2019年8月17日土曜日

「見えていない」から「見通す」への移行

『理解するってどういうこと?』を訳すときに、insightという言葉をどういう日本語にするかということについて共訳者の吉田さんとやりとりしたいきさつについては「訳者あとがき」に書いてあります。結局「洞察」という英和辞書の訳語は採らず、「じっくり考えて発見すること」としました。短くはできませんでしたが、「「洞察」でわかってもらえますか?」という吉田さんの問いに答えようとして、その末にわたくしにもたらされたものがinsightなのだと実感しました。
不思議なもので、そういう経験があると、本屋の店先で否応なく本のタイトルが目に飛び込んできてしまうものです。果たしてそれをしも「セレンディピティ」と言っていいかどうかはわかりませんが。ターシャ・ユーリック著(中竹竜二監訳・樋口武志訳)『insight―いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力―』(英治出版、2019年7月)。つい買ってしまいました。
一言で言うと「自己認識」についての本でした。

自己認識とは、要するに、自分自身のことを明確に理解する力――自分とは何者であり、他人からどう見られ、いかに世界へ適合しているかを理解する能力だ。(15ページ)

この「自分自身のことを明確に理解する力」としての「自己認識」が「二一世紀のメタスキル」だと著者は行っています。なるほど、ですね。では、肝心のinsight(インサイト)という言葉はどういうふうに登場するかというと、次のようなかたちで登場します。

自己認識をひとつの旅と捉えるなら、インサイトはその道中で起こる「アハ」体験だ。自己認識という高速を走る高出力のスポーツカーに燃料を与えるものだ。そんな燃料を得て、私たちはアクセルを踏む。燃料がなければ、路肩に乗り上げてしまう。(29ページ)

「インサイト」なしに「自己認識」をまっとうすることはできないというわけです。そしてその「燃料」としての「インサイト」には、「価値観」(自らを導く行動指針)/「情熱」(愛を持っておこなうもの)/「願望」(経験し、達成したいもの)/「フィット」(自分が幸せで存分に力を尽くすために必要な場所)/「パターン」(思考や、感情や、行動の一貫した傾向)/「リアクション」(自分の力量を物語る思考、感情、行動)/「インパクト」(周りの人への影響)、という七つの「柱」があるとされています(44ページ)。自分についてこの七つがどうなっているのかを知ることで、私たちは自分に関してそれまで気づいていなかったことに気づくことになります。だからこそ「インサイト」は「自己認識」の燃料になるのです。

たとえば「フィット」については次のように言われています。

自分がフィットする場所、自分が幸せで存分に力を尽くせる環境を見つけたとき、人は以前よりも少ない努力で多くを達成できるようになり、良い時間を過ごしたという気分で一日を終えることになる。(中略)自分の価値観を知り、自分が情熱を燃やすものを知り、人生で何を経験したいか知ることで初めて、自分にとって理想的な環境を思い描くことができるようになる。(56ページ)

