。

 1日10分という短時間、詩を読み、その詩について語り合うことで、いい詩を知るだけでなく、書くことについて学び、かつ、詩を自分の一つの表現手段にできること、これは「今日の詩」の時間を設定する一つの理由のように思います。

 他方、1)の著者たちは、読み書きを統合するリテラシー・ワークショップを、時々、導入する中で、新たな可能性を見出しつつあり、リテラシー・ワークショップ自体も進化し続けている(The Literacy Workshop、53ページ)ようです。(以下のページ数も、The Literacy Workshopの参照ページ数です)。

 → 上に「時々、導入する」と書きましたが、導入の回数やタイミングについては、生徒のニーズや教えたい概念などにより、週に1、2回だったり、あるいは数日、連続して行ったり等、いろいろです(21ページ)。リテラシー・ワークショップに唯一のやり方があるのではなく、導入にあたっては、時期、教えたい概念、学年、教えている環境、生徒のニーズや興味を検討する必要があります。著者たちは、マニュアルを提示するというよりは、自分たちの経験から、実例や可能性を提示している、というスタンスです(44ページ)。

 読み・書きには共通する学びのポイントがあるので、それを一緒に教えた方が効果的であり(1~2ページ)、一度に教えるので時間の節約にもなり(1ページ)、また、生徒たちが教えられたことをもとに学ぶ時間で行うことの自由度も上がり、かつ、使える時間も増えます(3ページ)。

 そのためには、読み、書きに共通するポイントで、ミニ・レッスンを組み立てる必要が出てきます。

 リテラシー・ワークショップでは、デモンストレーション・レッスンが行われます。デモンストレーション・レッスンは、ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップのミニ・レッスンと同じようなものですが、デモンストレーション・レッスンとミニ・レッスンの違いとして、デモンストレーション・レッスンでは、教えたい概念に焦点を合わせ、読むことと書くことのつながりが、より強調されることになります(31ページ)。

 この本のパートIIはデモンストレーション・レッスン集(1年生と5年生の教室)です。そして、デモンストレーション・レッスンは、次のように分類されて紹介されています。

「リテラシー・ワークショップを始める(Launching Literacy Workshop)」(5章) 

「自立と夢中になることを培う(Fostering Independence and Engagement)」(6章)

「読み書きを統合したリテラシーに関わる方略を教える(Teaching Integrated Literacy Strategies)」(7章)   

「フィクションを教える(Teaching the Elements of Fiction)」(8章) 

「ノンフィクションを教える(Teaching the Elements of Nonfiction )」(9章)

 ほとんどのデモンストレーション・レッスンで絵本が使われています。絵本の大半はここ5年間ぐらいに出版されたもので、著者たちが絵本を大好きで、新しく出る絵本にも常に目を通しているのも感じます。おかげで、私も最近のいい絵本をたくさん知ることができました。

 いい絵本を教室にふんだんに持ち込み、デモンストレーション・レッスンでも、常に使用することで、生徒たちは日常的にいい絵本に接することができます。これも利点だと思います。

 また、Part IIのデモンストレーション・レッスンでも、Part Iの説明でも「読み書きのできる市民(literate citizens)」という表現が、時々、出てきます。

 これはあくまでも私の印象ですが、読み書きを統合することで、著者たちが見出した一つの可能性が、この「読み書きのできる市民(literate citizens)」を育てる、ということなのかなと思います(52-53ページ)。そしてデモンストレーション・レッスンで絵本を使うときに、読み書きのできる市民の習慣や特性に目が向けられるような問いかけや対話も時折出てきています。国語の授業であるものの、生徒たちの関心や興味を考えると、社会や理科などの他教科の学びとも関連しそうな点も見えてきます。読み、書きにそれぞれ特化しているワークショップよりも、統合したワークショップの方が、調べたり、調べたことをシェアするための準備をしたりという時間が確保しやすいのかもしれない、とも思いました。

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 ここまで書いて、2021年1月9日の投稿の最後の方に書いた、私がもう少し探求してみたい課題を思い出しました。それは、絵本(あるいは詩や短いテキスト)の提示の仕方として、二つのベクトルというか、二つの方向がありそうに思ったことです。一つは、教えたい資質やテーマを決めておいて、それに沿った絵本も準備し、また、教室外でもそのテーマを意識するように教える。もう一つは、見つけてほしいポイントなどは、予め指摘やガイドをしないで、「テキストに語らせる」という方向です。後者の場合「テキストが語っていること」を読書家・批評家として、楽しめる・気付けるように教えることをサポートしていくことになります。

 この1月9日の投稿では、以下のように締めくくっていますが、今回も同じことを感じました。ある意味、自分の宿題となっていた地点に戻ってきた気がしますので、引き続き、プラスマイナスを含めて考えていきたいと思います。

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 おそらくこの二つは、はっきり二つに分離しているものでもないと思います。あるテーマに関連する情報を探そうと探究的に目的を持って読んでいても、その本が語りかける他のことに目がむくこともありますから。また逆の場合もあると思います。

 ただ、教える側として、こういう二つの方向があること、時にはそのバランスを考えることも必要なのかなとも思います。この二つの方向については、この投稿を書きながら興味が湧いてきました。これからさらに考えを深めて、また投稿できればと思います。 

2021年9月3日金曜日

新刊『挫折ポイント』

来週出る本に、以下のようなことが書かれています。とくに、GIGAスクールを推進している/させられている方々には参考になるのではないかと思います。


 

 これを読んで、どのような感想をもたれましたか?

