ラベル 大切な推敲/修正 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 大切な推敲/修正 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013年7月19日金曜日

修正 その2


 修正に困っている3~5人ぐらいの子たちを集めて、以下のような質問を順番に投げかけていくだけです。

     下書きの中で、一番訴えたい内容が書かれている文章に下線を引いてみて?
     それについて具体的に書いている部分や例を挙げている部分をカッコでくくってみて?
     今度は、下線の文章とはまったく関係のない部分に、波線を引いてみて?
     一番気に入っている文章はどれ? 矢印で示して。
     下書きの中で、インパクトがあると思っている言葉を3つ選んで丸で囲んで。

 これら印をつけたところのいずれかに焦点を絞って発展させたり、さらに強調させたり、膨らませたり、あるいは逆に削ったり、消したりしていけばいいわけです。

 前回の繰り返しになりますが、修正は主題と文の構造の転換」と捉えています。

 自分の下書きについてするのではなく、集まった子たちの中で、あえて自分のとは違うのに印をつけてみてもおもしろいかもしれません。他人の目は、自分とは違うものを見てくれますから。

 修正を教えるのに困っている方、ぜひ試してみてください。


★ 近々、出版予定の『リーディング・ワークショップ』の日本での実践版の中でも、2人の実践を紹介しています。

2013年7月12日金曜日

下書き → 修正

 なかなか、このステップが日本の作文には理解されません。
 最初の段階で、下書きの一歩手前ぐらいのレベルを要求しているのが、その理由かもしれません。
 従って、なかなか最初の段階での「実験」というか「遊び」というか「自由に書くこと」ができません/許されません。

 私もそうでした。
 28歳ぐらいになって、ワープロを購入してキーボードを打って「書く」までは、それこそ書けない人生が続いていました。(私の人生の半分近くですから、もったいなかったです!)「消す」(直す)のが大変だったからです。ワープロ(いまは、パソコン)なら、削除やコピペ(コピー&ペースト)が簡単なので、いい意味で「いい加減」にいくらでも書いて、修正することができます。

 従って、「修正」とはなんぞやを説明するのも、これまでやられてこなかっただけに容易ではないのですが、いい事例を見つけました。


 あの有名な芭蕉の俳句、「しづかさや 岩にしみ入るせみの声」です。

 あれは、もともとは「さびしさや 岩にしみ込むせみの声」だったそうです。


 主題と文の構造の転換が行われ、似て非なる作品ができあがりました。
 (この間にも、試行錯誤が何回かあったのかもしれません!)


 これが、修正のわかりやすい例だと思いました。

 これは、短い俳句の例ですが、作文の場合も同じです。修正は、「主題と文の構造の転換」と理解してください。小手先レベルでの直しではありません。
 なお、俳句の場合は分量は変わりませんが、文章の場合は分量が大幅に増減します。

                 (出典: 『読むこと』安良岡康作、29ページ)

2012年7月4日水曜日

レイ・ブラッドベリ 3


『ブラッドベリ、自作を語る』の続きです。

●作家の役割=書く目的は?
ウェラー・ 作家としてご自分の役割をどうお考えですか? 娯楽を提供するのか、精神を啓発するのか、教訓をあたえるのか。
ブラッドベリ・ 全部だろうね。それから、人が前へ進むように手助けをする。どうにか読者の心をつかんだとして、その心に湧いたものが表面まで浮いてきて、その人が次の日もしっかり生きられて、前の日よりよくなる、というように手を貸すのが僕の仕事。このところ何年か、あれこれのストーリーを書きながら、ずっと生きてるかぎり人を幸せにしていたいという気持ちが強くなった。だからファンタジーはすばらしいんだ。現実ばかりじゃ気が滅入るだろ。ひどい気分で何もできなくなる。(288)

●下書き(初稿)から最終稿へ
ウェラー・ 書いたばかりの第一稿は、潜在意識がページに語りかけているようなものだ、ということを持論にしていらっしゃいますね。推敲の段階というのは、それを知覚化しているものだと思ってよいのでしょうか?
ブラッドベリ・ もちろん。それから見直してカットする。短篇は長すぎることが多い。『何かが道をやってくる』を書いたとき、あれは長篇だけれども、全部で15万語になっていた。見直していって、5万語はカットしたね。自分で自分の邪魔をしてはいけない。燃えやすいものは片づけておくんだ。ガラクタと言おうかな。ちゃんと片付けて、すっきりさせる。
 初稿は、まずタイプで原稿を打つ。これは早い。がんがん打ちまくる。自分の足を引っ張らない。それから何日か後で、そっくり打ち直す。このときに潜在意識が新しい言葉をくれる。まだまだ何度か打ち直さないと仕上がらないが、ほとんど直さなくていいときもある。(290)

●筋書きを考えてから書くの?
ウェラー・ ストーリーは、まず全体を考えるというか、大体の筋書きを決めるのですか?
ブラッドベリ・ いやあ、全然。そんなことできない。あすという日や、来年や、十年後にどうなるか、そんな筋書きを決められないのと同じだ。初めから本の筋書きを決めたら、エネルギーもバイタリティーもなくなっちゃう。血が通わなくなるよ。来る日も来る日も、その本の世界を生きて、キャラクターたちを泳がせてやらないと。(293)