自分が「存分に力を尽くすために必要な場所」とはどういうものか。もしも読書なら、自分に「フィット」する本を選び出すために、自分の「価値観」「情熱」「願望」をしっかり知らなくてはならないということになります。「存分に力を尽くす」ために必要な本を、そのようにして探し出せるなら、これ以上のことはありません。ターシャのこの考え方は、読書行為の根底に何が必要なのかということを考えさせてくれます。
もう一つ、示唆的だったのは「内省」との付き合い方についての考えです。著者は「内省が自己認識を生むという前提は間違いだ」として、「内省」というプロセスよりも、「インサイト」を得ることに焦点化すべきだと言っています。そして「感情や行動を説明するひとつの根本原因を探す」よりも、「複数の真実や解釈にオープン」であるような「柔軟なマインドセット」を持つことが大切だとも言っています(161-162ページ)。「自分自身についての絶対的な真実を知ってしまいたいという気持ち」から自由になることが肝心だと言っているのです。そうすれば、「内省」が「好奇心に満ちた探究」になると言うのです。
これは「理解」についてもあてはまることではないでしょうか。
また、本書ではinsightに「自分を見通す状態」という訳語もあてられています。「自分のことが見えていない状態」から「自分を見通す状態」になることへの移行がinsightだというのです。その移行において三つのことが必要だとされています(107-110ページ)。
1)自分のなかの前提を知る(自分の価値観や前提を疑う、他者からも疑問を投げかけてもらう)
2)特に自分がすでによく知っていると思っている分野をひたすら学び続けること
3)自分の能力や行動に対するフィードバックを求めること
いずれも自分が当たり前と思っていることを見つめ直しやすくする「テクニック」です。この三つのなかで、2)はどうして「自己を見通す状態」につながるのかということが少々わかりにくいかもしれません。が、「よく知っていると思っている分野」だからこそその分野を学び続けることによって、自分が既によく知っていると思われる部分での無知が露呈し、自分にとっての大切な「気づき」が生まれやすいということです。そのようにして学びを深めるばかりでなく、自己認識を深めるに至った人も少なくないでしょう。
本書や「自己認識」についての本ですが、随所に『理解するってどういうこと?』を訳すときに、insightという言葉をめぐって、共訳者とやりとりしたり、考えたりしたことと重なることが書いてありました。「じっくり考えて発見する」という訳語を考え出したときに、わたくしの心のなかで生まれた発見のことを思い出します。その訳語がすぐに見つかったわけではありません。試行錯誤のどちらかと言えば苦しい道程でありました。そこで得られた「発見」は、英語にぴったり(だと思っているだけかもしれませんが)の日本語を見つけ出したというにとどまりません。むしろ、頭のなかでしっかりと考えることなく、先行者がどうしてその訳語にたどりついたのかということに思いを馳せることなく、作業的に先行者のつくった訳語を利用するだけで事を済まそうとしていた自分自身に気づいたのです。理解行為が、対象を把握することにとどまらず、自分自身がそれまで見えていかなったり、見ようとしなかったりしたことに気づくことなのだということを、この『insight』という本の著者であるターシャさんは文字通り気づかせてくれます。
監訳者の中竹さんは日本ラグビーフットボール協会のコーチングディレクター。おもに「コーチング」の理念について本書原著から多くを学んだと「あとがき」で書いています。「自己の理解と他者の理解は、切っても切り離せない関係であり、非常に難解且つチャレンジングな私の人生のテーマとなった」とも書いています。学びをサポートする立場の人の内面でおこる自己認識を探る人が読んで多くを得た本だということです。コーチングの問題に限らず、本書もまた「理解」にとって大切なことを探究した本であると思います。そして「自分の理解」を半ば含んでいると感じられる場合に限って、私たちには本や文章をひたすら読み、わかろうとするのです。そして本書の言い方を使えば、読者が「自分のことが見えていない状態」から「自分を見通す状態」に移行したときに、深い理解が得られるのではないでしょうか。

2019年8月9日金曜日

学ぶために読むことと書くことを軽視(無視?)している学校


 あなたは、表題に賛同しますか? それとも反対しますか?

  私たちは考えることを通して学びます。その手段として、読んだり、聞いたり、書いたり、見たり、したり(体験したり)します。(他に、考えたり、学んだりするのに効果的な手段はありますか?)
 しかし、学校での授業での中心は、教師ががんばって教科書をカバーすることです。(生徒ががんばって教科書をカバーする、というのは聞いたことがありません! 生徒ががんばりたくなるようなシロモノではないからでしょうか?)結果的に、教師が話すのを聞くか、教師が教科書に書いてあることを違う形で板書したものを見ることが中心になります。(板書したものは、自分のノートに書き写すことがほぼ義務づけられていますが、それに能動的/主体的な部分はほぼゼロですから、価値としてはどんなものがあるのでしょうか? テスト前に暗記して、テストが終わると同時に忘れるぐらいの価値でしょうか?)

 別に、聞いたり、見たり、したり等をおとしめるつもりはまったくありませんが、私たちが学んだり、考える際に読むことと書くことの価値を否定する人はいないと思います。それは、多くの大人が日常生活の中でしていることでもあるからです。(ある意味では、あまりにも当たり前にしているので、気づかないぐらいです!)
 しかし、そのもっとも効果的といえる手段が、学校の中で使われることはあまりないのです。学ぶことに特化した場所である学校や大学が、そんなふうでいいのでしょうか?
 教師ががんばって話したり、書いたりする代わりに、生徒ががんばって話したり、書いたりするだけで、生徒たちの学びの量と質は飛躍的に伸びると思いませんか? 生徒が聞き手にとって面白い話ができるようになるためには、必然的に面白い話を聞いたり、たくさんの本や資料を読んだりすることになります。
 この単純な転換を図ることはできないでしょうか?