 この『挫折ポイント』というタイトルのつけられた本が出たのは、2018年のこと(実践は、少なくともその2~3年前?)ですから、コロナ以前です。日本では、コロナの影響で、GIGAスクール構想が前倒しされ、一人一台の端末整備が急ピッチで進みつつあります。しかし残念ながら、これを読む限りは、GIGAスクール構想で掲げられていることは達成されないことが分かってしまいます。

 この本は、一人一台の端末を活用した方法を紹介するものではありません。そうではなく、すでに、それは試したうえで、一人一台では何の解決にもならなかった、というところをスタートラインにしています(つまり、教育のより本質的な部分に迫ります!)。

 引用の最初にあるように、多くの教師は、すべての生徒を成功に導きたいという気持ちをもっています。同じように、生徒の多くも楽しんで学習に取り組みたいと思っています。しかし、その思いが実現されない状態が長年続いています。いったいどこに問題があるのでしょうか? 

 本書は、やる気、動機づけ、モチベーションをいくら高めようと努力してもうまくいかないなら、逆転の発想に立って、「生徒がつまずいたり、挫折したりする理由は何か? そして、それを回避することはできるだろうか?」という問いを設定して取り組んだ二人の教師の記録です。著者たちは、「挫折ポイント」と名づけた「生徒がやる気をなくした瞬間や努力をしないと決めた瞬間」を研究することで、生徒の学習に対するやる気、無気力・無関心さに対処するための新しい教育方法を見つけるのに役立った、といいます。

 彼らは、「モチベーション(やる気、動機づけ)を、体毛の色、血液型、利き手と同じように一定の要素として感じている人が多い(中略)モチベーションというのは一般的に人が認識しているよりもはるかに範囲が広く、変化するものであることが分かった」(viiページ)と言います。つまり、単に「あるか、ないか」ではなく、本書の各章において「挫折ポイント」の図( 10ページ)や「連続体」(14ページ)や「挫折の方程式(=挫折する諸要因の関係を表した式)」(28ページ)どのようなモチベーションがあるかによって対処法が異なるというのです。(これら3つの図と式を見るだけでも、本書の価値があるかもしれないぐらいです!)本書全体がこのテーマを扱っています。

 このブログの読者が興味のもてる例を挙げると、

 たとえば、本を読むときのモチベーションがどのように変わるのかについて考えてみよう。最初は、出てくるキャラクターや場面などを知らないためにゆっくりと慎重に読みはじめ、次第に読むエネルギーが薄れていくことがあるかもしれない。しかし、クライマックスに近づくにつれ、先を読みたくなるほど興奮する状態になり、夜中まで起きて最後まで読み進めてしまうものだ。つまり、読みはじめたときとは比べものにならないほどのエネルギーを注ぐことになる。このように、モチベーションには山もあれば谷もあるのだ。これらの山と谷を見いだすというのが、「挫折ポイント」における理論の基本となる。(viiページ)

 さらに、

誰にでも、エネルギーが出てこないために、やらなければならないことを先延ばしにしてしまうという瞬間があるし、もっと努力したり、集中力を高めたりする必要のあるときがある。たとえば、あなたも試験の採点しなければならないときや家事をしなければならないときなどは、「先延ばしする」という気分になるのではないだろうか。モチベーションや努力というのは、蛇口を簡単にひねったりするようなものではない。やる気を出し、ベストを尽くすためには、数の多い要因が影響しているのだ。(先の「挫折の方程式(=挫折する諸要因の関係を表した式)」(28ページ)で、これらの要因を明らかにしてくれています。)

 学習に対するモチベーションや努力を、簡単に「オン・オフ」が切り替えられるものとして捉えるのではなく、身体のコンディションや習慣といった何らかの結果からもたらされるものとして解釈することで、「挫折ポイント」の考え方が理解しやすくなる。「挫折ポイント」とは、突然、集中が切れ、エネルギーがなくなり、継続的に努力をすることができない状況に陥ったときの反応である。(viiiページ)

 本書のパート2では、挫折ポイントを回避するための様々な方法が紹介されています。その中には、次のテーマが含まれています。

  一人ひとりをいかす教え方による挫折の抑制 ~ 『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』と関連する内容です。

  評価方法の転換 ~ 『一人ひとりをいかす評価』『成績をハックする』『ピア・フィードバック』等と関連する内容です。

  生徒をエンパワーするのは教室の文化と雰囲気 ~ 『「おさるのジョージ」を教室で実現』『静かな子どもも大切にする』『教育のプロがすすめる選択する学び』『退屈な授業をぶっ飛ばせ!』『歴史をする』『あなたの授業が子どもと世界を変える』等と関連する内容です。

  学びが中心の学校文化に転換する ~ ここの中心テーマは「ICTを活用して挫折を回避する方法」です。


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