<ちょっと作家の話とはズレますが、大切なオマケです>
●長続きする結婚の秘訣は?
ウェラー・ 結婚が長続きする秘訣は何ですか? (ブラッドベリは奥さんのマギーさんと彼女が亡くなるまでの56年間いっしょだった。)
ブラッドベリ・ 結婚なんていうのは、ユーモアがなかったら成り立たないものだよ。愛とは、ちょっとしたことにでも、こりゃしまったと思う繰り返しで、そうと口に出すことじゃないか。よく失敗するよ。たとえば電球が切れたままだとか、買って帰るのを忘れたとか。それで「ごめん」なんて言うだろ。つまり、悪かったと認めること、何よりもユーモアのセンスがあること ~ 何があっても、どこか憎めないところがあるように ~ というのがよき結婚生活の秘密だね。(324)★

★ この結婚生活の秘訣は、他にもいろいろ応用できそうな気がします。長い教員生活を勤め上げる秘訣としても。

2011年4月22日金曜日

やはり難しい? 修正の教え方とそのタイミング

 子どもたちは、そろそろ第1作目や2作目を仕上げ、次に書く題材を選んだり、それを発展
させたりしている頃でしょうか。

 「先生、できたよ」と提出されたもの、つまり、子どもたちが完成したと思ってい
るものに対して、教師は、もっとその作品がよくなる余地が多く残されていることに
気づくことが、わりとよくあるのはないでしょうか。

 教師としては、「さあ、今から修正が始まるよ」と伝えたいものの、それは、完成した、
と思っている子どもの気持ちを思うと、意外に難しいものです(←少なくとも私の場合は)。

 いくつか方法を考えてみました。

1) 下書きの段階で修正方法をたくさん教える。

 下書きの段階で、修正方法をたくさん教えてしまうのも、一つの手かもしれません。

 WW関係で、いい本を何冊も書いているレイ氏は、「最初に書いた下書きが、ちゃん
とできていないから修正するのではない、そうではなくて、修正とは、下書きについ
て、今からどんなことが可能かを考えてみる、いいチャンス」ととらえられるように教えよ
うと言っています。

 そしてメンター・テキストからそのアイディアを得るのも一つの方法だと言ってい
ます。教師が自分のメンターテキストを語り、このメンターテキストから学んだ、
書くことについての作家の技を使って、自分の下書きに何ができるのか、

自分の下書きをどう変えたいのかを紹介しています。

 (メンターテキストは子どものよく知っている絵本だと、
子どももイメージしやすいと思います)。

2) 下書きのチェックリストや自己評価をしてみる

 私は前回のミニ・レッスンで、「いい題のつけ方」を取り上げて、いい題の条件を
書いたものをシールにして、作家ノートに貼る(← 前回のブログの、「作家ノート
は教室の壁」というところをご参照ください)ように言ったにもかかわらず、前回の
授業の終わりに、なんの工夫もない題をつけて提出した生徒もいました。

 いくつかミニ・レッスンのポイントをまとめて、例えば、「題の工夫、書き出しの工夫、終
わりかたの工夫、段落の順番(構成)の工夫」などのチェックリストをもって、自分
の下書きを見直すのもいいかもしれません。

 また、自己評価的に、自分が、そのチェックリストの項目をどのように工夫したの
か、それはうまくいったのかどうかを書いてもらうというのも、ありかもしれません。

 ただ、これは、初期だけで、いつかはチェックリストの必要がなくなるほうが、いいと思います。

(3) 完成作品だと思っているものに修正の提案をされて、気を悪くした人の話を
して、気を悪くするのはソンだとわかる例を出す。

 生徒から、「完成した」と思って提出されたものに、今から修正を教えるのはちょっと難しいなと
も感じます。

 作家ノートについても、WW全般についてもいい本をたくさん書いているフレッチ
ャー氏は、詩の書き方について書いた本のなかで、友達が詩を見せてくれたときのことを書いてい
ます。

 フレッチャー氏は、その詩の中のイメージをほめたあとで、その詩を今よりもさらによくする提案をしたとこ
ろ、その友人は、気を悪くして、「変える気はないよ」と言うシーンが出てきます。

 これが普通の人の反応なのかもしれません。一度書いたら、完成、これで終わりと
いう反応です。

  彼の書いた詩の教え方の本では、「この気を悪くした人が例外でなくて、この人
のように、作家の技をいろいろと使って、自分の詩をよりよくする意識のある人は少
ない」ことが書かれています。

 そこで、まずはこんな感じの、よりよくする提案について、気を悪くする人のエピソードを紹介します。

 (先生の周囲で実際にあったことだと、より説得力があるとは思います。)

 そして、その後、フレッチャー氏は、「でも、実は、よりよくするいろいろな方法が
ある」ことを述べ、そして、具体的な方法を具体例とともにいくつか出してくれています。

 これにならって、「実は、よりよくする具体的な方法は、いくつもあるんだよ」、と言って、
かなりパワフルな例をいくつか立て続けに紹介します。

 その具体例がとてもパワフルなので、上の人ように気を悪くするのが、ソンだと思
わせてしまうような感じがします。

 これは昨年の子どもの例を見せるのと、かなり効果的だと思います。
 
出典:

レイ氏の修正についての上の箇所は、Katie Wood Ray, What You Know by Heart
(Heinemann, 2002) の64-67ページです。

フレッチャー氏の詩の教え方についての本は Ralph Fletcher, Poetry Matters,
(HarperTrophy, 2002) で上のことが載っているのは59-73ページです。