 このシンプルな転換をみごとに実現した方法の一つが、ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップ(以下、WWRWと略す)です。(WWRWを実践する教師は、だからといって、楽をしているわけではありません。自分ががんばって話したり、板書したりする代わりに、カンファランス、ミニ・レッスン、共有の時間等、他のより効果的な方法で生徒たちを支援していますから!)
 そして、WWRWのクラスには、唯一絶対の教科書は存在しません。多様な教材やメンター・テキストのうちの一つとして教科書は存在します。生徒たちは、自分に合った本(書く際には、もっとも参考にしたいメンター・テキスト)を選べる能力を磨く形でWWRWの時間を過ごします。この選書能力は、生涯にわたって読み続ける/書き続けることを考える際に、もっとも役立つ力と言えるかもしれません。

 また、読むときに優れた読み手が当たり前のように使っている「理解のための方法」も大事にされています。それには、読みながら①関連づける(自分と、他の本と、世界で起こっていることと)、②質問する、③イメージを描く、④推測する、⑤何が大切かを見極める、⑥解釈する、⑦自分の読みや理解を修正するなどが含まれています。(これらについて詳しくは、『「読む力」はこうしてつける』と『理解するってどういうこと?』を参照してください。)
 この「理解のための方法」のすばらしさは、読むときだけでなく、聞くときや見るときはもちろん、話すときも、さらには書くときも使えるものです。使った方が、理解や学びの質と量が大きく伸びます。より多くを考えますから。

 これら読み書き能力を国語で練習し続けることは当然なのですが、算数・数学、理科、社会、そして他の教科でも使うことを考えたことはありますか?
 使わないと、かなり貧弱な学びが続いてしまうことを意味しています。

 そして、表題に書いたように、教科書以外の読み物★を大量に読んだり、教科書とは関係のないことを大量に書いたりするようにしないと、学びの楽しさも味わえないと思います。

★残念ながら、教科書を「読み物」と捉えられる人は、百人に一人もいないでしょう。どうがんばっても、誰にとってもあれが進んで読みたいものになることは考えづらいです。
 欧米では、20年近く前から教科書も含めた「テキスト・セット」という考え方が普及し始めています。一つの教材が生徒全員に等しく受け入れられるはずがないからです。多様なニーズと興味関心および読みのレベル等の生徒たちに受け入れられるには、複数のテキストを用意して選んでもらうのが、よりよい学びをつくり出すために欠かせないと判断したからです。これについては、『教育のプロがすすめる選択する学び』と今冬に出版予定の『教科書をハックする』が参考になります。


2019年8月3日土曜日

「意味のある繰り返し」と「読み直すことの価値」

 少し前ですが、小学校低学年向きぐらいの、短い英語の絵本を使った読み聞かせのワークショップに出席したことがあります。

 最初の読み聞かせのあとに、いくつか質問をされたのですが、それは、テキストをもう一度見ないと答えられないような質問でした。

 「では、どうだったか確認してみましょう」、ということで、質問の答えを確認するために、再度、読み聞かせです。

 その後も、さらなる質問が提示され、 気がつくと、同じテキストを、何度か、焦点を変えながら、読み聞かされていました。

 このワークショップの最後で、講師の先生が次のようなことを言われたのが、強く印象に残っています。

 「言葉が定着していくためには、重なりや繰り返しが大切。教師は、いかに意味のある繰り返しを作り出すかを、考える必要がある」

 上の言葉は、私の記憶の中にある言葉なので、きっと私の解釈の入った言葉だと思います。でも、「意味のある繰り返しを作り出す」という概念については、その後、よく考えるようになりました。

 「意味のある繰り返し」を考えるときに思いだすのが、「読み直すことの価値」です。リーディング・ワークショップの中では、同じテキストの「読み直し」は、例えば、以下のように、よく行われます。

・ブックトークをするために、その本をざっと読み直す。  
・ブッククラブの準備のために、話したいところに付箋などを貼りながら読み直す。
・書評や紹介文を書くために読み直す。  
・書き手の目で、上手な箇所や作者の工夫に注意しながら読み直す。(→ これはライティング・ワークショップのミニ・レッスンとして行うことも可能です)
・複数の本を比較するために読み直す。
  (その他、『リーディング・ワークショップ』(ルーシー・カルキンズ、新評論)の46~47ページ「ミニ・レッスンで読み聞かせを使う」の中でも、それまでにクラス全体への読み聞かせで使った本の一部を、再度使う例が挙げられています。)

 また、教師があえて設定や奨励をしなくても、お気に入りの箇所の読み直しなどは、読み手がよく行っていることだと思います。

 他の読み手とつながったり、優れた作家が行っていることを学べたりと、読み直しから得られることは多いです。しかも、読み直しは、「読む目的に応じて読み方を変える」場ともなります。得られることの多い「読み直し」(つまり、意味のある繰り返し)ですが、言葉の学習自体も同時にサポートしているのだ、と思うと、まさに一石二鳥です。

 しかも! 読み直しの価値はそれだけではありません。6月24日のRW/WW便り「読書は人生の再読」では、読み直しから(そして、読むこと自体から)得られる豊かさや広がりという価値が説明されているように思いました。

  そういえば、『ライティング・ワークショップ』(新評論、2007年)の著者たちは、書くことにおいて、たった一つのことしか教えられないとすれば、自分の書いたものを読み直すことを教える、と記していたことも思い出しました。 

 こうやって書いていると、読み直しにはいいことがいっぱいありそうなので、夏休み、いろいろ「読み直し」ながら、引き続き、考えてみたいと思います。 

2019年7月26日金曜日

ブッククラブの威力を再認識


20年ぐらい前に、ブッククラブの効用に気づき、かなり多用するようになり、その後、約10年間の実践を踏まえてまとめたのが『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』でした。◆現在、在庫が僅少になり、改訂版に向けて制作中です。◆
ここ数年、そのパワーを再確認にし、より一層多用しています。


たとえば、①研修会や勉強会等で、同じことをいくら言っても変わらないことが、②メール(ないしオンライン)でのブッククラブ(つまり、筆談)でのやり取りを数回することで、考えを改め、そして実践に移してくれることを何度も見るようになったのです。
①は、一斉授業の場合と同じで、対象が特定されない中での発言であることが多いからかもしれません。一方で、②の場合は向けられている対象が限定されているうえに、繰り返しのやり取りです。つまり、変わらざるを得ない条件がそろっているのです。
対象とする人(たち)の意識や実践を変えたい時は、ぜひブッククラブ(特にオンライン)を試してみてください。従来の教員研修や校内研究よりも、はるかに効率的かつ効果的です。

 そこまでの変容が見られたかというと怪しいですが(やり取りの回数がまだ限定的なので)、しかし、変化の芽が確実に浮かび上がった事例を2つほど紹介します。(両方とも高校の先生たちによるブッククラブです。★)

 一つは、『オープニングマインド』を題材にしたブッククラブからです。
 6人の参加者がほぼ全員が触れていた不確実な教師の発言というか問い方に対する違和感を書いていました。
 具体的には、「不確実性を提供するので、探究を可能にします。不確実性と探究が提供されると、知識をつくり出すということに関して主体性も提供されます。」p.124 → 「~である」から「~かもしれない」に変える p.146
 一人の参加者は、これに対する反応を次のように書いていました「リアルブッククラブでお話が出来ましたが、やはり不確実に言うと、どこか自信がないように感じてしまうのではないかという心配はやはり残ります。「~かもしれない」とすれば、生徒が持っている知識から考え、答えにたどり着くことができるかもしれません。私自身、すべてのことを不確実に言うことは出来ないと思うので、どういったもののときに不確実な言い方をすることができるかを考えていく必要があるのかなと思っています。」
 もう一人は、「小学生相手ではいいかもしれないが、中高では考えにくい」と。

 これは、https://wwletter.blogspot.com/2018/11/blog-post_23.html で紹介した数字を説明すれば、かなりの確率で納得してもらえます。日本の教師は、授業という言葉を聞いた時、自動的に一斉授業をイメージしますが、『オープニングマインド』と『言葉を選ぶ、授業が変わる!』は、ライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップをベースにした授業を主な対象にしているので、授業観自体が違っているのです。

 この最後の点に関連する感想が、一昨日から始まった『教育のプロがすすめるイノベーション』のブッククラブでも提示されました。

p.15「授業の中心は教師ではなく、生徒全体でもなく、生徒一人ひとりである」
→こういう言説は日本の教育論でも古くから「子供を束で見るのではなく、個で見なさい」というような形で存在していると思いますが、それなのに日本では40人授業が平然と行われています。個人的には「(生徒一人ひとりを見取ったとして、その上で、そうした一人ひとりの生徒によって構成されている)集団を意図通りに動かすことができる教師が優れた教師」という価値観が染み付いているのが問題だと思います。

 これに対する私のフィードバックは、次のようなものでした。
「まったく、その通りです。これと同じレベルで、よく聞く言葉が「子ども理解と見取りの大切さ」です。しかし、過去10年以上、事あるごとに(特に、それを言った先生に対して)、「その子ども理解と見取り」のために具体的にどんなことをしていますか? と尋ねていますが、まともに答えられる人はいません。どうも、「子ども理解と見取り」を言っただけで安心しているようなのです。上の「子どもを束で見るのではなく、個で見なさい」と同じではないですか? 
  しかし、個々の違いを知ってしまったら、一斉授業などやれるはずがないです!
  知らないからこそ、やり続けられます。

  この点については、『教育のプロがすすめるイノベーション』および『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』と『授業の見方』および『教師の学び方』との比べ読みをおすすめします。
  どなたか夏休みの間に「『授業の見方』および『教師の学び方』をハックする」をまとめませんか?
  時間的には、本2冊を読むのに3時間。感想をまとめるのに2時間と言ったところでしょうか。
  下書きレベルで結構です。内容次第で、若干書き直していただくかもしれませんが、いくつかの雑誌に掲載をしてもらえるようにアプローチをしたいと思います。最悪でも、姉妹ブログの「PLC便り」には載せられると思います。


★ブッククラブは、はじめてという先生がほとんどでした。しかも、本は一人で読むもの、という意識の持ち主たちでもありました。それが終わった時点では、「楽しかったです」「これからも継続的に同僚たちとブッククラブをやっていきたいです」に転換しました。

2019年7月19日金曜日

「わかりやすさ」が「理解」を奪う?



 「理解」の関連本を探して、広島駅前の大きめの書店の書架の間を歩いていると・・・「わかりやすさの罠」という書籍タイトルが目に飛び込んできました。池上彰『わかりやすさの罠―池上流「知る力」の鍛え方―』(集英社新書、2019年)。「この講義はわかりやすかったですか?」というのは、授業や講習会・講演会アンケートの質問項目「定番」ですね。

 

「難しいことをわかりやすく」というのは、私がこの三〇年間ずっとモットーとし続けてきたことです。しかし、最近になって、どうも、少なからぬ人たちが「わかりやすさ」の罠にはまってしまっているのでは、と心配になってきました。/「罠」とはつまり、「わかったつもり」になってしまうということです。(『わかりやすさの罠』22ページ)



 本書の前半では新聞やニュースやネット報道を取り上げながら、「わかったつもり」になってしまう実例が取り上げられ、わかりやすい説明が展開されます。しかし、この本の本領は、「わかりやすさ」の「罠」にはまらないようにするために」「私たち社会を構成するひとりひとり」が鍛えなければならない「知る力」を探っているところにあります。

 たとえば、「複数の新聞を読み比べる意味」(128ページ~)には、ニュースについて、複数の新聞を読み比べたり、ネット情報と新聞記事を読み比べたりするということがあげられています。同様のことは、現在の国語教科書等にも見られますが、注目したいのはその目的です。それぞれのメディアがどのように「偏っているか」を確かめるために「比べる」というのです。



 つまり、「この新聞は偏っている」などと糾弾するのはおかしな話なのです。新聞である以上、偏っていて当然といえます。偏っているのはあたりまえであり、それぞれの違いをおもしろがるぐらいの冷静な視点が欲しいものです。(『わかりやすさの罠』132ページ)



なるほど!と思わされました。「それぞれの違いをおもしろがるぐらいの冷静な視点」の獲得のために新聞記事を比較して考えてみれば、その比較活動に熱心に取り組むことができます。その過程で「知る力」が育つというのです。キーンさんの言う「質問する」「推測する」「大切なところを見極める」といった理解するための方法を駆使することになるのではないでしょうか。「違い」を生かす「知る力」です。そして池上さんは本書の至るところで「ネット」ではこうした「知る」とは逆に「放っておけば、どんどん自分とは異なる意見が排除されていく」(133ページ)と言っています(「本書の至るところ」はどこか?読んで探してみてください)。「自分とは異なる意見」の「排除」は、けっして「理解する」ことにはなりません。

 そのほかにも「新聞は全部読もうとしない」「迷ったら買う」「しっかり読めるのは一〇冊のうち一冊」「積ん読のすすめ」など魅力的なアイディアについて語られていくのです。そして、これだけネット書店が便利になっても、「リアル書店」を使う理由を述べたくだりもあります。



「今度の番組ではどんなニュースを解説しようか」「来週締め切りの原稿に何を書こうか」と悩みながら書店に行くと、ときどき本が「おいでおいで」と言ってくれているような気になることがあります。ふっと気になって見ると、「ああ、こういうタイトルだとおもしろいしわかりやすいな」「そうか、この分野のこの話ができるぞ」などと発想が浮かんできます。こういう偶然の発見は、ネット書店では経験したことがありません。/「思いがけないものを発見する能力」をセレンディピティーといいますが、リアル書店は、まさにそんなセレンディピティーの宝庫です。行かない手はないと思いませんか?(155ページ)



 学生時代(わたくしにもあった、10代の最後のころ!)に恩師から「考え続けていると、文献の方から自分の方に飛び込んでくることもあります」という話を聴きました。そんな夢のようなことがあるはずがない、などと浅はかにも思ったものです。が、40年ほど経つうちにそれに似た経験を幾度かしました。そして、池上さんの「ときどき本が「おいでおいで」」というのも同じですね。そこから「思いがけないものを発見する」ということが起こります。「知る力」を発揮するみなもとではないでしょうか。

 「わかりやすさ」が「罠」だというのは、このような「セレンディピティー」の芽を早々に摘み取ってしまうからです。でも、間違えてはいけません。池上さんは「わかりやすくすること」が悪だと言っているわけではないのです。「わかりやすさ」の主語が問題なのです。読んだり聞いたりする立場で「わかりやすさ」を求めることは「わかった」と思っても「わかったつもり」になってしまい、「偶然の発見」の芽は摘み取られてしまいます。しかし、誰か身近な人に「わかった」と言ってもらえるように、自分の「わかった」を伝えようとすればどうでしょう。「わかりやすさ」を生み出す側に立った場合です。



「わかった」と思うことと、「わかった」と言ってもらえるように説明できることは、まったく違います。その違いを知るには、まず「わかった」と思っていることを、自分が納得しただけで終わらせず、そばにいる誰かに説明してみるのが一番です。(199ページ)



 「わかりやすさ」が理解を奪うわけではありません。そうではなくて、「わかりやすさ」を生み出すように、「「わかった」と言ってもらえるように説明できること」が可能になるようにつとめることによって、そのことについての深い理解が自分のなかに生まれると言っているのです。その過程でいくつもの「偶然の発見」があらわれるということです。理解が奪われるのは、どこの誰がつくったかどうかわからない「わかりやすさ」に、自分で考えることをその「誰か」に預けてしまう時だと、池上さんは伝えているのです。

2019年7月13日土曜日

夏休みの読書は? 長期休暇に向けてできそうなこと

 夏休みのような長期休暇に向けて、読み手として育ちつつある子どもたちを、どのように送り出せばよいのでしょうか? いろいろな段階のサポートがあると思いますが、今日は以下の3点について考えます。

1)読みたい本が、それぞれの子どもの手元にあるようにする。

2)アクセスしやすい本を中心とした、読みたくなるような本リストが、それぞれの子どもの手元にあるようにする。

3)読みたい本の探し方を教える。

 まず「1)読みたい本が、それぞれの子どもの手元にあるようにする」です。

 特に、本へのアクセスが難しい子どもたちには、一番、効果的な方法かもしれません。★

 優れた実践者のアトウェルの場合、 長期休暇の前には、教師も生徒もすごい勢いでブックトークをし、そして、長期休暇の前には、それぞれが、しっかり本を借りて帰ります。(『イン・ザ・ミドル』の「長期休暇中の読書」(236~238ページ)というセクションで、詳しく説明されています。)

 アトウェルの学校は、メイン州の田舎にあり、公共交通機関もなく、図書館の開館時間も限られているとのことですから、教室の図書コーナーから本の貸出をしない限り、生徒の本へのアクセスは極めて限定的なようです。
  
 生徒の年代や状況にもよりますが、何らかの貸出記録を作りながら、1冊でも本を持って帰ることができれば、次年度、それを踏まえて、よりよい貸出方法が見つかるかもしれません。

 次は 「2)アクセスしやすい本を中心とした、読みたくなるような本リストが、それぞれの子どもの手元にあるようにする」です。

 ポイントは、「そのリストにある本にアクセスしやすいこと」と「そこから芋づる式に読みたい本が増えること」でしょうか。

 例えば、同じ地区の子どもが多ければ、その町の図書館にある本から、複数冊の本がある作家を複数人選び、その作家の本を、一人の作家につき1冊だけ紹介し、同じ作家の本が他にも何冊かあることを示しておきます。 ➡ こうすることで、「作家読み」につながる可能性があります。同様にシリーズの1冊目の紹介も、複数冊読むことにつながる可能性があります。その中に、クラスの子がすでに読んだ本や、ブックトークで紹介した本などがあると、さらに興味がわくかもしれません。 


 最後に、「3)読みたい本の探し方を教える」です。

 「読みたい本の探し方」については、『読書家の時間』(新評論、2014年)」の「5年生の最初の10時間」の6時間目、「こうやって本を選んでみようーー教師の選書テクニック大公開!」(14ページ)がお薦めです。

 このレッスン自体は、リーディング・ワークショップ開始後6時間目を想定して書かれていますが、夏休み前にも補強したい内容です。以下のようなことも書かれています。

・教室にあるテレビに子どもたちが利用している図書館のホームページを出して、本の探し方や予約の仕方を説明する。

・映画やドラマの原作本、自分が好きな作者がどんな本を他に書いているのかを、その場で調べてみる。

・ネット書店のホームページを見せたり、教師の読みたい本リストを見せたり、また、過去に受け持った子どもたちがどのようにして本を探していたかを話す。

*****

 いずれにしても、教師自身が夏休み、本を読むのを楽しみにしていることが伝わるのが、一番かも、とも思います。忙しい夏かと思いますが、どうぞ、本と共に楽しいお時間を!

*****
本が手元にあるようにしただけで成果があったという、以下のような研究結果もあるそうです。この研究は、アトウェルが教室の図書コーナーの本の貸出を始めることの後押しになっているようです。

 経済状況が極めて厳しい地域の学校で、恵まれない環境の生徒832人に、長期休暇中の前に読む本を12冊選び、持って帰らせた。それをしなかった生徒と比較して、読解の点に有意差が出ただけでなく、休暇中の読書量が増え、その後の読解力についても、サマー・スクールに出席した子どもと同じような結果がでた(『イン・ザ・ミドル』237ページ)。

 アトウェルは、この結果を知り、次のように記しています。「この結果に励まされたものの、考え込んでしまいました。休暇前のミニ・レッスンで、教室の外でよい本をどうやって見つけるのかを教えてきましたが、多くの生徒が実行していなかったからです。<略> 休暇前に生徒に本を貸し出すことにはそれなりのリスクを伴いますが、やってみるとうまく行っています」(『イン・ザ・ミドル』237ページ)。
 

2019年7月5日金曜日

新刊『教育のプロがすすめるイノベーション』


 この本は、学校改革、授業改革、教育改革がテーマの本でありながら、著者の父親のストーリーではじまり、母親のストーリーで終わるという珍しい本です。
 父親と母親が自分の子どもたちのために少しでもいいものを提供したいという気持ちと、教師を中心に教育関係者が目の前にいる子どもたちのために少しでもいいものを提供したいという思いはまったく違わないと著者は考えているからです。
 そして、その最初と最後のストーリーの間には、たくさんの具体的な学校/授業/教育改革のストーリーが紹介されています。
 著者は、「自分がしていないことは、教師にも、生徒たちにもやるように言うことはできない」という考えの持ち主でもあるので、自分の実践をポートフォリオにする試みとしてブログを書き始めました。そして、それが結果的に、わずか数年の間に16年間(彼の場合は、18年間?)の生徒と学生時代よりも何倍も多くをブログに書くことになり、そして、この本にもなっているのです。★
 ジャーナルではなくて、ブログやツイッターを選択したことが、世界の教育者とオンラインでつながることも可能にし、相互に刺激し合いながら、実践をよくすることはもちろんですが、文章能力もドンドン磨いていくことになりました。書けば書くほど、うまくなるのです!! その際、読み手を意識することがポイントです。相互のやり取りがポイントと言い換えられるかもしれません。それは、まさにライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップをオンラインでやっているようなものです!
 そして、それが教育書としては稀な売れ行きの本を完成させてしまったのです。
 本の内容については、http://www.shinhyoron.co.jp/2814.html を読んでください。

 実は、本書の著者が実践したアプローチをほぼ真似する形でできた本があり(あくまでも、書き方に関して)、それを現在翻訳中です。本書の中では、①従順/服従/忖度する学びから、②生徒が夢中で取り組む学びへ、さらには③生徒たちがエンパワー(人間のもつ本来の能力を最大限にまで引き出すこと)される学びへの移行の必要性が強調されています。(ちなみに、日本で行われている教育は、まだ第二段階へも移行しきれていません。文科省が「アクティブ・ラーニング」を叫ぶぐらいですから。まだ第一段階の「従順/服従/忖度」に浸りきっています!)翻訳中の本は、第三段階に焦点を絞った本です。モデルがいいので、この「続編」的な内容も極めてパワフルです! タイトルは『教育のプロがすすめるエンパワーメント』になるのではないかと思っています。その本のまえがきを、本書の著者のジョージ・クロス氏が書いています。
ここで言いたかったことは、誰もがこの種の本は書こうとさえ思えば、書けてしまう、ということです。本を書くことは、もはや特別な時代ではありません。練習媒体としてのブログ等が整備されていますから。ぜひ、あなたも挑戦してください。★★

 この本の奥付に、「授業改善と学校改善についての最新情報を、25年追いかけ続けています。最初に出したのが2000年の『エンパワーメントの鍵』でした。それ以来、いろいろな本や情報を発信してきましたが、本書ほど多くの教育関係者に読んでほしいと思った本はありません。可能ならブッククラブ(読書会)形式でぜひ読んでください。その方がはるかに広く、かつ深く読めますから 」と書いたぐらいなので、2人以上を誘ってブッククラブで読んでください!

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1冊(書店およびネット価格)2916円のところ、
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※ なお、送料を抑えるために割安宅配便を使っているため、到着に若干の遅れが出ることがありますので、予めご理解ください。

★ 彼の目的は本を書くことではありませんから、今でも書き続けています。それも、極めて中身の濃い内容のものを頻繁に。https://georgecouros.ca/blog/ で見られます。書くことは考えること、考え続けることです。読んだり、見たり、聞いたり、したりする時(さらには、眠っているときでさえ!)ももちろん考えますが、書くときは次元が違います。それも、公にすることを前提にしたときは。

★★ 実際、アマゾンを探すと、キンドル版やオンディマンドで購入できる教育書を出している教育者がいることが分かります。しかし、そのアプローチは従来型の自費出版をオンラン化したにすぎない気がします。すでに上で触れた大事なポイントの、本をつくる過程のやり取り(執筆者が独りよがりになることを避けるため)と、その過程で読み手意識をどれだけもてるかが欠けているので、残念ながら売れる本にはなりにくいのです(子どもたちが教室で書くときも同じで、これら2つのポイントは、読者に受ける作品を書くのに欠かせないポイントです!)。
一方で、売れている市販の教育書にも「自費出版」のレベルのものが少なくありません。というか「多いです」。大手の教育出版社を含めて、出版社に良し悪しの判断能力が欠けているので、「売れれば内容的には気にしない」という空気が充満しています。これは、日本の学校教育が「選書能力」を身につけさせないという悲劇的な過ちを犯し続けていることと関係があります。ぜひ、自分に合った本や情報を見つけ出す能力を磨いてください。そして、子どもたちにも身につけさせてあげてください。ある意味で、これがすべてのベースですから!
そして、自分に合った本や欲しい本がないと思ったら、書くしかないということになります。今回紹介した本のように!